ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

新規投稿
先月<<過去記事 >>次月

6月1日(火)

at 2004 06/06 18:52 編集

今日から試験後の面談に入った。うっかりして、携帯電話を家に置き忘れてしまった。途中で気がついたけれど、後の祭りだ。

2時から聖書勉強会だった。今日はルカの福音書20章20節から26節までのみことばだった。中川伝道師先生の司会で進行した。今日の箇所は、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさいというみことばで有名な部分だ。

ここでの私の適用は、信仰と世の生活とが衝突することなく調和できる方法は必ずあるという勇気を与えてくれた。

聖書勉強会が終わり、みんなが帰って行ったあと、夕方学生が来るのを待っていたが、来なかった。メールを確認すると、学生からメールがあり、今日はどうしても来られないとのことだった。私に電話をしたが、出ないので、メールを送ったと書いてあった。

そのあと、8時ごろ言語教育院を出て、タミでマンドゥ入りのカルグクスを食べ、研究室には9時に着いた。研究室に着いてから、幹事の人に、インターネットにアクセスする方法を教えてくださいと頼んだ。自分のランケーブルがないので、幹事の机でやらせてもらった。その方法は、次の通りだった。

ランケーブルに接続し、「コントロールパネル」の「ネットワーク接続」を開き、「ローカルエリア接続」から「プロパティ」→「インターネットプロトコル」を選択し、さらにそのウィンドーの「プロパティ」を開いて、IPアドレスを入力する。

そこまで教わったあと、幹事は帰宅したので、続きは一人でやった。まず、IPアドレスを入力してみた。しかし接続できなかった。それで、博士課程の人に助けを求めると、IP共有機の電源が切れていることが分かり、その電源を苦労して見つけてスイッチを入れると、めでたくインターネットが開いた。

あとは、自分のランケーブルを買うだけだ。

6月2日(水)

at 2004 06/06 18:58 編集

学生の面談が空いている時間に、イファ女子大学の学生会館にあるコンピュータ用品売り場へ、ランケーブルを買おうと思って行った。そこへ行って値段を聞くと、なんと、10メートルで1万2千ウォンもするという。私はヨンサン(용산)で10メートルを3千5百ウォンで買った。

ヨンサンに出入りしている知り合いに電話をして、ランケーブルを安く買ってもらえないか頼んだ。彼の話では、大体1メートル千ウォンくらいで取引しているが、自分なら5千ウォンで買うことができるだろうといっていた。それで、彼に頼むことにした。

6月3日(木)

at 2004 06/06 18:59 編集

外国語学習関係のホームページに関心があって、ずいぶんあれこれ検索しては自分のホームページにリンクしてきたけれども、ここ2年くらい、韓国語学習のホームページはほとんど探さなかった。これではいけないなと思い、今日は実に数年ぶりに、韓国語関係のホームページを探してみた。

そこで見つけたのは、「韓国朝鮮語の森」という、油谷先生のサイトだった。ここはなかなか充実している。韓国語のセンター試験の問題が置いてあるが、非常にいい問題だった。問題の水準は、日常生活のレベルで、韓国語を読んだり聞いたりするときに、これが分からなければちょっと困るというものが集められている。

「かたらいの丘」という名の掲示板も覗いてみた。この掲示板に書き込まれている質問も、とてもよかった。韓国語の学習をしながら疑問に感じる部分を率直に質問し、それに対して他の人たちが答えているが、すばらしいのは、答えの典拠を挙げて、それなりに解釈を加えて説明している点だ。日本の韓国語学習者の質は高いと思った。まあ、油谷先生のサイトに入る学生の質が高いのかもしれない。

夕方8時ごろ(今夏至に近いので、8時でもまだ明るい)、교보문고へ注文しておいた本を取りに行った。『感性をきたえる素読のすすめ』(安達忠夫著、カナリア書房)という本で、この著者は80年代に講談社現代新書に『素読のすすめ』という本を書いて、けっこう話題になったことがある。私はその人がまた素読についてもっと内容を深めた本を書いたのだと思って期待していた。

しかし、受け取った本を開くと「新版へのまえがき」とかいてある。なんと、この本は、私が読んだ講談社現代新書の『素読のすすめ』が絶版になってしまったので、新版として他の出版社から出したものだということだ。「新版を出すにあたって本文はわずかな補筆修正にとどめ、旧版の構成と内容はそのまま残した」(5ページ)と書いてある。でもまあ、私はその本を、なぜか原本はどこかへ行ってしまって、コピーしたプリントを太いホチキスで留めたものだけを持っていたので、この新しくきれいなデザインで出た新版を得たことは、幸いだった。

素読について、この本は面白いことを暗示的に指摘している。「わたしたち大人は、ことばを抽象的・理知的なものとしてとらえがちで、響きや、リズム、抑揚といった感性的側面を捨象してしまう。だが、子どもはちがう。子どもたちはことばの響きそのものがおもしろくて、砂場で砂だんごをつくったり、お城を築いてトンネルを掘ったりしているときのように熱中する。手で砂の感触を楽しみ、下と口と耳と目と、そして心で、ことばの手ざわりを楽しむ」(4ページ)と書いてあり、また、「人間はやはり、生まれつき声をだすことを好むように作られているのではないだろうか」(249ページ)と書いてあるのは、鈴木孝夫の『教養としての言語学』に書かれた内容を髣髴とさせる。その本では、人間が言語を獲得したのは声を出すのが好きだったからで、歌を歌うことと言葉を話すこととは関係があるに違いないと指摘しているところが、私にとってその本のいちばん強い印象に残っている部分だった。素読はまさに、人間の声を出すのが好きな本能を満たすものなのだ。

