ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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6月1日(日)「ブルークラブ道中記」

at 2003 06/02 23:42 編集

上の子と一緒に블루클럽 (ブルークラブ) へ髪をカットしに行った。散歩をかねて歩いて行ったが、行く途中ずっと上の子は髪を切るのは嫌だと言い続けた。私は、「そうか。そうやって自分の考えや好みを持つことは、いいことだよ。でも、それができないときに我慢するのもいいことだよ」と答えた。息子はまた、「短い髪が好きなのはお父さんとお母さんの好みなんだから、お父さんとお母さんが自分の髪を短く切ればいいんだよ」というので、「そうだよ。お前の短い髪が好きなのはお父さんとお母さんの好みだから、お父さんとお母さんがお前に短く髪を切らせるんだよ」と答えた。

息子は「ブルークラブが休みだったらいいな。そうすれば髪を切らなくてすむから」というので、「そうだね。ブルークラブが休みだったら、今日は髪を切らなくてもいいよ」と強調し、「でも、やってたら、髪を切らなきゃだめだよ」と答えた。そして私も「ブルークラブがやってればいいな。ブルークラブがやってますように」と言った。幸いなことに、ブルークラブは営業していた。先に息子の髪を切ってもらった。r>
前回ブルークラブに来たのが3月2日だった。毎月行こうと思うのが、どうもこう延び延びになって、髪も伸び伸びになってしまう。私が椅子に座ると、「どのくらい切りますか」と言うので、「涼しくしてください。長髪が好きなんじゃなくて、怠けていてこんなになってしまったんです。前回来たのが3ヶ月前ですから」と答えた。

カットを終え、ブルークラブを出るやいなや、若い女の人がつかつかと寄って来て「ちょっとお尋ねしますが」と言う。何かの販売員か여호와의 증인 (エホバの証人) の勧誘員かもしれない、と思って身構えたが、そうではなかった。내부순환로へ行くにはどう行ったらいいんでしょうか、という。それで、この先を右にまがって강변북로に出れば、성산대교のところから내부순환로に入れますよと答えると、そうではなくて、장위동の方へ行くのだと言う。そりゃ方向が逆だ。ここから行くには複雑だからやっかいだなあと思ったが、一応説明を始めた。しかし、やっぱり説明が複雑になってしまって、女の人は理解できていない表情だった。私でも自分の説明を聞いたら理解できないだろう。それで、何か書くものはないかと思って探したら、持っていた本に栞が挟んであったので、それに道順を書いて説明した。女の人は、お礼を言うと、栞を持って車へ戻っていった。

&한일수퍼に寄って、妻から頼まれていたラップを買った。サイズは大中小の3種類があるが、まん中のサイズを買って来てと頼まれていたが、見ると、20センチと30センチのしかない。20センチのを買った。それから、のどが渇いたので、飲み物も買って、スーパーを出てから息子と一緒に飲んだ。店の前で飲んでいると、小学生が息子に声をかけた。息子は、どうしてここにいるのと聞かれると、お父さんと一緒に髪を切ったんだと答え、「아빠야.」と言って私の方を手で示した。するとその子は礼儀正しく私に挨拶した。

한일수퍼を出てから少し行くと、うしろから「ホイ、ホイ!」という声が聞こえてきた。振り向くと、サングラスをかけた60歳ほどに見える痩せた小柄の男性が、自転車をこぎながら、こちらの方へ向かって来る。赤茶けた口ひげと顎ひげを生やし、粗末な服を着、帽子を2重にかぶっていて、上の帽子は真っ赤だった。敬礼するように片手を高く挙げて、「ホイ、ホイ! セイ、ホイ!」と威勢のよい声をあげ、会う人ごとに手を高く挙げて挨拶めいたことをしている。

私たちのところはそのまま通り過ぎて行ったが、どうやら、会う人ごとに、自分がするように挨拶しろと言っているようだった。蒸かしたとうもろこしを売っているおばさんにも手を挙げて、ホイ、ホイ!と言っていた。それを見て、息子と一緒に笑った。ある若者たちは、老人に声をかけられると、心得たように、右手を高く挙げた。ひげの老人は満足そうにうなずいたが、老人が去ったあと、彼らは顔を見合わせて笑っていた。ある商店街の前でその痩せた赤ひげさんは自転車を下り、がに股で立って片手を高く挙げ、そこにたむろしている人たちに、威勢よく敬礼すべきだというようなことを力説していた。その姿を見ると、社会の窓がすっかり開いていて、そこから黄土色の下着が盛り上がっていて何とも見苦しかった。

小学校の前で横断歩道を渡った。小学校の脇の商店街に差し掛かったとき、パン屋の前に小学生が何人かいて、息子に声をかけていた。そして、息子の髪が短くなったのを見て「머리 좀 봐.」と言いながら笑った。「ほら、やっぱり髪が短くなったから笑われたじゃん」と言うので、「そうじゃないよ。普段と違う髪型になったから驚いて笑っただけだよ」と答えた。

交番の前を通り過ぎた頃、今度はフィリピンかインドネシアの人たちと見られる人たちから、道を聞かれた。とても流暢な韓国語で話していた。이촌역へはどう行ったらいいですかと言うので、この方向にまっすぐ行けば左側にありますよと、私たちが来た方向を指さすと、「고맙습니다.」と言って去って行った。息子が、あの人たち外国人みたいと言った。

と、また遠くから「ホイ、ホイ!」という声が聞こえる。声のする方を見ると、こんどは件のおじいさん、충신교회の前を自転車で行ったり来たりしながら、ホイ、ホイ!とやっている。道の反対側なので、教会の階段を昇り降りしている人たちや、道行く人たちなどが、何事かといっせいにその方を見ているのがよく見えた。それを見ながら私は、一人であんな恥ずかしいことをやっていないで、日曜日なんだから教会へ行けばいいのに、と思った。

家に帰ってからシャワーを浴び、そのあと部屋で、블루클럽の前から강변북로に出て남부순환로の東側の入り口まで行く道を口頭で説明するおさらいをした。さっきはとっさだったので説明が要領を得なかったが、もう一度落ちついて説明してみると、何とか要領よく言えた。

6月2日(月)「あかし」

at 2003 06/04 19:01 編集

AJanasia さんから、証を聞いた。正教会では正月に幼児洗礼をするのだそうだが、アメリカから来た姉妹と一緒に、そのときに着せる白い服を作るために、布を買いに行った。どこへ行ったらいいか分からないので、현대백화점に行ったそうだ。

ところが、タクシーを降りてみると、その姉妹のかばんがない。中には数千ドルの現金とクレジットカードが5枚と、聖書と祈祷書が入っていたと言う。急いで警察に電話をしたが、警察ではかばんの中身を聞くと、戻ってくることを期待しない方がいいという答えだった。

困って神父さんに報告すると、神父さんは、「大丈夫。正月には神様がかばんを戻してくださいますよ。だから神様を賛美しなさい」と自信たっぷりに言われたという。AJanasia さんはそれを聞いて、神父さんが彼女のために正月にかばんと現金をプレゼントしてくださるのかしらと思ったそうだ。

それから歳も暮れ、元日に礼拝をささげ、人々が帰って教会の中がひっそりと静まった頃、教会の正門のフェンスを叩く音が聞こえた。誰かしらと思ってみると、なんと、かばんを置き忘れたタクシーの運転手だったそうだ。急いでその姉妹に、あのときのタクシーの運転手が来ていると急かして一緒に出て行き、門を開けた。

かばんを受け取って中身を見ると、一つも中身はなくなっていなかったと言う。お礼にと言って、何万ウォンかのお金を渡そうとすると、運転手は、それは受け取れないと固辞したという。しかし、本当に大事なかばんを返してくださったのだから、どうしても受け取ってくださいと頼んで、お金を受け取ってもらったという。

どうしてかばんが戻って来たのかというと、タクシーの運転手にここへ行ってくださいと道順を書いて渡したその紙に、教会の住所が印刷されていたのだそうだ。

あとで神父さんに、かばんが戻って来たと話すと、「ほら、神様が戻してくださるから賛美しなさいと言ったではありませんか」と当然そうに言ったそうだ。AJanasia さんは、目を潤ませながら話していた。

