ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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7月1日(火)「聖書勉強会」

at 2003 07/03 07:59 編集

今日の聖書勉強会は、私が司会をする番だった。ルカの福音書 10:38-42 で、先週一応準備しておいた質問のメモはあったが、清書しなかったので、コピーをせず、ただそのメモを見ながら司会をした。質問の数は多くなかったので、今日はいつもよりも早く終ってしまうだろうと思っていたら、ある兄弟の話を聞いているうちに、思いがけないことに気づき、司会は予期せぬ方向へ発展した。

この箇所は、妹マリアの行動の評価に対しては特に問題ないのだが、姉マルタの働きに関して、なぜか評価がはっきりしない。しかし、その兄弟の言葉の中の何かがきっかけとなって、ふと「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」という部分が浮きぼりになって見えてきた。

この「必要なことはただ一つだけである」という言葉の意味は、“みことばを聞くことがただ一つの必要なこと”と解釈されている部分だ。しかし、この部分だけを切り取って解釈する限り、“誰にとっても必要なことはいくつもありはしない。今あなたにとって必要な一つのことに集中することが大事だ”ということを、暗示的に言っておられるように読み取れる。

今まで何でもないように何度も通り過ぎてきたこの箇所に、あらためてウーンと唸らせられた。イエス様の弁舌の切れ味の良さと、言わんとしている言葉の意味の深さとに、感じ入ってしまった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」というイエス様の言葉は、単に説教を聞くことがいちばん大切だと教えているのではなく、重層的な意味をもって、私たちに生き方を教えているのだった。

必要なことはただ一つだけだ。それを忘れていくつものことに気を奪われると、思い悩み、心を乱し、他人のことまで気にするようになる。必要なことをするときは、そのことだけに心を尽くすべきだ。それが、イエス様が私たちに教えておられる生き方だ。必要なことはただ一つだけ。この思い切った態度が、私たちの働きをより実り豊かなものにする。

聖書勉強会が終った3時半頃、窓の外は大雨が降っていて、성산로をトラックや乗用車が大きな水しぶきを上げながら行き交っていた。しかし西の空は明るくなってきていた。そして、間もなく雨は上がった。雨が上がるのを前後して、一人ずつ帰っていった。

5時少し前に講師室に戻ったあと、授業を終えて休んでいた同僚の先生たちと3人で、近くの무악골という食堂へ行って찌개を食べた。建物を出ると、外の空気は湿気が充満しているために、じっとりしていて、水中を歩いているような気分だった。

7月3日(木)「すがすがしい一日」

at 2003 07/06 09:43 編集

昨日はとても暑かった。夜中もずっと暑く、そのために一度目が覚めて、ジャージの上を脱いでシャツになったくらいだ。6時頃めが覚めたときも、喉が渇いていた。家の中は閉め切っていたので、朝までずっと昨日の気候だったのだ。

朝食を取っているとき、あまりに暑いのでガラス窓を開けると、肌寒いくらい涼しい風が家の中に吹き込んできた。家を出ると、空は厚い雲に覆われ、涼しい風が、樹木や草の匂いを運んでいた。遠くの山々がはっきりした輪郭で黒々と見えた。まるでソウルではなく、どこかの公園の中のように清々しかった。

12時20分に授業が終ったあと、急いで弁当を食べ、教育放送へ録音に行った。梨花女子大学校にある言語教育院から우면동の교육방송まで行く道も、気持がよかった。ソウル独特の埃っぽさがきれいに取り除かれて、緑が目立って多く見える。はて、ソウルにこんなに緑が多かっただろうか。手入れの行き届いた日本の大形地方都市のような感じだ。車の量はいつもと変わらないのに、窓を開けて走っても、排気ガスのにおいもあまり感じない。

録録音中、7月30日分の単語の欄に、ヨーロッパ(Europe)、フランス(France)、オランダ(Olanda)、インド(india)が出てきた。オランダとフランスはともかく、ヨーロッパとインドは英語から来たのではないのに横に英語が付いていた。えっと思って主演の박혜성先生に言うと、これは原稿を出版社の方で勝手に変えてしまったものだと言う。박先生も、「何で india がインドになるのよ」と文句を言っていた。(ちなみに Olanda はポルトガルだそうだ。)

録音が終ってから家に帰り、ラーメンを茹でて食べたあと、村上春樹の『やがて哀しき外国語』を読んだ。全部読んだが、あるものは、繰り返して読んだ。この随筆は面白い。どうしてか分からないが、知識と経験の豊かな友だちのおしゃべりを聞いているかのような魅力がある。r>
村上春樹の随筆を読んでいたら、ふと散歩に行こうという気になって、9時40分頃に家を出た。アパートを出た時は、どこへ行くか決めていなかったが、すぐに、教会へ行こうと思った。동부이촌동の西端にあるうちから東端にある온누리교회までは、約2キロある。行って帰って来ると約4キロの道のりになる。散歩としてはちょっと短い距離かも知れないが、超運動不足の私にとっては十分すぎる距離だ。

同同僚の안지현先生が、ウォーキングをするときは大股に歩くことだと今朝言っていたのを思い出して、大股で歩いた。せっせと歩くと、汗が出てくる。とても気持いい夜なので、歩道はけっこうたくさんの人たちが出て歩いていた。西洋人もたまに歩いていた。教会の近くに来たとき、反対側から副牧師の전병택先生がやってきた。私に手を差し出して握手をしながら、「どこへ行くんですか」と聞かれるので、「教会です。うちから教会まで散歩して戻ると、ちょうど1時間ぐらいになるんです」と答えた。

教会には10時に着いた。水を飲もうと思って正面玄関から入ると、礼拝堂で何か集会をやっているらしい。入口のホールで二人の婦人が週報の束を持ってこちらを見ていた。私を見ると、頭を下げたので、私も頭を下げた。でも、集会に来たのではなく、水を飲みに来たので、ちょっと後ろめたい気分だった。コーヒーショップの脇にある浄水器の水を紙コップに取って飲んだ。冷たくて気持良かった。br>
水を飲んでから、ふと礼拝堂で一言祈りたくなって、宣教館の方の階段から3階まで上がって礼拝堂へ行った。前では6〜7人の人たちがギターを弾きながら賛美のリードをしていて、広い礼拝堂には百人ほどの人たちがまばらに座って賛美を歌っていた。端の席に腰をおろし、1〜2分ほど祈り、それからまた立ち上がって礼拝堂を出た。階段を下り始めたとき、私の好きな賛美を歌い始めたので、口ずさみながら階段を下り、教会を出た。

家には10時半に着いた。運動不足による不健康さが少しは汗となって排出されたような快さを感じた。オレンジジュースを飲んだあと、シャワーを浴びた。

私は『やがて哀しき外国語』をある種の教科書として読んでいるといえるかもしれない。想像上の人物である小説の「僕」とは違い、随筆の「僕」は村上春樹本人で、小説の「僕」のように影の薄い人間ではなく、健全でまじめで文化的な生活をしている。外国に暮しているということと、比較的内向的で気ままな性格とに共鳴した。その一人語りのようなおしゃべりの中には、仕事と生活に関する経験から出た知恵が、随所に顔を除かせている。私にはそれがたまらない。以前何冊かの本では読んだけれども、ちっとも実行していなかった知的生活のいくつかの原則と思われるものを、村上春樹は実行しているように思える。その原則が実際の日本人の生活の中でどのように働いているのかが具体的によく分かる。

今日散歩をしたのも、この本によるが、そこで村上春樹は走ることについて書いていたのだが、私はそれを歩くことに変えて自分に適用してみた。歩くことが体にも頭にもいいということは、いろいろな本で読んでいたから、実行してみたいとは思っていたのだ。

私が村上春樹をこのように“仕事”という点から見てしまうのは、彼の小説などを読むようになったわけが、仕事上必要だったからだ。この俄づくりの村上春樹ファンは、仕事が終っても関心を持続できるかどうかが問題だ。

7月4日(金)「家庭集会」

at 2003 07/06 09:45 編集

妻が教会の日本語を母語とする兄弟姉妹たちを呼んで、家庭集会を先週から開いたが、今日はその2回目の集まりだった。今週は先週とはちょっと違う顔ぶれが集まった。

この家庭集会を始める前に、どんなスタイルでやろうかと妻に聞かれたので、私は梨花女子大学でやっている聖書勉強会のスタイルでやろうと言った。先週は、最初の集まりで何も準備していなかったので、どこを読みましょうかと尋ねると、駐在員として来ておられる兄弟が、マタイの福音書から読んでみたいというので、マタイの福音書1章1節から17節までを読んだ。そして今日はその続きの18節から25節までを読んだ。

今朝起きてから仕事に行くまでの短い間に一応の準備はしておいた。準備というのは、質問を考えておくことだが、これはけっこう難しい。私は今まで一度もうまくいったことがなかった。いつも冷や汗ばかりかいていた。それでもやろうとするのだから、我ながら見上げたものだ。

夕方仕事から帰って食事をしてしばらくすると、来るべき人が集まってきた。時間になったので、賛美を歌い、私が一言祈ってから、聖書をみんなで開いた。

最初の観察の質問は、すいすいと進んだ。これでどんな事実関係が書かれているのかを把握した後、解釈の質問に入った。解釈の質問に入ると、急に考えなければならなくなるので、答えるのに時間がかかる。場合によっては答えられない人も出る。ここからは、答えられる人が話し始めるまで待ちながら、質問を続けて行った。それによって、この箇所ではどんなことが問題にされていて、何を意味しているのかが浮きぼりになってきた。よかったのは、ある兄弟が、ヨセフがマリヤと結婚することは、イエス様にとって必要なことだったと言ったとき、それまで気づかずにいたヨセフの決定的に重要な働きがはっきり理解できた点だ。

だが、そのあとの適用の質問は難しかった。解釈の質問がたっぷりと行われたので、適用の質問にも、自分とは関係のない聖書内でのメッセージに対する考察になってしまうのだった。ここでみことばが個人個人に語りかける内容に至らなければ、ここまで読み込んできた意味がない。司会をしながら、私の考えは後回しにしたり、他の人にだけ答えてもらったりしていたが、ここでは私がまず答えるべきだったかも知れない。

十分に聖書の語りかける“意味”について知的に討論したあとで、それを私たちの生活にぐいと引き寄せるのは、思いもよらないことかも知れない。聖書のメッセージは、それを客観的に眺めている間は、単に言葉に過ぎないが、そのメッセージを自分自身に向けて浴びせるとき、豊かな恵みとなって私たちの生活をうるおす。

日本語を母語とする人たちは、習性として、どうしても物事を他人事のように見てしまう癖があるので(私はその癖が甚だしい)、メッセージを自分自身の意識へ向けるのは、けっこう難しい。しかし、神学大学に通っている姉妹が、自分に適用して語ってくれたので、他の人も、自分のことを話すことができた。

この質問が終って聖書勉強会を終らせようとしたとき、ある兄弟が、他の箇所に関する質問をして、それに私が答え始めてしまったために、聖書勉強会が終らせられずに、何分間か話題がそれてしまった。しかしこのままでは、今日読んだ内容が分散したまま終ってしまうので、無理に話を戻し、今日それぞれが与えられた内容をもって祈って終わりにした。この帰納的な聖書勉強のクライマックスは、最後に各自で祈る適用の祈りにあると思う。あやうくそこで失敗するところだった。

祈り終ったあと、妻がさっきの賛美をもう一度歌おうというので、一緒に歌った。祈ったあとの賛美はとてもよかった。

そのあと、妻が作ったケーキをコーヒーと一緒に食べながら、雑談をした。そのとき、外でドンドン!という爆音が聞こえたので、廊下に出てみると、ヨンサンの米軍基地で大きな花火を打ち上げていた。今日はアメリカの独立記念日だと誰かが言った。うちの子は近所の友だちに「썰렁해.」だなんて言っていたが、私はその美しい花火を見ながら、アメリカが独立した喜びを、自分の喜びのように感じていた。

夜11時半にみんなが帰って行ったあと、散歩に行った。今日は教会まで行く余裕はなさそうだったので、11時50分になったら引き返そうと思って歩いていたら、금강병원の向いにある백양사 세탁소のすぐ手前まで来てしまった。家に戻ってから冷たい水を飲み、シャワーを浴びた。