6月4日(金)

at 2004 06/06 19:03 編集

一昨日ランケーブルを頼んでおいた知り合いから、電話があり、中古で15メートルのものを3千ウォンで買ったという。明日会って受け取ることにした。

6月5日(土)

at 2004 06/06 19:35 編集

ギリシャ語を習いにエオゲの韓国正教会へ行った。部屋に入ると、神父さんはギリシャのポピュラーソングを聴きながら、一生懸命歌詞を書き起こしていた。何をやってらっしゃるんですかと尋ねると、これを学生たちに教えるのだという。一緒に韓国語に訳しましょうと言われた。

教会でポピュラーソングというのは、妙な感じがするが、神父さんは特に気にする様子もなかった。そして、この歌手をほめ、歌がうまくて韓国でも有名で、以前韓国に来たこともあると言っていた。それでだろうか、KBS第1FM(93.1MHz)で何度か聞いたことがあるような気がする。

神父さんが書き起こしたギリシャ語を、一緒に韓国語に訳した。とても大変だった。今まで習ったギリシャ語の文法では理解できない表現も出てくるし、とても meaningful で理解できない単語もある。それでも何とか翻訳を完成させた。

そのあと、知り合いからランケーブルを受け取るために、교보문고へ行った。早く着いたので、外国語の教材を見ていた。今日は特にラテン語の学習書を中心に、韓国で出たものと欧米で出たものを見ていた。

彼が来てランケーブルを受け取り、それから、PDA関係の書籍を一緒に見た。10冊もなく、そのうち何冊かはプログラミングの本だった。彼はPDAを卸売りを扱う計画なので、PDAに関心があるのだが、結局気に入る本は見つからないようで、何も買わなかった。

その足で、연희동の손칼국수という店へ行き、칼국수(5500ウォン)を食べた。ここのカルグクスは、スープがソッロンタン(설농탕)のように濃厚でとても美味しい。去年中国語の先生と一緒に来てご馳走になってから、もう4回ぐらい来た。今日は特に、백김치(唐辛子を使わない、辛くないキムチ)の味がとても爽やかだった。

それからすぐ近くの、伝統茶の店へ行き、30分ぐらい話をした。地下にあるのでどうかなと思ったが、なかなか感じのいい店だった。座敷があったので、そこへ上がり、知り合いは木の抽出液で作った伝統茶を注文し、私は매실차(=梅実茶:梅の実を砂糖漬けして抽出した液を希釈したもの)を注文した。

部屋の上には、木のスピーカーがあり、そこから대금(韓国伝統の横笛で、フルート程度の音域)の演奏が流れていた。それがなかなかよかった。店を出るとき、店の人にそのCDの名前を教わった。원장현という人の『항아의 노래』と『날개』というCDで、금현국악원というところから出ているという。「若いのにこの音楽の良さが分かるなんて、すばらしいです」と言われた。いや、分かっているのかどうかは知らないけれど、とてもよかったのだ。

そのあと、教会へ行って、聖書勉強会に参加した。1階のコーヒーショップで行ったが、人が多く騒然としていた。私は先ほど飲んだ매실차に酔ってしまったらしく、頭が痛く、聖書を開いても内容が理解できなかったし、伝道師先生が質問する内容も頭に入ってこなかった。매실차は梅の実を砂糖漬けしたものだが、漬けておくと醗酵して、微量のアルコールが発生することがある。酒をやめて久しい私は、その、アルコールが入っているなんて普通の人なら気が付かないほどのわずかなアルコールで、酔ってしまうのだ。

勉強会が終わって駐車場にとめておいた車に乗ると、ハンドルの前のところに載せておいたものが、下に落ちていた。エンジンをつけて車を動かすと、タイヤに何かが当たる音がダダダダと鳴り響いた。降りて後輪を見ると、バンパーが曲がってタイヤに当たっていた。誰かがぶつけて行ったらしい。それもかなり派手にやったようだ。幸い見かけに影響がなかったので、その人は「神の恵み」と喜んで、立ち去ったのだろう。困ったことだ。見かけは問題なさそうだが、かなり衝撃を受けたようだ。近いうちにカーセンターで見てもらわなければ。

夜、今日伝統茶店で教わった대금奏者の曲を、インターネットで検索してみると、MP3ファイルが出てきた。それを聞きながら、韓国の伝統精神である“한(恨)”を味わった。

6月6日(日)

at 2004 06/09 06:25 編集

日曜日は教会へ行こう。ということで、今週もオンヌリ教会の日本語礼拝に行った。今日はイー・ギフン牧師先生が聖霊集会に行ってしまっていないせいか、開いた席がちらほらあった。

賛美の中に、初めて歌う曲があった。その歌詞に「何とも妥協しないように」という一節が出てきた。これは私の信仰とは相容れない。何とも妥協しないような硬直した態度は、聖書が重視する寛容の精神に反している。妥協しない態度というのは、往々にして自分と違う考えに耳をふさいでしまうものだ。そういう態度は、教会の中にも持ち込まれてしまうと困ったことになる。

私たちは、銘々が違った考えを持っている。自分は間違っていると思ったことでも、それが悪事でない限り、自分の置かれた立場に従って行動せざるを得ないことが多い。むしろ、世俗的な生活と信仰者としての生活との調和を求める姿勢こそ、信仰の訓練になるはずだ。キリストを信じる者には、世と妥協できない、いくつかのことはある。しかし、“何とも妥協しない”というのは乱暴だ。まあ、私は偉そうなことは言えないのだけれど、自分の求める方向とは違うし、オンヌリ教会の信仰でもないように感じられた。

