ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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3月4日(木)「雪」

at 2004 03/05 00:49 編集

午後、某日本語教材の出版社に勤めているキム・ジョウン先生のところへ遊びに行った。キム先生は京都の人で、私が韓国で初めて日本語を教える仕事をしたとき、いろいろ教えてくださった恩人だ。

태평로の広い通りには、雪がちらついていた。心にメロディーが浮かんできたので、ハンドルを握りながら口ずさんでいた。

出版社の2階にあるキム先生の部屋へ行って、四方山話などをしたが、そのとき、先生の背後の広いガラス窓の外では、植え込みとガラスの間の空間に、風花のような粉雪が、ちらちらと舞い降りていた。キム先生は窓を背にしていたので、雪には気づかなかったようだ。その背景で、韓国の日本語教育を語る姿は、なかなかさまになっていた。

そのあと、帰ろうと思い、キム先生と一緒に下に降りた。キム先生が「社長に挨拶して行きな」というので、いっしょに社長室へ行き、そこで雑談をした。そこで社長のいろいろな楽しい話を聞きながら、ふと外を見ると、窓の外は大雪になっていた。

社長が、こんなときに急いで帰ってもどうせ道が込んでいるだろうから、ピザでも食べていきなさいというので、そうすることにした。社長とキム先生と3人でピザを食べたが、ピザの上に載っていたトウモロコシが、ぽろぽろと膝にこぼれ、床に落ちた。私は病み上がりで咳もしていたから、傍から見たらけっこう情けない姿だったにちがいない。

雪は一向におさまる気配もなかったので、5時半ごろそこを辞して家に戻った。帰りの道は混雑していた。원남동からアングクトンへ向かう道は、両側の木々の枝に雪が付いて白くなっていた。광화문の近くまで来たころ6時になった。KBS第1FMでは「세상의 모든 음악」が始まり、進行係の김미숙が開口一番「たった3時間のあいだにソウルはすっかり色変わりしました」と言っていたのが印象的だった。

6時半に家に着き、しばらくして9時ごろ妻から電話があった。もうすぐ駅に着くから迎えに来てほしいという。それで家を出た。アパートの外は雪ですっかり覆い尽くされていて、うちの車も雪だるまのようになっていた。エンジンをかけ、ワイパーでフロントガラスの雪を払い落とそうとしたら、雪の重みでワイパーが動かなかった。車を降りて、窓の雪を掻き落とした。降り頻る雪で、私も雪だるまのようになってしまった。と、ストロボをたいたような閃光があたりを青白く照らし、雷鳴が轟いた。

フロントガラスとサイドミラーの雪を掻き落とすと、また車に乗り込んで、出発した。視界はとても悪いし、サイドミラーも、雪を落としたにもかかわらず、そこにまた粉雪がこびりついて、ほとんど何も見えない。のろのろと駅まで走っていった。

途中、妻から電話があり、今どこにいるのかというから、出発が遅れた事情を話すと、私が来る方向にむかって歩いていくという。そうしなと言ってしばらくゆっくり進んでいると、いつの間にか駅前だった。また携帯が鳴って、通り過ぎちゃったじゃないという。駅前の角を曲がったところで車を止め、サイドミラーや横の窓を覆った雪を掻き落としていると、妻がやってきたので、乗せて家まで戻った。通りは車があまり走っていなかった。

11時ごろ雪はどうなったか見ると、一応止んでいた。窓の外は街路樹も道路も雪で覆われて真っ白になっていた。このまま降らずに、明日には全部とけてしまえばいいと思う。でも、話によると、雪は明日も降るとか。

3月6日(土)

at 2004 03/08 12:31 編集

朝6時に教会で聖書勉強会があった。今日はいつも導いてくださる北野伝道師先生が、教職者会議があって来られず、私が司会をすることになっていた。教会に着くと、駐車場が満車になっていて、教会の中に入れなかった。近くを回りながら、1箇所空いた場所を見つけ、そこに車を止めた。

聖書勉強会が終わってから家に寄り、コーンフレークに牛乳をかけて食べた後、言語教育院へ行った。今日は10時から修了審査があって、そのリハーサルのために8時半までに行く約束を、学生たちとしていたからだ。しかし、向かう途中電話がかかってきて、学生は9時までに来るという。

言語教育院に着いてから、教室のセッティングをしたあと、インターネットのインフォシーククラブに入って書き込みを読んでいた。

修了審査は無事に終わり、同僚の先生と学生たちとジェシカズ・ピ ザで食事をしたあと、言語教育院に戻って本の入ったかばんを取って연세대학교の国文科合同研究室(=합연실)へ行った。今日は2時から机の配当があるのだ。

配当は無事終わり、私は割り当てられた席に座って勉強した。咳がひどく、後ろの席の人が心配してくれて、お湯を飲みませんかという。しかし、私の風邪を移しては大変だから、断った。前の学期に誰かが残して行った電気ストーブがあったので、それでかろうじて暖を取りながら、2時半から5時半ごろまで勉強した。静かな中で勉強すると、非常にはかどるのを感じる。こういう環境をずっと求めていたのだ。自分のような人間が、騒然とした中でよく今まで暮らしてきたと思う。

6時に言語教育院の駐車場が閉まるので、5時半に研究室を出た。語学堂の脇を歩きながら、右手の建物を見ると、どの庇にも太いツララが何本も下がっていた。日本に住んでいたときには、ツララなんて写真でしか見なかったから、こういうのをみると、自分は違うところに住んでいるんだなあという実感は沸くが、しかし、子供のころ写真でツララを見て雪国や北国に思いをはせていたのとは違い、実際に目の前で見てみると、実に何でもないものだという気もした。

歩道橋を渡り、階段を下りていたとき、滑ってずっこけた。ソウルには歩道橋があまりないが、その歩道橋は日本のとは違い、雨が降ると階段が水溜りになる。雪が降るとそれが凍りつき、少し解けると水と氷が混ざって滑りやすくなる。注意して歩いていたつもりだが、滑ってしまった。すぐに起き上がった。なぜなら、尻の下は水溜りだったから、長い間尻餅の余韻を味わうわけにはいかなかったのだ。そのまま真っ直ぐ地下駐車場へ行き、車に乗り込んで家に帰った。

夜、家族で백년옥(百年屋)へ行き、뚝배기순두부を食べた。この店の豆腐は逸品だ。これで風邪が吹き飛べばいいのだが。

3月7日(日)「礼拝」

at 2004 03/08 23:07 編集

日曜日は教会へ行きましょう。ということで、今日も礼拝に行った。

最近私の心にはよくない感情が充満している。それは、日本語礼拝で用いられる日本語への不満だ。韓国人の長老が拙い日本語で代表祈祷するのは気にならないのだが、賛美の曲の日本語が拙いのが我慢ならないのだ。何でこんな言葉を自分の口から出さなければいけないのかという気持ちでとても不愉快になる。日本にはすばらしい讃美歌や聖歌、ゴスペルソングなどがたくさんあるというのに、大急ぎで日本語に訳したいびつな言葉の賛美を自分の口から出さなければならないことが不快なのだ。

今日は、そのあと「スン(순)」という区域礼拝の開講礼拝が行われた。そのとき、通訳をいつもしている伝道師先生が、スンを頻りに“セル”と訳していた。セルというのは細胞の意味で、これを小グループの意味で使うのは、他の教会の用語だ。セルはスンと体系が違う。それで、牧師先生が“タラクパン”と言ったとき、その伝道師先生は訳せなかった。そりゃそうだ。それにもかかわらず、あまりにもしつこく通訳が“セル”を連発するので、ついに頭に来てしまった。私は頭に血が上り、このスンをセルと呼ぶなら、スン礼拝に参加できないと口走った。妻はそれを聞いて、“何でそんなこと言うのよ”と怒った。

이기훈牧師先生の説教が終わったあと、一人で席に座って書類に目を通していた牧師先生のところへ行って、「スンを日本語では“セル”ということに決めたんですか」と、多少詰る調子で言った。日本語を知らない先生は、怪訝そうな顔をして「순과 쎌은 다르지.(スンとセルは違うだろ)」と言った。私が、「しかし、スンを日本語では“セル”と訳してます」と言い、「個人的にはセルという名称は嫌いです」と言って、母の教会が“セル運動”を始めてからおかしくなってしまったことを話した。そして、オンヌリ教会にふさわしい名前を考えてくだされば幸いですと言って、席に戻った。

教会にある程度長く通っていると、ある種の“こだわり”が生じるようになる。そうならない恵まれた人もいるが、私も妙な潔癖症が表れてきたらしい。私がアッセンブリー系の教会にいたら、そこは“セル”という名称の生みの親だから、私は何も違和感を感じなかったろう。むしろそこで誰かが小グループを“スン”と呼んだら、不快感を表したかもしれない。なぜオンヌリ教会の用語を使うのか、“セル”は“スン”とは違う、と。

しかし、私が頭に来てしまった背後には、その伝道師先生の通訳の仕方に対する不満がずっとあったのだ。この伝道師先生は通訳するとき、表現や用語を好きなように変えてしまう。それが意味を正確に伝えているのならかまわないが、もとの意味とは違ってしまうから、その伝道師先生の通訳付きで説教を聞いていると、二つの違う話を平行して聞いているような錯覚を起こし、混乱してくるのだ。しまいには、説教の内容が何だったか分からなくなってしまうこともある。韓国語を知っている人たちの多くは、伝道師先生の通訳を無視して、韓国語だけで聞いているようだ。また、日本語しか知らない人は、通訳が違う話に訳していることを知らないから、葛藤はないだろう。そんな通訳がとても不満だったのだが、その不満の頂点に“セル”があった。

自分の態度はキリストを信じる者としては実にみっともないものだったが、伝道師先生も、もうちょっと言葉に神経を使ってくれればと願っている。日本語を扱うなら、日本語を愛さなければ。そうしないと、日本語は私たちの信仰を軽んじるだろうから。

3月8日(月)

at 2004 03/08 23:28 編集

午前中、妻といっしょに先日行った小児科へ行き、咳止めの処方をしてもらった。先生から、扁桃腺が普通の人よりも大きいですよと言われた。ひょっとして、切れと言われるのではないかと恐れたが、それは言われなかった。処方してもらった薬を薬局で買って、家に戻った。そしてそのまますぐに入管へ行き、資格外活動のビザの交付を受けた。

そのあと、合同研究室へ行った。今日はスチームが効いていて、暖かかった。3時半ごろ、電気スタンドを買いに学生会館の알뜰샘へ行って、3万7千ウォンもするスタンドを買った。ついでに Dermatography(黄・赤・緑・青)と透明なフォルダーをいくつか買った。それから、修正液も買った。全部で4万1千ウォンにもなった。

6時半ごろ、博士課程に通うK氏が入ってきた。今学期は休学するので、 イム・ヨンギ(임용기)教授に挨拶しに来たのだそうだ。先生がいなかったので、来られるまでここで時間をつぶそうと思ってきたという。しばらくして、イム先生の助教と見られる学生が入ってきて、先生が来られましたと言うので、K氏は部屋を出て行った。

7時半まで勉強して、今日持ってきた資料は全部読んだ。9時半までは居座ろうと思ったが、他に読む本もなかったので、研究室を出た。帰る途中、本を入れてきたかばんを持ってき忘れていたことに気が付いたが、面倒なので引き返さなかった。明日持って帰ろう。

それから교보문고へ行き、注文しておいた『これから論文を書く若者のために』を受け取った。なんと3万5千ウォンもする。この本は癖のある文体で好き嫌いが分かれるが、日本の学生たちの間ではバイブルのように読まれているという。それから、ふと目に付いた『知的生産の新技術』(鷲田小彌太著、三一新書)も買った。これも1万ウォンもした。ちょっと浪費か。この本の副題には「探求・浪費・教養の快楽」と書いてあった。

3月9日(火)

at 2004 03/10 10:56 編集

午後2時から聖書勉強会があった。今日は私が司会をすることになっていたので、早めに言語教育院へ行って、質問の準備をした。今日はルカの福音書18章9〜13節の、パリサイ人と取税人の祈りのたとえだ。かなり大まかな質問だけを作った。