私が目を丸くして「その神父さんは預言者(prophet)なんですか」と言うと、さあどうかしらといった表情で、肩をすくめた。

なぜその話をしてくれたかというと、私が、数日前に腕時計をなくしてしまったが、もしかしたら盗まれたのかもしれないと言うと、AJanasia さんはその話をしてくれたのだ。世の中には悪い人ばかりではないということと、神様がきっと返してくださるということが、その話の教訓だった。その時計が私に必要なものなら、神様はきっと返してくださるだろう。

6月6日(金)「帰ってきた腕時計」

at 2003 06/06 18:50 編集

今日は久しぶりに、道を歩きながら、歴代誌にある、ヤベツという人の祈った祈りを、思い出して祈った。

「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」(I歴代誌4:10)という短い祈りだ。

この祈りは、不思議な恵みのある祈りとして、昔から一部のクリスチャンたちの間でひそかに知られていたらしいが、数年前に『ヤベツの祈り』という本が出てから、この祈りは広くクリスチャンたちに知られるようになった。私もこの祈りをした日は不思議といいことがあるのを経験していた。その祈りを、ふと思い出して、祈ったのだ。

そのあとしばらくして、先日、時計をなくしたことで、AJanasia さんが、あなたの時計は戻ってくるわよと何の疑いも持たずに言っていたのを思い出した。その表情は、ごく自然で、まるでもう誰かが見つけて預かっていることを聞いたとでもいうような雰囲気だった。

腕時計がないのはかなり不便だけれども、腕時計を失ったことを悲しいとは思わなかった。出てこなければ、それは私にとって対して必要ではないのだし、必要なら戻ってくるか、思わぬ経路で別の腕時計が手に入るだろうと思っていた。それで、心の中で神を賛美した。

そのあと、とても眠かったので、講師室で机に伏してしばらく眠った。すると、携帯に電話がかかってきた。半分眠ったまま出ると、妻だ。私が「もしもし」と言うや否や、「腕時計が出てきたよ」という。下の子が見つけたのだという。

もう戻って来るまいと考えていた腕時計が、なんと戻ってきてしまった。腕時計が見つかったということ以上に、予告されたことが実現されたという事実がうれしかった。またそれ以上に、信じて疑わない信仰の力に圧倒された。私が信じたのではなく、AJanasia さんが信じたので時計が出てきたのだろう。しかし、そのときの話に心を動かされ、ずっと心に引っかかっていたのも事実だ。

私は、クリスチャンになってから、ある思いが心に入って、それがいつも突き上げるように心をめぐっていると、実現することがよくある。よくあるというのであって、必ずあるとは断定できないし(必ずあるような気はするのだけれど)、実現したあとで、ああやっぱりそうかと思うような下衆の後知恵なのだが、そういうことがあるたびに、聖書を通して神はクリスチャンたちに語りかけ、信じることを求めておられるのを実感する。これは、クリスチャンの生き方の醍醐味だ。この醍醐味を味わわせてくださる神を賛美した。

6月7日(土)「修了審査」

at 2003 06/07 20:42 編集

今学期は発表者が2人しかいなかったので、在韓日本語教師のメーリングリストで知らせなかったのだが、今日午前中にJISD400の学生の修了審査が行われた。今までは次の学期が始まる頃に修了審査をやっていたが、今学期からは学期が終わってすぐに始めるようにしたので、それに合わせて、授業の初日から論文指導を始めた。

指導がちょっときつかったのかもしれない。途中で1人は来なくなり、もう1人はひとつ下のレベルに移ってしまった。そして3人が残って論文作成と発表の準備をしていたが、その中の1人が、修了審査2週間前に、大学で立て続けにテストやレポートが課されたために、来られなくなった。その学生は、論文はほぼ完成しているので、来学期に発表をすることになった。

そうやって2人が残り、昨日は祭日だったけれども、事務室の協力を得て、前日のリハーサルを行った。ところが、予定していた309号室のコンピュータが開かない。何度も“ディスクの復旧”をしては再起動を繰り返すばかりで、一向にデスクトップ画面にならなかった。急遽、他にプロジェクターの設置されている301号室を開けて、そこで午後1時過ぎからリハーサルを始めた。

リハーサルでは、本番と同じように、パワーポイントを使ってプレゼンテーションの練習をする。初めに学生のプレゼンテーションを見ながら、問題に感じた部分を指摘した。それからもう一度プレゼンテーションを見て、まだ残っている問題についてもう一度指摘して、その部分を私がやってみせ、どんな感じなのかを知ってもらった。

それからは、学生たちに自分で練習していてもらい、私は講師室に戻って、当日の準備などをしていた。途中、ものすごい眠気に襲われて、机に伏してしばらく眠った。家から電話がかかってきて目が覚め、電話を切ってからしばらくインターネットをしていると、学生たちが、もう十分練習したので終わりにするといって講師室にやって来た。リハーサルのために午後9時まで教室を予約していたが、7時過ぎには言語教育院を出て帰宅した。

そして今日。10時半から修了審査が始まるが、学生たちには9時半に来るようにと言っていたので、9時20分頃言語教育院に来た。しかし、守衛のおじさんに頼んで309号室を開けてもらったところまではいいが、コンピュータを直す術を知っている訳ではない。起動させてはみたが、やはり昨日のままだ。今日は土曜日で、言語教育院の業務は休みなので、修了審査をサポートしてくれるために出勤する先生以外は誰も来ない。昨日練習した301号室を使いたいと思ったが、事務室にはその先生がまだ来ていなかった。

そのうち学生たちが来たが、教室で練習ができないので、講師室にコンピュータが2台あるから、そのコンピュータで練習しているようにと言って、事務室と講師室の間を行ったり来たりしては、担当の先生がもう来たかどうか見た。10時20分頃、担当の先生が来たので、事情を話し、301号室が空いていることを確認して、そちらで修了審査をすることにした。

ところが、301号室のコンピュータも、スイッチを入れると“起動ディレクトリの容量がいっぱいなので、復旧作業をします”と出て、さらに309号室のコンピュータと同じようなダイアログボックスが出てきた。ぎょっとしたが、どうしたらいいか分からない。ダイアログボックスに出てくる用語が何なのか、見当も付かない。しかし、やけになってエンターキーを押していると、幸い何とか起動は完了して、デスクトップが表示された。そうやって、修了審査はほぼ時間通りに始まった。

学生たちのプレゼンテーションは、非常によくまとまっていて、しかも、とても分かりやすかった。パワーポイントの操作と口頭での説明がぴったりと合っていて、驚くほど効果的なプレゼンテーションだった。特に、2人目の発表者は、最初の発表者の2倍の分量だったのに、全然長く感じられず、同僚の先生たちを引き込んだ。そのあとの質疑応答も、深い内容だった。私はこんなに味わいある質疑応答を聞いたことがなかったように思う。審査が終わったあと、ウォン先生が、こんな素晴らしい発表は見たことがないと言って、2人の学生を絶賛した。プレゼンテーションは大成功だった。

一つ告白すれば、事務の先生が来るのを待ちわびながら、薄暗い階段を降りていくとき、ヤベツの祈りを小声で祈った。苦しいときの神頼みみたいで気が引けたが、どうしてくださいと祈るかわりに、聖書に出てくる祈りでいちばん欲張りだと思われる祈りをしたのだ。神はこの求めを聞き入れられたのだと思う。

6月7日(土)「パキスタン・インド料理」

at 2003 06/08 00:20 編集

妻が、今日は疲れたので食事を作りたくないから、何か取ろうと言った。そこで、何日か前に上の子が「인도 파키스탄 요리 (インド・パキスタン料理)」と書いた磁石のステッカーを持って来て冷蔵庫に貼っておいたのを思い出して、インド・パキスタン料理を取ろうと答えた。私の性格は、どうやら遺伝らしく、新しいもの好きなのだ。異国風の料理で見た感じが美味しそうなら、ぜひとも食べてみたくなる。パキスタン料理は、インターネットで見て美味しそうだと思ったことはあるが、食べたことはなかった。さいわい、妻も賛成してくれた。

妻が電話で注文し、모듬(盛り合わせ:15000ウォン)を1つ頼むことにした。30分ほど待つと、ベルが鳴るので、出ると、大柄の外国人が立っている。びっくりした。右手にはピザの箱を小さくしたような箱を持ち、左手には黒いビニール袋を提げている。見た感じは、量が少なく見える。これ一つが1万5千ウォンもするのかと思って、ちょっとがっかりした。

