ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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8月1日(金)「韓日協同授業」

at 2003 08/02 10:55 編集

梨花女子大学校言語教育院では毎年夏に、日本の大学から1カ月間の短期語学研修を受け入れていて、その一環として、日本語を学習している学生たちと交流する授業をしている。数年前に一度手伝ったことがあったが、今年は久しぶりに日本語教師たちも駆り出されて、一緒に授業を導くことになった。

どんなことをするかは前もってプリントを渡されて知っていたが、具体的にどのようにやるのか聞いていなかったし、どこの教室でやるのかも知らなかった。おまけに、今日は直前まで他の用事でばたばたしていて、時間ギリギリに言語教育院に着いたら、担当の先生たちはすでに教室に行っていて、連絡が取れない。それで、2階の事務室に行って聞くと、103号室だと教えてくれたので、そちらへ急いで行った。

学生たちは、日本人の学生も韓国人の学生も多少緊張したような雰囲気だった。私は主に通訳を受け持ったが、通訳なんてほとんどやらないので、韓国語の先生がたくさん話してしまうと、覚えていられない。要点だけ何とか覚えておいて、一言で通訳してしまうことが多かったので、日本の学生たちは、ちょっと不安に思ったようだ。ある部分は、私の方が長く話した。こんないい加減な通訳は、自分でも初めて見た。(笑)

早く打ち解けるように、7〜8人ずつ5つのグループに分けて、名刺作りを行った。このタスクは、韓国の学生は日本語で名刺を作り、日本の学生は韓国語で名刺を作るというものだ。最初は、学生たちはなかなか打ち解けなかった。日本の学生はともかくとして、韓国の学生は日本の学生と友だちになりたくて来ているのに、どうしても気が引けて、韓国の学生同士で話してしまう。日本の学生も同じだった。

金田一秀穂は、日本の国際化のためには、見知らぬ人と気軽に話す能力が必要だと指摘している。私は日本人の学生たちに、「名刺を作りながら韓国語で分からないことがあったら、韓国の学生たちに遠慮なく聞いてください。私の学生ですから」と、ほとんど理由にならない理由をつけて、互いに打ち解ける糸口をつかもうと試してみたが、それでもなかなか話しかけられない。韓国の学生も、その点では同じような問題を抱えている。互いに何となくもじもじしている。

私は学生たちを批判する気はない。私も以前はそうだったし、今もやはり、見ず知らずの人に気軽く話し掛けるというのは、勇気のいることだ。だいいち、社会の雰囲気が次第に閉鎖性を高めてきているのに、その中で開放的な意思疎通を要求する方が無理なのだ。彼らは頑張っているし、よく見れば、自分たちなりの方法でうまくやっているのだ。

5つのグループを回っているうちに、その中でも誰が比較的積極的な学生かがだんだん見えてきたので、その学生を中心に、日本の学生なら韓国の学生と話すきっかけを作り、韓国の学生なら日本の学生と話すきっかけを作ることを試みてみた。そうするうちに、徐々に打ち解け始めてきて、言葉は不完全だけれど、それでも何とか意思疎通を始められるようになってきた。最終的には、半数くらいの学生たちが、互いに打ち解けて話ができるようになっただろうか。

この協同授業は1カ月の間に4回行われるが、この短い出会いの中で、美しい思い出をそれぞれの学生が作ることができればと思う。私は今回の1回だけを受け持っているので、このあと学生たちがどのように変化して行くかを見届けることは、残念ながらできない。

それにしても、最初に名刺作りをするのは、とてもいい方法だ。今回は、私は事前に韓国語の先生と打ち合わせをしていなかったので、不手際だらけだったが、準備をうまくすれば、学生たちをすぐに打ち解けるように、効果的な誘導ができるかもしれない。教室も、103号室のような大講堂ではなく、セミナー室のようなところで、それぞれのグループでテーブルを円く囲って互いの顔が見えるような形式にすれば、打ち解けるまでの時間はもっと短縮されただろう。それから、打ち解けるきっかけになる言葉を学生たちにオリエンテーションしておけば、初めに声をかける心理的負担はかなり軽減されるはずだ。たとえば、名刺を作りながら、「イゴ マジャヨ?(=これ合ってますか)」と聞くのだって、沈黙を打ち破る重要な一撃になる。でも、そういう簡単な表現でも、教えてもらわなければ使えないのだ。

8月3日(日)「先の者と後の者」

at 2003 08/08 19:18 編集

日曜日は教会へ行こう。ということで、今週も日本語礼拝に出た。

説教の前に、吉原伝道師先生が、イラク宣教の下見に言ったときのことを手短に報告した。そこで、イラクのクリスチャンは全人口の3%だと言っていた。それを聞いて、溜め息がもれた。私も溜め息を吐いた。なぜなら、日本のクリスチャン人口は1%にも満たず、プロテスタントの教会員で毎週教会へ通っている人は、0.2%だと聞いていたからだ。それが、キリスト教を弾圧していたイスラム国で、割合にして日本の10倍にものぼるクリスチャンが信仰を守ってきたという話は、私たちにとってとても驚きだった。海外に出てクリスチャンになる日本人はけっこういるのに、日本ではそういう状態であることを考えると、日本にクリスチャンが少ないのは、聖書の教えが日本人に合わないからではなく、日本の風土に問題があるからだと思わざるをえない。

そのあとサミュエル・キム先生の説教だったが、聖書箇所は詩篇130篇で、メッセージは、神は私たちの深い淵から訴える叫びを聞いてくださるということと、神は私たちの不義に目を留められないということ、神を私たちは待ち望むべきだということ、そして、神は私たちを守ってくださるということだった。

説教の中で、韓国を発つ前に、イラクで教会を建てる資金に使ってくださいと言われて渡された8千390ドルを当地で働いている牧師に渡せるまでの話を聞いた。このお金は教会のある部署でチョコレートを売って集めたお金だという。それを持って、最初は当地で仕える韓国人の宣教師に、イラクで教会を建てようとしている牧師に会わせてもらおうとしたのだが、その宣教師が個人的に問題を抱えているらしく、会わせてはもらえなくて、いったんクウェートに戻り、それから今度はバグダットへ行ったという。そこで当地のキリスト教団体を通して、目的の牧師にコンタクトを取り、ホテルに来てもらうように頼み、待っていると、夜、大柄の中東人がやってきたそうだ。その人は、レバノンの神学校で学んだ後、イラクに帰国した牧師で、今年になって戦争が終結した後キリスト教が解禁となり、牧会を始めたところ、なんと3百人以上来たという。それで、現在教会を何ケ所かに作ろうとしているのだという。そして、2人はひざまずいて感謝の祈りをささげたそうだ。

礼拝のあと、聖餐式があった。私は何となく、今は主の体をいただくのに相応しくない感じがしたが、聖餐のパンと葡萄酒を受けなかったら、他の人にとがめられるのではないかと思い、主に謝りながら、そのままいただいた。聖書には、相応しくない状態で主の体をいただくことは罪になると書いてあるが、教会ではそのことを問題にすることはないからだ。パンをいただくときは、「しゅのみかおあおぎみて」を歌い、葡萄酒をいただくときは、「じゅうじかのちにきよめぬれば」を歌った。

そのあと、B&Fがあったが、今日はいつものグループではなく、年代別のグループでやることになっていたらしい。私は、30〜40代の既婚男性のグループである“ダビデ会”になった。ある兄弟が、自分は日本宣教にビジョンがあって、日本語礼拝に出たがらなかった妻を無理に誘って日本語礼拝に出始めたが、今は妻の方が積極的になったといい、「先の者が後になった」と言った。

そのとき私は、原語で聖書を読んでいる人たちが翻訳聖書で解釈している人を気難しく評価する気分がふと理解できた。「先の者が後になる」というのは、ギリシャ語では“先頭の者がびりになる”という意味で、信仰の先頭を行っていたはずの者が、ふと気が付いてみたら、信仰上いちばん問題のある者になってしまっていたという意味だ。その兄弟の「先の者が後になった」というのは、原語にそって解釈すれば、自分は信仰の問題児になってしまったということになるから、適切ではない。本人もそう思っていないだろうし、私もその人が信仰の問題児だとは思わない。むしろ私こそ信仰の問題児だ。

信仰というのは、どれだけ高い境地に辿り着くかが問題になるのではなく、どちらを向いているかという“方向”を神は問題とされる。私たちの心は絶えず揺れ動いているので、信仰の先頭を行っていた人が信仰の問題児になり、信仰の劣等生が信仰の先頭走者になるその転換は、一瞬にして起こる。イエス様はそのことを受けて、先の者が後になり、後の者が先になると言われたのだと思う。

それで、その兄弟が「先の者が後になった」と言って、みんなが彼の聖書からの巧みな引用に感心している間、私は当惑とともに、妙な孤独を覚えた。

ところで、このグループに、言語教育院で日本語を学んでいる男性が来ていた。彼は今まで教会というところへ来たことがなかったそうだ。それが、どんな心境の変化があったのか、教会へ足を踏み入れることになった。そして、教会に早く適応するために、なんとダビデ会の幹事を自分から進んで引き受けた。私はそれを見て、この人はまだキリストを信じていないかもしれないが、すでに先の者となっていると思った。

8月3日(日)「Ton Kiang」

at 2003 08/07 01:47 編集

夕方、家族で外食しようということになり、家を出た。初めはチュンシン教会の前にある「金紅(クムホン)」という中華料理屋へ行こうと思っていたが、その並びにある「Ton Kiang(東江)」という店が目に止まった。それで、そこへ入ってみようということになった。

店長の男性に、「“トンキアン”というのは中国のどの地方の発音ですか」と聞くと、これは中国の発音ではなくて、アメリカの中華料理屋に見られる表記法なのだとのことだった。店長は、韓国系カナダ人なのだそうだ。カナダで生まれ育って、韓国に戻ってきたのだという。

妻はサーチョンタンミョン(四川湯麺)を取り、上の子はウユクタンミョン(牛肉湯麺)、下の子はチャジャンミョン、私はポックンミョン(水炒麺)を取った。ウユクタンミョンには松茸のスライスが入っていた。全体的に、いい素材を使っていて、自分が食べるものを作るように心を込めて作っている感じがする。子どもたちには、望めば清涼飲料をサービスで出してくれる。

妻が店長の言葉遣いからクリスチャンであることを知り、どこの教会に通っているのかという話になった。驚いたことに、この人のお祖父さんが牧師で、目の前のチュンシン教会を開拓した人なのだそうだ。私は思わずその人の顔を見上げてしまった。チュンシン教会に入ったことはないが、この教会は韓国内でも有名な教会だ。その開拓牧師の孫に会うというだけでも、光栄な気分になる。

私は店長に、この店はいつからやってるんですかと尋ねた。すると、去年の10月からだという。驚いた。これまでこの店の前を何度も通っていたのに、この店があったということすら私は気付いていなかったのだ。

8月6日(水)「韓医院」

at 2003 08/08 19:55 編集

午後、妻と子どもと3人で、ポンチョンドンにあるハダム韓医院に行ってきた。韓医院というのは、漢方医の流れを組む医学によって治療する医院をいう。その医者を韓医師という。韓国では、韓医と洋医(=西洋医術)は、一つの対立する概念となっている。

