ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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10月1日(水)「国軍の日」

at 2003 10/05 15:52 編集

午後2時半頃家を出ると、道がとても混んでいた。これはどうしたわけだろう。トンブイーチョンドンからハンガン路に抜ける道は、たいてい混雑しているが、水曜日という中途半端な日の午後2時半という中途半端な時間に、通勤時間以上に混んでいた。

何とかハンガン路に出たが、そこも道が混雑していた。そして、しばらく行くと、3番目ぐらいの車線で車が右に左によけていく。これで混雑していたのだ。私も左によけて、その渋滞の原因がいる場所を覗いてみると、なんと、でっかい装甲車が、ゴーという音を立てて動いていた。ソウル駅を過ぎて、ナムデムンとヨムチョンギョとに分かれるところへ来ると、ナムデムン方面は通行止めになっていて、カーキ色の装甲車やジープなどで埋められていた。ああ、今日は何か軍隊のパレードがあるらしいと思った。

ナムデムンの近くにあるウリビルディングという建物で約束があったのだが、そこへはヨムチョンギョの地下道の脇を抜けてサムソン本館に面した道をまたナムデムンへ向い、大通りに出たところですぐにまた右に入る。しかし、何となく嫌な予感がしたので、その手前の、普段は一方通行の出口になっている、そのビルの前に続く道へ入っていった。こんな日には、多少の道交法の違反は目をつぶってもらえる。一種の非常事態なのだから(笑)。案の定、その道の入口は警察官たちがテープを張って閉鎖していた。

ウリビルに着いてから、カレンダーを引っ張り出してみると、今日は国軍の日になっている。なるほど。それでこんなに軍用の乗り物が集まっていたのか。巨大な装甲車を見て驚いたという話をしたら、クーデターだと思いましたかと笑いながら言われた。いや、社会不安もなく人々が一応は豊かに暮していて国際的にも安定しているときに、クーデターなんか起こらないだろう。起こしたって、成功できないだろう。

ところで、私は装甲車と戦車との違いが分らなかった。二つともキャタピラで動くし、がっちりした形をしている。何か違うんですかと聞くと、違うという。戦車は砲台があるが、装甲車は砲台がなく機関銃が付いているという。戦車は戦闘用で、装甲車は兵力移動に用いられるのだそうだ。なるほど、そういうことだったのか。これはチゲ(=鍋物)とクク(=汁物)との違いと似ている。

窓の下を見ると、ちょうど行進しているところだったが、初めは装甲車が行進していて、次に戦車が通過して行った。確かに戦車と装甲車はこうやって見ると違う。そのあと、白いミサイルを2基ずつ積んだ軍用車が通過し、そのあとを黒い魚雷を積んだ車が続いた。そしてそのあとを何台ものジープが追って行った。

私は軍隊は悪いものだと教えられて育った。それで、戦車のプラモデルは作ったことがあるような気がするけれども、軍隊に関心を持ってはいけないと思い、軍がどのように成り立っているのか、考えてみたこともなかった。英語の授業などを通して、大将が大佐より上だとかを習ったが、全体的に軍隊に関して無知のまま今に至っている。韓国の男性の目から見れば、私のように軍隊に関して無知なのは、新鮮に映るかも知れないということを、初めて考えた。

10月2日(木)「偽募金」

at 2003 10/05 15:53 編集

講師室で仕事をしていると、中東系の人と見られる男性が入ってきた。英語で「時間はありますか」と言う。「何を望んでいるのですか」と聞くと、私のところに来て、自分は何とかという慈善団体から寄付集めに来たという。3時からある会議に間に合わせなければと急いで作業していたので、ちょっと面倒くさいなと思ったが、とりあえず話だけは聞いてみようと思った。

「どこの国から来たんですか」と聞くと、ネパールからだと答えた。韓国に来て間もないので韓国語はよく分らないという。彼が脇に抱えていたクリアファイルを開くと、ネパールの貧困に喘ぐ大人や子どもたちの写真が貼られていた。こういうのを見ると、いつも胡散臭く感じるのだが、聖書ではそれを拒むなと言っている。葛藤したが、今持っている1万ウォンをあげてしまったら、夜中までずっと飢えることになる。それで、あげたいがお金がないから今度またいつか来てくださいと言った。まさにイエス様が悪い例としてあげておられるセリフそのままだ(慣れない英語で話したせいか、自分の言葉の意味をそのときは気が付かなかった)。

中国語の先生もいたが、それに目をつけて、あの人にも聞いてみていいですかと私に訊ねた。わからないけど、試してみたらどうですかというと、それではと、行ってまた同じ説明を始めた。中国語の先生は、財布を出してその人にお金を渡した。お金をもらうと、彼は会釈をして部屋を出て行った。

その人が出て行ったあと、その中国語の先生に、お金あげたんですかと言うと、ほんの少しだからと言っていた。そのとき初めて罪責感に襲われた。ああどうしよう。また主の前で大きな罪を犯した。クリスチャンになってから無心の依頼を断わったいくつかの場面が甦ってきた。それをまた繰り替えした。よっぽど私はお金が好きなようだ。

それからしばらくして、中国語の先生は帰るために講師室を出て行ったが、廊下で韓国語の先生と話をしている声が聞こえた。講師室にいた他の先生が話を聞いてきて、私に、「さっきのネパールから来た人は“カッチャ(=偽物)”ですってよ」と言った。韓国語の主任の先生は1万ウォンもその人にあげたのだそうだが、そのときもらった電話番号にかけてみたら、そんな人はいないと言われたということだ。

それにしても、自国の貧しい人たちを出しに偽りの甘い汁を吸うとは、何という浅ましい行為だろう。今度もし会う機会があったら、ひとこと嫌みを言ってやらなければ気が済まない。まあ、たぶんもう来ないだろうけれど。

ただ、それでも私の罪責感を解消することはできなかった。私はそれが偽物だと知って断わったのではない。お金が惜しくて断わったのだった。

10月3日(金)「修道院へ行ってくる」

at 2003 10/06 20:39 編集

昨日の午後、携帯電話が鳴ったので出ると、電話の向こうから「オッザーキ!」と呼ぶ声が聞こえた。一瞬面喰らったが、これは AristotelhV 神父さんの声だ。6月12日に会ったあと神父さんはアメリカへ行き、8月の頭頃戻って来るとは言っていたが、その後何度か教会に電話をかけてもなかなか連絡が取れなかった。それでも1週間に1度くらいずつ電話を入れてていたが、今日神父さんの方から電話をかけてきたのだ。

そしてギリシャ語で、「明日カピオン(=カピョン)にあるモナスティーリオ(=修道院)へ AJanasia さんを始め教会の人たち40人と一緒に行くが、きみも行かないか(直訳は“行くことを欲するか”)」と言った。幸いに内容は理解できた。そこでは礼拝をし、ミスティーリオン(=聖餐式:日本の正教会用語では「聖体拝受」というそうだ)をし、そして食事をしてまたソウルに戻って来るという。二つ返事でOKした。朝7時にバスで出るという。

そして今朝。目が覚めてから食事もろくに取らずにすぐ家を出て、エオゲにある韓国正教会へ行った。そこに車を留めさせてもらい、AJanasia さんと一緒に大通りに停めてあるバスまで行って乗った。久し振りにギリシャ語で滅茶苦茶会話をするのが我ながら新鮮だった。滅茶苦茶会話とは、ギリシャ語だけでは意思疎通ができないから、英語の助けなどを借りて会話をすることだ。私は英語は苦手なのだが、それでも何とか意思疎通はできる。実は、それによって私の英語会話の実力はちょっと伸びた。

AJanasia さんに、6月2日に、腕時計を無くした話をしてそのあと6日に出てきた、その腕時計を見せた。そして、「これがこの間話した、無くした時計です。下の子が見つけました」と言うと、“Doxa tw Qew!(訳せば“神に栄光のあらんことを”)”と言って驚き喜んだ。そして、「神様のなさることは私たちには paralogo(=非合理)に見えるけど、それは uperlogo(=超合理)なのよ」と言った。“イペルロゴ”とはいい言葉だ。

道はとても混んでいた。今日韓国は「ケチョンジョル」という名の祝日で、朝から行楽客で道が一杯になったのだろう。バスはなかなか進まなかった。そのうち気分が悪くなってきて、会話するのも苦しくなったので(慣れない外国語での会話は聞くだけでも大変なエネルギーを要するのだ)、乗り物酔いを紛らすために眠った。時々ぼんやりと目が覚めたが、バスの中でずっとうとうとしているうちに、修道院の入口に到着した。

バスを降りると、幅百メートルほどの川が流れていて、せせらぎが響いていた。バスから歩いて少し行くと、「韓国正教会修道院 650M」という看板が出ていた。そこをバスの中で会った人たちと喋りながら上って行った。その中のある人は、20年前に日本語を勉強したことがあるそうだが、今でも話ができ、私と日本語で話した。他の人たちが「あなた日本語ができるの」と言って驚異の目で見ていた。

ところで、先月斉藤孝の『質問力』という本を読んでから、心なしか、相手が生き生きと話してくれて、会話がはずむようになった。知らない間に私の質問の仕方に変化が起こったらしい。あの本はすごい本だ。

修道院は山の中にあり、囲いもなく、修養館のようなところだった。坂の下かられんが造りの建物を見上げると、空の青さと山の緑の中で際立って見えた。北側にある玄関を入り、スリッパに履き替えて2階へ上がると、小さな礼拝堂があった。どこに座ったらいいですかと聞くと、いちばん前にある椅子に案内された。そして、礼式用の冊子を貸してくれた。

礼拝は立って行われる。礼式を執り行う間はずっと冊子を司祭と会衆とが歌うようにやり取りする。私は途中から冊子のどこを読んでいるのか分らなくなって、ページを捲りながら探していたが、途中からあきらめて、ただその言葉の美しいやり取りに耳を傾けていた。そして、司祭の短い説教があるときだけ座る。

説教はペテロにイエス様が私を愛しているかと3度聞かれた話で、それに「屋根の上のバイオリン弾き」で主人公の老人が娘たちを全部嫁にやったあと妻に自分を愛しているかと3度聞く場面を重ねて話した。その話は、驚くほど深くイエス様の言葉に入っていくものだった。こんなすごい説教は初めて聞いた。メッセージは、自分たちも聖人たちのように美しい物語(あるいは歴史?)を作っていきましょうというものだった。原稿も説教台もなく、ただ会衆の前で話したのだった。短かったけれども、心に焼き印を押されたような衝撃的な印象を受けた。

そのあと聖餐式に移る前に、会衆みんなが地べたに平伏した。何のときだったか忘れた。たぶん聖餐のパンを至聖所から取り出すときだったかもしれない。これこそ“敬拝”だなあと思いながら、みんなに合わせて平伏した。プロテスタントの教会では、祈るときは平伏して祈る人が多いが、礼拝中に平伏すことはない。席が狭いから、平伏すこともできない。正教会員でなければ聖餐に与ることができないので、私はその聖餐式の様子をずっと、立ったまま見ていた。砕いて粉にしたパンを大主教が、金の壷から匙ですくい、それを信徒一人一人の口に入れていく。赤い布を顎の下に当てる。ロシア人やその他の国の人も来ていて、人によってはパンを拝受したあと、金の壷に口づけして行く人もいた。

聖餐が終ってしばらくして礼拝が終った。終るときに、大主教が挨拶をしたが、全世界の正教会員3億人と言っていたので驚いた。クリスチャンの総数が10億人だと聞いている。そのうち3億人とすれば、大変な人数だ。日本でも正教会はどちらかといえば少数派で、韓国に至っては、私たちプロテスタントやカトリックなどに押されて、ほんの一握りの人しか信徒がいない。

挨拶のあと、パンを会衆一人一人に分け与えて礼拝のすべての順序が終った。私もそれには与れて、ボリュームのある香ばしいパンを頬張った。ちょうど朝をろくに食べずに来たので、それで飢えが癒えた。聖餐に与る人たちは、朝食を断食して来るそうだから、もっと空腹だったことだろう。

階段を降りたところにガラス張りの本棚があり、中にギリシャ語で書かれた百科事典のようなものがあった。残念ながら、それが本当に百科事典なのかは分らなかった。英語で学術的な言葉はギリシャ語がわりと多いから、けっこう分ると思っていたが、英語でラテン語を使う言葉だったらそれに該当するギリシャ語は理解できないだろう。将来もし神が許してくださるなら、ギリシャ語でこういう本が利用できるくらいの実力になりたいものだと思った。

