ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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10月9日(土)

at 2004 10/18 05:52 編集

起きてから、『ノルウェイの森』を読みながら、目当ての助詞やそれと関連しそうな文法形式に印を付ける作業を続けていた。対訳資料を作るためだ。日本語の原文を読みながら該当箇所に印を付け、また韓国語訳も、読みながら該当する箇所に印を付けている。韓国語訳には、訳せば“喪失の時代”というタイトルが付けられている。概して忠実に、うまく訳されている。ところどころニュアンスが違うと感じられる部分があるが、こういうのを訳者に問い合わせてもいいのだろうか。そういう部分の訳を読みながら、ちょっと脇道にそれて、自分だったらどんな訳語を見つけるだろうかなんて大それたことを考えてみたが、何も思いつかなかった。私の韓国語力ではそんなところまでは及ばないし、訳者がうまく訳せなかったのだとしたら、それは韓国語で表現しきれない日本語の表現なのだろう。

こうやって文法形式に注意を払いながら読んでみると、意外にもこの作品の表現力の非凡さをまざまざと感じさせられる。著者は随筆で、自分がいかに平凡な人間かをいつも強調していて、私もそのことばをしばらくの間信じていたけれど、こうやって読み返してみると、それはまったくの嘘だった。本当に平凡だと思っているのだとしたら、著者は自分自身のことを知らないのだ。

大学生の頃から、時々私の書いた何かを読んでか、私のしゃべり方を聞いてか、村上春樹に似ていると言われたことが何度かあった。私は小説なんてほとんど読まなかったし、村上春樹についても、去年、仕事上必要だと感じて初めて読んだのだった。今また韓国語と日本語を対照するために『ノルウェイの森』を読み返しながら、この天才的な文章家と私とを似ていると思うなんて、彼らもずいぶん文章を見る目がないものだと思った。似ている点といえば、当時は何を書くにしても、いつも1人称は「僕」だったことぐらいだろうか。それなら誰でも同じではないか。

『風の歌を聞け』と『ノルウェイの森』というたった2冊の私が読んだ小説に出てくる主人公は、社会に対する無関心さと自分の内面世界への関心だけは、私と共通している点だった。しかし、これこそが、国境を超えた同時代性を表現しているところだ。日本だけでなく、韓国、中国、アメリカ、ドイツの若者は、村上春樹の作品に深く共感しているという。いや、他の国のことはほとんど知らないのだけれど、韓国に関しては、まさにそうだといえる。この共感しやすい同時代性ゆえに、むしろ自分の個性が村上春樹の個性に呑み込まれてしまいそうだという不安を、『ノルウェイの森』を読みながら感じた。そして、自分が大学生の頃書いた日記を思い出して、村上春樹と自分が違う点を強調しようと思った。自分はむしろ、ワタナベ・トオルよりも、突撃隊かキズキの方にずっと似ていると考えた。そして、国籍を問わず、現代の若者はたいてい、多少はワタナベ・トオル的なのだと思った。

こういう厄介なものを資料に選んだ理由は、自分の本棚にある数少ない日本の小説の中で、韓国語訳が見つけやすいものだったからだ。それで、水曜日に교보문고へ行ったとき、『ノルウェイの森』と『GO』の韓国語訳を見つけて買ってきた。他に三島由紀夫の『潮騒』の訳もあったが、三島由紀夫はちょっと古いので、資料にするには気が引けた。まず薄い『GO』の方から用例を調べようと思っていたのだが、家に帰ってみると、どうしたことか、本棚にあったはずの『GO』が見つからず、『ノルウェイの森』だけが出てきた。それで、『ノルウェイの森』から初めに用例を集めることにしたのだ。

この小説について、淡白すぎる人間関係の描写を誰かが不満げに批評していた。しかし、この小説で描こうとしているのは人間関係ではないと思う。私は小説をあまり読まないので、はっきり位置づけができないのだけれど、周囲の出来事から起こる「僕」の心象を描いているのだと思う。そしてその心象の描写は、とてもよくできていると思う。

今日は上の子と一緒に예술의전당(訳せば“芸術の殿堂”)へオペラ「アイーダ」を見に行くことになっていたからだ。道がとても込んでいたので、家には3時25分に着いた。すぐに上の子と一緒に家を出て、예술의전당へ向かった。オペラの開演は4時からだ。道が込んでいたので、時間内に着けますようにと祈った。さいわい、開演8分前に駐車場の入り口に着いた。ところが、こともあろうに満車で入れない。係員が入ろうとする車に腕でバツ印を作って、駐車場がいっぱいだということを知らせていた。しかし、何万ウォン(または十万ウォン以上)も払って見に来た人たちだ。ここで引き下がるわけにはいかない。駐車場の入り口は、混乱状態になっていた。係員が車1台1台に向かって何か説明しながら、こちらへやってきた。私の車の前まで来たので窓ガラスをあけると、예술의전당の右側に、국립국악원(国立国楽院)の駐車場があるから、そこに停めてくださいという。そこで、私はともかく上の子だけでも最初からオペラが見られるようにと、子供にチケットを渡し、オペラ劇場の222番席へ先に行っているようにと言って、送り出した。そして、車をUターンさせて예술의전당の右はずれにある国立国楽院のところまで行き、そこのいちばん最初の駐車場に入った。そこは職員の駐車場のようで、料金所がなかった。まずいかな、とも思ったけれど、早くオペラが見たかったので、ええい構うもんかとそこにとめた。職員はいたけれど、何も言われなかった。