ここの院長夫婦はクリスチャンで、ハダムという珍しい名前はハナニム(=神)とダムキ(=似ること)の略語から作った。妻は以前からこの韓医院のお世話になっていたが、私は今回が初めてだった。最近体力が落ちて疲れやすくなっているので、韓薬(=強壮剤)を調剤してもらうためだった。

私は韓医院で治療を受けるのは初めてだったので、少し緊張した。院長先生は、とてもゆったりとしていて血色もよく、張りがあっていい声をした先生だった。私がキリストを信じていることを知って、とても喜んでくれた。先生は、早天祈祷会で有名なミョンソン教会に通っておられるが、私がオンヌリ教会に通っていることを妻から聞いていて、あそこはいい教会だとほめられた。自分の教会がほめられるのは、何ともいい気分だ。

私は最近体力がめっきり衰えて、まだ30代なのに、50代くらいにならなければ表れないような、疲労したときに頭が全然働かなくなるような状態にまで、体力が落ち込んだ。そうでないときも、精神状態がとろんと濁ったような感じで、すっきりしない。

相談の結果、私の不調の原因は、運動不足で、95年から自動車に乗っていることが絶対的な原因だということが分かった。運動することを忠告された。走ったり、ウォーキングをしたり、縄跳びをしたりして、1日に30分から1時間は汗が出るまで運動をするようにと言われた。

それから、祈ることを勧められた。神は全能なのだから、その方に依り頼むことが大切ですよと忠告された。私はドキッとした。祈りが絶対的に不足していることが見破られたようだ。祈っている人と祈っていない人とは、確かにその違いが顔にあらわれるからだ。

そのあと、物理治療をしましょうということで、治療室に通された。妻がローリングベッドで寝ていた。私もその横のローリングベッドに寝かされた。ローリングベッドが終ったあと、針の治療を受けた。妻が先に針を打たれたが、痛い痛いと言うので、恐くなった。しかし、実際に私が針を打たれてみると、幸いなことに大して痛くなかった。しばらくして抜くときも、妻は痛い痛いと言う。それで私も抜かれるのが恐くなったが、幸いなことに、いつ抜かれたのかも分からなかった。

あとで、頭が正常に働くようにと、耳たぶにテープの針を貼ってもらった。この針はずっと貼りつづけるので不便だが、確かに多少の疲れでは頭の働きが鈍らなくなったようだ。私は針をあまり当てにしていない嫌いがあるが、こうやって実際に違いが表れるのを見ると、やっぱり針というのは信頼できるのかもしれないと思った。

8月9日(土)「国際韓国語教育学会」

at 2003 08/17 01:27 編集

以前言語教育院の同僚だった先生が日本から来た。ソウル大学で開かれる国際韓国語教育の国際学術大会に参加するためだ。それで、私も一緒に参加した。ソウル大学は緑に囲まれた広大なキャンパスで、会場の新工学館はそのずっと奥の、ほとんど冠岳山の麓に上がり込んだところにある。

参加費は2万ウォンだった。会員になりたいと思ったが、入会金と年会費を合わせて4万ウォンになると聞いて尻込みした。一気に6万ウォンも出てしまうからだ。結局会員にはならなかった。

最初の招請特講に驚いた。英語だったからだ。コリョ大学の教授が司会をしたが、司会も英語だった。David Nunan という The University of Hongkong の教授で、テーマは“Task-based Syllabus Design”というとても興味深い内容だったが、なにせ私は英語は少ししか聞き取れないので、半分眠っていた。とてももったいないことだ。あとで予稿集の論文を辞書を引き引き読んでみなければ。

今回の大会のテーマは、“外国語としての韓国語教育課程と教育要目(Curriculum and Syllabus of Korean as a Foreign Language)”というもので、現在の私にはそれほど関心のある分野ではないのだが、将来のために聞いておこうと思って参加した。

その次の主題特講Iは、ソウル大学のミン・ヒョンシクという先生で、「国内機関における韓国語教育課程」というタイトルで、韓国語教育の標準化を目指す案を提示した。標準化は画一化するのを避けなければならないと言っていたが、それを聞きながら、標準案ができたら画一化への圧力は避けられなくなるだろうと思った。案の定、討論したチョー・ハンロク先生とソン・ヒャングン先生は、韓国語教育が画一化することを懸念していた。私もそれを懸念した。おそらく参加した多くの先生たちが、韓国語教育が標準化によって画一化する危険を感じたのではないだろうか。特に韓国では、一つを“標準”とすると、それを“正しい形”に摺り替えてしまい、それ以外をすべて“誤り”としたがる傾向がある。だから、標準化は無意味な画一化へとつながる危険な導火線となる可能性が高い。

休み時間に、本を売りに来ていた図書出版亦楽の社長と目が合ってしまった。以前この人は、私の机に自分の会社で作った本3冊を無理矢理置いて行って、その代金3万ウォンを払えと言い続けていたので、避けていたのだ。本を返そうにも返せず、そのうち本も劣化して来たので、返しても売り物にはならなくなってしまった。彼は数年ぶりに私に会ったにもかかわらず、私が3万ウォン未払い(?)なのを覚えていて、会うや否や「あのときの3万ウォン!」と言った。しょうがないから、堪忍して3万ウォン払った。私が「忘れてくれればいいのに」と言うと、「誰が忘れるもんか」と言っていた。この会社は最近いろいろな人目を引くいい本を出して頑張っているのに、3万ウォンでもちゃんと覚えているんだなあと思って、妙に感心した。テーブルの上にどっさり並べた本を見せて、いい本がいっぱいあるから買えと言ったが、今日はダメですと言って立ち去った。

主題特講IIでは、オハイオ州立大学の Eun Joo Kim という若い女性の先生が「アメリカ大学での韓国語教育課程」というタイトルで発表した。アメリカの大学で韓国学科がその位置を確保し生き延びていくためには努力が必要だということを紹介していた。その中で、韓国語の上級クラスの開設数が初中級の半分しかないという指摘に対して、米USCという大学の Namkil Kim 教授は、私立大学では授業料が高いので学生が上級クラスまでは受講できないから、その指摘は不適切だというようなことを言っていた。まあ、そういう見方もできるだろう。私はこの分野には知識がないので、両者の主張していた意味の深意は分からない。

それから昼食を食べに行った。ビビンバだが、おかずがたっぷり出て、とてもよかった。2万ウォンの参加費で、こんな豊かな昼ご飯が付くのかと、元同僚の先生と驚きながら、その昼食を食べて満腹した。

午後は最初に日本から来た東京外大の Noma Hideki(野間秀樹)教授が「日本の大学における韓国語教育課程」というタイトルで話をした。私はこの講議を、日本での就職情報として聞いた。先は長く厳しいと思った。この先生は、名前は知っていたが、実際に話を聞くのは初めてで、その韓国語の非常に上手なのには驚いた。そしてユーモアを交えて話すその語りにも驚いた。もっと驚いたのは、この人が韓国に留学したことがないということだ。韓国に留学せずにこれほど韓国語を達者にあやつれるのかと思い、不思議な気分だった。

Noma Hideki 教授の文章は、以前、訳せば『韓国語教育と学習辞典』という本に掲載されている論文を読んで、独特な臭いのする文体だなあと思ったことがあった。今日初めて聞いた主題講議でも、日本独特のユーモアを韓国語で聞くと、不思議な腹の底に残る面白さを感じた。討論者の Matsuo Isamu(松尾勇)教授も、噂には聞いていたが、本当に韓国語が上手だった。日本の韓国語の一人者たちというのは、本当に韓国語が上手なんだなあと、しみじみと感じていた。

でも、もう一人の日本人の教授は、会話はあまり上手ではないようだった。“〜ニッカ”を連発するので、何だか一生懸命自分の意見の妥当性を主張しているような、健気な感じがした。その後は、自分の討論文を棒読みした。会話はああでも、きっとすばらしい研究をしているんだろうなあと思った。会話力を見てその人の韓国語の知識の深さを量っている人は、気をつけた方がいい。

そのあと分科会になって、私たちは、韓国語教育の教育課程と教育要目に関する発表を聞いた。この発表は、ある英語圏の大学で韓国のコマーシャルと映画を使って教えると韓国文化を効果的に教えることができるというものだった。しかし、具体例が一つも出てこなかったので、それがどんなものなのか分からず、面白くなかった。当然のことのように、具体例を聞きたかったという意見が司会者から出たが、それは以前発表したので重複を避けるために省略したから自分の論文を見ろという。参考文献を見ると、英語の論文だ。学会には研究者以外の人たちもたくさん来ているのだ。その程度の重複も面倒くさがるのだろうか。ずいぶんサービス精神の乏しい先生だ。

それから第3分科の「高級段階学習者のための内容中心韓国語教授法の実際」という発表を聞きに行った。少し遅れて行ったためか、内容がつかめず、何がなんだか分からなかった。そういうこともあるのだ。

そのあと、元同僚の先生の知り合いで、政治学を専攻している人と、ずっと話し続けた。日本の就職事情と私たちの年齢の話をした。私より8つ年上で、非常に頭のいい人だと思った。ソウル大で博士学位取得予定者なのだが、今自分が20〜30代なら、韓医を専攻したいと言っていた。

それからレセプションがあったが、参加費は最初の料金に含まれていたので、出席して、3人で食事をしながら話をした。その人も、元同僚の先生も、韓国の学会は食事が出るからいいと言って喜んでいた。日本では食事代が付くこともないし、レセプションも参加費を払わなければならないという。レセプション代まで含まれている学会は私も今回が初めてだが、日本では韓国ほど食事を重要視しないらしい。それは、二人とも、韓国は食事を非常に大切にすると言っていたのを裏返してみた私の考えだが、たしかに韓国では“寝食を忘れて”という表現は今まで聞いたことがない。誰かそんな表現を使っている人もいるのかもしれないが、日本でよく使うこの表現は、たしかに韓国では滅多に使うものではないようだし、もし使ったとしても、日本で受け取られるほど自然には受け取られないような気がする。頭脳労働は脳を酷使するので栄養補給が必要になる。その栄養補給を軽視するのはおかしいと思う人が、韓国にはけっこういるのではないだろうか。でも、栄養補給を重視するという韓国でも、頭脳の活動に不可欠な睡眠は、削りに削る。

異文化間コミュニケーションの話が出たので、私が、異文化間コミュニケーションは違う点を意識し過ぎる嫌いがあるが、それよりも共通点を強調したらどうなのかと思う、政治学はむしろ共通点を強調しているのではないかと言うと、文化と文化には、違う点と普遍的な点とがあって、普遍的な点があるからこそコミュニケーションが成り立つのだと言っていた。その明快な概念の分類に、目が覚めるような思いがした。その人はまた、違う点だけを強調すると、おかしなことになってしまうとも付け加えた。それを聞いてうれしかった。人間には本質的な部分があり、それを土台にして、違った行動様式や考え方、価値観を持つようになる。だから、一見違うものにも、普遍的なものが根底にある。それを無視して違いばかりを大袈裟に扱うのは、人間はみんな同じと言って違いを無視するのと同じく不正確な態度だと思う。