テーブルが用意された裏庭に出てしばらくすると、偶然に隣に座った、画家のような雰囲気の男性と話し始めることになった。名前を聞くと、パク・ノヤンですという。ひょっとして、翻訳書を出されませんでしたかと聞くと、出したと言う。私の机に置いてある、訳せば『東方教会の神秘神学について』(ブラディミル・ロスキ著/パク・ノヤン訳、ハンジャンサ刊、2003年)の訳者だ。この本は、前回神父さんに会ったときに、ギリシャ正教への理解を深めるためにといただいたものだった。内容がとても難しいので、1章をかろうじて読み終えたあと、手をつけていなかった。あの本はとても難しかったと言うと、あれは難しい本だと言っていた。

その人と、いろいろな話をした。フランスで5年間勉強していたというので、この間読みさした、訳せば『私はパリのタクシー運転手』(ホン・セファ著、チャンジャックァピピョンサ刊)の話を少ししたあと、プロテスタント教会と正教会の関係について一緒に話した。パク・ノヤンさんは、とても思索的な人で、すべてを深く慎重に考えていた。

私たち信徒は、神学とは関係なく聖書の言葉を純粋に受け入れている場合が多い。それで、聖餐のパンと葡萄酒に関しても、わたしもそうだが、本当にキリストの肉であり血であると信じていただいている。ところが神父さんから、プロテスタント教会では聖餐のパンと葡萄酒を“象徴”としていると言われて驚いたことがある。本当にそうかと思って聖餐について書かれたプロテスタントの本を探したが、見つからなかった。それで、インターネットで探し回ったら、確かに長老派の教会では聖餐のパンと葡萄酒をキリストの血と肉の“象徴”としているということがわかった。正教会ではキリストの血と肉と固く信じている。

キリストの十字架と復活に関してもそうだ。わたしがキリストを信じるとき、十字架は問題ではなく、復活が問題だった。十字架はごく普通の歴史的事件だ。しかし、復活は理性の判断では荒唐無稽な事件なのだ。それを信じられるかどうかで、キリストを信じるかどうかが決まる。復活はなかったと思っている人は、天の御国へ入れないのだ。しかし、パクさんの指摘では、プロテスタント教会は、復活よりも十字架の受難に重点を置くのだと言っていた。あの名門、長老派神学大学で勉強したのだから、確かだろう。信徒たちは復活に重点を置いていて、教派では十字架に重点を置いている。これも信仰と神学の乖離だが、正教会では復活に最大の重点を置いている。

そのあとで、なぜ自分がギリシャ正教の信徒になったのかという話を聞いた。一般の信徒にとって、プロテスタントとカトリックとギリシャ正教のどれがいちばんいいということは言えない。居心地のよさはほとんど同じなので、いくらギリシャ正教に好感を持っているからといって、プロテスタントの信徒がギリシャ正教に改宗するメリットはない。しかし、この人は以前長老派の神学校に通っていたときから、先ほどの、信仰と神学との乖離に悩んでいたのだそうだ。信仰と神学の二重性こそプロテスタント教会の二重性と言える。私たち信徒は神学を無視できるが、牧会者になる人は嫌でも学ばなければならない。それが、正教会では神学イコール信仰という非常に一貫性のある態度をとっており、また、今回のその本を訳しながら、プロテスタント教会では矛盾したままだったいくつかの概念をきれいに一貫させていることを強く実感し、プロテスタント教会から正教会へ移ったのだと言っていた。

私は、正教会に本当に矛盾がないのかどうかは分らないが、プロテスタント教会にある若干の矛盾は感じている。例えば、キリストの母マリアに関して、完全に無視したり、何とかしてマリアの位相を上げないように頑張っている感じがする。しかし、ルカによる福音書で扱われているマリアの位相はそれよりも高い。そして、私たちの信仰のモデルとしても偉大な存在だ。それは、聖書勉強などでじっくり読み込むと表れてくるものだ。

また、プロテスタント教会では聖人を一切認めないが、そのために信仰のモデルが得られにくくなっているという嫌いがある。そのために、聖人という名前ではないが優れた信仰者をモデルにしたり、証というものを教会の中で盛んに行って信仰を互いに高めていこうとしている。しかし、私はこの証というものをあまり評価できない。素晴らしい話も聞けるのだが、証になっていない話があまりに多いのだ。だから、私が小グループの集まりを導くときには証をしないでむしろ聖書を一緒に読んでディスカッションすることにしている。

しかし、そこで問題になるのは、パク・ノヤンさんの指摘によると、聖書を理性的に読むか感性的(または文学的に)に読むかで、信仰の方向がまっ二つになってしまうということだ。それが長老派神学が信仰と乖離してしまった最大の原因だという。しかし私は、観察と解釈をしっかりした上で適用に進むということが前提の場合、どちらも両立できると思うと言った。それがQTの方法だし、梨花女子大学で聖書勉強をやっている方法でもある。聖書勉強は信仰を歪めてしまうという否定的な意見もあるが、適用に向けて観察し解釈していくとき、そのような心配はあまりないと思う。私の話に関連してパクさんは、正教会では聖書を読むことを信徒にあまり積極的に勧めているわけではないのが惜しい点だと言っていた。ただ、その弁明として、聖書を自分勝手に読んで間違った解釈をすることを避けるという点では意味があると思うと言っていた。たしかに、プロテスタントから崩れて異端の信仰を始める人は、聖書を勝手に解釈しているのだ。

その他に、パク・ノヤンさんと実に様々な話をした。初めて会った人にしては、信仰についてずいぶん踏み込んだ深い話をたくさんした。残念なことに、この人はチョンジュ(=全州)に住んでいるので、めったに会う機会は持てそうにない。とにかく、信仰についてこれまでにない重厚な会話ができたことがうれしかった。パクさんとは、修道院を出るまでずっと話し続けた。

プサンから来た、アレクサンドロス・ハン・ウイジョン神父さんとも知り合いになった。ギリシャ正教会の神父は、妻帯が許されている。たしかハン神父さんは、家族で来ていたと思う。私とパクさんが池の前で食事をしていたとき、池に木の枝を入れて遊んでいた女の子に、誰々神父さんの娘さんかいと聞いていたが、ハン神父さんと言っていたような気がする。

帰りは AristotelhV 神父さんと一緒に山を降りた。そしてバスでは神父さんの隣に座った。バスの中で、ハンガンのゆったりした風景を見ていた。水上スキーをやっている人がいた。天気がいいので気持よさそうだった。

神父さんが、ギリシャのキャンディーを出して、みんなに振る舞った。私ももらった。レモンの味がした。韓国人で diakonoV(副祭?)のヨハンさんが、ギリシャにはせっけん味のキャンディーもあると言っていた。ふと、ハリー・ポッターの、耳糞味のお菓子を思い出した。せっけん味の飴は美味しかったですかと聞くと、私はおいしいと思わないけど、ギリシャの人たちにはおいしいんだそうですよと言って笑った。せっけん味のお菓子があるなら、香水味とか化粧味とか湿布味とか都市ガス味とかなどがあってもいいんじゃないか。

ヨハンさんは、神父さんと私が一緒に食べていたアーモンドの袋に、神父さんの前で手を入れて、勝手に食べていた。私はそれを見て、この教会の暖かい雰囲気を感じた。聖職者というのは階級があるし、正教会は一見硬い教会のように見えるのだが、diakonoV(=副祭?)が iereuV(=司祭)と心置きない関係を持っているということを、そこから分かった。日本から出たことのない人は、もしかしたらそれを見て“はしたない”と思うかも知れないが、韓国では親しい間柄ではごく自然なことなので、とてもいい感じがしたのだ。これは、意外なことだった。

エオゲには夕方7時頃着いた。教会の前でバスを降り、他の人たちと挨拶したあと、神父さんと一緒に教会へ戻った。神父さんからギリシャ式のパンをいただいた。薄暗がりで、神父さんであることが、かろうじてそのシルエットから知れる時刻だ。ソウルに住みながら、黄昏をついぞ経験したことがなかったということに気が付いた。教会の中庭へは、ソウルの街の明かりが届いてこないのだ。その大きな重いパンを、バスの中で食べていて残ったアーモンドとキャンディーと一緒にもらうと、車に乗り、神父さんにお礼を言って、教会を出た。

教会を出てから、その足でキョボ文庫へ行った。先月10日に注文しておいて、本が入ったという知らせを一昨日受けた『「わかる」ということの意味[新版]』(佐伯胖著、岩波書店、1995年)を買った。それから他の本も少し見てみた。中国語の辞書を見ながら、ふと自分は中国語の文法に弱いことに気が付き、文法の整理をしなければ使い物にならないと思った。日本語は形態論的な言語なので、統語論的な発想に弱いのだ。中国語の文法書をいくつか見てみたが、閉店時間が迫っていたので、今あせって買ってもしかたないと思い、今日は買わずにそのまま店を出た。

10月4日(土)「ウチナーグチ」

at 2003 10/06 21:24 編集

インターネットで何の気なしに「沖縄語」と入力して検索すると、沖縄語によるプラハ宣言が検出された。「国際語エスペラント運動ぬプラハ宣言」というタイトルだ。この“ぬ”という字がとても印象的だ。PDFファイルがあるので印刷してみた。ざっと見ると日本語だが、いやいや、驚いた。およそ標準の日本語とは違っていて、ぼんやりと分かったような分らないかのような感じだ。出だしの文句はこうだ。

「わったあ、エスペラント語(ぐち)ぬ発展ぬたみ、世界的やる運動んかい、揃(すり)とおる者(むん)たあや、くぬ宣言、むるぬ政府、国際組織とぅ良心ある人々(ちゅぬちゃあ)んかい送(うく)てぃ、くりなかい表(あら)わさっとおる目標んかい、向(ん)かてぃ、わったあや、不退転ぬ決意むち、むとぅうち、活動し、いちゅるくとぅ、うんぬきてぃ、なあめえめえぬ組織とぅ個人とぅが、わったあぬくぬ努力とぅ、まじゅんなるくとぅ、呼(ゆ)びかきゆん。」

私はこれを見ながら、西洋人が自分と同系統の外国語を見たときの印象を想像した。これを見て、「エスペラント運動のプラハ宣言」だということは想像がつく。そして、漢字語と、固有語の中でも日本語と同じものや形の似ているものを拾いながら、その大意を想像することもできる。しかし、「揃(すり)とおる」だとか「むるぬ」、「くりなかい」、「いちゅるくとぅ」など、まったく何のことか分らない語彙が全体の理解を絶望的にしている。千年前の古典語だって、こんなに分りにくくはない。

しかし、またこれは、韓国語にくらべれば遥かに日本語に近いことは分る。韓国語は借用語を日本語と数多く共有するが、それ以外の部分はほとんど無関係に近い。日本語と韓国語との関係は、英語とギリシャ語との関係よりも離れているように思われる。しかし、日本語と沖縄語との関係は、この文面を眺める限りでは、英語とギリシャ語よりもずっと近いようだ。「ぬ」「くぬ」「とぅ」「てぃ」などは、勘違いかも知れないが、「の」「この」「と」「て」のようだ。英語とギリシャ語の間では、このような部分で形の似ている語彙はない。だから、たぶん日本語と沖縄語の関係は、英語とドイツ語やオランダ語などの関係と似ているのだろうと思う。

沖縄語と日本語との関係は、どのくらいまで遡るのか分らない。古典文法に返ってそこから考えても解釈できないところを見ると、千年以上の隔たりがあるように見える。しかし、「国(くに)」や「習(なら)ゆる」などは、古典よりも現代日本語から理解しやすい。だから、現代日本語の用法を借用しているのかも知れない。漢字語は全面的に日本語を受け入れているようだ。「不退転」というのは韓国語では見たことがない。中国語ではどうかは分らないが、ここまで現代日本語の漢字語彙をそっくり同じく使っているということは、中国語の影響は考えられない。この文面を見ながら想像するのは、沖縄語がかなり長い間、日本語とは独自の変遷をしてきながら、近代に至って日本語の圧倒的な影響を受けたのではないかと思われる。これもまた想像にすぎないが、この文面の中には、沖縄の人たちが日常生活では使わない和語も含まれているかも知れない。