オペラハウスまでたどり着いたときは、4時15分。すでに公演は始まっていて、会場内には入れなかった。入り口の斜め上に大きな画面があって、そこで今演奏しているオペラが映し出されていたが、解像度はいまいちで、舞台の上に出ている字幕の文字が、判読できず、話の内容はさっぱり分らない。私の脇で画面を見上げていた人も、「これじゃ何やってるのかわからないなあ」と呟いていた。10分ほどして幕間になったので席を探していくと、ちょうど私が持っていたチケットの番号と同じ221番が開いていた。しかし、どうしたことか、うちの子がいない。とりあえず座ったが、いったいうちの子はどこにいるのか気になって、オペラどころの気分ではなかった。次の幕間になったとき、入口の近くで案内をしている職員に、もしかして小学生の男の子が入ってきませんでしたかと訊ねると、確認してみますと言って出ていった。すると、そこへうちの子が「お父さん」と言ってやってきた。そこで、こっちへおいでと言うと、そっちじゃないという。私が座っていたのはC列で、私たちの席は、B列だと言われた。チケットを見直すと、本当にB列の221番と書いてあった。席へ向かっている間に、もう次の幕が始まる時間が来て、通路が真っ暗で探せなくなったので、とりあえず開いている席に座った。そして、その次の幕間のときに、私たちの席を見つけてそこへ移った。

オペラはすばらしかった。途中から見たので、最初はちょっとストーリーの把握に苦労したが、徐々に話の筋が分ってきた。歌手たちの演技もすばらしかったし、歌声もすばらしかった。ラダメス将軍が凱旋してきた場面では、古代エジプト風の舞踊を見せてくれるが、これはなかなか目を見張るものがあった。非常に躍動的で、すばらしいばくてんを披瀝するなど、その舞踊の場面だけで一つの作品になってしまうと思われるほどだった。舞台から多少離れているので歌手たちの表情が今ひとつはっきり見えなかったけれど、音の響きはとてもよかった。いかにも自然で、オーケストラの音楽と歌手たちの歌声が、ちょうどいいバランスで聞こえ、音が響きすぎることも、何かの音が生々しすぎることもなく、それでいて、すべての音が鮮明に聞こえた。席によっては聞こえ方のバランスが悪いから、私は音響のよさで満足した。少なくとも、最初に座ったC列221番よりも音が多少よかった。この招待券をもらうとき、後ろの席だから演技をしている人たちの顔はよく見えませんよと言われたが、私としては、身に余るほどいい席だった。

休憩時間に、ロビーに出て、売店でスターバックスのミルクコーヒーを買って飲みながら、子供と話をした。面白い?と聞くと、面白いと答えた。もともと映画やドラマなどを見るのが好きな子だし、オペラのあらすじはそう複雑ではないだろうから、子供でも楽しめると思っていたが、やはり楽しめているようだった。コーヒーを飲み終わった後、ロビーに隣接している楽器店と音楽専門書店とを見た。音楽専門書店には、今まで見たこともない、本物の楽譜がずらりと棚に並んでいた。値段は見なかったが、ずいぶん高いんだろうなあと思いながら、その大きな楽譜を手にとってパラパラとめくってみた。紙の質からして違う。

休憩時間がまだ何分か残っているとき、うちの子が席に戻りたいというので、一緒に戻った。そして、後半を見た。ファラオの娘アムネリスは、ラダメス将軍に恋をしていた。しかしラダメスは、エチオピアの人質であるアイーダと恋に陥っていた。ある夜、アイーダはラダメスに一緒に自分の故郷へ逃げようと誘う。ラダメスは、初めは拒むが、次第に一緒に逃げてもいいと思うようになる。そこへ突然、祭司らが、嫉妬に燃えるアムネリスとともに現れ、ラダメスは逮捕されて、アイーダは逃亡する。ラダメスは祭司らの執り行う裁判で反逆罪となり、王家の石墓に生き埋めにされることになる。その思いがけない残忍な判決に、アムネリスは祭司らを呪いながら、自分の嫉妬が愛する人を死へ追いやったことを痛み悲しむ。判決どおり、ラダメスはピラミッドに閉じ込められた。しかし、そこになんと、アイーダが現れた。ラダメスの裁判のことを聞きつけ、先回りしてこの中に入って待っていたのだった。アムネリスが宮殿で悲嘆にくれている一方、アイーダとラダメスは二人、暗い石墓の中で、天国への希望を謳歌していた。終わりに近づいた頃の緊迫した場面では、字幕を見てストーリーを理解しているのだということも忘れて、内容に没頭できた。

帰りに車を運転しながら、オペラを字幕なしに理解することのためだけにイタリア語を身に付けるのも、価値あることだろうと思った。いつかやってみたいことだ。イタリア語の基礎を学んだあと、オペラのCDと、その楽譜または台本を手に入れ、台本を見ながらCDを聞く。理解できないところは辞書や文法書を調べ、徐々に理解を深めていく。なんと楽しいことだろう。