7月5日(土)「韓国日本学聯合会」

at 2003 07/10 17:39 編集

昼過ぎに家を出て、韓国日本学聯合会の国際学術大会に出席するために、중앙대학교へ行った。うちから중앙대학교までは、한강 (ハン川) を隔てているだけで、近いといえば近いのだが、4号線に乗って、이수から7号線に乗り換えていったら、それだけでも結構な時間がかかった。そのうえ道をよく知らずにとんでもない方へ暑い中を延々と歩いていってしまい、중앙대학교に着いたときにはすっかりくたびれてしまった。

ちょうど2番目の発表が始まったばかりだったが、サイバー教育に関してで、どうしても関心が持てなかったので、いったん出て、受付をして、5千ウォンの予稿集を買った。

それから聞いた発表は、横浜国大の角倉正美という先生の、「『日本語能力試験』から『日本留学試験』へ ─試験問題改良と『アカデミック・シャパニーズ』を考えるために─」という発表だった。この試験の形式で、読解問題が長い復段落の文章ではなく、単段落の文章を読ませてそこで言っている意味を問う問題になっているのを見て、とても驚き、感じ入ってしまった。読むという行為は「追跡」だと『新釈現代文』で主張しているが、まさにそれを追求した試験問題だと思った。その発表で触れられていた「アカデミック・シャパニーズ」というのは、日本の大学での勉学に対応できる日本語力ということだが、その概念はまだ具体的にはなっていないということだった。学術日本語というべきものなのだろうか。すばらしいアイデアだと思った。

休み時間に、中田先生から、外国語学習法を日本語教育に応用していますかと聞かれた。恥ずかしい話だが、私は外国語学習法にとても関心があって、あれこれ本を読んでいて、ホームページまで持っているのに、今まで日本語教育に適用し倦ねていたのだった。中田先生は真剣に考えていて、授業でディクテーションをしてみたり、語学のセンスある学生についてもどのような方法を身に付けているのかに関心があった。私も自分なりに外国語学習法については関心があるわけだから、これからは教材を作ったりコースの何かをデザインしたりするときに、そのノウハウを積極的に活かしていく必要があるなあと思った。

休み時間のあと二つの発表は、開化期の韓国の教科書と植民地時代の日本語の教科書についてで、私には難しかった。無駄な勉強はないと思って聞いていたが、予備知識がないものだから、あまり記憶にも残らなかった。

そのあと、南山大学の坂元正という先生が「母語から目標言語への言語干渉判定基準 ─試案─」という題目の発表をした。私は『月刊日本語』などで読んだこの人の気さくな文章から、若い人なのかと勝手に想像していたが、実は私の隣に座っていた老教授がその人だったと知ったときは、本当に驚いた。私は、この人はいったい韓国のどこの大学の先生なのだろうかと考えていたからだ。

日本語学習者の誤用には、母語干渉による言語間誤用というものと、そうではない言語内誤用というものがある。この言語間誤用と言語内誤用を見分けるのはなまやさしいことではない。二つは渾然一体として、すでに習得しているものとともに、中間言語を形成している。それを、この先生は区別するための判定基準を設けようと考え、試案を作ったのだ。この判定基準は、次のようなものだ。

 1)子供の誤りに見られない誤りか。
 2)他言語を母語とする学習者に見られない誤りか。
 3)その誤りが他言語話者より長期にわたって現れる、消えにくい誤りか。
 4)誤りを含む日本文と同じ意味内容のことを母語で表現させてみて、母語での言語表現を見て、その影響をみる。

これを見て、絶望的な気分になった。どれも大掛かりな作業が必要だからだ。4番だけは、私にもできそうな気はしたが、坂元先生は、4番はあまり大事ではないかも知れないと言っていた。しかし、質疑応答で、同徳女子大の奥山先生が、自分はむしろ4番の判定基準に重要性を感じると言った。韓国語ができる日本語教師たちにとって、この4番はやはり一番気になる部分のようだ。密かに友を得た気分だった。しかし奥山先生は、そこからさらに進んで、誤用とは別の“回避”の問題に触れた。回避は誤用とは言えないが、日本人は使うのに韓国人学習者は使わないということだから、やはり韓国人特有の用法といえる。しかし、ある表現を使わなかった理由を研究するというのは、考えただけで気が遠くなる話だ。

また、横浜国大の角倉先生が、「母語干渉と判定するときに、ある誤用の頻度の違いを他言語とくらべる必要があるんじゃないかと思うんですが」と指摘した。坂元先生は「ああ、そうですね」と答えていた。その対話を聞いていて、恐くなった。自分にはとうてい登れない山が目の前に聳えていることがわかったからだ。

帰り道とても気分が重かった。なぜなら、私は韓国人学生の日本語の誤用から韓国語の特色を割り出す論文を書くように先生から言われているが、その理論的土台がこのような難しい状態だからだ。私の持っている資料は、私が10年前にヨンセ大の語学堂で日本語講師をしていたときに集めたものだ。すでに消息も分からないのだから、疑問に思った部分を、学生にどうしてこう書いたんですかと尋ねるわけにもいかない。純粋に日本語の誤用例だけを見て、韓国語の構造を考えなければいけないのか。資料を入力するのだって大変だけれども、本当に自分は論文を書いて卒業できるのだろうかと思うと、気が滅入ってくる。

7月8日(火)「聖書勉強会」

at 2003 07/10 23:36 編集

今日は同労者の伝道師さんが用事があって来られないので、一人で425号室へ行った。行くと、今日司会する兄弟が、ある姉妹に韓国語の入門を教えていた。新しい単語が次々と出て難しいらしく、その姉妹はけっこう苦労していた。

まもなく、もう一人韓国人の姉妹が来た。そして賛美を歌い、聖書勉強を始めた。今日はルカの福音書11章1〜13節までの、祈りについてのイエス様の教えだった。この箇所は、イエス様が私たちに直接教える祈りのエッセンスだ。歴史学者の兄弟が緻密に読解を導いて行くので、読みながら、イエス様の語られる話の構造が明らかになっていき、その意味が徐々に浮きぼりになってきた。

「求めなさい」「捜しなさい」「たたきなさい」という三つの忠告は、単に祈りの中で求めることだけではなく、そこから出て、自分の足で捜し続け、道を開くために努力を続けることを意味していると思う。それらを私たちは“祈り”とは言わないが、イエス様が祈りの教えの中でこのことを言っておられるところを見ると、私たちの努力も祈りの一つであり、その努力の中に神がともにおられることをイエス様はほのめかしておられるようだ。

ところで、11〜12節でイエス様は「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう」と言っておられる。司会を受け持った兄弟は、中国へ語学研修に行ったことがあって、そのとき蛇やさそりも食べたことがあるそうだ。さそりは網でカリカリに焼いて食べるのだそうだが、なかなかおいしいという。でも、ここで言っておられる蛇とさそりは、生きた蛇やさそりなどを投げ与えて、食物を求める子供に危害を加えることを意味していると思われるから、蛇の蒲焼きや、こんがり焼いたおいしい(?)さそりではないだろう。神は、私たちが求めるとき、災いを与えるのではなく、よいものを与えてくださるのだ。

私はこの箇所を一緒に読みながら、積極的に求め働きかける生き方を新たに学んだ。聖書の示す生き方は、私がこれまで人生の中で教えられてきた生き方とは、ずいぶん違う。そして、それは力強く、またとても奥の深いものだ。

7月9日(水)「椎名麟三の聖書物語」

at 2003 07/10 23:37 編集

キョボ文庫の日本書籍コーナーで、椎名麟三の『私の聖書物語』(中公文庫、2003年)を買って読んだ。この本は1957年に書かれたものだ。この人は、1911年に生まれ、若いころはマルクス主義者だったが、治安維持法によって捕まり拷問を繰り返し受けたのち、獄中でニーチェによって転向すると同時に、そこで罵倒されていたキリスト教というものに出会う。そして、その後幾度もの紆余曲折を経て、洗礼を受けた後にキリストを信じるに至る。

この人は、自分の確信できたものだけを信じるので、かなり型破りの信仰を持っているが、確信という点では、この人の信仰は、なまじ真面目に信じているつもりになっている私たちよりは確実かも知れない。この人は、マリアの聖霊による懐胎は信じないが、復活は信じているのだ。その信仰は、自分はクリスチャンだと言っている私たちの中の一部(または多く)よりも揺るぎないものとも思われる。信仰に至るまでの聖書との血の滲むような格闘には、凄まじいものがある。

しかし、“信じる”ということのあり方について、私は椎名麟三とは同じ土俵上にない。信じることは、決断することであり、従うことだ。確信できるということとはちょっと違う。勿論信仰に至るまでには、信じられるという感情は働くが、信じるということは、そういう動きやすい感情とは少し違う、自分の態度に対する決断だ。信仰は忠実さを求めるからだ。神がそれを求めると同時に、信仰を持った私たち自身が、神に対して忠実な者になりたいと願うのが信仰だと思う。

私がこの人の信仰に同意しないことは言うまでもないが、それでもやはりこの本は面白く、私たちに信仰について示唆するところが多い。クリスチャンでない人には、キリスト教の信仰に片足を突っ込む入門書として推薦できるし(本当は三浦綾子の『光あるうちに』の方をいちばん推薦したい)、クリスチャンには、命がけで福音と格闘する生き方を教えてくれる。主は「むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい」と言われる。私たちの信仰はややもすると、なまぬるくなり勝ちだ。主から吐き出されるようなことがないためにも、椎名麟三のように熱い思いで福音に体当たりする生き方は、私たちにとって必要なことだ。

7月10日(木)「非断定的表現」

at 2003 07/10 23:40 編集

中級教材を作るのに必要だと思われるので、『神経症者とつきあうには──家庭・学校・職場における論理療法』(アルバート・エリス著/国分康孝監訳、川島書店、1984年)という本を読んでいる。この本は「非断定的表現法」を提唱し、自ら実践している。ただし、翻訳からは、非断定的表現であるかがはっきりしない部分が多いが、英語の原書では、おそらく非断定的な表現を使っているのだろう。重要な部分では、やはりこの本は、日本語でもそれと分かる非断定的表現を用いている。そういう慎重な語り口の文章を読みながら、私の読んだいろいろな文章作法のことを思い出した。

文章作法の多くは、断定せよと書いている。文章作法によると、自分が書く内容は、自分の考えなのだから、「〜と思う」のような語尾は余計だと言う。なるべく断定的に書くべきだという。断定できないものは、書くべき内容でないという。そうすればたしかに日本語の文章はスパスパして切れ味のいいものになるだろう。

しかし、私はそのことに対して、疑問を感じていた。私たちが何かを表現したり主張したりするとき、その根拠になるすべての項目が直接の知識ではない場合が多い。そのような間接的な情報や意見でも、文章の中に入れざるを得ないことがほとんどだ(いや、そういう場合が全部かも知れない)。多くの情報や意見は、自分と直接の関係があるわけではない。その大部分は、未確認のまま見切り発進的に用いられる。そういうことをまったく伏せたまま、どれもこれも断定していたら、たしかに頼もしくは感じられるかもしれないが、誠実さの面で問題を感じずにはいられない。

そういえば、どこのウェブサイトだったか、自分はきつい人間ではないのだが、文章を論理的に書こうとすると、どうしても攻撃的になってしまうとこぼしている人がいた。たしかにその人の文章は、攻撃的だった。しかし、それは必ずしも論理的に書いたからから攻撃的なのではなく、攻撃的な言い回しをふんだんに使っているから攻撃的にならざるを得なかったのだ。その文体上の問題の一つが、断定的な書き方にあったと思う。断定的な文体のために、自分の批判する意見に対して、スパッと切り捨てるような書き方になってしまっていた。それを本人自身も気に入らなかった。もしかしたら、文章作法の犠牲者ではないだろうか。

上手な文章というものには私も憧れがあるが、文章の実用的な面からいえば、格好よく書くよりも、より真実に近い言葉の姿を追求した方がいいと思う。真実というのはそのまま文章にはならないのだが、少なくとも、主張するために書くのではなく、書くことによって真実を追求していく方が、自分にとっても他人にとっても役に立つことが多いだろう。非断定的表現は私たちに、自分の扱う情報や意見と自分自身との間に、かなりハードな緊張関係を要求するようだ。しかしそれは、むしろ私たちの知識を健全なものにし、文章による思索をさらに実り豊かなものにすると思う。

