ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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12月1日(日)「師走きたる」

at 2002 12/02 15:30

今年もまた12月を迎えてしまった。心ばかり焦りながら、得るところも進歩もないまま、1年の節目は近付く。しかし、12月の初めというのは、また別の気分をもたらす。

上の子が、「クリスマスのCDかけて」というので、CDラックから3枚取り出してきて、ステレオで聞いた。「聖しこの夜」のようにイエス様の降誕を賛美する曲から、「ジングルベル」のように、キリスト降誕とは何の関係もない、サンタクロースの歌まで、いろいろある。

妻は牧師の家で育ち、幼いときからキリスト教の文化の中で育って今まで来たから、サンタクロースやクリスマスツリーも、そのまま受け入れているようだ。しかし、私はイエス様を信じることだけにすがってクリスチャンになったので、それ以前に受け入れていた門松や初詣でなどを退けたのと同様、イエス様の誕生とは無関係なサンタクロースやクリスマスツリーが聖誕祭に入り込んでくるのを見るのは、あまりうれしいものではない。

とはいえ、私たち10億人のクリスチャンだけでなく、共産主義者や仏教徒、イスラム教徒までも、イエス様の降誕を記念する行事に駆り立てられるのだから、不思議なことだ。大多数が何のことか分からないまま浮かれているのは、昔、大日本帝国憲法が発布された日に、国民の多くは何のことか分からないままお祭り騒ぎに浮かれていたのとよく似ている。

クリスマスは、何日も前からお祝いの気分が始まる。そうさせるのがサンタクロースであれ何であれ、その気分にせかされて、クリスチャンも、聖誕祭の季節がやって来たことを肌で感じる。

もし私たちが、日本の何かの行事を、全世界にクリスマス並みに祝わせようと思ったら、国家の全予算を注ぎ込まなければならないだろう。そうしたら、次の日から私たちは、福祉も防衛もできない国で暮らすことになる。しかしクリスマスは、毎年同じように、世界中で祝われる。ということは、それに費やされるエネルギーは、実は途方もなく莫大なものなのだ。時間は神の支配下にあることをクリスチャンたちに知らせるために、神はこのように溢れんばかりのエネルギーで世界中に働きかけておられる。私のように、サンタがどうのと呟く前に、このような現実に現れている徴に目を留めるべきだろう。

そう考えると、「ジングルベル」やクリスマスツリーも愉快だ。

12月3日(火)「聖餐の話」

at 2002 12/06 10:47

ギリシャ語の勉強のとき、今週頭の日曜日には教会で聖餐式をしたという話を私がしたところから、聖餐式の神学的な話題になった。ギリシャ正教会では、聖餐のパンと葡萄酒を、キリストの体と血であるとしているが、プロテスタントの教会では、それは象徴であるとしているという。

一介の平信徒に聖餐の神学的意味というのは、ちょっと縁遠い話なのかもしれないが、関心のあることなので、その話を一緒にした。私は、聖書に書かれていることはそのまま受け入れるべきで、加減して解釈してはいけないと考えている。教会でそう教わったし、私もその考えが正しいと思う。しかし、その私の教会が属しているプロテスタントのキリスト教で、聖餐のパンと葡萄酒は、キリストの体と血の“象徴”と考えているというのは、意外な感じがする。

イイエス様は、最後の晩餐のとき、パンを割いて弟子たちに与えながら、「これはわたしの身体だ(touto esti to swma mou)」と言われた。また、杯も同じようにして、「これはわたしの新しい契約の血だ(touto esti to aima mou to thV kainhV diaJhkhV)」と言われた。

イエス様を思い出して聖餐を行うとき、パンという物質のまま、キリストの聖なる体となり、葡萄酒という物質のまま、キリストの血となる。食べて飲むという行為は、体の中に受け入れるという行為だ。それが私の肉体の一部になるのだ。聖餐によって、私たちの体は、キリストの体と混在する。それは、象徴ではない。象徴と思うのは、信じていないことではないか。象徴ならば、むしろ無意味な儀式になる。だから、無教会派では、聖餐式は行わない。br>
で、神父さんの言われるプロテスタント教会への批判が本当かどうか調べようと思って、家に帰って妻の父の蔵書から譲り受けた本などに当たってみたが、初代教会における聖餐式の形式などのような表面的な記述しかなく、結局何も分からなかった。

12月4日(水)「홍보(弘報)」

at 2002 12/06 10:48

来学期の学生集めのために、大学構内の学生文化館1階ロビーで、3日にわたって言語教育院の홍보(=宣伝)をした。今日はその最終日だ。私は昨日と今日の2日間を担当した。