家に帰ると、妻と下の子は教会で、日本から招いた森祐理というゴスペルシンガーの公演を聴いてきて、とても満足した表情をしていた。声も美しく、子供たちを自然と祈りへ導いていった巧みさにも、妻は感嘆していた。下の子は、その歌手が美しい人だったことを何度も言っていた。幼稚園児が「きれいなお姉さん」と何度も言っていたのには、妙な感じがした。そこで買ってきた『心のふるさと〜童謡から賛美歌へ〜』(ライフ企画)というカセットテープをステレオでかけていたが、確かに美しい声だった。織り込まれた解説を見ると、『小学唱歌集』には15曲の讃美歌が含まれているそうだ。讃美歌を編集したのは、明治政府に音楽教師として招聘されたルーサー・ホワイティング・メーソン(Luther Whiting Mason)という人だったということが紹介されていた。この人は熱心なクリスチャンで、のちに手紙の中で、「こうして、わたしは、長い間望んでいた仕事を成し遂げたのです。音楽の仕事と宣教の仕事の両方を」と書いているそうだ。このテープは、その唱歌も含めた童謡11曲を収録している。そういえば、昔初めて教会へ行ったとき、その教会では『聖歌』を歌っていたが、よく親しまれている曲を聖歌に使っているんだなあと思った。あとでそれが、実は逆で、教会で歌われている曲の歌詞を変えて、唱歌にしていたことを知った。のちに韓国でクリスチャンになり、『讃頌歌』という名の曲集の解説を読んでいたときに、初めて分った。

聖歌について検索していると、バプテスト教会の名を用いた、バプテスト教団に属さない単立教会のホームページがあった。その燃えるような排他性には驚いた。まず、「新約の教会がそうであったように、私たちは単立の立場を貫いています。つまり、人間の手によって作られたいかなる教団、宣教団、フェローシップにも属していないということです」と宣言している。この「新約の教会」の話は史実だろうか。一つの学説に過ぎないのではないか。また、「新福音主義を初めとするいかなる妥協的な立場、超教派的な働きおよび、みことばが教えていないいかなる運動(カリスマ運動など)をも認めることはありません」と言っている。いやあ、こういうのは苦手だし、こういう考えが世の光になるとも思えない。さらに、もう少し下の方には、「私たちはあらゆる種類の背教からも分離します。現代は妥協精神がもてはやされる時代です。大きなキャンペーンや大会を開くために、寛容な精神を持ってすべてのクリスチャンが協力すべきだと言われています。けれどもそれは主のお喜びになる方法ではありません。私たちは、いかなる妥協的な働きにも与することはありません」と書いている。炎のような排他性! それを主の御心と断言する独善! たしかに私たちの信仰には、世と妥協できない部分はある。しかし、聖書の教えにはある程度解釈の幅がある。その幅を自分で勝手に規定して狭め、それに従わないことを“背教”と呼び、他の教派をその名の下で排斥するのは、とても危険なことだ。言っている内容には共感できる部分も多いけれど、この排他性だけは受け入れるわけにいかない。実に、この教会の致命的な疵は、正しすぎることだ。

食事をしていると、ダン!という大きな音が外で響いた。今日から数日間にわたって、여의도で大きな花火大会があるのだが、それが始まったらしい。アパートの廊下に出て建物の端に行き、花火が夜空に打ち上げられるのを見た。いつ見ても、漆黒の夜空にいきなり光を発する花火は幻想的だ。と、頭の後ろの方でまた、バーン!という大きな炸裂音が轟きわたった。見ると、反対側の米軍キャンプの方でも花火を打ち上げ始めた。妻と子供たちは、米軍キャンプの花火がよく見える方へ行った。どちらを見たらいいのか迷ったが、両者はまったく反対方向だ。それで여의도の花火に集中することにした。花火は光るたびに、63빌딩を明るく染めた。花火に染まる63빌딩の壁面には、エレベーターがゆっくりと昇り降りしているのが見えた。しばらく花火に見とれていたあと、また家に戻って、食事を続けた。外ではそのあともしばらく花火が鳴り響いていた。

食事が終わってから、『ノルウェイの森』の用例集めを続けた。それから夜10時ごろ、家族で家を出て、용산駅におとといオープンしたE마트へ行った。駐車場入口の機械が故障していて、駐車券なしで入った。係員が数人、動かない発券機の前で、深刻な顔をして大声で議論していた。夜10時だというのに、E마트の中はまるで夕方のように混雑していた。妻は、서울駅の롯데마트は頑張らないと、E마트にお客さん取られちゃうねと言っていた。確かに、롯데마트よりもE마트の方が、今日の駐車場でのトラブルを抜きにすれば、満足度が高いようだ。そこで食品やコーヒー豆などを買って、家に帰った。5万ウォン以上買った人にはラーメンを1箱プレゼントしていて、私たちも1箱もらった。家に戻ってから、握り寿司を食べた後、コーヒーを入れて妻と一緒に飲んだ。

それからまた、『ノルウェイの森』を読みながら、必要な助詞や関連する文法形態などに印を付けていった。ついつい話にのめりこんでしまい、目当ての表現を見落としてしまうことが何度かあった。これではいけないと思うが、ストーリーに流されないようにといっても、逆から読んでいくわけにもいかない。文の流れがつかめないと、今度は目当ての構造を見つけるのが難しくなってしまうからだ。構造が見えないと、関連する文法形態も見つけられない。テキストを読みながら印をつけていく用例の探し方は、電子テキストを文字列で検索してずらりと抽出したものを眺めるやり方とはずいぶん違って、いろいろと考えさせるものだ。能率は悪いけれど、能率では計れない深い洞察を、提供してくれる。コーパス言語学は、驚異的に実際の言語を正確に記述することに成功したけれど、こういう手作業も一緒にやっていないと、そのうち何か重要な要素をごっそり見落とすようになってしまうのではないかという感じがした。もちろん、私にこういう生意気なことを言う筋合いはないのだけれど。