質問を作っているとき、図書出版トゥランノ(도서출판 두란노)から電話があり、今購読している『빛과 소금』が購読契約が終わるが、もう一年延長しますかという。延長すると答え、いくつかやり取りをしたあと、韓国語がとても上手ですねと言われた。そんなことを言われるのには慣れていないので、あがってしまった。

電話を切ってから考えてみると、昨日も교보문고で、韓国語が上手ですねと言われたことを思い出した。今まで私は初めて会った人から韓国語が上手ですねといわれることはほとんどなかった。それが、この二日間連続して、そういうことを言われた。これはもしかしたら、私の韓国語に何か深刻な問題が生じ始めている警告かもしれないと思った。

聖書勉強会が終わって、参加者といっしょにお茶菓子を食べながら話をした。私が論文の準備もできずに長い間挫折していたことで、自分には“できない”という思いが体質のようにこびりついてしまったが、それが、土曜の朝の聖書勉強会のときにみんなに祈ってもらってから、状況が変わり始めて徐々に勉強がうまくいく環境になり、できるという思いが芽生え始めたという話をした。自分が本当に論文を書けるだろうかという不安はまだあるが、今やっていることはできそうだという気持ちにはなったことを話した。

みんなが帰ったあとで、연세대학교합연실へ行った。今日は本を3冊と英韓辞典を持って行った。今日持ち込んだ本は、わりと早く必要な部分を読み終えた。そして、昨日持って来た英語の論文を、辞書を引き引き読んだ。さすがに英語の論文は読みにくい。分からない単語が出てきて、辞書でその単語を引いても、にわかには理解できない。しかし、じっと睨んでいると、徐々に何のことか分かってくる。不思議なことに、静かな研究室では、分かりにくい論文でも頭に入るのだ。誰にも妨げられずに勉強できることが、これだけ頭の働きに違いを与えるのかと驚くばかりだ。自分の頭はもう終わったと思っていたが、そうでもなさそうだと思えるようになってきた。

途中、同じ研究室で勉強している人が、私のところへ来て、韓国語の論文に使われている漢字の読み方を聞いた。初めは日本語でどう読むのか聞こうとしているのかと思ったが、なんと、韓国語でどう読むのかということだった! 彼は、漢字の読みが分からずに、論文の中の単語が理解できなかったようだ。漢字の読みを教えたあと、何について論文を書いているんですかと聞くと、時制について論文を書いているという。私は並立助詞について書いていると答え、それがどんなものなのかを説明した。しかし、指導教授がハワイへ行ってしまっていて、論文を指導してもらえそうにないと言うと、それならホン・ ユンピョ(홍윤표)先生に相談したらいいという。でも、ホン先生とは面識がないというと、その先生は優しい人だから大丈夫だと教えてくれた。ならば、今週一通り主要な参考文献が読み終わって、大まかな整理が付いたところで、勇気を出して訪問してみようかと思った。

9時半ごろ勉強が一段落したので、家に帰った。

3月10日(水)

at 2004 03/11 01:45 編集

午後1時からクラス分けのインタビューがあるので、言語教育院へ行った。ぎりぎりに到着して、資料を抱えて時間ちょうどに試験をするラボ室に入ると、すでに数人が待っていた。資料を机に下ろし、コンピュータのスイッチを入れて、もう少し待ってもらって講師室に戻り、ノートパソコンを持ってきて、録音しながらインタビューを始めた。

途中から同僚の先生が来て、手伝ってくれた。準備クラスの水準だったけれども100に上がりたいとごねる学生がいたが、そのとき先生がその学生の相手を代わって説得してくれた。国際教育学部に来た香港の学生もインタビューを受けた。勉強好きの学生のようだった。

インタビューを受ける学生の予約が途切れた5時に、学校から出されたサンドイッチを食べた。インタビューは7時までだが、同僚の先生が、あとは自分がやるからもう帰ってもいいといってくれたので、自分の道具だけをたたんでラボ室(랩실)を出た。

地下駐車場へ行き、車に置いておいた本を持って、5時45分ごろ연세대학교の合同研究室へ出発した。研究室には6時5分ごろ着き、6時10分ごろから勉強を始めた。

勉強していると、研究室の간사=代表者)の学生が来て、今月の月例発表会で発表できるかという。とんでもない。そこまで準備できていない。3月はまだできませんというと、その人の話では、教授が言うには、予備審査の前に月例発表会で発表した方がいいということだという。3月は無理だけど、4月にはしますと言った。4月に発表するには、3月中に大体形ができていなければならないという。さあ、大変なことになった。

実際、参考文献の追跡は思ったほど簡単ではなかった。新しい主要な著書から先行研究へと資料を手繰っていきながら読んでいるのだが、先行研究のどこにそんなことが書いてあるのか分からないというものもあれば、ページ数なども平気で間違えている。特に、『특수조사신연구』という本はひどい。たぶん出版社の編集人がでたらめなのだろうと、良心的に解釈することにしよう。

今日読んだ論文のハイライトは金吉鎔(1975)で、この論文は蔡琬(1977)の脚注で批判されたあと、ほとんどの研究で無視されている。서정수(1996)という大著では、巻末の参考文献目録には出てはいるものの、本文では全然扱われていない。しかし、私にとってこの論文は重要なのだ。なぜなら、この論文でだけ접속조사(並立助詞)“나”の例示用法が主張されているからだ。金吉鎔(1975)では“나”の基本的な意味は選択でなく例示だと主張している点が、諸研究の不評を買っているのか。しかし、“나”の基本意味がどうであれ、例示の意味があることは否定できないようだ。しかし、なぜ韓国での研究では“나”に選択の意味しか認めないのだろうか。

それにしても、この助詞の文法範疇はさておき、意味記述に関しても、研究者によって全然違うことを言っているので、母語話者でない私はそれをどうやって扱ったらいいのか困ってしまう。基本的には、細かく分けている方を受け入れることにしたいと思うが、それに対して先生方はどう評価されるか、まったく見当も付かない。

9時35分まで勉強して、研究室を出た。

3月11日(木)

at 2004 03/12 00:39 編集

一日の用事を済ませてから合同研究室へ行った。言語教育院の駐車場から本の入ったアタッシュケース(他にかばんがないので、それ自体が重いアタッシュケースを使っている)と辞書を持って、いつものように研究室まで歩いていった。かばんが重い上に、重い辞書を小脇に抱えていると、非常に疲れる。体力がないので、途中で休み休み坂を上り、そして人文館まで行った。5時に研究室へ着いたときにはへとへとになってしまった。

今日はまず、昨日の論文の続きをよく読んだ。昨日読んだときは、なかなか切れ味よくまとめてあると思ったが、今日読むと、あまりにも言い切りすぎていてかえって怪しい感じがした。当時までの研究を覆すような論旨で、その後の研究に何も影響を与えなかった点を考えると、奇を衒っただけなのかもしれないという疑念もわいた。しかし、例文を一つ一つ日本語と照らし合わせて見ると、やはり“例示”の用法に見える例文がたくさんある。この点について指摘した論文として、やはり捨て置けない。

それから、この研究を批判している論文の箇所をよく読み返したが、見当違いな批判に見える。話し手と聞き手に選択権がないと他で説明されている例文を挙げて、どうやって選択権を与えているのか十分に説明していないようだと皮肉っているのは、いったいどういうわけだろう。こういう人が読み間違えるとは思えないから、何か裏があるに違いない。少なくとも、今の自分には理解不能だ。

まあ、読めば読むほど謎が増えるのは、論文を書くに当たってはいいことなのかもしれない。これで、みんなが同じことを言っていて、しかも内容が分かりきっていたら、そこから新しいことを発見するのは至難の業だからだ。

ここまでは自分の持っている本だけで読んできたが、明日はこれまで読んだ論文で扱われていた研究で、家にないものを図書館で探そうと思い、チェックした。そのとき、今日会う約束をしていた김완일氏から電話があり、9時に교보문고で会うことにした。8時ごろから서정수(1996)の巻末にある参考文献目録から関係のありそうなものをノートに書き写し始めた。この目録に上げられている研究は、大変な量だ。이기백(1972)までチェックした時点で8時半になったので、研究室を出た。

교보빌딩の駐車場で彼と会って、妻が彼に頼んでいたほんだしを受け取り、それから近くの多来城(734-4774, 738-8037)という中華料理屋へ入って、옛날짜장を食べた。3千5百ウォンで、けっこう量も多く、味もよかった。私たちが食べているとき、ちょうど女子従業員たちが横のテーブルで食事を始めたが、彼女らは中国語で喋っていた。中国語を聞きながら中華料理を食べると、もっと食欲がそそられる。

そのあと彼を장위동まで送ってから、家に帰った。

3月12日(金)

at 2004 03/13 00:58 編集

昼前に、ブルークラブへ髪を切りに行った。帰るとき、バスの中でラジオがかかっていたが、国会中継で、노무현大統領の弾劾案を可決する投票をしてその開票結果を発表するところだった。バスが家の前で停まったとき、ちょうど結果をいう直前だった。家に着いてからテレビを付けた。なんと、弾劾案が可決されてしまったという。政治には関心ないが、それでも不愉快なことだ。

1時ごろ家を出て言語教育院へ行った。簡単に用事を済ませたのち、荷物を持って研究室へ行った。国文科合同研究室のある建物は人文館だと思っていたが、これは昔の名前で、외솔관が今の正式な名前だ。외솔というのは“一本松”の意味で、최현배の雅号だ。

今日はまず、昨日やり残した参考文献のチェックをしたあとで、図書館へ行った。はじめ3階の閲覧室へ行ったら、言語学関係の棚がなかった。案内の司書に聞くと、2階に閲覧室があるという。そこへ行って見ると、書棚5面ぐらいが韓国語学だった。必ずしも多いとはいえないが、ずらりと並んだ本の背表紙を見ながら、うんざりとした気分になった。ここから探すのは大変だからだ。それでもじっと見ていると、だんだん並べ方が分かってきて、少しずつどんな本があるのか見えてきた。

そのあと、ノートを見ながら必要な論文をコンピュータで探した。初めはどうやって検索画面に入るのかも分からなくて、隣で検索している人に尋ねながら操作した。定期刊行物に収録されている論文のあるものは、“欠号”となっていたが、PDFファイルで見られるようになっていた。しかし、残念なことに、図書館のコンピュータでは印刷が出来ない。図書館のサイトで見られる論文にとりあえず“出力可能”と書き込んでおいた。

コピーをしようと思ってコピー機のところへいくと、コインを入れるところがない。代わりにコピーカードを使うようになっていた。司書に尋ねると、閲覧室の外にあるコピー室で売っているという。行って値段を聞くと、3千ウォンのと5千ウォンのがあるというので、5千ウォンのコピーカードを買った。そして、いくつかの資料をコピーした。ページ数の多い資料は、貸し出しを受けた。期限は4月10日までだという。図書館には4時から6時まで2時間だけいた。ウェソル館へ戻り、図書館で借りた本を、地下のコピー屋に預けた。コピー製本を頼むと、来週の火曜日までにできるそうだ。けっこう早い。昔は1週間かかったのに。

ほとんど특수조사として扱われている“나”も、調べているうちに、だんだんと접속조사のリストに入れている資料が増えてきた。この助詞は韓国の研究者にはあまり魅力がないらしく、研究の量がとても少ない。しかし、なんと家にあった김진수(1987)がかなり本格的な研究をしているのを発見し、それを少しだけ見てみた。これは博士論文なので、ざっと見るというわけにはいかない。明日の午後にでも、腰を据えて読んでみたい。

9時ごろ、研究室のコンピュータで図書館のサイトへ入り、先ほど図書館で見つけたPDFのファイルを印刷しようとしたら、ファイルのバージョンが合わないのか、表示されず、しかもコンピュータがほとんどフリーズしたのかと思うくらい動きが遅くなってしまった。それで、研究室で出力するのはあきらめた。

9時半に研究室を出て、言語教育院へ戻った。そして、地下駐車場から車を出して正面玄関の前に止めたあと、講師室へ行って、図書館のサイトへ入ってさっきのファイルを印刷しようとした。ところが、IDとパスワードを入力せよという表示が現れた。図書館の資料は学外では自由に使えないらしい。それで、IDとパスワードを入れたら、パスワードが間違っているという。何度入れてもだめだ。それで、その資料は結局今日は読めなかった。

