ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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5月4日(日)「修養会(その1)」

at 2003 05/08 21:49 編集

教会の수련회(=修養会、retreat)に初めて行った。いつもは妻と子供たちは行っても、私は一人で家に残っていたが、教会活動を全くしないのも変なので、家族と一緒に行くことにしたのだ。午後教会に行き、そこから명지대학교のバスに乗って、안성にある사랑의교회の수양관(=修養館)へ行った。

修養館はれんが造りのホテルのような外観の建物だった。山に囲まれて、静かで空気のきれいなところだった。私が修養会に初めて来たというと、みんな信じられないといった表情で、あきれて笑った。たしかにそうかもしれない。しかし、団体行動が苦手な私は、修養会に参加すること自体が決心のいることなのだ。
まず部屋に荷物を置いて、同室した人たちとのんびり話をしながら休んだあと、ウェルカムタイムという、賛美を歌う時間を持った。賛美を歌いながらダンスを踊ったが、私はこういうのは苦手なので、ちょっときつかった。一般に、みんなは体を動かすのが好きらしい。私は、聖書の言葉を心の中で何度も反芻させてその意味をじっくりと味わったりすることに、喜びを感じるが、こういうことが苦手な人が逆にそのようなことをしたら、また違った負担を感じるのだろう。

それから食事の時間になった。ロシアから来た韓国系ロシア人の兄弟と知り合いになって、一緒に食事をした。ロシアやロシア語などについて、私は何も知らないので、いろいろな質問をした。ギリシャ文字とロシア文字に似ている点があるので、そんな話をしたり、ロシア語の話をしたりした。彼は韓国語が流暢だが、両親とは韓国語で話したことはないという。大学で初めて専攻として韓国語を学んだのだそうだ。

それから集会があって、ゲームをやった。私はゲームこそ苦手中の苦手なので、とても辛かった。ゲームがやっと終わったあと、김사무엘先生が人間関係が壊れる原因について講議をした。私はこういう話を聞くのは好きなので、最初から最後まで全部こんなことをやればいいのになあと思った。

夜中の11時頃就寝となった。部屋に戻ると、兄弟の一人が布団にくるまって青い顔をしていた。どうしたのかと聞くと、今朝から熱があったのだが、また熱があがったという。水を飲むかと聞くと、いらないというが、彼は普段から痩せているのに熱で苦しんでいる表情を見たら、まるで死にかけた人のようだった。それで妻のいる部屋へ行って、彼が熱を出して青い顔で震えているから、薬があったら持ってきて欲しいというと、しばらくして水と一緒に解熱剤を持ってきて、彼に飲ませ、励まして、出て行った。った。

そのあと、Yさんが、同室の執事さんが5時頃私たちに見せてくれた図形の問題を、ついに解いた。実はその図形の問題は、その執事さんも解けずにいたものだった。難しかったのは、その問題がトリックを使ったものだったからだ。執事さんが部屋に戻ってきてからその図形をもう一度見せてもらい、その形をよく見ると、直線に見えたのが、やはりわずかに歪んでいた。

5月5日(月)「修養会(その2)」

at 2003 05/24 05:14 編集

昨夜、私は消灯するとすぐ寝てしまった。他の人たちもそうだったようだ。しかし、今朝は、6時に起床なのだが、私は6時半近くなって目が覚めた。昨日青い顔をして震えていた兄弟は、今日はすっかり元気になっていた。布団を畳むとき、彼の脇に置いてあった薬の残りと、水の入ったペットボトルを見て、みんなが私の妻のことを、親切だと言ってほめていた。

妻は眠そうだった。昨夜は少ししか眠れなかったそうだ。女性たちはこういうとき、明け方までおしゃべりに花が咲いて、なかなか寝られないものだが、さらに、昨夜は同室の子供が夜中に癇癪を起こして、妻のいる部屋はその子をなだめるのに大変だったという。

6時半少し過ぎてから、김사무엘牧師先生が、QTについて話をした。それから、みんなで15分間QTをした。それから15分間の分かち合いになった。まずリーダーの執事さんが簡単に話をしたあと、全員が順番に話すことになったが、私たちのグループは8人いたので、一人1分ずつ分かち合うようにしようと私は提議した。しかし、最初の三人がそれぞれ3分くらいずつ話したので、それで9分たち、残り時間は3分くらいになった。そして、私の順番が回ってくる直前に時間切れになった。

ノン・クリスチャンのYさんは、正確に1分ちょうどで話し、しかも、その読みは的確だった。発表した5人の中で彼がいちばんしっかりとテキストを読解していた。QTは必ずしも丹念な読解の上で黙想する必要はなく、目に留まった単語から自由に黙想してもいいのだが、基本的には与えられたテキストをきちんと読むべきだと思う。そういう点で、Yさんの読み方はひとつの模範を示したといえるが、“恵みで(この表現の意味はかなり漠然としている)”読んでいる兄弟姉妹たちに、それが受け入れられるかどうかは、分からない。ない。

それから朝食を食べた。シリアルと2つのパンと果物という簡単なものだったが、これをしっかり食べないと昼までもちそうもなかったので、頑張って一生懸命食べた。一生懸命食べてみると、なかなかおいしい。

それから体操をした。なんと、幼稚園や小学校などでやる子供のお遊技のようなダンスだった。

それから김사무엘先生の講議を聞いた。今日は、壊れた関係を改善するための方法だった。しかし、どうしたわけか、この講議の内容を私は何も覚えていない。上の空だったようだ。