ことばについて調べるとき、まず実際のテキストを読みながら、その中に生きて脈打つその言語形式を体験することで洞察を得、コーパスから同じ言語形式を抽出して調べるのは、その洞察をより確実なものへと整えるために行うべきなのではないだろうか。読みに関して言えば、深く読める人も、浅い表面的な読みしかできない人もいる。しかし、コーパスの抽出結果だけを眺めていたら、深く読める人だって、それぞれの用例では、話の流れが見えないから、ごく浅い読みすらできないだろう。結果としてそれぞれの用例に対する文法的解釈が同じになったとしても、結論へと持っていく過程で、何らかの違いが生じてくるに違いない。

というわけで、私にしては、いろいろなことのある一日だった。

10月10日(日)

at 2004 10/18 06:09 編集

日曜日は教会へ行こう。ということで、9時の礼拝に出た。今日の説教は、박종길牧師先生で、聖書箇所は「マタイによる福音書」25章14〜30節だった。この箇所は、有名なタラントの説話の部分だ。박牧師先生の説教内容は、私たちに与えられた条件はすべて神から与えられたものだから、最善を尽くしてそれを行おうというものだった。本当にこの聖書箇所の黙想として深く入った説教だと思った。そして、最善を尽くしていない自分を振り返ってみた。

『ノルウェーの森』を読んでいると、レイコがワタナベ・トオルに向かって、「ただ言いたいのは、不自然なかたちで自分を擦り減らしちゃいけないっていうことよ。わかる? そういうのってものすごくもったいないのよ。十九と二十歳というのは人格成熟にとってとても大事な時期だし、そういう時期につまらない歪みかたすると、年をとってから辛いのよ。本当よ、これ」(上・p.214)と諭す場面が出てくる。

この部分は作者が思い込みで書いているようには思えなかった。自分は人格成熟にとってとても大事な時期にずっこけたまま、姿勢を立ち直らせられずに、ここまでずるずる来てしまったからだ。まさにそのとき大きく失ったものは、“最善を尽くす”ということだった。たいていの人ならば、目標を持ったとき、自然と、その目標へ向かって最善を尽くす方向へ、生活すべてが再編成されるはずだ。しかし私は、そこで挫けた。

親は私の憤りを、「被害妄想」だと言った。息子の将来を心配する思いから、受験勉強に干渉したというわけだ。それを逆恨みするなんてとんでもないというわけだ。そんなことがあってから、私は、「愚かさは罪悪だ」と思うようになった。何も知らないのに自分は知っていると思っている人は、邪悪な人よりも手に負えない悪を抱え込んでいる。それが私の考えだった。今はその意味合いもだいぶ変わってきたけれど、やはり基本的には、今でも同じ思いを抱いている。

説教を聞きながら、最善を尽くすべきことを、キリストは譬えをもって教えられたということに、ふと思い至った。これまでその箇所を何度も目は通過していたのに、最善を尽くすという点には思いが至らなかった。박종길牧師先生の読みは、まさに的確であり、私に必要な内容だった。忠実であること、最善を尽くすことを、またじっくり考え直してみようか。そうすれば、青春時代につまらない歪み方をしてしまった私の性格も、まっすぐに戻るかもしれない。

10月14日(木)

at 2004 10/18 08:12 編集

村上春樹の小説にずっと付き合っているのも、いい加減疲れてきたけれど、それでも『ノルウェイの森』について、インターネットで調べものをしていた。そして、ある村上ファンのページに迷い込んだ。このサイトの管理人は、村上氏にメールを出し、その返事をもらって自分のサイトに公開していた。いや、何とラッキーな人だろう。

そのサイトの管理人は、「こんなにすばらしい作品を書いた村上さんを僕は改めて尊敬します」とメールに書いていた。それに対し、村上氏は「尊敬されたりすると身体が硬直しますので(変な意味じゃなくて)、簡単に尊敬なんかしないで下さい」と謙遜したうえで、「簡単に人を尊敬する人は、たいてい裏切られます」と忠告していた。まあ、すばらしい作品を読んでその著者を尊敬するなという方が無理かもしれないけれど、人間をあがめるのはやはりよくない。村上春樹氏の忠告は、鋭くその人の問題を指摘している。この鋭い洞察があるからこそ、優れた小説家になることができたのだろう。

人を一方的に尊敬したり、信じたり、期待したりすると、たいてい裏切られる。いや、必ず裏切られると言ってもいいかもしれないけれど、たまには期待に添ってしまうことがあるかもしれない。しかし、それは事故のようなものだ。なぜなら、その期待や信頼や尊敬は、当人の思惑とは関係なく心に抱かれるものだからだ。そしてその期待は、たいてい人間に関する誤解に基づいているので、尊敬されたり信じられたり期待されたりする方としては、いい迷惑なのだ。

私のようなごく普通の人間でも、時々身に覚えのないことで期待をされたり、私が口にしてもいないことを、勝手に想像して信じられたりすることがある。それはあとになって明らかになる。ごくたまに、思いもよらない人から、君を見損なったとか、君は僕の期待を裏切った(昔は本当に人を裏切ったこともあった。今思うと心が痛むけれど、今言っているのはそのことではない)などと憤られることがあった。そりゃそうだ。勝手に期待するのだから、それに応えるなんて無理な話だ。私でさえそうなのだから、村上氏のような人の場合は、嫌というほどそういう目に遭っているのかも知れない。

私自身も実は、昔は人をあがめてしまう愚を犯したことがある。当人には喜ばれるどころか、とても迷惑がられた。当然のことだ。でもそのとき、私はなぜ私の態度をその人が嫌うのか、理解できなかった。自分だって、人からあがめられたら迷惑だと思うくせに。