10時半ごろ言語教育院を出て、スン礼拝(순예배)に出ている妻を迎えに、반포동へ行った。

3月13日(土)

at 2004 03/13 22:16 編集

朝6時半に教会で日本語礼拝部の男性聖書勉強会があった。今日は私を含めて3人が出席した。聖書箇所はヤコブの手紙4章1〜10節で、世を愛さず神を愛せという内容の箇所だった。北野伝道師先生が質問用紙を準備して警備室に預けてくれたのだが、警備室で他の場所に移してしまっていたために見つけられず、準備なしで司会をした。しかし、とてもすばらしい勉強会になった。

11時に韓国正教会へ行き、神父さんに会った。しばらく会わないうちに、韓国語がなめらかになっていた。この春から韓国外大のギリシャ語学科教授として、平日はヨンインのキャンパスに住み込みで授業をし、土日だけ教会に戻ってきて仕事をしている。外大の学生たちは熱心で、授業はとても楽しいが、教材がないのが困るといっていた。学生たちは辞書もないそうだ。

そのあと言語教育院へ行って地下駐車場に車を置き、合同研究室へ行った。今日は、접속조사を扱った김진수(1987)を読んだ。意外にも、引用がけっこういい加減だった。天下の塔出版社でもこんななのか。本文にあって巻末の目録にない文献が2件もあった。先行研究を、参考文献目録に頼って、芋蔓のように辿りながら勉強しているので、参考文献や引用がいい加減なのは本当に困るのだ。また、최현배(1937)と紹介していながら、その内容が최현배(1961)なのには本当に驚いた。しかも、何箇所も形が変わっている。編集者が勝手に“校閲”してしまったのか。意味の説明も、科学的に考察しているようでいながら、母語話者の感覚にけっこう頼っていて、そのために首を傾げたくなるような説明もあった。いや、これは私の読みまちがいかもしれないが、何度読んでも納得がいかない。

蔡琬(1993)を、やっと図書館のサイトからプリントアウトして、読んだ。この論文は、특수조사の目録を整理することを主眼としているが、“나”がトゥクスジョサ以外にも、접속조사もあることにはっきりと言及している。この論文で“나”を접속조사としているのは、김진수(1987)を受けているのだが、もしかしたら、この2つの論文が“나”を접속조사の目録に含めた最初の研究かもしれない。明日から、各研究に表れた접속조사の目録を調べてみよう。

午後5時半に研究室を出て言語教育院へ戻り、車を地下駐車場から地上に移した。そして、多味という칼국수の店へ行って食事をし、6時43分に研究室に戻った。それから2時間ほど勉強を続けたが、朝早かったので疲れてしまい、頭が働かなくなったので、研究室を出て家に帰った。

3月14日(日)

at 2004 03/16 00:30 編集

目が覚めたら12時を過ぎていた。いやあしまった。教会に行きそびれた。それで、起きてから仕事をした。2時ごろ仕事が終わってから、짜장면を茹でて食べた。そのあと2時半ごろ家を出、言語教育院へ行った。今日は日曜日なのに、地下駐車場が開いていた。セミナーか何かをやっていて、そのために駐車場をやっているらしい。何時までやっていますかと来たら、“섯시(6時)”と言っていた。その경상도のアクセントを口の中で真似しながら、연대の研究室へ向かった。

合同研究室に着いてから、昨日出力した蔡琬(1993)を読んだ。この論文は私にとってはとても重要な文献だ。一つ理解できないのは、先行研究の紹介で최현배(1946)から引用していることだ。これは有名な『우리말본』の改訂版で、初版は최현배(1937)だ。まあ、この初版本はオリジナルは手に入りにくいし、韓国歴代文法大系に収録されている影印本は、縮刷して片面に見開き2ページを入れているので、字が芥子粒のように小さくて、とても読みにくい。だから、蔡琬先生は内容のほとんど同じ改訂版の方を使ったのだろう。ちなみに現在書店で手に入る『우리말본』は최현배(1961)で、これは縦組みを横組みに直していて、表現を横組みに合わせて少し変えている。우리말본は古いものも、古本屋で見つけたら購入しておく必要があると思った。

蔡琬(1993)から抜書きするとき、최현배(1946)の引用文の抜書きは、論文にあるものではなく、최현배(1937)から直接引用した。昨日の論文よりも、今日のこの論文の方が、原文に忠実に引用していた。しかし、いくつか細かいところで写し間違いがあるのを見つけた。まあ、このくらいだったら驚かないが、昨日の論文の引用はすごかった。ああいうのを見ると、孫引きは絶対できないと思う。

今日は本当は、先行研究から접속조사の目録を対照する表を作ろうと思ったが、蔡琬(1993)を勉強するだけで終わった。5時半に研究室を出て、言語教育院の地下駐車場へ行った。駐車場に着くと、ちょうど内部の照明を消しているところで、私が車に着いたときには真っ暗になっていた。奥から“나가세요?(出るんですか)”という声がするので、“네(はい)”と答えると、“불을 켜 드릴게요.(電気をお点けします)”という。“캄캄해도 괜찮아요. 불을 켜지 마세요.(暗くてもかまいません。電気を点けないでください)”と言ったが、また電気を点けてくれた。

言語教育院を出て、家に帰った。今日は結婚記念日なので、家族で食事に行くことにしていた。どこへ行くかは決めていなかったが、妻が신동아쇼핑센터で買い物をしながら何年間もためてきた포인트카드を한화그룹の상품권に替えたものが、10万ウォン分あったので、프라자호텔の부페식당へ食事に行こうということになった。ホテルの부페で食事をするのはずいぶん久しぶりのことだ。

そこで食事をしていると、下の子がシェフと仲良くなったようで、いろいろ話しかけていた。妻が、「そのおじさんは日本語ができるから日本語で話しなさい」と言った。妻もシェフに話しかけていたのか。社交的な親子だ。

そのシェフは、日本料理の本を読むために、会話学校で日本語を勉強したという。もともと西洋料理の調理師の資格を持っているが、日本料理も勉強して作れるようになったそうだ。10分ぐらいいろいろな話をしたが、実に流暢に日本語を話した。「本当に日本語が上手ですね」と言うと、「いいえ、カタコトです」と謙遜したが、決してカタコトではない。

韓国の人たちは、自分の仕事や関心で外国語を習い、その外国語で本を読んだり会話をしたりする人が多い。けっこう多くの人が、外国語をものにしている。日本でもそうなのかもしれないが、私の周囲にそんな人はいなかった。私の両親と妹は、英語もできないし、親戚の中にも外国語ができる人はいなかった。ずいぶん昔、母の従兄だったか誰だったかが石屋で、仕事の関係上韓国語が少しできる人がいたのを知っているだけだ。そのような環境で育ってきたから、どんどん外国語をものにして使っていく人が多いのは、本当に驚異だ。数年前、タクシーの運転手で仕事で使うために日本語と中国語と英語を身に付けている人に会ったし、남대문市場では、揚げ物をしているおじさんが、拙い発音ではあったけれども、やはり日本語と中国語と英語ができた。先月天に召された日本語礼拝部のキム・サムエル(김사무엘)牧師先生も、日本語が堪能だっただけでなく、英語も中国語も堪能だという評判だった。外国語をやるからには、モノにしたいものだ。

そのシェフが他の外国語もできるかどうかは聞かなかったが、日本語に関しては、ただ会話をして覚えた日本語ではなく、日本語で本を読んでいる人の日本語だった。聞き取り能力もしっかりしていたし、いろいろな話題で話ができた。最低線の能力として、中級の中の口頭能力はあった。もっと話したら、もっと高い実力があったかもしれない。語彙力が安定していたから、もっと話し込んでもいけそうな感じがした。

帰る時、彼は私たちに、結婚記念日おめでとうと言って、大きな箱に入ったケーキをくれた。彼も結婚していて、来月最初の子供が生まれるという。妻が“순산하기를 기도합니다.(赤ちゃんが無事に産めるようお祈りします)”と言うと、にっこり顔をほころばせていた。

とても大きなケーキだったので、家に帰ってから、警備のおじさんと近所の人に分けた。上の子が、「まだうちも食べてないのに人にあげるの?」と不平を言った。妻が「人にはいいものをあげるの」と答えた。そして、「人にまずあげて、残りをうちで食べるのよ」と教えていた。

3月15日(月)

at 2004 03/16 00:27 編集

昨夜は、先生に指導教授になってもらうために、論文のテーマやその目的などを説明する2枚分の短いレポートを書いた。早く先生のところへ持っていって、独学とおさらばしなければ。孔子先生も、独学は危険だと言っておられる。

自分のやろうとしている内容が意味があることを説得するために、ああでもないこうでもないと文章をいじっているうちに、午前4時になってしまった。へとへとに疲れて寝床についた。

朝10時に起き、午前中は何だかんだで家を出られず、午後から家を出て言語教育院へ行き、車を置いて合同研究室へ行った。途中、ロシア人らしい若い女性から、かなり流暢な韓国語で“ヨンセ大学はどこですか”と聞かれた。この道を真っ直ぐ行けばいいんですよと答えたら、ペギャン館はどこですかという。そこは知らない。その女性は、私の前をすたすたと歩いていった。

研究室に着いてから、崔在喜(1990)を読んだ。この本は生成文法の方法論で接続関係を研究している本で、ちょっと難しかった。

5時ごろ研究室を出て、図書館へ行った。そこでログインできるようにパスワードを直してもらい、それから이희승(1949)を2千年に出た『一石李熙承全集』で見つけてコピーした。それはそれでよかったのだが、引用するときにどう書いたらいいのだろう。もとの本とはページ数も違ってしまっているだろうし、年数も(1949)とすべきか(2000)とすべきか。

図書館を出てから알뜰샘へ行き、文房具を買った。電源を3分割する差込と、スティックのり、はさみ、紙のファイルボックス、クリップファイル、ノートを買った。全部で8千ウォン近くかかった。すぐ脇の슬기샘へ行って、韓国語学の書籍を見たが、新しい研究書は出ていないようだった。

6時ごろ研究室に戻り、崔在喜(1990)を読み続けた。テーマからちょっと外れているのであまり重要ではないのだが、名詞と名詞が対等に接続されている構造がどのようになっているのかを一応知っておく必要があると思って読んだ。8時ごろ大体読み終わったが、疲れてしまって他の論文を読む気力がなかったので、『これから論文を書く若者のために』を読んだ。この本は、論文とは何かをとことん追求した本で、タイトルの付け方だけで1章を割いている。大変な本だ。そこまで読んで9時半になった。それで、研究室を出て、言語教育院へ戻った。

言語教育院へ戻ってから、地下駐車場から車を出して正面玄関の脇にとめ、講師室へ行った。そして、まず昨夜書いた論文の計画書のようなものをプリントアウトした。それから、今日論文で見つけた参考文献をヨンセ大学図書館のサイトで調べた。図書館にない資料がけっこう多い。また、サイトでは確かに存在するのだが、書庫では見つけられなかった本もある。そういうものを1時間ぐらい調べてから、講師室を出て家に帰った。

3月16日(火)

at 2004 03/17 17:19 編集

1時20分ごろ家を出て言語教育院へ行った。そして、毎週火曜日に225号室でやっている聖書勉強会に出た。最近気持ちが論文の方に行っていて、なかなか聖書箇所を前もって読んでくる精神的な余裕がない。今日も、まったく何も読まずに出席した。

今日の箇所は、ルカの福音書18章15〜17節で、イエス様が子供たちを受け入れる箇所だ。この箇所は、「子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに、はいることはできません(17節)」という名句のある場所だ。今日の勉強会は、ヨイド純福音教会の伝道師先生の司会で、“子どものように受け入れる”とはどういうことかをじっくり討論した。

すでに大人であり、何だかんだで知的活動に従事している私たちにとって、子どものように受け入れるというのは、難解なことだ。なぜなら、子どもは余計な知識がないのでそのまま受け入れることが多いが、大人は雑多な知識によって意識はかなり散漫になっているため、神の国を受け入れるというときも、あれこれ自分の知っている知識と比較したりして、納得できないと受け入れられないことが多いからだ。その知識が雑然としていればいるほど、御言葉を受け入れるのは難しくなるのではないかと思う。歴史学を専攻している兄弟の話によると、ある修道院では、知識が多すぎることはよくないとして、図書館を封印してしまったという。聖書すらも、読み込みすぎることは害になるという考えもあるらしい。