その人は、いろいろな話題をとても明快に語り、また、知恵というものを好んでいるわけではないが、知恵に満ちていた。私もその人に倣って、もう少し生活に頭を使うべきだなと思った。

8月10日(日)「『頑張る』に気をつけよう」

at 2003 08/12 00:14 編集

日曜日は教会へ行きましょう。ということで、今週も日本語礼拝に出た。今日は説教の前に、北海道と横浜へアウトリーチにいって来たチームがパワーポイントで写真を見せながら報告をした。

北海道というのは、開拓のときに韓国や中国などから多くの人を強制労働させ、その犠牲者の上に成り立っているという。あまり知られていないことなので、聞いて驚いた。みんなとてもすばらしい経験をして帰って来たようだ。

横浜のチームは、首都圏の成長している教会をいくつか回って来た。まず千葉県にある Hope Church へ行ってきたが、そこの主任牧師であるロバート・ケーラー先生は、「『頑張る』に気をつけて神に期待しよう」と語っていたそうだ。それと、教会を建てるのは天国の教会を建てるのだと言われたという。

なぜ「頑張る」に気をつけるかというと、この言葉は「我を張る」から来ているからだそうだ。自分が前面に押し出されて、自分の力で何でもやろうとしてしまう。そこに「頑張る」という言葉の落とし穴がある。

それから本郷台キリスト教会にも行ってきたそうだ。そこの池田牧師先生は、開拓当時はお金がなくてちり紙交換をしていたそうだが、自分は牧師だからと、讃美歌をかけてちり紙交換をしながら伝道もしたという。池田先生は宣教にビジョンがあり、世界の数カ所に宣教師を送っている。すばらしいことだ。

それから東京ホライズンチャペルにも行ってきたという。そこの平野牧師先生は、日雇い労働者を伝導しておられる。自分は使徒パウロのように宣教師だから、一ケ所に留まっていることはしない。趣味は引っ越しだと言っておられたというからすごい。私は度重なる引っ越しで、もうほとほと疲れてしまったが、引っ越しが趣味ということばにチャレンジを受けた。

そのあと、説教は大阪オンヌリ教会を受け持っておられるイー・ヨンソン牧師先生が詩篇121篇のみことばで話された。「教会は作るものではなく生まれるもの」「神が守ってくださるなら、決して死なない。反対に成長がある」「私の努力が問題ではなく神が助けようとされるかどうかが問題」という言葉は、おっとりと話しているにもかかわらず、とても力強かった。しかし、そのイー先生も、ふと「頑張って」という言葉が口を突いて出たとき、「ああ、『頑張る』に気をつけましょう」と言って照れ笑いした。

礼拝が終って交わりのとき、私がいかに「頑張る」という言葉を多用していたかに気が付いた。何かにつけて、「頑張ってください」とか「頑張ります」という言葉を口に出しているのだ。

この言葉が悪い感情から出ているのでないことは勿論だが、神中心の見方をもっとしっかりさせようとしているとき、「頑張る」という言葉はたしかに足枷となる。「神様の祝福がありますように」とか「主に期待して最前を尽くします」などのように言ってみるのだが、咄嗟に作った表現なのでサマにならない。しかし、こういうことから始めて、徐々に自分の言語生活を聖書的に変えてていくことはできるだろう。

8月10日(日)「ぐれる!」

at 2003 08/15 12:09 編集

キョボ文庫で『ぐれる!』(中島義道著、新潮新書、2003年)という本を見つけた。この書名が強く心を引き付け、ざっと目を通してみると、ぜひ内容をもっと知りたくなった。そして、この本を買って最後まで読んでしまった。そして、面白いと思ってしまった。私は「ぐれる」という単語を長い間使い忘れていたが、この単語に出会ったとき、とても心を惹かれるのを感じた。弱い意志ながら真面目っぽく生きてはいるつもりだけれども、その内面は実はぐれているのだろう。

ぐれるということは、わざと不真面目な態度を取りつづけることだと思うが、著者はそれは理不尽を噛み締めて生きることだと言っている。私たちは様々な理不尽の中で生きているが、その理不尽に刃向かうのは危険で恐い。それに、社会をよくすることも無理だと思う。だからといって、嘘によってその理不尽を忘れて生きたくもない。だからぐれるのだと言っている。そして、ぐれの美学を展開する。それはあくまでも不道徳で、無気力で、冷淡な生き方だ。

著者によると、ぐれの本質というのは、虚飾を排して真剣に真実を見つめていく生き方のようだ。それを私はぐれてではなくて、まじめに浪人時代に一人で考えていたことがあった。私が見つめていたのは、究極の虚無だ。『ぐれる!』はその究極の虚無を曝し出している。

著者は、「人生のスタートラインに立ったとき(大学の入学式で、卒業式で、成人式で)、大人たちはけっしてあなた方に真実を語らない(p.103)」と指摘し、「どんなに地球環境をよくし、永遠平和を実現し、難病を撲滅し、貧困を解決したとしても、人類はいずれ(数百万年すれば)完全に消え去り、(数億年すれば)地球も太陽に呑み込まれてしまうこと、その絶望的未来について語らない。そうして、漠然と未来に希望をもてと言う。すべてのことを一歩一歩「よくするように」努力せよ、とはげます(p.104)」と説明している。どうやらぐれの頂点は、窮極の虚無を見つめることにあるらしい。

そう。世界という物質は、窮極の虚無という渦に引き寄せられながらその周りを回っている、どうしようもない理不尽だ。しかし、信仰は、その究極の虚無の彼方にある。私は窮極の虚無から信仰と出会ったが、信仰からその手前に広がる窮極の虚無を覗き見る人もいるだろう。

この本の書名に強烈に心惹かれ、買ってしまい、しかも共感を持って読んでしまった私は、やはりどこかぐれている。この本に反感よりも先に興味を覚えるなら、誰でも多少はぐれているのだ。ただ、私自身はこの人の哲学に従って「ぐれ」を追求して行く気はない。他人の意見に従ってぐれたって、それは形式的な追随だから、ぐれたことにならないではないか。

8月12日(火)「無力な者の得た実り」

at 2003 08/15 12:40 編集

聖書を読みましょう。ということで、今週も梨花女子大学言語教育院で聖書勉強会をしたが、今日は聖書は読まなかった。そのかわり、短期宣教旅行に行ってきた人もいるし、私のように自宅でも聖書勉強会を始めた人間もいるので、それらの恵みのあかし(=証言)をしようということになった。

佐味伝道師さんは地震直後の仙台へ行ってきた。そこで、以前聖書勉強会に来ていた兄弟の仕える教会の人たちと交流をもった。そこへ、栃木県の大学に国費留学で言語治療の研究に行っている姉妹もわざわざ新幹線に乗ってきて合流したそうだ。仙台では路傍伝道もし、そのあとの伝道集会では、ある子連れの女性がキリストを信じて受け入れたという。

ある姉妹は、短期宣教旅行ではないが、この夏に郷里に帰ったとき、死にかけていたおじに福音を伝えてキリストを信じるまでに導いた。それからしばらくして亡くなったが、信じてから亡くなるまでの短い間、小康状態を得ていたという。その姉妹はまた、信じない家族や友人にも福音を伝え、その人たちのために祈り続けたそうだ。宣教旅行に行ってきた人にも劣らない宣教活動に驚き、神をたたえた。

今日は全員で5人出席した。その5人が五十音順に、一人ずつ話しては祈りの課題を出して祈るということをした。一種の祈り会のような形式だったが、とてもよかった。

帰りの車の中で、伝道師さんに、目覚ましい宣教活動をした姉妹のことを話した。伝道師さんが言うには、彼女は聖書勉強会に来るまでは、それほど信仰も強くなかったとのことだ。それがバイブルスタディーを通して変えられていったのだと言っていた。聖書勉強会には、信じ初めて日の浅い人たちがけっこう来たが、彼らは韓国に滞在するあいだに信仰を深めて日本へ帰って行った。

自分は2年前と今と比べて信仰上大して成長がないなあと思った。しかし、この聖書勉強会を始めるときに、神が私の心に入れてくださった、とにかく時間と場所を守り通すという思いに従うことで、多くの実りを目撃した。それはもちろん私の働きではなく、神がその時間に集めてくださった人たちの働きによる。私はこの聖書勉強会では無力だったが、その無力な働きを通して神が豊かに働いてくださっているのを私は目撃したのだと思う。これも、信仰の醍醐味だ。

8月13日(水)「ユン・ソンダル氏」

at 2003 08/15 19:25 編集

一昨日、『アルカギ・イルボノ』(日本語バンク)の著者ユン・ソンダル氏から電話があって、アルカギの第2弾の原稿ができたので見てほしいと言われ、今日授業が終った後で会いに、約束場所のチュンムジプ(776-4088)へ行った。チュンムジプは、ミョンドンロッテホテルの向いにあるサムスン火災ビルの裏通りのビル地下1階にある。ビルの名前は大宇造船海洋ビルディング。右側に地下食堂街へ直接降りる階段がある。踊り場に背を向けた裸婦のブロンズ像があるのが目印だ。

なぜ呼ばれたかというと、今年の初めに『アルカギ・イルボノ』が出る前、まだ原稿段階だったときに、96年にヨンセ大学語学堂で私から日本語を習ったのを思い出して、原稿を見てほしいといわれたことがあったのだが、そのときに本の構成についてアドバイスをしたのが気に入られて、今回もというわけだ。今回は原稿の校正はせずに、構成についてだけ意見を求められた。

チュンムジプは、ユン氏の故郷チュンムの人が経営している店で、その人と仲がよくて今の店の名前はユン氏が付けただけでなくメニューなどの文句もユン氏の手になる。この店ではチュンムの港で水揚げした海産物を運んできて料理して出すのだそうだ。そういうわけで、ユン氏から呼ばれると、よくこの店で珍しい海産物をたっぷりご馳走になる。チュンムジプの目玉商品の一つはチャボフェ(雑魚膾)というもので、小さな魚の刺身の盛り合わせだ。これは韓国の普通の刺身屋では食べられないもので、とてもおいしい。

今日は、チュンムから魚を運んで来る車が事故に遭って魚がないと言っていたが、それでも私にとっては最良と思われる刺身を出してくれた。今まで見たこともない赤と燕脂の海産物も出た。見た目は厚手の海草だが、食べてみると動物質で、柔らかいがコリっとした歯ごたえがあって、ほんのりと甘味がある。うまい^^。何というものですかと聞くと、ケーブル(gaebul)という生き物で、形はミミズに似ており、太さは1.5センチくらいで長さは15〜20センチくらいだという。ユン氏の説明によると、ケーとは“犬”で、ブルとは“睾丸”のことではないかという。不思議な名前を付けたものだ。(笑)