7月11日(金)「家庭集会」

at 2003 07/12 00:43 編集

うちで始めた家庭集会の第3回目だった。今夜読んだ箇所は、マタイの福音書 2:1-12 で、イエス様が誕生され、東方から博士たちがやってきてイエス様を拝んだ場面だ。クリスマスの時に読むような箇所を真夏に読むのは不思議な感じだ。

今日は、観察の質問で少し時間がかかって全体的に時間が食い込んだ。そして、適用の質問に入ったときに、下の子が出て来て悪さを始め、やめなさいと言っても聞かなかった。妻が連れ出そうとしたので、私は放っておくように言ったが、それでも妻は下の子を連れ出して叱り始めたので、私はそれが気になって仕方がなく、他の人がせっかく話している内容も、頭に入らなかった。

聖書に書かれている事実関係を洗い出し、その意味を割り出す作業は、この観察の質問への準備に過ぎない。だから、ここでうまく行かないと、この聖書勉強の恵みは減少してしまう。ここで司会者として力を振り絞るのは大変だと思った。梨花女子大学でやっているのは、教室という場所が与えられて、参加者は私を含めて日常生活から自由になった状態で聖書が読める。しかし、家庭でやる場合は子供もいるので、なかなか聖書を読むことに集中できない。

今回は、一応は卒なく終えられたが、失敗を抱えた出来上がりだった。その原因の一つは、家庭でするには1時間を目安に終えられる必要があるのを、1時間半以上も時間をかけてしまったということだ。これは、梨花女子大学でやっているのと同じ長さだ。家庭でやるには、もっと質問をスリムにした方がよさそうだ。時間が長引くと、思わぬ苦労が始まる。

でも、最後に祈りが終ったあと、妻が、今日の聖書勉強会はとってもよかったと喜んで言った。妻が喜んだのなら、この家庭集会は、私の不手際にもかかわらず、大成功だったといえる。

7月12日(土)「東アジア日本語教科書展示会」

at 2003 07/12 23:23 編集

광화문の日本文化センターで「東アジア日本語教科書展示会」が開かれた。木曜日に김조웅先生から電話があって、おいでと言われたので、見に行った。行くと、김조웅先生は忙しそうにお客さんたちの相手をしていた。凡人社の社長も来ていた。私の知っている人も何人か来ていた。

3時から東京都立大学の西郡仁朗という先生が『教材進化論』というタイトルでセミナーをされた。この先生は私たちが授業でよく使っている、国際交流基金の『パネルバンク』の製作に携わった人で、その構想からその後の経緯などについて話してくれた。講演は、マッキントッシュのパワーポイントを使って行われた。

『パネルバンク』は、1993年にその構想ができて、1998年に完成したという。語学堂で使っていたのは「年中行事」だったと思うが、私は1998年に語学堂をやめたのだから、部分的にはいろいろと出ていたのだろう。そして、2000年にCDロム化して発売されたそうだ。そのころ私は、マルチメディアを用いた日本語教育というものを知らなかった(いや、この講演を聞くまで、ほとんど何も知らなかった)。

この教材の製作目標は、初級日本語語彙の導入と、日本事情の概説ができるというもので、データベースではなくコレクションとして製作したのだそうだ。データベースでは分量が多い方がいいが、コレクションは、あまり多くない方がいいという。なぜなら、データベースは検索して引っかかるものが多い方がいいが、コレクションは全体の中から選びやすい方がいいからだ。私は、データベースとコレクションという二つの概念を初めて知った。

『パネルバンク』は5つのシリーズで、全部合わせると重量が20キログラムになり、値段も124000円ほどにもなるそうだ。この教材がこれほど値が張るわけは、印刷代に高い費用がかかっているということと、倉庫保管料が値段に跳ね返っているためだという。

完成するや否や、今度は時代の要望に応えるために、CDロム版の作成に取りかかることになったそうだが、そのとき著作権などの問題でけっこう骨を負ったらしい。実際の折衝は、国際交流基金の担当の人がしたそうだ。誰々さんがしてくれたと言っていたが、本当に名前を残してもおかしくないくらい大変な仕事だったと思う。

そうやってできたCDロム版は、重量は200グラムで、値段は18000円だという。ずいぶん安くなったものだ。ただし、これを作り始めたとき、まだウィンドーズは95の時代で、日本語ウィンドーズを使わない教師にとっては、日本語のフォントの使用を要求できそうもなかったので、文字はすべて画像処理したそうだ。そのために、リソースとして使用できず、また、ファイルとファイルのリンクは無数に張っているというものの、検索にも限界がある。それでも実際にデモンストレーションをしているのを見たら、特に不便はなさそうだった。あれで18000円なら、高くはないかも知れない。

パネルバンクのサンプルを見せながら、裏話もいくつか聞いた。いちばんすごかったのは、コーヒーの写真で、あれは醤油と絵の具で作るのだそうだ。なぜなら、本物のコーヒーは上に油が浮くのだが、そのまま撮影すると、きれいに映らないのだそうだ。コーヒーのコマーシャルで女優たちが飲んでいるのも醤油だと聞いたときには、うっへえと思った。それから、「コンパ」と言っていたものは、最近は「飲み会」というようになったということも、初めて聞いた。私が大学生のころは、この二つの単語は併存していた。また、「野球帽」を若い世代ではほとんど使わず「キャップ」というということも、初めて知った。先生も、パネルバンクを製作する過程で知ったという。日本に住んでいても気が付かないのだから、韓国に住んでいる私たちには、とうてい知りようもないことだ。

そのあと、ハイパーカードで作った音声教材を聞いた。そのすばらしさに驚いたが、これを作った背景には、日本人の教師にその国の言葉で説明できる人はほとんどいないという現実があるからだと言っていた。日本側から見たらそういうことになるのだろう。韓国に住んでいる日本人の間では、韓国語が達者な日本語教師というのは常識のようなものだから、見る角度によっていろいろと違ってくるのだなあと思った。この音声教材は正確な標準語の発音だったが、「厚い(アツイ)」という発音で、聴講者の一角から、「“アツイ”?“アイ”でしょ」という声がボソボソと上がっていた。もちろんそれは正しい意見ではない。でも、同僚の先生も同じことを言っていたのを思い出し、もしかしたら日本語の形容詞は、北海道方言と同じく抑揚型に統一されつつあるのかも知れないと思った。何が正しい日本語かという問題は、その基準が場合によってまちまちで、思いきりその議論を始めたら、とんでもないことになりそうだ。20代の発音で統一するのも一つの考えだが、現在の東京や首都圏の若い人たちの、はずしまくるアクセントを“正しい”とするのには、抵抗を感じる。

それから、アメリカの日本語学習者たちの間で人気のある漢字インベーダーゲームを見て驚嘆した。あれをアレンジして梨花女子大学独自の漢字インベーダーゲームが作れたらどれだけいいだろうと思った。

講演会が終ってから、展示室で『パネルバンク』のCDロム版をいじってみた。これはマックとPCの両方で使えるようになっている。初めはマックに入っていたので、そちらで操作してみた。なかなか使い勝手がいい。こんどはそのCDをウィンドーズに入れて起動させてみた。ちゃんと起動するが、マックにくらべると画像の美しさがちょっと落ちるようだ。モニタのせいだろうか。

この教材はとても便利だが、残念ながら、言語教育院にはプロジェクタの使える教室が二つしかない。いつもプロジェクタを用いて授業をするには、教室を毎回予約しなければならないから、とても大変なことだ。でも、遠からずして、私もマルチメディアの教材を用い、自分の製作する教材もマルチメディアになる時代が来るだろう。その前に、マルチメディアにもっと慣れておく必要がありそうだ。

このあと西郡先生を囲んで懇談会があったが、私はそのことを知らなかったし、会費を払えるだけのお金も持っていなかったので、김조웅先生に、今日は呼んでくださってありがとうございますと挨拶し、今日はここでおいとましますと言った。キム先生は、凡人社の社長と時事日本語社の社長と一緒に歓談していたが、私を凡人社の社長に引き合わせ、彼は79年から僕と一緒にいろいろ仕事をしておって、教材もたくさん書いとるんですと紹介してくれた。79年には私はまだ中学生だった。でも、黙っていた。実は凡人社の社長とは、去年一緒に同じテーブルで雑談をしたことがあるのだが、私はそのとき他の一般の人たちと同じく専ら聞き役に徹していたので、覚えておられなかったようだ。

교보문고に寄って『新しい日本語の予習法』(金田一秀穂著、角川書店、2003)を買った。それから、『物理学と神』(池内了著、集英社新書、2002年)という本が目についたので、それも買った。

夜8時半頃、동덕여자대학교の奥山先生から電話があった。奥山先生は、私が연세대학교 어학당に勤める前に勤めておられたので、私にしてみれば、職場の先輩ということになる。先生の所属しておられる学会で12月20日(土)に、発音指導に関して発表してほしいと言われた。例によって自信がなくて渋ったが、김숙자先生が推薦してくださったと言われて、引くに引けずに、やりますと答えた。

7月12日(土)「新しい日本語の予習法」

at 2003 07/13 17:58 編集

今日買った金田一秀穂の『新しい日本語の予習法』(角川oneテーマ21、2003年)を読んだ。この本は一種の言葉の作法に関する本なのだが、これ以外の言葉の作法の本とはおよそ毛色をことにしている。言葉の作法の本はどれも、一つ一つの単語や表現の使い方について指図しているが、この本では、そうではないと言っている。もちろん、結果としてあらわれる言葉は、他の本で認めているものと多くは一致するのだが、話す前の態度が問題になることを、言語学者の視点から指摘している。

そして、国際化社会の意思疎通能力についても言及しているが、それを一言で要約すれば、知らない人とも気軽に話せる能力を身につけることだと述べている。私が知っている限りすべての識者たちが、国際社会では自分の意志を主張できる能力が求められると言っている。しかし、金田一秀穂氏は、そうではないと指摘している。考えてみれば、何でもないところで人と出会って歓談する際に、自分の意志を主張するというのも変だ。他愛のないお喋りを、その場に居合わせた誰とでもできる能力というのは、たしかに国際化してしまった日本では切に求められることかも知れない。

私がこれまで外国人とのコミュニケーションで重要なのは論理的に(つまり、人が聞いて何が言いたいか分かるように)話すことのできる能力だと聞いて来た。しかし、考えてみれば、韓国での生活で用いる韓国語はともかくとして、その大部分は、他愛のない雑談だ。私はそれが苦手なので、時として堅苦しい印象を与えてしまっている。十分反省した方がいいと思った。

著者は自分の本について、父親と祖父との七光り(併せて十四光り)で出せたと言っておられるが、そんなことはない。すばらしい本だ。

7月13日(日)「礼拝」

at 2003 07/13 22:28 編集

午前中、うとうとしていたら、11時半になってしまった。日本語礼拝は11時半からなので、急いで飛び起きようと思ったが、昨夜は遅くまで本を読んでいて、疲れたせいか、体が思うように動かない。それでも頑張って、40分に家を出て、バスに乗って教会へ行った。着いたときは、賛美が終っていて、北野伝道師先生が代表の祈りをしていた。いちばん後ろの席に、滑り込むようにして座った。

祈りのあと、今回日本へアウトリーチ(短期宣教旅行)に行く2つのグループのパフォーマンスがあった。一つは横浜へ行くチームで、賛美を一曲歌った。そのあと、北海道チームのパントマイムがあったが、それはとても美しく感動的なものだった。そのパフォーマンスを、札幌のマロニエの並木が続く公園でやるのだという。

北海道チームがパフォーマンスをする前に、代表者の姉妹が、日本の現状について簡単に一言話したが、現在日本では毎日70〜80人の自殺者が出ているという。それを聞いて、年間の自殺者数を頭で計算してみると、なんと約2万人にもなる。どのような災害よりも大きな災害が、じわじわと日本を襲っているわけだ。それを考えて、気分が悪くなった。なまじ計算なんかしないでただ話だけをぼんやりと聞いていればよかった。