機会があれば、ウチナーグチ(=沖縄語)を勉強して、日本語についてもう一度考えてみたい。

10月5日(日)「礼拝」

at 2003 10/06 21:32 編集

今日は日本語礼拝に出席した。今日は、明日イラクへ発つサミュエル・キム牧師先生の最後の説教だった。来週からは、日本語の全く分らないイー・ギフン牧師先生が日本語礼拝の担当になるので、その予稿練習ということで、キム先生は韓国語で説教をし、山口伝道師先生が横で通訳をした。日本語の堪能な人を通訳するのは緊張するらしく、さんざんとちっていた。通訳の名手がとちってばかりいるのは、不思議な感じがした。

今日の聖書箇所は「コロサイの信徒への手紙 1:24-27」で、「苦しみを喜びとし、苦難を生きがいとする」というタイトルだった。“苦難を生きがいとする”というのは分りにくい表現だが、日本語は通訳に任せて韓国語で話したので、それが“ポラム”だということが分り、その意味が明晰に理解できた。“ポラム”というのは、ある結果に対する満足感のような気持のことだ。“生きがい”と大きな違いはないのだが、苦難に立ち向かう中に神の祝福が溢れていることを知る満足感を言っていることは、“生きがい”という日本語では分りにくい。

この説教は、イラクという苛酷な宣教条件の地へ行くキム牧師先生が自分を鼓舞するためのものであったと思うけれども、同時に私たちにも勇気を与える説教だった。明らかにキム先生は、身の危険を覚悟している。しかし、ビジョンとチャレンジと情熱にあふれたその説教は、私たちにもそれぞれに与えられた苦しみの中で生き抜く勇気を与えたと思う。コトン(=苦痛)はキップム(=喜び)であり、コナン(=苦難)はポラムであるという言葉は、力に満ちた言葉だ。

礼拝後に派遣式があった。2人の姉妹がそれぞれ大きな花束を持ってキム先生に渡した。そのあと、親しい人は前に出て握手をした。山口伝道師先生はキム牧師先生と握手をしながら、声にこそ出さなかったが、男泣きに泣いていた。

派遣式があったためか、今週は聖餐式がなかった。来週やるのだろうか。

礼拝のあとで、いつものB&Fだったが、今週は月初めなので、年代別の集まりをすることになっており、私は3〜40代男性の集まりへ行った。

B&Fのあとで家に帰ったが、妻が教会に忘れ物をしたというので、一緒に取りに行った。そのとき、ついでに教会の書店へ行って、詩集を探した。信仰や賛美をうたった詩を読みたいと思ったのだ。たくさんあると思ったが、実際に探してみると、詩集だけのコーナーはなく、詩集らしきものはなかなか見つからなかった。訳して『愛の約束』(イー・キョンモ著、ミニェウォン刊、2001年)という詩集だけが見つかった。知らない詩人だが、パラパラとめくっていい感じがしたので買った。5千ウォンだった。

家に帰って読んでみると、重厚感がありながら繊細で、読みながら、ふと言葉では理解できない深い感動が押し寄せてくるといった、不思議な詩集だった。著者は牧師で、田舎の海辺にある教会で牧会をしているらしい。途中からあまり詩的な雰囲気の感じられない詩も混じっているが、それは教理を詠んだ詩で、たぶん信徒たちへのサービスで書いたのだろう。「タンシン センガク(=あなたへの思い)」という詩が、短いけれども深い味わいがあるので、曲をつけて、ギターをボロンボロンと弾きながら歌って悦に入っていた。

10月6日(月)「多言語使用は混乱するか」

at 2003 10/08 02:29 編集

講師室で中国語の先生と、中国語の表現について話していると、韓国語作文の先生が、「数カ国語を話す人を見ると不思議な感じがします」と言った。私もそうだ。埼玉の片田舎という狭い世界(最近は交通網が発達して東京近郊のベッドタウンになってしまった)で生まれ育った私にとって、数カ国ばかりか、一つでも外国語で話せる人は、それがたとえたどたどしい片言だったとしても、超人に見えたものだ。それは私にとって、遥か彼方の異質な世界を知っている人だった。だから今自分の子どもを見ていると、超人に見える。(苦笑)

しかし、韓国語作文の先生は、「でも、いくつも外国語を学んだら、それぞれの知識が混乱してしまうんじゃないかしら(ヘッカッリジ アヌルカヨ?)」という、誰もが考える素朴な疑問を投げ掛けた。この疑問は、繰り返し耳にしてきたし、あちこちで読んできたし、それに答えている文章も読んだことがある。種田輝豊氏が『20ヵ国語ペラペラ』で「『何ヵ国語を知っている』とわたしがいうと、人はすぐ、『実際にしゃべる場合、よく混乱しませんね』と心配してくれる」(p.235)と書いているくらいだから、韓国語作文の先生の疑問は誰もが思う疑問だ。

それに対する私の答えは、心配するには及ばないということだ。言語はその中で互いに繋がりあった連鎖関係で記憶されている。だから、中国語で“這是……”と言ったあと、“甚麼?”といったような言葉は記憶の中で繋がっているけれど、“what?”だとか“モヤ?”などは、まず繋がらないものだ。それらの語は別のレール上にあるからだ。レールが混線するような学習をしたとしたら、それ自体が大いに問題だ(たまにそういう人がいる)。

中国語の先生も「ヘッカッリジ アナヨ!(=混乱しないわよ)」と答えた。種田氏も「実は混乱しないのがあたりまえで、むしろ、混乱させられたら、一種の曲芸とでもいえようか」(『20ヵ国語ペラペラ』p.235)と言っている。種田氏の説明は、音の特徴が言語ごとに違うからということだったが、そうではなくて、外国語を学習する過程で単語と単語の結合関係が徐々に記憶に形成されていくからだ。そしてそれに著しく合わない異質なものは、排除される。つまり、記憶に浮かんで来ないのだ。類推による混乱は起こるが、それは誤用を生むものであって、ある単語がどの言語で使用されるものか使いながら分らなくなってしまうということは起こらない。それから、スイッチングという現象があるが、それは使い分けのひとつであって、混乱しているのではない。借用も、意識的に他のものを取り入れているのだから混乱ではない。

この“混乱しない(ヘッカッリジ アンヌンダ)”という答えに、韓国語作文の先生は、新鮮な驚きがあったようだ。

この講師室は、四つの言語(韓国語、日本語、中国語、フランス語)について知識の交換ができるので、私にとっては夢のような場所だ。また、それぞれの先生が自分の教える言語に愛着を持っているので、それらの愛着が私にもだんだん移ってきたようだ。

ところで、この日記を書くために『20ヵ国語ペラペラ』を見ていたら、後ろの方にこんな言葉が載っていた。種田氏がフィギュア・スケートのジャネット・リン嬢にインタビューしたとき、氏の「なにかひとつのことをマスターするためには、どんなことが大切だと思いますか」という質問に答えたものだ。

“Well, first of all......if you want to do anything well, you have to really love it more than just about anything. And you have to want to sacrifice some other things so that you can train many hours a day, and maybe not to go out with your friends and not to stay up late like you would normally......”(p.239-240)

何と味わいのある、しかも鼓舞的な言葉なのだろう。

10月7日(火)「ある“ない”」

at 2003 10/10 18:51 編集

「ない」という語は、当然存在しないことを表すと私たちは思っている。少なくとも、私はそう思っていた。「お金がない」といえば、1円もないのだし、「家がない」といえば、何の家かはともかく、家が存在しないのだ。

しかし、先日ある人にたどたどと英語で話ながら、お金がなくてどこそこへ行けなかったということを言おうとしたとき、“I couldn't go there because I had no money.”と言ったあと、あれ変だなと思った。なぜなら、私の考えでは“no money”というのは私のもとに1ウォンも存在しないという意味のはずだけれども、私は少しは小遣いを持っていたからだ。ゼロではなかったのだ。

それで、よく考えてみると、この“ない”というのは、“不十分だ”という意味で用いられていることに気が付いた。何かをしようとしたとき、それに要する費用なり何なりが不足していれば、それはゼロなのと結果は同じだ。

このことについて今まで自覚したことがなかったが、それは否定表現の使い方が日本語も韓国語もほとんど全く同じだからだ。異質なものに出会って私たちは目が覚めるが、韓国語の否定表現は日本語での用法と違いを感じないので、目が覚めなかったのだ。

一度気づいてみると、不十分を表す「ない」はけっこうある。「時間がない」と言ったとき、何かをするまでに時間が切迫しているのであって、全くないのなら、もう過ぎてしまっているわけだ。それから「あまりない」というとき、当然それはあるにはある。「少ししかない」も同じだ。

日本語の中級クラスにアメリカ人の学生が来ているので、日本語の「ない」は必ずしもゼロではないということを話してみた。そして、私が“お金がない”と言ったときのことを話し、英語では本当はどうなんですかと聞いてみた。

すると彼は、英語でもやっぱり同じく、多少は持っていても不足していれば、日本語と同じように“I have no money.”というと言った。それを聞いて意外だった。

例文が悪かったのかもしれない。次の時間には、「お金がなかったので駅のうどん屋で食べた」という例文は英語ではどうなるのか聞いてみよう。たぶん“...I didn't have any money”ではなくて、“...I didn't have much money”のような言い方になるのではないかと思うが、私の予測は全く当てにならない。

10月9日(木)「幸福論」

at 2003 10/15 20:53 編集

先日、ある人と話ながら、うちの近くにあるロッシーニというスパゲッティ屋の話が出た。私はそこのスパゲッティが美味しいと思い、また行きたいと思ったが、機会を得ないまま3年経ってしまったという話をした。

するとその人は、「そんな生き方をしてたら悲しいと思わない? 行きたい行きたいと思いながら死んじゃったら意味ないじゃない」と言った。望みを持ちながらそれを実現させようとしない私を非難しているような言い方だった。まあ、望みを持ちながら行動に出ない男は、ふにゃふにゃのモヤシに見られてもしかたない。

しかし、私はむしろ、実現させずに願望を持ち続けていることを楽しんでいるのだ。実は、願望というのは、それが実現したときに挫折するという。岸田秀は、「人間のあらゆる欲望(純粋に生理学的な欲求を除いて)は、こうこうすれば不安定な自我が安定するという嘘の物語に発している(『幻想の未来』p.211)」と指摘している。満足というのは、自我を安定させる手段なのだ。ところが、「欲望が挫折するのは、たまたま不運にもその実現を妨げる外的要因があるためではない。欲望は満足されても、満足されなくても、そのめざしているところに到達できない」(同、p.231)。

だから、欲望は多くの場合、実現しない方が幸せだといえる。岸田秀はこれを次のように説明している。「ただ、本質的に不安定な自我にもかりそめの安定はあり得るが、このかりそめの安定は、欲望の満足の予想によってしか得られず、欲望の満足そのものは、自我の安定のために必ずしも必要でないどころか、かえって自我を新たな仕方で不安定にし、新たな欲望の物語が必要となる」(同、p.231)。

それだけではない。「ある人を不幸のどん底に突き落とすもっとも効果的な方法はその人が何か欲望をもったとたん次々とそれをすぐさま満足させてやることである。これほど残酷な仕打ちはない(同、p.231)」とまで言い、「欲望というものが満足されればされるほど募るのは、たとえばわれわれが献身的に尽されれば尽されるほど、図に乗って要求をせりあげてゆくのは、新たに欲望の物語をつくる必要に迫られるからである(同、p.232)」と、私たちの苛酷な現実を指摘している。

このようなわけがあって(もっとも、この本を読んだのは最近のことだから、自分の態度を合理化しただけともいえるけれども)、ロッシーニのスパゲッティを食べたいなあと思いつつも、それにかかずらわないでいるわけだ。まず、望みを抱くということが重要で、またその望みをすぐに実現させようとしないで心に抱きつづけることがミソだ。もちろんその望みは実現してもしなくてもいい。

それに、いくら美味しいスパゲッティでも、食べなかったからといって、死ぬときになって後悔するほどのものでもない。私にとってもっと大切なことは他にあり、そのためにもがいているのだ。

ならばいたずらに望みを持たない方がいいと言われるかも知れない。しかし、そんなことはない。望みを持たないのは絶望と似ている。満足しきっていて他に望むことがないのでなく、望み自体を抱かないのは、感情が枯渇してしまっているのだ。以前そんな性格の伝道師さんと電話で話をしたことがあったが、何でもかんでも無価値なことのように言うので、しまいには話す気がなくなってしまった。会おうと言われたが、会わなかった。望みを持たない人とは会話にならないから。

10月10日(金)「ギリシャ語学習雑感」

at 2003 10/12 02:57 編集

新約聖書を原語で読むためにギリシャ語がわかるようになりたいと願い、そして学習を始めてから4年半以上過ぎた。これが私にとって利益なのか損失なのか分らないが、いっこうに向上しない実力をもって今までしがみついて来られたのは奇跡だ。