この人の仕事ぶりは凄まじく(本人はそう思っていないのだが)、1日に4時間しか睡眠を取らずに仕事に熱中する。あとで聞いた話だが、サムスンに入社したときには高卒だったのに、その後、日本地域専門家として日本へ行き、一方、大学を卒業して大学院まで卒業したという。今もその猛烈な生き方は変えておらず、たとえば、今度の本に看板の写真が60枚ぐらい必要なので、週末にソウル中をタクシーを使ったり自分の足で歩き回ったりして撮影したという。欲しい被写体の密集する地域に出くわしたときには、宝の山または金鉱を掘り当てたような喜悦を覚えたそうだ。

この人の仕事の特徴は、猛烈に作業を続けるだけでなく、アイデアを愛し、自分の発想にこだわりもしない。いいアイデアだと思ったら、迷わずその場で取り入れる。それだけでなく、自分のアイデアにも吝嗇さを見せず、社内でも気安くコンサルティングをしてあげて、あるときは商品の名前まで付けたそうだ。チュンムジプもだいぶその恩恵に与っている。彼はサムスン火災の社員だが、「スポーツトゥデイ」という新聞に日本語の記事を連載している。友人が多くて、アイデアに詰まったときは助けてくれるという。

積極思考というのではないかもしれないが、前向きな考えで夢をどんどん実現させて行くその生き方に、大いにチャレンジを受けた。積極的に考えなければいけないという考えでなく、自分のやっていることが面白くて仕方ないという感じだ。デール・カーネギーはある米国有数のゴム会社の社長の話を紹介している。

「まるでどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しみ、それによって成功した人間を何人か知っているが、そういう人間が真剣に仕事と取っ組みはじめると、もうだめだ。だんだん仕事に興味を失い、ついには失敗してしまう」(D・カーネギー著/山口博訳『人を動かす』創元社、1982。p.81)

この社長の観察によると、仕事が面白くてたまらないくらいでなければ、めったに成功者にはなれないという。たしかに、いやいや仕事をして頭角を現すというのも、ちょっと変かもしれない。ユン・ソンダル氏は、まるでどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しんで、うまくやっている。実に、仕事が面白くてたまらないので成功者になっている例といえるかもしれない。

今回も思いついたアイデアをいろいろ話したら、とても喜ばれた。こんなに喜んでくれる人は滅多にいないから、とてもうれしい。どんなアイデアだったのかは、ひょっとしたらユン・ソンダル氏が自分のホームページにいずれ公開するかもしれない。そのときをお楽しみに。ただし韓国語です。

8月14日(木)「千と千尋で授業」

at 2003 08/17 00:53 編集

言語教育院のJISD400で、初めてアニメを使って授業をしてみた。以前ヨンセ大学の語学堂にいたときは、ドラマやドキュメント番組を利用した授業は、何度か試みたことがあったが、大して面白くもなくて、その後6年くらい全然していなかった。今回は、学生たちも見たことのある『千と千尋の神隠し』のビデオを使って授業をしてみた。

私の性癖として、細かいところを理解させるよりも、全体を理解させることに関心がある。だから、アニメを少しずつ見せたり途中で停めて解説したりせず、いっぺんに通して見せてしまおうと思った。今学期の400のクラスは3時間あるので、それは十分にできる。しかし心配なのは、ただビデオを見ただけになってしまい授業として意味がなくなってしまうかもしれないということだ。

それで、前もってビデオを見ながら聞き取りが難しそうなところや意味の解釈の難しそうなところなどをメモしておいた。そして先週の授業では、聞き取りに問題となりそうな部分の説明をするときに、その言葉の使われた場面を説明し、またこのアニメの混乱した文体の面白さなども解説した。もし学生が知らないアニメや映画だったら、あらすじを初めに話したかもしれない。

そして今日、授業に入ったわけだが、私自身は今日のためには何も準備せず、ビデオを見る前に、「アニメを見ながら質問を3つ考えるように」と指示した。そのあとは、『千と千尋の神隠し』を最初から最後の音楽が終るまで全部見せた。

ビデオを見終ってから、学生に質問をさせ、その質問を他の学生たちに考えさせた。そこで驚いたのは、学生たちの質問は、思ってもいなかったところに視点を置いているということだ。こんな質問は、私が一人で準備したら思いつかないことだと思った。それに対する学生たちの答えも、新鮮だった。これは面白いと思った。(学生たちが面白いと思ったかどうかは分からないけれど。)

そこで考えた。映画やアニメを使って授業をするとき、初回は準備をせずに学生たちに質問を作らせ、他の学期にまた同じものを使うときには、そのときの知識を活かして、まず最初に教師が質問をして、学生たちの鑑賞を助ける。そんな風にしたらどうかと思った。

たとえば、瑣末な質問と根本的な質問が混淆するが、「八百万の神の国への入口が、行きは赤いモルタルで帰りはただの石なのは、どうしてか」「湯婆婆は朝になると一体どこへ飛んで行くのか」「顔なしはどこから来たのか」「看板や荷物などに書かれた『め』という字は何を意味するのか」などという質問をまずしておいて、それからビデオを見せれば、想像力を膨らませながら見ることができるのではないかと思う。今回は授業の時までには思いつかなかったが、映画を見て討論したあとで、感想文を書かせるといいと思う。

この授業のしかたでは、いろいろ考えさせる映画やアニメが相応しいと思う。宮崎駿のアニメだったら、『千と千尋』以外は『耳をすませば』がそれにあたるか。一見平凡に見える名作を用いるのが、深い鑑賞を誘発できていい。

メッセージがはっきりし過ぎているのはまた違った授業のしかたになるだろう。たとえば『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』は、自然を崇拝する思想が露骨に表れているので、自然のことばかりを考えるようになってしまう。こういうのは、ビデオを見たあとで論争させてみると面白いかもしれない。

なお、『千と千尋の神隠し』のような冒険物語の構造を理解するのに、『超文章法』(野口悠紀雄著、中公新書、2002年)の54〜83ページの説明が役に立つ。

8月16日(土)「出歩き」

at 2003 08/17 00:56 編集

天気がいいので、散歩がてら買い物でもしようと思い、ヨンサンの電気街まで歩いて行ってみた。まあ大した距離はないのだが、実際に歩いてみると、けっこう不便だ。うるさいし、歩道は工事中で狭くなっていたり、横断歩道は青なのに車がずるずる通り過ぎて行ったりする。国鉄ヨンサン駅の前は、セメントの臭いがする埃が立ち込めていて、ひどかった。こんなところで散歩を楽しめる人は、よほど神経がどうかしているだろう。

ヨンサン駅の前を歩いていたとき、前方から東南アジア系の男性が歩いてきて、私に英語で「英語は話せますか」という。私が「まあ、少しなら(Well, a little...)」と曖昧な返事をすると、その人は、自分はテープレコーダーやステレオなどが買いたいのだが、それはどこですかという。それで、行き先を説明したが、考えてみれば私も同じ方向へ行く。それで、一緒に行きましょうということになった。

その人はタイから技術研修に来ていて、まだ韓国に来てから2週間しか経っていないそうだ。知っている韓国語は単語2つだけという。長いガードをくぐり抜けて目の前にヨンサンの電気街が広がったとき、彼がどれがその market ですかと聞くので、目の前に見える建物がすべて market ですと答えた。

ステレオなどを売っているところはヨンサンにはごまんとあるが、独断と偏見で、チョンジャレンドゥ(=電子ランド)を指さして、「あそこが一番いいと思います」と教え、「お店で買うときには、最初の店で買わないように」と付け加えた。彼が私の顔を見るので、私はまた「最初の店で値段を聞き、また次の店で値段を聞き、また次の店で値段を聞いたあとで決めた方がいいですよ」と続けた。

彼とはそのまま分かれた。実は、あとのまつりだが、別れ際に、タイでは別れの挨拶をどうするのか教わっておけばよかったと思った。そうすれば、今日一日中エキゾチックな気分を楽しめたろうに。

電気街にはMDを買いに来たのだが、去年よりも心持ち売っているところが少し減り、値段も少し高くなっていた。以前は最低7千ウォンで売っていたと記憶している店で、最低額が9千ウォンだった。それで、他の店を見てみた。ソニン商店街の中にはMDを売っている店は見当たらず、他の商店街に入ってみると、さっき9千ウォンで売っていたのと同じのが、そこは1万3千ウォンもした。そこからしばらく行くと、またMDを置いている店があったので、値段を聞くと、ここは8千ウォンだという。他にもっと安い店があるかもしれないが、面倒な気がしたので、そこで買った。

MDを買ったあと、キョボ文庫へ行こうと思ったが、当初計画していた歩いて行くのは、空気も悪いし車の騒音もストレスになるので、バスか地下鉄で行くことにした。地下鉄4号線のシニョンサン駅まで来たとき、ふとバスで行くのが面倒に感じられ、地下鉄で本を読みながらソデムンまで行くことにした。しばらくかばんの中で眠っていた“Teach Yourself Beginner's Modern Greek”を取り出して、ぶつぶつ小さな声で会話文を読んだ。トンデムンウンドンジャンで乗り換えてクァンファムンに着くまで繰り返し読んだ。

キョボ文庫へは、特に買いたい本があって来たわけではなかった。ただいろいろな本を物色しているうちにいい本に出会うことを期待して、広いフロアを散策(?)した。結局、2冊の本を買った。

一つは“A GRAMMATICAL ANALYSIS OF THE GREEK NEW TESTAMENT”(Max Zerwick, S.J.著、Christian Literature Crusade刊)という本で、新約聖書原典の一種のコメンタリーで、出て来る単語の文法解析と意味の説明をしている。簡潔だが文脈に沿って説明しているので、深い理解へ導いてくれる。バイブルサイズ(19.5cm×13.5cm)で8百ページ近くある(厚さ3.5cm)総革装の本なのだが、1万ウォンしかしない。韓国での出版元は“基督教文書宣教会”というところで、名前を見るとどうもプロテスタントのようなのだが、奥付には“EDITRICE PONTIFICIO ISTITUTO BIBLICO, ROMA 1993”と書いてあるから、カトリックの出版社かもしれない。この本は、独学で新約聖書の原典を読む人にはお勧めだ。

それからしばらくいろいろな本を眺めたあとで、“English for Everyday Activities──A Picture Process Dictionary”(Lawrence J. Zwier著、Compass刊、1999年)を買った。この本は日常生活の各場面を分類して、その場面で用いられる重要な表現を、イラストとともに提示している優れものだ。出版社は香港にあって、編集は日本で行っているが、いちばん下に“Reprinted by Shinhwa”と書いてある。“Shinhwa”というのは韓国語っぽい名前だ。キョボ文庫では、ブッククラブの会員に外国書籍を1割り引きしてくれるのだが、この本は割り引きなしだった。やっぱり韓国で印刷しなおされたのかもしれない。実は私はこのオフィス編を持っているのだが、それもなかなかいい本だ。しかし、オフィスに勤めているわけではない私にとっては、この日常生活編の方が面白い。CD付で1万ウォン。