今日はイー・ギフン牧師先生の説教の代わりに、大学教授をしているある韓国人の学者が招かれ、『低くさせてください』というタイトルで、自分の信仰談(それを私たちは“あかし”と呼んでいる)をした。この人は、はじめは日本語で準備をしたそうだが、自分の日本語をどう思われるかが気になって、通訳を介して韓国語で話すことにした。そのために、時間の配分が狂ってしまったようだ。その話は、前置きが長く、肝心の後半が急ぎ足になり、まさに竜頭蛇尾だった。それに、神が自分に対して働かれたことを証した話にもならなかった。結局この話は「あかし」ではなく、タイトルとも関係ない、“韓国と日本は互いに協力していくべきだ”という結論で終わった。

この先生の話の背後を流れる事実などを想像してみると、すばらしい主の働きはあるようだ。しかし、自分が大学教授であることを過剰に意識し、「教授なのに日本語が下手だ」と日本語礼拝に来ている韓国人の兄弟に判断されるのを恐れ、体調の悪かった山口伝道師先生に、無理に通訳を頼んだ。そして、通訳を間に入れたために話の時間配分を誤り、話自体をぼやけさせてしまった。「人を恐れるな」という聖書の教えを無視した、悪い見本となった。

日本語が多少不足しているからといって悪く言う人はまさかいないだろうし、博士学位を2つ持っている人の話なら、多少言葉が拙かったとしても傾聴されるだろうに。また、そのような人ならば、自分の業績なんか長々と話さなくたって、話の内容だけで聞き手を感心させられたはずだ。しかし、世俗的な成功談を前面に押し出せば、悪く言われても仕方ない。いかにも場違いだからだ。残念ながら、この人は、自意識に負けて失敗した。それによって、『低くさせてください』という願いがまだ聞かれていないという、「あかし」とは正反対の、悲しい証言となってしまった。この人は反面教師だ。私もそうならないよう、十分気をつけたい。

礼拝が終わってすぐに家に帰ってきた。そのあとしばらくして、妻が帰ってきて、今日の礼拝の文句を言っていた。私が変だと思った賛美について、妻は別の点から嫌だと思っていた。特に妻は、礼拝のときソロで歌うので、そのぎこちない日本語がなかなか覚えられず、苦労したらしい。それから、説教代わりの“あかし”に関しては、その教授をずいぶん悪く言っていた。そして、ああ疲れたといって、横になってしまった。

妻はその教授を「結局自分の自慢しかしなかったから、高慢なのよ」と言っていた。まあ、その点に関しては、私たちも、あの人を責めることはできないだろう。ただ、あの人の誤算は、礼拝時の説教で、博士であり教授であり、もと武官であるという世俗的な経歴を並べ立てたって喜ばれないことを、認識していなかったことだ。それは礼拝を通してクリスチャンが目指そうと思っている方向とは逆だから、私たちの耳にはほとんどナンセンスに響くのだ。ある兄弟は、「あかし」が話されている最中に、“저 사람 말이 많은가 봐요.(あの人、おしゃべりみたいですね)”ともらしていたそうだ。イー・ギフン牧師先生のような牧会の達人でも、このように、説教者の選択を誤ることがあるらしい。

礼拝が終わったあと、たいていはその日の説教の内容について、話が出るものだが、今日は誰もその教授の話について話題にする人がいなかったという。話題にできる内容もあまりなかったのだが、文句を言うのを控えるために、今日の説教は聞かなかったことにしたのだろう。みんな人格者だなあと思った。

そのあと、午後5時から、NHKの「地球ラジオ」という放送に、電話で出演した。世界の様子を伝える放送なのだが、放送2時間ぐらい前になると、とても緊張してきた。

5時5分ごろ、担当の人から電話がかかってきた。この人から10日ぐらい前に依頼の電話があり、それからメールで何度かやりとりをして打ち合わせ、それで今日の放送という段取りになっていた。その人と、直後にある放送でどのように話したらいいか、最終的な打ち合わせをし、それから受話器を持ったまま出番を待った。

出番になり、アナウンサーと話をした。最初の質問は、今のソウルの気候なのだが、文脈上の一段落を話したあと、アナウンサーが何か言ってくれるのかと思って待っていたら、フムフムと相槌を打つだけで、何も言ってくれない。1秒近く沈黙ができてしまい、それを埋めるために、意味のない「はい」という言葉を言うと、次の質問に移ってしまった。

この電話での対話には、事前に担当の人と一緒に作った台本がある。本当はそこで、初物のにんにくの話をするはずだったのだが、それは抜かして次の話題に移ってしまった。こういうのも放送事故になるのだろうか。それで、次からは、アナウンサーがフムフムとしか言っていなくても、話し続けることにした。

私ともう一人、フィンランドに住んでいる人も出演していたが、その人は話しているときに電話が切れてしまった。電話での対話には、こういうアクシデントがよくあるにちがいない。それで、私に話が回ってきたが、私が話している間に、その人とまた電話がつながって、さっきの続きの話をしていた。

フィンランドの人が話しているときに、部屋の扉をドンドン叩く音がした。開けると、下の子が入ってきて、下の遊び場で遊んでもいいかと大きい声で聞く。今電話中だから静かにしてねと言っても、言いやめないので、行ってもいいよと答えると、出て行った。出番中でなくてよかったが、もしかしたら、音が放送されてしまったかもしれない。

