ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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9月1日(月)「住所変更」

at 2003 09/01 14:22 編集

ソウルは昨日から急に暑さが去り、いきなり涼しくなった。この変化は、いつも思うが、急激だ。一昨日まではシャツと短パンで寝ていたが、昨日は長袖のジャージを着た。もっとも、いつも気温の変化が東京に比べて急激なソウルだから、また暑さがぶり返さないとも限らない。

トライポッドがインフォシークに吸収されて、この9月から私のウェブサイトの住所も変わった。これまでは http://ijustat.tripod.co.jp/ だったが、今後は http://ijustat.at.infoseek.co.jp/ になる。ちょっと長くて不便になったなあと思うが、無料で使わせてもらっているのだから仕方ない。リンクをしてくださっている方や、お気に入りに入れてくださっている方は、URLの変更をしてくだされば幸いです。

元の住所は、年内はまだ大丈夫とのことだから、しばらくは今の名刺も使えるが、あまり人と会う機会のない自分が今年中に名刺を使いきれるかどうか分らない。しかも、これからしばらくの間は、学生以外の人と会う機会もあまりないと思うから、ますます名刺の処置に困ってしまう。私の薄給ではけっこう高かったから、これを捨ててしまうのはもったいないし、デザインがきれいなので、そこに新しいURLを書き込んで汚くするのも何だか気が引ける。

9月1日(月)「幻想の未来」

at 2003 09/03 13:11 編集

先日キョボ文庫で買った『幻想の未来』(岸田秀著、講談社学術文庫、2002年)を読んだ。この本は“自我”の問題について徹底して論じている。著者の主張は、「人間は本能が壊れた動物」(p.29)であって、本能の代用品として「自我」という行動規範を作ったということだ。そして、自我は他者との関係の中で形成され(p.30)、他者の自我を自分の自我にコピーしていくことで形成していくという。

日本と西洋とでは、西洋人は強い自我を持っているように見えるが、そうではないと著者はいう。「日本人はその自我の安定を他の人たちに支えられて保っている」(p.13)のに対して、西洋人の自我を支えるのは「神」(p.14)だった。人は自分の自我を支えるものには弱く、それを恐れるものだが、西洋人は神が支えなので、人に対しては強くなれたというわけだ。日本人であれ西洋人であれ、自我というのは「つくりものの幻想であって、本質的に不安定であり、その不安定な自我がいささかでも安定し得るためには何らかの支えを必要とする点においては何ら変わりはない」(p.13)のだ。

しかし、日本は明治以降、神を信じないまま西洋的な価値基準を受け入れることによって、神に支えられてこそ強くなれる自我を、神なしで強くしようとした。しかし、そこには自我の安定を支えるものがなかった。そのために、人を恐れている現実と、人を恐れてはいけないという意志とが葛藤を起こすようになり、対人恐怖症という精神障害が拡散した。一方西洋では、神を信じなくなったにもかかわらず、昔ながらの強い自我を社会規範にしているために、やはり最近では対人恐怖症が広がり始めているそうだ。

西洋では神を否定したのち、神の代用品として、様々なものを自我の支えに求めてきた。しかし、どれも確固たる支えにはなってくれなかった。一方、日本人も世間を否定したために自我の支えを見失ってしまい、西洋人と一緒にさまよっている。「現代人は、神を殺して、あるいは世間を否定して自我の自律性を獲得したつもりになったものの、実際には、自我は何らかの支えなしでは存立し得ず、何かを支えにしていることには変わりはないので、おのれを自律的だと思っている自我の部分と、何かを支えにしている自我の部分とが激しく葛藤するようになった」(p.254-255)。

現在は、手当りしだいに神(または世間)の代用品となる自我の支えを求めているのが、多くの人たちの現状だ。それはあたかも「食い物を漁る飢えた浮浪者」のようだという(p.277)。そして、「まさに溺れる者は藁をもつかむように、支えにもならない支えを求めて右往左往するこのみじめな自我は、おのれの自律性を実現し、主体性を確立しようとする自我がゆき着く必然的な結果である」(p.278)と指摘する。

そして著者は最後に、「自我の自律性は幻想である」としながらも、何かバラ色の代案があるとは決して言わず、「もしこの幻想にしがみつきつづけざるを得ないとすれば、少なくとも、そのことがどういう結果をもたらしているかを知った上でしがみつきつづけるべきであろう」と結んでいる。非常に悲観的な結論だ。

この本では、“神”を“世間”と同じく、不合理な“幻想”であると論じている。そして著者自身も神を否定している。しかし、結論に見られるように、無神論の立場による希望的観測を一切入れていない冷徹な議論は、神を信じる者の目には、かえって人と神との関係を強く感じさせてしまう。神は人に自我を形成させる能力を与え、その自我は神を信じるときに安定するようにしたと読み取ってしまうのだ。もちろん、著者にそんなことを言う気が毛頭ないというのは、読めば明らかだが、それでも裏の文脈でそう読み取れてしまう。こういうことが起こるのは、神は存在の外におられ、神を人間は証明することも否定することもできないからだ。

また、この本はいかにも図式的に日本文化を論じているような気がした。なぜなら、幕末の儒学を信奉していた人たちは、“天”というものを信じていた。西郷隆盛の遺訓を読むと、その天に対する強い信仰が表れている。また、日蓮のように、仏法に身を賭して従った僧侶もいる。彼らのように迫害に遭いながらも自分の信じるところを守る人は、強い自我を持っていた。それは“例外”だと言われてしまえばそれまでだが、一般人の自我ではなかったにせよ、一部にはそのような人たちもいたということを念頭に置いてもいいのではないかと思う。それでもこの本の主旨に傷をつけることはないからだ。

この本は、人間とは何かという問題に関心がある私にとっては、人間を人間たらしめている“自我”のシステムについて、一つのイメージを提供してくれた。時間が許せば、ぜひこれを熟読して、もう少し深く学んでみたい。

9月4日(木)「交換留学生選考試験」

at 2003 09/09 00:25 編集

今年も交換留学生の選考試験に加わった。うちの大学と姉妹関係を結んでいる日本の大学に交換留学生を送る試験だ。報酬があまりに安いので、同僚の先生たちはやらないのだが、私は好奇心で、毎年呼ばれるたびにやっている。学生たちは基本的に優秀で、しかも必死になって試験を受けるので、私としても学生から教わる点が多い。

今年も、衣類織物学科教授のチョ・ギュファ先生と一緒に2人で面接をした。今年は38人の受験者がいて、午後2時から面接を始めたが、各学生に割り当てられた面接時間はたったの5分だった。しかし、5分ではその学生の大まかな能力も見られない。大急ぎで面接していったつもりだが、それでずるずる伸びて、最後には、1時間以上オーバーして6時半過ぎに面接が終った。最後に近づいて来ると、私もヘトヘトに疲れて、ぼーっとして学生の話を聞き落としたり、聞きながらどこに問題があるのか分らなくなってしまったりした。しかし、チョ先生は疲れる様子を見せずにしっかりと面接をしていた。

大学がどんな学生を求めているのかを具体的に話し合ってから、実際に学生たちを面接していると、いろいろなことを考えさせられた。日本へ行って何がやりたいかという質問に、漠然と専攻の勉強がしたいと言っただけで、具体的に日本の大学に何を期待しているのか話してくれないと、日本へ行って大学に通わずに好き勝手なことをするのではないかと疑ってしまう。日本の受け入れ側の大学では、学生が授業に来ないと、イファ女子大学の学生に対する印象が悪くなってしまうので、次の年には受け入れを渋るかも知れない。そうでなくても、次に入ってくる学生の待遇にも響くだろう。

日本語が学びたいというだけの学生も、やはり印象が悪かった。日本へ行けば日本語が上手になるだろうという漠然な期待のもとに日本へいき、この学生もやはり大学に通わずに専門学校などに通ってしまうのではないかという心配だ。

逆に、自分が専攻の分野にどれだけ関心があり、日本では何をやりたいかということを具体的に考え調べている学生は、非常に好感が持て、また安心して送れるという気持になった。これは、学生が自分のやることに対して、はっきりした“メッセージ”を持っているということだ。

言語教育院を修了した学生は、ほとんど皆「しっかりしている」とチョ先生にほめられていた。これはまるで自分がほめられたのと同じ喜びだった。指導に失敗したこともあるけれど、しかし言語教育院の指導はやはり優れているのだと自負したい気持になった。修了審査で発表するまで繰り返される討論で、学生たちは鍛えられるようだ。特に、今学期同僚の先生が指導して先週の土曜日に修了審査で発表した学生を、チョ先生はほめていた。