神学生でもない一般信徒のクリスチャンが、一人でギリシャ語を始めるとき、次のような困難がある。まず、独学なので回り道が多い。学習仲間がいないので孤独である。基礎の学習が終ったあとでも、聖書の原文はとても難しいが、分らないところは聞ける人もいないので、分らないままにするしかない。そして、原文の読解から得た世界を分かち合う人もいない。

それは、荒野をさまよっているようだ。教会の中にいて、同じ礼拝をささげながら、自分が一人取り残されているような感じがする。みんなはどんどん信仰を深めている間、自分だけがもたもたと文字と格闘しているからだ。その感じはいまだに抜けない。

独学のとき、特に重視すべきことがある。それは、その課の単語をしっかりと覚えること。そして、その課の文法を記憶に馴染ませること。そして、例題を読解しながら、それらの単語や文法を記憶に定着させること。私はそんなことをやらなかった。

単語の学習は最初は苦しいが、ある程度以上覚えると、だんだん分りやすくなってくる。それは、覚えた単語の中の形態素が分析でき、新しい単語にあるその形態素が見えてくるからだ。それによって、ギリシャ語の語彙体系が徐々につかめてくる。そうなるまで長い間、ギリシャ語の単語は覚えても覚えても忘れた。

しかし、苦労しているだけではなかった。思わぬ機会にも恵まれた。ギリシャ正教会の神父さんと知り合いになって、ギリシャ語を学ぶ機会を得たのは、思えば不思議なことだ。そして私のギリシャ語学習は、古典ギリシャ語と現代ギリシャ語の混合学習になった。

私の外国語学習は、なぜかこうなる傾向がある。韓国語の場合も、私の周りに一緒に勉強する仲間はいなかったが、韓国人の留学生たちがいた。とてつもなくレベルの高い韓国語だけを私は見ていた。かたや初学者で、かたやネイティブスピーカーなのだから。

今またギリシャ語に関しても、途方もなくレベルの高いギリシャ語だけを見ることになった。古典期から現代までの各時代のギリシャ語に通暁していて、新約聖書の古写本にも詳しく、複数の博士号を持っているギリシャ人というのは、ギリシャ語学習の目標としては苛酷なほど高い。考えてみれば、韓国語にしろギリシャ語にしろ、こういう立場で勉強すると、いくら上達しても小さくなっていざるをえないから、謙遜さが保てるし、人は目の前にあるものを目標とするから、私の目標も、果てしなく、到達できないくらい高いものになる。

神父さんは、新約聖書の適用する上で難解な箇所も、実に何でもないことのように分りやすく説明する。その手腕は、やはり普通の聖書理解ではない。私の質問に対して、多くは“It's very clear...”と言いながら説明する。私の目標が、新約聖書を読みこなすためのギリシャ語学習だから、最近になってようやく聖書の解釈について質問ができるようになったのも、何よりの幸いだ。ただし、質問は“作文”の形で作り、辞書を引き引き書く。添削してもらうと間違いだらけだ。人称変化の間違いと格と単複の間違いがいちばん多い。わかっちゃいるけれど、書いているときも書いたあとも、気が付かない。指摘されてやっと気が付く。不思議なことだ。

韓国に住んでいる日本人のプロテスタント教会の信徒が、新約聖書を読むために古典ギリシャ語を独学し、ギリシャ正教会の神父さんに学習を助けてもらっているので現代ギリシャ語も学習しているというケースは、珍しいことだろう。しかし、ケースが珍しくなればなるほど、それだけ孤独は増す。私の孤独なギリシャ語学習は、これからもずっと続きそうだ。

10月11日(土)「「わかる」ということの意味」

at 2003 10/12 03:50 編集

『「わかる」ということの意味[新版]』(佐伯胖著、岩波書店、1995年)を読んだ。この本は、以前増田さんの奥さんに教えていただいたもので、読みたいとは思いながらも、注文するのをずっと忘れていた。先月キョボ文庫で注文し、先週受け取った。

「わかる」とは何なのかというのは、多くの人が疑問に思うことだ。学問自体が「わかる」ということへの追求かも知れない。ここでは、「わかる」という事象を教育の立場から扱っている。教育こそ「わかる」とは何かが切実に追求されている分野といえるだろう。

まず著者は、「わかる」というのは、「あることをわかろうとしている」という状態と、「何をわかろうとするか」ということ自体を、何とかして自分でわかろうとしているという状態(p.4)であると言っている。そしてこの二つの柱が、この本の議論の骨子になる。著者は問うている。

「「わかっている」とはどういうことでしょうか。「わかっていない」とはどういうことでしょうか。あるいはこういう疑問も出てくるでしょう。「子どもはわかろうとしている」といっても、何をわかろうとしているのかが、はじめからきまっているのでしょうか。あるいは、何がわかってないのかが、はじめから明らかなことなのでしょうか。」(p.3-4)

さらに、“わかっている”というのは、当面の事態の中で「わかるべきこと」を独自に設定し直すことのできることだと説いている。つまり、よく考えているということと言い換えられると思うが、考える目的がわかるためだということを考えれば、わかることの問題は考えることの問題とも言える。著者は次のように言っている。

「「わかっている人」というのは、当面の事態の中で、自分なりに新しい研究目標を設定してみて、それを達成するためにはどうしたらよいかと考えているのです。」(p.22)/「わかっている人というのは、与えられた課題を与えられたものとみなさないで、自分自身で「わかるべきこと」を設定し直すことができるのです。」(p.23)/「「わかっていない人」を「わかっている人」に変えるには…(中略)…世界を常に変型可能なものとしてとらえ、さまざまな自分なりの目標を仮想的に設定して、事態を変型し、新しい可能性を探り出すのです。」(p.24)

また、いつも考えているのだから、思い込みは絶えずくずされ、「わかり直し」を繰り返し経験していく。そうしなければ、分かったつもりになって本当は分かっていないという状態が続く。誰もが陥りやすいことだが、これは「わかる」ことを阻み、私たちを狭い世界にいつまでも閉じ込めてしまうのだ。

「私たちがまちがって、こうなると思い込んでいる信念がくずされ、「どうもへんだと思った!」と納得され、他方、正しいと思い込んでいた信念も正しい説明原理で説明し直されて、あらためて「やっぱりほんとうだ」という実感をもたらさないかぎりは、「わかったようでいてわからない」状態がつづくものと考えた方がよいでしょう。」(p.47)/「私たち自身、わかったふりをかなぐり棄てて、何度も何度も「わかり直し」を経験していくべきだと思います。」(p.62)

そして、「わかる」までの過程は、知っていることと知っていることとの関係を見つけていくことだとして、次のように述べている。

「「わかる」にいたる過程をつぶさに見てみますと、そこには、さまざまな生活と活動を通していくつかの「小さな世界」が自然にできあがっており、その世界にいったん入りこんでさまざまな「しごと」を遂行していくうちに、かなり高度なことが「あたりまえのこと」になっていくのです。」(p.154)

「……それはもちろん、当初は「小さな世界」にすぎません。でも、多様な活動世界がひろがるにつれて、さまざまな「小さな世界」が自然に構成されてくるのです。それが何らかのきっかけで、相互に結びついて、「結局は、同じことだったんだ」とか、「やっぱり、そういうことなんだ」というように、あたかも「わかっていたことが、わかる」ようになっとくできるというのが、真実性の獲得であり、認識世界が広がることなのだ……。」(p.157-158)

「人は経験世界での実践を通して、実践として、すでに知っていることを、あらためて「わかる」のであり、「なっとくする」のです。そしてそれが、新しい経験世界を開いてくれるのです。」(p.188)

これこそが「わかる」ということに関する、著者の結論だ。自分の周りに小さな世界をいくつも形成し、その中で活動しながらそれら相互の関係を見つけ出していくことで、さらに大きな世界を開いていく。それはあたかも、以前から分かっていたことが確認されたように納得されていくものだという。「知」のさわやかな成長が鮮やかに描き出されている。

これは以前、訳せば『知と生──解釈学的知識論──』(李奎浩著、延世大学校出版部、1972年)という本を読んでとても強い印象を受けた、“知識は知っていることから出発する”という考え方と似ている。この考えはデューイから始まったと記憶しているが、知識というのは、デカルトの言うような第1原理から始まるのではなく、知っていることから始まるという李奎浩の考えは、とても実際的だ。同じく、著者の「わかる」ことに対する見解も、とても実際的だ。

このあとで、著者は学問のありかたについて述べている。ここでも「わかる」こととは何かを追求し、そして次のように結論付けている。

「学問というものが、「本当だとされていること」を学ぶのではなく、正に、自分自身で、本気で、「何が本当なのか」と問うこと、問いつづけることにあることに気づいたのでした。」(p.208)

これは、「わかる」ことが「わかろうとする」ことだという最初の出発点の確認でもある。子どもだけがわかろうとしているのではなく、学問という知識の頂上でも、日々わかろうとし続けているのだということを、著者は言っている。

そして最後に「感化」について言及している。

「人が他人から「感化を受ける」ことができるためには、次のような条件が必要なのではないでしょうか。
(一)何が本当に価値あることかを求めつづけていること。
(二)「表面的なこと」の背後には、常に、「表面に現れていないこと」があるはずだと考え、それがどんなものかを知ろうとすること。
(三)ものごとには常にさまざまな側面があり、「かくかくしかじかである」という断定はできうる限り保留し、いつでも、根本から考え直すことを辞さない覚悟をしていること。」(p.210)

この「感化」を受けるための条件は、すばらしい人生論だ。感化を受けることで新しい世界が見えてくる。そしてさらに高次元での「わかる」ことを体験できるようになる。

この本は教育のために書かれたものだが、むしろ私たちを教育してくれる。

10月12日(日)「YOU CAN IF YOU THINK YOU CAN」

at 2003 10/15 12:40 編集

キョボ文庫で“YOU CAN IF YOU THINK YOU CAN”(Norman Vincent Peale 著)という本を注文した。何日か前、この書名をふと思い出して、インターネットで検索してみたところ、アマゾンのサイトに掲載されていたこの書名が検出された。書名を正しく覚えていたことと、この本がまだ出版されていることがわかった。日本語版の書名『できると思えばあなたはできる』はインターネットで検出されなかったところを見ると、おそらく絶版になって久しいのだろう。英語版がまだ出版されているのは幸いなことだ。

ノーマン・ピール(1898〜1993)という人は、ニューソート(New Thought)思想の著述を数多くものしたアメリカの牧師で、私の思想(信仰?)と同一ではない。佐味伝道師先生の奉仕している教会のチョー・ヨンギ牧師が、その著書で、ノーマン・ピール牧師の説教を“心理学的な説教”と批判めいた言い方で評しているのを見たことがあるが、私の考え方も、チョー・ヨンギ牧師と少し近いといえるかも知れない。けれども、私にとって、この本は棄てがたい意味がある。

高校生の頃、学校の図書館でこの本の日本語訳である『できると思えばあなたはできる』という本を見つけた。私はそれまで、“できないのが普通”という考え方を父から叩き込まれてきた。否定的なコメントが、父には“理知的”でカッコよく見えたのだろう。それが私にとっても世界のパラダイムとなっていたので、“できると思えばあなたはできる”という文字は、とてつもなく不思議に映った。それで、この本を借りて読んでみた。

読んでみると、内容は今は思いだせないが、できるという信念が不可能を可能にするということが、本当らしいという思いが湧いてきた。表紙のタイトルに併記されていた“You can if you think you can.”という英語が私の心に刻み込まれた。当時私は自分の勉強している学科にとても関心があったから、それらの経験に照らし合わせてみると、あるときふと“できる”という予想が思いに入ったとき、それが本当に実現していたことを思い出した。そして私は、とりあえずこの本の考えを受け入れて、自分がすべきことについて“できる”と信じて行動してみることにした。

それだけならば、その本は私の人生をすっかり変えてしまったかも知れない。ところがそれは、父の信念と衝突した。父は「できると思ったってできないこともある」と、私に強調し始めた。字面だけ見れば当然の発言だが、その意味は違う。父はものごとのバランスを言語で表すことのできない人なので、この言葉はつまり“それはできない。できると思ってもできない”という意味だった。「だったらどうすればいいの」と聞くと、「それだけだ」と答えるが、結局その意味を今考えてみれば、“無駄だからやるな”というメッセージと“必要だから一生懸命やれ”というメッセージが混線していたのだ。混線しているのだから“だから?”に答えられるわけがない。私が飛躍を試みていた、しかも私にとって重要な学科について、“それができなかったらダメになる”という恐れのメッセージを注ぎ込んだ。“できる(かもしれない)”という私の希望より“できない!”という父の主張の方が声が大きく長期にわたったので、父の主張が勝利し、私はより一層挫折的な生き方を続けるようになった。