放送はとりあえず、恙無く終わった。放送が終わり、担当の人と一言二言挨拶を交わしたあと、電話を切った。

放送で話すのは、日常的に話すのとは違うなあと思った。原稿では、私が話す分は、1回が大体200字くらいの段落になっていたが、意味で分ける段落としては、3段落くらいになっている。私はたいてい、1段落話したら、相手が話し返してくるのを待つ性質があるらしい。授業で説明するときは別だけれども、普通の会話では、そうなっているようだ。だから、相手がフムフムと答えるだけで、私がひたすら3段落も4段落も話し続けるのは、けっこう負担だった。

でもまあ、おもしろい経験だった。

6月11日(金)

at 2004 06/12 03:30 編集

ヨンセ大学の図書館で人に会い、いろいろ話をした。その人は外大の日語科博士課程で文学を専攻している人だが、日本語ができるので、会ったついでに私の論文テーマについて質問してみた。文学と語学(=言語学)は違うはずだが、研究の仕方について有益なアドバイスを受けた。

その人のアドバイスでは、資料の多い分野を扱うべきだという。資料というのは研究論文のことで、それらがない場合、いちいち自分の意見に対して説明をしなければならないので、大変だということだ。もう一つは、理論設定をしなければならないが、それは先行研究の中から選ぶべきだという。私の場合、それは“対等接続”という範疇になるのだろうか。その範疇の名前を積極的に使用しているのは、서정수(1996)ということになる。

論文のタイトルについてもアドバイスを受けた。大きなものから小さなものへと持っていくのが理想だそうで、そうすると、私の場合、“対等接続”の入る部分が主題になり、それから副題へと進むのだが、その副題に結論が来るべきだという。私の場合、キーワードが6つほどあるが、それを有機的にすべて入れ、特に助詞の意味を表わす「選択」と「例示」とは、その有機的な関係を表す言葉で接木する必要があるという。

それから、早く教授と連絡を取るべきだと言われたが、これに関しては、アドバイスに従える自信がない。その人の話では、十回も斧を入れて倒れない木はないということだけれど、私の斧には柄がない。この部分に関して、私は決定的に弱みを持っている。なりふりかまわず行動することができないのだ。この欠点が致命的であっても、自分はこの欠点をどうすることもできない。これは別の方法で補わなければならない。

結局私の悩みは、研究の方法を知らないことだ。その人の話では、博士課程になれば、方法論を知っているので独学でも何とか勉強できるが、修士課程では方法論をこれから身に付ける段階なので、独学は危険だということだ。私もそう思う。それにしても、博士課程の人は、文学が専攻でも語学専攻の学生にアドバイスできるということは、分野は違っても方法論は共通しているようだ。

その人と別れてから、슬기샘へ行って本を見た。日本語教材としてその人がほめていた、訳せば“完全マスター日本語能力試験文法問題対策”(時事日本語社)があったので、それを購入した。その人が言及していたのは2級の本だったが、슬기샘にあったのは3級だった。しかし、3級でも、私が知っているのとは全く違う、概念別の構成になっていて、とてもよくできた教材だ。

研究室に着いてから、昨日借りた論文を少し読んだ。夕方、강해수氏と一緒に学生会館へ夕飯を食べに行った。냉우동(=冷うどん)を食べながら、カードの取り方について話をした。私が、対照言語学の方法を知らないので悩んでいるというと、訳して『対照研究方法論』という本があると教えてくれた。

研究室に戻ってから、先ほど紹介された本をヨンセ大学の図書館サイトで調べてみた。しかし、残念ながら、そういうタイトルの本はなかった。彼の話では、記憶が間違っているかもしれないという。父親の書斎で見た記憶があるから、家に帰ったら、調べて正しい書名を教えてくれるという。

そのあとで、カン・ヘス氏とユン・ジョンナム氏から、私の論文テーマの目次を見てもらい、いろいろ教えてもらった。私が方法論のことで悩んでいることを知って、それにはまず書いて見ることが必要だと言って勇気付けてくれた。

目次を作ったものがあるので、見てもらった。まず、目次があまりに大雑把過ぎると言われた。これは、私自身がこの問題をどのように考えたらいいか分からず、細かい部分に入り込めないために、大雑把な目次にとどまっているのだ。また、目次の中に、他の助詞との関係という部分があるが、そこに私はいくつかだけの助詞を扱おうとしていたが、ユン・ジョンナム氏の話では、関係する助詞は全て扱った方がいいとのことだった。

カン・ヘス氏からも、「選択」と「例示」の定義をしっかりする必要があると指摘された。このような概念の定義については、哲学関係の著書が役に立つということだ。これを受けて、ユ・ジョンナム氏から、『哲学과 論理의 研究』(김준섭著、서울大出版部)と『認識論理』(박종흥著、博英社)という本があることを教えてもらった。学校の図書館に置いてあるそうだ。思いもよらなかった切り込み方だ。

また、ユ・ジョンナム氏から、「限定助詞{(이)나}の統辞論と叙法制約」『한글260号』(목정수、2003年)と「국어조사연구의 어제・오늘・내일」『国語国文学100』(류구상、1988年)と、「特殊助詞研究」『言語科学研究』(홍사만、言語科学会、1982〜3)を教えてもらった。

11時直前まで勉強したのち、研究室を出た。

6月12日(土)

at 2004 06/13 04:22 編集

ギリシャ語を習いに애오개の韓国正教会へ行った。家を出ると、日差しが眩しく、暑かった。ただ、昨日までの湿気はきれいに去り、空気はからりとしていた。この日に韓国に来た人は、韓国は湿気が少なくて気持ちいいと思うだろう。

土曜日に会って少しだけ習い、あとは独学という状態だからか、私のギリシャ語の伸びはとても悪い。もうそろそろ現代ギリシャ語を始めて2年になるというのに、まだ初級の域を出ない。いくら片手間にやっているとは言うものの、だんだん焦りが出てきた。