この人は韓国語が達者だった。妻が「どこの国から来たんですか」と言うと、パキスタンからだと言う。料理を見ながら私が「ひょっとして、自分で作られたんですか」と聞くと、「はい」と言う。「店長さんですか」と聞くと、そうだと答え、「부인도 같이 해요.(=奥さんも一緒にやってます)」と付け加えた。これが唯一この人の間違えた韓国語か。妻の話によると、奥さんは韓国人らしい。ところで、韓国人の店長なら出前をアルバイトにやらせるが、彼は直々にお客さんの家に作ったものを配達して回るらしい。それが、何ともいい感じがした。

箱には店の広告が貼ってあった。箱と袋を開けてみると、いろいろなものが入っている。箱には、タンドゥリチキンと羊肉のケバブ、羊肉のディッカ、ナン、ロッティ、カレー、ソース4個(苺ソース×1、プレーンヨーグルト×1、ミントとヨーグルトのソース×2)が入っていて、片方のビニール袋には、白い紙袋に包まれたサモサが3個入っていて、もうひとつのビニール袋には、小さいボトルのコーラが1本入っていた。

すべての料理がピリッとしていた。私はこういうスパイシーな食べ物が好きなので、とてもおいしかった。肉類はすべて直火で焼いている。ケバブは、羊肉のミンチをきりたんぽみたいに串のまわりにつけて焼いたもので、柔らかく食べやすい。ディッカは、2×4センチくらいに切った肉を、これもやはり串焼きにしたらしい。串型の孔があいている。ケバブとディッカはソースにつけて食べた。肉とヨーグルトの味が、意外によく合う。

タンドゥリチキンは、鶏肉をカレーで味付けして焼いたものだ。胸肉は繊維に逆らって切り込みを入れてあるので食べやすい。しかし残念なことに、ももの部分はちょっと焼きが足りなかった。フライパンで焼き足した。

ナンは日本でもお馴染みの食べ物かもしれないが、これはピザの生地に似て薄い円型の、パン種を入れないパンだ。先日食べたギロスを包むパンとほぼ同じものだが、ナンの方が少し分厚い。ロッティも基本的には同じだが、中に野菜が入って味が付いている。ロッティはふつうそのまま食べて、ナンは肉などを挟んで食べるのだそうだ。

小さい豆を赤く辛く煮た食べ物が、スープなどを入れる容器に入っていたが、それはカレーだそうだ。妻はナンにこのカレーを挟んだが、それがとてもおいしそうだったので、私もそうやって食べてみたら、なかなかいける。この豆は何だか分からない。大豆のようだが、ちょっと小粒だ。赤いので、妻は、これはエサウの食べたレンズ豆だと言った。あまり堂々と言うので、うっかり間に受けそうになった。

サモサは、底辺が8センチで頂点が直角の二等辺三角形といった形をしていて、厚さはいちばんふくれているところで2〜3センチの揚げ餃子だ。中には唐辛子の効いたマッシュポテトが入っている。これは、苺ソースにつけて食べる。サモサがいちばんおいしかった。なぜなら、私はまず餃子好きで、そしてジャガイモ好きで、さらにぴりっとしたものが好きだから、私の好みが3拍子揃っているのだ。

見た感じは量が少なそうに見えたのに、食べてみるとかなりのボリュームで、妻と二人でも全部食べ切らないうちに満腹になってしまった。上の子は今日は友達の家に泊まりに行っていて、下の子は香辛料の効いた食べ物が嫌いで口を付けない。それで、二人では食べきれずに残してしまった。小さく見えたのは、これを持って来た人が大柄だったからか。満腹してしかも料理がまだ残っているというのは、なんとも贅沢なものだ。

ところで、この店の名前は、広告のどこにも書いてない。しかし、アラビア文字3文字がいちばん上に書いてあるところを見ると、これがこの店の名前なのかもしれない。右から読むだろうということは想像がつくが、アラビア文字は習ったことがないのでどう読むのか見当も付かない。まず、いちばん右の字は、「へ」を書いたらその先から今度は左に向かって一本線を水平にぐっと引く。まん中の字は、ヘブライ文字のアインに似ている。左側の文字は、Jに似ているが、Lを左右逆にしたようだとも言える。

パキスタンでは数カ国語が話されているらしいが、これはどの言語を表す文字なのだろうか。インドとパキスタンにまたがる言語としてはウルドゥー語があるというが、あの店長さんはどの言語を話すのか。今度会う機会があったら聞いてみよう。

住所は、서울시 용산구 한강로 3가 40-369。電話番号は02-749-2432、携帯は019-805-2958。店の名前は不明。(笑)

6月9日(月)「동구릉 (東九陵)」

at 2003 06/10 11:03 編集

今日は仕事がないので、妻が日本語を教える삼육대학교まで、下の子と一緒に妻を車で送って行ってみた。

この大学は、キリスト教から逸脱した教派である제칠일안식교 (セブンズデー・アドヴェンティスト) が経営しているものだ。この教派はカルトではないとはいうものの、妻がそこで日本語を教えることになったとき、私は心配した。牧師先生に相談するように妻に言い、相談すると、そこは教理には問題があるが、学校自体はいい教育をしているというので、妻は働くことに決めた。

5時にうちを出て、5時半に到着した。ソウル市の外れにあって、静かで感じのいい学校だった。妻は屈託なく学生たちと話していたが、私はどうも、異端教派の拠点に入って来たと思うと、体がこわばってしまい、気がついてみると、すれ違う人たちと目を合わせないようにしているのだった。妻にくらべると、私はとても肝っ玉が小さい。

동구릉 (東九陵) が、この学校のわりと近くにあることを地図で見つけたので、삼육대학교を出てから、そこへ行ってみた。初めて韓国語を勉強したとき、『朝鮮語の入門』(白水社)の第3課にこの東九陵が登場する。今から18年前に聞いていた、「こどもたちに東九陵は遠すぎませんか」「行ってみて遠すぎれば途中で帰ります」と、無表情なイントネーションで読む韓国語のテープの声を思い出しながら、東九陵へ足を運んだ。

1985年の春ごろ私に1度だけ韓国語を教えてくれた、当時大学院生だった권혁건 (権赫建) さんに、東九陵は何なのか私も知らないようなところだから、これはやめて덕수궁 (徳寿宮) にしようと言われ、東九陵を二重線で消して徳寿宮と書いたのが、私の『朝鮮語の入門』に今もそのまま残っている。でも、徳寿宮は市庁駅のすぐそばにあるので、こどもたちに遠すぎる場所ではない。

そういう東九陵だが、やはり朝鮮時代の9つの王陵が集まっている場所として、意味ある場所だし、ソウルの小学生が遠足によく行く場所だ。いつか行ってみたいと思っていたが、ちょうどいい機会だったので、足を伸ばしてそこまで行ってみた。

6時頃、東九陵に着いた。入り口に有料駐車場がある。小型車が2千ウォンと書いてはあったが、料金所に人がいない。駐車場にそのまま車を止めたが、出入りする人もいない。門の前の赤土の上にホースで水を撒いている年輩の男性に、入れますかと聞くと、今日はやってませんよと言われた。いつが休みなんですかと聞くと、毎週月曜日が休みだそうだ。

チケット売り場を見ると、平日の券売時間は午後5時半までで、開園時間は6時半までと出ていた。どっちみち、今日は入れなかったわけだ。入場料は、25歳以上が500ウォンで、それ未満は400ウォン、18歳未満は無料だとのことだ。注意書きとして、ここは一般の公園ではなく、朝鮮時代の王陵なので、その崇高な意識をもって入場することと書いてあった。

入り口も、そこから見える内部も、手入れされた樹木に囲まれていて、きれいに整っていた。入り口は車道沿いにあるので、車の音がうるさかったが、中へ入るときっと静かなことだろう。朝鮮時代は過ぎ去って久しいが、この落ち着いた佇まいを見ていると、昔の国王への尊敬の思いが今も生きているという感じがした。

ここに埋葬されている9人の王とその王妃の名前を見ながら、自分は朝鮮時代の歴史についてほとんど何も知らないことに気づいた。埋葬された王たちが何をした人かも知らないのだ。私にとってそれは、ただの名前が並んでいるだけだった。