人をあがめてはいけないことを、私は聖書を読むようになってから、やっと理解した。どのように理解したかと言われると困るけれど、とにかく人間は不完全で、どこかしら歪んでいるものなのだから、そのような存在である人間をあがめてしまうのは、不幸なことなのだ。何かをあがめるとき、自分の価値の支えはその存在に置かれる(もしそうでないなら、あがめる振りをするのは欺瞞だ)。それが不完全で矛盾に満ちた人間だとしたら、それは本当に災いとしか言い様がない。目上の人や“偉い人”には、その分に応じて敬意を表するのが適正な態度だと思う。あがめるべき対象は、天と地を造られた神だけだ(信じているならの話だけれど)。

一方、あがめる対象がまったくないという、不遜な態度も問題だ。なぜなら、誰でも例外なく、いずれは老いて死んでゆく。自分自身もまた例外ではない。あがめる対象が何もないなら、そのように、時間の前にあってどうしようもなく無力な、自分という存在を、あがめることになるからだ。それから、科学技術などをあがめるのも問題だ。それは確かに崇高さを感じさせるけれど、科学技術自体は意思を持たない。人間の思い一つでどうにでも使われる道具なのだ。道具をあがめていたら、道具を操る人間に操作されかねない。もちろん、木石や彫像をあがめるほど愚かなことはない。それらには道具の働きすらないのだから、道具をあがめてしまうよりも愚かなことだ。しかし、多くの人たちは、人か自分か道具か木石をあがめるのを習慣にして、生きている。

そのような不健康な社会にあって、村上氏が小さな声でそれを拒否しているのは、面白いと思った。

10月21日(木)

at 2004 10/22 11:01 編集

運転中にラジオでいい音楽を聞いたとき、その曲が終わるとスイッチを切ることがよくあるのに気づいた。いい曲の次に、もっといい曲があるかもしれないのに、ある曲を聞きながら小恍惚を味わうと、ラジオを止めてしまうのだ。それは初めての曲のときもあるし、何度か聞いたことのある曲のときもある。考えてみれば、その曲を聞いたときの喜びを、次の曲で押し流してしまいたくないのだった。その曲の感動をしばらく心に溜め込んで、深く味わうには、ラジオをとめてしまうに限る。こういう自分の妙な癖を、面白いと思った。

『ノルウェイの森』(講談社文庫)を読んでから、その韓国語版『상실의 시대』(유유정訳、文学思想社)を読んでいると、時々あれっと思う部分や、仰天するような訳に気づかされる。たとえば、東京の住所に“호토구” (p.95)というのが出てきた。호토から考えられる日本語は、「ほうとう」か「ほとう」か「ほうと」か「ほと」だ。そんな区はない。何じゃらほいと思って原文(上巻、p.102)を見ると、「豊島区」だった。

また、こんなのもある。

(韓国語版の訳し戻し)「僕に分るのは、キズキの死によって僕のアドアー・センス(Adore Sense、思慕の情:訳注)とでもいえる機能の一部分が完全に、永遠に損傷してしまったようだという感じだけだった。」(p.134)

アドアー・センスというところで、おや?と思い、次の英語を見て、びっくりした。adoreって、動詞じゃないか。それがsenseを修飾して“思慕の情”と読ませるのは、すごいブロークンな解釈だ。この部分を原文では「アドレセンス」と言っていたことは覚えていた。アドレセンスは日本人の読者なら“adolescence(青春)”のことだと考えるはずだ。主人公はキズキの死によって、“青春”とでもいうような機能を損なってしまったと言っているのに対し、私はやるせない思いを感じていた。それが、“思慕の情”では、ずいぶん薄味になってしまう。原文はこうなっている。

(原文)「僕にわかるのはキズキの死によって僕のアドレセンスとでも呼ぶべき機能の一部が完全に永遠に損なわれてしまったらしいということだけだった。」(上、p.148)

また、韓国語版に、訳し戻せば「僕は冷たいビールをすすりながら、夢中で料理を作っているミドリの後姿を眺めていた。…(中略)…一つ一つの動作がすばやくて無駄がなく全体的にバランスがよく取れていた。僕は感嘆しながらその姿を眺めていた。」(p.114)という部分がある。「夢中で」と私が訳し返した部分は、韓国語では“정신없이”だけれど、これではその段落で主人公が感嘆している部分との繋がりが切れてしまうので、おや?と思った。それで原文を見ると、「僕は冷たいビールをすすりながら一心不乱に料理を作っている緑の後姿を眺めていた。…(中略)…ひとつひとつの動作が俊敏で無駄がなく、全体のバランスがすごく良かった。僕は感心してそれを眺めていた。」(上、p.124)となっていて、「一心不乱」はその段落の最後に鋭く繋がっていた。本当に韓国語では“정신없이”以外に訳しようがなかったのだろうか。

そんな話をある日本語関係の出版社の人にすると、韓国で『상실의 시대(喪失の時代)』が出版されたとき、書名を変えたことで、著者から抗議の電話があったそうだ。しかし翻訳者は、韓国では「喪失の時代」という名前にしなければ売れないと答えたという。

私はその判断については、何も評価できなかった。それで、日本語を知らない同僚のフランス語の先生に、出版社の人から聞いた話をして、どう思うか聞いてみた。すると、その先生も、「喪失の時代」という書名はとても素敵だといって褒めていた。「ノルウェイの森」ではピンと来なかっただろうと言っていた。なるほど、そういうものなのか。日本語で“喪失の時代”というと硬いけれど、韓国語ではそれがむしろ身近に迫ってくるらしい。