それからゲームをした。このゲームは30〜40代の男性グループであるダビデ会という集まりで準備したそうで、ゲーム嫌いの私にも、それなりに楽しめる、爽やかな感じのするゲームだった。まず、報酬なしにただ楽しむだけというのが気にいった。った。

そのあとチェックアウトをし、食事をした。先に食事が終わって一人でうろうろしていると、妻が、Yさんが信仰告白をしたと言った。彼は教会に好意的で、教会活動にも積極的に参加しているが、キリストを受け入れていない。ついさっきまでそんな素振りも見せなかったから、「何かの間違いでしょ」と私は答えた。

案の定、ある兄弟が、彼に無理矢理信仰告白をさせたらしい。そういうのが聖書的に意味のある信仰告白だとは私には思えない。ちょっとそれは無茶なのではないかと思った。しかし、それでもいいのかもしれない。内村鑑三も、信仰のスタートは、大学に入って先輩から強制的に信仰告白をさせられたことから始まると言っているのだから。

そのあと、バスが出るまで、Yさんと木陰で話をしたが、信仰について私に話を聞いてきた。それについて私は、自分が信じるようになったときのことと、ヤコブの生き方から信仰に対する自分の考えを話したが、考えてみたら、彼は無理矢理信仰告白をさせられたというものの、心は信仰に傾いていたのか。私はそんなことも全く感知しなかった。

帰りのバスの中で、半分ぐらいは眠った。後ろの席では、上の子が座席に横たわって眠り、その上に下の子がうつ伏せに覆い被さって眠っていた。それを見た姉妹たちが、「어머, 귀여워」と言っていた。

家に帰り、コーヒーを入れて飲んだあと、二人の子たちをつれてキョボ文庫へ行った。子供の日に何か買ってと言うので、本なら買ってあげると言ったのだ。上の子は最初から漫画と決めていたが、下の子は、初めは漢字の本がほしいと言っていたのに、結局絵の具がついている塗り絵を買った。

5月9日(金)「노래방」

at 2003 05/13 02:58 編集

午後6時に約束があって、대학로 (大学路) へ向かった。KFCの前で待ち合わせをしていたのだが、私が到着したとき腕時計を見ると、6時20分だった。男性は日本人のB氏とI氏とK氏が来ていて、女性は在日のYさんと、帰国子女で二重言語話者のKさんがすでに来ていた。

一通り集まったあと、みんなで놀부보쌈へ行き、보쌈を2皿注文した。そのときに、韓国人のS氏が来た。食事をしているときに、在日のJ氏の女友達で、고려대학교 (高麗大学) に通っている在日の女性と、同じく고려대학교に通う帰国子女の二重言語話者の女性が来た。この二重言語話者の大学生は、小学校の3年間と中学校の3年間の、通算7年間日本に住んでいたという。彼女が福岡に住んでいたと言ったことから、私の前にいた福岡出身のI氏とKさんとK氏が、急に福岡の話で盛り上がり始めた。私はその中に挟まれて、的外れな受け答えをしていた。

すっかり食事が終わったとき、J氏が来た。彼はプロの歌手で、コンサートもしていると以前Yさんから聞いているから、私は彼の歌を聞くのが楽しみだった。

食事が終わったあと、「오페라하우스」という노래방へ行った。これが今日みんなで会った目的だ。初めにI氏が歌った。ふだん話すときの声も渋くて品もあり、聞き心地のいい人だが、歌声も甘美で表情豊かでうまかった。J氏の歌は、やはり素晴らしかった。言葉の表情が豊かで、哀切な歌詞を本当に私たちに哀切に感じさせる歌声だった。他の人たちも皆うまかった。やはり、皆耳がいい人たちなのだろう。音程が正確なのだ。

みんなは日本の歌を歌うことが楽しみで集まったのだが、私は最近の曲はゴスペルしか知らず、その他の曲も韓国の歌ばかりで、私が歌えそうなのは、私がまだ日本にいた80年代までの歌の中でもごく限られたものだった。しかし、この店には、古い曲はあまりないらしい。私が歌えそうだと思って探した歌の半分はリストになかった。代りに私の知らない曲名が何千(?)も並んでいた。

やっと小椋桂の「シクラメンのかほり」を布施明のところで発見して、リクエストした。私が歌っているとき、KさんとK氏が、「かほり」と書くのは“かおり”の昔の表記だと論じあっていた。私はこういう話はどうも黙っていられなくて、歌い終わったあと、“かおり”の昔の表記は「かほり」ではなく、ワ行の“を”を書いた「かをり」だと言った。こういうことを場も弁えず口に出すのは、日本語教師のよくない癖と思われる。しかし、集まった人の半分くらいは言語学をやっているのだから、まあ許されるだろう。

この노래방は、昔は「도레미파」という名前で、日本語のカラオケが歌えることで有名だった店だ。しかし、名前が変わってから日本語のカラオケができる部屋も一つしかなくなった。それに、レーザーディスクが途中で飛んでしまって同じ画面が繰り返されてしまう曲が4曲ぐらいあった。K氏は、苦い顔をして、この店はだいぶ質が落ちたと言っていた。

노래방を出たあと、5人はまた一杯飲みに行ったが、私を含めた残りの人たちは先に帰った。私はKさんとI氏と一緒に帰った。4号線の駅まで歩きながら、Kさんが、J氏があれだけ素晴らしい歌声が出るのはどうしてかしらと頻りに言っていた。きっと生まれつき肉体構造が違うんだわと言っていた。まあ、そういうこともあるかもしれない。

私がこの前노래방に行ったのは、私のことを「オジャキさん」と呼ぶSさんが帰国するときだったから、もう1年前になるとKさんに言ったら、それは2年前だという。私のカラオケは2年ぶりだったということだ。今度노래방に行くのはまた2年後か。