本を見ながら、いろいろとやってみたいことなどアイデアが浮かんだので、スナックコーナーへ行って、薄いコーヒーを飲みながら、メモをした。

それからキョボ文庫を出て、38番のバスで家に帰った。チョンノ1街のマクドナルドでハンバーガーでも食べようかと思ったところへバスが颯爽とやってきたので、バスに乗った。しかし、颯爽とやってきたということは、運転が乱暴なのだ。家に帰るまでの間、座席に座りながらずっと緊張し続けていた。こういう緊張は心臓によくないと自動車教習所で昔習ったことを思い出した。家の前に着いてバスを降りたら、疲れがどっと出た。

夕方の風は涼しく、日暮れのあとの夕焼けが、オレンジ色や緑色に層をなして光っていて、とても美しかった。

8月17日(日)「教会」

at 2003 08/18 00:48 編集

今週も日本語礼拝に出た。聖歌隊の特別賛美が終ったあと、サミュエル・キム先生が説教台に立ち、「賛美は歌声の美しさやテクニックではありません」と切り出した。そして「賛美は霊的な恵みが大事なのです。この賛美でとても恵まれましたよ」と言って、聖歌隊に向ってにっこり微笑んだ。歌としては満足しなかったのかもしれない。まあそういうこともあるだろう。

今日は説教の前に吉原伝道師先生が、イラクへ短期宣教に行ってきた報告をパワーポイントを使って行った。7月21日から8月2日までのわりと長い行程だった。まずクウェートに降り立ったあと、イラクのナッシリヤ(=ナーシリーヤ)という地域へ韓国軍のバスで入国した。この辺りは政府がまだ確立しておらず、危険な状態にあるという。途中で休憩をして外に出てようを足す間、どこから攻撃されるかも分からないので、兵士が従を構えて保護していたそうだ。風は熱く、ドライヤーであぶられているようだったそうで、10分も外に出ていると、日光にさらされていなくても顔が赤くなったというからすごい。

ナッシリアのベースキャンプには、韓国軍の教会があり、そこでサミュエル・キム先生が説教をした。そして、軍人たちと一緒にイラクの福音化のために祈ったそうだ。韓国軍はナッシリアで主に病院の復旧をはじめ地域の復旧に働いているが、同時に家庭訪問も行って住民の心のケアも手掛けているという。写真を見ると、韓国軍の隊長がみんなと一緒に床に座って、その家の子どもを膝の上に載せていた。隣にはサミュエル先生が座っていた。これはアメリカ軍にはできないことだと言う。なぜなら、アメリカ軍はこの地で破壊活動を行ったので、住民との心の亀裂が生じているからだそうだ。しかし韓国軍は破壊活動には加わらず復旧活動を中心に行っているので、住民とこのような自然な交わりができるのだという。この隊長もクリスチャンだそうだ。

それから一行はバグダット(=バグダッド)へ行った。街は平静さを取り戻して日常生活を営んでいたが、ただフセインの施設はことごとく破壊されたままだったそうだ。写真を見ると、フセインタワーは見る影もなく、瓦礫の山となっていた。これだけ要所が破壊されたら、イラクに新たに政府を建てるのも大変だろう。

モスクの中の写真もあった。なぜモスクに入れたかというと、イスラム教徒の人から、アメリカがイラクでやったことの証言として、ぜひ目で確かめて人々に知らせてほしいと言われたからだそうだ。モスクの美しい建物自体は手を触れなかったようだが、アメリカ軍はモスクの中にまで入り込んで破壊活動を行ったらしい。これは戦時中の双方の戦略の問題だから何とも言えないが、あとで問題が大きく吹き出して来ないことを祈るばかりだ。モスクの中で会衆たちが祈るとき、一行は会衆と同じ祈りのスタイルで、キリストに祈ったという。一体どんな祈りをしたのだろうか。

キリスト教会もあった。吉原先生は、古代から続いている教会と言ったが、バグダットの長老教会を指してそう言っていた。長老教会は5〜6百年の歴史しかないはずだが、まあいいってことよ。昔この地にはキリスト教がかなり栄えたらしいが、その後イスラム教が入って来ることによって、キリスト教の活動は最大限に制限されるようになった。教会堂はモスクより高く建ててはならず、教会の外での布教活動は一切禁止された。今回それが解禁になったわけだが、何百年ぶりのキリスト教解禁か分からない。一行はまた、バグダットにあるアッシリア・エヴァンジェリカル教会にも行った。食事の光景があるが、みんな手づかみで食事をしていた。手づかみで食べるのはインドだけの習慣ではないようだ。ということは、私たちの信仰の先祖であるアブラハムも手で食べていたのだろうか。

そのあと一行は、ニネベに近いモスルというところへ行った。そこは一行が着く2日前にフセインの2人の息子が惨殺された地でもある。そこにあるモスル・エヴァンジェリカル教会へ行き、ヨナの墓も見てきたそうだ。ヨナの墓は現在モスクになっているが、そこが将来キリスト教会に変えられることをみんなで祈ったという。チグリス川にも行ってきたそうで、その写真も見せてくれた。これがチグリス川かと思うと感慨があるが、普通の川と特に変わりはない。ナクトン川だと言われたら、ちょっと木が少ないなあと思いながらも、信じてしまったかもしれない。^^;

それからエルビル(=アルビル)という町へ行ったとき、クリスチャンブックストアを発見したそうだ。写真には、すべてアラビア語で書かれているので、何のことか分からない。アラム語で書かれた聖書があったと伝道師先生は言った。イラクの地は2〜3千年前はアラム語を公用語としていたから、やっぱりそうなのかと思ったが、考えてみればちょっと変だ。キリスト教が入る頃はヘレニズム文化の支配下にあったわけだから、当時の公用語はギリシャ語ではないか。ひょっとしたら、アラブ語と言ったのを私が聞き間違えたのかもしれない。日本ではアラブ語とは言わない。アラビア語と言う。

それからキルクークという町へ行き、その地のアラビア長老教会へ行った。この教会では、2カ月に4人ほどの改宗者や洗礼者が与えられているという。それからスレイマンヌ(=スライマーニヤ)という地域まで行った後、バグダッドに戻ったそうだ。

中近東にはアラブ語(=アラビア語)を公用語とする国が20カ国あり、アラブ語の使用人口は3億にのぼるという。それらの国ではキリスト教の布教は法律で禁止されているのが普通だが、今回イラクでは福音伝道が解禁になった。これは、福音が固く閉ざされたイスラムの地にわずかに開いた福音の光だから、このときに私たちはイラクの福音化のために働くべきだと吉原伝道師先生は締めくくった。

そのあとの説教は、サミュエル・キム先生が、詩篇139篇13〜18節のみことばによって話をした。タイトルは『神の作品』。神が私たちのすべてを知っておられるのは、神は私たちを計画して造られ、私たちの日々は天地が造られる以前から、神の書にすべて記されているものだからだという内容だ。

礼拝が終ったあと、いつものB&F(Bread and Friendship)の時間になったが、リーダーの姉妹から、来週と再来週の2週間学会で外国へ行って来るので、代わりにグループの導きを務めてほしいと頼まれ、引き受けた。そして、来た人に配る資料までも前もってファイルに入れて手渡された。その用意のよさに驚いた。この姉妹はある大学の国際政治研究所に務めているが、今回マレーシアで王女の主催する学会に出るのだそうだ。王女だなんて、グリム童話でしかお目にかかれないような単語を聞いて、みんなびっくりした。

今日は私たちのグループに、言語教育院で日本語を勉強している男性が来た。彼は韓日対照聖書を買って読んでいるが、韓国語と日本語が言葉が一致しないので読みにくいと言った。私が、これは対訳ではなくて原典のヘブライ語やギリシャ語からそれぞれの解釈に従って訳しているのでそうなるのだと言った。そして、私はギリシャ語でも新約聖書を読んでいるが、言葉の使い方が日本語や韓国語ととても違うので、訳すのはとても難しいはずだと説明した。その事実に彼は多少不満そうな表情だったが、彼も原典を見れば納得が行くだろう。

聖書を読みながら、意味のはっきり分からない部分を原典で読むと、その文章のリズムや息遣いから意味が読み取れることがある。そういうことを私が言うと、自分もいずれは原典で聖書を読みたいと思っていると言う人たちもいた。聖書を訳でなくオリジナルの言語で読みたいと思う人に、いつでも機会が提供できる状態になっていればいいと思うのだが、現実にはなかなかそうはならない。

オンヌリ教会の日本語礼拝では常時、教育伝道師として日本人か在日韓国人の神学生が奉仕をしている。長老派の神学校ではギリシャ語とヘブライ語を学ぶとのことだが、惜しいかな、単位を取るや否や、彼らはせっかく習った文法をさらりと忘れてしまう。そこで考えるのだが、忘却を防いで記憶を定着させるために、神学生たちがギリシャ語やヘブライ語を学んだら、すぐに希望する信徒にそれらの言語を教授するようにしたら、彼らも記憶が定着するし、信徒たちもそれらの言語に触れることができるので、とてもいいと思う。まあ、賛成する人がいるかどうかが問題だけれど。

ただ、原語で聖書が読めるようになると、おかしくなってしまう人がよくいるらしい。今までの解釈は間違っていたと言い出したり、自分だけが真理を知っているかのような気分になったりする人がいるらしいのだ。もちろんそれは、言語的な知識の不足によるものに違いない。だから、教育を始める前に注意する必要はある。しかしそれでも、教会の中に原語で聖書を読む人が多くいるのは重要なことだと思う。

原語で聖書が読みたいと思っている人は、調査したわけではないが、20〜30人に一人くらいはいるのではないだろうか。しかし、彼らのほとんどは、学習を始めるきっかけも得られずにいる。それに、ヘブライ語は知らないけれど、ギリシャ語聖書を読む道は、独学者にとっては果てしない荒野の道なき道だ。脱落者の多さは目を見張るほどだ。しかし、それでも原語で聖書を読む有志が教会の中で増え、教会がそれを知的な面でサポートしてくれるようになれば、本当にいいだろうなあと思う。

8月19日(火)「電話口コンサート」

at 2003 08/22 00:01 編集

詩人の黒木先生が日本へ帰られるという話を聞いて、電話をかけた。以前『追憶のような未来』という詩集をいただき、そのお礼にその中から6曲を素人ながら作曲して楽譜を贈ったことがあった。しかし、黒木先生は楽譜が読めないので、それがどんな曲か分からなかったそうだ。その後長い間そのままになっていたが、今日同僚の先生に電話番号を聞いて連絡した。

あれからその曲を誰かに歌ってもらいましたかと尋ねると、案の定、聞く機会が得られずにいたと言う。それで、厚かましくも電話口で、私の下手なギター伴奏と下手な歌で聞いてもらうことにした。

はじめに「こだまする未来」を歌い、それから「恵まれない骨格」、「びいどろ人形の見た空」、「追憶のような未来」を続けて歌い、それからとても短い「翼のない鳥が飛ぶ」を歌った後、最後に「また帰っていこう」を歌った。たとえ聞く人は一人だとはいえ、人に聞かせながら歌うので、ひどく緊張した。そうやって、電話口コンサートは十数分で終った。

下手な伴奏に下手な歌だったが、何と寛大な人だろう。ほめてくださった。いちばん心配なのは、私の曲が詩のイメージを壊してしまわないかという点だったが、さいわいその点は気にならなかったらしい。(ところでこのギター、分別収集のゴミ捨て場で拾ってきたもので、胴体の後ろが一部裂けてめり込んでいる。喧嘩して何かまたは誰かを殴る際に壊れたのか)