あいにく期末試験期間中のため、関心を見せる学生が少ない。ホールを行き交う学生やその他の人たちを見ながら、目が合うと声をかけたが、半分以上の人が、私と目が合うや、サッと目をそらした。また他の人たちは、私が声をかけると、恥ずかしそうに笑いながら逃げて行った。結局、関心を持って見にくる人のほとんどは、声をかけなくても来る場合が多かった。

ある学生は、梨花女子大の学生であるにも関わらず、言語教育院を知らなかった。またある学生は、友人から言語教育院は懇切丁寧に指導してくれると聞いていたので、興味を感じてちょっと見に来たと言っていた。日本語と中国語に関心をもって来る学生は、ほとんどが喋れないが、英語に関心をもってやってくる学生の英語の実力は千差万別で、会話が全然ダメという学生から、アメリカ人のように流暢に英語を話す学生までいた。あんなに上手に話せても、まだ自分の不足を自覚してもっと向上したいと考えているのだ。日本人だったら自分は天才だと錯覚するだろうにと思うと、空恐ろしいような気がした。

それはともかく、事務の人と、中国人の先生と、カナダ人の先生とで、いろいろな雑談をしながら、多くの時間を潰した。

中国語と日本語の漢字などの話をしたが、日本語の漢字の読み方が複雑だという例に「老若男女」という単語を挙げると、先生がきょとんとしているので、意味を韓国語で説明すると、おかしそうに笑い出した。この語は中国語では、“老いて男女のごとし”ということになり、意味をなさないという。「若」が助字に解釈されて、「傍若無人」と似たような構造になるのだ。韓国語では“老若男女”のことを「남녀노소(男女老少)」という。漢文として見ると、日本語より意味がずっと明晰で、誤解の余地がない。

そこで、工場などでよく見かける「油断一秒怪我一生」をどう解釈するか聞いてみると、“一秒でも油が切れたら一生私を虐待してください”という意味になるという。日本語では“一瞬の不注意が大事故を招き、生涯苦しむことになる”という意味だと説明すると、目を丸くしていた。

また、刺身のことを、中国語では「生魚片」というのだそうだが、私が日本語で「刺身」と書いて見せると、これは中国語では“体を刺す”という意味で、“刺青”のことを指すのだそうだ。刺身を出す店を「刺身屋」というと書くと、笑っていた。とても“刺身屋”の意味には取れないからだろう。

そういえば私も、初めて中国語をかじったときに“仕事”という言葉を「工作」というと知り、共産主義国だから仕事は工作の一環なのだなと勝手に解釈したことがあった。すべてをスパイ活動の一環と考えていると思い込んだのだ。じつはそうではなくて、単に“仕事”の意味なのだが、中国語の影響を色濃く受けている연변(延辺)の朝鮮族の人たちは、韓国から行った牧師先生に「何の“공작(工作)”をなさってるんですか」と聞いてぎょっとさせたことがあるという。北朝鮮の工作要員に見られたと牧師先生は思ったようだ。(笑)

しかし、「料理」という語は、最近は中国でも“食べ物”の意味でも用いるようになったという。これは、日本語と韓国語の影響によるものだそうだ。それで、今では中国でも“日本料理”のことを「日本料理」というのだそうだ。これは昔は「日本菜」と言われていると習ったものだ。こういうのは、中国では外来語になるのだろうか。

外来語といえば、中国ではさつま揚げを「甜不辣(ティエンプーラー)」と呼んでいるという。さつま揚げを「てんぷら」と呼ぶのは大坂あたりの言い方だと思うが、“甘くて、辛くない”というのは、なかなか味な名前だ。日本では「天麩羅」と書くが、それとはまた別の味わいがある。

それから、数日前自分が悟ったと思ったことが間違っていたことも確認した。「支那」という語を中国の人たちが嫌がるわけを、私はこの語が「中華」の反対の意味だからだと思った。「支」は“枝分かれした”で「那」は“あちら”、つまり、中心にあるのではなく、周辺の遠くに押しやられるような意味だからだと思った。あるいは「那」が“どちら”の意だとしても、枝分かれしてどこへ行ったというような意味になる。自分の国の名前をそんなふうに呼ばれたら、誰だって嫌がるだろうと思った。