入り口の案内図と説明をしばらく読んだのち、まだ水を撒いていたその男性に会釈をして、東九陵を後にした。

帰りに初めは강변북로までまっすぐ南下しようかと思ったが、途中で気が変わって、교보문고に寄ることにした。そして、상봉から청량리を通って종로に出たが、동대문に近づいた頃から道がとても混雑していた。今年になってから作った曲を続けて数曲歌っていたら、下の子から「それ何の曲?」と聞かれた。동대문を過ぎて종로に入ると、流れが良くなった。

교보문고には7時過ぎに着いた。子供と一緒にプルゴギバーガーを食べた後、語学教材を物色し、面白そうなものを買って、家に帰った。

6月11日(水)「밝히는 선생」

at 2003 06/12 23:33 編集

韓国の小学校には、밝히는 선생と呼ばれる教師がかなりたくさんいて、昔から問題になっている。妻の知り合いにも、そういう教師に当って苦労している人が何人かいる。日本人にそういう教師がいたら、“社会の敵”だと思うかもしれないが、韓国では、そんな教師が大手を振って歩いているらしい。

ある知り合いは、밝히는 선생に当ってしまったので、20万ウォンを包んで渡したそうだ。またある知り合いは、露骨にいくらいくらくれと言うので拒否したら、自分の子供が学校で先生に虐められ、クラスメートの親からも冷たくされたという。親としては、先生の味方をした方が、自分の子供のためになるから、そうするわけだ。

韓国の親たちは、밝히는 선생から子供が酷い仕打ちを受けるのを恐れて、教育庁に通報することもせず、要求されるままに貢ぎ物をする。밝히는 선생に当ってしまうことを、自然災害か何かのように思っているようだ。それだから、ますます밝히는 선생は勢い付いてしまう。あまり酷い場合は、警察でも家宅捜査に乗り出し、ニュースにも載って、名前が全国に放送され、どんな人間かを放送局が調べ挙げて茶の間に報告されることもあるが、たいていの밝히는 선생は、そうならないように、要領よく子供たちの親から貢ぎ物を巻き上げているらしい。

韓国で先生をしている人たちは、学生たちがよくしてくれることを、いいことだと思わない方がいい。学生たちにとっては人によくすることはいいことだが、教師にとっては、学生によくされることは罠だ。それは麻薬のように自分の人格を崩壊させる。どうしても受け取らなければならないこともあるだろうが、そういうことが続いていると、自分も밝히는 선생のように、卑しい心で他人の持ち物を求めるようになってしまうかもしれない。

6月11日(水)「까르푸」

at 2003 06/12 18:18 編集

목동にある「까르푸」という大型ディスカウントショップへ行ってきた。そこはとても広く、しかもとてもこぎれいだ。フランスの会社だと妻が言っていた。他に有名なディスカウントショップとしては이마트があるが、이마트がダイエーのような雰囲気がするのに対して、까르푸は欧米的な雰囲気がする。

食料品などは、フランスの会社だけあって、フランス製が多い。パスタやチーズなど、輸入品の大部分はフランス製だ。これは、私たちにとって小さな問題ではない。なぜなら、例えばパスタの袋に書いてあるいろいろな表示はフランス語が中心で、英語はといえば、数カ国語で書かれた成分表の一つくらいしかないので、そのパスタがどんな特徴があってどう食べたら美味しいかなど、さっぱり分からないのだ。それでも英語からの類推で何とか理解してやろうと思ったが、やっぱり分からなかったので、珍しいパスタだったけれど、買わなかった。

韓国のスーパーなどの食料品売り場では、ふつう野菜などはどっさりと山盛りで置いてあり、水気がなくてしおれていたり、葉の先が枯れていたり、ちぎれていたり、傷付いていたり、時には腐っていても、気にしないものだが、까르푸の野菜は、一枚一枚丁寧に揃えて束ねてあり、どういう保管の仕方をしているのか、どれも青々としていて生きがいい。

ふだん行く킴스클럽に置いてないものが、たくさんあった。以前は킴스클럽にあったけれども数カ月前から置かれなくなってしまった로즈버드 커피(미원から出ているレギュラーコーヒー)も、そこにあった。로즈버드は、韓国の水に合っているのか、美味しく入る。しかし、今のところうちにコーヒーはたくさんあるので、なくなったら今度はここに買いに来ようということになった。

下の子は、至る所にある試食コーナーで、自分が食べたいものをもらって食べていた。特に、バナナを売っているコーナーへ何度も行っては斜めに切ったバナナを取って食べていた。下の子があまりそのバナナが気に入ったようなので、妻が一房買った。

家に帰って来てから、そのバナナを食べていると、妻が私を見て、私がバナナを食べているのは初めて見たと言う。そして、お猿さんみたいと言って笑いながら、じっと私がバナナを食べるのを見ていた。妻はもしかしたら、私がバナナを食べている姿を見ながら、ダーウィンの学説を黙想していたのではないだろうか。

6月12日(木)「(異)文化体験」

at 2003 06/15 19:59 編集

AristotelhV 神父さんと先日約束をして、今日は한국정교회 (韓国正教会) へ行ってきた。12時に約束していたのだが、仕事が休みなのでうとうとしているうちに寝過ごし、ふと気が付くと、時計の針は12時15分を指している。すわ!と飛び起きて着替え、コンピュータをかばんに詰め込んで家を飛び出した。

いくら遅れたとはいっても、手みやげが日本のお菓子一袋では寂しいので、마포대교北端で강변북로を降りた所にあるコンビニで、葡萄ジュースとオレンジジュースを買って、애오개にある韓国正教会へ行った。教会に着くと、門が開いていた。12時半ちょうどだった。こういうのを昔“コリアンタイム”と言っていたが、最近はとんと聞かなくなった。学生たちが時間をきちんと守るところを見ると、コリアンタイムというのは消滅したのかもしれない。

中庭に車を止め、神父さんはどこにいるのかきょろきょろ見回すと、門の脇にある用務室から요한さんが顔を出して、神父さんは事務室におられますよと教えてくれたので、そちらへ行った。神父さんは執務室の隣にある会議室でギリシャ語の新聞を読んでいた。私がなかなか来ないので、何かあったのかもしれないと心配したと言う。謝ったが、まさか寝坊だとは言えなかった。

私が何も食べていないことを察していたわけではないだろうに、今朝礼拝の後で作ったと言う turopita(チーズパイ)と spanakopita(ホウレン草のパイ)を一切れずつごちそうになった。それから前回書いた日記の誤謬を直してもらったあとで、神父さんが袋に入ったパンとパイをくださった。

その袋には本も2冊入っていて、一つは“ORTHODOX CHRISTIAN MISSION CENTER”という季刊誌で、もう一つは『동방교회의 신비신학에 대하여』(ブラディミル・ロスキ著/박노양訳、韓国長老教出版社、2003年)という本だった。書いたのは神父さんの友人で、東方教会の人だが、訳して出版したのはプロテスタント教会の人だそうだ。韓国のプロテスタント教会では、東方教会やカトリック教会の本も訳して出版していることが多い。

それから私のマッキントッシュにギリシャ語のフォントを入れる作業を始めた。神父さんのマッキントッシュは iBook で、私のは PowerBook 1400c/133 だ。プリンタ/モデムポートにつなぐコードを持って来たが、 iBook には、そのポートがない。代りに、Windows で使われる USV ポートがある。これだと、コンピュータ同士の接続はできない。

神父さんのマックにあるフォントをフロッピーディスクにコピーし、私のコンピュータに入れると“読めません”と出る。それで、やむなく私のコンピュータで initialize して神父さんのコンピュータに入れてみると、今度はそっちのコンピュータで読めないと出た。それで今度は DOS のフォーマットで初期化してみたが、やはり駄目で、今度は ProDOS というので初期化してみて、神父さんのコンピュータに入れてみると、それは読み込めたのだが、ファイルをコピーできなかった。

私が、そのコンピュータはインターネットに接続できますかと聞くと、これはインターネットに接続できないという。インターネットを使うときは、Windows を使っているのだそうだ。これで、神父さんのマックから私のマックへのファイルのコピーは失敗に終わった。