5月12日(月)「本」

at 2003 05/13 03:13 編集

先週土曜日の午後、市内で用事があり、そのついでに교보문고へ寄った。特に何をする予定でもなかったが、日本書籍のコーナーへ行って、例のように言葉などに関する読み物を物色したあと、『英語快読術』(行方昭夫著、岩波現代文庫)と『語学で身を立てる』(猪浦道夫著、集英社新書)と『会話の日本語読本』(鴨下信一著、文春新書)と『漢字と中国人』(大島正二著、岩波新書)を買った。どれも今年出された本だ。

『英語快読術』は、英語が深く読めるための秘術ではなく、そのための助言または忠告といった本だが、この本に書かれている思想は十分に反芻して自分のものにする必要があると思う。韓国の翻訳界では、翻訳者は母国語の実力が優れていなければいけないとよく言うが、私はそれを、日本語がろくにできない翻訳者の負け惜しみだと言って、反対していた。翻訳者は外国語の実力と母国語の実力の両方が優れていなければいけないからだ。この本は、私と同じ考えを主張している。

この本はまた、たくさんの英語の例文と訳が載っていて、さらに第5章では4編の現代英文が注釈と訳付きで掲載されている。文庫版だが、これがこのまま英語の教材になってしまう。retold 版の楽しみを教えてくれるのもこの本の特徴だ。原文と比較して、どのように違うのかがよく分かる。なるほど、原文は、辞書を引きまくりながら意味のよく分からない語を確かめると、たしかに凄みと深みがある。しかし、retold 版は、そういう味は薄まるものの、簡素で明瞭で、いい文章になっている。

『語学で身を立てる』は、身に付けた外国語の実力を利用して仕事をすることについて述べている。この本を読めば、語学で身を立てるというのはどういうことか、そのためにはどう勉強し、どのように仕事を得ていったらいいのかについて、たくさんのアドバイスが書かれている。ここに『20カ国語ペラペラ』の著者、種田輝豊氏のことが書かれてあったが(p.166)、驚いたのは、種田氏の外国語の実力は思っていた以上に優れていたということだ。著者は書いている。

「彼の能力を認めている人には、意外なところで出会ったことがあります。あるときフランスに出張で行くことになり、エールフランスの飛行機の中でフランス人ビジネスマンと隣り合わせになったとき、ひょんなことから彼が種田氏を知っていることがわかったのですが、彼は『種田氏のフランス語は、これまで世話になった通訳の中で突出していた』と絶賛したのです。種田氏にとって、フランス語は得意なものから数えて第八外国語ぐらいだったと記憶しているので、本当に彼は語学の天才なのだと驚いたものです。」

『20カ国語ペラペラ』の愛読者なら、この話を聞いて、『20カ国語ペラペラ』の価値を再評価することができるだろう。著者は「後年わかったことには、彼のような才能と集中力は、並みの人間、少なくとも凡人の私には存在しませんでした」とは書いているが、私はこの短い逸話から、種田氏の学習方法をもう少し具体的に再現できるのではないだろうかと思った。

『会話の日本語読本』は、対談の文章や戯曲、映画のシナリオ、小説の会話文などから、話し言葉の味わいある名文を集め、どんな味わいがあるのかに照明を当てた本だ。この本は四つの章に分かれていて、最初の章では合の手について論じ、2番目の章では女言葉のおもしろさ、3番目の章では日本的な一人ゼリフの劇的な効果について論じており、4番目の章では、方言による豊かな表現について述べている。

最後の章で著者の独特な着眼点が光っているのは、方言を語彙や語尾などの表現に限定して見ずに、話の流れ方、文の構造の癖にまでも目を着けていることだ。こういうことができる人が、本当に母国語に優れた人といえるのだ。この本を読んで、日本語の奥の深さに私はついていけそうにないと思った(涙)。

5月13日(火)「強運」

at 2003 05/14 03:14 編集

昨日から、エンジンのかかりが急に悪くなった。キーを捻ると、キキキ……という弱々しい音がしたあと、ブーンとエンジンがかかるのだった。これはちょっと何かがまずいと思った。今日もまた家を出るとき、エンジンをかけると昨日と同じくかかりが弱い。それで、発進するにはしたが、何となく不安な気分だった。

私は車の中でいつもテープを聞いているが、今日は、テープの音に、電池が足りなくなったときによくある、チリチリといった雑音が混じっていた。そして、信号待ちをしてからアクセルを踏み込んだとき、一瞬テープの音が飛んだ。

そのとき、これはバッテリーが弱まっているためだと確信した。それで、なるべく早いうちにカーセンターへ行ってバッテリーの交換をしなければならないと思った。しかし、いつ行こうか。今日授業が終わったあとに行き付けのカーセンターへ行っても、もう閉まっているだろう。授業は夜9時半に終わるのだから。ではいつどこのカーセンターへ行こうかと考えていたが、言語教育院の百メートルほど手前にあるガソリンスタンドで、カーセンターもやっていたことを思い出した。

初めはクーラーをかけたが、心配なので、すぐにクーラーはとめ、ちょっと暑かったけれど、窓を少しだけ開けて運転した。テープは聞いていた。

ガソリンスタンドのカーセンターに着いて車をとめると、店員に「ちょっとバッテリーを点検してください」と言った。ボンネットを開けるので、エンジンを止めた。彼は電圧計をバッテリーに当てたが、電圧を見ると首をかしげ、車に乗り込んで、エンジンをもう一度かけてみた。しかし、力なくキキキキ……と鳴るだけで、エンジンがかからなかった。