私の聖書勉強会に来ていて言語教育院でも日本語を勉強している学生も来た。私を見て一瞬驚いた顔をしたが、落ちついて面接を受けた。この学生は自分の目標をすべて明快に語り、日本での受け入れ校についての知識も確実で(そういえば、7月頃だったか、アウトリーチで日本へ行ったとき、日本へ行って東京にある受け入れ校のいくつかを下見してきたと言っていた。インターネットで調べる学生だって偉いのに、そういう学生に比べても熱の入れ方が格段に上なのだ)、日本語もほとんど上級の域に入っていた。この学生は日本語の実力が目に見える速さで伸びていくので、同僚の先生たちも驚いていたのだが、今日はさらに格段に上手になっていた。ひょっとして準備をしたから上手に言えるのではないかと疑って、意表を突くような質問をいくつかしたが、それらにはもっと上手に答えた。チョ先生はこの学生を絶賛した。一昨日の聖書勉強会で祈りの課題を出し合ったとき、この学生が交換留学生試験のために祈ってくださいというので、皆で祈ったが、今日その祈りがあまりに力強く叶えられるのを見て、私は恐れを感じた。

しかし、面接が終って心に残ったのは、むしろインタビュー結果の芳しくない何人かの学生たちだった。彼女らは、目的がはっきりしていなかったり、学校の立場を考えずに自分の夢だけを見たりしていた。なぜそんな学生のことが心に残るのかというと、それはまさに私自身を見ているようだったからだ。家へ向う車の中で思ったのは、試験でいい成績だった学生も、芳しい結果が得られなかった学生も、功績や責任は当人にあるのではなく、その学生の性格形成に主要な影響を与えた人(おそらくは両親)にあるはずだということだ。親が中心も体系もないデタラメな人生観を一生懸命子どもに教えていたら(デタラメなのだから教えている自覚もないだろうが)、子どもは行動規範が定まらないまま成長する。そういうことをする親はけっこういるようだ。それは日本だけのことだと思っていたが、学生たちを見ていると、韓国も似たり寄ったりなのではないかと思われてくる。チョ先生は、そういう学生がインタビューを終えて部屋を出て行ったあと、決まって沈痛な表情をしていた。私はそれが他人事ではないので、それらの学生のことを思い出すと、胸が刺すように痛んだ。

ところで、ある大学院生は、現在は社会福祉関係の勉強をしているが、以前3年間弁護士になろうとして猛勉強したことがあったそうだ。そのとき、毎朝6時に起きて夜中の1時まで勉強したそうだが、司法試験を受けるために一緒に勉強している仲間たちも同じ生活をしていたそうだ。私はそんな生活に実はずっと憧れてきたのだが、実現はしなかった。もう体力的にも無理だろう。しかし、そのように起きている間勉強漬けするという態度と、先日聞いたILRでの外国語学習が重ね写しになった。外国語をいくらやってもだめだという人も、まさか朝から晩まで勉強漬けになって外国語の勉強をしたことはないだろう。そのように猛勉強すれば、日本語を日本人なみに使えるようになるのは、実は夢ではないかも知れない。ただ残念なことに、日本語の学習ごときにそれだけのエネルギーを注ぎ込む人は滅多にいない。

9月6日(土)「『五感力』を育てる」

at 2003 09/09 00:26 編集

交換留学生試験の筆記試験の採点をしに、言語教育院へ行った。家でやってもいいのだが、家でやると仕事をする気分になれないので、土曜出勤をしたわけだ。私一人しか講師室にはいないだろうと思ったら、韓国語作文の先生が来ていて仕事をしていた。

採点は辛かった。午後5時前にやっと終った。採点結果をメールで送った直後に、ユン・ソンダル氏から電話があり、アルカギ第2弾の原稿がだいぶできたので見てほしいという。車でヨニドンの立体交差点のところまで来ていて、クムファトンネルを通って会社に行くところだと言うので、じゃあということで、言語教育院で会った。そして、講師室で原稿を見ながら、本の構成について簡単に討論をした。

そのあとキョボ文庫へ行き、いろいろ本を物色したのち、日本書籍を4冊買った。活字中毒というのは、なりたくてもなかなかなれるものではないが、面白い本を濫読(とまではいかないが)していると、たまに、活字中毒者が感じるであろう喜悦が体に入ってくるのを覚える。これは、あまり難しい本でもいけないし、内容が通俗的すぎてもいけないから、新書のような本がいちばん相応しい。

帰宅後、今日買った『「五感力」を育てる』(斉藤孝/山下柚実著、中公新書ラクレ、2002年)を読んだ。この本は対談とそれぞれのエッセイとを混ぜた形式の本で、子どもたちの身体感覚に異変が生じていることを注意深く話し合い、さらに身体感覚を取り戻すための方法も具体的に提案している。いい本だが、読みながら、こういう内容もわざわざ本にしなければならない時代になってしまったんだなあと思い、何となく憂鬱な気分になった。

9月7日(日)「株の原則」

at 2003 09/09 00:27 編集

今日は日曜日。教会へ行き、そして聖餐式にも加わった。聖餐式が終ったあと、B&Fにも出席した。

そして、家に帰ってから、昨日買った、邱永漢の『株の原則』(知恵の森文庫、2000年)を読んだ。なぜ株か。私は株で金もうけする気はないのだが、株について知っているだけでも、何か役に立ちそうだと思ったからだ。同僚の先生から聞いたのだが、英語の先生たちの中には個人で株を持っている人がけっこういるのだそうだ。それは、一種の社会勉強であり、またゲームのようなものでもあるらしい。それまでは、株というのは宝くじみたいに一獲千金を夢見る人のやることと思い込んでいたのだが、そうではない株との付き合い方があるということを、そのとき初めて知った。

ところで、この本の中で邱永漢は、信用取引は素人にはきわめて危険(p.153)と書いている。具体的には聞いていないので知らないが、父は昔、証券会社のセールスマンに勧められて、ジャガイモだかヒジキだかの信用取引に手を出し、小遣いの範囲内ではあるだろうけれども、注ぎ込んだお金をまるまる失ったことがあるそうだ。きっとその影響だろう。うちでは株というもの自体が大変危険なものという認識が出来上がってしまった。

この本には、株と上手に付き合う秘訣が説かれている。無理なお金で株を買うなとか、株はチビリチビリ買い、チビリチビリ売るのがコツだとか、その他いろいろな株と付き合う要領について、その理由にまで分け入って説明している。以前この人の『お金の原則』を読んで、この人はお金の哲学者だと思ったことがあったが、この本でもやはりそう思った。その理由は、巻末の解説を糸井重里が書いているのだが、邱永漢のものの見方はとても自由で正直だということらしい。本当にそうだと思った。

株というのは読んでみればなかなか面白そうだが、私はよほど生活が豊かでないとできないなと思った。まず元手を確保するのが大変だし、株を持ったとしても、自分の時間とエネルギーのかなり多くを、株に注ぎ込まなければならないわけだから、ちょっとやっていられない。それよりも、私はこの本を、一種の人生訓として読んだ。たとえば、「何十年も同じ経験を積むと、物事の判断の仕方がワンパターンになり、間違うことが多いんです」(p.232)という。自分自身に対する警告として心に刻んでおきたい言葉だ。

なお、この本はもともと1983年に『邱永漢の株入門』というタイトルで出たものを、1996年にタイトルを変えて新装本として出版し、さらに2000年に文庫本として世に問うたという。そういえば、高校3年生の時に、級友が、邱永漢の名前と一緒に、頻りに株について熱く語っていたことがあったような気がする。もしかしたら、当時出たばかりの『邱永漢の株入門』を読んだのかもしれない。

9月8日(月)「ユーモアのレッスン」

at 2003 09/09 00:29 編集

昨夜は10時半頃寝てしまい、今朝5時前に目が覚めた。ちょっと寝足りないかとも思ったが、犬に追い回される夢を見て目を覚ましたので、また眠るのが嫌で起きた。体はちょっとだるいが、犬に追い回されるよりはずっとましだ。

それで、机に向い、一昨日買った『ユーモアのレッスン』(外山滋比古著、中公新書、2003年)を開いて読んだ。最近かなり鈍ってしまった自己流のユーモア感覚を取り戻そうと思って買った本だが、読んでみると、ユーモアというのは、その正体をとらえること自体が古来難事となっている(p.226)そうで、この本でも幾らかその特徴を整理して、面白い実例を挙げているに留まっている。つまり、この本はユーモアの教則本ではないということだ。だいたい、そんな本はないらしい。

よくユーモアのセンス云々という話を聞いたり、おまえはユーモアがないと言われたりしたが、じゃあユーモアというのは何だろうと考えてみると、ユーモアはひょいと身をかわして逃げるものらしい。これは時間に似ている。「では、いったい時間とは何でしょうか。誰も私に尋ねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、知らないのです」というアウグスティヌスの『告白』からの引用が、『時間』(滝浦静雄著、岩波新書、1976年)という本の冒頭にあるが、この告白は、ユーモアについても当てはまるようだ。

『ユーモアのレッスン』の初めの部分は、ユーモアに関する問答で、ユーモアをめぐる蘊蓄という感じだ。この部分は、勉強にはなるが、それ自体ではあまり面白くない(と私は思った)。ユーモアの本を面白くない対話で始めるというのも、一つのユーモアかも知れない。そのあと、口直しのように、いろいろな種類のユーモアを分類して、味わいある解説とともに、実例を挙げている。この部分はとても面白い。中には有名な笑話もあり、私が知っているのと語句に異同があったり、違った脚色がなされていたりするものもあった。