今日は、学生たちに配ったという、国名と国民名、そしてその国の言語名を書いたプリントをもらった。そこにはたくさんの国の名前が載っていたが、日本と関係の深いポルトガルとオランダがなかった。それで、神父さんにポルトガルは日本にとって関係のある国なので、その名前も知りたいですと頼むと、それはポルトガリアだと教えてくださった。なんと、フランスはガリアで、ポルトガルはポルトガリア。ということは、ポルトとは、扉と何か関係があるのかもしれない。

神父さんが、ポルトガルと日本とは、地理的には非常に遠いのに、なぜ関係があるのですかと聞くので、16世紀の中ごろ、ポルトガルの宣教師が来たという話をした。当時の日本人の記録によると、その初めて見るポルトガル人は、体躯が非常に大きく天を突くばかりで、顔は赤く、鼻が非常に高かった。そして、驚いたことに、その口からは煙が出ていた。

この、最後の部分は受けを狙ったのだが、神父さんはかすかに口元をほころばせただけだった。受けなかったようだ(笑)。いずれにしても、日本人が初めて目にした異国の怪物は、そのようにして堂々と登場したわけだ。(ちなみに、当時のポルトガル人側の記録では、日本人に対してかなり好意的に書かれているらしい。)

また、そのときポルトガル人は日本人に鉄砲を2丁贈呈したという話もした。たぶん彼らは自分たちの文明を誇示するために、最新式の鉄砲を、秘境の未開人にプレゼントしたのだろう。ところが、未開人だと思っていたこの原住民たちは、こともあろうにその鉄砲を研究し、同じものを作ってしまった。韓国ではこの逸話を“物まね上手の日本人”ということで、創造性の乏しさの例として語られることがあるが、実際にはこれは、驚くべき話なのだ。この“技を盗む”ことの極致を、勉強する人たちは誰でも、見習う必要がある。ともかく、そうやって日本にもたらされた鉄砲は、日本の戦闘の形態を根底から覆す結果になった。ポルトガル人は、意図せずして災いをもたらしてしまったわけだ。

このとき私はポルトガル商船とポルトガルの宣教師とを混同していて、宣教師が鉄砲を伝えたと言ってしまった。私の話を聞くと、神父さんは、教会の大分裂後にローマカトリックが行ってきた悪事と、その後ドイツやイギリスが宣教の名でアフリカで行ってきた蛮行を思い出し、苦々しい表情で「“宣教”という言葉には悪いイメージが伴っています」と言った。(あとで歴史年表を見ると、ポルトガル船が種子島に漂着して鉄砲を伝えたのは1543年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に着いたのは1549年で、それぞれ時間に差があるのだが、私の記憶は混乱していた。)いずれにしても、ザビエルの崇高な意図は、宣教に寄生するハイエナたちによって、ずたずたにされてしまった。以後4百年以上経った今も、日本が福音にとって不毛な地となってしまったのは、宣教の名を借りた悪事に対する神の憤怒がどのようなものかを見せているようだが、私たち日本人は、そのとばっちりを受けてしまっているのかもしれない。

韓国正教会は今年の3月に、大主教区として昇格し、次の日曜日に“韓国正教会大教区昇格及びソティリオス・トゥランバス大主教職着座式”という行事を行う。この日には、世界各国から正教会の主要メンバーがやってくる。その招待状を、教会員でもない私にくださったが、残念なことに、それは日本語礼拝のある時間なのだ。私としては、忍耐の場としての日本語礼拝に出るよりは、歴史的な一場面を見ることの方が、ずっと魅力的に見えるが、神はそのようなことは望まれないだろう。正教会の礼拝に参加することは、私にとっては礼拝をささげることにならない。なぜなら、そのとき私の目的は礼拝の見学であって、礼拝することにないからだ。神父さんには、10時からの礼拝にまず参加して、申し訳ないけれども途中で抜け出し、私たちの礼拝が終わってから、時間が許せばまた来ますと答えた。

今日は他に、韓国語に訳された小さな祈祷書をいただいた。そこには、美しい祈りの言葉が綴られている。この祈りは大きく6つに分かれ、1.朝の祈り、2.昼の祈り、3.宵の祈り、4.就寝前の祈り、5.聖餐の祈り、6.もろもろの祈りとなっている。この6番目には、聖書勉強の前にささげる祈りもあるし、集会のときにささげる祈りもある。それだけでなく、患難や敵軍の侵略の中でささげる祈りもある。実際に、韓国では50年前までは、そのような苦難が続いていた。声に出して読んでみると、当時の緊迫した状況の中で、正教会の信者たちがこの祈りを唱えた、魂の叫びのようなものが聞こえ、胸が熱くなる。珠玉のような小冊子だ。「奥さんにもあげてください」と、2冊くださった。

それから家に帰り、シャワーを浴びてからしばらく眠った。夕方日が暮れてから、研究室へ行った。K氏から3千ウォンで買ったランケーブルでインターネットができなかったので、今日は家で使っているケーブルを持っていってみた。すると、すぐにインターネットにつながった。メッセンジャーにK氏がサインインしていたので、そのことを話し、明日夕方会うことにした。また、妻がサインインしてきたので、しばらくメッセンジャーで雑談をした。そういうこともあって、結局ほとんど成果のない時間となってしまった。まあいいってことよ。