それらはすべて理由のある話だが、私はそれでも学び続けることは必要だと思う。なぜなら、真剣に学び、真剣に考えることによって、知識に体系を徐々に与えていき、雑多で不要な知識を切り捨てていくことができるからだ。知ったあとで切り捨てるのと、知らずにいるのとでは、大きな違いがある。だからむしろ、子どものように神の国を受け入れるために学び続けるのだといえる。

こう考えるのは、理由のないことではない。言語に対する観察力は、教育をあまり受けていない人と、言語学を専門とする人がよく似ているのだ。言い換えれば、言葉を客観的に観察しその本質を洞察できるのは、やたらな知識で意識が濁っていない人か、専門的な訓練を受けた人かどちらかということだ。もちろんこれは一概に言えることではないが、日本人よりも韓国人にその傾向が強い。特に、人文系の知識の多い人は、どうしようもなく言語をでたらめに見ている人が多い。余計な知識がかえって言語現象を素直に受け入れる能力を阻害しているのだ。聖書を読むときの私たちの知識も、そんなことが多い。私たちの受ける教育は、聖書の意味を理解できなくしてしまっている。言語現象を素直に受け入れるために、教育を受けなかった人になることはできない。むしろ、専門的に訓練を受けるべきだ。それと同じように、私たちはすでに子どもになることはできない。むしろ、子どものように素直に聖書の教えを受け入れるためには、聖書で何をいちばん重要視しているかを意識しながら読み、そしてその内容を黙想していくべきだ。

聖書勉強会のあとで、2時間くらいいろいろな話をした。6時ごろみんなが帰ったあと、講師室に戻り、それから연대の合同研究室へ行った。途中、독수리사というコピー屋で、ギリシャ語学習書の2つの課をコピーした。家で暇を見ては読めるようにするためだ。それから、長恨歌もコピーした。

研究室に着くと、鍵が開いていて、電気も点いていたが、誰もいなかった。誰かが最後に出るとき、中に人がいると勘違いしたようだ。危ないことだ。

今日は이희승(1949)の必要箇所を抜書きしたあと、洪思満(1988)を読んだ。読んでいるとき、通路を隔てて隣の机の人が入ってきた。その人と、私の論文のテーマについて話をした。私が計画書のようなものを見せると、興味を感じたらしい。접속조사“나”に選択の意味が表れない用例では、접속조사“와”とほとんど意味の違いが感じられないという。これは面白いことだ。この助詞の研究は、研究成果と実際の翻訳に現れるものと、韓国語を母語とする人の語感とが錯綜としているらしい。とんでもないところへ足を踏み込んでしまったのかもしれない。初めに立てた展望とは若干違う方向へ行きそうだと思った。

その人のお父さんは37年生まれの韓国語学者で、접속조사を研究しておられたという。悲しいことに、交通事故で他界されたそうだが、もし生きておられたら、私はその人に教えを請いに行こうとしたかもしれない。

論文を書くとき、機能と意味とをはっきり分けて、意味ではなく機能を中心に論じるようにした方がいいと言われた。それから、韓国語と日本語との対訳資料を集めることも必要だが、韓国語の말뭉치(=コーパス資料)を検討することも意味があることだという。말뭉치はヨンセ大学の国学研究院で申請すれば提供してもらえるが、국립국어연구원(国立国語研究院)のウェブサイトでも手に入るそうだ。

そのあと、洪思満(1988)を読み続けた。この本は、특수조사と副助詞を対照研究した研究書で、日本語で書かれている。ただし、あまり自然な日本語ではなく、初めは読みにくさを感じた。日本語で書かれているが、韓国語を読むよりも読みにくい。それは、その本で表記されている韓国語がすべてローマ字になっているという点と、その日本語訳にかなり問題があるという点が一番大きな理由だろう。しかし、この本はこの先生の他の著書や論文にはない事実が指摘されている。トゥクスジョサの研究だが、접속조사の“나”の用法についてかなり詳しく論じられていて、“나”と“と”とを対照させている部分があるのだ。まさに、今さっき隣の人と話した内容だった。

話をしていたとき、時折部屋の窓の方で、カサカサと音がした。ねずみでもいるのかと思い、隅の方を調べたが、それらしい形跡は見つからなかった。窓の外を時折通り過ぎる風が、音を立てているのだろう。それは本当に、ねずみでなければ誰かが部屋にいるような音だった。もしかしたら、今日研究室のドアが誰もいないのに鍵がかけられていなかったのも、この物音のせいだったのかもしれない。最後に出る人が、風の音を聞いて、誰かが部屋にいると勘違いして、鍵を開けたまま出て行ってしまったのではないだろうか。そよ風のいたずらは、けっこう危険だ。

いつものように9時半に研究室を出て、청송대(聴松臺)を通り過ぎて梨花女子大言語教育院の地下駐車場へ行き、車に乗って家に帰った。

家に着いてから、論文を一つ読み始めたが、うるさくて全然頭に入らない。イライラするだけで、何も得るところがないから、論文を読むのはやめにした。これだから私は何年もの間まったく勉強がはかどらなかったわけだし、研究室で勉強し始めてからたった10日ほどで嘘のように勉強が進んだのだ。家では論文を読むのはよして、すでに勉強したことを考えるだけにしよう。

今日は家のコンピュータがインターネットに接続できない。どうしたんだろう。

3月17日(水)

at 2004 03/18 01:58 編集

学生と約束していて、3時に講師室へ行った。その学生は言語教育院の日本語コースを修了したのだが、その後大学を卒業して日本の公的機関で日韓交流のために働くことになった。その一環として、日本人に韓国語を教えることになったのだが、そのクラスのレベルがまちまちだという話を聞いて心配しているという。私が以前そのようなクラスを受け持ったときにとった方法を教えてあげた。

そのあと、言語教育院の韓国語コースの単語帳を校正した。実はこれは今日が締め切りだったのだが、できたと思ったものを担当の先生のところへ持って行って話を聞くと、思ったよりも問題が大きいようだ。それで、その先生が韓国語の部分を見てくれるというので、あとで原稿を取りに来ることにした。

ところがそれをうっかり忘れてしまい、5時ごろ연대の합연실へ行った。言語教育院を出ると、風がとても冷たかった。数日間の春のような暖かいそよ風とは打って変わって、身を切るような寒さだった。

途中で自分が大事な用事を忘れていたことに気がついたが、ここで引き返すのももったいなかったので、一応研究室へ行って、そこで20分ぐらい勉強した。昨日読んだ洪思満(1988)の中から必要な部分を抜書きした。しかし、よく読んでみると、昨日重要な部分だと思ったのは、ちょっと問題にしていることとは違うものだった。私の理解力と記憶力は、そんなものなのだ。一つ一つを丁寧に記録していかなければ、すぐに見当違いなことをしてしまいそうだ。

6時ごろ研究室を出て、また寒いキャンパスの中を歩いて言語教育院へ戻った。講師室に着くと、机の上に単語帳のゲラ刷り原稿が置いてあった。それを校正して、9時にやっと終わった。

帰りに車を運転していたとき、昨日聖書勉強会が終わってから聞いた話を思い出した。ある姉妹の夫は、日本語がよくできるのだが、その勉強方法がすばらしい。反復をいとわないのだ。その姉妹の話では、家では『五体不満足』を最初から最後まで音読し、読み終わるとまた最初から音読し始めて、もう5回目になるという。それを聞いて、彼が日本語が上手なわけが分かったような気がした。

なぜそれを思い出したかというと、自分がなかなか上手にならないギリシャ語を、論文で忙しいこの時期に、どうやれば上達できるかと考えていたからだ。私が考えたのは、こうだ。それは、教材の課をまずよく読んで理解する。文法の解説もよく読む。そして理解できたあと、その本文を何度も繰り返して読む。すっかり覚えたと思っても繰り返す。1日に繰り返せる量は少ないから、それを1週間か10日ほど続ける。そして、口に馴染んだ表現などを、少し形を変えて、自分に関する内容で言ってみたりする。そういうことを考えた。

家に帰ると、上の子が、インターネットが直ったと言っていた。どうやったのかと聞くと、モデムのコードが接触不良らしく、一度抜いてまた差し込んだらつながったと言っていた。

3月18日(木)

at 2004 03/19 00:43 編集

午前中に同僚の先生から電話があった。新しく来た先生に今学期5クラス受け持ってもらったが、臨時で入っていることになるため、4クラスを超えると、税金の計算でその先生に不利益があるという。それで、私がその先生の分をもう一クラス受け持つことになった。そのあと、午後1時に約束があって出かけた。現在自分は論文のことで持ちきりだが、そのとき、今年度下半期のことも考えさせられた。それから他のところへ寄ってから、言語教育院へ行った。

言語教育院の春学期は昨日から始まったが、私の授業は今日からだ。講師室に着くと、中国語の先生の机に、知らない人が座っていた。新しい先生だった。挨拶をした。韓国人の先生だが、韓国語にカタコトの中国語を混ぜて話をした。同僚の日本語の先生たちは、中国語に関心がある。それで、カタコトでも中国語を使うのを楽しんでいる。それがいちばん顕著なのは私だ。その新しい中国語の先生は、こういう日本語教師の軽さに、ちょっと戸惑いを感じているようだった。

私が今日受け持っているのは、100と300だ。100のクラスは、名簿上は9人だが、今日来たのは7人だった。母親と娘が同じ教室に入っていた。このクラスは、最初はとても静かで、なかなか口を開かなかった。それで、「침묵은 금입니다.(沈黙はキンです)」と韓国語で言い、“금 (キン)”を黒板に「禁」と書いた。学生たちはにやりと笑った。静かなクラスだが、授業が終わるころには何とか打ち解けてきた。

次の300のクラスは、教室がダブルブッキングになっていて、英語のクラスが入ってしまっていた。授業が始まる前に、学生が講師室へ来て、教室に入れないと言って来た。それで、事務室へ行って他の教室を割り当ててもらい、そこで授業をすることにした。入れない教室の前へ行くと、学生たちが人山のように集まっていた。「みんな300の学生ですか」と聞くと、そうですという。学生たちといっしょに、新しい教室に入ると、少し薄暗かった。照明が天井に4箇所あって、1箇所に長さ1メートルの蛍光灯が2本ずつ差し込まれているのだが、奥の2箇所が蛍光灯が1本ずつしか点いていなかった。それが教室を寒々とした雰囲気にしていた。

名簿では8人だったのが、なんと13人も来ていた。教材を人数分より多少余裕を持ってコピーしておいたが、それでも足りなくて、また事務室へ行って不足分をコピーした。そのとき、事務の先生に、教室の蛍光灯が半分しか点いていなくて暗いので、明るくしてくださいと頼むと、その場で管理室へ電話してくれた。コピーが終わって教室に戻ると、もう担当の人が来ていて、蛍光灯を交換していた。蛍光灯の交換が済んで部屋が明るくなると、暖かい雰囲気になった。

今回の300のクラスには、外国から来た学生と、外国に住んでいた学生が何人かいる。こういうクラスは初めてなので、なかなか面白い。しかし、これは一方では自分にとって慣れない環境でもある。最後まで脱落者が出ないように細心の注意を払っていきたい。

その中で、ベルギーから来た学生がいた。この学生は早稲田大学の博士課程に通っているのだが、今は梨花女子大学で韓国語を学んでいる。韓国語を勉強すると同時に、日本語もブラッシュアップしようと考えているらしかった。しかし、この学生がユニークなのは、言語の4つの技能のうち、書くことは必要ないとしていることだった。書く学習を後回しにすると、外国語を勉強するときに、足に思いタイヤを結わえ付けて走るようなものだが、学生なりの理由があるだろうから、それは重んじるべきだと思う。

昨日最初に200のクラスに入ったとき、その学生は、自分にとってあまりに簡単なので、300で勉強したいと言った。そして今日300に来たわけだが、授業が終わってから、どうでしたかと聞くと、まわりの学生のレベルが高くて、自分のレベルではないと思ったと答えた。それで、講師室へ行ってもう少し話をした。その学生本人も200で勉強した方がいいと思ったという。それで、明日200の授業で私のクラスに来ることになった。