なんと、カーセンターに着いたところで、ついにバッテリーが尽きたのだった。店員はボンネットのバッテリーを指さして、「今までずっとこれを使ってたんですか」と聞いた。98年の2月に車を買ったときから一度もバッテリーを交換していなかったのだ。私がそうですと答えると、驚いた顔をして、普通は2〜3年で交換するのにと言うので、「それで去年の秋、心配になってカーセンターへ行ってバッテリーを点検してもらったら、まだ大丈夫だと言われたんです」と説明した。5年以上も一つのバッテリーを使いつづけたという事実に、彼は驚いていた。

発電機も寿命が尽きたというので、発電機とバッテリーの両方を交換した。18万ウォンもの出費になった。これは痛い。しかし、5年3ヶ月めにしてこの値段なのだから、まあ安いものかもしれない。それに、これで当分はバッテリーのことで心配する必要もないので、精神的にも安心だ。

それにもまして、今まで車を運転しながらいつも心配してきたことが、今回難なくクリアできたことがうれしかった。多くの人たちが、駐車場を出ようとしたらエンジンがかからなかったり、ひどいときは、走行中にバッテリーが尽きてエンジンがストップしてしまうことすらある。それが、今回の場合は、カーセンターに着いてエンジンを止めたところでバッテリーが尽きたのだ。

以前、강부호という牧師先生の説教の中で、走行中にバッテリーが尽き、カーセンターの目の前で車が止まった経験談を聞いたことがある。私はその強運をとてもうらやましく思い、できれば自分も、車のバッテリーが尽きるときは、そのようになりたいと思っていた。今日はそれが実現した。

これは神の恵み以外の何物でもない。おかげでカーセンターの店員を出張させることもなかったし、견인차 (レッカー車) を呼ぶこともなかった。それに、カーセンターから言語教育院までは百メートルしか離れていないので、車を預けたあと、言語教育院まで歩いて行けた。そして、何事もなかったかのように、2時からの聖書勉強会に遅れずに出席できた。完璧なスケジュールだ。

5月17日(土)「기로스 (ギロス)」

at 2003 05/20 01:12 編集

이화여자대학교 (梨花女子大学) 前にある「기로스」(02-312-2246)というギリシャ料理店に、韓国人の友人と一緒に行ってみた。それまでソウルにギリシャ料理店があることを知らなかった。今月の初めに学生からこの店を教えてもらい、AristotelhV 神父さんに話したところ、神父さんもソウルにギリシャ料理店があるとは知らなかったので、ぜひ行ってみたいと言われた。そして、来週月曜日に一緒に行く約束をした。その下見として、この店で食事をしてみた。

学生の話では、いつも混んでいるということだったが、本当に、狭い店内は空席がなく、待っている人たちがいた。客はほとんどが梨花女子大学の学生たちだ。店内にはギリシャ音楽が流れていて、それが店の雰囲気をとてもよくしている。音楽は、ギリシャの大衆音楽やビザンチン音楽など、さまざまだった。料理も安いということだったが、メニューを見ると、本当にリーゾナブルで、大体3千ウォン台から、高いものでも5千ウォン台だった。

店長は大柄な人で、韓国では珍しく、口と顎にひげを生やしている。カナダのトロントで、ギリシャの人からこの店を譲り受け、作り方を伝授してもらったのち、西洋人に合ったメニューなどを開発して結構うまくいったと言う。そのあと韓国に戻ってきて、ここで店を始めたのだそうだ。ギリシャ大使館の人も来て、おいしいとほめられたとうれしそうに言っていた。この店が繁昌しているのは、料理の他に、この店長の温和な雰囲気もあるかもしれない。

ギロスという料理を注文して食べた。ギロス(イィロス:guroV)というのはこの店の名前だが、ギリシャ語でこの単語は“ぐるり”のような意味がある。ナンのような薄い円形のパンで、肉と野菜を包んだ食べ物だ。スパイスが効いている。見た感じと食べた感じは、タコスとそっくりだが、タコスのように二つ折りに挟むのではなく、手巻き寿司のように巻く。ぐるりと巻くから「ギロス」というのだろうか。

店長に、来週の月曜日にギリシャ正教の神父さんを案内してこの店で食事することになったから、下見として今日は来てみたと話した。この店はいつも混んでいるようだから、予約はできないかと頼むと、「う〜ん、その時間は店の前が난리(=大騒ぎ;繁昌の意味)だから」といって渋い表情をしたが、しばらく考えて、「わかりました」と言ってくれた。そして名刺をもらい、出発してから到着するまで10分ほどかかるから、出発するときに電話すると言った。

店長はカトリックの教会に通っているそうで、ギリシャ正教には好意的だった。私がプロテスタント教会に通っていると言うと、「プロテスタントの人たちはカトリックではマリアを信仰しているから偶像崇拝だと言う人がいるけど、信仰しているんじゃなくて、尊敬して慕っているんですよ」と言っていた。こういうことを話しながらも少しも角が立たないのは、この人の朗らかで陽気な雰囲気のせいだろうか。

店長に私の名刺をあげると、日本人だということを知って、驚いていた。名刺を見ながら、私を「오 선생님(=오先生)」と呼んで、食事と引き換えに私から日本語を習おうかなどと言っていた。冗談のようだけれど、食事と引き換えならうれしい話かも。でも、彼はギリシャ語は全然できないと言っていたから、日本語を始める前に、ギリシャ語を身につける必要があるだろう。“Teach Yourself Beginer's Greek”という、とってもいい本があることを、今度会ったとき教えてあげようか。