それにしても、Macintosh 同士の互換性が Mac と Windows との互換性よりも悪いとは、驚いたことだ。Windows を通してファイルのやり取りをすればよさそうだが、そうすると、リソースが壊れてしまう。Macintosh で古典ギリシャ語を入力するには、他に方法を探すしかなさそうだ。

そのあと、一緒に教会を出て、近所の동원참치の店でごちそうになった。神父さんは참치햄버그を注文した。私が회덥밥を頼もうとすると、神父さんが同じものを取りましょうと言うので、一緒に참치햄버그を注文した。

ギリシャでは刺身は食べないのですかと聞くと、ギリシャで魚を生で食べるのは変なことだという。すべて火入れをして食べるのだそうだ。文化の違いは面白い。付け合わせにそばが出たが、神父さんはそばを箸で音もなく食べていた。全く音をさせなかった。私が、日本では麺類を音を立てて食べるのがマナーだが、韓国では音を立てないで食べるのがマナーなので、韓国に来て困ったが、ギリシャでもそうですかと尋ねると、ギリシャでも音を立てて食べてはいけないそうだ。

さんまの食べ方についても、それぞれの国で違った食べ方のマナーがあることを知った。日本では片面を箸で開いて肉を取って食べた後、骨の反対側は、魚を裏返しにせずに、箸で骨の後ろの部分と前の部分を外して骨を除去してから食べる。韓国では、骨の反対側は、魚を裏返しにして食べる。ギリシャではどうかと聞いたら、ギリシャでも、魚を裏返しにせずに、骨を取り外してから反対側の肉を食べるそうだ。

修養館の話が出て来たとき、私は今年初めて修養会に行ったが、他のことはみんなよかったのだが、ゲームとダンスは疲れたと言った。すると神父さんは、私のことを思考型(JewrhtikoV tipoV)だと言う。人間には社交型(koinonikoV tipoV)と思考型と行動型(praktikoV tipoV)の3つのタイプがあるという話だった。私の家族は私を除いて全員社交型のようだというと、神父さんの話では、私も社交型だが、思考型の方が強いから社交型が目立たないのだと言っていた。そうかもしれない。そういえば、神父さんも私と同じタイプのような気がする。

神父さんは、韓国人は反社交型ですと言う。私が、日本人から見れば韓国人の方が社交的に見えますがというと、韓国人は人と会っても微笑みかけることもせず、ちらりと睨み付けたあと無視してしまうが、それはギリシャやヨーロッパなどでは very rude な態度だと言っていた。そういえば、イタリアでは店に入ったとき、客が店員にチャオ!と声をかけるが、もし黙ったまま店に入ると、強盗にでも来たのかと思われるという話をどこかで聞いたことがある。ギリシャでもそうなのだろう。そうしてみると、韓国人は十中八九まで強盗になってしまいそうだ。

私たちは방(=座敷)で食事をしたが、座敷に上がるときと下りるとき、神父さんは靴を縁側にかけて脱いだり履いたりしていた。縁側は靴を履いたまま上る場所ではないので、それを見た韓国人や日本人に不快感を与えるかもしれないと思った。それで、恐る恐る、そこに靴をかけるのはよくないと思いますよと言ったが、神父さんに注意するのは、ギリシャではどのくらいマナー違反になるのだろうか。日本人の偉い先生と一緒に韓国にいたり、韓国人の偉い先生と一緒に日本にいたりした場合、それぞれの偉い先生が自分の国のマナーに従って、その国でマナー違反をしてしまった場合、それを指摘するのは勇気がいる。

ここ1〜2週間の間に私のギリシャ語はずいぶん落ちていた。単語もどういうわけか、ずいぶん忘れていた。これからは、語彙力を伸ばす学習をする必要がありそうだ。

6月16日(月)「民防衛訓練」

at 2003 06/19 05:11 編集

テーブルの上に『조선일보』が置いてあった。新聞屋があまりに横暴なので、怖くて最近はずっと新聞を取っていないのだが、時々宣伝のためか、玄関先に新聞が置かれていることがある。たぶんそれだろう。

見ると、「日、対北強硬措置あいつぐ」という見出しがトップで出ていた。記事によると、阿倍晋三官房副長官は北朝鮮を暴力団と同列の犯罪集団と見ており、これまでになく語調の強い非難の宣言をしている。日本政府は北朝鮮との戦争も辞さない構えらしい。

もし戦争になったら、北朝鮮はソウルや日本の都市をミサイル攻撃するだろう。そのときは、私の家は용산の米軍基地のすぐそばにあるから、私の命もないかもしれない。しかし、現在アメリカの鼻息が荒く、日本政府までもこのように息巻いているところを見ると、もし北朝鮮が何らかの攻撃を仕掛けたら、そのときは北朝鮮の政府が滅亡するときである可能性は非常に高い。

アメリカは大規模なテロに遭っているので、テロに対する免疫はできているはずだ。その後の戦争でも圧倒的な勝利をおさめているので、もし北朝鮮が何らかのテロ行為をアメリカに示唆しただけでも、アメリカは、サダム・フセインに対してやったように、北朝鮮に軍隊を送って김정일を殺し、北朝鮮の政府を壊滅させるかもしれない。

私は朝鮮半島の統一を切望しているわけではないが、しかし、北朝鮮住民と、そこで密かに信仰を保ち続けている兄弟姉妹たちの救済のために、北朝鮮政府の消滅を望んでいる。そのとき、誰も血を流さず、김정일も、チャウシェスクやサダム・フセインのようになるのではなく、むしろパーレビやマルコスのように、亡命して生き長らえることを望んでいる。それは、暴虐な為政者に対してよい前例となるからだ。

私が望む解決策は、김정일に生活上の安全を保障したあと、アメリカに亡命させ、朝鮮半島北部を国連の支配下に置くことだ。この地域が韓国にいつ編入されるかは分からないが、朝鮮半島北部に置かれた暫定政府は、アメリカに김정일の処罰を要求するかもしれない。朝鮮半島北部が韓国に編入された後も、今度は韓国政府がアメリカ政府に、김정일を処罰するために身柄の返還を求めるかもしれない。しかし、アメリカはそれに応じるわけにいかない……。

そういうことを考えているときに、いきなり警報のサイレンが高々と鳴り響いた。一瞬、何のことか分からず不安になったが、ふと、今日は民防衛訓練の日だということに気が付いた。ラジオのスイッチを入れると、確かに民防衛訓練だった。今回は、北の襲撃と生化学テロに対する訓練だった。

さまざまな注意事項が語られたが、建物にいる人は作業をやめて地下の施設に逃げ込むようにという指示には、不安を覚えずにはいられなかった。韓国の建物は崩れやすい。その崩れやすい建物の地下に逃げ込むことは、命を棄てることになりはしないか。

民防衛訓練のとき、車は道端に寄せて停車しなければならない。しかし家の外は、車の走る音が聞こえる。こんなときでも国家的な訓練に協力しない人がたくさんいるのは困ったことだ。

それにしても、戦争のことを考えているときにいきなり行われた、北からの襲撃に備えた民防衛訓練だったので、とても生々しかった。

6月16日(月)「パンク」

at 2003 06/18 19:55 編集

携帯電話の音が出なくなったので、修理しに夕方家を出た。駐車場に行くと、先週の金曜日にパンクを修理したはずのタイヤの空気がまただいぶ抜けていた。それで、携帯電話を直しに行くのは後回しにして、まず동작대교の手前にあるカーセンターへ行った。

カーセンターに着いて、先日パンクを修理したタイヤからまた空気が漏れていると言った。見てもらうと、直したところからは空気がもれておらず、別の部分、タイヤの内側寄りの部分に釘が刺さっていて、そこから空気が漏れていた。

タイヤを替えなければいけませんねと言われた。どうしてですかと聞くと、タイヤの地面に接する面は分厚くなっているが、そこから横にずれていくに従って薄くなっていくので、釘が刺さっている部分は、穴を埋めてしばらくはいいけれども、時間がたつとまたそこから空気が漏れ始めてしまうのだそうだ。