この本は、ユーモアの教則本ではないが、それでもユーモアの原則がふんだんに盛り込まれている。著者によると、ユーモアのセンスというのは、不調和の調和を直感する感覚のこと(p.38)で、それだからこそ、相手が余所者だったり、野暮だったり、後世の人間だったりすると、理解が難しくなるという。様々な種類のユーモアは、“不調和の調和”の種類ともいえる。まあ、でもこれがユーモアの正体とは言えないのかもしれないが、かなり本質に迫っている説明には違いない。

9月8日(月)「怪しい日本語研究室」

at 2003 09/09 07:55 編集

一昨日買った『怪しい日本語研究室』(イアン・アーシー著、新潮文庫、2001年)を読んだ。この本は、古代ギリシャ・ラテン語を大学で専攻したのちに日本語に魅了されて勉強した著者が、日本語の様々な面白い世界について書いた本。こういう本は、日本人には書けるものではないし、日本語の達者な英米人といっても誰にでも書けるものではない。一種の言語オタクで文字学の造詣がなければ、こんなに深みがあって迫力のある本は書けないだろう。

第一部「文法オタクの語彙マニア」では、日本語の特質について著者の視点から論じていて、第二部「その言い方は気になる」では、難解で欺瞞的な官庁用語などを風刺している。そして第三部「日本語の中のグローバリゼーション」では、日本の外来語や、カナダのバンクーバーで使われているおかしな日本語を中心に言葉の国際化にちらりと触れていて、第四部「文字に夢中」では、日本語が古代文字によく似ていることを実例を挙げて話してくれる。著者が日本語に見せられた理由がまさに、この古代文字と同じ原理を持ちながら現代文明の最先端を進んでいるという事実だったという。

この本は、どこを読んでも面白い。私は特に、第四部に迫力を感じる。古代ギリシャの線文字Bと、ヒエログリフと、マヤ文字の構造を、日本語の漢字仮名交じりの構造と丹念に比較している。著者がおもしろがっているのは、それぞれが互いに無関係に発生しているという点だ。そして著者は、「歴史が大きく変わってたら、今頃中米では、パソコンの入力をマヤ文字でやっていたのかも知れない。中東では、楔形文字のスポーツ新聞やファッション雑誌を読んでいらのかも知れない。エジプトの都会では、派手なヒエログリフのネオンが点滅していたのかも知れない」(p.207)と、とてつもないことを、歌舞伎町で踊る古代文字を見ながら、想像する。

私はこの本を読みながら、変な心配をしてしまった。著者はこの本を日本語で書いたのだから、カナダの友人に贈呈しても、読んでくれる人はいないだろう。表紙を見て、中をパラパラとめくりながら、これを君が書いたのかい、すごいねえと感心されるだけで終ってしまうにちがいない。この本がどれだけ面白いかを友人に話したところで、友人は日本語ができないのだから、信じさせることまではできない。こういう余計な心配をするのは私くらいだろうか。

ところで、タイトルの「怪しい〜」は、“怪しい日本語”なのか“怪しい研究室”なのかが曖昧だ。内容から類推すると、どちらでもあるようだが、それよりも、この“怪しい”という字は、著者の名前“アーシー”をもじっているのではないかと思われる。アーシーという名前を電話で日本人がまともに聞き取ってくれることがないというのが、著者の悩みだったそうだ。だから、本当は「アーシー日本語研究室」にしたいのだが、日本人が聞き間違えそうな名前として「怪しい日本語研究室」としたのかもしれない。

9月9日(火)「連休前夜」

at 2003 09/14 01:47 編集

今日はチュソク連休の前日とあって、ソウル市内の道は大渋滞だった。しかも、昼前から降り始めた雨は、昼頃から大降りになった。夕立のような雨が、昼頃から午後4時近くまで降り続いた。とんでもない天気だ。

そんな中でも、今日は11人もやってきて、なかなか活発な聖書勉強会となった。今日はルカの福音書12章13〜34節までとかなり長い箇所を一緒に読んだ。司会は佐味伝道師さんがした。手違いで、準備したのと違う箇所のプリントを印刷して持ってきてしまったため、プリントなしで司会をした。

今日の聖書箇所は、イエス様が説教しておられたときに、ある人が場も考えず、遺産相続の調停人になってほしいと頼んだことに対して、イエス様がその人の心に潜む貪欲の思いを戒められた内容だ。イエス様は、まず「人よ(anJrwpe)」と言ってその人に語られ、そしてそこに居合わせた人々に語られ、それから弟子たちに語られながら、徐々に説明を深めていった。

前もって聖書箇所を原語で読んでおく時間がなかったので、その場で原語聖書を開いて新改訳と見比べながら読んでいた。新改訳ではそこに「いのち」(15、22、23、25節)という言葉と「たましい」(19、20節)という言葉が出て来るが、これが原語と食い違っているのが目についた。15節の「いのち」だけが“ゾイー”で、19、20節の「たましい」と、22、23、25節の「いのち」は“プシヒー”だった。この原語と日本語訳との関係から、イエス様の言われた内容がさらに一貫したメッセージとなって伝わってきた。私が読んだその箇所の一貫したメッセージは、たましい(=プシヒー)は、財産によって生きるのではなく、神の国を相続することによって生きるということだった。

今日の聖書箇所は、通常の2倍ほどの長さだったので、一つ一つの語句を丹念に読み込むだけの時間がなかったのが残念だった。しかし、一貫した内容を途中で切ることなく全部読めたのはよかった。それから、佐味先生はいつもながら、ほぼ時間きっかりに勉強会を終えた。最後に一言ずつコメントするとき、F兄弟と私がそれぞれ1分弱でコメントすると、佐味伝道師さんが「訓練されてますね」と言って笑った。

一緒に聖書を読みながら討論するのが面白いのは、それぞれ読み方のスタイルに違いがあり、その違いによって幅広い読み方を共有できるという点だ。F兄弟は歴史学的な読み方を生かしてその背景を掘り下げ、佐味伝道師さんはその spiritual な意味を巧みに汲み取る。その他の人たちも、思いがけない視点から意味を拾い上げ、他の人たちの目を開かせてくれる。私はあくまでも“国語”的読解を重視している。文は繋がっていれば、読者はそれを連続したテーマがあると解釈する。その自然な読み方を大切にしているつもりだが、さて実情は如何なものか。

聖書勉強会が終ってから5時までお菓子を食べながら雑談をした。それから7階の屋上にある録音室へ行って、言語教育院の教材にするCDの最終チェックをした。そしてそれぞれのトラックの名前を指定した。用事が済んだあと、最近録音技師として入ってきたキム・ヒョングォンさんと屋上で、雨を含んだ涼しい風に当りながら話をしたあと、言語教育院を出た。

帰りの道の込みようはひどく、ほとんど車が進まなかった。しばらくはギリシャ語の教材を聞いていたが、だんだんうんざりしてきたので、本文の一部を覚えて暗唱したりしていた。結局、家まで辿り着くのに2時間半もかかった。たいてい30分もあれば着く道のりをそれだけかかったのは、2年半ほど前にソウルに大雪が降って交通が麻痺したとき以来だ(その前は97年にヨンセ大学で大規模な暴力示威が起こったとき。あのときは車のエンジンを止めたまま本を読んだ)。

今日はチュソクのときに来るお客さんのために食料品を買うことにしていたが、夜遅くなるまで外出を控え、12時過ぎてから妻と2人で家を出た。出るときに上の子に、「今から買い物に行って来るから、安全に行って来られるように祈って」というと、最初は照れて嫌がったが、私がその横で跪いて目を閉じると、私の膝に手を置いて祈ってくれた。祈る中で、「キムスクラブで買い物をして……」と言うので、あれ、ハナロで買い物するのにと思ったが、まあいいかと思ってそのまま聞き流した。祈ってもらったあと、私も上の子のために祈ってあげ、そして家を出た。

予定していた通り、ヤンジェにあるハナロと呼ばれるノンヒョプ(=農協)へ行った。そこは巨大な食料品市場だ。着いてみると、深夜なのに一帯は車で混雑していた。道路際に停めて中へ入った。入口のところにカート置き場があったが、そこに1台カートが置きっぱなしになっていたので、お金を入れずにカートが使えた。

その巨大な売り場は、たくさんの人でごった返していた。天井の高さも目測で20メートルはあり、売り場の端から端まで優に百メートルは離れていると思われる、スーパーマーケットのオバケだ。そこが人であふれ返っており、移動も自由にできない。しばらく回ってみたが、妻の話によると、米は種類こそ多いが、どれもキムスクラブよりも高く、他のものもたいていは、あまり安くないか量が多すぎるかどちらかだと言う。牛肉は値段の高いハヌ(=韓牛:国産牛肉)しか置いてない。剥き海老などは2キロも入っていて、いくらお客さんが来るといっても、あまりにも多すぎる。しばらく考えたのち、やっぱりここはだめだということになって、カートを売り場に放り出して、この巨大な市場を抜け出した。