韓国に住んでいて、しかも教会に属していると、まるでどこか昔のある国の荒廃した時代の歴史のように聞こえる。でも、それは現在の私の国のことで、その人たちは、普段は平和で幸福そうに見えるが、状況を少しでもゆがめればすぐに自分で自分を破壊する恐怖の思想に、最も信頼できるものとしてよりすがっている。その信仰(?)は、私のキリストへの信仰よりも強い。私も当然以前はその思想を信奉していたわけだ。今は輪郭もはっきりしなくなってしまったが、日本へ戻れば思い出すかも知れない。

今週の説教は김사무엘先生で、「主の御言葉は私を生かす」というタイトルだった。詩編119編49〜50節について話をした。みことばをしっかり握り締め、苦難の時ほどみことばにすがって生きることを勧めていた。特に、QT(Quiet Time:聖書の黙想)について、5つのことを勧めていた。それは、今までQTについて私たちの教会や他の教会で言われていることよりも少し深い黙想ができるように思われた。その5つとは、次のようだ。

1.みことばを読むとき「神よ、私にどんなみことばを今くださるのでしょうか」と問い、分からないときは「神よ、これはどういう意味でしょうか」と問う。
2.神が教えてくださることを期待する。この期待こそが信仰である。
3.その指示されたことに従順にしたがう。みことばが必要なのは日曜日ではなく、月曜日から土曜日までの日常生活である。
4.指示されたことを適用した結果を注意深く見る。
5.「主よ、私はいつでもどこでもあなたのみことばを聞く準備ができています」と祈る。頭で作ったメッセージと聖霊に照らされたメッセージは違うからだ。

4〜5は、他のQTの仕方にはない部分だ。たしかに、私たちの中心は聖書を読むことではなく、生きることだ。実際の中で、みことばを握り締めて、聖書の言葉とともに生きることが、私たちを生かすことになる。

礼拝の後、B&F(Bread and Fellowship)という、一緒に軽く何かを食べながら交わりをする時間がある。私は5班になっていた。妻が決めたのかも知れない。初めは妻が作って来た手料理などでテーブルがいっぱいになっていたが、今回からリーダーを受け持った姉妹が、B&Fでは食べ物を出し過ぎない方がいいと会議のときに言われたと言った。それで、急いで食べて、テーブルの上が食べ物でいっぱいのまま聖書勉強を始めようとした。しかし、私がテーブルをきれいに片付けてからした方がいいと言うと、みんなが一斉に立ち上がってテーブルを片付け始めた。私も、テーブルの上についた油やソースなどをきれいに拭き取った。すると、カオスのようだったテーブルの上が、5分できれいになってしまった。そして、残る時間を気持よくディスカッションした。

帰宅してから『物理学と神』を読み始めた。この本はノンクリスチャンの物理学者が書いたものだが、とても面白い。「私の予想は、神は、人間ごときに死の宣告をされても屁とも思わず、また姿を変えて立ち現れる、というものだ。なにしろ神はタフなのだから」(p.11)と言っているのは、一種の皮肉だと思うが、私には神が著者に、皮肉を言う筆にかこつけて本当のことを言わせてしまっているように見える。もしそうだとしたら、これは皮肉の上塗りだ。

夜、教会まで散歩に行った。今日は風が吹いていて空気もさらりとしており、気持のよい散歩だった。家に帰ってシャワーを浴びたが、出てからも、部屋に流れ込む風が清々しかった。

7月16日(水)「ネズミ騒動」

at 2003 07/19 01:40 編集

一昨日の朝、講師室に着いて自分の机に就くと、本棚の上においてあったカップラーメンにポッカリと穴が開いていた。初めは目を疑ったが、たしかに直径3センチほどの穴が、容器にできている。「誰がいったいこんな不愉快な悪戯を私に対してやったんだ」と思って、腹が立った。

しかし、その穴をよく見てみると、丁寧に削り取って拡げたようなあとが見え、また、スチロールの削られた縁に3ケ所ばかり、小さな歯型のようなものがついていた。ひょっとしてネズミかと思い、カップのあった所を見ると、紙やビニールなどの屑が固まって落ちていた。もう一度穴が開いた所を見ると、ラーメンもえぐれていて、その下には屑はほとんど落ちていなかった。

ということは、やはりネズミに違いない。ネズミが容器を噛み切って、中のラーメンをかじったのだ。他の所を見ると、ウォン・ミリョン先生の机の上においてあったサボテンが、机の横に落ちていた。ネズミらしき存在は、本棚の上を通って、ウォン先生の机から下におりたらしい。そのときにサボテンに当って下に落としたのだろう。

そのあと、講師室ではネズミの話で持ち切りになった。ある先生は、隣の講師休憩室でいつも出前を取って食べるうえに、窓を開けっ放しにするから、ネズミがにおいを嗅ぎ付けてやって来たのだと言い、またある先生は、数日前に5階で大々的にネズミ駆除を行ったので、通風孔を伝ってネズミが4階まで逃げて来たのだと言った。いずれにしても、ネズミはいったん住み着くと、ずっとそこに定着してしまうから、すぐに対策を講じなければいけないという結論に達した。

そして昨日、講師室に来ると、韓国語作文の先生が、ネズミ取りのシートを持って来た。これを下に置くのだと言う。そして午前中の授業が終って講師室に戻ると、銀紙の皿に盛ったねこいらずが、コンピュータの机とゴミ箱の間の床に置かれていた。私は幼いころこれを口に入れて大騒ぎになったことがあるから、妙な恐れを感じた。

午後の聖書勉強会が終わり、夜の授業の前に腹ごしらえをしなければと思って、先週の金曜日に先生たちと行っておいしかった、山東省出身の人が経営する「シアンワル(香味)」という名の中華料理屋へ行って、パオズ(包子:韓国語ではワンマンドゥ)1人前(=5個入りで5千ウォン)を買って来た。ここのパオズは、大きさが大人のげんこつほどもあって、中身もたくさん入っている。言語教育院に戻り、講師室に入ろうとすると、床は薬臭い水のような液体が一面に塗られていて、じめじめしていた。これは消毒液で、30分ほどは入らないようにと保健所の人(?)に言われたので、渡り廊下に並んでいる椅子に座って、パオズを食べた。

そのとき、원미령先生と中国語のチャン・イエ先生も講師室に入れずにいて、一緒にパオズを食べながら雑談をした。원先生は話の名手だが、チャン先生も、なかなか話題の豊かな人だ。話題はここでもネズミの話で、ネズミの赤ちゃんが捨てられていた話を원先生がすると、チャン先生が、サンチャオ(三叫)という料理の話をしてくれた。

コァントン・ティーファン(広東地方)の人たちの間では、“サンチャオ(三叫)”という料理が食べられているという。それは、生まれたばかりのネズミの赤ちゃんを踊り食いするものだが、まず箸で摘んだときに叫び、タレに付けたときに叫び、そして口に入れたときに叫ぶので、三叫と言うのだそうだ。私はパオズ3個を食べ終ったばかりで満腹だったので、消化ができなくりそうだった。ただしそれは、実際に食べられているものではなく、他の地方の人たちが、何でも食べる広東地方の人をからかって、語り伝えられている話らしい。それを聞いて、多少は安心した。

それにしても、一昨日の朝に端を発したネズミ騒動は、次の日には4階全体を消毒するまでに至った。カップラーメンに開いた穴のインパクトは、こんなにも大きいものだったのだ。

しかし、ネズミというのはそんなに不潔なものなのだろうか。昔ウォルト・ディズニーは、マンガのキャラクタが思いつかなくて苦しんでいたことがあったが、そのとき、たまたま部屋に出て来た家ネズミに、パンだったかチーズだったかをやりながら、あのミッキーマウスの発想を得たという。

また、韓国語作文の先生から聞いたが、先生が小学生のころは、家でネズミを捕まえて尻尾を提出する宿題が出されていたという。実際には女の子たちは自分でネズミなんか取れるわけがなく、たいていはお母さんたちが捕まえて、尻尾を取ったそうだ。衛生のことを神経質に考えたら、ちょっとできない宿題だ。

今日、同僚の先生の一人が、私たちの机の上も消毒してくれと事務室に電話していた。私たちが手を置くところにネズミが這ったのだから不潔だというわけだ。私は面倒くさいと思った。消毒すれば清潔にはなるだろう。しかし、消毒する間は机の上のものを全部どこかに移して、消毒が終ったらまた机を整理しなければならないし、私の机もその先生の机も、実際にネズミが這ったのは、本の上だから、消毒しようにもできない。ネズミが這った部分を触った手を舐めたりしなければ安全だろう。それにしても、大山鳴動して鼠一匹とは言うが、こりゃ鼠一匹にして大山鳴動だ。

7月16日(水)「梅雨」

at 2003 07/17 00:09 編集

中国語の先生たちと絵教材について話しながら、日本語にはパネルバンクという優れものの教材があることを話し、ロッカーにしまってあるパネルバンクを見せた。それを一緒にめくっていると、「梅雨」の写真が出て来たが、中国語では何と言うのか聞くと、メイユー・チージエ(梅雨季節)と言い、日本語と同じ字を書くことを知った。

日本では、この季節に梅の実がみのるので、この名前で呼ばれていると言うと、中国では違うという。本当はメイユー(梅雨)ではなく、メイユー(黴雨)なのだそうだ。この季節はじめじめして、あちこちにカビが生えやすい。それで黴雨と言うのだが、字で書くと汚いので、発音の同じ梅雨を使ったという。

なるほど、それは納得のいく説明だ。「梅」を「黴」の意味で使うのは、他にもある。以前「梅毒」という言葉がなぜ梅の毒なのか疑問に思って辞書を引くと、もともとは「黴毒」だったと書いてあり、なるほどと思ったことがある。ためしに「ばいう(梅雨)」を新明解国語辞典で引いてみたら、語源については何も書いてなかった。(『現代漢語詞典』の「梅雨」の項目には「黄梅雨。也作黴雨。」と出ている。)

「梅雨」という字に関しても、梅の実が熟するころ降る雨だから「梅雨」というのは、考えてみれば無理のある説明に思える。梅雨の季節に私たちは梅の実を大して意識しない。たしかに梅雨のころに梅の実を買って来て、梅干しにしたり梅酒にしたりする。しかし、だからといって、梅の実でその雨を象徴させるのは、風流すぎると言えるかも知れない。むしろ、このじめじめしてカビの季節である梅雨は、もともとは「黴雨」だったと考える方が穏当な解釈と言えそうだ。梅雨を代表する風物は、梅ではなく、カビだからだ。

ただし、こういうことは、あくまでも実際の資料によって判断する必要がある。推測によって、これが正しいと結論付けると、とんでもない結果になることがあるからだ。もしかしたら、日本ではもとから梅の実を意識していたかも知れない。だから断定はできないのだが、それでも梅雨の「黴」語源説(?)は説得力があるように思われる。

7月21日(月)「百年屋」

at 2003 07/22 22:33 編集

昨日今日と二日間続けて、백년옥(百年屋。電話:523-2860、ファクス:521-1419)という豆腐料理屋に家族で行った。この店は、남부순환로を挟んで예술의전당(=芸術の殿堂)の向いにあり、양재の方から進んで来て、반포로にぶつかる直前にある。住所は、서초구 서초3동 1450-6。

昨日行ったときは、妻が얼큰한 뚝배기 순두부を取り、私は콩비지、下の子は손두부(=手製豆腐)を取って食べた。

おかずは3品出た。白菜キムチとワカメの酢の物と大豆もやしの和え物だ。数は少ないが、どれも味付けがいける。白菜キムチは若干浅漬けめで、爽やかな味が引き立っていた。ワカメの酢の物は、擂り下ろしたえごまで、香り付けと同時に味に丸みを加えていた。大豆もやしの和え物は、ごま油で香りを付けていて、塩加減もちょうどいい。双葉になりかけた大豆に歯ごたえがある。

콩비지は煮干しの出汁で味付けしてあるが、두부촌の콩비지のように大豆をすりおろした濃厚なものではなく、おからのようで(辞書で“비지”は“おから”のことだ)、ちょっと期待外れだった。しかし、中に混じっていた細切りの昆布は、あとでその歯ごたえが心地よいことを思い出した。

뚝배기 순두부は、妻のを少しへずらせてもらうと、豆腐も大豆の香りが生きていて旨味もあり、今まで食べた순두부の中でいちばんおいしかった。

손두부は、ただの豆腐に薬味を載せたものだが、この豆腐もまた大豆の香ばしさと旨味が生きていた。下の子は、料理を持って来た従業員に親指を突き立てて、最高においしいと言うジェスチャーをしていた。ここの豆腐を食べたら、スーパーで売っている豆腐が食べられなくなってしまいそうだ。さあ困った。