昨日話をしながら、たとえ200のレベルが低かったとしても、韓国人の学生は日本語が上達するスピードが速いから、300のクラスで付いて行くのは大変だろうにと心配していた。しかし、今日授業に入ってみて、納得したようだ。これで、一件落着ということか。

今日は研究室へ行く時間がなかった。それで、全然勉強ができなかった。明日は必ず行きたい。

3月19日(金)

at 2004 03/20 00:12 編集

ホームページにアップロードされていないファイルがあり、その問題を解決するために、FTPを使うことにした。FTPファイルをダウンロードして使ってみたが、最初はホストが開けず何度もやり直した。ダメなのかなあと思いながら、あれこれ設定をいじっていたら、ついにできるようになった。そして、ライコスクラブにアップロードしていた私の書き込みを一括してアップロードした。あっという間に全部アップロードできてしまった。これは便利だ。

それから言語教育院へ行った。外に出ると、昨日に引き続き風がとても寒い。3時半から4時50分まで、200の授業に入った。ベルギーから来た学生が来るかと思っていたが、来なかった。どうしたのだろう。このクラスは、名簿上は6人で、実際に来た学生は5人だった。学校側からしたら、採算の取れないクラスだ。しかし、私としては、人数が少ないと授業がしやすいのでうれしいことだ。

授業の後で、パンを食べていると、中国語の先生が、中国の料理の本を持ってきて見せてくれた。パンを食べながらそれを見ていると、だんだん悲しくなってきた。見るからにおいしそうな中国料理に食欲はそそられるが、実際に口に運んでいるのはただのパンだからだ。

そのあと、人と会う約束があったので、ヨンセ大学の正門前まで行き、そこから“梅花”という中国人の経営する中華料理屋へいっしょに行った。ここの主人は、日本の大学で美術を学び、中華料理屋を経営しながら誠信女子大で美術を教えている。その店で、その人は마파두부밥を食べ、私は잡채밥を食べた。これで、中華料理への渇望は癒えた。(笑)

その人としばらく話したあと、ヨンセ大学の合同研究室へ行った。今日から日本の資料を読もうと思い、寺村(1991)を読んだ。「や」は“例示”だとばかり思っていたら、“一部列挙”と出ていて、“例示”は「とか」だった。これは大変だ。ますます“나”との関係は複雑になる。

3月20日(土)

at 2004 03/21 00:19 編集

今日は朝の聖書勉強会が6時からあるので、5時半に起きて教会へ行った。日本語礼拝ですといって部屋の鍵をもらって、予約してある部屋へ行くと、まだ誰も来ていなかった。机を二つ並べて、しばらく一人で辞書を引きながら原語聖書を読んでいると、兄弟が一人来た。それで、いっしょに聖書を読んで、ディスカッションを始めた。

6時半になって、伝道師先生たちが入ってきた。北野先生が、質問用紙を作って持っていた。今日も特別早天祈祷会があって、6時半に終わったという。それで、また最初から聖書を読み始めた。2度読むと、かなり濃厚な味わいがある。

聖書勉強会が終わってから、会社に出勤する兄弟を駅まで送り、家に帰ってきてから、ギリシャ語の宿題をした。宿題は、私のことを書くのだが、生まれたときから一連の出来事を毎回書いていったら自叙伝になると思い、まずは出生と、幼稚園のことについて書いた。こんな内容だ。

「私は日本で生まれ、子どものときは外国語を一つも知らなかった。親も英語すら知らなかった。父は英語が少し分かったが、今思えば本当に少しで、発音もひどい。でも当時はすごいと思っていた。幼稚園は白鳩幼稚園というローマカトリック教会の幼稚園に通った。園長先生はバスク人だがフランス出身の神父さんで、風船のように太っていて、とても優しく、日本語もとても上手だった。」

11時にエオゲ(애오개)の韓国正教会へ行ってアリストテリス(Αριστοτέλης)神父さんからギリシャ語を習った。私の宿題を読みながら、笑っていた。“何年間 πεδιαγωγείο(=幼稚園)に通ったのかい”と言われて、“2年間です”と答えた(つもりだった)。これは聞きまちがいで、本当は“何歳のとき幼稚園に通ったのかい”と聞かれたのだ。私が“Δύο χρόνο.(“2年間です”のつもりだった)”と言うと、“Ήσουν πολύ έξυπνος!(すごく利口だったんだね)”と驚いた表情をした。その雰囲気で、自分が聞き間違っていたことに気がついた。(笑)

韓国外大の学生たちは、本当に熱心で、覚えるのも早いといってほめていた。私はギリシャ語の飲み込みがとても悪いので、ちょっと気前が悪かった。それで、「도전 많이 받았습니다.(とてもチャレンジを受けました)」と言ってお茶を濁した。今ギリシャ語の勉強を始めた外大の英才たちが、私のギリシャ語を追い越すのは、すぐだろう。

1時に教会を出て言語教育院へ行った。今日は土曜日で駐車場は早く閉まるだろうから、地下駐車場には止めずに、裏の駐車場に止めた。車を止めてエンジンを止めると、急に眠気に襲われて、車内で座席を倒してしばらく目を閉じた。1時間ぐらい眠った。それから車を出て、ヨンセ大学の合同研究室へ行った。

今日は昨日に引き続き、日本の研究書から助詞「や」に言及している部分を読んだ。思ったよりも、意味の記述をしているものが少ない。並立助詞の分類の仕方を中心に抜書きしたが、こういうのを実際にやってみると、学者ごとに考え方が違うということが分かるので、面白かった。

そのあと、国広哲弥の『意味論の方法』を読んだ。とても難しい。しばらく読んで、へとへとになってしまった。それだけでなく、意味の研究に関して、概念説と行動主義と用法説と意味関係説と弁別的特徴説という5つの考えがあることを知り、それぞれの立場が論争していることを知って、これはまた偉いところへ足を踏み入れてしまったものだと思った。なぜなら、私が論文を書こうと思っているのは、助詞の用法を比較しようと思っているのだが、そこには必ず意味が介入するので、意味について信頼できる記述が必要だと思っていたからだ。この最初の部分を読んだだけで、挫折してしまいそうな気分にさせられた。しかし、ここでめげてはいけない。この研究書は日本語だが、これは私の韓国語修行なのだ。(笑)

7時ごろ、疲れたので勉強をやめにして、家に帰った。

3月21日(日)

at 2004 03/21 23:47 編集

体がだるくて、起きたのはずいぶん遅かった。それでも何とか教会には間に合った。正面玄関の前を通ると、ドアのガラスに髪の立った男がこっちを見ながら歩いているのが映っていた。自分だ。トイレに行って、洗面台で髪を濡らしたが、髪は立ったままだった。

礼拝が始まる前に、頼まれていた『リビングライフ』4月号を14冊買った。それを隣の椅子に積んでおくと、その隣に座った人が、手に取って見始めた。“그 책은 제 거예요.(その本は私のです)”と言うと、返してくれたが、その下の本を取ってまた読み始めた。全部自分のだというのも気が引けて、黙っていた。しかし、その人はさすがトゥランノで編集をしていただけあって、本の扱いがとても丁寧だ。それで、その人のしたいようにさせていた。

しかし、しばらくして、教会職員の황혜경さんがやってきて、積んであるリビングライフを指差し、“그 책 이쪽으로 주세요.(その本こっちにちょうだい)”と言う。全部自分に渡せという意味らしい。ここで私は、今まで誤解されていたことに気づいた。積んで置いておいたので、みんなに売るものだと思われていたのだ。それで、“이건 다 제가 돈 주고 산 거예요.(これは全部僕が買ったものです)”と答えると、びっくりした表情だった。

礼拝が終わってから、すぐに家に帰った。ラーメンを茹でて食べ、それから、家にある本で、論文の参考資料になりそうなものを探していた。さすがに韓国語の資料に比べると、日本語の資料は貧弱だ。いちばん決定的な資料が少ないのだ。しかし、それでも少しずつ、役に立ちそうな資料が見つかってくるのは不思議だ。まあ、もともと文法に関心があって本を集めていたのだし、今回の論文のテーマも文法だから、当たりがいいのは当然かもしれない。

家を出る少し前に、教会から妻が帰ってきた。「お客さん」と言って、いっしょに来た人を紹介した。しばらく話していると、教育放送の日本語講座に出ていませんでしたかと聞かれた。そうですと言うと、自分は日本語教育に関心があって、韓国に来るたびに教育放送の日本語講座を録音していたのだが、その放送で聞き馴染んだ声だというのだった。私がその声の主だと知って、その人はとても驚いていた。

それから言語教育院へ行き、地上の駐車場に車を置いて、合同研究室へ行った。今日は昨日に続いて国広哲弥の『意味論の方法』を読んだ。意味論というのは本当に頭が痛い分野だ。意味の研究の章で、母語でない言語の意味を発見して記述する方法がまだ確立されていないと書かれていた。これは問題だ。この本は22年前に出たものだが、今でも実情は同じなのだろうか。韓国語という外国語を研究しようという立場にとって、それは勇気をそぐ話だ。

9時半までその本を読んだ。この著者の立場は“意義素”による意味記述をするものだが、それと対立的な立場として批判されている“用法説”に魅力を感じた。これは、私の意味観が何らかの形で用法説の影響を受けているからだろう。国広哲弥は用法説を批判しているが、むしろ用法説の方に望みがあるのではないかという気がする。現在の言語学ではどうなっているのだろう。意味論に深入りしてはいけないと思いながらも、とても気になる。

私は、母語話者の内省を見せずに用法から客観的に意味を割り出したいと考えている。しかし、私が読んでいる本によれば、その方法論はないとのことだ。ああどうしよう。本当にこれからが心配だ。

9時半に研究室を出て、家に帰った。帰りに運転しながら、『現代ギリシア語の入門』20課の本文を暗唱した。火曜日にこの本文をコピーして持ち歩き始め、暇があって気力もあるときに朗読していたが、昨日あたりから全体を暗唱できるようになり始めた。今日まで出全部で何回音読したか分からないが、暗唱した回数も含めて、それほど多くはないのではないかと思う。しかし、一気に50回朗読するより、1日10回5日間朗読した方が、記憶への定着率は高いだろう。意味がよく分からなかったところも、だんだん理解できるようになってくるし、最初は口も動かなかった部分が、何日も繰り返しているうちに、すらすらと言えるようになる。テキストをすらすらと音読できることは、学習の大前提だから、この方法はとてもいいと思う。

それからもう一つ、文法習得に関する不思議な経験をした。言い間違えは、その人の頭の中がどうなっているのかを見せるものだが、暗唱しながら言い間違えたのが、同じ2人称を、本文では複数形なのを、単数形で言ったことだ。このまちがいは、待遇法のまちがいで、相手が何人いるかを間違えたことにならない。なぜなら、テキストでは相手は1人だからだ。これは、自分の中に人称意識が芽生え始めた兆候と思われる。そのまちがいのおかげで、気分がよくなった。

3月22日(月)

at 2004 03/24 23:16 編集

魚介類の正確な訳を得る方法に気が付いた。韓国語と日本語とを対照させたとき、名前と実物が合わないものがときどきある。その代表が“모시조개”だ。これを探すときに、貝の名前の後ろにひとマス空けて“학명(=学名)”と打ち込むと、思ったとおり、ラテン語で書かれたその貝の学名が出てきた。

韓国語の検索サイトで모시조개の学名を探し、見つけた学名をコピーして、日本の検索サイトに貼り付けて検索する。そうすると、今度はその学名に対する和名が一緒に出てくる。そうやって、“모시조개”は日本語で「オキシジミ」ということを突き止めた。英語が大手を振るって歩いている現代に、ラテン語が共通語という学名の世界は、本当に不思議だ。その語彙の豊かさも、森羅万象を固有語によって語りつくしてしまうというすごさ。英語より文法が難しいけれども、いっそ世界の共通語をラテン語にした方がいいのではないか、なんて思ったりした。

英語もろくにできない人間が共通語をラテン語になどと言うのは、自分の首を絞めるような態度かもしれない。昨日、国広哲弥の『意味論の方法』に引用されている英語の論文の断片を、訳を見て辞書を引きながら読んだが、それでも難しかった。しばらくそれをやったあと、本当に頭が疲れた。実に私はラテン語どころではなく、そのとき真剣に、英語力の不足を実感したのだった。そして、今後どうやって英語の読解力を伸ばそうかと真剣に考えた。