それで今度はバンポのキムスクラブへ行った。ここも私たちの前を車が何台も続いて入って行ったが、その後ろに付いて駐車場に入ると、たまたま目の前の車が1台出て行ったので、そこに停めることができた。そして店内に入った。カートが足りず、出てくる人がカートを返すのを待って使う状態だったが、店内はそれほど混んではいなかった。ここで米など必要なものを買い、残りは明日、ノリャンジンのスサンシジャン(=水産市場)で買うことにして、店を出た。

アパートに着くと、チュソクなのになぜか車で一杯の、うちのアパートの駐車場が(チュソクの時は普通アパートの駐車場はすく)、1ケ所だけ空いていた。それで、そこに車を停めることができた。家に入ったときは、もう午前2時だった。上の子は眠っていた。妻と一緒に、買い物を冷蔵庫や段ボール箱などに入れたあと、6千ウォンで買ってきた寿司を食べた。2人で食べるとほんのわずかだが、寝る前としてはちょうどいい量だった。

ところで、あとでよくよく考えてみると、息子の祈りは実現していた。私たちはハナロへ行くには行ったが、そこで買い物をせず、祈られた通りにキムスクラブで買い物をした。そして、祈られた通りに無事に行ってきたが、無事も無事、駐車問題まで無事だった。息子を愛してくださり、その祈りを聞いてくださった神に感謝。

9月10日(水)「スサンシジャン」

at 2003 09/14 16:29 編集

昨日できなかった買い物をするために、ノリャンジンのスサンシジャン(=水産市場)へ行った。211番バスに乗ってハンガンを渡り、3番目ぐらいがスサンシジャンだ。バス停を降りると、大道路際はもう市場の雰囲気だった。

スサンシジャンへは、線路下の地下道のようなところをくぐって行くが、そこにも野菜や調理道具などを売る店が、むしろを広げて並んでいる。何だか海外旅行に来たような気分。

妻が「今日は人が多い」と言った。そのとき、この言葉の不思議な曖昧さに気が付いた。“人が多い”というのは、“混雑している”という意味で取るのが普通だが、“多い”には、占める割り合いが多いという意味もある。この意味では、“人が”と言ったときに、人以外の存在を連想させる。実際問題としては、スサンシジャンを歩いているのは人だけなのだが、水槽のいろいろな魚や、パダッカジェ(=ロブスター)、カニなどもたくさん見えるので、一瞬それらとの対比で“人が多い”と言っているように聞こえたのかも知れない。

スサンシジャンの南側の通りには、生きた魚介類を売っている店が並んでいて、驚いたことに、客引きをやっていた。生きがいいですよなんて言って、ある人は私の腕をつかんで勧誘する。曖昧な笑いを向けると、気が削がれたような顔をして手を離した。

市場の中に入ると、私が名前を知っている魚や、何だかわけの分らない生き物の干物まで売っている。そこでナクチ(=タコ)を買い、海老の剥き身を買いなどしたが、私は妻が買い物をする様子を見ていた。モシジョゲ(=アサリとハマグリの中間ぐらいの大きさの二枚貝)が食べたいと思い、値段を聞くと、ある店では1キロ7千ウォンで、他の店ではみな1斤(=約4百グラム)で5千ウォンだという。それで諦めて、サイズと形はよく似ているチュンハプ(=中型のはまぐり)を買った。チュンハプは以前食べたときおいしくなかったが、まあ似てるからいいやということで、それにした。

どうせなら、チュンハプにしないでカニを食べたいと思ったが、去年妻が買ってきたときに比べて値段が4倍にも跳ね上がっていた。去年は1万2千ウォンで買った重さ2キロのカニが、値段を聞くと5万ウォン近い。ミョンジョル(=年中行事)の時には海産物は高くなるそうだ。それで、モシジョゲも買えなかったし、カニも買えなかった。

海産物を買ったあと、肉を買いにコギマートへ行ってみたら、閉まっていた。チュソク連休のため15日まで休むという。仕方ないから、肉は今夜キムスクラブへ行って買うことにした。それから地下道を通って大通りへ向う途中、ウオン(=牛蒡)やタングン(=人参)、ケンニプ(=えごまの葉)などを買った。

家に戻ってから、バスに乗ってキョボ文庫へ行った。いつもはすぐに来る38番のバスが、今日は乗客が少なくて間引き運転をしているのか、なかなか来なかった。やっと来たバスに乗ったが、やけに乱暴な運転で、乗っているうちにだんだん目が回って気分が悪くなってきた。いわゆる乗り物酔いというやつだ。

キョボ文庫に着いてから、まず日本書籍コーナーへ行って2冊の本を注文したのち、駐車場の時間を気にすることもなく本を物色し続けた。そして、訳して『全作主義者の夢』(チョ・ヒボン著、ハムケハヌンチェク、2003年)という名の本を、まず買った。それから日本書籍コーナーへ行って、『かがやく日本語の悪態』(川崎洋著、新潮文庫、1997年)と『日本語と私』(大野晋著、新潮文庫、1999年)を買った。それから『からだを揺さぶる英語入門』(斉藤孝著、角川書店、2003年)を買った。

『からだを揺さぶる英語入門』は、英語の素読を提唱している。立って歩き回りながら素読をするのがいいのだそうだ。この本にはイギリス人の声優が録音したCDが付いていて、格調高いイギリス英語の発音を学ぶことができる。

韓国では英語といったらアメリカ英語一辺倒で、イギリス人の英語の先生は発音が悪いという不遜な学生がいるくらいだが、日本ではアメリカもイギリスもあまり頓着しないらしい。というより、同じ島国で、同じく王様のいる国で、車の走る方向も同じイギリスに、日本人は親近感を感じるのかも知れない。そういえば、女性学の学会でイギリスに行ったことがあると言っていた学生が、イギリス人は日本人とちょっと似たところがあると指摘していたことがあった。

それはともかくとして、私はそのCDを何度も聞きながら、そのイギリス式発音と韻律に魅了された。そして、それを何度も真似してそっくりに言えるように練習した。そっくりに言えることを目指す練習を、誰にでも勧めたい。まずイントネーションやリズムで躓くが、それらがいかに自分の思っていた音と違うかが、自分の発音を比較することによってはっきりと見えて来る。それによって、思い込みではなく、実際の観察による正確な発音(に近い音)を、比較的短期間で身につけることができる。一つのセンテンスでも、そっくりに言えるまでは何時間もかかるが、これをやるのとやらないのとでは、発音の正確さは雲泥の差だ。

夜中にキムスクラブへ肉を買いに行った。その他、スサンシジャンで買いそびれたペンイボソッ(=えのき茸)なども買った。

9月11日(木)「チュソクの中日」

at 2003 09/14 01:55 編集

今日はチュソクの中日だ。午後2時頃からお客さんたちがちらほらとやってきた。全部で10人くらい来たろうか。みんなで食事をしてお腹一杯になったあと、簡単な礼拝をした。北海道から来てもうそろそろ帰国する姉妹がリードして賛美をし、そのあと、今年の夏からトリニティーの神学校に通い始めた伝道師さんが即興で簡単な説教をした。そして、主の祈りをして礼拝を終った。

それからまたコーヒーと一緒にケーキを食べながら話をしていたが、そのときB氏から電話がかかってきた。今シンチョンにいて、今日シンチョンでK氏たちと一緒に会っていると言う。私は家にお客さんが来ているので、今日は残念だけれども行けないと答えた。

しかし、8時頃みんな帰って行ったので、後片付けをして晩ご飯を簡単に食べたあと、B氏に電話をして、今から行ってもいいかと聞くと、いいというので、シンチョンへ行った。そこで11時過ぎまで話をしたあと、K氏たちを車で家の近所まで送り、家に帰った。

今日は仲秋の明月を楽しむ日だが、雨が降るような降らないような夜空では、月が今どの辺にあるのかすら分らない。

9月12日(金)「ソンミョ」

at 2003 09/14 01:57 編集

今日は9時に家を出てチャンイン(=丈人:妻の父)の墓へ“ソンミョ(=省墓:家族の墓地を訪れること)”に行こうと言っていたので、7時半に起きて、本を読みながら、みんなが起きるのを待っていた。しかし、妻は9時過ぎに起き、子どもたちも遅く起きたので、結局11時に家を出た。

車のエンジンをつけると、KBS第1FMで、黒田節を流していた。日本語で黒田節を歌っていたのだ。驚いた。韓国では日本語の歌を放送することは禁止されていたからだ。もう解禁されたのだろうか。

黒田節のあと、オーケストラをバックに尺八のソロでとても美しい曲を演奏していた。フルートの音色によく似ているが、フルートにはできない深くゆったりと揺らぐビブラートは、まるで人が呟くように歌っているかのような豊かな情感をそそった。このとき、この演奏に衝撃を覚えた音楽ファンも、多かったのではないだろうか。それから「さくら」を三味線の琴の演奏で聞いた。非常に和風な時間だった。