今日、教育放送で録音中に、백년옥の뚝배기 순두부のことを思い出し、ああ食べたいなあと思った。録音が終って家に帰るとき、通りがかりに백년옥の建物を見て、また昨日の뚝배기 순두부を思い出した。

家に帰って来てからしばらくして、妻が帰って来たのでそのことを話すと、じゃあ今日もそこへ行こうかということになった。それで、また昨日と同じ店へ家族みんなで出かけて行った。

今日は妻と私は同じ뚝배기 순두부を取り、上の子と下の子は옛날 칼국수を取った。上の子に、私の순두부を少しあげたら、とてもおいしいと言うので、またもう少しあげた。

上の子からも少しへずらせてもらうと、この店の칼국수の麺は、手打ちうどんだった。しかも、群馬の手打ちうどんと同じ太さと固さだ。私が関東人にもかかわらず蕎麦よりうどんが好きな理由に、ふと触れたような気がした。この칼국수は、スープも出汁がよく取ってある。

このお店、忙しいせいか、ちょっと愛想がない。しかし、そんなことはこのおいしさを考えれば、問題にもならない。

7月22日(火)「聖書勉強会」

at 2003 07/22 23:55 編集

今日は私が司会をする番で、今朝7時半に起きてからルカの福音書11章29〜36節を開き、質問を考えた。昨夜は12時を過ぎてから質問を考えようと思ったが、もう疲れていてできそうもなかったので、新改訳聖書と注解書2冊と『두란노성경』を机の上に置いて寝た。

起きてから、まだ目が醒めなくてぼんやりしていたが、聖書を開いて読み、それから『두란노성경』の黙想ガイドを読んだ。切々と何かを説いているが、理解できなかった。두란노で訳されている“Bible Knowledge commentary 21”という注解書を読んだ。これも堂々と何かを主張しているが、理解できない。黒崎幸吉という人が書いた文語聖書の注解書を見たら、この部分は「意味不明」とか「解釈上困難がある」と書いてあって、これを見てやっと理解できた。不思議なことだが、分かったように書かれているよりも、むしろ分からないと書かれた方が理解できることもあるのだ。

ここ数日天気が悪く、昨日から雨が降り続けているが、それでも参加者があった。本当にうれしいことだ。その人たちと一緒に、いつものように聖書を開いて読み始めた。意味不明とされた段落も、意味があることを前提に読んだ。すると、意味不明であったはずの所が、参加者たちの指摘によって、私たちにとって意味の分かる内容になった。そして、35節の「あなたのうちの光」という解釈困難な箇所も、納得できる内容となった。これは、帰納的聖書勉強から得られる醍醐味だ。

実は質問の中には、私が分からないので私の質問を載せた部分もあったが、参加者たちのおかげでそれらの疑問がそれなりに解決できた。そしてその箇所の意味の深さを改めて感じた。

解釈の質問の途中から、外では軍歌のような歌が鳴り響き続け、しばらくして適用の質問を始めたころからは、拡声器で何かをがなり立てていて、討論に集中できないほどだったが、私以外は誰も気にしていないようだった。私は内心、ひどい妨害だと思っていたが、聖書勉強は恙なく終了した。

最後の祈りが終ったあと、窓の外を見ると、성산로の向い側で、白装束(レインコートかな?)に身を包んだ人たちが5〜6人、ワゴン車の上に立っていた。연세대학교の동문회관に向って政治演説をぶっていたようだった。機動隊のバスがその右側で1台待機していた。それにしても、右も左も学校の通りで、あんな大声を張り上げていても、声が響いてしまって何を言っているのか分からず、ただうるさいだけだ。いや、聞き取れたとしたって、やっぱりうるさいだけだと言う点では変わりなかったろう。ああいう的外れな正義の使命は持ちたくないものだ。

ベトナムへアウトリーチに行っていた姉妹が、蓮の花のお茶をおみやげに持って来てくれて、みんなでそれを飲んだ。慣れない味なので初めはびっくりしたが、なかなか不思議ないい味だ。彼女は初めはこのお茶が飲めなかったが、帰るころにはやみつきになっていたそうだ。

そういえば、昨日203号室の事務室に行ったら、香を焚いていて、てっきり葬式でもやっているのかと思った。タイのお土産にもらったので焚いてみたと言っていたが、キリスト教の学校で仏教の香を焚くとは妙なものだ。しかもその香りは安っぽく、日本の仏壇で焚く線香の匂いとそっくりだった。むしろ蚊取り線香の方がずっといいと思った。たぶん、誰かがアウトリーチでタイに行って来たお土産だったのかも知れない。

来週の火曜日(7月29日)は言語教育院が夏休みで、同労者の伝道師さんも私も用事があって、この聖書勉強会は2年2か月ぶりに1回休むことになった。再来週(8月5日)からは、また平常通り行う。

7月23日(水)「「できる人」はどこがちがうのか」

at 2003 07/24 00:23 編集

斎藤孝の『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書、2001年)という本を読んだ。この本は、“上達論”という立場から論じている。タイトルは軽いが、考えさせられる本だった。

この本は6つの章に分かれている。それぞれの章で論じている内容は、第1章の「子どもに伝える<三つの力>」では、技を盗む力について、第2章の「スポーツが能をきたえる」では、“型”を身に付け応用するスポーツのパターンは頭をよくすること、第3章の「“あこがれ”にあこがれる」では、スタイルを見につけることの重要性について、第4章の「『徒然草』は上達論の基本書である」では、何を読むときも上達論のテキストとして読めること、第5章の「身体感覚を<技化>する」では、脳の活性化について、第6章の「村上春樹のスタイルづくり」では、自分のスタイルを身につける秘訣について。

上達論は、そのまま“外国語の上達”の問題を考えさせてくれる。この本は、著者自身も言うように、過剰なほどにさまざまな領域からエピソードを拾っている(p.218)。これはありがたいことで、そのために上達の原理を読者は、一般的な法則として、認識することができる。

特におもしろいのは、「優れた何かを上達論のテキストとして捉えることは、いわゆる上達論の書物を読む以上の効果が期待される」(p.137)というアイデアだ。そういえば、自分は何を読むときにも、外国語上達の方法に関連のある部分を探していて、聖書からもそれを得ようとしている。これからは外国語に限らず、すべての点において、上達という観点からものを見ていくことは有益だろう。

そういえば、聖書を身につけ自分のものにしている人には優秀な人が多い。本書に引用されている『徒然草』の「己れが境界にあらざるものをば、争ふべからず、是非すべからず」とか「万の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり」とか「改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり」などの引用(p.137-8)を読みながら、聖書のいろいろな言葉が頭の中に浮かんでは消え、それらの意味が、深いというよりは、荘厳な上達の知恵をもたらしていることを、ちらりちらりと感じていた。「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて」(コヘレトの言葉12:13)というのは、上達論の極致だ。

私たちクリスチャンは、聖書をややもすると、自分の教派の教理が表れている部分だけを強調して読んでいく読み方に陥りやすいが、虚心坦懐に読めば、聖書は思いがけないところで多くの恵みを私たちに提供してくれる。聖書を上達論のテキストとして読むとういのは、敬虔な態度に見えないかもしれないが、御言葉のもたらす祝福には、上達という祝福もまた大きなウェイトを占めている。それを無視するのも、かえって敬虔ではないと言えるかも知れない。

『「できる人」はどこがちがうのか』で特に印象深く読んだのは、「瞬間多読術」というトレーニングだ。これは無意識に実践している人も多いのではないかと思うが、私は試してみたこともなかった。 これはまず、十人程度のメンバーが円形になり、中央に積み上げられた新書系の本の中からそれぞれ自分が関心があるもの(ただし読んだことのないもの)を選び取る。そして、三分間でその本に目を通し、各人がその本の要約を言う、というものだ(p.46)。

これはかなりきついトレーニングだが、やってやれないことはない技術だそうで、実際に、三分間の間に本の主旨を的確につかまえることのできる学生も出てくるとのことだ。瞬間多読術のコツはいくつかあるが、たとえば、キーワードや問いの設定も重要なコツだという。そのためには、自分の関心事やテーマ、あるいはキーワードをはっきりと持つことだという。それが磁石となり、他の様々な言葉がそれにくっついてくるようになる(p.47)。

7月23日(水)「韓日新人招請音楽会」

at 2003 07/24 00:36 編集

단국대학교の송귀영先生に呼ばれて、コンサートを聞きに夫婦で예술의전당(訳して“芸術の殿堂”)へ行って来た。ソン先生の同僚の조연방教授が、有名な조트리오(私は名前も知らなかった^^;)のメンバーの一人で、その先生が準備して開催されたコンサートとのことだった。

コンサートには、古賀氏と강영아さん、하영순さん、村上先生が招かれていた。私たちは子どもたちを놀이방(=託児所)に預けた。예술의전당の託児所は、未就学の子どもを預かってくれ、その際コンサートのチケットを提示することが求められる。本当は上の子は小学生だからダメなのだが、今日は他に預かる子どももいなかったこともあって、今日だけ特別に預かってもらった。

演奏会場は、コンサートホールにあるリサイタルホールというこぢんまりとした木造の部屋で、室内楽の演奏会にはもってこいの、家族的な雰囲気のするところだった。両脇に2階席と3階席があって、室内のデザインが美的快感をくすぐる。3年前にセジョン文化会館で同じくらいの広さの演奏会場に行ったことがあるが、そこはお世辞にもほめられた設計ではなかった。韓国が芸術の殿堂に注いだ力の大きさを感じる。

演奏者は、日本からはピアノのナカムラ・マリとヴァイオリンのナカムラ・マユミ、韓国からはチェロの최정은とピアノの최선희が出演した。曲目は、残念ながらパンフレットを帰りに紛失して再現できないが、全部で5曲演奏した。

最初の曲は、ナカムラ・マリがグラナドスのピアノ曲(曲名は覚えられなかった)を演奏した。激しい曲で、しかもその激しさを安定したタッチで演奏していた。演奏者の個性と曲想がぴったりと一致して、息の通った演奏だった。感動した。

2曲めはシューマンのチェロ曲(曲名は覚えられなかった)で、최정은のチェロと최선희のピアノ伴奏で演奏された。최저은は、ゆったりとしたタッチの演奏だった。演奏の前に目を閉じて祈っていたので、妻が彼女はクリスチャンだと言っていた。

3曲めはバッハの無伴奏ソナタパルティータで、ナカムラ・ミユキの演奏だった。こういう耳慣れた曲を演奏するのは難しいことだと思った。多くの名手たちが演奏しているために、どうしても比較されてしまうからだ。この人の演奏の癖は、節をつける部分を強くし過ぎることだ。喘いでいるように聞こえてしまう。バッハがこの演奏を聞いたらどういう顔をするかとヒヤヒヤしながら聞いた。この人のレパートリーではないのだろう。

4曲めはショパンのスケルツォで、최선희の演奏だった。私はこの曲は「葬送」の第1楽章だと思っていたのだが、そうではないようだ。최선희の演奏はのんびりとしてふっくらとしたタッチなので、この曲の疾風が吹き抜けるような肌寒さが感じられなかった。いや、そういうものを期待するから、あれ?と思ってしまうのだろう。何も知らなかったら、こんなものだと思ったかも知れない。

5曲めはアレンスキーという作曲家の作ったピアノ三重奏のソナタで、ナカムラ・マリのピアノ、ナカムラ・ミユキのヴァイオリン、최정은のチェロの演奏だった。この曲は、躍動感あふれる曲だったが、それがナカムラ・マリのピアノにまさにぴったりで、ナカムラ・ミユキのヴァイオリンも、この曲では引き立っていた。ナカムラ・ミユキの演奏の癖は、ダイナミックな曲にマッチしているようだ。최정은のチェロは、この曲でも堂々とした味わいを出していた。