私が歌ったあと、楽譜の読めない黒木先生がテープレコーダーに即興で吹き込んだ自分の詩の歌を聞かせてくれた。私から楽譜をもらったあと、それに刺激されて歌にしてみたのだそうだ。「夜の闇を恋う」と「闇照」を聞いたが、歌もうまいし、メロディーも静かで美しかった。私の曲想と何となく似たようなところがあるのが不思議だった。最初の曲は、聞きながら涙ぐんでしまった。詩人が自作の詩に曲を付けて歌うと、その詩情が豊かにあらわれる。

そのテープをコピーして私にくださいと頼むと、黒木先生も、私の曲を吹き込んで自分にくださいと言われた。それで、電話を切ったあと、MDプレーヤーを持ち出してギターをボロンボロン爪弾きながら歌ってみた。録音したのを聞いてみると、何と歌の下手なことよ! ヨロヨロした声で歌い出して、フラフラと歌いつづける。われながら聞いていられない。ギター伴奏も単調で無表情だ。作曲者が怒りそうなひどい演奏だった。でも大丈夫。作曲者は私だから。(納涼〜♪)

実は私の作った6曲の中で、詩集のタイトルにまでなっている「追憶のような未来」は、いちばん完成度の低い曲だった。はじめは全体的に気に入らなかったのだが、作ってから6カ月経っているせいか、直すべき点がいくつか見えてきたので、その数カ所を修正した。

8月20日(水)「ソウルOPI国際シンポジウム」

at 2003 08/22 00:02 編集

コングク(=建国)大学で今日と明日の2日にわたってソウルOPI国際シンポジウムが行われ、それに参加するために出かけて行った。余裕を見て行ったつもりだったが、駅から会場まではけっこう距離があって、会場に着いたのは、鎌田修先生が講議を始めた直後だった。講議は「OPIについて」というタイトルで、OPIの基礎知識を大雑把に説明したものだった。今日はMDプレーヤーを持って行ったので、すぐに録音を開始した。

鎌田先生の話の次には、2人のOPIトレーナーがインタビューのデモンストレーションをした。最初は文化女子大学の斉藤先生という人が、インタビューをしたが、私は中級の中ぐらいと判定して用紙を提出した被験者を、中級か上級かと迷いながらインタビューしたというので、驚いた。実際の集計でも、意見の不一致が見られ、トレーナーでも中級の中と上で分かれ、テスターたちも、最高は上級の中という人までいた。実際に多くは中級の中から上級の下に渡って判定者が多く分布した。

もう一人のトレーナーのデモンストレーションもあった。さっきの学生に比べて見かけの流暢さは劣るが、文を長く言っていた。そして参加者全員の判定を集計すると、上級の下と中級の上に分布が集中し、トレーナーの判定結果も分かれた。これは驚いたことだ。そういうことはあり得ないと聞いていたからだ。それに対して山内先生は、会話能力の習得は初級と中級、中級と上級の間で断続があるわけではないので、本来4つの級の間で評価が分かれてしまうことがあってもいいのではないかと思うと言っておられた。あとで司会者のテスターはそれを否定し、OPIのレーティングは大変信頼性の高いものですと断言していた。その断言に宗教的な臭いを感じた。

そのあと2人のテスターのインタビューをビデオ発表した。最初はパク・ヘソン先生の初級のインタビューだったが、私は中級の下と判定したが、大部分の人が初級の中と判定し、トレーナーもそう判定していた。私は初級の見極めがかなり弱いようだ。次は泉先生が超級話者のインタビューをしたが、これは私も超級と付け、トレーナーを含める大部分の人も超級と判定していた。しかし、泉先生自身も指摘していたが、突き上げが弱かった。それに対して山内先生は、敢えて反論を投げ掛けることで突き上げることができると言っていた。私はその話もここで初めて聞いた。(“突き上げ”とは、高い水準の言語使用を要求する質問を投げ掛けること)

そのあとトレーナーセッションで、まず鎌田先生が「韓国人テスターによる OPI について」というタイトルで、日本語のOPIがさらによくなるためには非日本語話者のテスターが増えて非日本語話者の立場からいろいろな問題提起がなされるようになるべきだという話をした。それから斉藤先生が「レベルチェックの重要性」というタイトルで話をした。このとき私は昼食後の眠気が最高潮に達していた。それから最後に山内先生が「突き上げの本質」と題して、突き上げのコツを伝授した。これは主に上級と超級の突き上げについて扱っていたが、実にこの上級・超級の突き上げがいちばん難しいのだ。こんな話は聞いたことがなかった。これを参加費2万ウォンだけで聞けるとは、何という幸せだろう。

上級の突き上げのコツは、「絞り込み」だ。比較にしても叙述にしても、たとえば漠然と“韓国の食べ物”とするよりは、“石焼きビビンバ”について話させた方が難しくなる。漠然としたものよりも、より具体的で詳細な説明を要求する質問にするわけだ。一方超級の突き上げのコツは、「抽象性」「一般性」を高めることだ。個別的でなく一般的な質問にする。たとえば、祭の様子について聞くのは上級で、祭の意義について聞くのは、抽象性を要求するので超級となるわけだ。それから、“もの”よりも“こと”について尋ねると超級の質問にしやすいという。たとえば「祭についてどう思うか」ではなく「祭を行うことについてどう思うか」と聞くなどだ。これらの質問を状況に応じて瞬時にできるように、常日頃様々な問題に関心を持っている必要があると言っていた。

これらの質問方法は、テスターの人たちも知らない内容だったようだ。私には単なる方法というよりは、むしろ“秘伝”のように感じられた。訓練者の弱点を指摘するのは見たことがあるが、訓練者自体がはっきりした形を持っていないので、その指摘は漠然としてしまいやすい(トレーナーの説明にもよるのだろうけれども)。しかし、テスターが悩む弱点を指摘することによって、OPIのいちばん痒いポイントに手の届いた秘訣を聞くことができた。

このOPIシンポジウムは、OPIが初めてという人からOPIのテスターまでが、自分たちの関心事について、トレーナーとともに分かち合う勉強会で、最高の(たぶん)水準の話が行き来した。

私は97年にOPIの講習を受けたが、能力不足で結局テスターにはなれなかった。しかし、このテストは様々な要素を集約していて、日本語教育に実践的に役に立つので、外野で関心を持ち続けていた。今後もテスターになることはないかもしれないが、方法を学び続けてテスター並みの技能にまで高めることを目指すのは、有益なことだ。

8月21日(木)「Kali Kali」

at 2003 08/22 09:01 編集

OPIシンポジウムを、奥山先生の研究発表が終るやいなや抜け出して、家に帰った。しかし、家には人がたくさんいて、しかも暑かった。それで、涼を求めて言語教育院へ行った。講師室についてから、しばらく仕事をしていたが、とてもお腹がすいたので、外へ何か食べに行くことにした。ふと、シンポジウムに来ていた北沢先生が昨日、ヨンセ大学語学堂の同僚だったナム先生がイデ前にカレー屋を開いたと言っていたことを思い出し、そこへ行ってみた。

しかし、場所が全然分からず、迷ってしまった。そこで北沢先生の携帯に電話して場所を聞いた。イファ女子大学正門を出てすぐ右(シンチョン国鉄駅がある方)へ行くと、すぐに左側に眼鏡屋がある。その右脇の路地を入ると、右手の2階に「カリカリ」という店があって、そこがナム先生のカレー屋だという。

店に入ると、ナム先生の姿は見えなかった。テーブルにつき、従業員に、自分はヨンセ語学堂でナム先生の同僚だったのですが、この店はその先生の店ですよねと尋ねると、そうですという。社長は今ミョンドン・ロッテの近くにいますと言っていた。気の利く店員が、社長に連絡しましょうかというので、いいえお構いなくと言ったが、その人は親切に連絡してくれた。しかし携帯電話をたたむと、社長は電話に出ませんでしたと残念そうに言った。ありがとうと答えた。

メニューを見た。メニュー立ては、三角形の材木に無造作に鋸で切れ目を入れて、そこにメニューを立てている。どのテーブルもそうだ。なかなか味なことをやる。さすがナム先生だと思った。メニューは何種類かのカレーをAセットとBセットに分けていて、BはAより2千ウォン高い。他のメニューは全部Aセットが7千ウォンだが、ポークカレーだけは6千ウォンだったので、それを注文した。飲み物は何にしますかと言うので、サイダーを頼んだ。いつもコーヒーを頼むのに、今日は暑くて空気もじめじめしていたから、とても熱いコーヒーを飲む気にはなれなかった。

出てきたカレーは、本当に日本のカレーの色だった。つまり、韓国のカレーのように黄色ではなく、カレーらしい焦茶色だ。食べてみると、ただのカレールーで作ったのではなく、リンゴをすり下ろして入れている味がした。そして、豚肉は柔らかく、はじめにニンニクと一緒に炒めた香ばしさが残っている。サイダーと一緒に食べるよりは、水と一緒に食べた方がおいしい。

食べ終ってサイダーを飲んでいるところへ、ナム先生が帰ってきた。両手に大きなビニールの買い物袋をぶら下げていた。食材を買って来たのか。日本語教師としても有能な先生だが、こうやってマスターをやっていた方がずっと似合っているように見えた。顎ひげを少しだけ蓄えていた。「頭にある毛を少しずつ顎に移していくつもりですか」と言ったら、にやぁと笑った。

メニュー立てを指さして、これナム先生が作ったんでしょと言うと、これだけじゃなくて、あっちにある木のテーブルも僕が作ったんだよという。中央の低いフロアの方に何台もある。階段用の材木を買って来て、大きさに合わせて切ったのだそうだ。大変だったという。「脚もですか」と聞くと、脚は注文したと言っていた。

6時半から授業があって、もう6時20分になっていたので、ろくに話もできずに急いで勘定を済ませて店を出た。また外はじわあっとして汗が滲み出た。

このカレー屋さんの名前は“Kali Kali”。所在地は西大門区大#[山偏に見]洞56-63, 2F。電話:02-313-5951。午前11時から午後11時まで営業している。日本のカレーが懐かしい人、日本のカレーを一度食べてみたい人はぜひどうぞ。そしてマスターと仲良しになりましょう。

8月22日(金)「家庭集会」

at 2003 08/27 20:55 編集

今日も家庭集会で聖書読書会をした。今日はマタイによる福音書4章23節から25節までの短い箇所を読んだ。3節という短い箇所をじっくり読むのは難しいことなのだが、この先は山上の説教になり、内容が続かない。それで、その短い箇所を読み込むことにした。

今日読みながら、個人的にじわりと聖書の言葉から意味の浮かび上がりを感じたのは、その箇所に2度出て来る、イエス様を主語とする「いやす」という言葉だった。もちろん私たちがキリストのようになると言っても、手をおいて人を癒すことはまず無理だ。それよりもイエス様は、癒されることを願ってみもとへ来た人々を決して邪魔者扱いしなかった。むしろ、病気の人や体の不自由な人、心の病んでいる人が、健康に回復することを強く望まれた。私はその部分が私の模範になると思った。