できなければならないなら“やればできる”と思っているべきだし、できないと思われるなら“できなくて結構”という気持でかまえている必要がある。ところが父は、“できない”に限りなく近い「それは難しいんだぞ」という言葉を言いつづけると同時に、“できなかったら大変だ”という恐れをさんざん煽り立てた。はっきり言って、支離滅裂な教育だ。できないと思うのなら、できなくて結構と割り切って、私の好きなようにさせてくれればよかったではないか。親が息子の勉強に反対して足を引っ張るならわけが分るが、息子の将来を心配して、さんざん勉強を妨害して打ちのめした。そして挫折の原因を親の責任にして根に持っているいる息子の性格を、父と母は心配した。だから当時私は自殺も考えた。臆病で実行できなかったが、自分の存在がある日消滅してしまえば、どれだけ楽かと思っていた。

私は受験で挫折し、その後の大学生活でも進路への望みがなく、必要なことを避けて不要なことにエネルギーを注いだ。私は人生の希望が何なのかも見えなくなっていた。ただひとつ成果があったのは、韓国語の習得だ。これは、当時の私にとって、将来と関係がなかったので、何の恐れも負担もなく続けていられたのだ。しかし、“できると思えばできる”という希望の代わりに、当時親からさんざん刷り込まれた“できなかったらどうしよう”という恐れは、その後もことあるごとに私の足を引っ張り続け、今に至っている。できなかったらどうしようという恐れは、今さら始めたって遅いという結論にずるずる引きずり込んでいく。その力は私の理性的な抵抗よりも大きい。それが私の行動をさらに遅らせ、気にしないで続けていれば早く終ったものを、結局終らせられない、ということを繰り返させた。

その後私はいろいろな人と会ったり、ニュースなどを読んだりしながら、私と同じような経験をしている人が、ずいぶん多いことに気がついた。いや、私なんか全然ましな方だ。その悲惨さは、結果にだけ焦点を置いて見ると、実に凄まじいものがある。この見えない病弊は、表面的には、非常に健全な姿で、物わかりよさそうに、溢れんほどの愛をもってやってくるが、人々の心の中に住み着くと、次第に彼らの精神(または魂)を蝕み、その人生を破壊していく。そして、それはいかにも常識的でまともに見えるので、その病弊の発信源を、受け入れた人たちは、後生大事に抱きつづける。そこに少しでもちょっかいを出そうものなら、大変な反発を食らう。だから私は、今後もそういう病弊と共存しながら、周りで人々が足を踏み外したり破壊されたりしていくのを目撃し、自分も少なからぬあおりを受けつづけて行くことになるのかも知れない。それを克服して勝利した人生を歩みたいものだ。

ところで、高校生の当時、私はその本を日本語訳で読み、いつかぜひ原文で読んでみたいと考えていた。そのことをもうずいぶん長い間すっかり忘れ去っていたが、今ふと思い出し、原点に立ち返ってみるつもりで、注文することにした。英語の得意でない私がこの本を読み通せるかどうかわからないし、今読んで感動できるかどうかもわからない。2週間後に届くという。いちおう期待しよう。

10月14日(火)「キリストに心を向ける」

at 2003 10/15 12:29 編集

今日は同労者の佐味伝道師さんが、1週間の断食祈祷の4日目だということで、力が出ないので聖書勉強会には来られないという連絡があった。電話に出た声は、別人のように元気がなかった。1週間の断食とはすごい。断食中心身ともに祝福されることを祈る。

そうやって、今日の聖書勉強会は始まったが、今日は私を含めて11人が出席した。この秋頃から、聖書勉強会の雰囲気が変ってきて、実りのある手応えを感じるようになった。これは恵み以外の何ものでもない。

今日は「ルカの福音書」13章1節から9節までのみことばを読んで討論した。今日の司会はイー・ガンヨ姉妹だった。この箇所は“悔い改め”に関する内容だが、それを話し合っているうちに、“悔い改め”に当るギリシャ語“メターニア(metanoia)”が、たしか心の方向を変えるということだったと思うから、これは現在の私たちにとってみれば、心をキリストの方へ向けることだ、と気づいた。

罪に陥ることは、心がキリストから離れることだ。また、“自分の義”で行動することにも教会では注意を促しているが、それもまた、自分が思う正義に心が奪われているのであって、心がキリストに向いていない。その心を再びキリストへ戻すことは、悔い改めることだ。

私は心がほとんどいつも世俗的なあれこれに向けられていて、それに心を奪われてしまっていることが多い。これは神を信じていることにならない。世俗にあって世俗のことに携わっていながら、心は常にキリストを向いている必要がある。それをキリストは強く求めておられる。そのことに、もう一度気づかせられた。

10月15日(水)「趨勢」

at 2003 10/20 01:06 編集

言語教育院では韓国語の教材に単語帳を作っている。日本語版と中国語版と英語版を作っているが、私はその中で4段階の日本語版を担当した。今日は、3段階の日本語版を担当している先生と、訳語について話し合いをした。そこで私は思いもかけない事実を知った。

それは、「趨勢」という日本語を知っている人はほとんどいないということだ。その先生が、自分は“趨勢”と訳したのだが、学生たちがその意味を理解できず、“傾向か”と聞かれたという。世代差かと思い、駐在員で来ている男性に聞いてみたが、その人も“趨勢”という語を知らないのだそうだ。そばに日本人の同僚の先生がいたので聞いてみたが、その先生も“趨勢”を知らなかった。「流れ?」と言っていた。

そこでインターネットで検索してみると、2千件ぐらい出て来た。どれもかなり固い文脈で出てくる。同僚の先生が、専門用語ですかと聞くので、いいえ一般的な単語ですよと答えた。「時代の趨勢」などと言って、よく耳にしていた表現が、最近は使われなくなる趨勢にあるのか。

その他、韓国語の漢字で“化粧台”と書く単語を私が「鏡台」と言ったら、同僚の先生がびっくりして、それは「ドレッサー」というんですよと言っていた。それを聞いて私がまたびっくりした。また、ガチョウの肝をフォアグラというのだとか。そういえば、骨付きのばら肉を最近はカルビと言うらしい。

南米に移住した日本人やその子孫たちが、昔の日本語をそのまま保存しているという話を、何度も聞いてきたが、自分の在韓13年間のあいだにそのような日本との乖離が生じ始めているということは、驚きだ。この13年間ずっと自分では日本語を使い続けているのに。しかしそれは、私が停滞していることを意味しない。韓国語の変化とともに、私の韓国語も少しずつ変化しているからだ。

そういえば、韓国に20年ほど前に数年間住んでいた人と、会って話したとき、最近の韓国語の表現について私から聞いて、信じられないような表情をしていた。その人は韓国語が堪能だったが、現在の表現で知らないものがいくつかあった。何という言葉についての話だったか忘れたが、今日の私の表情と似ているかも知れない。その人の思い出にある韓国は、もう存在しない。同じように、私の思い出にある日本も、もう存在しないのかも知れない。

10月18日(土)「原理主義とは何か」

at 2003 10/20 02:20 編集

一昨日キョボ文庫で買った『原理主義とは何か』(小川忠著、講談社現代新書、2003年)を読んだ。なかなか読みごたえのある本だった。

原理主義という言葉は、イスラム過激派を指す言葉として有名だが、そうではなく近代における一般的な思想の流れとして、本書は扱っている。ひとりイスラム教のみならず、キリスト教も含み、本来統一された教理を持たなかったヒンズー教や、教理すらなかった神道までをも含めて、原理主義とはどういうものかを論じている。

まず、シカゴ大学「原理主義」研究プロジェクトによると、原理主義の特質とは、新しい宗教運動ではなく、単なる前近代的な宗教の保守的な表現形態でもない、新旧の要素が交じった混成的形態である(p.22)とし、そのイデオロギー的特徴として、以下の5点を挙げている。

○近代化による宗教危機に対する反応
○選択的な教義の構築
○善悪二元論的な世界観
○聖典の無謬性の主張
○終末観的世界認識と救世思想

また、組織的特徴として、以下の4点を挙げている。

○選民思想
○組織のウチとソトとの明確な区別
○カリスマ的な指導者の存在
○厳格な規律、行動規範(以上 p.24)

これは主に「アブラハム宗教」と筆者が呼ぶユダヤ教、キリスト教、イスラム教についてよく当てはまるそうだが、世俗ナショナリズムにも原理主義の動きが見られるとし、インドの例を挙げ、また日本では、本居宣長から始まって吉田松陰に至る神道原理主義の思想的流れと、その後の明治維新、そして第二次世界大戦に至る暴走までをなぞっている。

日本の原理主義は安定した鎖国社会の中から芽を出したが、その出発点は、漢学者による記紀の中国的解釈(=からごころ)に、日本人としてのアイデンティティーの危機を感じたからだ。このように、原理主義は外来の圧力に危機感を覚えたときに生じる。近代化によって、今までもっとも重要としてきた価値、原理を否定され、自己を否定されたと感じるようになるとき、もっとも崇高なものを守るため、彼らは立ち上がる。

原理主義の本質は、危機の時代においてその危機を克服するために、過去にユートピアを設定し、それによって複雑錯綜化した現在の社会を組織化しようとするものだから、現在の日本も原理主義に流れる危険は高いと著者は指摘している。

ただし、本書を読み進んでいくと、原理主義とそうでないものとの区別が難しいということが感じられてくる。だからここでは、原理主義のプロトタイプが起こしている問題と捉えた方がいいかも知れない。

シカゴ大学の特徴付けは、多分にイスラム教を意識しているだろう。筆者も指摘するように、「経典の無謬性」という項目は、すべてのイスラム教徒に当てはまってしまって、原理主義を特徴付けられないだけでなく、教理のない日本の原理主義についても説明できない。また、キリスト教だって、昔から聖書の無謬性を信じて来たのだ。

また、初心に帰ることは、自分の存在意義を見失わないためにも大切なことだ。だから、クリスチャンにとって聖書に帰ることは大切なことだし、イスラム教徒にとっても、コーランに帰ることは大切なことだろう。それ自体を原理主義ととらえたら、原理主義の概念自体が危うくなる。問題は、それが他者への憎悪となって自分に凝り固まり、攻撃的な態度に出ることだ。それもやはり、経典のバランスある解釈による教義ではなく、選択的な教義の構築によるものなのだろう。

原理主義というのは、どうやら初めは穏健な思想として始まって、その思想が人から人へと受け継がれていくうちに、徐々に過激さを増していくものらしい。そういう様子をこの本で読みながら、昔考えたことを思い出した。それは、どんな態度でも、徹底させようとすると必ず逸脱してしまうということだ。純粋であるはずが、人間の邪悪さと愚かさを剥き出しにしてしまうのだ。原点に立ち返ることを強調するあまり、原点にはありもしなかった、熱狂的な破壊者になってしまう。原点と違うところに立ってしまうのだ。原点に立ち返る改革は、随時行う必要がある。しかし、それにはこのような陥穽があることを、いつも念頭に置いておく必要がある。

ところで、本書はキリスト教とヒンズー教と神道の問題については書きっぱなしにしていて、イスラム教の問題については、若干教理的な弁明を加えて書いている。ここから想像できることは、この人がクリスチャンでないということと(少なくとも福音主義者ではない)、アメリカの傘下にいる私たちがイスラム教についてアメリカから流される偏見に満ちた報道に心配しているということだ。日本の反イスラム的な雰囲気は、無知の上に成り立っているだけに、問題は深いといえる。しかし、キリスト教全体(プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教)にある共通認識抜きに論点だけを描写した点は、キリスト教について誤解を与える心配を感じた。

これを読んで、キリスト教に反感を持ってイスラム教に好感を持つ、おかしな人が現れないとも限らない。しかし、イスラム教について何も知らないままいたずらに恐れたり偏見を持ったりする日本人が多い現状では、このくらいの書き方をする必要はあるだろう。

10月19日(日)「ハンガン教会」

at 2003 10/22 01:15 編集

礼拝が終って家まで歩いて帰った。途中、シニョンサン初等学校(=小学校)の前で、主婦と見られる女性が、通りがかりの警察官に“ヨルシミ サセヨ!(=一生懸命生きてください)”と大きい声で言っていた。