プログラムがすべて終ったあと、アンコールにブラームスのハンガリー舞曲第5番を演奏した。これもまた3人の特徴によく合っていて、聴衆をかなり楽しませたようだ。

その演奏が終ってから、やおら最前席に座っていた老紳士が舞台にあがった。この紳士はミズシマという人で、日本の音楽関係の責任者のようだ(下の名前と肩書きは失念した)。日本人がいきなり韓国語で挨拶を始めたので、聴衆はびっくりして拍手喝采をした。そのあとから日本語で挨拶をしたが、この韓日新人招請音楽会がチョー・トリオの父親(名前は失念した)の働きによって始まったことを明らかにし、その方が病床に伏せているためにこの場に出られなかったことを話した。昭和初期風の標準語で話す人だった。

そのあとまたアンコールが2曲続いた。1曲めが주만 바라볼찌라(主をのみ仰げ)という最近出てよく歌われるようになった賛美で、2曲めは청산에서 살리라(青山に住まわん)という曲だった。新しい賛美がいきなり演奏されるので、初めは面喰らうほど驚いた。メロディーにのって歌詞が心の中に響くので、教会でピアノトリオの賛美を聞いているような心地よい錯覚を覚えた。最後に演奏された청산에서 살리라は、美しく編曲されていた。

コンサートが終ったあと、송귀영先生が私たちを조연방教授に会わせてくださった。日本語ができるとは思っていなかったのに、日本語で私たちに挨拶するので、言葉が出なくて挨拶できなかった。日本語教師でもそういうことがあるのだ。

それから、조연방教授が私たちを今度は先ほどの老紳士に引き合わせてくださった。私たちが、その思いがけない韓国語での挨拶に感動したことを言うと、謙遜しておられた。私が、韓国語の挨拶は“ひらがな”(カタカナと言おうとして口が滑った)で準備されたんですかと尋ねると、ハングルで書きましたと言いながら、見せてくださった。いちばん上にハングルで書き、真中にそれを音写したカタカナがあり、その下には日本語の逐語訳が書かれてあった。矍鑠として背筋はピンとしてこそいるものの、もう80歳くらいになる白髪の老人が、ハングルを覚えて、それを読みながら挨拶をしたということに、もう一度感動した。

それにしても、私はこの人の、本当に「標準語」と呼ばれていた昭和初期の標準語が気に入った。変なことだが、私はこれまでいわゆる標準語を心から美しいと思ったことはなかった。しかし、この人の言葉は、内容とは関係なしに、古き時代への郷愁を引き起こす、美しい標準語だった。短い対話の中で、アクセントは私たちが現在使っている標準アクセントと違いはなかったが、節回しが違うのだ。その節回しに気品がある。

レセプションで出されていた김밥(のり巻)を、下の子が食べ足りなかったのか、「キンパーッ!」と大声で泣き叫んでいた。なだめたりすかしたりしたが、김밥타령をやめない。無視して引っ張っていこうと思ったら、カウンターの所にいた中年の女性が、一つだけ残っていた김밥をくださった。下の子はそれを食べると、非常に満足そうな表情をした。

今日の音楽会で、ナカムラ・マリというピアニストが、個性の光る演奏で印象的だった。私はその最初の曲の印象を反芻していたが、妻は주만 바라볼찌라が演奏されたことを最高に喜んで、それに大きな意味を見いだしていた。私は、韓国には私たちのようにクリスチャンが多いから、サービスとして演奏してくれたんだろうと思っていたが、妻はそうは思わず、その演奏のことを何度も繰り返し話していた。そして、家に帰ってから、소마트리오のCDで주만 바라볼찌라を聞いていた。

7月25日(金)「原音主義・原語主義」

at 2003 07/26 21:08 編集

韓国で暮らしながら、どうしても馴染めない、というか受け入れられない考えがある。それは、外来語などに対するいわゆる“原音主義”と、“原語主義”とでも言うべき考えだ。

原音主義というのは、外国の地名や人名などを言うときに、自分の国の発音に変えずに、原語の音でなるべく正確に発音しようとし、他人にもそれを押し付けようとする考えだ。それが無謀なことは、世界のいろいろな言語にふれれば徐々にでも理解できると思うが、外国語としては英語しか知らない韓国の知識人には、英語がすべての“原語”となる。英語は韓国では世界の標準語となっているのだ。

韓国の人は、よく日本人が外国語の発音をしたとき、おせっかいにも直そうとする。それで私も、韓国の人たちが外国語の発音をしたとき、おせっかいにも直してあげてみることがあるが、たいていは不服そうだ。なぜなら、それは思いもよらない音なので、韓国人には把握できないへんてこりんな音になってしまうからだ。そう。原音というのは、それを母語としない人にとっては、へんてこりんな音なのだ。原音を守るというのは、誠実なのでも何でもなく、ただ頭のおかしな人の態度だ。

だから韓国の知識人は、原音主義を標榜しながらも、韓国語の音の体系に合わせながらそれらしく聞こえるように、巧妙に発音を変えている。もちろんそれは、原音主義を実行していることにならない。外国語っぽく聞こえるようにしているだけだ。今日もラジオを聞いていたら、アナウンサーが「オペラ」を“フェラ”と何度も言っていた。たしかに外国語っぽくは聞こえるが、その奇怪な発音に、思わずクスッと笑ってしまった。これがイタリア語なら、“オペラ”と発音されて、“ペ”は된소리になり、“ラ”は舌先をブルルっと震わせるはずだ。また、アメリカ英語なら、“アプラ”みたいになるだろうし、イギリス英語なら“オプラ”のように発音するのが正確なのではないだろうか。

原語主義については、今日ある人の話を聞きながら、それが意外と根強いことに気付いた。それは、日本ではコーンフレークといっているシリアル食品のことだが、その人は日本語で話ながら、“シリアル”の部分を“cereal”と英語のままの発音で言ったので、最後の“l”が聞こえず、私は国名の“シリア”かと思った。それがシリアル食品だと分かって、ああ、コーンフレークですねと言うと、コーンフレークという名前は商品名だから間違っているという。しかし日本では普通コーンフレークと言うのだと返すと、だからそれが間違ってるんだと言う。固有名詞の一般名詞化はどの言語でもごく自然に行われてきたことだから、それを間違っているというのは、かなり乱暴な発言だ。

その人の考えでは、携帯用録音再生機をウォークマンといったり、電子オルガンをエレクトーンと言ったりするのは、みんな間違っていると言う。私だったら、恥ずかしいのと恐いのとで、そんなことは大っぴらには言えないが、韓国ではこのような考えは一種の正義感を伴って語られるのだろう。その人は、“ラジカセ”という単語も間違っていると言っていたが、その理由は聞かなかったので分からない。

ちなみに、コーンフレークというのは固有名詞ではないようだ。“Random House Webster's College Dictionary”を見ると、cornflakes(または corn flakes)には、商標だという説明はなかった。“small toasted flakes made from corn and eaten usu. with milk as a breakfast cereal. [1905-10 Amer.]”という説明がすべてだ。そしてこの cornflakes が日本ではシリアル食品の代表であることを考えれば、“cereal”をコーンフレークと言うのは、ごく自然ななりゆきだ。それをいきなり頭から「それは間違ってるよ」と断定されたら、私も日本語の弁護をしなければならない。日本語を弁護することも日本語教師の仕事だから。

実は私は個人的にはかなり強烈に原音主義と原語主義に心が向いている。しかし、実際には原音主義や原語主義には反対している。それは不可能だし、実現できても極めて不自然な態度だからだ。自分では原音主義や原語主義を徹底していないのに、他人の発音や言葉遣いを間違っていると指摘すれば、“自分の秤ではかられ”たって当然だろう。やるなら徹底すべきで、自分の好みで基準を設けるのは問題だ。

7月26日(土)「宗教中毒」

at 2003 07/27 22:03 編集

熱心に信じていたと思った人が、あるとき会ってみると、信仰を捨てていた。そういうことはたまにある(いや、けっこうたくさんあるのかも知れない)。人の心は当てにならないとは言うものの、よくぞ信仰を捨てるだけの大転換ができたものだと驚かざるを得ないが、考えてみれば、そういう人は、その熱心さのあり方自体に問題があったのかも知れない。

韓国には『빛과 소금』というキリスト教の時事雑誌(隔週刊)があって、この雑誌を私は講読しているが、今回(2003.8.1号)の特集は、クリスチャンたちを蝕む様々な中毒に関する内容だった。ゲーム、ポルノ、タバコ、酒、購買など、よく知られた中毒の他に、「宗教中毒」というものが紹介されていた。その内容はこうだ。

「宗教中毒は、神にピントが合っておらず、感情的な経験や儀式、プログラムなどが神に取って替わるとき生じる。イエス・キリストでなく、聖書、十字架、礼拝場所、什一献金など、皮相的なものに強く依存する。また、教会の奉仕や神秘主義、感情主義などに、度を越して非合理な心酔状態を呈する。特徴として、「感情にかなり偏りのある性格」、「幻想主義を伴う」、「素直で盲従する」、「他人に対する批判的態度」、「外部から来るものへの閉鎖的態度」、「平安より緊張」などが現れる(p.18)」

聖書に依存するというのはどういうことか気になるが、ここに列挙されたものは、信仰の対象とはなりえないものだ。聖書に関しても、聖書に「文字は殺す」と書いてあるから、書かれた文書としての聖書にこだわると、それが中毒になるのだろう。私の教会は魅力的なプログラムが多いから、プログラム中毒になっている人もけっこういるかもしれない。こうやってみてみると、中毒というのは、倒錯した執着が引き起こすともいえそうだ。

教会の教職者は、信徒が何らかの奉仕活動に熱中していると、美しい態度と思ってしまいやすい。しかし、本当は奉仕活動に囚われてしまっている場合があるのだ。それを見分けて相談に乗ってあげる必要がある。そうしないと、その人は後に信仰を放棄してしまうかも知れないからだ。

私の周りにも、とても熱心なクリスチャンなのだけれども、しょっちゅう何かに腹を立てている人がいる。熱心なので、私に信仰のあり方について話してくれることもあるのだが、私の意見や感想は聞いてくれない。たぶんこの人は、自分の信仰の強さに自信がないのだと思う。その人の熱心さは、何かからの逃避に違いない。この人も宗教中毒か。

一見気丈そうに見えるその人の態度に、どうしようもない脆さがちらついている。そういう人と接するのは、私にとっては神のくださった人格鍛練の機会だ。なあに、逃避なら私だってする。だいいち、その人の姿は私の心の投影かも知れないではないか。

7月27日(日)「礼拝」

at 2003 07/28 00:18 編集

日曜日には教会へ行こう。ということで、今日も日本語礼拝に出席して礼拝をささげた。今日の説教箇所は、詩篇122篇1-9節で、北野伝道師先生が「人生の霊的旅路」というタイトルで説教をした。いつも説教をしているサミュエル・キム先生は、イラクへ短期宣教に行っている。

北野先生の説教は、お笑い漫談のようで、深刻な内容を話す部分で言い間違えたのが、かえって笑いと涙を誘った。いや、それだけではなく、説教のメッセージもしっかりとしていた。特に心に残るのは、主の家に行って礼拝することは喜びであること、旅は帰るところがあることなどだった。私たちのたましいも、この人生の旅路が終った後に帰るところがある。これは、自分で勝手に思い込んでいるのではなく、聖書の記述に裏付けられているものだ。

礼拝が終った直後にいろいろな人と挨拶をしながら、ふと見ると、言語教育院の100レベルで日本語を勉強している男性がいた。向こうも私を見て驚いて近付いて、挨拶した。この人は私のクラスで学んだことはないが、インタビュー試験のときに会ったことがある。日本語の説教は全然聞き取れなかったと言っていた。

それからB&Fが始まったとき、横浜オンヌリ教会へアウトリーチに行ってきた兄弟が、そのとき伝道用に配った残りの、携帯電話につける小さなボールペンをくれた。そこには教会の名前が印刷されていたが、見ると「横浜オソヌリキリスト教会」と書かれていた。私が「オソヌリ教会になっちゃってますよ」と言うと、これは韓国で印刷したのだが、日本へ行って気が付き、みんなで大笑いしたと言う。

ところで、“オンヌリ”という名前は日本人には意味不明だから、わけの分からない神秘的な名前に感じられてしまうかも知れない。“オンヌリ”というのは“オン”と“ヌリ”に分けられて、“オン”は“すべて”の意味で、“ヌリ”は“世の中”というような意味の古語だ。それでこの名前は、うちの教会以外には、旅行代理店の名前などによく使われている。日本人の中で、オンヌリという名前を耳で聞いてうろ覚えの人は、「お祈り教会」と言っていることもある。