6月23日(水)

at 2004 06/27 11:04 編集

朝起きてKBS・FMをつけ、クラシック音楽を聞いていると、アナウンサーが、先日イラクで拉致されたキム・ソニル(김선일)氏が殺害されたことを伝えていた。テロリストの行為には触れず、彼の真摯で着実な生き方だけを伝え、彼を助けられなかったことを悔いていた。コンピュータをつけ、ヤフー・コリアでニュースを読むと、テロリストたちは、自分たちの警告に従わず我々を欺いたので殺害したとの声明を出したそうだ。

キム・ソニル氏は、母親の言葉によると、韓国外大でアラビア語を専攻し、イラクでの宣教に重荷を持っていた(=使命を感じていた)という。こういう事実は日本では削除されて伝えられないだろうし、報道者たちは重要なこととも思わないだろう。しかし、このことはとても重要だ。彼はイラクで一旗挙げようと思っていたのではなく、イラクの人たちを愛し、イラクの人たちに仕えようとしていたのだ。

これは韓国内での報道にも影響を与える。テロリストに対する非難はあっても、イラク人への憎悪を煽る報道は、彼の遺志の影響を受けて控えられ、むしろイラク人が卑劣な行為を選択せざるをえない状況を作った元凶に対する感情が、意識するしないにかかわらず、高められるだろう。その批判は当然、ジョージ・ブッシュ氏と、ノ・ムヒョン(노무현)氏に向けられる。

ブッシュ大統領が2001年9月11日の演説でも言ったとおり、アメリカは強い。上からの力でイラクを押さえ込んでいる。それに対して、組織的な対抗力もないイラク人は、ゲリラとテロで対抗するしかない。70年代にアメリカはベトナムとの戦争で、ゲリラに敗北したが、今度はテロに敗北するのではないだろうか。

同時多発テロがあったあと、私は戦争が起こることを懸念した。しかし、教会の兄弟たちの中には、“悪は罰せなければならない”という意見が多かった。彼らには、ブッシュは敬虔なクリスチャンという共感があったのだろう。しかし私は、ここで戦争を起すことが聖書的だという考えには疑問があったし、さらに、罰するための戦争には圧倒的な力が必要だが、相手は不特定多数のイスラムだ。組織ではなく信仰共同体であるイスラムに、アメリカが勝つことはできないだろう。そう言うと、ある兄弟は、では誰がテロを罰するのかと聞いた。私には、それは人の力でできることに見えなかった。結局戦争は始まり、ブッシュ大統領がビンラディン征伐を“義の戦”と言ったとき、イスラムの聖職者に“義は神の決めること”と指摘され、その名前を撤回したことがある。私には、敬虔なブッシュ大統領の命名は軽率で、むしろイスラムの聖職者の方が、聖書の読みが深いように思われた。

アメリカが不覚をとらず、民主的な方法を貫いたとしても、イスラムのテロに勝つのは難しいと思う。それどころか、現実にはアメリカ軍は、捕虜を虐待するという大変な過ちを犯した。これでアメリカは信用を失った。結果として、現在アメリカは、完全に泥沼にはまり込んでしまったようだ。残るは力ずくで同盟国に協力させるしかない。以前戦争を肯定していた兄弟たちは、現在どういう意見なのだろう。

今回の事件で韓米関係が大きく悪化することはないだろうけれども、影響はあるだろう。それを北朝鮮がどう睨んでいるかが心配だ。それから、韓国にはごく少数のムスリムたちがいて、彼らのモスクがイテウォンにある。今回の事件で、何の罪もないムスリムが、とばっちりを受けることがないことを、願うばかりだ。

夕飯を食べてから、子供たちをつれて교보문고へ行った。교보문고手前の交差点からクァンファムンまで延々と、機動隊のバスが道路際に壁を作っていた。교보문고から百メートルほど行ったところにアメリカ大使館がある。大使館を守る機動隊を大挙増員したようだ。どんな片隅にも、最低10人以上の機動隊員たちが整然と並んで警戒に当たっていた。교보생명ビルの敷地には、数百人の機動隊員たちがいた。これは、韓国の国民が日ごろからアメリカ政府に対してよくない感情を持っているからで、今回の事件によって、どのような不祥事が起こってもおかしくないため、アメリカ大使館の警戒態勢を固めているのだ。

そのためか、교보문고の中は、いつもより少し空いていた。これも、アメリカ大使館で何が起こるか分からないので、客足が遠のいたのだろう。ゆったりと本を見ることができた。『日本語力と英語力』(斎藤孝+斎藤兆史共著、中公新書ラクレ)と、『読書術』(エミール・ファゲ著、中公文庫)を買った。子供たちもそれぞれ自分の気に入った本を1冊ずつ買った。

家に帰ってから、『日本語力と英語力』を読んだ。「右手に素読、左手に文法!」(90ページ)とか、「先生増殖方式」(113ページ)、「本物だけを見続けよ」(164ページ)など、有益な話が多い。国語の先生だと思っていた斎藤孝が、自分の日本語は英語の構文が身に付いていることによって成立している(99ページ)と言っているのは意外だった。

また、斎藤兆史が「私は特定の信仰をしろと子どもに言ったことはないけれど、力の及ばないものに対し、祈るとか、願うという敬虔な気持ちは、すごく人の気持ちを穏やかにしますね。傲慢にならない。最善を尽くして努力をするけど、何かかなわぬものに頭を垂れる。そういう気持ちを余裕というんでしょうか。自分のことで目一杯の人ほど「自分がいちばん偉い」と思っている」(170ページ)と言っていたのは、私にとっては面白い意味を含んでいた。聖書で繰り返し強調されている教えを、この人は自分の経験から身に付けているからだ。そのような事実はローマ人への手紙1章20節で指摘されている。斉藤兆史氏の言葉を読みながら、その人の文脈とは無関係に、ふうん、そうなんだなあと感心していた。