ある人は、イエス様が不快な表情一つなさらずに病人を癒されたことから、自分も病気の人や苦しんでいる人のために積極的に祈れるようになりたいと言った。本当にそうだ。この態度は、隣人を自分自身のように愛せというみことばに集約できる。病んだ人たちのために祈り、力が及べばその人たちの回復のために手助けする。そういうことができれば、少しはキリストに似た者となれるかもしれない。

私自身はここでは、自分に身近な問題として、学生がどうしようもない質問をしてきても、突慳貪に答えずに、その学生の日本語が上手になることを願って心を込めて教えるべきだということが思い浮かんだ。いや、そんなことは遠の昔から考えているのだが、ついつい忘れてしまう。教師によってはそういう質問に憤慨している人もいるが、私は一応日本語教師のプライドから、質問を歓迎する振りをしていた。でも、実際には心の中で憤慨することもある。だから、イエス様のように来る者を拒まない態度をもっと確かなものにしたい。

読書会のあとはいつものように祈って終り、それから一緒にケーキを食べたりしながら談笑した。この流れは、一種の形式を持っているが、それはとても心地よい形式だ。

8月24日(日)「ハレルヤ」

at 2003 08/27 20:57 編集

日曜日は教会へ行きましょう。ということで、今週も教会の日本語礼拝へ、礼拝をささげに行った。大雨で、傘を差してもズボンや靴がびしょ濡れになるほどだった。かばんが濡れないように、ちょっと重いが小脇に抱えた。チュンシン教会から礼拝を終えて出てきた人たちの傘で、なかなかバス停まで進めなかったが、何とかバスが到着する前にバス停に着くことができた。

説教の前に、挨拶があった。2年前に北海道から来韓し、オンヌリ教会で学んできた姉妹が、帰国することになったので、説教の前に、これまでの導きの証をした。彼女は献身してから神学校ではなく教会で学んだのだが、その話の中で、「献身とは頑張ることではなく神にお任せすること」だと気が付いたという話は、本当にすばらしかった。

自分の意志で頑張っていると、結果が期待外れのときに失望もするし腹も立つ。それが自分の力を制限してしまい、道も狭めたり歪めたりする。しかし、与えられたことを忠実に行いすべての結果を神に委ねているとき、本当に神に委ねているなら、ちょっとがっかりはするが、腹が立つほどのことでもない。それは自分の行動を少しも揺るがさない。

そのあとで、サミュエル・キム牧師先生が、詩篇150篇から「息のあるものはみな、主をほめたたえよ」という題で説教をした。それはとてもいい説教なのだったが、どうも私は粗探しをしてしまう癖がある。

今日の説教でキム先生は、「ハレルヤ」は3つの部分からできていると言った。一つは「ハレ」で“賛美します”の意味で、もう一つは「ル」で“あなた”の意味、それから最後の「ヤ」は“主(=ヤハウェ)”の意味で、全体としては、“主よあなたを賛美します”の意味だと言った。私はこういうのを聞くと、どうもしらけてしまう。「ハレルヤ」は“主を賛美せよ”の意味だと聞いているし、『リビングライフ』で下に載っているNIVを見ても、音訳せずに“Praise the LORD.”と命令文に訳されている。それに、私の乏しいヘブライ語の知識でも、“あなた”は「ルー」ではなくて「アター」だ。アターとルーとでは形態が違い過ぎる。こういう分析的説明をするくらいなら、むしろ分析などしないで、長老派教会でどのように用いるかという教理的説明をしてくれればよかった。

他の人たちは、キム先生のハレルヤの説明に“恵まれた”と言っていたが、私は恵まれなかった。なぜキム先生は、あんな話をしたのだろうか。あるヘブライ語の先生は、牧師先生たちから電話を受けるなり「ハレルヤ!」と大声で言われると、いきなり“主を賛美しなさい!”と怒鳴られたようでビックリしてしまうと言っていた。「ハレルヤ」にはそういう意味があるのだ。キム先生の説教を聞いた人の中には、祈りの中で神に向って「ハレルヤ!(=主を賛美してください!)」と訴える人も出てくるかもしれない。あるいは、もしかしたらキム先生は、「ハレルヤ」の意味を知っている人に、どれだけ寛容の精神を持ち合わせているのか自己診断するために、テスト(または誘惑)したのかもしれない。私は見事に自分の不寛容さをさらけ出してしまった。

それから、いつものことだが、今日の説教でも、英語が所々に用いられていた。日本語の聖書の意味とその英語の表現と何の関係があるのかと思い始めると、頭の中が混乱してくる。まあ、中国に住んでいた牧師先生なら説教中に中国語を多用するだろうし、私は韓国で教会に通っているので、ある信仰的表現はどうしても韓国語になってしまう。キム先生も、アメリカでクリスチャンになってアメリカで献身したので、どうしても英語が入ってしまうのかもしれない。でも私にはそうは聞こえず、英語での聖書解釈が日本語での聖書解釈を支えると仄めかしているような感じがする。もしそうなら、その態度はおかしい。原語での聖書解釈がその他の言語での聖書解釈を支えるからだ。

しかし、そのような問題をさておけば、キム先生の説教はすばらしかった。「イスラエルの神は賛美の中に住みつづける」と先生は言われた。神は私たちが賛美するときそこに臨在される。それは聖書が教えるところでもあると同時に、キム先生の実際の人生経験から出た結論だ。だからこそ、詩篇はその最後に“主を賛美せよ”という言葉を繰り返して、賛美の重要さを強調しているのだ。

礼拝のあとB&Fの時間になったが、今週は私が司会者になって導いた。はじめ食事の時に、日本から戻ってきた兄弟に、大坂弁に関する本を借りた。その内訳は『大坂弁英会話読本』(大坂弁研究会編、七賢出版、1993年)と『外国人留学生から見た大阪ことばの特徴』(彭飛著、和泉書院、1993年)と『試験に出る関西弁会話集中講座』(大坂世一著、サンマーク出版、1993年)と、それから『ナニワ英語道理屈抜きのド実用英会話』(松本道弘著、講談社、1999年)の4冊だ。日本の図書館で借りたものだから、必要な部分をコピーに取ったら、すぐに返さなければいけない。

食事と談笑から聖書勉強に進んだが、司会をしているうちに、胃が痛くなった。私は胃が痛くなることはあまりないから、これはきっと、司会をするのに緊張したからに違いない。食べてすぐに勉強というのは、形式としてはかなりまずいようだ。満腹で気持もだれて真剣さが欠けるし、消化不良にもなりやすい。もっとも、これは司会者だけが感じることのようで、今まで単なる参加者としていたときには、何も不便を感じなかった。

帰るときも大雨が降っていた。夜には雷を伴って、すごい降りになった。その中を車で食事に行った。前後左右に雷の閃光が走る豪雨の中を、イェースレジョンダン前のペンニョノクまで行き、スンドゥブやマンドゥククなどを食べた。そして食後も、稲妻の柱を前後左右に眺めながら、土砂降りの中を家に帰った。おかげで車はだいぶきれいになった。

8月25日(月)「ブルークラブ」

at 2003 08/27 21:02 編集

どんなにくだらなくても、散髪したことはウェブ日記に載せておこうと決めているから、今日のほとんど3カ月ぶりの散髪のことも書いておかなければ。

数日前から鬱陶しさが極に達していた髪を切りに、ブルークラブへ行った。前回と同じく、上の子を連れて歩いて行った。前回は6月1日だったから、3カ月にはちょっと満たない。でもなぜまたブルークラブかというと、理髪代のとても高いトンブイーチョンドンの中で5千ウォンという破格の安さで髪を短くできるからだ。それと、歩いて行けば散歩をかねることができる。

そういえば、村上春樹は理髪されることについては一家言があるが、アメリカではけっこう苦労したと書いている。イギリスではとんでもない理髪店に入って、ずいぶんみっともない髪型にされてしまったことがあるらしい。私はファッションやデザインなどについてはどうしようもなく無知で、自分の髪型についても、よっぽど酷くないと自覚できない。髪を刈ってきて、周りの人が酷いと言っても、そんなもんなんだなあと思うのが普通だ。だから、一家言などありようもなく、それだからまた、理髪店選びに苦労したこともない。

そんなわけもあって、よっぽど鬱陶しくならない限り、髪を切りには行かない。いや、1カ月に1度は行った方がいいと本当は思っているのだが、気が付いてみるといつも3カ月たってしまっている。人目さえ気にならないなら、坊主頭にするか、ヒッピーよろしく子馬の尻尾のように後ろで束ねるかしたら楽だと思うが、こればかりはいくら何でも自分に相応しくないことは分かる。

今日は、夜8時頃家を出て、ブルークラブまで歩いて行った。この時間に歩いてみると、トンブイーチョンドンには最近になって、洒落た喫茶店が何軒かできていることが分かる。どの喫茶店も、間口も狭く奥行きも浅いが、通りに面したところは全面ガラス張りで、中がすべて見られる。当然中から外も全部見えるようになっていて、これが狭さを感じさせないようにしているらしい。店内はいかにもいいコーヒーを出しているという雰囲気だ。

ところで、最近日本では“喫茶店”とは言わず“カフェ”というと聞いた。ドトールも珈琲館も、カフェと呼ぶらしい。日本で喫茶店をカフェと言い替えるようになってしまったのなら仕方ないが、カフェというのは言語によっては“コーヒー”の意味だ。喫茶店を“カフェ”と呼ぶのは、喫茶店を“コーヒー”と呼ぶのと同じくらい変に感じる。まあ、喫茶店をコーヒーと呼んだって、意味の伝達には支障はないけれども。たとえば……

「疲れたからちょっとコーヒーにでも入って休まない?」
「この辺はコーヒーが多いからねえ。どこに入ろうか」
「そうだねえ。あのスタバはどうかな」
「スタバは人が多いから、もうちょっと静かなコーヒーに行こうよ」
「でも、静かなコーヒーは値段が高いじゃん……」

こんな感じで会話を続けても、意味は通じる。“カフェ”というのも、私には似たように聞こえるのだ。まあ、フランス語ではコーヒーと喫茶店は同じ“カフェ”で済ませるらしいけれど、日本語では物名詞と場所名詞を同じ単語で共有するというのは、かなりすごいことに思われる。さらに、日本語使用者は単語を分化させようとする強い意志を持っているから、喫茶店のことを“コーヒー”と呼ぶ時代が来る可能性はかなり低いだろう。

その他にも、とても洒落た花屋が何軒かあった。そこも、喫茶店と同じく狭い間口と浅い奥行きで、通りに面した方は全面ガラス張りだった。

ブルークラブの中は待っている客もいた。暇つぶしに読む本を持って来なかったので、長椅子に無造作に放り出してあった、『ロビンソンクルーソー・タラジャッキ(=ロビンソン・クルーソーをめざせ)』という小中学生向けの小説を手に取って読んでみると、すごく面白い。私の番が呼ばれるまで夢中になって読んでしまった。

2人の男性がせっせと髪を切っていたが、私の髪を切った理髪師は、ぼそぼそと小さい声で不明瞭に話すので、何を言っているのかよく分からなかった。適当に相づちを打っていたら、私の表情を見て痛かったんですかと聞いているのだった。いいえと答えたが、そう答えてみると、けっこう切りながら髪が引っ張られて痛いのに気付いた。

散髪はいつもながら、猛烈なスピードで終った。そして店を出て、家に向って歩いた。ベビーカーに赤ん坊を乗せて押しながら散歩をしている父親、母親、夫婦連れに、次から次へとすれ違った。それを見ながら、日本は少子化で困っているというが、韓国は当分その心配はないんだろうなと思った。

8月28日(木)「返送」

at 2003 08/28 16:00 編集

高校生のときの友人で、4年前に1〜2回メールでやり取りした2人のアドレスへ、ずいぶん久しぶりにメールを送った。ところが、送るや否や、メールが返送されてきた。

件名は“Undelivered Mail Returned to Sender”と書いてあり、内容はこうだ。

“I'm sorry to have to inform you that the message returned
below could not be delivered to one or more destinations.