5月19日(月)「기로스(その2)」

at 2003 05/20 02:04 編集

AristotelhV 神父さんと AJanasia さんと3人で、이화여자대학교 정문のそばにあるギリシャ料理店기로스へ行った。神父さんの話では、ギロスというのは料理の名前だという。ギロスを売る店だから기로스と名前を付けたということだ。私は기로스という店の看板メニューだからギロスと呼ぶのかもしれないと思っていた。

私たちが着くと、席が予約されていた。店長は英語が得意なので、神父さんとは英語で話した。私たちはギロスを注文した。神父さんと AJanasia さんは鶏肉のギロスを注文し、私は豚肉のギロスを注文した。店内にはギリシャ音楽が流れていたが、店長が神父さんに、ほら、ギリシャの音楽が流れていますよと言うと、神父さんは、驚いたような呆れたような、喜んでいるような表情で、額に手を当てて苦笑した。それらの曲はギリシャの大衆音楽だった。中にはギリシャ音楽をトルコ語に訳して歌っている曲も流れていると神父さんが言っていた。

30台前半と見られる店長の他に、40台後半と見られる男性が一緒にいた。共同経営者だそうだ。店長は彼を“社長”と呼んでいた。“社長”は、ギリシャに行ったことがあると言う。社長が神父さんに、“ギロス”は英語では“ジャイロ”と言って、ギリシャ語で“イロ”というんですよと言うと、神父さんが“違います”と言って、正しい発音を聞かせたが、社長はその発音が区別できなかった。店長はカトリックの信徒だが、社長はバプテスト教会に通っているそうだ。私の通うオンヌリ教会をよく知っていた。

料理が出てきたので食前の祈りをしたが、神父さんが「何語で祈りますか」というので、「ギリシャ語で」と答えた。ギリシャ正教式に、食前に「主の祈り」を祈った。途中から私はうろ覚えになって、ちゃんと暗唱できなかった。まあいいか。

食べ始めると、神父さんは、ギロスを包むパンが冷えていると言って、驚いていた。ギリシャでは、ギロスのパンは、温かくなければならないのだそうだ。たしかに、温かいパンで包んだ方がおいしいだろう。しかし、それだけで、2人とも決して不満らしいことを言わなかった。私はパンの温かいギロスを想像しながら食べた。

私はもとから食べるのが遅いのと、ギロスの食べ方に慣れていないのとで、3人の中でいちばん食べ終わるのが遅かった。ギリシャの人たちは、メスィメリノに2時間ぐらいかけてゆっくりと食べると Teach Yourself Greek に書いてあったが、ギリシャの人以上に、私の食べ方は遅かった。

食事をしながら、神父さんが私に、“友達になりたい”を韓国語ではどういうのですかと尋ねるので、「친구가 되고 싶어요.」とお教えした。聞きながら、スラスラと韓国語でメモする速度がとても速く、また正確だったので、驚いた。話すことよりも書くことに長けておられるようだ。ギリシャ語は発音よりも表記の方がいくぶん複雑なため、視覚神経が発達しやすいのかもしれない。

支払いは、神父さんが持ってくださった。神父さんが店長にお金を渡しながら「사장님과 친구가 되고 싶어요.」と言うと、店長は照れながらうれしそうに笑った。この店の魅力は、店長のこの無邪気そうな笑顔にあるのだとも思えた。それで女性客が多いのかも。店長の顔は、よく見ると、渥美清に似ている。神父さんは、店の名刺をもらっていた。これからギリシャのお客さんがこの店に増えるかもしれない。

私は、無理を言って席を予約してくれたお礼に、店長に『회화식일본어입문』をプレゼントした。

5月21日(水)「私のギリシャ語誤用パターン」

at 2003 05/21 21:10 編集

ギリシャ語の作文を直してもらったものを見ていると、間違いの傾向が現れていておもしろい。表記のミスはさておいて、よく間違える部分は、日本語と韓国語に欠如した文法事項がことのほか弱い。英希辞典がよくできているのか、語彙の選択が間違っていると指摘されることはほとんどないのだが、文法の間違いがはなはだしい。

特に、人称変化に弱く、よく間違える。とりわけアオリストの3人称を使わなければならないところで、間違えて1人称を使ってしまうことが多い。そのために、「彼は〜した」というべきところを、「私は〜した」と言ってしまうのだ。これは聞いた人を混乱させる。

それから、形容詞と名詞との格と数の一致も難しい。数の一致はクリアしても、格の一致でまちがえる。おかしなことに、形容詞の方は正しく対格を使えたのに、名詞の方は主格を使ってしまったこともある。こういうのは解釈不能な文章を作る。

それから、定冠詞をつけるつけないというのも難しい。英語と違うから難しいのではなく、定冠詞が付いたり付かなかったりするから難しいのだ。定冠詞を抜かしてしまったり入れてしまったりした誤用をあとで整理してみる必要があるだろう。

その他にも、主格でない代名詞は省略できないのに省略してしまう誤用もよくする。これは本当に難しい。ギリシャ語の代名詞は、動詞の前にピタリとくっつけるので、ぼんやりとは分かっていても、意識しにくいのだ。習慣的に付けることが分かっている文脈ではきちんとつけられるが、論理的に考えて代名詞が必要な部分というのが泣き所だ。指摘されてみないとそれが非論理的だということに気が付かないのだ。

それでも、ここ2〜3ヶ月のうちに、わずかながら誤りの含有量(?)が減ってきた。つまり、赤で直される部分のパーセンテージが減ってきたのだ。本居宣長先生の言葉にもあるように、才能よりも、続けることが重要なことだというのを、このことからも学んだ。それにしても、私の作文の添削結果を見ていると、言語教育院の学生たちの日本語が上手なのだということがよく分かる。