さらに、フランス語の先生は、その翻訳も、とてもよかったといって賞賛した。私が、でもあの本にはいくつか首を傾げたくなる訳と、少数のとてつもない誤訳があるのが気になると言うと、先生は、自分は日本語を知らないのでまったく気にならなかったと言っていた。そんなものなのかもしれない。ある翻訳が出ると、たまに、その外国語をよく知っている人が、読んで失望したと批評しているのを見ることがある。まあ、ごくたまになのだけれど、そういう人の気持ちが分かるような気がする。逆に言えば、翻訳を楽しむためには、なまじ原語を知らない方がいい。ちょっとだけ知っているのなら、訳者の語学力に感心できるだろうけれど、私は日本語の母語話者だ。しかも、作品の舞台である東京は、大学時代の私の生活圏だった。韓国語は立派でも、そんなところから、粗が見えてしまうわけだ。

で、そのような話を日本語の同僚の先生にすると、著者か出版社に連絡して直してもらった方がいいんじゃないのというので、こういうことは、一人で粗探しして楽しむのが好きだと答えた。すると先生もそれに同意し、以前『GO』の韓国語版が出たとき、その誤訳について、当時同僚だった백관식先生が翻訳者に電話すると、その人は間違いの指摘を全然認めようとせず、最後まで自分が正しいと言い張ったのだそうだ。どうせそんなものだろうと思った。それで、家に帰ってから、先生から聞いた部分を探してみた。これは、日本語版は『GO』(金城一紀著、講談社文庫)で、韓国語版も『GO』(김남주訳、ブックポリオ)という同じ名前で出ている。

問題の箇所とはこうだ。原文では「僕はタワケ先輩に『クルパー』と呼ばれて可愛がられた。」(p.70)となっている部分が、韓国語版では「スセミ先輩は僕を『クラッパー(Crupper、馬の尻)』と言ってとても可愛がった。」(p.68)となっている。

「スセミ」とは“たわし”のことで、まあ「タワシの毛」を略した「タワケ」というあだ名を訳すのは、至難の業だし、無理に猫訳してみたところで無意味だろう。だから、この部分が問題ではない。問題は、「クルパー」を「クラッパー」と訳してしまったことだ。「クルパー」は、クルクルパーのことではないか。主人公はそのあだ名の由来をその直後にちゃんと説明している。それに、“Crupper”とは、翻訳者は苦心して英語の中からそれらしい単語を見つけてきたようだけれど、私はそんなことば知らないし、たいていの読者も知らないだろう。これでは、主人公がクルパーという自分のあだ名を説明している部分が、訳ではほとんど説明にならなくなってしまっている。『GO』は平凡な読者を対象に書かれた小説だ。だから、それを訳す人は、日本の平凡な読者の知識と同調していなければ、細かいところでその意味を汲み取ることに失敗してしまう。訳者がいくら確信していたとしても、それが誤訳である事実を覆すことはできない。

問題の誤訳をしたのは、韓国でも特に偉い翻訳家だそうだ。こういうのを見ると、語学力が不足していても、国語力さえ付ければ、翻訳家として成り立つかもしれないと思えてくる。まあ、基本的なところで不足していたら、翻訳家としても成立しないだろうけれども。自分は翻訳家でもないし、それを評論できるほどの語学力も国語力も持ったことがないけれど、やっぱり間違っているところは目に付くものだ。まあ、翻訳というのは、原語を知らない人のためにあるものだ。だから、原語を知っている人がその翻訳を読んで、翻訳者にとやかく言うのはお門違いといえるかもしれない。だから、一人で誤訳を見つけては楽しんでいた方がいいと思った。

10月22日(金)

at 2004 10/26 01:56 編集

研究室へ行き、電算室にいる안예리さんが机の上に置いて行ってくれた、韓国語のコーパス資料のCDをコピーした。そして、また研究室を出て、言語教育院へ向かった。

語学堂脇の坂道を降りていると、反対側から、語学堂のナム先生が上がってきた。いつもは車に乗っている先生が、今日は歩きとは珍しい。どうしたんですかというと、ちょっとね、と言葉を濁した。

「ひょっとして、大井先生の連絡先、ご存知ですか」と聞くと、「知らない。知りたくない」と言って、いたずらっぽく笑った。どこまで本気でどこからが冗談なのか、表情からはまったく読み取れなかった。とにかく、本当に知らないようだった。

そこでしばらく雑談をしていたとき、羽織ったコートの前に出ているワイシャツのボタンが一つ外れているのが見えた。「先生、ボタンが一つ外れてますよ」と教えると、怪訝そうな顔をして、はめなおしていた。そのとき、言わなきゃいいのに、つい、「どこかで急いで服を着てきたんですか」と言ってしまった。すると、急に顔をほころばせて、「そう。どうして分かったの? 経験があるの?」と言い返してきた。

「いや、ナム先生のことだから、きっとそうなんじゃないかと思って」と答えたが、恐ろしいくらい敏感に相手の言葉の行間を読み取る人だと思った。そして、ああいう人と一緒に教材作りをしたら面白いんだけどなあと思った。