ソウルを離れるにつれて、FMの音が雑音の中に小さく消えて行ったので、MDに録音しておいたゴスペルを聞いた。

外は大粒の雨が降りしきっていて、高速道路に乗ると、雨脚はさらに強くなった。これではアンソンの山中にあるチョドン教会の墓地へ行っても、そこで食事もできない。心の中で、墓地では晴れますようにと祈った。

ここでちょっと解説を入れると、韓国の墓地は、たいてい山の中にあって、古墳をコンパクトにしたような盛り土で、芝生に覆われている。その盛り土の前で、クリスドイン(=クリスチャン)は立ったまま祈り、ピーグリスドイン(=非クリスチャン)は盛り土に向ってぬかずく(カトリック教会ではぬかずくことを許容しているらしいが、それは積極的に勧めているのかと訊ねたところ、許容しているだけであって、奨励しているわけではないそうだ)。そして、その前にござを敷いて、家族または一族で一緒に持ち寄った弁当などで食事をする。私が心配したのは、その食事ができなくなることだった。

教会墓地に着くと、事務室は去年来たときと違って、きれいに整えられていて、建物の前に鉢植えの花が並んでいた。去年は管理がなされずに荒れ果てていたので、今年はとても華やかに見えた。見ると、病弱に見える墓守りの執事さんではなく、別の人だった。今年の8月にここへ来たばかりだという。

妻の父の墓には花が生けられていた。下の子が、隣の盛り土に上がろうとしていたので、慌てて降ろした。小雨がぱらついていたので、讃美歌を1番だけ歌い、一言祈ってから、車の中で食事をした。運転席で食べるのは窮屈なので、後ろの扉を開けて庇にし、バンパーの上に腰掛けて食べた。静かで、芝生も雨でひときわ緑が引き立ち、霧が森の手前を綿菓子のように流れていた。

食事が終ってから山を下り、管理事務所で執事さんに献金としてお金を渡し、ソウルへ向った。途中、高速道路に乗る前に、道路沿いの簡易店鋪で売っていたブドウを買った。アンソンは、ブドウとナシが有名で、取れたてのブドウは、韓国に来てからなぜか果物にあまり手が出なくなった私も、ついつい手が出るところをみると、やはりおいしいのだろう。

帰りはサービスエリアによらずに家まで直行した。一度寄ると、妻はそこで30分も40分も時間を潰すので、それがかえって面倒くさいのだ。多少疲れたが、休むと帰りが遅くなってもっと疲れるので、がんばってハンドルを握り続けた。そうやって、家には5時に到着した。

そのあと家庭集会の準備をした。しかし、今日は誰も来なかった。それで、妻と一緒にゴスペルを歌って過ごした。今日は雨も降っているし、教会でも、30〜40代男性グループのダビデ会を中心に、ユンノリ大会をすると言っていた。そういうこともあって、誰も来なかったのだろう。雨音を聞きながら、2人でゴスペルを次から次へと歌っていくのは、なかなかおつなものだった。

9月13日(土)「爆弾台風」

at 2003 09/14 01:58 編集

今日はいちおう連休ではないので、アルファ文具はやっているだろうと思って行くと、鉄の扉が閉じられていた。初めて韓国に来たばかりの時に経験した、チュソクの不便な記憶が蘇ってきた。五線紙が必要なのだが、これでは自分で線を引いて楽譜を書くしかないか。ああ、面倒くさい。

夕方6時頃、妻の兄が食事に呼んでくれているので、ご馳走になりに、サンドドンの家まで家族で出かけた。食事をして、実に久し振りに大きなカルビの塊を食べた。

食事のあとテレビを見た。台風による被害が報道されていたが、昨日韓国の南部と東部を通過した台風メーミ(=蝉)は、想像を絶するものだった。その惨状を見て愕然とした。

最高風速が秒速60メートルと言っていたが、そんな強風を体験したことがないので、どんなものか実感が湧かない。その爆風のような風にあおられて、収穫の時期を目前にした果実はほとんど地に落ち、稲はなぎ倒しになり、電柱や港のコンテナは倒れ、アパートやビルの窓ガラスが割れ、港に停泊中の船は互いに衝突し、船が橋にぶつかり両方とも破損した。

また、その凄まじい風のために高さ10メートルの津波が町を襲って地下商店街に流れ込み、カラオケにいた10人から20人くらいの人たちが行方不明になった。水がはけないので救出作業は難航している。その津波のために、養殖場は全滅し、漁船は大破したり座礁したり畑まで乗り上げたりし、旅客船を改造したホテルは横倒しになって船体の一部は水没した。

また、豪雨のために堤防が決壊して、畑も村も水浸しになり、車道や線路は流され、土砂崩れのためにセマウル号が脱線し、また多くの家が土砂崩れで流され、人が死んだり負傷したりした。去年水害に遭った地域が、その傷跡が完全に癒えないうちに、再び水害に襲われた。その衝撃が与える挫折感は想像がつかない。

日本でも、長崎県はこの台風のために大変な被害をこうむったと報道された。テレビ画面だけを見ると、日本の被害状況と韓国の被害状況はそっくりだった。

この台風による被害は莫大で、しかもインフラまで破壊されたので、今後韓国は経済的にもかなり苦しくなりそうだ。ニュースを見ながら、そのことを心配した人もきっと多いだろう。

今回の被害はまだ集計が出ていないが、テレビを見ていた段階では百人の犠牲者となっていた。多くの人の悲嘆に暮れる表情や泣き叫ぶ姿が報道された。水没したカラオケの前で女性が号泣しながら失神して救助隊員に支えられる姿や、地に落ちた果物を手に涙する老人の顔などをしっかりと見ていられず、目をそむけた。

しかし、今年は今回の台風で終りそうにない。赤道附近には渦巻く熱帯低気圧がまだいくつも控えていて、それらの多くはこれから台風に発展し、そのうちどれかがまたこちらへやってくる可能性があるという。

あんなすごい台風にソウルまで来られたら大変だ。そうでなくても、もし東京や関東地方に回ってしまったらもっと困る。両親の住む家は、強風に耐えられるようにはできていないだろうから、あんな爆風に見舞われたらひとたまりもない。

それにしても、私たちはとんでもない日に出かけたものだ。幸い無事だったとはいうものの、私たちだって、まかり間違えば台風に巻き込まれて死んでいたかも知れない。

9月14日(日)「連休最終日」

at 2003 09/19 13:23 編集

朝起きたら、家の中はひっそりとしていた。妻が下の子を教会へ連れて行ったのだと思った。それで、一人でのんびりと、コーンフレークにスライスアーモンドを振り掛け、牛乳を注いで食べていると、他の部屋から物音がする。下の子はそこで寝ていた。それを起こし、服は置いてあるから自分で着なさいと言って部屋に戻って出かける準備をしていると、先に教会へ行っている妻から電話があった。受話器を持っていると出かける準備ができない。電話を切ったあと、一緒に家を出た。

教会に着き、日本語礼拝をしている部屋に入ると、すでに賛美の途中で祈っているところだった。いちばん後ろに、木曜日にB氏、K氏と一緒に会った、ノンクリスチャンの女性が来ていて、目を閉じていた。一緒に祈っているようだった。

今日の説教は、サミュエル・キム先生だった。聖書箇所はエフェソの信徒への手紙*(=エペソ人への手紙)5章15〜21節で、タイトルは週報になかったが、“賢い生き方”がテーマだった。

「愚かなものとしてではなく、賢いものとして、細かく気を配って歩みなさい」(15節)と聖書には書かれている。“愚か(asojoi)”とは知恵に欠けることで、“賢い(sojoi)”とは知恵豊かなことだ。どういう生き方が賢い生き方か。それは、御心に従って自分の行動を決めていく生き方(17節)だ。

では、どんなことが御心かというと、それはローマの信徒への手紙*(=ローマ人への手紙)12章1〜2節にある。「何がよいことで、神によろこばれ、また完全なことであるか(to agaJon kai euareston kai teleion)」をわきまえるようになることだという。それは、この世に(tw aiwni toutw)倣っていては決して身に付けられない知恵だ。

私は、「よいこと」の“よい”とはどんな“よい”だろうかと疑問に思い、原語の聖書を取り出して見た。“to agaJon”となっていた。これは、立派だという意味ではなく、善良だという意味の“よい”だ。私がそれを見ていたとき、サミュエル先生が、「“よい”というのは“good”ということです」と説明していた。“good”では“よい”と同じく意味が漠然としすぎていて、適用で誤差が生じやすい。

私のようなことをする信徒が信仰を深めるのは至難の技だ。しかし、こうなってしまうのも、牧師先生たちが原語に関心がなく、説教も原語抜きに訳語から出発するからだ。それだって信仰には影響しないのだが、気になる信徒は気の毒にもとことん気になってしまう。