午後、家を出て研究室へ行った。今日は研究室でノートパソコンを初めて使った。古いノートパソコンなので、動かないかと思ったが、首尾よく動いた。今日は、研究計画書のようなものを打ち直した。

5時ごろ研究室を出て中央図書館へ行き、先週借りた本を返した。それからふとギリシャ語の棚が見てみたくなって、そこへ行くと、古典ギリシャ語の教材が並んでいる中に、1冊だけ現代ギリシャ語の教材があった。“Practical Modern Greek”という。著者は S. D. Stouriotis。発行所は The “Margarita” Press という Αθήνα に所在する出版社らしい。出版年は1971年。Δημοτική だが、πολυτονικό σύστιμα で書かれている。日本語で言えば、旧仮名遣いだ。本はばらばらになりかけているが、ページの抜け落ちはなさそうだ。コピーしようと思って、貸し出しを受けた。

図書館を出てから反対側の学生会館へ行き、알뜰샘でA4のコピー用紙を買い、それから슬기샘へ行って、このあいだ目をつけておいた『日本語を学ぶ人の辞典』の韓国版を買った。2万ウォンだった。日本版は定価が4千円だから、半額以下の値段だ。韓国版の書名は“日本語学習辞典”。この韓国版は、日本版では中国語訳が付いている部分を韓国語に直している。学生たちにぜひ紹介したい。

研究室に戻ってから、参考文献のリストを付け足して、研究室のプリンタで打ち出した。そのあと、洪允杓(1990)を読んだ。この先生がどんな人なのか、会う前に何かを読んでおいた方がいいと思ったからだ。でも、とても難しくて、なかなか頭に入らなかった。韓国における格助詞研究の近年の動向を解説したものだが、基礎知識の乏しい自分には、骨の折れる内容だった。10時ごろやっと読み終わり、研究室を出た。教授の研究室が並んでいる廊下を歩きながら 、홍윤표先生の部屋はどこにあるのだろうと探したが、見つからなかった。

3月23日(火))

at 2004 03/24 23:18 編集

聖書勉強会があるので、言語教育院へ行った。最近はこの聖書勉強会が時間的に負担で、その時間を研究室で過ごしたいと思っていた。今日はみんなにそのことを言おうかと考えていた。しかし、今日のルカ18章18〜23節の御言葉を読んで討論の司会をしながら、やっぱりこれは自分にとって重要なことだから、おろそかにしてはいけないと思った。論文のために、教会のほとんどの集まりに出ないで、日曜日の礼拝と土曜の早朝にある聖書勉強会とだけに参加している。これが自分のぎりぎりの義務だからだ。梨花女子大での聖書勉強会は教会と関係なく、神と自分との一対一の約束だ。

聖書勉強が終わってから、今日が最後で今週中に日本へ帰る兄弟のお別れ会をささやかに行った。今日はまた、交換留学生として今週日本へ発つ姉妹も、実に久しぶりにやってきた。それで、二人のお別れ会になった。その兄弟から、かばんにかけて使うS字フックをもらった。

聖書勉強会が終わってから、연대の研究室へ行った。途中、독수리사へ寄って、きのう借りた“Practical Modern Greek”をコピーに出した。できるのは明後日だという。

研究室に着いてから、並立助詞「や」について書かれている日本の資料を読んで抜書きした。驚いたことに、学校文法の教材で、並立助詞の存在を認めないものがあった。そこでは格助詞に分類されていた。学校文法では並立助詞を認めないのだろうか。しかし、同じ人が編集主幹になっている同じ出版社で出した、国立国語研究所の『現代語の助詞・助動詞』では「や」をその職能によっていくつかの助詞に分けている。。

家に帰ってから、『月刊言語』のバックナンバーをダンボールから出して、神学書籍が入っている棚に移した。神学書籍はその本棚の下の方に平積みでぎっしり詰め込んだ。そして、ダンボールの後ろの本棚にあった学習百科事典を、“英語”の巻だけ残して処分した。

教会の日本語礼拝に通う少し年配の姉妹から、仕事上の電話があった。私はその人が誰だか覚えていないが、その人は私のことをよく知っていて、挨拶をしたこともあるし、韓国日語教育学会で発表したときに私が前の方の席に座っているのを見たこともあるという。あとで妻に、今の人誰だっけと言うと、「教会で挨拶したじゃない」と言われた。

3月24日(水)

at 2004 03/25 00:29 編集

起きてから、学校文法の教科書を見ると、これもやはり並立助詞は認めていなかった。「や」は格助詞に分類されていた。なるほど、やっぱり違うんだ。学校文法は、橋本文法を基にしていると聞いていたが、こうやって目の当たりにすると、橋本文法と似ているが違うものだということが思い知らされる。

学校文法は形態論に傾いていてシンタックスが弱く、ラジオやテレビのあまり普及していなかったころに、標準語が使えない地方の子どもに標準語を教える手段としては有用だったかもしれないが、今はあまり使い道がない。文法を知ることは、正しく思考するのを助けると誰かが言っていたたが、これは学校文法には当てはまらない。以前は、母語の文法の学習は、思考の訓練には役に立たないと思っていた。文法が役に立つことを知ったのは、統語論などを学んでからだ。学校文法は、いくら穴が開くほど睨んでいても、私たちの思考を整理してくれない。韓国人以外の外国人が学校文法で日本語を習ったら、ずいぶん苦労するだろう。そんなことを思った。

きのう日記を書かなかったら、今日はその内容をだいぶ忘れていた。それに、朝は勉強する時間に決めていたのに、日記のためにそれができなかった。それで、今日は帰ったらきちんと日記を書こうと決めた。

午後の授業が終わってから、研究室へ行った。すでにギリシャ語入門19課の本文はすっかり暗唱できるようになっていたので、研究室まで行く間、小さな声で本文を繰り返して暗唱した。たまに人が通り過ぎると、口を閉じて、心の中で暗唱した。

韓国語学堂の前の坂道を登っているとき、反対側から外国語学堂のH先生が歩いてきた。この人は、92年に연세대학교の語学堂に雇われたとき日本語科長だった人で、いわば私を雇ってくれた恩人だ。見ると、前よりずっと若く見える。「あれ、ずいぶん若返っちゃいましたね!」と言うと、にっこり笑いながらそれには答えず、「どこ行くの」と言う。「大学の研究室です。論文書くんで通ってるんです」と答えると、「まだ在籍してんの」と、あきれた顔をしていた。

研究室に着いてから、今日予定していた先行研究をまとめる作業ではなくて、Martin(1988)を読んで抜書きすることにした。この本は日本語文法の総合参考書で、小さな字でぎっしり書かれており、日本語もローマ字で書かれていて読みにくい。しかし、索引が充実していて、必要な箇所を探すのは、韓国の本に比べるとずっと容易だった。英語の辞書を机にでんと置いてその本を読んだが、自分の英語力だと、隅々まで明確な理解を得るわけにはいかず、重要語以外はぼんやりとした理解になってしまう。勉強する人間は英語の読解力が必要だということを、つくづく実感した。。

しかし、読みながらこの本はずいぶん充実した研究書だと思った。韓国語では서정수(1996)がこれに匹敵するかもしれない。こっちは韓国語で書かれているので読みやすいのがうれしい。Martin(1988)を読みながら、そういえばこの人は、韓国語についても同じような文法の総合参考書を書いていたということを思い出した。キョボ文庫に置いてあるのを見たことがある。ぜひあれを買って必要な部分を読んでみなければと思った。

途中で疲れて一休みしたとき、研究室に置いてある徐尚揆(1994)「パソコンによる『老乞大』の諸諺解本の副詞の用例データベース構築に関する研究」という論文を手に取ってめくってみた。何と立派な日本語なのだろう。実に自然で明晰で、学者らしい堂々とした文体だ。この間読んだ洪思満(1988)は日本語で書かれた研究書だが、その日本語はかなり問題が多かった。韓国語をよく知らない読者が読んだら、用例の訳を見て混乱するのではないだろうか。서상규先生の日本語は、それとは比較にならないほどしっかりしている。

10時半に抜書きが終わって、研究室を出た。帰りに教授の研究室が並ぶ廊下の方を通った。所々、まだ電気がついている部屋がある。すごい。こんなに遅くまで勉強している先生たちもいるんだ。それに比べると、自分は何と怠け者なのだろう。。

3月25日(木)

at 2004 03/27 01:14 編集

午前中はギリシャ語の勉強と英語の勉強をした。英語を音読するのは今までどうもあまり面白いと思わなかった。何か人工的な感じがして嫌だったからだ。しかし、他の外国語を音読するときには楽しい。どうしてか。そのわけを考えると、他の外国語は始めた当初から単語一つ一つの発音に気を使っているのに、英語はいい加減な発音で読んでいたからだということに思い当たった。

それで、何日か前から、発音記号でどう表されるか定かでない単語は、いちいち辞書で確認し始めた。英語の発音は、イギリス式とアメリカ式が中心になるが、国際英語の原型はイギリス英語だという点を考えて、イギリス英語の発音で読むことにした。幸いなことに、一般的な英語辞典はイギリス英語だ。日本や韓国で最近出ている英語辞書はアメリカ英語が中心のようだし、机の前にあるウェブスターの辞書もアメリカ英語の発音だが、オックスフォード、コリンズ、ロングマンという、辞書の大御所は、みなイギリス英語を標準としている。

それで、イギリス英語として読むことにした。そうやって発音一つ一つを気にかけながら読むと、急に英語も音読するのが楽しくなってきた。今まで面白いと思わなかった英文が、美しく感じられてきた。

今まで私の英語の発音は、英国式でも米国式でもなかったし、ジャパニーズ・イングリッシュでもない、アームロケナ・イングリッシュだったが、今回あらためて、ブリティッシュ・イングリッシュとして出発したわけだ。(ちなみに韓国では、米国式英語こそ英語だとして、英国式英語は低く見られている。だから私がイギリス式に発音したら、物言う人が必ず出てくるだろう。)

国弘正雄が、音読は続けていると、あるときから楽しくなってくると言っていた。そういえば、鈴木孝夫が『教養としての言語学』で、人間が言語を獲得したのは、声を出すことを楽しむ動物だったからだと書いている。声を出すのが好きな動物だったから、歌を生み出し、言葉を話すようになったというわけだ。音読を続けていると、あるときから楽しくなるというのも、そういう人間の本能に根ざしたものだからに違いない。

ところで、発音記号を確認しながら読むのも、発音の問題をすべて解決するわけではない。私が聞いたイギリス人の朗読によるCDでは、“before”を“ブフォー”と発音していたが、辞書で発音記号を見ると、“ビフォー”になっている。“r”の音も、語頭や他の子音の後ろでは巻き舌になっているようだが、母音の間に挟まれた“r”は巻き舌になったり弾音(日本語の語中のラ行は弾音だ)になったりする。そしてどうやら弾音の方が品格があるようだ。イギリスの標準英語がどのように決められているのか知らないが、とりあえずは観察した結果と辞書に頼っていこう。

午後はずっと仕事で、授業が終わってから、学生たちが提出した宿題のチェックをし、11時近くに言語教育院を出て家に帰った。

3月26日(金)

at 2004 03/27 22:50 編集

午前中はギリシャ語の勉強をした。21課の会話文を読んで解釈し、そのあと録音教材を分割して何度も聞きながら真似をした。

今日は研究室に直接行こうと思っていたが、用があって명지전문대학というところへ行ってきた。そのあとで言語教育院へ行き、講師室に少しいたあと、연대へ行った。의당館のカフェテリアで弁当を食べた。

今日は先行研究をまとめ始めた。やってみると、けっこう難しい。他の研究書で読んだ、先行研究をまとめたものを、真似しながら書いてみた。。

書きながら、今日書評のウェブページで読んだ、“書くことで考える”という考え方を、改めて思い知らされた。それによると、「この本で哲学者の信原氏が主張するように、考えるというのは、結局のところ、文章に書くこと」で、それは「考えるということも言葉を使うという一連の記号操作全体でなされることなのであって、声帯を使って声に出したり、紙に書いたり(ディスプレイ上に表示したり)することも考えることの重要な一部分」だという。