10月23日(土)

at 2004 10/27 00:27 編集

韓国正教会のアリストテリス神父さんに会いに、애오개へ行った。教会の入口に着くと、ちょうどそこに神父さんが出てきていた。私を見ると、車を切り返すようにと手で合図をした。切り返し終わると神父さんが乗り込んできた。そして、久しぶりに会った挨拶をした。93.1MHzのKBS第1FMからクラシック音楽が流れているのを聞いて、“Ωραία μουσικί!(美しい音楽だ)”と言われた。久しぶりに聞いたギリシャ語だった。神父さんは私にギリシャ語を余り忘れていないねと言ったが、実際にはずいぶん忘れていた。なぜなら、夏の間中新約聖書のギリシャ語ばかり勉強していたからだ。

近くの日本食堂へ行き、장어구이정식(うなぎの蒲焼定食)をご馳走になった。そのとき、ギリシャからのお土産に、いろいろなものをいただいた。その中でいちばんすばらしいのは、“H ZWH TOU CRISTOU”という、美しい絵本だった。これは、神父さんがギリシャへ一時帰国される前に、ギリシャのお土産に何がいいかと聞かれたとき、子供用のやさしい本、たとえばイソップ物語のようなものがほしいですと答えた。それで、子供用の本を買ってきてくださったわけだけれど、この本は、子供用の絵ではなく、本物の聖画を用いている。聖画のあるページは、左側に聖画があり、右側に文章がある。子供用に書かれたと思うのだが、私にとっては決してやさしくない。

その他、ギリシャオリンピック公式採用のノートと筆記具を、子供たちにと言ってくださった。それから、日本正教会から来た人たちがお土産に持ってきた、「春よ!」という和英対訳の薄い絵本のような冊子と、『正教会聖歌』というCDをくださった。

食事中、一人で聖書を読んでいたとき、文法的に分からなかったところや、音読するときリズムの付け方がはっきりしなかった部分などを質問した。文法的に分からないところは、最初はなぜ私が理解できないのか解しかねる表情だったが、次第に分かってきて、教えてくださった。私が持っている文法解説には載っていない、他動詞の受動態が能動態の働きをするという、奇妙この上ない用法だった。

音読するときはっきりしない部分は、そこを見るなりサラサラと読まれた。あまりにあっけなく美しく読んだので、どこに問題があったのかも思い出せなくなるほどだった。一人で読んでいたときは、どう読めば調子がつくのか分からず難しいと思っていたのが、まるで何でもないかのように、一瞬にして解決してしまったわけだ。そのときほど、勉強には師が必要だということを、痛切に感じたことはないし、将来もないかもしれない。神父さんは、ソガン大学で神学に関する博士論文の審査委員をすることになったと言っておられた。私とは専攻が違うので、立派な先生が目の前にいても、その先生にとってはもったいないような初歩的な手ほどきをしてくださるのが、申し訳なく思えた。そして、何とかして大井先生に会いたいものだと思った。

食事が終わって部屋を出るとき、神父さんが、外からギリシャ語が聞こえると言う。私は全然気がつかなかった。そして部屋を出ると、ギリシャから来たお客さんらしい、恰幅のいい年配の男性と、20代ぐらいの美しい女性が、ギリシャ語に堪能な韓国人のシスターと一緒にテーブルに座っていた。神父さんが私に、「彼は general だ」と囁いた。ジェネラルは将軍であるということは、昔、辞書で覚えた。しかし私は、「将軍」という役職がどのような社会的位置にあるのか、見当もつかなかった。私が知っている「将軍」は、徳川時代の征夷大将軍。これは王様のようなものだ。次に知っているのは、マッカーサー将軍。これも一時はわが国の最高権威に座したことがあった。その「将軍」というイメージと、ギリシャの将軍がエオゲの日本料理屋に来ているという事実とのバランスがどうなっているのか分からず、当惑した。

神父さんと一緒に、その将軍のところへ行き、挨拶をした。神父さんは私を、彼は日本から来た日本語の καθηγητής で、ギリシャ語を勉強していると紹介した。私は“καθηγητής”というのは“教授”のことだと思っていたから、そういう紹介の仕方をされて、戸惑った。将軍の前で人を紹介するときは、このように言うものなのだろうか。するとその将軍は、最初私にギリシャ語で話しかけたが、私が片言しかできないのを知ると、英語で話した。そして、「私も12年前に東京へ行ったことがあるんですよ」と言い、「東京は大きい街です。確か、人口が thirty million だったかな」というので、「さあ、ten million だと思いますが」と答えると、「いや、私は、東京の人口は thirty million だと思うのだが、そんなに少なかったかね」と言って、納得いかない表情だった。

その人たちと別れてから、“ten million”が“1千万”でよかったのか、もしかして、将軍の言われた“thirty million”というのは、“3百万”のことだったのだろうか、そんなふうに疑い始めたら、急に自信がなくなってしまい、レジで会計しているとき、カウンターの脇に置いてあったメモ用紙に「10,000,000」と書いて、神父さんに「これが ten million ですよね」と自信なげにたずねると、ちらりと見て、「そうだよ」と言う。それを聞いて、胸を撫で下ろした。

家に帰ってから、『正教会聖歌』のCDを聴いた。日本語で歌われているが、楽器を使わず合唱だけの曲だった。礼拝に用いる聖歌を集めたものだが、うっとりするほど美しい。作曲者名は全員ロシア人だ。日本の正教会がロシア正教会の流れを組んでいることは、神父さんから聞いていたが、本当にそうなのだろうなあと思った。詞は日本語だが、合唱なのではっきりとは聞こえない。礼拝に用いられる聖歌がこんなに芸術的に優れていていいのだろうかと思うほど、美しい。