5月26日(月)「기로스(その3)」

at 2003 05/26 23:35 編集

同僚の先生達と一緒に、午後5時半ごろ기로스へ行った。食事の時間ではないので大丈夫だろうと思っていたが、ウェイティングのお客さんがいて、一人の先生は、こんなんじゃ待てないよと言った。しかし、しばらくすると、すぐに席が空いて、座れた。

“社長”と呼ばれる人が、お客さんたちの相手をしていた。社長は원先生を、沖縄かフィリピンの人のようで美しいとほめ、料理を一皿サービスしてくれた。料理の名前は、“スパナコピタ(=ほうれん草パイ)”という。擂ったほうれん草の入ったパイといった感じの料理で、なかなか美味しかった。원先生は、「外国に住んでた人はやっぱりどこか違うわ」と言っていた。確かに、女性を褒めて料理を1品加えるという行動パターンは、韓国ではめったに見られないことだ。

他の先生たちは鶏肉のギロスを注文し、私は豚肉のギロスを注文したのだが、食べてみると、私のも鶏肉だった。ギロスは1本3千9百ウォンだが、これだけでも結構満足できる分量だ。食べやすいように、防水加工した紙に包んで出されるが、上の方から食べ進んでいくと、野菜などの汁が徐々に下の方にたまっていく。今日は、紙の間から汁が皿にぽたぽたと落ちた。

店にはギリシャの雰囲気を出すための調度品がいくつか置いてあり、アクロポリスを紹介する数ヶ国語で書かれた写真集もある。美しい写真に、ギリシャ語と英語とその他いくつかの西洋語で説明が書かれているが、ギリシャ語を見てみると、古典ギリシャ語と現代ギリシャ語が混ざっていた。こういうのを見るとき、古典ギリシャ語から入っていて良かったと思う。大して読めるわけではないけれど、すぐ下に英文があるので、それと見比べながら、ギリシャ語の単語もいくつか覚えた(店を出た時にはすでに忘れていたが)。

店を出ると、言語教育院の事務の先生がこちらに向かって歩いて来た。どこへ行くんですかと聞くと、この先のLGアパートに住んでいると言う。私たちがギロスで食事したことを知ると、この店は美味しいでしょうと言い、ここは夜中の12時までやっているので、自分たちも夜ここへ時々食べに来るのだといっていた。

5月27日(火)「聖書勉強会」

at 2003 05/28 13:53 編集

梨花女子大学校言語教育院の聖書勉強会を2年近く手伝ってくれてきた姉妹が、国費留学生として日本の大学院に留学するため、今週土曜日に日本へ行くことになったので、歓送会をした。

初め、学校の正門前で会って、それから近くのピザ屋へ行って食事をした。食事の後、言語教育院へ行って、いつもの時間に聖書勉強会を始めた。

今日は通常の聖書勉強をしないで、佐味伝道師さんが、今日読む聖書箇所で説教をした。ちょうどそれが70人(または72人)の弟子をイエス様が派遣する箇所で、今日の状況にピッタリの内容だった。

そのあと、彼女のためにみんなで祈った。私は少人数の祈祷会にはずいぶん長い間出たことがなかったので、久々に祈祷会に出たような懐かしい気分がした。

祈りがちょうど終わった頃、最近来始めた兄弟が、大きな花束を持って入ってきた。あまりにも颯爽として男らしかったので、みんな驚いてしまった。

ある姉妹が、QT(=デボーション)というのを実際に見たことがないので、よく分からないというので、来週は、通常の聖書勉強はまたお預けにして、来週読む聖書箇所で一緒にQTをすることにした。

私の発案は、まず佐味伝道師さんがQTの方法について20分ほど説明した後、15分実際にQTをし、そのあとみんなでその内容を分かち合うというものだ。いい時間が持てればと思う。

5月28日(水)「문화축제 (文化祝祭)」

at 2003 05/28 18:42 編集

梨花女子大学校で문화축제があったが、それが始まる前に、韓国語を勉強している外国人学生たちの出店が학생문화관の前であった。

日本の学生や中国の学生が前日一生懸命準備していたので、今日はお昼を兼ねて食べに行った。中国の餃子を楽しみにして行ったのだが、着いた頃にはもう売り切れていてなかった。酢豚だけがあった。ボリュームたっぷりの酢豚だった。

それから、日本の豚汁を食べた。日本の料理はかなり人気があって、人が群がっていた。学生たちの指導をした韓国語の先生と、「豚汁」を韓国語でどう表現したらいいかを考えた。私が「돼지탕」と言ったら、先生は「돼지고기탕」の方がいいと言った。確かに、돼지탕ではあまり食べ物らしい感じがしない。

豚汁を食べた後、トルコ料理の出店に行ったが、トルコから来ている留学生がやっていて、他の料理は全部売り切れて、紅茶だけを売っていた。トルコの紅茶で、入れ方が独特だったが、香りが高くとてもおいしかった。韓国での生活はどうですかと聞くと、トルコと韓国とは似ている点が多いので、韓国がとても好きですと言っていた。トルコ料理を食べたことがありますかと聞かれたので、동부이촌동にある이스탄부르というレストランに行ったことがありますと答えると、自分もよく知っている店ですと言って、とても喜んでいた。トルコ語は日本語や韓国語と統語的にも形態的にも似た点の多い言語なので、いつか勉強してみたい。