いくらですかと聞くと、한 짝 5万5千ウォンですという。“짝=ペア”と覚えていたので、ペアで交換するのかと思い、한 짝って、両方とも取り替えるんですかと聞くと、そうではなくて、タイヤ一つが 한 짝 ですよと言われた。そういえば、짝には、ペアになる相手の意味がある。それに、짝사랑は片思いだ。片方(=짝)だけで惚れ(=사랑)ているから、짝사랑というわけだ。なるほど。

タイヤを取り寄せて交換するのに大体40分ぐらいかかるというので、カーセンターから歩いてすぐの、私が通う온누리교회 (オンヌリ教会) に行って、そこのコーヒーショップで暇つぶしすることにした。コーヒーも飲みたかったので、ちょうどよかったと思って行くと、店はやっていなかった。今日から年輩の女性のための伝道集会があるので、コーヒーショップにはそういう女性たちと、その人たちを親とするらしい若者たちがいた。

かばんの中にはギリシャ語の学習書しかなかったので、それを開いて例文を覚えた。そのうちに、急に飢えを感じ始めた。コーヒーショップをやっていればパンが買えたのだが、今はそれもできない。ふと、自分は何年間も断食をしていないことに気が付いた。断食している人は偉いなあと思った。

50分くらいしてから教会を出て、カーセンターに戻った。タイヤの交換は終わっていた。道に乗り出すと、新しいタイヤはなかなか快適だ。

あまりに空腹なので、家に急いだ。ふと、エサウが疲れきって野原から帰って来たときの話を思い出した。エサウはレンズ豆の煮物を作っていたヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」エサウはこのとき空腹に耐えきれず、双児の弟ヤコブに長子の特権を売ってしまう。エサウの気持が身にしみて分かるようで、思わず笑いがもれた。家に着くなりコーンフレークを出して食べた。

もう遅くなってしまったので、今日は携帯電話を直しに行くのはやめにすることにした。こうして私は、携帯電話の修理を軽んじた。(笑)

6月19日(木)「蠅のおかげ」

at 2003 06/19 21:34 編集

朝9時から、教育放送局でラジオ初級日本語会話の録音があった。前の晩どうしたわけかなかなか寝つけなくて、3時間くらいしか眠っていないのだが、それでも初めの1時間半は、とても調子よく録音ができた。

ところが、1時間半ほど録音をしたあと10分ほど休んでまた録音を始めると、今度は急に眠くなって来た。ぼーっとして、違う場所を読んだり、先生の合図に気づかなかったりしてNGを出し始めた。

ところがそのとき、スタジオの中を、1匹の蠅が音を立てて飛び回り初め、テーブルにとまったり、私の目の前を通り過ぎたりする。野生の攻撃本能か。私はその蠅を、インサート録音中に叩き殺そうと、チャンスを狙って目で追い始めた。

すると、不思議なことに、私の意識は活性化し、眠気がいつの間にか飛んでしまった。そして、またはっきりした意識で録音ができるようになった。そのおかげで、蠅を目で追いながらも、NGもほとんどなく、午前中の3時間で今日のノルマである9編をすべて録音することが出来た。録音が終わったときには、蠅のことなんかすっかり忘れてしまっていた。

眠いときにはインサート録音中に頬を叩いてみたり、伸びをしてみたりするのだが、大して眠気は醒めない。しかし、にっくき蠅を追い回す、本能的な身構えによって、眠気が吹き飛んでしまった。蠅のおかげで私たちはノルマが達成でき、蠅は蠅で、運よく命拾いをした。

6月20日(金)「間違い電話」

at 2003 06/20 23:12 編集

うちの電話番号に、去年当たりから、外国語で間違い電話がかかってくる。どこの国の言葉か分からないのだが、スラブ語族の言語のようだ。女の人と子供が多い。ずいぶん前に、日本から日本人の女性が電話をかけてきたこともあった。その人の話によると、この電話番号を5年ほど前まで使っていた人は、音楽家だという。たぶん、世界各国で音楽活動をしている人なのだろう。

今日もまた、電話に出ると、スラブ系のアクセントと思われる英語だが、しかしとても流暢に、“May I speak to Mr. Kang?”という。私が“You have a wrong number.”と答えると、“Oh, wrong number? I'm sorry.”と言って切った。

そのあとしばらくして電話がかかってきた。上の子が出たが、切ったあと妻が「誰?」と聞くと、「外国語で話してたから分からないよ」という。するとまたすぐ電話がかかってきたので、今度は私が出ると、子供の声で、何やら分からない外国語を話す。私がまた常套句“You have a wrong number. 잘목 걸었어”と言うと、その子供は非常に戸惑っていた感じだったが、私はさっさと受話器を下ろしてしまった。

そして、電話に背を向けるや否や、また電話のベルが鳴った。それで、受話器をつかむと、相手がまだ話し始める前に、“You have a wrong number. Don't call this number again!”と叫んで電話を切ってしまった。

「お父さん英語上手だねえ」という息子の声で、我に返った。もし今電話してきた人が、その子供でなくて、私か妻の知り合いだったらどうしよう。相手が誰かも確認しないその早とちりの対応に、憤慨しているか、苦笑いしているに違いない。

そのあと電話はかかってこなかった。

6月21日(土)「番外外国語の辞書」

at 2003 06/22 17:49 編集

10日前に行った“까르푸”の목동店に、今度は上の子も連れて、一家四人で行ってきた。ところで、このディスカウントストアの名前をよく見てみると、ハングルで書かれた“까르푸”という名前と一緒に、アルファベットで“Carrefour”と書かれている。

家に帰ってから、仏韓辞典でこの単語の発音と意味を調べてみた。すると、発音は“カルフール([karfu:r])”だそうだ。今度から“까르푸”ではなく“カルフール”と呼ばなければ。で、意味は“四つ角”が第1義で、そこから派生した比喩的意味として、思想や文明などの交流や交差、交差点、対話や討論の広場などの意味があるらしい。ということは、この店の名前は日本語でいえば、「であい」とか「ひろば」とでもいったらいいだろうか。

ところで、フランス語を勉強もしていない私が、なぜフランス語の辞書を持っているのか。それは、韓国語の文章を読むときに、必要だからだ。韓国語の文章だからといって、いつも韓国語だけなのではなく、ひょいと外国語の単語や文が紛れ込んで来ることがある。それは英語の場合が多いが、中にはフランス語やドイツ語もときどきある。古典ギリシャ語が出てくることもある。

その語の意味がわからないとどうもしっくり来ないことがある。前は、ロシア語がたくさん出てきて困ったことがあった。あの文字の並び方をどんなに睨んでも、意味の類推はほとんどできない。結局は読み飛ばしたが、しっかり読む必要がある時は、なるべく番外外国語にも目を通したい。そのとき、その言語の辞書が必要になる。

韓国では一般的には韓国語と少しの英語が用いられるが、著者たちは英語だけに押しとどめられることをしない。英語の次に重要なのは日本語だが、これは私たちにとっては問題ないだろう。それからフランス語とドイツ語だ。関心分野によっては、その他にもいろいろな言語が出て来ると思う。それらを勉強まではしなくても、辞書だけでも持っていると、役に立つことがよくある。

また、韓国での生活は、いつも韓国語だけとかかわり合っているわけではない。言葉に関心があるのなら、韓国社会の中で小数ながら行き交っている韓国語以外の言語にも関心を向けて、それらの意味ぐらいは知っておいても損はない。なぜなら、それらの語は、のちに外来語として韓国語の中で定着する可能性があるからだ。

6月22日(日)「日本語礼拝」

at 2003 06/22 21:33 編集

久しぶりに日本語礼拝に出席した。本当に久しぶりで、人数も増えていたし、顔ぶれもだいぶ替わっていた。見知らぬ人から久しぶりと挨拶されて、知ったような顔して返事をした。あの人は誰だったか。まあ追々思い出すだろう。

私は礼拝スタイルの批判はよくないと思うが、礼拝のスタイルをほめるのもまた、批判する(krinw)ことの一種だから、口はばったいのだが、でも、敢えて言ってしまうと、とてもいい礼拝だった。形式がとても洗練されていて、始まってから終るまで、とても心地よかった。

説教は、김사무엘先生が第1テサロニケ4章13〜17章の部分について話した。これは、主が再び来られる時のことがパウロの筆によって予告された部分だ。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと主御自身が天から降って来られる。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられる。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになる。