で、この「オンヌリ」という名前を印刷した韓国のデザイナーは、「ン」が「ソ」とよく似ているために、何を間違えたか、「オソヌリ」と入力してしまった。これからしばらくは、横浜オンヌリ教会にかかってくる電話の中で、「オソヌリ教会はこちらですか」と問い合わせる人が時々いるかもしれない。

こういう間違いは韓国ではよくある。今はもう直ってしまったが、以前は제주도 통갈비(済州島特産の豚カルビ焼き)を「済州ハソカバビ」とカタカナで書いた看板をかかげた店がシンチョンにあった。「トンカルビ」を「ハソカバビ」とはすさまじい。でも、この5文字のうち間違った3文字は、よく見ると形が似ていなくもない。取り替えられたあとの看板は「トンカルビ」と直されていて、あの面白みはなくなってしまった。

今日のB&Fでは、詩篇121篇1-8節を読みながら、神はまどろみもせず眠りもせずに私たちを守ってくださるということを、みんなで分かち合った。それにしても、私がうらやましいと思うのは、親がクリスチャンで子供の時から信仰を持ち続けて今に至っている人たちだ。彼らには安定した感情が表れていて、そしてその安定した感情は、多くは安定した優秀さとなって表れている。彼らのようになるには親を選ばなければならないわけだが、それでも今からでも彼らのように安定した性格を持ちたいものだといつも思う。神は幼いころから信仰を持ち続けてきた人を、まどろみもせず眠りもしないで守り続けておられる。

7月28日(月)「キョンジュ旅行」

at 2003 07/31 20:20 編集

家族で경주までドライブに行った。隣の家に亀を預かってもらい、荷物を持って車に乗り込み、9時35分に出発した。隣の助手席には上の子を座らせ、昨夜ノートに書き込んでおいた通過地点での走行距離と通過時間を記録させた。それと同時に、ナビゲーターの働きもさせてみた。

강변북로から한남대교を渡って、신사のインターチェンジから경부고속도로に入った。初めは少し混雑していたが、間もなく流れはよくなった。高速道路のインターチェンジや分岐点(最近は日本語で“ジャンクション”というとか。私が知っている“ジャンクション”は「接続詞」の意味なのだが)は、私の古い地図と若干異なっていた。私が見えてきたインターチェンジの名前を言うと、そんなインターチェンジの名前はノートに書いてないと言われることが何度もあった。やっぱり新しい地図が必要だ。

天気は曇っていて、快適だった。しかし、私の体調が優れないので、途中4回休んだ。경주인터체인지には、午後3時31分に到着した。間に休んだ時間は合わせて1時間ほどだから、高速道路を5時間ほど走っていた計算になる。インターチェンジからホテルまでは、市内の南側の緑が美しい田園地帯を通って行く。途中黒い瓦の集落が所々に見えた。その光景は、ソウルやその近辺の町並みを見なれている人には、別の国に来たような不思議な光景に見える。インターチェンジからホテルまでは、表示板も完備されていて道路も整備されており、20分ほどで着いてしまった。

보문(普門)湖に面したホテル街を車で通過しながら、自転車で走っている人をたくさん見かけた。自転車の貸し出しをやっている場所も見かけた。私はとても疲れていたのに、自転車を見たら、どうしたわけか血が騒いで、自転車に乗りたくてたまらなくなった。

ホテルに着いてしばらく休んでから、5時半頃、サイクリングをしに上の子と一緒にホテルを出た。ホテルを出るとき、フロントの人に、自転車の貸し出しはどこでやっていますかと聞くと、ホテルを出て右に行くとあって、うちのホテルから来たと言えば割り引きしてくれますよと教えてもらった。

で、自転車貸与店のおばさんに一人いくらかと聞くと、3千ウォンだと言われたが、裏のホテルから来たと言うと、2千ウォンに負けてくれた。初めは方向を間違えて、観光休憩店の方へ行ってしまった。喉が渇いたので、ファミリーマートでコーラを買って飲んだが、食堂の看板を上の子が見ながら、「お? 산채비빔밥?生きたまま食べるの?」と言うので、思わず大笑いしてしまった。산채とは“山菜”の意味で、山菜のビビンバという意味なのだが、息子は산채を“生きたまま”だと思ったのだ。

そのあと、ぐるぐる回っていたら湖畔の道が見つかって、湖のほとりに出た。湖を渡る生臭いが涼しい風を受けながら、気持よく自転車を走らせた。ブロックで鋪装した道だが、サイクリングをしたり散歩をしたりする人がたくさんいた。보문호の北岸は、ホテルの立ち並ぶ観光団地で、すべてが遊ぶための空間なので、不思議な感じがした。全部が公園の中のようなのだ。千と千尋の神隠しの世界とダブって見えた。

보문호の堤防のところまで来たあと、行けるところまで行くと、大通りに出た。そこから今度は右にまがって大通り沿いに行くと、순두부屋の大きな看板があって、そこから湖の方へ戻った。その순두부屋は改築中で、広い芝生の中に、白木がむき出しになっていて、たき火のけむい匂いと木材の匂いがまざって漂っていた。そこから左に曲がると、「大湖」という漢字の店名を緑のネオンで縁取った、경주風の瓦屋根の大きな店があった。くの字形になっていて、中央は芝生が青々と敷き詰められていた。そのアンバランスな雰囲気に、またもや千と千尋を思い出した。そこの店主は本当は化け物なのではないだろうかなどと、失礼な想像もしてみた。

湖沿いのサイクリング道路に戻って走っていると、ベンチに女子高生くらいの女の子が腰掛けて、携帯電話で誰かに「환상의 호수야(=とってもすてきな湖よ)」と言っていた。遠くに噴水が水を高く吹き上げていた。

ホテルに近付いたころ、妻と下の子が一緒にこちらへやってくるのが見えた。妻は自転車に乗らないで、下の子は補助輪の付いた自転車によろよろと乗っていた。いくらだった?と聞くと、3千ウォンだと言う。ホテルの客だと言えば安くしてもらえるよと言うと、あとで返すとき言ってみると言った。

6時半過ぎに部屋に着いてからしばらくすると、妻たちが戻ってきた。自転車代は自転車を返すときに千ウォン返してもらったと言っていた。

それから少し休んだ後、妻がテジカルビ(=豚肉のカルビ焼き)が食べたいと言うので、ホテルを出た。べルマンに、この近所に돼지갈비のおいしい店はありませんかと聞くと、困った顔をして、この変は牛カルビの専門店ですからねえと言っていた。

とりあえず出て、どんな店があるのか睨みながら車を走らせた。水車のある場所に食堂街があったので、車を下りて見回しながら歩いてみると、あちこちの店から愛想よさそうに出てきて何がおいしいですよと頻りに呼んでいる。しかし、少し高台になったところに「초가집(=藁葺き屋根の家)」という店があったので、そこへ行くと、妻はとても嫌がった。この店は店員がとても無愛想だし、他の客たちは막걸리を飲んでいるので、その雰囲気が気に入らないらしい。注文もする前に席を立った。

それから他の店も少しだけ見てみたが、妻はここはダメだと結論付けた。それで私たちは市内に出ようということになり、경주市内へ向った。북천の北側に沿った알천북로をずっと行くと、초당길のあるあたりに、「계정」という看板が見えた。돼지갈비4000ウォンと出ている。妻はあそこを見てみようと言った。この辺りは住宅街なので、近くの住民が食べに来る店に違いない。

そこで、돼지갈비4人分と공기밥(御飯)3人分を取った。この店は観光地の店ではないが、断然お勧めで、상추が新鮮で目がさめるほどおいしい。他に出されたおかずも、味付けがきちんとしている。妻は味にはうるさいが、この店の人に、ここはおいしいとほめていた。

ただ、店を出るときに、돼지갈비1人前4千ウォンで공기밥1人前2千ウォンだったのが、돼지갈비は5千ウォンで공기밥は千ウォンだという。結果的には千ウォンしか違わないのだが、妻はこの店には外に出ている値段を見て入ってきたし、私たちの見たメニューもその値段だったと言った。で、結局千ウォンの違いだったので、私たちの初めに見た値段で一件落着した。この店は「계정(渓亭)가든」という名前で、電話番号は (0561)749-9400,773-3400 だ。경주市동천동945番地にある。돼지갈비はお勧めだが、メニューの値段はちょっといい加減だ。観光地の店ではないのだから、あれでやっていけるのだろうか。

帰りにホテルの近くのLG25で飲み物を買った。ふと見ると、日本語で「カらオケ」と書いてあった。

7月29日(火)「불국사見学」

at 2003 07/31 20:27 編集

朝起きてから、8時半にビュッフェに行き、そこで9時半まで食事をした。それから私は疲れがどっと出て、妻と子供たちが湖へアヒルのボートに乗りに行っている間、部屋で寝ていた。うとうとと眠ったり覚めたりして、なかなか熟睡できなかった。

みんなが帰ってきてからもぼんやりしていたので、妻は私に、今日はどこにも行かないでのんびりしていようと言ったが、それではせっかく경주まで来たかいがない。しばらくして元気が出てきたので、午後1時半に家を出て、불국사(=仏国寺)へ向った。道は広く、鋪装も行き届いていた上に、空は曇って雨が降りそうで降らないような天気だったので、とても気持がよかった。

1時42分にはプルグクサの駐車場に到着した。駐車料は2千ウォンだった。駐車料を受け取るおじさんが、「사는 하셨습니까?(食事はなさいましたか)」と言うので、「예(はい)」と答えた。すると上の子が「아뇨, 아직 안 먹었어요.(いいえ、まだ食べてません)」と答えたので、急いで窓を閉めて、駐車場の中に入った。

妻が「もし食べてないなんて答えたら、高くてまずい店に連れていかれちゃうじゃない」と言うと、息子は「でもまだお昼を食べてないのに食べたなんて言うのは嘘をついたことじゃない」という。たしかに正論だ。それに関して叱るわけにはいかない。しかし私は、こんなときに嘘を吐かずに優雅に断われる知恵を持ち合わせていない。

車を出ると、空気はじと〜っとしていた。ものすごい湿度だ。さっきまで雨が降っていたのだろうなと思った。メピョソ(=入場券売り場)で妻が入場券を買っている間、その建物の横の売店の方を見ていたが、そこにかいてある「仏教美術展示館」という字が、韓国ではほとんど見ることのできない、癖の全くない完璧な楷書なのに驚いた。その字にしばらく見とれていた。

入口を入ると、谷川のせせらぎの音が聞こえる。参堂の左側には竹林が続いている。ソウルではほとんど見ない竹林だ。竹林はホテルの近くにもあったが、それは日本でよく見られる孟宗竹の竹やぶではなく太さがせいぜい2センチくらいの細い竹がびっしり生えていて、一種の垣根のような働きをしている。

私たちが入ったのは、불이문という裏門だった。この門からずっと行くと、韓国の代表的な横顔とも言える자하문(紫霞門)に出る。なぜ横顔かというと、この門は左手前から眺めることでその荘厳な美しさが遺憾なく発揮されるからだ。そしてこの자하문の写真は、多くの観光ガイドなどで、韓国の代表として載っている。この자하문は石段の上にあるが、現在この石段は入れなくなっており、右脇の参堂から대웅전(大雄殿)に上るようになっている。대웅전の境内では、たくさんの人たちが、다보탑(多宝塔)や석가탑(釈迦塔)、대웅전を背景に写真を撮っていた。대웅전の中は撮影禁止になっていて、仏を供養する人や祈る人だけが受付をして入れるようになっている。でも、そんなのは無視して内部を撮影している外国人もいた。

三好達治が「冬の日──慶州仏国寺畔にて」という詩を書いているが、当時彼はどの地点をどのように歩いたのだろうかと気になった。もし彼が当時、今日のようなじめじめした暑い日に、まだ現在のように復元されていない불국사を訪れたら、詩は書けなかったかもしれない。

そんなことを思いながら、裏の方を回ってみた。紫陽花が薄紫色に咲いているところがあって、それがとてもきれいだった。「紫陽花が수국(すごく)きれい」だとか意味の分からない駄洒落を言って妻を呆れさせながら、写真を撮った。日本では紫陽花は6月の花だが、韓国では日本と季節感覚がずれていることが多いので、この紫陽花も不思議なものではないだろう。