単一の訳だけを使っていれば葛藤も生じないだろうが、3つの言語による数種類の訳が一つの礼拝に共存する現状では、一字一句にこだわる不幸な信徒は、大変な心理的葛藤を覚えるようになる。説教を聞きながら自分の聖書に目を落とすと、そんな単語はなかったり、書かれていることが少し違っていたり、自分の見ている聖書では説教で言っている内容を導きだせなかったりすることがある。そのような葛藤は、多くの信徒たちが経験するところだ。

日本でも韓国でも、聖書の新しい翻訳は次々に出ている。それは聖書の普及にはいいけれども、もし“より正確な訳”のために新しい聖書を翻訳するというのなら、もうしない方がいいのではないだろうか。訳によって深い理解へ導こうとするよりも、原典で聖書が読めるように効果的に導ける教材の開発に力と情熱を注いだ方がいいと思う。

現在の聖書ギリシャ語学習書は、秀才か、そうでなければよほど意欲的な人でないと、最後までやり通して原典を読めるまでに至らない。そうでないと、原典が一応辞書さえ引けばアンチョコがなくても(世には“Interlinear Greek-English New Testament”という優れたアンチョコがある)何とか理解できるという水準に達するまで、私のように4年もかかってしまう。4年は長過ぎるから、1年頑張れば私のような人間でもスラスラ読める水準にまで高められる教材が必要だ。そのためには基礎は短く終らせ、そのあとは原典を読みながら細かい文法規則を教えていくようにした方がいい。そういうことを、誰かしてくれないかなあ。

礼拝のあと、B&Fの時間になったが、私たちのグループの姉妹たちが、妻の誕生日を祝って、アイスクリームにろうそくを立ててやってきた。

リーダーの姉妹が、マレーシアのお土産に、竹で作ったべらのような栞をみんなにくれた。この栞は、内科の先生が咽の腫れを視るときに使うべらのような形で、幅1.6センチで長さ18センチの薄い竹の板に、民族衣装を纏った大きさ4センチほどの人形が付いている。手作りだ。

それから私には、リーダーの代行をしてくれてありがとうと、マレーシアの建物や自然がレリーフになった金の栞をくれた。あとでよく見ると“14K Gold Plated Bookmark”と書いてある。うっひゃあ24金かとよろこんだが、この“plated”って何だろうと思い辞書を引いてみると、“If something made of metal is plated with a thin layer of another type of metal, it is covered with it.”とのこと。ちょっとがっかり。

姉妹の一人が、許婚者でノンクリスチャンの男性のことを話してくれた。彼は最近、文化人類学で有名なある大学に就職したが、そこが日本で最初にキリスト教を伝えた大学で、教会もあるそうだ。キャンパスを散策しながら、その教会を見つけ、ふと入ってみたくなり、入って行ったという。そこまでは、さすが文化人類学者だと思った。ところが彼は、誰もいない礼拝堂に入ると、席に腰掛け、ふと祈りたくなって、祈ったのだという。それを聞いて、とても驚いた。

北野伝道師先生が私たちのところにやってきたので、最近イスラエルへ聖地巡礼に行ってきたときの話を聞いた。ヘブライ大学で聖書地理学を専攻している韓国人の神学生に案内してもらったという。非常に具体的に、イスラエルとトルコおよびその周辺地域の地勢や気候風土などについて、興味深い話を聞いた。

ヘブライ大学には現在15人の韓国人留学生がいる。そのうち3人が去年の爆弾テロに遭い、現在もイスラエルの病院に入院しているという。彼らは体の50%に火傷を負ったが、イスラエルでは医療が進んでいて、90%まで火傷を負っても生存できるという。ただ、負傷した神学生たちは、あと3年間イスラエルで治療を続けなければならないそうだ。

トルコはキリスト教初期の中心的な地域だが、現在はイスラム教に支配され、各地に建物の柱が残っているだけだという。現地には0.3パーセントのキリスト教徒しかいないという。使徒現行録*(=使徒の働き)やパウロの手紙などに書かれている様子は、当地の地勢を見るとさらによく理解できると言っていた。自分もぜひいつか聖地を巡ってみたいものだ。

このほかにも、各都市の様子だとか、キブツが想像した以上に豊かだという話、エリコの城壁が目が眩むほど高いということ、イスラエルに残る教会の様子など、興味は尽きなかったが、それをここに全て書くのは、紙面の都合上無理、ではなくて、分量が多くなり過ぎるので、ここまでにしておく。

B&Fが終って家に帰ると間もなく、昨日サンドドンの家に行ったとき、私たちと一緒に帰らずに泊まっていた上の子が、帰ってきた。そしてしばらく休んだのち、キョボ文庫へ家族で本を買いに行った。

車の中で、上の子が昨晩その家の従兄と一緒に喋ったことなどを妻に話していた。彼はうちの子より7ヶ月早く生まれたが、もう変声期を迎えて身長も急に伸び、顔だちも子どもから大人へと変貌しかけていた。その彼がうちの子に、自分はもう精液が出るようになったと自慢して、目の前で出してみせたという。でも、終ったあと、これはアッパ(=お父さん)には内緒にしてくれと口止めされたそうだ。

キョボ文庫では、妻がほしい本を妻が選んで買った。ずいぶんじっくり吟味したあと、訳して『キム・スンニョンの6百年ソウル料理』という、写真の綺麗な料理の本を買った。以前は韓国の料理の本は、紙の質もいま一つで、印刷も全然綺麗でなかったが、最近は日本の本と比べてもいいくらい鮮明になった。料理コーナーに並ぶ本は、どれも印刷の立派なものだった。本好きたちにとっては、本当にうれしいことだ。

そのあと、モクトンのカルプ(=Carrefour)へ買い物に行った。チョバプ(=寿司)コーナーで握り鮨を買い、その隣で鰻の蒲焼きを買った。韓国でも鰻の蒲焼きが売られている。味も悪くない(というより、とてもおいしい)。

2つの大きな水槽にはヒラメが、プラタナスの落ち葉を敷き詰めた通りのように、重なりあっていた。右側の水槽には、その幅いっぱいの長さのサメが一匹、退屈そうに横たわっている。それを眺めていると、ふと、これを一体どうするつもりなのだろうかという疑問が湧いてきた。長さは1メートル半ほどある。こんな大きなサメを水槽から引っぱり出すのだって大変なことだし、ましてや俎に載せて捌くときに大暴れしたら、ここにいるおばさんたちの力では押さえるどころではない。店の人たちの顔ぶれを見たら、このサメをつぶすのは不可能に見える。それで、一人に「このサメはどうするんですか」と訊いたら、なんと「鑑賞用よ」という返事。刺身売場でサメを鑑賞とは妙な話だ。

家に帰ってから、寿司と鰻で妻の誕生日を祝った。ただ、寿司は長もちさせるためか、ご飯に酢が効き過ぎていて、とても酸っぱかった。いくら夏だからといっても、これは少しやり過ぎだ。

80年代に韓国について書かれた本(書名は忘れた)には、韓国の寿司はご飯に酢が効いていないが、これは韓国では酢が貴重品であるためだと紹介されていた。そんなことを書いても本になるのだったら、この日記だって本になる。たしかに、韓国の寿司のご飯は一般的に酸味が乏しい。それは味覚の好みの問題であって、酢の代金を惜しんだためとは思えない。酢を使い惜しむくらいなら、もっとずっと高い刺身の方を使い惜しんだ方がいいではないか。

それが、今年の9月に入ってから、キムスクラブの握り鮨もカルプの握り鮨も、いきなり酸っぱくなった。特に今日のカルプの酢飯はご飯に酢をぶちまけてしまったとしか思えない。妻は握り鮨の最後のいくつかを、刺身だけつまみ取ってわさび醤油に付け、白いご飯の上に載せなおして食べていた。私は、握り鮨をひとつ口に入れるたびに、麦茶を飲んで味を薄めた。

そうやって、ささやかながら楽しい誕生パーティーをした。

*新共同訳の書名。括弧内は新改訳の書名。教会では新改訳を標準としているが、私は新共同訳を愛好している。

9月16日(月)「日本語と私」

at 2003 09/19 13:12 編集

先日キョボ文庫で買った『日本語と私』(大野晋著、新潮文庫、1999年)を読んだ。この本は、大野晋の自叙伝で、どのような過程を経て学者として大成してきたかが分るだろうと思って買った。しかし、実際に読んでみると、期待以上の本だった。生きる中で、人と出会い、また別れ、学び、追求し、闘っていく姿が、明晰な美しい文章で描かれている。学問は人生に芽を出して、人生を苗床として育ち、やがてその人の人生を引っ張っていくのだということを、この本を読みながらひしひしと感じた。学問の結晶として、論文があり著述がある。しかし、その背景には、対象への熱い思い、人や本との出会い、別れがあり、時には確執と和解がある。

この本には、学問する態度として重要な話がたくさん出て来る。勉強の話もある。少しずつ拾ってみよう。

「その勉強(=幾何)で大事なことを私は学んだ。「平行な二直線は交わらない」という単純な公理から始めて、「同位角は相等しい」……「二辺と夾角の等しい三角形は合同である」……と進み、定理を一つ一つ重ね、展開して行く。するとそこに美しい確乎とした体系が姿を表した。ははあ。学問とはこういう風にたしかなところから積み上げて形をなすものだな。私は結局幾何が得意にはならなかった。しかし、学問がどんなものであるかを、目のあたりにした。それはどっかと心に刻み込まれた」(p.38)