しかし、実際にはそうではなくて、中国で日本人が傍若無人な振る舞いをしていたときの記憶と、彼らの自分たちを呼ぶ「支那」という単語とが、一緒に思い出されるからなのだそうだ。現在中国語で「支」は「這支筆(このペン)」のように量数詞として用いるほかは使われないので、“枝分かれした”という意味の字だとは思わないそうだ。ちなみに、「支」は中国語では「分」を用い、“支部”は「分部」、“支社”は「分社」と呼ぶということだ。

カナダ人の先生は、デロー・ラス(Daryl Ross)という名前で、韓国に来てまだ5ヶ月なので韓国語がほとんどできない。私は英語が得意ではないので、英語の他に通じる言語の接点を見い出そうとしたが、そういうものはなかった。母親がフランス系カナダ人なので、フランス語は少し話せると言っていた。私はフランス語はほとんど何も分からない。それで、込み入った話はできなかったが、それでも、身ぶり手ぶりや先生の知っている片言の韓国語などを交えて、あれこれ四方山話をした。

この先生は、ロバートという韓国系カナダ人の先生と幼馴染みで、ロバート先生の紹介で言語教育院に就職したのだそうだ。ロバート先生は韓国語が流暢で、韓国人だから韓国語ができるのは当然だろうと思っていたら、実はそうではなく、韓国に来るまではほとんど韓国語ができなかったようだと言っていた。

どんなに高度な話題でも滞りなく話せるということは、ロバート先生は韓国語の学習に相当の努力をしてきたのだろう。デロー先生は、彼は韓国人のワイフがいるからあんなに韓国語が上手なんだと言っていたが、国際結婚しているおかげで相手の言語が達者になった人は滅多にいない。絶えまない努力を続けた結果なのだと思う。

こんなことをしていて、手当てが付くのだという。本当に楽しい時間だった。

12月5日(木)「中国語」

at 2002 12/06 10:51

講師室で、中国語の主任の先生に、中国語のダイアログを暗記したのを確認してもらった。そして、そのダイアログの対話練習までしてもらった。15分ほど一人で暗記したあと、4〜5分のレッスンだが、充実した時間だった。

そそのおかげか、あるいは、きのう中国人の先生と中国語を交えて雑談ができたおかげか、今日は少し中国語の会話が上達しているのを感じた。おそらく、ACTFL OPIでいえば、初級の下から初級の中あたりに移行したのではないだろうか。

中国語は、教材が勉強しやすいこともあるが、ギリシャ語にくらべると、はるかに暗記しやすい。br>
そういえば、おととい聞いた話だが、漢字さえほとんど知らないような男性が、中国語の勉強を初めてから2ヶ月で、HSKの2級に合格したと言う。このレベルは、中国の医学部で授業を受けられる水準だという。あまりの極端な話に呆れてしまった。いったいどんな勉強をしたのだろうか。あるいは、その話は本当なのだろうか。

12月7日(土)「Web Devil」

at 2002 12/08 19:15

何日か前に Web Devil 5.0J というシェアウェアをダウンロードして、使ってみた。このソフトはマッキントッシュ用で、指定したウェブサイトの同じディレクトリと下位ディレクトリを、リンクに沿って読み取ってダウンロードしていく。このソフトの試用期限は15日で、解凍してから15日までは使えるが、それ以後は使えなくなる。それ以上使いたい場合は、使用料を払ってユーザ登録しなければならない。

このソフトはウェブサイトをそっくりそのままダウンロードできるというが、やってみると、必ずしもそうではない。例えば、上位ディレクトリにある画像を表示している場合、それはダウンロードできない。ダウンロードしたものを読み込むと、画像の部分に赤い“×”が付く。また、同じディレクトリの中にあっても、一部の背景画像はダウンロードされない。また、JavaScript でリンクされているものは、ダウンロードできない。JavaScript を多用しているウェブサイトは、Web Devil 向きではないだろう。それから、“onMouseOver”で表示される画像はダウンロードされない。手作業でダウンロードするときには、“onMouseOver”で別の画像が表示される場合、“onMouseOut”で表示されていた画像がダウンロードできないから、できることとできないことが逆になるわけだ。

また、リンクに沿ってダウンロードして行くので、下位ディレクトリにあるものといっても、隠しページやパスワードで閲覧が制限されているページはダウンロードできない。そんなことができるソフトを作ったら、手が後ろに回るだろう。もちろん使った人も。(笑)

ダウンロードはできても、掲示板などCGIで作ったページは、マックではファイル名の長さに制限があるため、そっくりそのままというわけにはいかない。ダウンロードした掲示板のファイルは、リンクが切れてしまうので、ウェブページにあったものをそのまま再現できない。手作業でリンクを復旧しようとしたら、大変な手間がかかるだろう。