はっきり言って、頭の中でだけ考えていても、ワーキングメモリーには限界があるから、自分の知識の不足やほころびを発見するのは難しい。書けば、言い足りなくて付け足したいけれども知識がなくて書けない部分が見えてくる。つまり、調べなければならないところが分かってくるわけだ。だから、資料を集めて抜書きを作ったり、それについて思いをめぐらしたりするだけでは、研究にならない。書かなければならないのだ。その書評では、本の著者は「声に出したり紙に書いたりする脳の外での行為こそが思考の本質である」と主張し、「脳が考えるのではない、指とワープロが考えるのだ」とまで言っている。ずいぶん思い切った見解だが、ものを書いたり研究したりしている人は、それを読んで笑えないだろう。

ただし、頭だけで考える重要なこともあるという。著者は言っているそうだ。「脳が行う本質的な行為は、『ぱっと思いつく』ことや、連想するようなことだけなのである」と。たしかに、これはいちいち書いていたらまどろっこしくて仕方ない。野口悠紀雄は、そういう思考を否定している。資料に語らせるのが原則のKJ法について、そのやり方では天動説は発見できなかっただろうと皮肉っていた。KJ法を生んだ文化人類学の方法論と、野口悠紀雄の勉強した物理学と経済学の方法論とは、根本的な違いがあるのだろう。

そんなことを考えたりしながら、助詞「ナ」の先行研究をまとめ始めた(いや、まとめているときに他のことなど考えられるはずがない、これは今日記を書きながら考えたのだ)。大雑把に書けば今日中に全体が見渡せるだろうと高をくくっていたら、70年代までしかできなかった。きちんとまとめたら、先行研究の紹介だけで、けっこう大変なことになりそうだ。

帰りに홍윤표先生の研究室をよく探した。しかし見つからなかった。もしかしたら、연제대학교には홍교수님の部屋はないのかもしれない。洪允杓(1990)を見たとき、건국대학교と書いてあった。そこまで行かなければいけないのだろうか。

3月27日(土)

at 2004 03/28 00:04 編集

きのうは明け方近くまで남기심(2001)『현대국어 통사론』を音読していて、朝起きられず、早朝の聖書勉強会に参加できなかった。ちょっと計画性がなさ過ぎる。

朝9時過ぎに電話が鳴った。きっと神父さんだと思った。きのう私に電話をかけて来られたそうだが、家に着いてから電話をしたら、出なかった。それで、留守番電話にメッセージを残しておいたのだ。出ようと起き上がると、下の子が「僕が出る!」と叫んで飛んでいった。電話に出て話す表情が戸惑っているようだったので、神父さんだと思った。神父さんが韓国語で話しているのだ。しかししばらくして、下の子は“없어요.”と言って、受話器を下ろしてしまった。

誰から来たのと聞くと、知らないおじいさんからで、“아버지 있어요?”と言ったから、いないと答えて切ったという。下の子は“お父さん”の意味は“아빠”しか知らなかったのだ。

急いで電話をかけようと手帳を探しに行くと、今度は携帯電話が鳴った。出ると、神父さんだった。今日は学生たちと授業があるから11時半に来てくださいという。韓国外大の学生たちだと思った。それじゃ、その優秀な学生たちに会えるんだなあと期待した。電話を切ってから、宿題の自叙伝第2話を書いた。妹が生まれたときの話を書いた。

教会に着くと、会議室の扉の向こうでは、神父さんが講義して学生たちが質問している声が聞こえる。まだ“授業”は終わっていないらしい。それでもいちおう、扉を小さな音でノックした。1分ぐらいして扉が開き、神父さんが入りなさいという。見ると、20人くらいの若かったり中年ぐらいだったりする人たちが、大きなテーブルを囲って座っていた。外大の学生にしては、年齢にずいぶん開きがある。イコンについての質疑応答だった。

いちばん後ろに座っていた、少し歳のいった男の人が、手を上げた。そして韓国語と英語をごちゃ混ぜにしながら質問を始めた。「今は21世紀ですよね。But the picture,man and woman、だからその、now ニジューイッセーキ all right? そのイコンの man and woman……different、だから different,all right?」こんな調子で、何が言いたいのかさっぱり分からない。神父さんの通訳をしていたヨハン(요한)さんが、「한국말로 하세요. (韓国語で言ってください)」と言ったが、それでも同じ調子で話し続けた。実に見事といえるほど、何が言いたいのかさっぱり分からない。一緒に来ていた学生たちも苦笑いをしながら顔を見合わせていた。その様子を部屋の隅から眺めながら、あの男性は本当に外大生なのだろうかと疑った。

授業が終わって学生たちが出て行ってから、神父さんに「今の学生たちは韓国外大の神父さんの教え子ですか」と聞くと、そうではなくて、ある地方の神学校から教授に引率されて来た学生たちだそうだ。外大生でないのだから、英語があのように滅茶苦茶でもまあ理解はできる。しかし、神学生ということは、あの人もいずれ牧師先生になるのではないか。あのしゃべり方で説教されたら、信徒たちは大変だ。

ギリシャ語の勉強が終わってから、言語教育院へ行き、裏の駐車場に車を止めて、合同研究室へ行った。ギリシャ語のテキストを片手に持ってぼそぼそと小さい声で音読しながら語学堂前の坂道を登っていると、前の方から日本語で「先生!」と呼ぶ声が聞こえる。目を上げると、言語教育院の学生が、友達とみられる女子学生2人と一緒に歩いてきた。「ヨンデに何しに行って来たんですか」と聞くと、散歩に行って来たのだという。その脇で2人の学生が、その学生を尊敬のまなざしで見ている。それで、「彼女たちも日本語は話せますか」と聞くと、「いいえ」という。その学生とさらに二言三言話して別れたあと、一緒にいた学生たちが“나 조금 알아들었다!(あたし、ちょっと聞き取れた!)”と言って興奮しながら大きな声で話しているのが、後ろの方から聞こえてきた。

今日は研究室に着いてからすぐに、きのうの続きで先行研究をまとめ始めた。やっぱりみようみまねでやっているせいか、うまくできない。だいたい、こういう部分でも、自分が何を言いたいのかがベースに流れているべきだと思うが、それぞれ別々の脈絡で研究されているものを一つの流れに作り上げるのは難しいことだ。しかし、こうやってまとめてみると、たしかに流れがあり、この30年の間に発展してきたことが感じられる。

今日は、90年の初めまでをまとめた。そのあと、허웅(1995)を読んでいなかったことに気づき、コンピュータを閉じてから、抜書きを始めた。これを見ると、“이음토씨(=접속조사)”の下位範疇である“맞섬토(= 対立助詞)”には、“아우름(=列挙)”と“가림(=選択)”がある。そこに“나”も含まれていて、面白いことに、その豊富な用例を“아우름”と“가림”に分けていたのだ。“A나 B나”という形ならば間違いなく“아우름”だが、多くの論文で“選択”だと言われている“A나 B”にも“아우름”の用例がけっこうたくさん紹介されていた。この本、出たばかりのころ買って、1400ページくらいまで読み、あと100ページを残して読みさしたまま9年も過ぎた。今日必要な部分だけを読みながら、今度はぜひ読破したいものだと思った。

9時半ごろ研究室を出た。電波の受信状態が悪いところでは、携帯電話の電力消費が激しいが、今日はそれで電源が切れてしまった。家に電話をかけようと思ったが、できなかった。

3月28日(日)

at 2004 03/28 22:47 編集

日曜日は教会に行こう! ということで、今日も日本語礼拝に出席した。今日は最初に日本で作られた新しいゴスペルを歌った。これはとてもよかった。これだったら本当に“日本語”礼拝といえる。本堂で行われている韓国語の礼拝は、本当にすばらしいのだが、それを日本語礼拝で真似ると、急いで翻訳するものだから、粗雑な言語を発散して礼拝が固くなる。日本で作られたいい曲を見つけてきて使用すると、礼拝が本当に生き生きしてくるのを感じる。

今日の이기훈牧師先生の説教は、ピリピ人への手紙3章1〜3節だった。印象的なのは、ロシアへ短期宣教に行ったとき、警察官を定年引退した執事は、ロシアは治安がいいと言い、会社を経営している兄弟は、宅配サービスをやったら儲かると言い、青年はロシア女性は美しいと言って、それぞれ視点の違いがはっきり分かれておかしかったと言っていた。イー先生はというと、辺りを見回しながら、教会がどれくらいあるかがいつも気になっていたという。

つまり、キリスト者はキリスト者としての視点でものごとを見るべきだという話だったのだが、言葉を扱っている人間として、すべては言葉の問題に見える自分のことを省みて、おかしいと思った。しかし、これは重要なことだと思う。なぜなら、“初めに言葉があった”からだ。そして聖書は至る所で言葉の問題に触れている。そして何よりも、聖書自体が“言葉”で書かれている。だから、言葉に気を使うのはとても大切なことなのだ。

礼拝が終わったあと、私よりあとから大学院に入ってきて私より先に卒業した姉妹に、홍교수님の部屋はうちの大学にないんですかと聞いた。すると、3階にあると教えてくれた。手前の階段を上がって右側を見るとすぐにあると言っていた。よかった。これで건국대학교まで行かずに済む。

家に帰ってきてから、日本のラーメンを茹でて食べた。何か野菜はないかと思って冷蔵庫の中を覗くと、ほうれん草の和え物がタッパーに入っていたので、それを全部入れてしまい、ポパイラーメンを決め込んだ。

午後遅く研究室へ行って、昨日の作業の続きをした。先行研究をまとめるのは、ちゃんと人から教わってやれば簡単なのだろうが、一人でまとめていると、心もとない気分になる。自分の論文テーマに合わせて、それなりの基準を考えながらまとめた。まず、접속조사の目録があるものは、それを載せる。目録はなくても挙げてある例から目録が作れるものは、そこから目録を作る。目録に“나”があるかどうかは重要だ。そうそう、助詞“나”に言及されているものは、必ず触れる。そして、“나”の意味をどう捉えているかを書くことはとても大事だ。

そうやって、残りの部分を実に大雑把に書いて、研究室に備え付けてあるコンピュータでプリントアウトした。7枚。自分の紙を使うのだが、出力代は1枚30ウォン払う。そのあと、参考文献の中で、延世大学校中央図書館のサイトにPDFファイルで所蔵されている論文を1編プリントアウトした。学内のコンピュータでは、IDとパスワードを入れなくても、ファイルが呼び出せる。こちらは24枚。全部で930ウォンになった。初め暗算で計算してその数字が出たので、そんなに高いはずがないと思って、プログラムのアクセサリから電卓を開いて計算してみたが、やっぱり930ウォンだった。

研究室を出てから3階に上がり、홍윤표先生の部屋が本当にあるかどうかを確かめた。確かにあった。「재실(=在室)」の表示が出ていたが、部屋の中は真っ暗だ。所在を示す札を全然動かさずにいつも“在室”にしている先生が多いから、この先生もそうなのだろう。

帰りに교보문고へ寄った。そして金敏洙(1971)『国語文法論』(一潮閣)と李周行(1992)『現代国語文法論<改訂版>』(大韓教科書株式会社)を買った。金敏洙の本は、印刷が1988年になっている。そして中身は漢字を多用している。90年代から漢字使用は急速に減ったが、70〜80年代はまだ漢字がたくさん用いられていて、しかも正確に使われている。

帰り道、남대문の脇を通り過ぎた直後、右の方から乗用車が対角線上に横断してきて、60キロで走る私の直前を通過した。普段はそんなところから車が出て来るはずがないし、その直前まで車線が複雑に変化して一息つく瞬間だから、その車が目の前に来るまで認知できなかった。その車はそのまま安全地帯に入り、それから左折して行った。車線通りに走ったら遠回りになるからといって、ちょんぼをしたらしい。韓国には「3分早く行こうとして30年早く逝く」という交通標語があるが、自分ひとりで逝くのならともかく、見ず知らずの他人を巻き添えにしてはいけない。

3月29日(月)

at 2004 03/30 03:40 編集

午前中は、単語帳の校正をしたあと、英語の勉強をした。初めに朗読された物語のCDを2度聞いたあと、英文読解の教材を音読した。

発音の学習と聞き取りに使っている音声教材は、“Oxford Bookworms Library”のいちばん易しい段階のテキストだ。これは侮れない面白さがある。そして、イギリス英語の発音なので、それをよく観察して真似し、音読の学習に適用できる。