あの警察官の知り合いかなあと思いながら、その女の人のそばを通りかかると、私に向っていきなり“アジョッシ!(=おじさン!)”と声をかけて来た。女の人に顔を向けると、“ア、ハクセン!(=学生さん!)”と言い直した。いつもそうだが、私は歳相応に見えないらしい。“キョフェ タニョヨ?(=教会に通ってますか)”と聞くので、“ネー、オンヌリギョフェ タニョヨ(=はい、オンヌリ教会に通ってます)”と答えると、一瞬うれしそうな顔をしたが、またすぐに表情を変えて“ハンガンギョフェド チョーウンデ(=ハンガン教会もいいですよ)”と言うから、“クレド キョフェ パックルス オープチャナヨ(=でも教会を替えるわけにはいきませんから)”と答えた。そして“スゴハセヨ(=頑張ってください)”と言ってその人から去った。

ハンガン教会は、トンジャク大橋を隔ててオンヌリ教会の反対側にあり、以前カンチョンアパートに住んでいたときは、すぐ脇の教会だった。オンヌリ教会に押されてか、信徒数が伸び悩んでいる、苦しい教会だった。当時アパートの郵便受けにハンガン教会の説教テープが投げ込まれていたので、聞いてみたが、聞くに耐えない説教だった。そんなことを思い出して、ちょっと気の毒な気がした。やり方がいささか強引だなとは思ったが、人気のある教会へ移らずに自分の教会を復興させるために頑張っている健気な態度が涙ぐましくもあった。

アパートに戻ると、正面玄関で、年輩の婦人が二人、郵便受けに何か広告物のようなものを入れようとしていたが、警備のおじさんがそれを止めさせようとして言い合いになっていた。教会のトラクトのようだ。気の毒に感じて、私が婦人の一人に“ハナ ジュセヨ(=ひとつ下さい)”というと、その人が“コーマプスムニダ(=ありがとうございます)”といってそのトラクトをくれた。見ると、ハンガン教会のものだった。「幸福な家庭作り」と書かれていた。それを見て、何だか悲しい気持になった。

私自身は、トラクトを配ったり道行く人に信仰を勧めたりするのは苦手だ。根が内気なせいだろう。そういうことを今まで一度もやったことがない。でも、自分がいいと思ったものは人にも勧めたいのは人情だ。概して、読んで感動した本や美味しい店などは、勧めると感謝されるが、キリストを信じる信仰は、それよりはるかに素晴らしいものなのに、勧めると露骨に冷たく拒絶する人が多い。

まあ、本は何千冊と読むことができるが、信仰は2つ3つと持つわけにもいかないので、いくらいいと言われても、迷惑に感じるかも知れない。同じキリスト信仰だって、もしカトリックの人から、カトリックはいいよと言われても、プロテスタントの教会を棄ててカトリックに鞍替えする気にはなれない。また、たとえばA大学に通っているのにB大学がいいからこちらへおいでと言われたら、それが確かにいいとは分かっても、行きますとすぐには返事できない。しかし、本当にいいものなら、よくよく考えた上で、時間はかかってもそれを選択するに限る。たとえ世を去る直前の滑り込みセーフであっても。

ああいうちょっと無骨な伝道ではあっても、それを機会に教会を知って通い始め、キリストを信じるようになる人がいることを願っている。同じように、福音を知っているようでまったく知らない日本の同胞が、福音を聞いてキリストを信じる祝福に与れることを願っている。あなたが教会に通っていないなら、ぜひ通ってみてください。

10月21日(火)「日曜日の過ごし方」

at 2003 10/22 01:18 編集

今週も梨花女子大学で聖書勉強会をした。ここ2カ月ぐらいの間、今までで最高に恵み豊かな聖書勉強が続いている。今日は佐味伝道師さんの司会で、ルカの福音書13章10〜17節を読んだ。安息日に18年間病の霊に苦しめられて来た女性をいやされた場面だ。

イエス様がある会堂で教えておられたとき、腰が曲がって全然伸ばすことのできない女がいたので、その女を呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました」といってその病気をいやされた。すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたことに憤慨した。しかし、イエス様は、なぜそれが必要なのかを話し、反対していた人たちはみな恥じ入った。

安息日に労働してはならないことは、旧約聖書に書かれている。しかし、人をいやしていけないということは、言い伝えによるユダヤ教の規則だろう。これは、律法でもっとも重要な、全身全霊を尽して神を愛せよという掟と隣人を我が身のように愛せという掟に抵触している。イエス様は、身をもって律法が第一に命じるところを行われたのだ。

イエス様の行われた意味を知り、会堂管理者をはじめ、イエス様に反対していた人たちは恥じ入った。彼らは律法の何が一番大切かを、やはり知っていたのだ。ただ、こまごまとした規則に囚われていて、それを見失っていた。それをイエス様によって気付かされた。私は彼らも立派な人たちだと思った。

私たちにとっては、日曜日(=主日)が一種の安息日だ。この日をどのように過ごすかは、教会によって(または人によっても)考え方が違う。いずれにしても、イエス様が復活された日であることを記念して礼拝するのが日曜日だ。イエス様は日曜日の朝に復活された。日曜日が休日なのは、この日にイエス様が復活されたからだ。この意味から私たちは日曜日の過ごし方をもういちど考えてみる必要があるだろう。

結果としては、どう過ごすべきかという結論は出て来なかった。しかし私は、ある姉妹の、日曜日は礼拝をささげ、家では聖書を読むという生活にとても魅力を感じた。その姉妹は、実は佐味伝道師さんの影響を受けて、今年からそのような生活をするようになったという。

私としては、そういう生活をするためには、残り六日間の生活を本当に一生懸命働き勉強しなければならない。以前それをやろうとして挫折したことがあるので、その大変さだけが意識に残っている。でも、できるならまた、日曜日を聖別して主にささげる生活をしてみたい。

10月22日(水)「ピダンジョゲ」

at 2003 10/23 12:25 編集

セビョク(=深夜)に妻と一緒にキムスクラブへ買い物に行った。牛乳その他の日用品を買うためだったが、この時間は客足がいちばん少ないせいか、売場には店員も少なく、牛乳売場ではワックスがけをしていて、その周囲にテープが張り巡らされていた。テープを跨いで牛乳を選びに行こうとした妻は、乾燥器で床を乾かしていたおばさんに厳しく注意された。深夜に働くのは大変だろうが、お客さんから床を守るために必死で闘っている感じが、傍目におかしかった。

生鮮売場を通り過ぎるとき、日本のアサリにとても模様のよく似た貝が、ふと目に留まった。「ピダンジョゲ」と書いてある。試食をやっていた跡があるところを見ると、新種なのか。子どもの頃、アサリの味噌汁を食べたあと、残った貝殻の、水墨画のように美しい模様に、一日中見入っていた記憶が甦った。このピダンジョゲもまた、水墨画のように美しい模様を持っている。ピダンジョゲ(訳せば“にしき貝”)とはよく言ったものだ。しかし、大きさはアサリよりも少し大き目で、かといってモシジョゲほど大きくはない。この貝を日本語ではどう言うのだろうか。

他に、とり肉のコーナーではとり肉のぶつ切りに「トリユク(doriyug)」という名前が印刷されていた。“ユク(yug)”は“肉”の意味だが、“トリ”とは“鶏”らしい。韓国では、日本語の単語を韓国語の中に外来語として使うと“間違っている”と評価されるが、この堂々と書かれた“トリユク”は、そんなのどこ吹く風といった雰囲気だ。もっとも、このレッテルを作成した人は、“トリ”が日本語が語源だとは夢にも思っていないにちがいない。

家に帰ってから、「ピダンジョゲ」をイメージ検索してみた。しかし、写真は出て来なかった。やっぱり新種なのかと思ってウェブページを検索すると、なんと1990件も検索された。小説に“ピダンジョゲ”の名前を扱っている話が出ているところを見ると、新種ではないようだ。

10月24日(金)「誓いを立てない」

at 2003 10/25 17:05 編集

今週もうちで聖書読書会をした。今日は私が直前まで授業があったので、代りに吉沢伝道師先生が司会をしてくださった。今日はマタイによる福音書5章33〜37節の、「誓いを立てない」という教えの部分だ。

イエス様は、誓いを立ててはいけないと言われたうえで、「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである(37節)」と仰った。私はこれを、次の文脈で解釈していた。

「朝比奈といひし老人の、常のことばに、神仏を誓ひて物いふありけり。父にておはします人の仰せられしは、よのつねに、いつはり多き人は、其のこと葉を信にせんとて、神仏に誓ひていふ事あり、此人はつねの行ひに、いつはりある人にはあらねど、天性かろがろしき人の、ことばのつゝしみなくて、神仏に誓ひて物いふ事の、くせになりたる也、汝等もよく心すべき事也、といましめ給ひき」(『折たく柴の記』新井白石著、岩波文庫、p.35)

しかし、吉沢先生によると、当時ファリサイ派の律法学者たちの聖書解釈では、「わたしの名を用いて偽り誓ってはならない(レビ記19:12)」という御言葉から、神の御名を用いなければ、誓いを破ってもかまわないという、言い逃れのような教理を作っていたそうだ。イエス様はその態度の狡猾さを指摘されたわけだ。

イエス様は、「一切誓いを立ててはならない」と言われたうえで、「天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである」と説明された。これらはつまり、どれにかけて誓っても、そこには神の支配があるので、結局は神にかけて誓ったことになる。その誓いを破れば、全て冒涜の罪を負うことになる。

私は「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい(estw de o logoV umwn nai nai ou ou)」という言葉の意味について考えてみた。この部分の文法的な関係が正確にはどうなっているのか分らないが、“そうならばそうと考え(言い)、違うならば違うと考える(言う)”という意味だと解釈すれば、この態度は、他人に対してだけでなく、自分自身に対しても言える。私たちは自分自身の立場や自尊心から、事実を認めないことがよくある。事実なのに事実でないと思い、事実でないのに事実だと思いこむ。これだって考えてみれば、「悪い者から出る」のだ。

もちろん『折たく柴の記』が語っているような面がないとはいえないだろう。誓うということは、真実さの根拠を自分自身でなく他者に求めることだ。自分自身の真実さに自信が持てなければ、すぐに何かにかけて誓うようになるのは人情だ。

だから、そうならないように、自分自身の真実さは自分で責任を持てというのが、イエス様の要点に違いない。自分自身が真実な存在になるという強い意思を、私たちは求められている。真実であること(pistiV)は、聖霊の実でもある(ガラテヤの信徒への手紙5:22)。真実を、外の世界でだけでなく、自分の中でも同様に追求する態度を、身につけたい。

10月26日(日)「THE BIBLE KNOWLEDGE COMMENTARY」

at 2003 10/27 04:22 編集

今日は日曜日。いつものように、教会へ行って礼拝に出席した。私のように日曜日だけ教会に行く人を、英語で“Sunday Christian”という。不熱心な信徒のことだ。“Sunday Christian”の本当の意味は、礼拝を終えたら次の日曜日まで、心を世俗に埋没しきっているクリスチャンのことだが、私も似たような者だから問題だ。

今週の説教は、山口伝道師先生の通訳で、イー・ギフン牧師先生が説教をした。「使徒言行録」の16章6〜15節の、パウロがマケドニア地方のフィリピで説教を始めるに至る経緯が書かれている。イー牧師先生は、来週から「フィリピの信徒への手紙」を講解説教する予定だと言い、今週はその背景知識として、使徒言行録のこの箇所を読みながら説教した。

礼拝が終ったあと、北野伝道師先生が私を呼ぶので、何だろうと思うと、バイブルナレッジ・コメンタリー(THE BIBLE KNOWLEDGE COMMENTARY)という聖書注解書の原書は要りませんかという。この本はもともと英語で書かれたものだが、韓国語訳が私たちの教会の出版社から出ている。私はそのうち数冊を持っているが、創世記からヨハネの黙示録まで全巻買いそろえると、30冊にもなり、大変な分量だ。躊躇したが、一応見ておこうと思って、どんなものか見せてくださいと頼んだ。

北野先生が持って来たのは、分厚い本2冊だった。いやあこんな分厚いのが30冊もあるのかと思って仰天したが、この2冊が全部だと聞いて、また驚いた。何とこんなにコンパクトに全巻がまとまっているのか。韓国語版は、それを分冊にして出したのだと北野先生は言っていた。