もう一つの問題点は、サイト内で同じページにリンクする場所がいくつもある場合、そのページへ何度も行こうとすることだ。一度そこをダウンロードしたらもうそこへは行かないというふうにすれば、ダウンロードの時間はもっと短くて済むだろうに、それはできない。あるサイトは、そのためにダウンロードすべきURLが十万件近くにもなってしまっていた。実際にはそんなにたくさんあるはずがない。夜寝る前に始めて、朝起きてみたらまだやっていたので、途中で停止させた。この場合困るのは、Web Devil は階層ごとにダウンロードして行くので、浅い階層で何度もダウンロードのページが重複して先に進まないと、それより深い階層にたどり着けないことだ。

ダウンロードしたものを表示する場合にも問題は出て来る。それは、上位ディレクトリにリンクするタグだが、標準的なタグは“../”で、これは一つ上位のディレクトリにリンクするときに使える。もし二つ上位のディレクトリにリンクしたいなら、“../../”としなければならない。ところが、ウェブサイトによっては、いくつ上のディレクトリも“/”一つでリンクできてしまうようになっている。これをダウンロードしてマックのハードディスク内で読み取ると、リンクが切れる。このようなものは、あとでテキストエディタでファイルを開いてタグを書き直さなければならない。

たただし、このソフトのいい点は、ダウンロードするファイルの制限が指定できることだ。ダウンロードできるファイルの大きさの限界を指定すれば、それ以上大きいファイルはダウンロードしない。逆に、大きいファイルだけをダウンロードすることもできる。また、ダウンロードできる拡張子を限定すれば、掲示板などは避けてダウンロードすることができる。“html .htm”だけを指定すれば、余計な画像は全て排除して、テキストだけをダウンロードすることができる。また、ダウンロードできる階層を制限することもできる。これによって、必要のないページまで際限なくダウンロードしつづけることが避けられる。

ただし、この指定をしたとき、サイトのURLをディレクトリまでしか記入しない場合、ダウンロードが開始できない。つまり、私のサイトなら、“http://ijustat.tripod.co.jp/”ではだめで、“http://ijustat.tripod.co.jp/index.html”と入力しなければならない。この不都合は、ダウンロードできる拡張子の指定をしない場合には起こらない。

これで、いろいろなウェブサイトをダウンロードしてみた。テキストをたくさん載せているサイトがターゲットだ。95年に初めてマックを買った頃は、日本語教材を作る資料になる日本語テキストがなかなか手に入らなかった。大変な思いをしてわずかな量を入力したものを使ったりしていた。それが今では、インターネットを通して無限に私の前に置かれている。br>
内部でリンクがたくさん切れているサイトもあれば、重複の多いサイトもある。ひどいのになると、リンクが切れているのでタグを見たら“file:///D:/〜”になっているものもあった。そのサイトを作ったコンピュータで見れば、ちゃんと表示されることだろう(笑)。そうかと思えば、実に階層構造がきれいになっていて、内部でのリンク切れもない完璧なサイトもある。

韓国の個人サイトでは、リンクを全て JavaScript にしてマウスの右ボタンでダウンロードできないようにしているものがあった。無断転載を平気で行う韓国ならではの、やや荒っぽい防御方法だ。もちろん、こういう細工は、ダウンロード防止の実質的な効果はない。ただ、これだけの意志をもってダウンロードしないでくれと言っているサイトから無断転載する人は、まあ滅多にいないだろう。

自分のウェブサイトを試しにダウンロードしてみた。するとどうだろう、削除したファイルのリンク元が残っていて“Not Found”なんて表示されたりしていた。また、Web Devil ではまともに読み取れないタグもある。ブラウザではきちんと作動するのだが、Web Devil では間違って新しいフォルダを生成していた。そういえば、他のウェブサイトでは使っていないタグだ。一般的でないタグは使わない方がいいようだ。

ダウンロードできる階層を“10”までに設定していたら、「ソウル生活日記」のバックアップ版のメニューフレームが、去年以前の記録の表示を容易にするために JavaScript でつなげているせいで、そこから先が読み取れなかった。日記本文のフレームでは、アンカーでリンクしているのだが、一つ先へ進むたびに階層が一つ増えてしまい、最後までダウンロードできなかった。また、スタイルシートを別にしたファイルがダウンロードできない。そのため、ダウンロードをしたページを開いたら、表示が少しおかしくなっていた。