「英語は中学一年二年の教科書の文章全部、センテンスに区切ってノートの右側のページに写し、左側のページにそれの訳文を書いて、一つずつその訳文を再び英訳する練習をした。これは中学校で古関先生に教えられた方法だった」(p.59)

「受験のとき、例題ばかりやっていては駄目だ。何かまとまった本を使って学習すべきだと思う」(p.61)

「そこ(=和歌)には欠けているものがある。季節の循環を味わって生きているだけでは誤っているような気がする。人間はもっと理路整然としたものを求める心構えが要るのではないか。それがないと世界で生きて行けないのではないか」(p77)

「何百年と続けられて来た万葉集研究の歴史の上で画期的な出版が昭和に入って二つある。……『全釈』(=鴻巣盛広『万葉集全釈』)はその二つを使った当時の最新の全注釈だった。対する『代匠記』(=契沖の『万葉集代匠記』)は二百五十年前の元禄三(一六九〇)年の古い著作である。『代匠記』以後の諸研究を吸収し、新鋭の武器を使った『全釈』の方が個々の場所では当然よい結果を示す場合があった。
 しかし恐ろしいことが分かって来た。両者の文章を読み進むと、論理の透徹、情意理解の豊かさ、漢籍の知識の蘊蓄の大きさ、二百五十年の年月を超えて全体としては『代匠記』の方が立派だと感じられた。書き手の幅、深み、確かさ、いわゆる人間の器量が注釈の文面から読み取られるものだと私は気付いた」(p.82)

「当時(=一高生だった頃)は、大作家の全集を一冊残らず、書簡まで読めとよくいわれた」(p.106)

「若い頃は“Klar und deutlich”(明晰に、境界判明に)と呪文のように唱えながら文章を書いた。「統一的に包括的に」。「ここまでは明確という限定をつけて考えろ」。「問題を区分けして扱え」。「判断の基準は正か誤か、真か偽かということだけ」。「三歳の子供が言っても正しいことは正しい。先生が言っても誤りは誤り」。これらは自分で経験的に自得したことと思って来た。ところが。
『方法序説』を改めて読んでみると、この自分に課した格律がほとんどみなそこに書いてある」(p.110)

「橋本先生は実証主義とか、体系的とか、いちいちことごとしく理論的なことを述べたりされなかった」(p.141)/「そこで橋本先生の一字一句、一点一画をゆるがせにしない厳格細密な学問、広く深い学識にふれた」(p.153)/「研究の手法の基本は私が橋本進吉先生から演習でお習いしたことだった。先生はいつも古い資料を実地について細かく検討し、一字あるいは一語の形や意味を周到に、徹底的に吟味することを求められた。私はかなり忠実にその行き方を守ろうとして来た」(p.256)

「杉並の天沼の下宿でどてらに身を包みあぐらをかいて、火鉢のわずかな炭火で指先を暖めながら毎日カードを採った。一日に千枚採った日も何日かあった」(p.158)

「国語の先生をする人は教材をすべて自分で組立てて使うべきだと思う。……高校の生徒はすでにもっと深く鋭敏に人間の生活、人間関係を見ており感じとっている」(p.175-176)

「『源氏物語』を中心に扱う若い女性たちの原稿は新鮮で、彼女らは男性では到底感じとれないこまやかな感情のひだを、個々の単語に読み分けた。『源氏物語』には男では素通りする部分があるなと、私は思い知らされた」(p.226)

「学問研究には空想力が是非必要である。空想について行けない、空想力に欠けた学者は、学問をなぞることはできるが、学問を切り開くことはできない。もちろん空想を空想として弄んでいるのでは学問にならない。湧きあがり拡大する空想を、地道なデータの集積によって地上にしっかり引き戻さなくてはならない」(p.258-259)

「……その後の発表を読むと、徳永氏のドラヴィダ語一般についての知識は私より広かった。しかし読んだ知識が広いことと、課題を持って研究を進める武器としてそれが使えることとは別である。……」(p.281)

ところで、現代の読書人がすっかり忘れている“適用”を、大野晋はしている。将来への悩みを抱えながら、万葉集の背景を探訪するために奈良へ行き、飛鳥村で柿本人麿の歩んだ道をなぞりながら歩いていたときのことだ。

「……一瞬ひらめいて来たことがあった。千年後に学生が文庫本を持って自分の歌を読みながら同じ土を踏むと人麿は思っていたか。そう思って歌を作ったか。そういうことはあり得ない。人麿は正史に何の記録もない、あるかなきかの人だった。人麿はただ生きたその時その時を、心躍らせ、あるいは打ちひしがれて生きた。恋人が伊勢の海に行っている時には、波に揺れる舟に乗る恋人の裳裾を思い、妻の死には泣きながら別れの袖を振った。人麿は全身の力をこめてその度ごとに恋と悲傷の歌を作った。それがたまたま今日に残って学生がそれを読みながら歩いている。それ以上でもそれ以下でもない。
 成り行く先を思って惑ってもそれは意味が無い。私は生まれて来た。少力は少力なりに、その時その時の全ての力と心を尽して生きればそれでいい」(p.85-86)

古人は、先人の著述を読み、その精神を個人的に適用してきた。多くは漢籍から儒者の生き方を自分に適用し、本居宣長の場合は古事記から、日本古来の生き方を自分の精神生活に適用した。私たちクリスチャンは、聖書に書かれていることを自分の生活全般に適用することが求められる。大野晋は、万葉集に残された柿本人麿の歌を通して、一つの重要な意義を見い出し、自分の人生に適用させた。

現代人は、自分が昔の人よりも優れた時代に生きていると思っている。それが拡大されて、自分は昔の人より物質的にも精神的にも優位に立っていると勘違いし、多くの遺産を古臭いものとして拒んでしまった。それが、適用がなかなかできなくなった所以ではないだろうか。聖書からの適用を信仰の訓練としているクリスチャンにとって、大野晋の万葉集からの適用は、深く、劇的だ。

9月23日(火)「方法序説」

at 2003 09/24 14:06 編集

一昨日ヨンプン文庫の日本書籍コーナーで買った、デカルトの『方法序説』(岩波文庫、1997年)を読んだ。この原典は、1637年に発表されたそうだが、その本に書かれている学問の方法論は、その明晰さと判明さのゆえに、その後のヨーロッパに影響を与え、そして世界に影響を与えて現在に至っている。

特に私の関心を引いたのは、有名な言語学者の中に『方法序説』から影響を受けた人がいるということだ。チョムスキーはデカルトの言語観を受け継いでいるといわれ(『方法序説』p.76-78に見られる)、益岡隆志は、研究に行き詰まると『方法序説』を読んで勇気を得ると何かに書いていた。さらに、大野晋も『日本語と私』(p.110)で、自分の研究態度が若い頃読んだ『方法序説』(p.28-29)にいつの間にか酷似していることに愕然としたという内容を書いていた。

そのような本だから、読まないわけにはいかないと思っていた。ところが、家にあったはずの『方法序説』が、去年の引っ越しのあと姿を消した。時々思い出しては探していたが、見つからなかった。しかし、わざわざ注文して取り寄せることまでは考えなかった。

それが、一昨日たまたま知り合いと一緒にチョンガクにあるヨンプン文庫へ足を運んだ時、そこの文庫本コーナーにあったのだった。少しためらったが、買った。

読みながら、自分の考え方は何かが大きく間違っていたようだという恐れを覚えた。デカルトは、分るところから一つ一つ明らかにしていくという、とても地道な方法論を提示している。そして「分る」というのは、明晰に分ることだけを分るといっている。知ることと知らないことを区別することが知ることだという孔子の言葉の徹底した実践だ。

いや、私の考え方は、間違っていたという以前に、形すら成していなかったといえるかもしれない。それでみじめな気分になったというよりも、びっくりしたというのが正直なところだ。『方法序説』に影響された人たちの本はこれまでたくさん触れて来ているはずだ。それにもかかわらず、今までこんな本に出会ったことはなかった。じわじわと衝撃が襲ってくる。

それにもかかわらず、自分はこの本をろくに理解できなかった。たとえば、第4部の「わたしは考える、ゆえに私は存在する」(p.46)という第一原理へ至る推論は、ただ呆気に取られながら読んだ。そしてその後ろに続く神の証明は、何でそれが証明になるのか納得しかねた。おそらく私の当惑は、「無から何かが生じ」ない(p.49)という大前提が、宇宙は無から原因なしに生じた(佐治晴夫著『「ゆらぎ」の不思議な物語』PHP研究所、1993年、p.83-95による)という考えに遮られて受け入れられないからだろう。神の証明は、神の否定と同じく、人間の理性では不可能なことと思われる。また、第5部の医学的な話は、基礎知識がないのでてんで理解できなかった。