For further assistance please contact

If you do so please include this problem report. You can
delete your own text from the message returned below.”

実は、その2通はどちらもOCNのアドレスだった。OCN自体にこの4年の間に何か変化でもあったのだろうか。

メールというのは、すぐに送れる点では便利だが、アドレスが変わってしまいやすいという点では不便だ。私のホームページも、プロバイダが他の会社に吸収されるために、しばらくすればURLが変わってしまう。

この間、『千と千尋の神隠し』を見ていたら、釜じいが千に40年前の列車の切符をあげているのを見て驚いた。40年前。そこには時間を超えて一つの約束がいつまでも生きているという信頼感があった。

インターネットはできてからまだ10年そこそこだ。そして、いつも流動している。特に大学関係のウェブページはURLの異動が激しいような気がする。

インターネットが流浪の民の世界でなく、いつも同じところに同じ人や団体があるという時代は来るだろうか。

8月28日(木)「2年で5段階へ!」

at 2003 08/30 19:26 編集

ずっとまえに ACTFL-OPI の講習を受けたとき、その教材に ILR という機関での口頭能力判定尺度が載っていた。それによると、OPI の初級が ILR では0段階、中級は1段階、上級は2段階、超級は3段階となっており、さらにその上に4と5という段階があった(マニュアル改訂版 p.30)。ACTFL の判定尺度によれば、上級だって相当なものだ。超級というのは、実にスラスラと日本語が出て来る水準で、日本人でもこの尺度では、超級と判定できない人も出てくる。

それが、その上の4段階と5段階というのは一体どういうものか、本当に気になるものだが、未だにそれについては知る機会を得ていない。ETS というところでやっている判定基準については私のページに書いたが、それと似たようなものなのだろう。ぜひ聞いてみたいものだ。

ところが今日、同僚の先生から聞いたのだが、ILR では外国語教育を行っており、その5段階まである試験というのは、そこでの評価試験なのだそうだ。そして、日本語(韓国語や中国語、アラビア語も)の場合は学習開始後2年間でその水準に達しなければならないという。要求する学習期間も言語によって異なり、トルコ語やロシア語などは1年半、ヨーロッパのマイナーな言語やインドネシア語などは1年、スペイン語やフランス語などは、なんと6カ月でその水準に達することを要求されているという。猛烈だ。

ところで ILR というのは、米国務省の機関のようで、国務省の官僚は語学教育を受けている間は昇進や昇級ができないというデメリットがある。しかし、日本語などの困難な外国語を2年で5段階まで身に付けられた暁には、4年分の給与が1年次に支給され、加えて基本給に10%の手当てが付くというから、大変なものだ。

授業は、最初からすべて日本語で行われるそうだ。どのような教材を用いてどのような教育をしているのだろうか。おそらく最高の頭脳の人間が耐えていけるような作りになっている教材なのだろう。そこで用いる教材についても知りたいが、それはひょっとして門外不出なのかも。どの言語の学習もワシントンで行われるが、日本語などの最難言語は、後半1年だったか最後の6カ月だったかは、現地で学ぶことを許されているという。ある官僚はそうやって2年で日本語を身に付けた後、韓国に来て1年で韓国語を5段階まで身に付け、現在は北朝鮮との交渉などを担当しているとか(聞き間違えたかも知れない^^;)。

この教育を受けている間、学習者は寝ても覚めてもその外国語の勉強ばかりすることになる。そのために学習者の奥方から、うちの旦那は最近勉強ばかりして家庭も顧みてくれないと、オフィスに抗議の電話が来ることもあるという。そうか、大変なのは本人だけじゃなくて、家族にも相当のしわよせがいくらしい。でも、そのあとで破格の昇級があるのだ。そのくらい我慢しなければ。

私がその話を聞いて新鮮だったのは、そういう離れ業のような外国語習得も可能なのだということだ。2年で母語話者と区別の付かないような言語使用を目指す。“いずれは”というのではなく、“2年で”なのだ。それも、英語を母語とする人にとって最も習得困難な日本語をだ。これで日本人が韓国語を身につけるとしたら、おそらく1年くらいしか余裕をくれないかも知れない。

考えれば考えるほど凄まじい。なぜなら、韓国で日本語を学習する場合、中級にはすぐなるが、なかなか上級にならないのだ。大抵は中級の上で止まってしまう。その後はずっと中級の上のままだ。それがほとんど永遠に続く。言語教育院では、修了審査の質疑応答で、大体上級になっているか接近しているかすれば合格としている。つまり、2段階に引っかかれば合格というわけだ。それができなくてけっこう苦労する。しかし、その上にさらに3つも段階があるのだ。一体どんなカリキュラムでどういう教授法を使用するのだろうか。

ところで、今週の土曜日午前10時から、言語教育院で修了審査があります。教室は310号室。いちおう公開していますので、関心のある方は見に来てください。

8月29日(金)「いろいろな教派」

at 2003 08/31 21:09 編集

今日も家庭集会で、聖書読書会をした。今日はマタイの福音書5章1〜12節をみんなで一緒に読みながら討論した。

読書会のあとで、いろいろな話をしたが、プロテスタントのいろいろな教派について話を聞いた。

プロテスタントは教派ごとに実に希薄なつながりで、まとまっているようなまとまっていないような状態だが、梨花女子大学の教派であるメソジストは、イギリスの聖公会の流れを組んでいるという。そして、プロテスタントの中でもわりと大きな位置を占めているペンテコステ派もその流れなのだそうだ。私たちの長老派はカルヴァン(カルビン?)の流れだと聞いているが、その他にはルーテル(ルター?)派があって、バプテスト派もまた独自にカトリックから独立した。

しかし、その一方で、超教派的な活動も行われいているので、その影響からか、どの教派でもないような教会もけっこうあるようだ。私の属するオンヌリ教会も、そんな感じの教会かも知れない。ただ、主任牧師先生の世界観は、まさにカルヴァン派のそれだと、以前カルヴァン主義を概説した本(タイトルは忘れた。古い本でページがバラバラになっていたが、引っ越しの際に紛失してしまったようだ)を読んだとき思った。

ハ・ヨンジョ牧師先生は、教派がたくさんあることはいいことで、一人一人の賜物に合わせて、自分に合った教派を選ぶことができると言っていた。キリストにあって一つというとき、様々なスタイルの信仰があることはむしろ祝福だといえる。

8月31日(日)「日本語礼拝」

at 2003 08/31 21:13 編集

今週も日本語礼拝に出た。今日は、山口伝道師先生が2年ぶりに説教をした。数週間前から、山口先生が説教をするということで、私を含めて一部の人たちはとても心配していた。なぜなら、以前聞いていた山口先生の説教は、初めから最後まで声の調子が一様で、話の中心がどこにあるかも分らないので、聞いているだけでとても疲れたからだ。だから、覚悟を決めて礼拝に出た。

しかし、今日の説教は全く違っていた。今日の聖書箇所はルツ記1章1節から16節までで、「絶望の中に見出す希望」というタイトルだったが、声の調子は以前のままとはいうものの、余裕をもって、時々笑いなどしながら語り、最後にはその聖書箇所のエッセンスとして、たとえ罪を犯しても、悔い改めることによって神は豊かに祝福してくださるという内容で終った。

説教の最初の部分で山口先生は、ルツ記の主人公はルツではなくナオミであると言った。それを聞いて、目から鱗がとれるような気がした。今まで主人公は姑に従った貞操の固い嫁ルツだと思い込んでいたが、この物語でのナオミの存在は重い。まあ、テキストの比重から主人公を割り出すとき、主人公はルツであるというのは正しいと思うが。

心に残った言葉は、「その人の信仰は苦しみのときに表れる」という言葉と、「ものごとを深く考えないで主に委ねて単純に考えよう」という言葉。この“深く考える”というのは、必要なことを考えることではなく、不毛な憶測に時間を費やすことをいう。主に仕えることに関しては、とことん考えていると言っていた。

すばらしい説教だった。説教をエンターテインメントとして聞くのはよくないのだが、しかしそれでも、山口先生の説教でみんなが楽しめたということは、奇跡のようなことだった。ルツ記の箇所が心にしみ込んでくるような話だった。本当に素晴らしい説教だった。今日初めて山口先生の説教を聞いた人は、韓国にあるオンヌリ教会の日本語礼拝には山口伝道師という説教の上手な人がいると思ったことだろう。

礼拝中、説教箇所を『リビングライフ』韓国版8月号で見ると、133ページの上の欄外に、「不安は機械に入り込んだ砂のようであり、信仰は機械に注した油のようである──ジョーンズ」という言葉が小さく書かれていた。至言だ。自分は砂があちこちに入り込んだ機械だと思った。

礼拝が終ったあと、いつものB&Fの時間になったが、今日は私たちのグループは出席者が少なく、しかも、食事の途中で主要なメンバーが、ポンダン(=本堂;メインの礼拝堂)で2時から行われる洗礼式に行ってしまったので、きちんと聖書勉強をする気分が失せてしまった。それで、たぶんまだノンクリスチャンの韓国人の兄弟に、今日勉強する箇所の日本語の漢字の読み方を教えてあげるだけで終った。リーダーの姉妹がこれを見たら、とても悲しむかもしれない。

今日のその洗礼式というのは、妻がサミュク大学で教えている学生を教会へ導いたのだが、その学生がキリストを信じるにいたり、9月に軍隊に入る前にぜひとも洗礼を受けたいとサミュエル・キム先生に言って、今回の洗礼式で一緒に洗礼を受けることになったのだという。サミュク大学は、セブンズデイ・アドベンティストという、キリスト教から逸脱した宗教が運営する大学だが、そこへいって伝道の働きをするとは大変な大胆さだ。

ところで、韓国の去年1年間の自殺者数は、なんと1万3千人にも達するという。日本は2万人と聞いている。人口は日本が韓国の2.5倍くらいになるから、人口比では韓国の方が自殺者数が多いことになる。つい最近まで、韓国人は日本人に比べて楽天的だから自殺などしないと言われていたが、最近は状況が変わったらしい。