トルコ料理は右の端にあり、左の端にはギリシャ料理のギロスを、기로스の店長が学生たちと一緒に売っていた。トルコ料理とギリシャ料理を一番遠く離しておくのは、誰の心遣いか。トルコとギリシャは犬猿の仲だと聞いているから、そうする必要があったのかもしれない。ギロスが一番人気があって、そこは日本料理が全部売切れてしまった後も、ずっと列ができていて、ギロスが売られ続けていた。

祝祭のメインメニューは2時から始まるのだが、私はその時間に学生の指導をする用事が入っていたので見られなかった。あとで同僚の先生たちが講師室に来て、フェスティバルはすごかったと言っていた。

5月30日(金)「語源の落とし穴(?)」

at 2003 05/31 02:43 編集

上の子が学校でシロホン(韓国語では“실로폰”)が必要だというので、先日家族みんなで買いに行った。私はシロホンを木琴だとばかり思い込んでいた。しかし、ケースを開けてみると、それは鉄琴だった。

なぜ木琴だと思ったかというと、シロホンに当る英語の単語は“xylophone”と綴るが、“xylo”というのはギリシャ語の“xulon”(材木)のことだからだ。(“phone”というのは“jwnh”(音)のことだ。)

試しに新明解国語辞典を調べてみると、シロホンまたはシロフォンというのは、ドイツ語を経由して来た単語だそうで、意味は“木琴”を見よとなっている。岩波国語辞典でもやはり“木琴”だ。広辞苑でも“木琴”だと説明している。

韓国語の「실로폰」はどうなのだろうか。『동아 새국어사전』では“목금 (木琴)”だ。『동아 연세초등국어사전』でもやはり“木琴”の説明になっている。한글학회の『우리말 큰사전』でも민중서림の『국어대사전』でもやはり“木琴”だ。(『연세국어사전』には載っていなかった。)それなのに、確かに韓国の小学校では鉄琴を실로폰(=シロホン)と呼んでいる。

そこで、英語の“xylophone”を辞書で調べてみた。コリンズの COBUILD Learner's Dictionary でもやはり“木琴”だ。Randam House Webster's College Dictionary でも Oxford Advanced Leraner's Dictionary of Current English でも、Merriam Webster's Pocket Dictionary でも“木琴”だった。

ところが、ロングマンの辞書には“a musical instrument made up of a set of flat wooden or metal bars of different lengths ...”と書かれている。もうひとつ、Oxford Pocket English Dictionary”にも“musical instrument of graduated wodden or metal bars struck with small wooden hammers.”と書いてあって、シロホンが“木琴”と“鉄琴”の両方を指すことを示している。

ちなみに、「鉄琴」を広辞苑で引いてみると、ドイツ語の“Glockenspiel”の訳語とのことだという。英語にもこの語は入っているのだろうかと思って Oxford Pocket english Dictionary を見てみると、あった。“musical instrument with bells or metal bars or tubes struck by hammers.”と説明されている。ベルや鉄パイプの楽器が日本語で鉄琴と言えるかどうかは分からない。私たちは無闇矢鱈に単語を分化させたがる傾向があるから、glockenspiel の3つの種類に日本語ではそれぞれ別の名称を当てているかもしれない。

語源分析に安住していると、意味の把握において思わぬ落とし穴があるということを、「シロホン」の買い物を通して知った。考えてみれば、「我慢」や「大丈夫」、「油断」、「怪我」などは、漢字の意味を分析しても、それぞれの熟語の意味にはならない。そういえば、「黒板」は最近は深緑だし、赤や黄色の「白墨」もある。ワイシャツの“ワイ”は“white”だと聞いているが、ワイシャツの色は必ずしも白とは限らない。金属でできたシロフォンも、そういうものなのだろう。

5月30日(金)「辞書は利用者にイタズラをする」

at 2003 05/31 03:16 編集

私たちは、辞書なしに外国語と付き合うのは無理な話だ。しかし、辞書は私たちに時々いたずらもする。他の言語ではよく分からないが、韓国語と日本語をつなぐ辞書では、正確な訳なのだろうが実物は別物になってしまうものがよくある。

その中でも極め付けが「あさり」だ。「あさり」は、ほとんどすべての韓日辞典と日韓辞典で모시조개と対応させている。私はこの等式を10年以上のあいだ信じ続けてきた。

ところが、あるとき妻が「今日は市場で모시조개を買って来たから、これで味噌汁を作るわよ」と言って、모시조개の入ったビニール袋をテーブルにドンと置いた。見ると、あさりよりも大きく、貝の殻が厚く、肉の色も白い。これはあさりとは違う。そのとき、「あさり=모시조개」という等式が発動し、「これは모시조개じゃないよ!」と叫んだ。

妻は驚いた顔をして、「何言ってんの、ここに모시조개って書いてあるじゃない!」と声を張り上げた。見ると、ビニール袋には、大きく「모시조개」と書かれている。そのあと、インターネットの画像検索で「あさり」と「모시조개」を調べたが、やはりインターネットで検出される모시조개は、テーブルの上にある모시조개と同じだった。

そういえば、よく食べる바지락があさりと似ていたなあと思って画像検索で調べてみると、やっぱり私が食べている바지락と同じで、どれもあさりとそっくりだ。それで、あさりは바지락に該当することに初めて気が付いた。

後日、부산で日本語教師をしておられる제갈영先生にそのことをお話したところ、韓国から日本へ바지락を輸出するとき、袋に「あさり」と印刷するんですよと言われた。なるほど、輸出業をしている人の方が、机に向かっている人よりも、その点では確実な知識を持っているといえる。