で、そのあとどうなるか。김사무엘先生は黙示録の内容を指摘した。「わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。(ヨハネの黙示録20:11)」そういえば、ペトロの手紙にもこういう記述がある。「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に溶け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。(ペトロの手紙2 3:10)」

私たちが真っ先に考えなければならないのは、終わりについてだ。人生なら、死について考え、死から出発するのが、むしろ人生を豊かにする。それと同じように、世界について考えるときも、世の終わりについて考え、地球の終末から出発することで、私たちは信仰の健全さが保たれる。

聖書にこのような記述があることを、ほとんどのノンクリスチャンは知らないだろうし、クリスチャンでも、こういう部分はついつい自分と関係ないと思って読み流してしまうことが多い。しかし、クリスチャンもノンクリスチャンもともに、この終末の時を目指していることを、意識する必要がある。そのときは、“キリストにある者”が救われると書いてある。私は本当にキリストにある者か、クリスチャンであっても時々自分の信仰を点検する必要があるだろう。

礼拝の後、先に帰ろうとしたら、グループ別聖書勉強があるという。妻と一緒のグループで交わりをした。しかし、妻の話によると、今日ははじめて来た人が多かったということで、自己紹介だけで終ってしまった。家に帰ってから、聖書を読む時間がなかったと文句をいうと、いつもは読んでいるのだそうだ。

久々に来た初日だから、大きな顔はできないのだが、この礼拝後の聖書勉強にたっぷり時間があるのを見ると、この時間は、梨花女子大学でやっている聖書勉強と同じスタイルの聖書勉強をするのにぴったりだと思った。1ヶ月ほど出ながら様子を見て、それから話を持ちかけてみよう。

6月27日(金)「中国語修了審査」

at 2003 06/28 14:16 編集

中国語の修了審査を見学した。中国語はほとんど聞き取れないが、むしろそういう外国語で修了審査を見たほうが、どれだけ学生たちができるかを実感できるだろうと思った。

時間がなかったので2人の発表しか見られなかったが、まあそれで十分だったろう。最初の学生は、本当に素晴らしかった。まるで中国人のように流暢に中国語を話した。

あとで先生たちからいくつか声調の間違いを指摘されていたようだったが、トーンによる意味の区別をまったくしない韓国語の話者にとって、それだけの間違いでほとんど正確に話すことは、大変なことだと思う。

6月28日(土)「은하철도 999」

at 2003 06/29 09:49 編集

下の子が、テレビで見ていた「은하철도 구구구(=銀河鉄道999)」を一緒に見た。韓国では、日本の昔の名作アニメを時々見ることができる。これもそうだ。人工的な산상태양(=山上太陽?)で生活する아무게성(アームゲとは“なにがし”の意)に不時着した철이(=鉄郎)たちが、女王に助けられて脱出するまでの短い話だ。

実は、そこでふと気が付いたのは、「메테르」という名前だ。「メーテル」というのは、古代ギリシャ語の“mhter”(母よ!)と読みが同じだ。アクセントの位置も同じだ。철이が“메테르!”と呼ぶとき、どうしても“母よ!”と思えてしまって、妙な感じがした。はて、メーテルは鉄郎の母か。でも、車掌も女王も、메테르と呼んでいた。まあ、これは余計な詮索だろう。

6月28日(土)「村上春樹」

at 2003 06/30 13:29 編集

古い友人と会う約束をして、교보문고へ行った。そこにある아이카페というコーヒースタンドで会おうということになったからだが、他に、言語教育院で使う教材を作るための資料を物色する目的もあった。同僚の先生と分担して教材を作ることになったのだが、私は外国語学習と、村上春樹と、異常な人のテーマで書くことになり、村上春樹に関して何かいいネタはないかと思い、彼が来るまであれこれ見ていた。

もともと私は小説をほとんど読んだことのない人間なので、小説について書けるような柄ではない。村上春樹についても、先月仕事の用で『ノルウェイの森』を読んだのが最初だ。でも、同僚の先生は数学科で、私は国文学科だったから、それだけ見れば私の方が向いているようにも見えるし、その先生にもそう説得されて、何となくそんな気になってしまった。しかし、いざ村上春樹を扱った読解文を作ろうとすると、頭の中が空っぽなことに気付いた。何がしかの知識を詰め込まなければ、教材は作れない。

それなのに、いつの間にか足は外国語教材のコーナーへ向いていた。そして、ヒンディー語のテープ付きの教材を手に取って見とれながら、これを勉強すればのちにサンスクリット語の学習が容易になって、今まで見たことすらない「パーニニ文典」というすごい本を読む機会が訪れるんじゃないか、なんて夢のようなことを考えていると、携帯電話に文字メッセージ(韓国ではこういう。日本ではそうは言わないとか…)が入ってきた。見ると、同僚の先生からで、自分の受け持った部分がまだ書き終わっていないという。返事を送ったあと、また日本書籍コーナーに戻った。

日本書籍コーナーで、『別冊宝島743 僕たちの好きな村上春樹』(宝島社)という本を見つけた。村上春樹のファンが見たらたまらない本なんだろうなあと思いながら、ページをパラパラとめくってみた。後ろの方に、著作物の解題(?)があった。この本に必要な情報は一応揃っているだろうと見切って買った。それから、「文庫ベスト」と表示されたコーナーを見ると、村上春樹の本が10種類くらいあった。まず目が行ったのが『やがて哀しき外国語』(講談社文庫)という本だった。これを買った。それから、『風の歌を聴け』(講談社文庫)も買った。

最初に約束した時間から50分遅れて彼がやってきた。それから아이카페で카페라떼を飲みながら雑談したのち、仕事で忙しい生活をしていて頭は集中できないのだが、1日30分くらい投資して英語を勉強したいというので、頭を集中させなくても済む勉強法として、『DUO』という単語熟語の教材を紹介した。これはかなり気合いを入れて作られている教材だ。私自身はこういうもので英語を勉強する気にはなれないので持っていないが、時間はないが急いでもいない彼にとって、この教材は英語の語彙力をつける格好の道具となると思う。

それから교보문고を出て연희동の두부촌へ行った。そこで콩국수を食べた。콩국수は夏に食べる一種の冷麺だが、ここの콩국수は、大豆の粉で作った汁が香ばしく、麺も歯ごたえがいい上に、一緒に出てくる열무김치(大根葉のキムチ)がとても爽やかなので、夏になると時々注文している。今回はそれに大根の냉채(なますのようなもの)が付いて、それが何とも言えず콩국수の汁と合った。

そのあと彼を장위동の自宅近くまで送って行った。途中원남동の交差点を通ったが、高架道路がきれいさっぱり撤去されて、広々とした十字路となっていた。7月1日から청계고가도로を撤去するために道路を拡張したのだろうという。彼は、これだったら最初からこういう風に作ればよかったのにと言っていた。同感だ。

드림랜드の角を右に曲がって100メートルほど行ったところにある구멍가게のところで、いつもながら車を止め、缶コーヒーなどを飲みながらしばらく雑談をした。今日は時間が早かったとあって、通りの歩道のあちこちで、店先にテーブルと椅子が出されて、そこで人々が酒を飲んだり料理を食べたりしながら話を楽しんでいた。

私たちが車を止めているすぐ前に、빈대떡屋があったが、その店は、鉄板を店先に出して焼いていた。さっき콩국수を食べたばかりなのに、急にそこの店の빈대떡が食べたくなり、車を下りて注文しようとしたが、焼いているおやじさんは値段を知らず、値段を知っている奥さんはちょっと場所を外していた。値段はあっちを見てくれと言われて、店の中の値段表を見ると、빈대떡はちょっと高く(7千ウォン)、고추전(唐辛子のチヂミ)と부추전(ニラのチヂミ)が安かったので(4千ウォン)、부추전を注文した。

最初は車の中で食べようと思ったが、店の奥さんが焼いて持ってきた直径30センチほどの부추전は非常に熱く、とうてい手に持って食べられるようなものではなかったので、車から出て、立て掛けてあったテーブルと椅子を出してもらって座り、そこで食べた。タマネギの角切りがごろごろしているタレの他に、大根とネギの냉채が添えられて出た。ここの店の냉채は酸味がなくて、また違った味だったが、唐辛子を効かせてぴりっとしている。これもまた油っこい전にはぴったりだった。タマネギのタレも逸品だった。また食べに来たい。