불국사にも他の観光名所と同じく日本語での説明があったが、ここの日本語は立派なものだった。他の所では、どこかしら間違っていてその品位を落としていたが、불국사の案内板の日本語は、間違いもなく、読みやすかった。불국사は、漢字もハングルも美しいし、日本語もしっかりしていた。このお寺の住職さんがしっかりした人なのだろう。

불국사を出てから、食事に行こうということになったが、JTB のガイドブックにあった청산식당(青山食堂)という食堂に入った。私はそこで山菜定食(8千ウォン)を取り、妻と子供たちは갈비탕(6千ウォン)を取った。

청산식당のメニューには日本語が併記されていたが、変な日本語が多く、意味の通じないものもあった。変な日本語は「山菜ビ-ビムベブ(山菜ビビンバ)」「いか膾身(いか刺身)」、意味の通じない日本語は「カハビ湯(牛カルビのスープ=갈비탕)」「とんくりせり(どんぐりの묵)」「いか膾身合せ(いか炒め)」。“묵”というのは植物の実などの澱粉で作ったゼリーのような食品で、「とんくりせり」の「せり」とは“ゼリー”のことを言おうとしたらしい。

山菜定食はまあまあおいしかった。8千ウォンというのはソウルとくらべるとちょっと高いなあと思ったが、まあ満足できる味だった。ところがカルビタンの方はそうはいかなかったらしく、子供も残したし、妻も非常に不満そうな顔をしていた。そして値段を払う段になって、店の人がカルビタンは6千ウォンと言うと、5千ウォンではないのかと叫んだ。店の人が、メニューに間違いはないと言ったが妻は信じない。私が注文した時点でメモした値段を見て、店の値段が間違いないことを渋々認めたが、カルビタンがとてもまずかったことが非常に不満だったらしく、店の人にさんざん文句を言っていた。

店を出てから석굴암(石窟庵)へ向うとき、妻は청산식당のことで激怒し続けてていた。そして、観光地で食事なんかするもんじゃないとさんざん言っていた。たしかにそうかも知れない。私は JTB で作ったガイドブックなので信頼していたが、お金をもらって載せているのだろうから、考えてみれば信用できるはずもない。とくに、高いメニューでなくて、安いメニューをどれだけ心を込めて作っているかが食事をする人にとっては問題となるが、その点で行くと、私が교보문고の日本書籍で買ったガイドブックは何の役にも立たない。

석굴암の入口は標高5百メートルほどの山の中にあって、四方は濃い霧に覆われていた。불국사はじめじめしていたが、こちらはひんやりしている。妻はさっきの갈비탕ショックで元気がなく、車の中で待っていると言った。それで、私が子供たちを連れて一緒に석굴암を見に行った。석굴암は入口からずいぶん歩いた所にあった。洞窟の中に美しい石仏があるが、その入口には祠が建てられていて、私たちと仏像との間はガラスで隔てられていた。撮影禁止と書いてある。尼さんが管理兼監視をしていた。写真も撮れないとは残念だが、仏教の施設は日本でも撮影禁止になっているところが多い。まあ、私の持ち物ではないのだから、文句も言えまい。

석굴암を出ると、小雨がぱらつき始めたので、急いで駐車場へ戻った。途中、妻に携帯電話で今戻ると言おうと思ったが、電波が通じなかった。

駐車場に戻ってから、市内へ向った。銀行へお金を引き下ろしに行かなければならないからだ。車で走る경주郊外の道は、本当に美しかった。途中、日本語で「ナザレ園」と書いた看板を見た。この辺に有名なナザレ園があるのだろう。

市内に出てから경주駅前の화랑로にある銀行でお金を下ろした。妻がお金を下ろしている間、私と上の子は車の中で待っていた。それから중앙로をゆっくりと南へ下ってみたら、ここは商店街だった。川越の新富町商店街ほどではないが、それでも感じのいい街だった。そこをずっと南下していくと、前方に巨大な緑色の芝生の山が見えた。고분공원 (古墳公園) だ。ちょうどよかったので、古墳公園を見に行った。

古墳公園南端にある駐車場は、駐車料金が2千ウォンだった。中には大小の古墳が密集していた。ここは新羅の王たちの墓があるのだ。日本の天皇陵は現在までもきちんと管理され続けているが、新羅の王陵は、新羅滅亡後廃虚となっていた。古墳が残っただけでも幸せと言えるかも知れない。今はただ丸い饅頭のような山になってしまっているが、昔は立派な形をしていたのだろう。忍ぶすべもない話だが。

そのあと중앙로の맥도날드で夕食を買った。途中駐車できる空間があったので車を停め、私は車に残っていると、駐車管理のおじいさんが来て時間を書いた札をワイパーに挟んで行った。見ると、30分5百ウォンと書いてある。安い。それをワイパーから取って窓の内側に置いておいたら、またそのおじいさんが来て、駐車札を取ろうとしている。私が手にとって見せると、困った顔をしていた。おじいさんに札を返すと、これはワイパーに挟んでおかなければならないと言われた。私が、誰かが持って行ったら困るからと言うと、これがないと、あとで値段を請求できないとか言っていた。どうしてだか分からないが、たぶんそうなのだろう。

夕方7時38分にホテルに戻ってから、みんなでマクドナルドのハンバーガーセットで夕食を済ませた。

夜、『日本語で一番大事なもの』(大野晋・丸谷才一、中公文庫)を読んでいたら、千載集の用例に「うるまの島」という言葉が出てきて、それは鬱陵島だということで、鬱陵島に当る非漢字語が日本語にあることを初めて知った。その部分の詞書は、

「うるまの島の人ここに放たれ来てここの人の物言ふを聞きも知らでなんあるといふ頃返事せぬ女に遣しける
              藤原公任
 おぼつかなうるまの島の人なれやわが言の葉を知らず顔なる」(p.132)

というもので、これをキョンジュの地で読むと、何とも不思議ないい雰囲気がする。

7月30日(水)「경주市探訪」

at 2003 07/31 20:53 編集

12時にホテルをチェックアウトした。今日はよく晴れていて、外は日射しが暑かった。しかし、木陰や建物の陰は涼しかった。

ホテルを出てから市内へ向った。そしてまず、カーセンターへ行って、エンジンオイルを交換した。店員は私には경상도の抑揚がある標準語で話したが、店の人どうしで話しているときは、私のほとんど聞き取れない言葉で話していた。女性客が店員に車を預けて買い物に行ってくると言っていたが、それは경상도の抑揚ある標準語だった。경주の人どうしで標準語で話すのかと思うと、不思議な感じがした。エンジンオイルはソウルと同じ2万ウォンだった。

それから경주빵(キョンジュ饅頭)をお土産に買いに行った。동부이촌동にある충신교회前の店でも경주빵は作って売っているが、別においしいとも思わなかったので、興味もなかった。妻が買いたいと言うので、昨日見つけた店の一つの前で車を停めた。この店は、古墳公園北端の東側にあって、店名はそっけなくも「경주빵」。電話番号は (052)772-1300。しばらくして妻が경주빵を20個買って車に戻ってきたが、それをひとつ食べてみて、おいしいのでびっくりした。妻の話によると、餡に黒砂糖を入れているという。学生たちも경주の名物として경주빵を挙げていたが、確かに本場の경주빵はお勧めだ。本当においしい。

それから첨성대(瞻星台)を見に行った。昨日行った古墳公園南端の駐車場に車を停め、そこから歩いていった。日射しが強くて暑い。古墳公園の南側は、半月城まで公園のようになっていて、馬車で巡れるようになっているのだが、子供たちが馬車に乗りたいと騒いでいた。しかし、馬車には乗らないで歩いた。첨성대は入場料が3百ウォンだった。これは7世紀頃作られた建造物で、天体観測所と言われているが、その正確な用途については謎に包まれている。しかし、その構造は科学的で、星にはさほど関心のなかった私たち東洋人としては、珍しい遺物だ。

첨성대は広い芝生の中に立っていた。そのめぐりには遠く森が取り囲み、その向こうには青く小高い山々が続いている。強い日射しの中で、첨성대の周辺を回りながら、案内を読んだり写真を撮ったりした。

첨성대を出て駐車場まで行く間、上の子が、せっかく경주に来たのだから記念品を買わなきゃだめじゃないと言って、所々にある小さな屋台で売っている風船を欲しがった。それを妻と私とでなだめるのに骨を折った。

첨성대を見たあと、경주국립박물관 (キョンジュ国立博物館) へ行った。残念ながら、8月の初め頃まで本館である考古学館は閉館とのことだった。それで、他の建物に入って見学した。안압지관 (アナプチ館) から미술관 (美術館) に行く途中、炎天下の中に昨日までの雨で水たまりが残っていて、そこに雨蛙がいた。それを子供たちが木の枝先で小突いていた。私の子供までそれに加わったので、可哀想になり、手に持ってまた水たまりに戻してやった。女の子がカエルを見て「불하다(=かわいそう)」と言っていた。

あるところでは、母親が子供にひとつひとつものの名前を教えていたが、とんぼを指さして「잠리」と言っていた。「잠」と「자」の間には長4度くらいのピッチの差があった。ソウルだったら全体的には平板に発音され、「자」は多少強めに声が出て、最後の「리」のあたりは若干音を下げるだろう。こうやって方言は親から子へと正確に伝わっていくんだなあと思った。

경주では、どこへ行っても標準語と경상도の発音とが半々で聞かれた。言語がそのように混ざっていても、そのまま何の違和感もなく共存しているところがおもしろい。また、경상도の発音で話していても、標準語の文法と語彙を用いていることもあれば、私にはよく聞き取れない現地の言葉で話していることもある。それらはどう言う関係があるのだろう。

別館では統一新羅展をやっていて、当時の都邑の模型を見ることができたが、家々は現在の경주と同じく黒い瓦で、それが延々と続いていて、いかにも都という感じがする。その模型では、現在は森や水田になっているところも優雅な黒瓦の邸宅が碁盤の目のように整然と並んでいた。都市自体が自然と調和した芸術品のような美しい街だ。こういうものは、実際にその土地で見てみないとピンと来ない部分が多い。

日射しがとても強いので、경주국립박물관を出るとき駐車場で、Tシャツから白い長そでのワイシャツに着替えた。半袖だと、運転中に日射しを浴びつづける左腕がヒリヒリして辛いからだ。駐車場を出てから10分後の、午後3時ちょうどに高速道路に入り、ソウルへ向った。

途中、대구を通過する間ずっと道が込んでいて、車がなかなか進まなかったが、대구を過ぎるとまた流れがよくなった。日射しが強いので、휴게소(=サービスエリア)ではあまり休みたくなかったが、それでも日が暮れる前に3度休んだ。천안を通過する頃だったか、西の地平線に朱色に輝く太陽が沈むのが見えた。みんなで感嘆しながらそれを眺めた。

ソウルに近付いた頃、高速道路は混み始め、のろのろと進んだ。とても疲れていたので、서초のインターチェンジで下りて、백년옥(=百年屋)で순두부が食べたいと言うと、妻も賛成した。양재인터체인지を過ぎ、서초인터체인지前で、서초方面へ下りる車線に並んでいたが、車がなかなか動かなかった。右側の양재역方面へ下りる車線は空いている。それで、양재역方面から下りて、양재の十字路でUターンした。こっちでおりて正解だった。

道が空いているときは近い方から下りた方がいいだろうが、南部循環路は서초方面が混雑することが多いので、경부高速道路から下りる車がすぐに南部循環路に出られず、その後ろの車は激しい渋滞になってしまう。そういうときは、反対方向で下りて、양재の交差点でUターンすることをお勧めする。南部循環路に出てしまえば、あとは何とか車は動くから、結局ずっと早く서초方面へ行ける。

백년옥で、私は뚝배기 순두부を食べ、下の子は白い순두부、上の子は만두국を食べた。妻は손두부(=“手作り豆腐”の意)を食べた。今回のドライブで一番おいしかったのは、ここの店の料理だった。疲れていて食欲も減退していたが、満腹するまで食べてしまった。

家に着いてからすぐに、上の子が記録してくれた資料や地図などを見ながら、今回の경주旅行の記録をつけた。