いくらで譲ってくださいますかと尋ねると、使ってくださればそれで結構ですと言う。しかし、こんなに大事な本をくださってしまってもいいんですかと聞くと、自分は韓国語の方が分るから、韓国語版を買いそろえようと思うと言っていた。いや、私だって韓国語版だったら寝転がってでも読めるが、英語はそれこそ辞書と首っ引きになる。その点では北野伝道師先生と違いはない。願ってもないことなので、いただくことにしたが、そのままいただいてしまうのも申し訳なくて、半永久的ではあるが、“お借り”することにした。

そのあとのB&Fでは、30〜40代男性のグループを、来週から「QTの分かち合い」と「聖書勉強」と「一対一弟子訓練」の3組に分けて行うことになったが、それについて簡単に話を聞いたあと、今日は「リビングライフ」の週末聖書勉強のページで信仰を分かち合った。

B&Fが終ったとき、リーダーのクォンさんが私を呼ぶので行くと、聖書勉強を選んだ人は、クォンさんとムン兄弟と私の3人なのだが、どうやっていこうかと言うので、迷わず、梨花女子大学の言語教育院でやっている聖書勉強のスタイルでやりたいですと答え、そうすることになった。まず最初の週は、私が司会をすることにしたが、その次の週から順番に司会をしていく。

家に帰ってから、北野先生から“お借り”した注釈書で、一昨日の家庭集会でちょっと疑問に思った「『然り、然り』『否、否』」という部分を探してみた。すると、こう出ていた。

“The Lord was saying one's life should be sufficient to back up one's words. A yes always ought to mean yes, and no should mean no. ”(“NEW TESTAMENT”、p.31)

なるほど、“...one's life should be sufficient to back up one's words”というのは、「自分自身の真実さは自分で責任を持」つことの、実際に表れた態度のようだ。そして、『然り、然り』『否、否』というのは、自分が言ったとおりに行えという、いわば言行一致の教えだということが分かった。

私はそれまで、無教会派の学者が書いた注解書を使っていたが、福音派の信仰と違う解釈が時々あって困る。妻の父の蔵書から譲り受けたバークレーの注解書は、とてもいいのだが、説明が長くて必要な部分を読むのにとても時間がかかる。今日北野先生から“お借り”した注解書は、説明が簡潔で、必要な部分を読むのに時間がかからないという利点がある。

北野先生の話では、この注解書は多少古くなって来たので、同じ学派の中でも神学上論難の対象になっている部分もあるという。まあ、注解書を丸ごと鵜呑みにして読んでいるわけではないから、それは問題ない。

10月26日(日)「唐物語」

at 2003 10/27 04:39 編集

先日キョボ文庫で買った『唐物語』(小林保治全訳注、講談社学術文庫、2003年)を読み終わった。この物語は12世紀中頃に書かれたものだそうで、中国の話を翻訳・翻案した作品集だ。特色としては、長さはさまざまだけれども、そのどれも話の末尾に和歌を添えてあるのが、なんとも言えない風情をかもし出している。

私は、日本の古典に外国の話があるなんて知らなかったので、初めてこの本を見たとき、とても不思議な感じがした。そして第一話を立ち読みしながら、その風雅な文体と、日本のものでないがゆえに醸し出される幻想的な雰囲気に、軽い陶酔を覚えた。昔読みさしてその後どこかへ行ってしまった、アンデルセンの『絵のない絵本』(たしか岩波文庫)のような感じがすると思った。それで、1万6千ウォンもするのを、思い切って買った。

読んでみると、全部で27篇ある大小の話は、内容が実にさまざまで、深い余韻を残すものから、なかなかいいなあと思って読み進んでいたのに最後の教訓めいた話にしらけてしまうものもあった。どこかに載せるとき、そこだけ削除したら、作品の改竄になるか。また、長恨歌が「玄宗皇帝と楊貴妃の語」という題で載っていたが、所々目が覚めるほど鮮やかな描写はあるものの、心を動かすような話ではなかった。さらに、最後の部分を仏教の教理の話で締めくくってしまったのはいただけない。まあ、そう思うのは私だけのことで、他の人たちは、私が読み取れなかった良さをその中に見つけるのだろう。

古文だから読みにくかったが、最後まで読み通したということは、やはり面白かったのだ。私の性格からいくと、つまらなかったら途中で投げ出しているはずだからだ。中には、折に触れて読み返したい話もあった。それらには、題の上に“◯”印をつけておいた。

10月27日(月)「新しいこと」

at 2003 10/29 21:01 編集

まず、今日から AristotelhV 神父さんとランゲージエクスチェンジを始めた。私が、なんと韓国語を教え、神父さんが私にギリシャ語を教えてくださる。私は韓国語を教えたことがなかったうえに、漢字文化の背景がない人に韓国語を教えるので、思いのほか当惑することが多い。

今日はまずインタビューから始めた。簡単にインタビューをして、神父さんが大体中級の下くらいの韓国語力があることを確かめたのち、ニーズ調査のためにいくつかの質問をした。私の韓国語は漢字語が多く、教えた経験がないために、言葉をやさしくしようとしても、難しい言葉がポンポン出て来てしまう。言葉を英語で説明しようとしても、準備していない単語は英語でも説明できない。

神父さんは、韓国語で何よりも、信徒との会話ができなければならないという。それには聞き取れなければならないが、聞き取るには韓国語の語彙力が求められる。それから、文法形式についても、たいていの語尾は聞いて理解できる必要があるだろう。文法はともかく、まずは語彙力の養成に力を注ぐ必要があるように思われた。

私が苦し紛れに考えた語彙の増強法は、漢字語の場合、その熟語の意味を提示したのち、それぞれの音節が何を意味する漢字でできているのかを説明することだ。漢字自体を提示しても意味がない。実際の韓国語の文字生活では漢字をほとんど使わないからだ。

こういう経験は、日本語教師としてもプラスになるだろう。それからまた、将来ギリシャ語ができるようになってギリシャ語を教えるという祝福に与ることになった場合にも、役に立つだろう。

それからもうひとつ、一緒に聖書勉強会をしている同労者の伝道師さんの家に行って、しばらく話をした。伝道師さんは、急に辞令が下りて、日本の東京にある教会へ赴任することになった。それで、今後の聖書勉強会のあり方について話し合った。

私は伝道師さんが日本でも同じスタイルの聖書勉強を始めれば、ホームページなどを通して韓国と日本とのネットワークができると期待していた。しかし、信徒が2千人に教職者が15人という日本最大の教会で、しかもそのうち日本人信徒7百人を2人の日本人教職者で面倒見なければならないという話を聞いて、これじゃ聖書勉強会どころじゃなさそうだと思った。

また、私自身も、同労者がいなくなって一人で聖書勉強会を運営するとなると、いろいろ難しいことがある。私はなるべく火曜日の午後を聖書勉強会のためにあけているが、もし何かの用事で言語教育院にいられないときには、部屋を確保してくれる人がいない。言語教育院の中には、クリスチャンで日本語のできる先生たちは結構いるけれど、他の先生たちには他のビジョンがある。私のやっていることを、一緒にやりましょうと誘うわけにもいかない。

変化は不安を与える。しかし、主の導きさえあるなら、状況の困難さも障害とはならないだろう。

10月28日(火)「からし種とパン種」

at 2003 10/30 10:30 編集

夢を見た。作業服を着た人たちが、大木の幹を縦切りにしたものを、リビングルームに運んで来た。何に使うのかは分らない。その断面を見ると、虫のようなものが幹の中央にびっしり詰まっていた。一応念のためにと思って、殺虫剤を吹き付けた。すると、死んでいると思った虫たちが、にわかに動き出してどっと床になだれ落ち、のたうちまわる騒ぎとなった。その阿鼻叫喚の光景はすごかった。

目が覚めると空は晴れ、枕許からは、青空にまぶしく光る白い雲が西から東へ流れているのが見えた。今日は明け方に雷雨がソウル一帯を見舞っていた。それが嘘のように、明るい朝だ。

2時からの聖書勉強会で、賛美を始める前に、今日は休んだ同労者の伝道師さんが、近いうちに日本の教会へ赴任すると話した。すると、来ていた人たちは大変な動揺と悲しみの色をあらわした。涙を流す人もいた。伝道師さんが日本へ行ってしまうことは、聖書勉強会の他にもいくつかの重大な影響があるからだ。その中で私は、パウロがエペソ(=エフェソス)の長老たちに別れを告げたときの光景(使徒20:36〜38)を思い出していた。そしてもうひとつ、今朝見た夢を思い出していた。

今日は私が司会をして、ルカの福音書13章18〜21節を一緒に読んだ。この箇所は、ある安息日にイエス様が会堂で病の女をいやして会堂管理人と論争があった直後に語られた話だ。イエス様は、神の国を、からし種とパン種にたとえられた。

神の“国”とは、神の“統治”のことだ。それは、からし種のように微細なものから始まって、のちには鳥が巣を作れるほど大きな木へと発展する。それは、私たちの心に“からし種”ほどの小さな信仰が植え付けられたのち、それが育ち、人々へと広がって、終末には神の統治が実現することを表しているようだ。

また、神の国は、小麦粉にパン種を混ぜると、やがて小麦粉全体が膨れるようなものだ。神の国はそのように行き渡り、大きくなっていく。

ところが、ここに大きな難点がある。それは、たとえに「空の鳥」と「パン種」という二つの否定的な単語が用いられていることだ。「空の鳥」は、イエス様のたとえの中で、多くは信仰の芽を摘んでしまうサタンの比喩として用いられている。巨大になったからしの木に鳥が巣を作るということは、神の国にサタンが巣食うことを思わせる。

また、神の国を「パン種」にたとえたこと自体が、読者に混乱を起こさせている。なぜなら、新約聖書に出てくるパン種は、神の国のたとえ以外ではすべて“不信仰”のたとえとして描写されているからだ。そのため、ある注解書では、何かしら望ましくない状態をイエス様はたとえらえたのだと説明している。

しかし、神の国が小さな信仰に始まって大きな統治へと発展するものであるという解釈は捨てられない。やはりイエス様は、一義的にはそのことを表されたのだと思う。神の国は、信仰を植え付ける人がいて、私たちに植え付けられた信仰が成長することで、大きくなっていく。

イエス様は、二つの意味を同時にたとえられたのではないだろうか。人々に神の国について説きながら、その伏線として、パリサイ人たちが信じる“神の国”は不信仰の膨張だと仄めかされた。二つの相反するメッセージがひとつの言葉に同時にこめられたとき、その言葉は辛辣な皮肉を帯びる。

私たちは、忠実に信仰を守っているつもりが、気がついてみたら、信仰の中に信仰を摘み取る悪が巣食い、不信仰が心に蔓延して膨張し続けているという悲劇もある。気づかずまっしぐらに逸脱していく場合もある。そういう、独自に作り上げてしまった“神の国”を、神は祝福されないだろう。それは本当に悲劇だ。

このたとえの後、狭い門から入れとイエス様は説いておられる。それはこの話とつながっているように思える。イエス様は狭い門から入るには「努力」が必要だと言われた。自分の信仰があらぬ方向へ行っていないか、いつも気をつけて、その中心を忘れないようにしたい。どんなに熱心に信じていても、その熱心さまでもが私たちを逸脱させてしまう危険があるからだ。

10月30日(木)「ギリシャ語学習雑感」

at 2003 10/30 15:07 編集

私がギリシャ語で作文して間違えたところを見ると、“一致”のし落としが目立つ。最近は「一致、一致」と唱えながら作文するが、それでもよくポカをやらかす。一致の難しさ自体は、ずいぶん以前から気付いてはいたことなのだが、この“一致”というものは、実は西洋語の特徴なのではないかということに、ふと思い至った。

どんな一致が求められるかというと、まず、名詞と動詞では、名詞の人称と数が、動詞にも反映されなければならない。そして、名詞と形容詞・冠詞とでは、数と性と格の3点が一致しなければならない。冠詞と名詞との一致は、何とかクリアできるのだが、主語が名詞で述語がコプラと形容詞とでできている文の場合、後ろの形容詞で、性も数もずっこける。一致はそればかりではない。関係代名詞の一致は、数と性が先行文と一致して、格が内包文と一致する。これは、文をつなぐのに合理的な方法なのだが、作文するときには、目が回って乗物酔いのような気分にすらなる。