それでも、私が昔思ったことを実に手際よく説明してくれているところもあった。その頃私は、“思想”というものは伝わらないと考えるようになった。しかし、そのことをある人に話すと、反論され、さらに、君は哲学の学習が必要であると言われた。確かに私は哲学は不案内だが、その反論には承服できなかった。

それが、『方法序説』を読むと、「ほかの人から学ぶ場合には、自分自身で発見する場合ほどはっきりものを捉えることができず、またそれを自分のものとすることができない」(p.91)と書いてあった。これが私の言いたかったことなのだった。それを「思想は伝わらない」などと雑な言い方をするものだから、突っ込まれるわけだ。

デカルトは続けて説明する。「わたしは自分の見解のいくつかを、ひじょうにすぐれた精神の持ち主に説明したことが幾度もあるが、かれらはわたしが話している間はきわめて判明に理解したように見えたにもかかわらず、それをかれらがもう一度述べる段になると、ほとんどいつも、もはやわたしの見解だと認めることができないほど変えてしまっていることに気がついた。」(p.91-92)

当時私が言いたかったのは、ソクラテスは2人といなかったし、孔子の弟子たちも孔子にはなれなかったということだ。曾子は孔子ほど偉大な名を残していないし、孟子は孔子とはずいぶん人柄が違う。影響されていることは確かなのだろうが、孔子は孟子に乗り移れなかった。このように、「思想は伝わらない」と私は考えたわけだ。『論語』を熟読しても、私は孔子にはなれない。部分的な思想は伝わっているが、その総体としての“孔子の思想”は、孔子の肉体の滅亡とともに消滅したのだ。それが私の言いたいことだった(もちろん、そうは言っても、まだいくらでも突っ込めるだろうけれど……)。

ただ、私のこの本への関心は、そのような部分ではなく、真理を求める態度とその方法論にある。現代文明はデカルト主義に導かれ、現在の行き詰まりを招いたとする見方もあるという(p.136)。しかし、その代案らしきものが百花繚乱になってしまっている現在、かえってデカルトのやり方は、他の何にもまして魅力的に見える。

9月28日(日)「説教うわのそら」

at 2003 09/29 05:07 編集

下の子の「ねえ、起きて」という声で目が覚めた。時計を見ると、もう日本語礼拝が終っている時間だ。昨夜は明け方までカード採りをして疲れていた。それで、起きる時間になっても目が覚めなかった。

下の子が、「ねえ教会行こうよ」という。「ごめん、もう礼拝終っちゃった」と答えると、急に涙をぼろぼろ流しながら泣いて、「ヌナ(=おねえさん)たちに会いたいよお!」と叫んだ。礼拝の時間に、クムタン(=クミチャラヌンタン:夢を育む地)という子どもの礼拝に行くのを、楽しみにしていたのだ。悪いことをした。胸が痛んだがしかたない。

下の子は、妻が上の子のために作っておいた弁当を食べた。私はラーメンをゆでて食べ、それからカード採りを続けた。

勉強らしい勉強から遠離っていた私としては、辛い作業だが、韓国語の文法書を読みながら、そこで扱われている文法事項と例文をカードに書き込んでいるのだ。まず書き込み、次に韓国語文法の輪郭が立体的に分るように並べ直す計画だ。回り道としか思えない作業だが、こうでもしない限り、自分がどこにいるのか全く見えてこない。要領もへったくれもない私の勉強方法だ。

しかし、やってみると、けっこう刺戟されることが多く、面白い。自分が今までこんなに韓国語のことを知らなかったということが、どの項目を見ても感じられる。もっと早く始めていればよかったと思ったが、これまでは時ではなかったのだろう。遅いと思ったときがいちばん早いときだという。確かにそうだ。遅いからといって始めなければ、もっと遅くなってしまう。

夜、以前出ていた9時の礼拝に出た。下の子がタガバン(=託児部屋)に行きたいというので、連れて行った。下の子はいまだに“タバガン”と言っていた。めいのセリフに出てきた“おじゃまたくし”と“とうもころし”を思い出した。

オンヌリ教会のポンダン(=いわば“中央礼拝堂”)は、礼拝する喜びを感じさせるようにできているということに、気がついた。高い天井と広いホールは音響が清々しく、下はカーペットが敷き詰めてあって音が反響しないので、下を向けば自分自身に心を集めることができる。その広さと狭さの二つを同時に体験しながら、自然に信仰へと誘われる。

しかし、今日はちょっとずれた方向に誘われた。礼拝中、こんなことを考えていた。誰でも──特に私たち日本人は──教会に通うようになればいいのになあ、と。そのいちばんの理由は、キリストを信じるということが何にもまして祝福に満ちたことだからだが、それとは別としても、それと切っても切れない、世の人の知らない生き方を学べるからだ。知っているように見えながら、本当に知らないのだ。

価値も意志も努力も、自分が中心ではなく、神に主導権があるという生き方は、現代の科学主義に染まった私たちには理解しがたいものだ。しかし、この生き方にこそ、力強さと知恵があるように思われる。科学は真理探究の方法論にすぎないのに、科学主義は、それに全幅の価値を与え、神を否定する。科学主義で教育された、神を信じない一般の日本人の価値の根は、そのため虚空に浮いているのに対し、神を信じる者の価値の根は、神にしっかりと支えられているというのが、最大の違いだ。

また、教会では、礼拝のときに互いに祝福しあうことがよくあるが、この祝福は、単に相手の気分をよくしてあげる慰めではない。それは本当に相手に“与える”ことだ。それは目には見えないが力がある。その力は安定している。そして知恵に満ちている。こんなことを、世の中ではするだろうか。世はそれを否定して、互いに奪い合い、また与える人は自分が取るために与えている。それで、物が溢れることはあっても、いつも不安定で飢え渇いている。しかし、他人を祝福できるとき、私たちは豊かに富んでいる。そしてこの祝福は、本当に与えているのだ。

自分の経験から思うのだが、キリストを信じること以上の生き方はない。知らない人の目には愚かに見えることもあるが、しかし、大智は愚のごとし。智恵らしさが全面に出ない偉大な智恵が、そこにはある。

ただし、誤解してはいけないのは、信仰は智恵を得るためではなく、神を信じほめたたえることだという点だ。善行を積むのが目的ではなく、優れた信仰者になるための精神修養が目的でもない。神を信頼して、自分を少しずつ神に明け渡していくことが信仰だ。それは、自分を抑圧してロボットになることではなく、全く逆で、自我を捨て明け渡していくことによって、徐々に本当の自分らしさを回復することだ。このような智恵は、世にはない。

また、誤解してはいけないのは、信じれば財を成すだとか、信じれば病気が治るだとか、信じれば能力が与えられるという期待は見当違いだということだ。それらは確かに、求めれば与えられることがある。祈りが叶えられる奇跡を目のあたりにして驚く経験は、クリスチャンならたびたびするものだ。しかし、それは信仰の条件にはならない。信仰は、貧困や病気や絶望の中にいながらすでに勝利を得ていることだ。このような智恵は、世にないとは言えないが、たいていは傑出した人物にだけ与えられた賜物だ。信仰は、凡人に生まれた私たちがその智恵に生きることだ。

また誤解してはいけないのは、信じることは、確信を得ることではないということだ。信じることは決断することだ。確信は気分だ。信仰は気分ではなく、意志だ。聖書はそれを求めている。確信で行動するのは、つまりはその時期の気分で行動することだから、長い目で見れば結局はふらふらしてしまう。そうではなく、意志によって決断しそれを忠実に守ることが、信じるということだ。確信が伴えば、さらに強い信仰になる。

だから、誰もが教会へ通えることを切に望んでいるのだが、教会へ足を踏み入れるのは、実際には勇気の要ることだ。日本にはキリスト教と自称するカルト集団が多い。間違ってそんなところへ行こうものなら、自分の人生は食い尽くされてボロボロになってしまう。

しかし、そんなに心配することはない。本物のキリスト教の方が多いのだし、それは至る所で私たちの生活に露出しているのだ。たとえば、インターネットで、書店で、時には結婚式場で(笑)。それらを手がかりに、自分に合った教会を見つけて通うことができる。

そのように、誰にでも、教会に通ってキリストを信じることを勧めたい、と思った。それは、他人への余計な関心かも知れない。しかし、聖書は他人の幸福に関心を持つべきだと教えている。そして、お節介にも、キリストへの信仰が相手にとって何を意味しているのか話してあげるようにと、聖書は教えている。確かに、キリストへの信仰以上に私たちの幸福を確かなものにする思想を私は知らない。

説教の内容とはまったく関係なく、一人でそのようなことを週報の空白部分にメモしながら考えていた。

礼拝が終って席を立とうとしたとき、日本人の兄弟に声をかけられた。彼は説教のなかで、牧師先生が映画のことについて話したとき、そのニュアンスが分らなくて、よく理解できなかったと言っていた。そんな話は全然覚えていなかった。余計なことを考えていたために、聞いていなかったのだ。