6月26日(土)

at 2004 06/28 06:43 編集

ギリシャ語を習うために、エオゲの韓国正教会へ行った。妻が日本へ行ってきたので、ちょっとしたお土産を持って行ったら、なんと神父さんは、マスクメロンと、辞書と、イコンの解説書を、私のために準備して待っておられた。いつも不思議なことに、私が何か持っていくと、それ以上のものを準備しておられる。神父さんも、自分が何かを準備していると私がちょっとしたものを持ってくるから、不思議に思っておられるに違いない。

その中でいちばん大きかったのは、辞書だった。何週間か前に、希希辞典がぜひともほしいと言ったことがあった。そのあと、手に入るまでには長い時間がかかるだろうとあきらめてかかり、インターネットサイトの希希辞典の紹介ページなどを見ては、この中のどれでもいいからほしいなあと思っていた。私は神父さんに“買います”と言った。しかし神父さんは、“これは私からのプレゼントです”と言われた。

神父さんがくださったのは、“MEIZON ELLHNIKO LEXIKO”という辞書だ。家に帰ってからラムダページ書評を読んだ。そこに“ELLHNIKO LEXIKO”というのがあって、これが“MEIZON ELLHNIKO LEXIKO”の前身らしい。なぜなら、“MEIZON ELLHNIKO LEXIKO”の序文に、“Συγκροτήθηκε με βάση το Ελληνικό Λεξικό (ΕΛ), που κυκλοφορεί σε αλλεπάλληλες εκδόσεις από το 1988, και με την ίδια φιλοσοφία.”と書いてあるからだ。ラムダページの書評には、次のように載っていた。

TEGOPOULOS-FUTRAKHS 編集,EKDOSEIS ARMONIA A.E. 発行。NEO ELLHNIKO LEXIKO と同じ版形(=高さ25.5cm,幅16cm)で厚さは4cm。語彙数は多いが,説明が簡潔すぎて物足りない。言い換え語句が載せてあるだけのことが多い。しかし,動詞,形容詞,名詞の変化形についてはNEO ELLHNIKO LEXIKOよりも丁寧に書いてある。文語(καθαρεύουσα)形が掲載されている,語源欄が充実している,など NEO ELLHNIKO LEXIKO にない特長を持つ。電子版も存在するらしいが,筆者未確認。”

その書評は、この辞書にしっかり当てはまる(ただし厚さは正味5cm)。なるほど、確かに語釈がわりと簡潔だ。まるで“Pocket Oxford Dictionary”のように、その説明は寡黙である。しかし、それでもやはり、今まで英語で意味を調べてきたのとは、雲泥の違いがある。それは、他のギリシャ語の単語との関係がわかるということだ。私はまだ希希辞典をそのまま読む実力はないので、希英辞典で語釈中の未知の単語を調べながら読んだ。そうすると、今までぼんやりとしてはっきり見えていなかった単語が、非常に明確な輪郭をもって見えてくる。今までその意味が気になっていたいくつかの単語を引いてみた。

もちろん、説明された言葉は、読んでみれば、“なんだ、そんなことか”と思うことが多い。しかし、“やっぱり希英辞典で意味を考えたのと同じだ”とはならない。これが重要なところだ。簡単に見えてしまうのは、その説明が明晰だからだ。

どんな翻訳辞典でもそうだが、希英辞典でも、ひとつの単語のひとつの意味に、たくさんの訳語が並んでいると、解釈したり訳したりするときの助けにはなるけれど、意味の把握はかえって混乱させてしまう。雑然としたイメージが頭に残ってしまう。しかし、希希辞典の説明を(希英辞典の助けを借りながら)読むと、その意味がはっきりと規定できる。これはすごいことなのだ。

夕方、オンヌリ教会へ聖書勉強会に行った。今日は他の出席者がいなくて、北野伝道師先生と私だけだった。5時から始めて8時まで、私はちょっと一人でしゃべりすぎてしまった。今日は参加者が私一人だけだったので脱線(?)してしまったが、もう少し人がいれば、私はおとなしくなる。(笑)

6月27日(日)

at 2004 06/29 02:03 編集

久しぶりに日本語礼拝に出た。今週も、イー・ギフン牧師先生がいないせいか、空席がところどころに見られた。礼拝に属しているのでなく、説教を娯楽として聴く人がけっこういることが、このことからも分かる。まあ、私もその一人かもしれない。

今日は、ある伝道師先生の説教で、聖書箇所は第1コリント12章12節から20節のみことばだった。説教のタイトルは、「器官は多くてもからだは一つ」だったが、前回と同じく、説教というよりは講演会のようだった。沖縄の教会事情について有益な知識をたくさん得た。

私はどうしても言葉にこだわってしまうのだが、今日も説教中、先生は、12節では“部分”と言い、14節からは“器官”と言っていると、妙な指摘をした。私が持っていたのは「新共同訳」で、そこではすべて“部分”と訳されている。「新改訳」は、同じ単語を文脈に合わせて訳し換えることが多いので、たまに混乱することがあるが、これらはすべて、ギリシャ語では“μέλος(部位)”という語だ。礼拝に出席している人の中には、韓日対照聖書で新共同訳を読んでいる人も多いのだから、むしろそこで、“部分”と“器官”と別々に訳してあるけれども、どちらも同じ単語だと指摘すべきだったと思う。