音読に使っている英文のテキストは、旺文社の『英文標準問題精講』(原仙作著)だ。普通英語が上手になりたい人が使う教材とは違う、変則的な教材選択だが、これにはわけがある。それは、学習する教材を選ぶに当たって、次の基準を設けたからだ。まず、語彙力が増強でき、いろいろな構造の文を身に付けられる教材で、さらに、辞書を引きまくったり大意を得るのに挫折したりしないよう、少なくとも難しい単語に訳が付いていて、構造の説明をしているものを選んだ。その中で、名著としてよく名前が挙げられているものを、自分の持っている本の中から選ぶと、この本になったというわけだ。

音読しながらよく読んでみると、この本はよくできている。構造の説明が、実に明快だ。構造の説明を読むと、ぼんやりしていたその英文が、いきなりはっきりした意味の世界を見せてくれる。これは驚きだ。字が小さくてぎっしり詰まっているので難しそうに見えるが、そうではない。やさしそうに見せるために説明を簡素にして、かえってテキストの理解を妨げている教材に比べれば、ずっと分かりやすい。発音表示がアメリカ式になっているのがちょっと困るが、それは私が何を選択したかという結果だから、この本の問題ではない。

さらに、この英文の断片が、思考を刺激する。名文は切り刻まれても名文らしい。とてもいい文章を集めてある。出展がすべて表示されていて、巻頭には“Alphabetical List of Authors Books”があるので、誰によっていつ書かれたのかが分かる。それがまた、その英文の理解を支えている。このような英文の教材は、他には見たことがない。

この本の欠点と言えるのは、1700年代の古いものから現代まであって、文体に幅がありすぎるということか。まあ、私は古くても構わないというスタンスなので、この文体の多様さは欠点だとは思わない。

言語教育院へ行き、授業をしてから、単語帳の校正本を韓国語科の担当の先生に渡した。この作業はいつになったら終わるんでしょうねと言うと、まったくですねといって、苦笑いしていた。

それから宿題のチェックをし、他のクラスの教材の準備などをしたあと、言語教育院を出て、研究室へ行った。研究室に着いたのはずいぶん遅くて、7時50分ごろだった。さて、今日は何をすることになっていたんだろうと思い出そうとしても、思い出せない。メモを見ると、何も書いてなかった。

私は時間管理がうまくできないから、少なくともすべきことは管理しようと、そのためのノートを作って、日記形式で翌日からそれ以降のことを書くようにし始めた。「あした日記」とでも言ったらいいだろうか。勉強や仕事の仕方などに関して、気が付いたことや学んだことを書きこみ、明日何をするかを大雑把に書く。これは、本当に大雑把に書かなければならないし、箇条書きではなくて、文章にして書かなければならない。それは、心の中で思ったり呟いたりする形に近づける必要があるからだ。

今日は、日本語文法の研究書から、助詞「や」について書かれた部分を抜書きした。韓国語の助詞“나”と違い、「や」の意味記述については、ほとんどすべて「例示」で一貫していて、寺村秀夫が「一部列挙」としているくらいだ。自分の考えでは、「一部列挙」はこの助詞の意味から出た結果としての機能であり、意味はあくまでも「例示」だと思う。2項目以上をつなげて、そこに共通する属性を強調するのが「や」の意味だと思う。でも、それは自分の論文のポイントではないから、なるべく既存の研究をうまく総合して韓国語と照らし合わせたい。

研究室の幹事から、4月17日にある月例発表会で発表しなさいと言われた。もともと論文の予備審査を受ける前に、月例発表会で発表するものだったらしい。それが最近は、月例発表会を通さないままいきなり予備審査を受けるようになっていたのだが、最近先生が、やっぱり予備審査を受ける前に月例発表会で発表しなさいと言ったのだという。今学期は論文を書く学生は、私ともう一人はロシアから来た学生だけだそうだ。いやあ、困った。まだ形もできていないというのに。

11時半ごろ帰宅した。そして、日記を書こうと思ってコンピュータのスイッチを入れ、いつもは“オフ”にしてしまうMSNメッセンジャーを何の気なしに“オン”にしたら、いきなり3人が入ってきた。聖徳太子ではないので、こういう状況は大いに当惑するが、少し慣れてきたら、わりと楽しい。

特に、去年まで言語教育院の聖書勉強会に来ていて、日本の大学へ言語治療について研究するために留学した姉妹が入ってきて、近況報告をしあったのはとても有益だった。特にその姉妹は破裂音の障害について博士論文を書くというので、もしかして、音声を視覚的に分析してくれるソフトはどこで購入できるかと聞くと、フリーウェアがあると教えてくれた。そのソフトは「ウェーブサーファー」といって、ネット上でダウンロードできる。

そのサイトに入ってみた。日本語だと思い込んでいたら、全部英語で書かれていた。“WaveSurfer is an Open Source tool for sound visualization and manipulation.”だそうだ。また、下の方には“... and is provided as open source under a BSD style license.”とも書かれている。公開資料として提供されているということは、無料ということだろうか。使用条件はあるのだろうか。

このソフトの提供対象については、“It has been designed to suit both novice and advanced users.”という。ならば私も使いこなせるか。でも、マニュアルを読むのがちょっと大変そうだ。辞書を引き引きこのサイトを読みながら、英語上達への思いはますます熱くなってきた。

3月30日(火)

at 2004 03/31 02:56 編集

午前中は英語の勉強をした。そして、聖書勉強会があるので言語教育院へ行った。それが終わったあと、研究室へ行った。語学堂の前の坂を上っているとき、歩道の脇のレンギョウが満開になっていて、丘の斜面を黄色く染めていた。春だなあと思った。

今日は昨日に引き続き、日本の研究書などから「並立助詞」や助詞「や」などに関する言及を抜書きした。今まで調べたものの中で、「や」の意味について論じているものは少なかった。でも、面白いと思ったのは、『日本文法大辞典』で「や」について、「同趣のものがそれ以外にもあることを言外にあらわしている」と言っている点だ。“同趣”というのだから、何らかの主要な属性を共有しているという意味だろう。もう少し研究の流れを詳しく知りたいと思うが、韓国では難しいだろうか。

予定していた作業は10時10分ごろ終わった。そのあとで、今までノートに抜書きしてきた研究書の書誌をカードに書き出した。研究者名、発表年度、論文名または図書名その他を書き、その下に、ノートのページ数を書いた。ノートが増えたらどれがどれだか分からなくなってしまいそうだから、カードで探せばノートのどこに書いたか見つけられるようにした。作業は30分ぐらいで終わったが、ちょっとショックだったのは、24日間に抜書きした資料が40件にしかならなかったことだ。もっとも、1日3時間から6時間ぐらいの少ない時間しかやっていないのだから、それも仕方ない。

でも、一日中勉強につぎ込んだら、ストレスで体を壊してしまいそうだ。昨日、研究室の幹事が、コンピュータに何かを打ち込みながら、かすかに“아 괴로워.(ああつらい)”ともらしているのが聞こえた。研究室は静かだから、本棚でついたてられていても、聞こえてくる。私は勉強時間が短いので、そんなにつらくはないが、時々嫌になる。研究なんてやったことがないし、まだ教授から指導も受けていないのだから、実際には行き詰っているのだ。私は、研究の仕方が分かって研究が面白くてしかたないようになりたい。

11時少し前に研究室を出て、家には11時半ごろ着いた。今日は昼は暖かくて上着が必要ないほどだったが、夜は冷え冷えとしていた。天気は悪くなかったが、一日中黄砂がソウルの空気に充満していて、埃っぽかった。

3月31日(水)

at 2004 03/31 22:45 編集

午後約束があって、その用事を済ませてから研究室へ行った。연세대학교の中はレンギョウやツツジやモクレンの花が咲き始めていて、枯れ木の間に華やかな光を放っていた。

4時ごろ、ホン教授の研究室へ行った。しかし、“外出中”の表示になっていた。それで、しばらく待って、5時ごろまた行ってみると、“在室”の表示にかわっていて、部屋には電気がついていた。勇気を出してノックをすると扉が開き、50代くらいの、いかにも知識人に見える男性が姿を見せた。「ホン・ユンピョ先生でいらっしゃいますか」と聞くと、「そうです」と答えた。

「どうぞお入りなさい」というその物腰はとても丁寧だった。私が学生だということを知らないのではないかと思い、一瞬ひるんだ(笑)。「実は、大学院に通っていて、いま論文の準備をしているんですが」と切り出すと、「ああ」という。「ご存知だったんですか」と言うと、「指導教授が外国へ行ってしまったから彼はどうするんだって、他の教授が心配していましたよ」という。「実はそのことでお願いに上がりました」と答えた。

自分がテーマにしようとしていることについて話し、計画書のようなものをお見せした。教授は、「僕も修士論文は助詞だったんですよ。格助詞でね」と言いながら、韓国語と日本語とが対照になっている資料を持ってきて、「こういうものが資料として使えると思いますよ」と言われた。明治期や昭和初期に日本で出た韓国語教材だった。教授の話を聞いていると、私のテーマにしている部分はとても狭いのだが、論文を書くときには、助詞“나”に関する幅広い知識が必要らしいことを感じた。

先生が、「“나”はいつからあるかご存知ですか」と聞かれるので、「いいえ、存じません。ただ、昔はあまりなかったのではないかと思います」といい加減なことを答えると、「いや、15世紀からあるんですよ」という。「昔は“나”は“コナ”だったんじゃないんですか?」と言うと、「いや、昔から“나”はあるんです」といわれた。そして、コンピュータで検索すると、QWIC表示ですごい数の“나”の用例が表れ、なんと、16世紀の資料からも “나”の並立用法がたくさん出てきた。「これは접속조사ですね」と興奮しながらいうと、「そうです」と答えられた。何の疑いも驚きもない口調だった。

「研究のテーマは面白いんですけどね、ただ問題なのは、僕は日本語ができないんですよ」という。いや、実際は日本語の資料なども読んでおられるのだから、できると言ってもいいではないかと思ったが、これは学問の世界の厳しさか。

本来の指導教授であるソ教授は、いま外国に行っておられる。その先生にメールで指導を頼んでご覧なさいといわれた。ホン教授の話では、自分は形式的な指導教授になり、ソ教授にメールで実際的な指導を受けたらどうかということだった。しかし、いろいろな話で、実際にはそれは機能しないらしいことを聞いていたので、不安になった。

そこへ、イム教授が入ってきた。この先生はとても厳しいが、学生一人一人のことを心配して面倒見てくださる人だ。しかし、とても厳しいので、私は先生の顔を見るなり縮み上がった(笑)。イム教授はホン教授としばらく相談をしていた。

そして、話が終わったあと、私の方を向いて、「きみは今学期指導教授はどうするんだ。서상규先生は外国へ行っちゃってるじゃないか」と言われた。ホン教授が「それで僕のところへ来たんですよ」といわれたが、私は口が硬直してしゃべれなかった(笑)。頼りない私を脇に置いて、イム教授とホン教授は私のことで相談を始めた。私は、主審だけでなく副審の先生にも頼みに行く必要があることを知らなくて、イム教授から叱られた。今までずっと大学とは疎遠になっていたのだから、叱られながらでもそういう情報はしっかりと掴まなければ。

結局、教授たちの結論は、指導教授が帰国してから指導を受けなければならないから、1学期延長する手続きを取って、それから実際の指導を受けた方がいいということだった。規定では在籍できる最後の学期になっているので、これ以上の在籍はできないのだが、事情がある場合は手続きをとれば可能らしい。ほっとしたというよりは、間延びすることで気が緩むのを恐れた。しかし一方では、今学期中に頑張ってもろくな研究にならないことは明らかだった。1学期延ばすことは教授の命令だから、従わざるを得ない。また、これが今の自分の状況において最適な判断であることも間違いない。

ホン教授はとても親切な人で、必要な資料があったら見せてあげますよと言ってくださった。どうお礼を言ったらいいのか分からなかった。その親切をふいにしないためにも、いい論文が書きたい。

研究室に戻り、助詞「や」の先行研究を80年代ころの途中までまとめたあと、研究室を出た。状況が変わったので混乱しているが、この混乱を乗り切れば、また道が開けてくるかもしれない。