私が持っているギリシャ語の教材は、古典ギリシャ語も現代ギリシャ語も、活用形の習得には力を入れているが、一致の概念を身に付けさせる練習は皆無だ(古典ギリシャ語で作文したことはないけれど)。もちろん、読解練習や簡単な作文練習を通して一致の概念を身に付けるのだ、と言われてしまえばそれまでだが、少なくとも、一致に慣れさせるパターンプラクティスは行われていない。

これは、西洋で書かれたギリシャ語教材に範を取っているためだろう。西洋人にとって、一致というのはごく自然なものなので、語形変化と一部の特殊な構文だけを身につければ、あとは母語の勘でギリシャ語ができてしまうのかもしれない。しかし、日本人にとって、一致はとても厄介な概念だ。これは、理解するのが難しいのでなく、自分の思考回路の中に組み込まなければならないので、訓練が要るのだ。

文は述語を核にしているが、一致は名詞を核にして、その前後に影響を及ぼす。一致の主人公である名詞は正しく変化させるのに成功しても、その影響が及ぶ形容詞や動詞などで、ポカをやってしまう。

一致というのは、英文法でも重要な項目のはずだが、英語は語形変化がほんのわずかしかないので、一致で頭を悩ませることはあまりない。逆に、一致が形に表れにくいために、読むときは、かえってその単語が文中のどれと関係しているのか分らず、途方に暮れることが多い。ギリシャ語は語形変化が複雑なので、一致を念頭において話したり書いたりしなければいけないので頭が痛いが、読むときは、語形変化さえ頭に入っていれば、単語が文中のどれと関係しているのかよく分かって便利だ。

読むときは判別できるので、間違いを指摘されればすぐにそれが間違いだと分る。ところが、書いているときには気が付かない。これが、日本人にとって“一致”が難しい点のようだ。

ところで、韓国では現代ギリシャ語の教材は皆無だ。ただ一つ、明志出版社から出た、訳して「現代ギリシャ語動詞変化表」という本があるだけだ。ところが、日本のサイトでギリシャ語を検索すると、現代ギリシャ語の教材や、辞書までも検索される。もちろん、英語で書かれた現代ギリシャ語の教材は、韓国でも手に入るのだが、日本では日本語で書かれた現代ギリシャ語の教材や辞書がある。たぶん韓国人はほとんど全員が、ギリシャでも英語で通そうとするのに対し、日本人の中にはギリシャへ行くんだったらギリシャ語でコミュニケーションを図ろうとする人がいるために、ギリシャ語教材や辞書が売られているのだろう。

しかし私は韓国で、ギリシャ語の堪能な韓国の人に何人も会った。その人たちは、流暢なギリシャを話していた。ただ、たいていはギリシャで勉強して来た人たちだった。韓国でギリシャ語を勉強した人は、どんな教材でどうやって勉強したのだろう。一人、韓国で勉強したという人がいたので、興味をおぼえて話しかけたら、その人は気難しい人で、キッと睨まれただけで終ってしまった。(笑)

10月30日(木)「矛盾の多い時間表現」

at 2003 10/31 00:42 編集

“週末”というのは変な単語だ。小さい頃は、週末と聞いて、土曜日のことだと思っていた。なぜなら、1週間は、日曜日から始まって土曜日で終ると学校で習っていたからだ。もちろん、土曜日が1週間の最後の日だということは正しい。ところが、週末という語は、土曜日と日曜日のことをさす。“末”というのは最後のことなのに、最初の日が“末”に含まれてしまっている。そしてこれも正しい。月の初めを前の月の末日に含めるのは間違っているが、週の始めを前の週の末日に含めるのは正しい!

韓国でも事情は同じで、そのために、いろいろおかしなことが起こる。日曜日というのは週の初めの日なのに、妻はよく日曜日に教会で、「今週の土曜日は楽しかった」というような発言をする。いやあ、“今週の土曜日”まではあと6日あるのに。そして、その週のスケジュールを話すとき、“来週”と言っている。妻だけではない。言語教育院の教科書にも、おなじ間違いがあった。今手元にないから記憶は定かではないが、たしか「今週の日曜日は何をする予定ですか」という例文だったと思う。このように、“週末”という語のために、週の始めの日が、週の最後の日のように勘違いされていることが多い。

週末という語は、英語の“weekend”から来たのだと思うが、この語がおかしいと思う人が多いためか、日本では“土日”という言い方もよく用いられている。サラリーマンがよく使っているようだ。日本語教師は“週末”と言うことが多い。英語は論理的だというけれど、こうやって整合性を破る語が平気で使われることもあるわけだ。韓国では、“土日”に当る語はなく、“週末”に当る語だけがある。

こういう時間の順序を表す言葉は、いろいろ矛盾したまま使われていることがある。“正午”は午前12時なのか午後12時なのかということも、もめる問題だ。韓国では圧倒的に、“午前12時”という人が多い。しかし、正午になった瞬間から、午後になるのだ。午前と午後は共存することがなく、はっきりと分かれている。強いて言うなら、正午は“午後12時”だ。夜中の12時もそうだ。午前も午後も、12時から始まって、11時で終る!

こうなってしまうのは、数字には、ゼロから始まるものと、1から始まるものがあるからだ。ゼロから始まるのは秒と分と時で、1から始まるのは日と月と年と世紀だ(実は曜日も)。千年期なんて言葉は、数年前まで聞いたこともなかったが、これも1から始まる。この中で、もともと1から始まっていたのに後にゼロから始まるようになったと思われるのが、“時”だ。このために、私たちは1時から午前と午後が分かれると勘違いしがちだ。もちろん、12時を“0時”と呼べば、時間は0時から始まって11時で終ることになる。これが、現在の時間の現実ときれいに一致する。

時間表現の矛盾はそれだけではない。イエス様は、安息日の前日(=金曜日)の午後3時ごろ十字架で息を引き取られ、その翌々日の第一の日(=日曜日)の早朝に復活された。だから私は“3日目”に復活されたと言っているが、かなり多くの人たちが、“3日後”に復活されたと言っている。ある人は、3日間墓の中におられたと言っている。しかし、イエス様は2日後に復活されたのであり、時間としては、まる1日半の間、墓の中におられたのだ。もし“3日”という語を入れたいのなら、“あしかけ”3日間、墓の中におられたと言うべきだろう。

このように、理由はさまざまだが、時間を言い表す表現は、けっこう混乱している。

10月31日(金)「ΦΤΩΧΗ ΓΛΩΣΣΑ」

at 2003 10/31 23:59 編集

ギリシャ語を教わっていたとき、神父さんが“Ta agglika einai h jtwch glwssa.(英語は貧しい言語です)”と言われた。一瞬耳を疑った。英語は膨大な外来語を受け入れて、世に希に見る豊かな言語になっていると私は考えていたからだ。しかし、神父さんの意見では、この膨大な外来語こそが、英語を貧しくしているのだということだ。それに比べてギリシャ語は豊かな言語だと言われた。確かにギリシャ語は絶望的なくらい豊かな言語だ。こういう長い歴史的な一貫性を持ち続けて来た言語は、ギリシャ語と中国語以外にないのではないだろうか。

ギリシャ語を豊かにしているのは、固有語によって高度な文化を築いたということだけでなく、語順もバラエティーに富んでいるという。英語はそれに比べて、いつも語順が決まっているので素っ気無いという。確かに、ギリシャ語のバラエティーに富んだ語順は、最初勉強するときには面喰らう。そして、現代ギリシャ語でもまだずいぶん自由自在に語順が変えられるので、英語学習のノリで、文頭の方にある名詞を主語と思って聞いていると、とてつもなく見当違いの解釈をしてしまうことがある。

神父さんは言われた。「英語は商売をするのに適した言葉です。イタリア語は音楽をするのに適した言葉です。トルコ語は喧嘩をするのに適した言葉です。ギリシャ語は、祈るのに適した言葉です。哲学的で、変化に富んでいます。」

私は、ギリシャ語で祈れるようになりたいと答えたあと、ふざけて、トルコ語を勉強してみたいですと言った。もちろん、喧嘩に使おうと思っているわけではない。日本語と文法的に共通点の多い言語なので、関心があるのだ。また、トルコの人と韓国の人たちは、文化的共通点が多いということで、互いに好感を持っている。言語教育院の学生でも、トルコへ旅行に行って、大変好感を持って帰って来た。私もまた、トルコの人たちの東洋的な情緒に共感を覚える部分もある。

そのトルコは、ギリシャと有史以前から時々戦争をし、支配したり支配されたりを繰り返して来たので、あまり仲がよくない。「風の谷のナウシカ」で、トルメキアという軍事大国が出てくるが、あれはギリシャ語の“トゥルキーア(=トルコ)”と発音が似ている。ナウシカはギリシャ西部の小さな島の王女だが、ギリシャ人の目に映ったトゥルキーアの人たちの印象が、宮崎駿の物語に反映されているのではないかと感じた。

神父さんが、各言語の特徴について話したので、私もちょっと考えてみた。韓国語は日本語よりも、祈りに適した言語だ。信仰を表現する言葉が豊かに準備されているからだ。それから、トルコ語と似ているが、韓国語は他人を非難するのに適している。荘厳で重厚に表現できるからだ。日本語はそれに比べて、地味な美しさがある。心の優しさを表現するのに適している。

それにしても、英語が“貧しい言語”という考えを認めるのはちょっと困る。その考えによると、日本語は英語ほどではないが、やはりかなり貧しい言語ということになる。韓国語もその点では日本語よりも若干貧しいことになってしまう。神父さんは現代ギリシャ語も、古典ギリシャ語に比べて貧しい言語と思っているのだろう。なぜなら、古典語にあったもので現代語では違う単語を使っているものを、“ポールタ(=戸)”はイタリア語でギリシャ語は“スィーラ”、“アサンセール(=昇降機)”はフランス語でギリシャ語は“アネルキスティーラス”、“コンピウーテル(=電算機)”は英語でギリシャ語は“イレクトロニコ・イポロギスティス”というように、好ましくない外国語がギリシャ語に入ってしまったという表情で言われるからだ。

日本語は、ギリシャ語のように外来語を追い出してもピンピンした言語ではない。漢字語を追い出したら、シュンとなってしまう。だから私たちは、漢字語を母語と思っている。平安期の物語を読むと、ほとんどが和語で綴られていることに驚く。古事記は途中まで読んだが、漢字語は全然なかったように思う。しかし、大昔に用いられていた和語を集めても、学術的な営みに耐えられるとは思えない。

まあ、それを悲観することはないだろう。当時私たちの先祖にとって、それは関心外のことだったのだ。現在日本語がどのような内容についても話せる文化語であることを幸せに思えばいい。借用語というのは、お金やものとは違い、後に返還する必要はない。借りて使っているのではなく、摂取したのだから、もう私たちのものなのだ。

10月31日(金)「敵を愛する」

at 2003 10/31 23:59 編集

今日も家で家庭集会を持ち、聖書読書会をした。今日も私が仕事で帰りが遅れたので、吉沢伝道師先生に司会をしていただいた。今日の箇所は、「マタイによる福音書」38〜48節の内容で、復讐してはならない(38〜42節)という箇所と、敵を愛しなさい(43〜48節)という箇所を通して読んだ。

ここで「だれかがあなたの右の頬(コンピュータでは“頬”の正字が出ず、この変な略字が出てしまう!)を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオンいきなさい」という厳しい御言葉はどんな意味があるのだろうと気になっていたが、吉沢先生の説明によると、これは、相手に強いられて受動的に行動するのではなく、支配された状況においても自分が主導権を取って能動的に行動する方法を説いておられるのだそうだ。これは、単に相手のなすがままにするのとは次元の異なる、力ある教えだということを知った。これは、私たちが環境に反応するのではなく、環境の“原因”となることを教えておられるのだ。

「敵を愛しなさい」という教えについても、ただ優しい人になれということではないことに気がついた。神は「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」。その神と同じようにできなければ、“神の子”として天国を相続するのは難しいということをイエス様は仰っているのだ。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(48節)という結論部分の御言葉が、それを語っている。

イエス様の教えは、神がすべての原因であられるように、私たちも周辺環境の“原因”となることを教えられ、また、子が親に似るように、神の子としての神の民も親である神に似ていく必要があることを教えておられる。その意味の深さは荘厳さを覚えるほどだ。しかし同時に、それが人間にとって非常に困難な教えだということも認めざるを得ない。私たちは、神が完全であられるように完全な者になることはできないだろう。しかし、できないからといって最初から放棄することは、御心に適っていない。遥か彼方にある完全に向けて、ひたすら進んでいくことを、神は求めておられるのだと思う。