H ZWH TOU CRISTOU”は、久しぶりに現代ギリシャ語の辞典を引きながら、読んでみた。いや、辞書を引く回数の頻繁なこと。しかし、その出だしはとても力強かった。“Megalh h agaph tou Jeou gia olh thn Plash Tou. Ma pio megalh gia ton anJrwpo. Ton eplase oci me logo. Me ta ceria Tou ton eplase apo phlo.(ご自分の造られた万物に対する神の愛は偉大です。しかし人に対する愛はさらに偉大です。神は御言葉で人を造られたのではありません。御手によって、粘土から人を造られたのです。)”日本語に訳すと、語順が全然違ってしまって、原文の引き締まった力強さが消えてしまう。いや、私の訳が下手なのだ。それはともかく、子供用の本がこんなに力強い言葉で書かれるのかと思い、驚いた。

夕方、妻が焼いてくれたパンを、粗熱が取れるのを見計らって、神父さんのところへ届けた。その時間には会えないことが多いので、付箋に手紙を書いて貼り付けた。内容はこうだ。

Touton ton arton epoihsen h suzugoV mou. jage kalwV meta tou Giocan kai twn allwn en th ekklhsia sou.

将来自分のギリシャ語が上達したときに読んだら、どんな風に見えるか楽しみだ。

教会の入口前で車を止めると、ちょうど事務室からヨハンさんが出てきたところだった。それで、これを神父さんに渡してくださいませんかと頼んだ。そして、教会を出てから研究室へ行った。

10月26日(火)

at 2004 10/27 02:46 編集

午前中に起きてから仕事をし、出かける前に、今日聖書勉強会で読む箇所を読んだ。ルカによる福音書23章44章からの、「イエスの死」という箇所だ。

昼の十二時ごろ、全地は暗くなり、太陽は光を失った。それが三時ごろまで続いた。イエスは大声で、「父よ、私の霊を御手に委ねます」と叫ぶと、息絶えられた。百人隊長はそれを見て、「本当にこの人は正しい人だったのだ」と言って神を讃えた。見物に集まっていた群衆は、悲しんで胸を打ちながら帰っていった。イエス様の知人たちと、ガリラヤから従ってきた女性たちは、遠くに立って一部始終を見ていた。

それまでの、熱狂的な、破壊的な群集たちの興奮は、逆に悔恨の念にすっかり変わっていた。人々の荒涼とした悲しみだけが残され、自己嫌悪と喪失感とが否応なしに、人々を無言にさせている、そんな場面なのだった。実はこの箇所は、ざっと読み進んでいるときにはあまり目に付かない場所なのだけれど、ここだけを取り出してみると、それまでの部分とあまりにも違うことに驚かされる。

その驚きを余韻のように残しながら、家を出た。外の風はだいぶ冷たくなっていた。言語教育院へ行き、聖書勉強会で、みんなと一緒にその箇所を読みながら、感じたことなどを分かち合った。

聖書勉強会が終わったあと、講師室に戻り、先週講師室に置き忘れてチェックできなかった宿題などを添削して、授業の準備をしたあと、授業まで2時間近く余裕があったので、研究室に行って、自分が今まで作ったわずかな資料と、『国語接続助詞と語尾研究』(キム・ジンス著、塔出版社)を持ってきた。研究室を出てから、夜の授業のために腹ごしらえをしなければならないが、どこでしようかと考えた。そして、ウイダン館にあるカフェテリアへ行き、ライスグラタンというものを取って食べた。

確か孔子が、独学は危険だと指摘していたと思う。まったくその通りで、今まで一人であれこれ考えてきたけれど、結局こんがらかって焦げ付き、二進も三進も行かなくなってしまった。研究者たちにあまり人気のない部分を扱うのは、懸命な方法ではないことを、身をもって思い知った。それで、対象を思い切って文法範疇まで押し広げる必要があるのではないかと思った。そうすると、並列節全般を対照することになる。しかし、韓国語と日本語における並列節の何を対照すればいいのだろうか。意味か、使い方か、体系か。こんな時期になって、こういうことを悩みながら一つ一つ学んで行ったのでは、何年も何十年もかかってしまいそうだ。日本では、修士論文の指導はゼミで行うという。教授や級友たちが、互いに意見を出し合って、批評し、より良い論文へと目指していくという。羨ましいことだ。

グラタンを食べ終わってから、6時半ごろカフェテリアを出た。すっかり夜になっていて、연세대학교の黒い森に囲まれた正門の方角には、신촌の明るいネオンサインが見えた。コートの襟でも立てたくなる風が吹いていたが、薄いジャンパーを着ていたので、暖かくなるために、早足で歩いて청송대(聴松台)を通り抜け、言語教育院に戻った。

仕事が終わって家に帰ってから、神父さんにいただいた正教会聖歌のCDを聞いた。「凡そ呼吸ある者は主を讃め揚げよ 聖詠150-6」と副題が付いている。プロテスタント教会の『讃美歌』以外に正式な聖歌集を持っていないから、正教会の聖歌については何も知らない。だから、このCDが唯一の知識だ。

最初の聖歌は、リヴォフという人が作曲したもので、「アクシオン エスティン(=そは相応しきなり)」というギリシャ語のタイトルが、カタカナで付いていて、その横に、日本語訳として、「常に福にして」と書き添えられている。5曲目の、ボルトニャンスキーという人の手になる「主日聖体礼儀 第3アンティフォン」という聖歌は、山上の説教でイエス様が語られた八つの祝福を讃詠している単純な繰り返しが、この上なく美しい。