また、日本人と韓国人は非常に違うと言って、違いを強調しすぎるのは行き過ぎだと思った。話の中で、日本人は理性的で、韓国人は感性的と描写していたが、私はそうは思わない。私には、日本人が感性的に思える。そして韓国人は感情的だ。感情的という語が語弊を招くならば、情感的と言ったらいいだろう。日本人は美的なものにひかれ、韓国人はセンチメンタルなものにひかれる。

私は、日本人と韓国人は大して違わないと思う。少なくとも、アラブ人から見れば、その違いは微々たるものだと思う。実は聖書は、民族ごとの差よりも、それらに共通する普遍的な部分を強調している。そして、心理学にせよ言語学にせよ、民族ごとの違いでなく、人間に普遍的なものを追求している。その中で、“日本人と韓国人はすごく違う”と言うのは、どんなものだろうか。

もっとも、アリストテレス神父さんも以前、“韓国人はギリシャ人と非常に違う”と言っておられた。それで私は神父さんに、日本人はさらに違いますと答えた。話に聞くギリシャ人は、韓国人よりもずっと感情的で、また、日本人とは比べ物にならないほど理性的だ。ギリシャの影響を受けた西洋諸国はたいていそうだろう。それに比べれば、日本人と韓国人は本当によく似ている。日本的な発想、情緒、価値観のようなものは、韓国でも大体そのまま通じる。しかし、西洋の多くの国では、そう簡単にはいかないに違いない。

だから、安易に礼拝の説教で、日本人と韓国人はすごく違うなんていわない方がいい。日本人に慣れていない韓国人と、韓国人に慣れていない日本人が交流するときに生じる葛藤を、克服するためには、違いを強調してはいけない。むしろ、普遍的なものに目を向けるべきだ。伝道師先生は、違いばかりに気を取られている。もちろん違いが分かることは大事なことだが、それ以上に大きな部分を占めている、人間の普遍的な性質から、目をそむけてはいけない。むしろ、人間の普遍的な性質を凝視するとき、大きく見えていた違いはむしろわずかなものに見えてくるだろう。それを強調するのが、宣教を軸にしている教会での説教ではないだろうか。

私の勝手な考えだけれども、教会で“教師”というのは、神について教え、神と私たちとの関係を確立するように導くのを目的としていると思う。あの伝道師先生は、それがどうも苦手なようだ。行動を強調するのはいいことだが、その行動が、神のどのようなみこころなのかをたえず理解させる必要があるはずだ。しかし、そのスピリチュアルな部分で、徹底して弱さを見せている。あの先生は、愛の人であり、献身的な働き手として尊敬されている。しかし、その傑出した賜物がある反面、御言葉を教える賜物を神はくださらなかったようだ。

説教が終わったあと、北野伝道師先生が、この夏に行く日本アウトリーチについてプレゼンテーションをした。この夏、オンヌリ教会日本語礼拝の青年たちは、軽井沢と四国とへアウトリーチに行くそうだが、簡単ながら、恵みある話だった。四国にある88箇所の仏教施設を巡回すると病気が治るという話があって、ある婦人が88箇所をすべて巡回したが、結局治らず、病院へ行ったらそのお医者さんがクリスチャンで、その勧めで教会へ通うようになったという話は、みんなの反応はあまりよくなかったようだが、私は面白い話だと思った。

そのあと、キム・ソニル氏の追悼ビデオを見た。テントの中で自己紹介をしている映像と、追悼礼拝のときの、2〜3人の表情が映し出されていた。そのあと、父親の映像があらわれ、訥々と語っていた。「立派な息子でした。私も息子の志を継いで、神をしっかりと信じたいと思います」と話していたとき、私より前方に座っていた人たちの大部分が、手を目に当てているようだった。

その父親は、もともと仏教を信じていたそうだが、“私も神を信じる”と決意したその言葉は、信仰がどういうものか、すでに知っていた。私たちは多く、本当みたいだから信じる、納得がいくから信じるというように、信じるという言葉を使うが、キム・ソニル氏の父親は、“自分の神として受け入れる”という意味で、“信じる”という言葉を使った。その言葉は重かった。

ビデオの声は、“キム・ソニル氏はイラクを愛した。彼の志を受けて、私たちもますますイラクを愛し、イラクへの宣教の思いを強めていこう”と言っていた。

キム・ソニル氏は、教会から宣教師としてイラクへ送り出されたので、韓国内の多くの教会の合同で、彼の追悼礼拝を行うことになったそうだ。それで、オンヌリ教会からも、今たくさんの牧師先生たちや長老たちがキム氏の故郷に行っているという。

午後、うちに教会の青年たちが集まって、アウトリーチに行く資金を集めるために売るお好み焼きを、試作した。そのとき、今日の説教の話が出た。私たちはその伝道師先生の牧会者としての将来を心配していたが、日本で信仰生活をしてきたある姉妹は、先生の説教は日本の教会の説教よりもずっといいと言ってほめていた。

日本から来る牧師先生たちは、どの人もすばらしい説教をした。だから、日本の教会も説教はすばらしいのだと思っていた。しかし、そうではない教会もあるらしい。そういえば、母の通っていた教会も、牧師は説教のときに自分の話ばかりをしていて、話の構成もなく、説教というよりは雑談だった。特にその牧師は、牧師の落ち度を指摘すると“牧師批判”という罪を犯したことになると言っていた。あの人は平信徒でいた方がよかったと思う。そういうのから比べれば、あの伝道師先生の説教はたしかに、比べ物にならないほどいい。

それにしても、つくづく思うことだけれど、牧会者というのは大変な仕事のようだ。私たち羊はそれぞれ、てんで勝手な方向をむいている。神へと導くことに失敗すれば、羊は散り散りになってしまう。私にはとてもじゃないけどできそうな仕事ではない。