「しじみ」は韓国語の재첩と同じものだが、ほとんど(もしかしたら、すべて)の辞書で、가막조개と바지라기という二つの貝の名前と対応させている。しかし、私はこの二つの貝の名を、市場やスーパーなどで見かけたこともないので、それらが何なのか分からない。

しかし、가막조개は、私の大好物の꼬막と発音が似ていて、바지라기は바지락と発音が似ている。もしこれがそれぞれ私の知っている貝と似たものならば、シジミとは似ても似つかぬものだ。辞書で一生懸命名前を覚えた日本人が、市場で재첩を指さして、これは가막조개とか바지라기と呼ばれる貝ですねと言ったら、たぶん売っている人は認めないだろう。(가막조개は『우리말 큰사전』によると、どうやら재첩であることが確実らしいが、この辞書でも貝の名前を調べていると頭が混乱してくる。辞書編纂者たるものは、貝ごときを丹念に調べるなどという、はしたない真似は、してはならないのだろう。)

これらは出来の良い辞書での話だが、ある売れ筋の韓日辞典は、まるで間違い探しのために作られたようだ。「연예인(芸能人)」の訳が「演芸人」となっていたり、「고민(悩み)」を「苦悶」と訳すなどのなげやりな態度が目立つ上に、「우회전(右折)」の訳が「右回転;右の方に廻転すること」となっていたりしている。これじゃ、日本語を勉強している韓国人はデタラメな日本語ばかり書くようになるだろうし、韓国語を勉強している日本人は、分からない単語を辞書で引いてもやっぱり分からないままだ。

この辞書は、一見した限りではまともに見えるのだが、意味把握に困難を伴う語彙では、ほとんど必ず上のような失敗をしでかしている。また、よく見てみると、語釈の質にムラがあり、「우회전」の訳はデタラメなのに、反対語の「좌회전」は「左折;(自動車などが)左に曲がること」と正しく訳している。もしかしたら、編者は出版社に何か恨みでもあるのかもしれない。

こういう困ったことは起こるが、それでも辞書は必要だ。辞書というのは悪友のようなもので、信頼はできないけれども、いないと困る友人だ。要領よく付き合うことが求められる。

5月31日(土)「歓送会」

at 2003 06/01 00:46 編集

辻牧師が、日本の横浜に新たに作る教会へ派遣される。明日午後6時の飛行機で、辻師の家族は韓国を去る。その歓送会を、うちで行った。

10人くらいの兄弟姉妹たちが集まって、一緒に食事をした。私は食べるだけだったが、姉妹たちが肉を焼いたりして準備した。妻はそれを取り仕切りながら、盛り付けなどをした。食事のあとで、それぞれの思い出とはなむけの言葉を言った。

私が辻師の名前を初めて知ったのは、リビングライフ日本語版の編集がハーベストタイムミニストリーズから日本ツラノに移ったときで、そのときは、編集の仕事を日本の東京ツラノとソウルのツラノ書院とで行われていた。私はソウルのツラノ書院で編集の手伝いをしていたが、そのとき、辻夫妻は東京ツラノで奉仕していて、その仕事に献身するようになったいきさつを書いた証を読んで、立派な人たちがいると思った。

ところが、どういうわけか、リビングライフの仕事が全面的にソウルの두란노で行われるようになり、東京ツラノでの仕事がなくなってしまった。私はそのとき美術部の정찬길部長に、二人はどうなるんでしょうかと尋ねたが、部長は本当に大変なことになったという表情をするだけだった。

しかし、そのことに対して、東京ツラノの김정길牧師先生も、辻姉妹も、不満の一つも訴えなかった。当然それは訴えるべきことだったし、彼らは上手に訴えることもできたのに、それをしなかったのだ。私はそこにキリストの姿を見て感動した。そして、김정길牧師先生にそのことをファックスで書き送ると、分かってくれてありがとうと言われた。その後問題は解決し、辻夫妻はオンヌリ教会のバックアップで、ソウルのトリニティー神学大学院で学ぶことになった。

その間に上の子が生まれ、下の子がまた去年生まれたが、その家族の様子を見て、私は信仰に生きる者の生き方のモデルを見、そして、その家族が神に祝福されているのを見た。私はついついそのことを忘れてしまうのだが、その生き方は、私にとって励みになったし、他の兄弟姉妹たちにも励みになっていたことと思う。

食事が終わった頃、吉原伝道師先生の娘さんが熱が出はじめたので、奥さんと子供たちを車で自宅まで送って来た。

帰って来たら、みんなは果物を食べていた。それから賛美を一緒に何曲か歌った。その中に、私が訳した曲も含まれていた。韓国で作られたゴスペルの日本語版は、ほとんどが日本語礼拝の誰かが訳したものだ。それから、一人ずつ、辻夫妻に、握手をしたり、抱擁したりしながら、別れの言葉と祝福の言葉を交わした。そしてみんなで二人に手をおいて祈り、締めくくりの祈りを私がした。

そのあとで、私が今年の受難週に作ったイザヤ53章の曲を、私の下手なギターの伴奏と、音程の合わない歌とで歌った。歌はうまくなかったが、なかなかいい雰囲気だった(自己満足か^^;)。

辻牧師の家族を自宅の近所まで車で送って来ると、まだ残っていた兄弟姉妹たちが、後片付けをしていた。彼らのためにコーヒーを入れ、一緒に飲みながら少し話をした。いくらも話さないうちに、11時になってしまったので、彼らは帰って行った。

明日から横浜の地で、まったくゼロの状態から教会を始めるのは、本当に大変なことだろう。しかし、辻牧師の働きによって、多くの人たちがキリストに出会い、心の傷をいやされ、生きる意味と勇気を手に入れ、安らぎを得ることができるように願っている。