家に帰ってから、『僕たちの好きな村上春樹』をパラパラめくりながら内容を読んだ。何人もの人が分担して書いているが、「ノルウェイの森」に関する考察というか感想といった文章が多い。村上春樹の小説は、感覚的には共感を覚えるが、世界観が私とは全く違うので、のめり込む気にはなれない。この本は、研究書のように作家に体当たりして論じているのではなく、ファンが作家についてうんちくを傾けているものだ。村上春樹のことをよく知らない私には、この本は村上春樹に読んでもらうために、私たちはあなたのことがこんなに好きなんですよ、というメッセージで書いたのではないかという感じがする。しかし、作品の解題は、どの作品をどう読んだらいいか、おおまかな心の準備をさせてくれるので助かる。

そのあと、『やがて哀しき外国語』からいくつかのエッセイを読んだ。こっちはとても面白い。アメリカで生活しながら書かれたものだが、ごく日常的な出来事や心象をごく日常的な感覚で書いているので、親しみが持てる。この人が世界的な作家であることを忘れさせて、友達になったような錯覚を起こさせてしまうから不思議だ。エリートの世界観に浸り切っている駐在員を皮肉っているところは痛快だった。韓国に住む日本人たちの間でも、時々話題になる内容だから、溜飲の下がる思いがする。でも、自己紹介で共通一次の点数を言う人までいるというのは初めて聞いた。こういう日本のエリートは、アメリカ人にはプラスチックの塊か何かに見えるんじゃないだろうか。

6月29日(日)「賛美」

at 2003 06/29 18:11 編集

日本語礼拝に出た。教会の中でも一応私が所属する礼拝なのだから、名前をいちいち持ち出して、そこに出たというのは変なのだが、これまで楽ではなかったことが最近はすいすい実現しているので、不思議なのだ。ずいぶん長らく来なかった末にまた来始めたものだから、十数年ぶりに教会に出るようになったアルムおじさんよろしく、みんなから歓迎されている。^^;

今日は、日本から佐々木潤さんというゴスペルシンガーを招いて、説教の前に、証と賛美を聞いた。この人は今26歳なのだが、20歳のときに主からとつぜん日本語による賛美の働きをせよと示されたという。それまで作曲など一度もしたことがなかったので、まさか自分が作曲するとは思わなかったが、その後も主から自分で作曲して賛美することを示され、その1年後には最初のCDを出すまでに至ったという。

ピアノの伴奏が始まった時から、礼拝する部屋の中は安らかな雰囲気が流れ始め、彼が歌っているとき、涙を流している人や、啜り泣いている女の人たちもいた。神の栄光を豊かにほめたたえていて、明るく、平和で、清々しい曲だった。3曲を賛美した。深い感動があった。祈りや賛美の中で神の偉大さに触れたときに感じる喜びは、信じている人だけが感じることのできる特権だと思う。これは、神を信じていない人には、逆立ちしても理解できる感情ではない。

そのあと、Samuel Kim(または김사무엘)牧師先生が、詩篇108篇1〜5節(「新共同訳」は詩編108編2〜6節)について、「わが魂よ主をほめ歌おう」という題で説教をした。

賛美は絶望の中に溺れたとき、自分の魂をもって主をほめたたえることだという。「わたしは曙を呼び覚まそう」という言葉は、暗やみが過ぎ去るまで賛美を続けることをいう。賛美は揺り動く心を治め、暁が訪れるまで私を守ってくれる。「主よ、諸国の民の中でわたしあはなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます」という言葉は、賛美は神を人々に伝えるよき道具だという。賛美はキリストと交わることのできる通路だ。

サミュエル先生は、マーリン・キャロザースの「賛美の力」という本を引用して、賛美には力があることを説明した。私はそのとき、AJanasia さんから聞いた証を思い出した。実は AJanasia さんから証を聞いたとき、私はマーリン・キャロザースの本で読んだことを思い出していた。賛美には、私たちの心を喜びで満たす以上のものがある。

ダビデ王は危機に直面したときにこそ神を賛美した。聖書には神への賛美が至る所に載っている。サミュエル先生の説教は、来週までに一つは賛美を覚えてきましょうと勧めることで終った。

来週までに賛美を一つは覚えて来ましょうと勧めるのは、なかなか味な計らいだ。私たちはついつい賛美することを忘れてしまいがちだ。来週までに1曲は覚えるという気持があれば、気分はどうであれ、唇からは神を賛美する言葉が流れていることになるだろう。つらいときに賛美を忘れて不平を言ったり八つ当たりしたりしていた人は、自分の口から出る賛美によって平和を得るかも知れない。

6月29日(日)「風の歌を聴け」

at 2003 06/30 22:17 編集

昨日買った村上春樹の『風の歌を聴け』を読み終わった。読みながら、先月『ノルウェイの森』を読んだときのように、気分が沈んだ。これが村上春樹独特の、そして世界に伝播しつつある喪失感なのかと思った。感覚的には共感するが、これは私とは別の世界だ。部屋の外では、佐々木潤のゴスペルが聞こえる。芸術的な質は村上春樹の方が高いが、精神的な心地よさは、佐々木潤の方がいい。

私は彼の本を大学生の時に読まなくてよかったと思う。まだキリストも人生の輪郭も知らなかったときに接したら、間違いなく、他の多くの若者たちと同じように、あるいは他の若者たちとは違って、歪んだ影響を受けてしまったと思うからだ。

「僕」で語られる彼の小説は、当時の私の日記の文体によく似ている。おそらく、多くの大学生の日記というのは、私と同じく「僕」を主語としていて、そして、村上春樹の文体と共通する雰囲気を持っているのではないかと思う。自分の身に起こる様々なことについて、書きながら考えているのだと思う。だからこそ、彼の小説は瞬く間に若者たちを巻き込んで、社会現象にまでなったのだ。私もその例に漏れなかっただろう。

もちろん、私たちの日記というのは、小説のように面白いストーリーはなく、のっぺりとした日常を綴っているだけだが、もし当時私が彼の小説を読んだとしたら、その文体が接近しているために、強い影響を受けて破滅していたか、あるいは、その類似性のために、かえって毛嫌いしていたか、どちらかだろう。人間は毛嫌いする相手に似てくるというから、いずれにしても、影響されていただろうけれども。

ところで、読みながら、あるページをめくったところでぎょっとした。下着のような服を着た女性がこちらを向いて、笑いながら立っている写真の栞が、挟まっていたからだ。ちょっと前のページで「彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた」(p.75)という、多少ショッキングな一節を読んだあとだったからか、変にドキッとした。

栞を裏返しにすると、今度は「偉業運 大吉」という字が目に飛び込んできた。いや、参った。大吉とか何とかという文字を気味悪いと思う人もいることを、講談社は考慮に入れてくれればと願っているが、その願いは、まあ出版社には届かないだろう。現代日本語はそういう世界なのだから、嫌だったら日本語を捨てるしかない。私にそんなことができるわけないから、我慢してこういうものと付き合いながら、細々と自分の日本語を作っていくしかない。

6月30日(月)「カルプの本当の発音」

at 2003 06/30 21:46 編集

同じ講師室を使っているフランス語の先生に、大型ディスカウントショップ“까르푸”の正確な発音を伺ってみた。一瞬、鳩の鳴き声のように聞こえた。よく聞くと、「キャルフール」と聞こえる。ただし、“r”の音は喉ひこを震わす音なので、実際には“キャッフーハ”のようにも聞こえる。私が考えていた「カルフール」のような発音をすることもあるそうだが、通常は“カ”ではなく“キャ”と発音するのだと言われた。

フランス語の先生は、까르푸という発音が嫌だといっていた。本物のフランス語の音からあまりにもかけ離れているのが理由だ。たしかに、フランス語の先生なら、フランス語の単語に関しては原音主義にならざるを得ないだろう。それも、徹底した原音主義に。

しかし、このキャッフーハというのはとても発音がむずかしい。喉ひこと唇を交互に狭めて摩擦音を出すところが、なかなか骨が折れる。だから私は日本語でいうときには「キャルフール」と呼ぶことにしよう。こういう態度を、折衷型原音主義とでも言ったらいいだろうか。あるいは、中途半端型原音主義?