いいウェブサイトの条件の一つに、せいぜい3階層ぐらいまでで全てのページが見られることが挙げられている。私が今度自分のウェブサイトを作り直すとしたら、3階層までで全てのページが見られ、リンクに重複の少ない、すっきりとしたものを作りたい。

12月8日(日)「むねあかどり」

at 2002 12/08 19:13

あるデボーション誌の日本語版に載せる例話を翻訳していたとき、「진홍가슴새」という名の鳥が出て来た。「진홍」とは“真紅”のことで、「가슴」は“胸”、「새」は“鳥”だ。知らない鳥の名前なので、辞書を引くと、載っていない。インターネットで調べると、「진홍가슴」という名で、学名が“Luscinica calliope”、英語名は“Siberian Rubythroat”と出てきた。その名を頼りに日本のサイトで検索すると、「ノゴマ(野駒)」ということが分かった。写真を見ると、確かに「진홍가슴」と「ノゴマ」とは、同じ種類の鳥のようだ。

けれども、はたと困ってしまった。なぜなら、私の訳している文章は、あるスウェーデン人女流作家の童話で、天地創造の際に神から「진홍가슴새」と名づけられた全身灰色の小鳥が、のちに、十字架に付けられたイエス様の頭にかぶせられた、いばらの冠の棘を抜くときに、浴びた血によって、胸が赤くなるという話だからだ。その物語のタイトルは、韓国語では「진홍가슴새」だという。「ノゴマ」では、話にならない。

天地創造の際に、万物に名前をつけたのは、聖書によれば、神ではなくアダムだ。神はそれを見ておられただけだ。アダム(=人間)が付けた名前なのだから、恣意的にならざるを得ない。韓国語では胸が赤いという意味の言葉が名前に含まれていても、日本語ではそうでないことは十分ある。聖書にない話をでっちあげるからこんなことになるのだと不愉快な気持ちになりながら、もっとましな訳語を探すことにした。

この物語の日本語訳を探して、そのタイトルに用いられている、その鳥の名前を使えるかも知れない。それならば、作者の名前から迫ってみようと考えた。

それで、こんどは作家の名前を調べてみた。スペルは Selma Lagerlöf で、日本語での表記は「セルマ・ラーゲルレーヴ」となるそうだ。この人は『ニルスの不思議な旅』で有名な作家で、1858年から1940年まで生き、1909年にはノーベル文学賞を受賞しているという。そこで、その作家の名前と、鳥の名前を一緒に、英語で検索したり日本語で検索したりしてみた。しかし、何も出てこない。

ところが、この作家の名前をあれこれ検索しているうちに、この人の書いた『キリスト伝説集』という本が、岩波文庫(または岩波クラシックス)から出ているということが分かった。これに違いない。それで、キリスト伝説集を検索し、その目次を見ようとした。けれども残念ながら、書名どまりで、目次まで見ることができない。

そこで、スウェーデンのヤフーに入って検索してみた。しかしスウェーデン語はほとんど判読できない。文字にあぶくが浮いている。それで今度は、英語のヤフーに入り、Selma Lagerlöf に Christ を加えて検索してみた。すると、“Christ Legends and Other Stories”という書名が、この作家の名前と一緒に検索された。ちなみにスエーデン語の書名は“Kristuslegender”だそうだ。それで、この英語訳の書名でさらに検索すると、あるサイトに、目次だけでなく物語の本文まで読めるサイトがあった。その目次に、“Robin Redbreast”というタイトルがあった。11編の物語のうち9番目にある。

目次を見たあと、本文を少し読んでみた。やさしい英文で書かれている。私でもすぐに読める。美しい話だ。“Robin Redbreast twisted and turned in all directions as he viewed himself in the mirror of a clear lake, but he couldn't find a single red feather.”という件は、なんとも美しい。確かに、私が訳している例話で紹介されているストーリーだ。

それで今度は“Robin Redbreast”を日本語ではどういうのか、日本のヤフーで検索してみた。けれども著者の名前は一緒には出てこない。「Robin」は“コマドリ”らしいが、“Robin Redbreast”の訳は定まっておらず、“紅い胸のコマドリ”、“胸赤コマドリ”、“赤胸コマドリ”、“赤胸のコマドリ”と、よりどりみどりだった。日本にない鳥だからこういうことになるのだろう。

そこでまた、「キリスト伝説集」を検索して、それらしい記述をもう少し注意深く追ってみた。すると、「……子どもたちのためにと書いた『キリスト伝説集』の中の一編だそうですが、この絵本を知ったことをきっかけに、ラーゲルレーヴのことがもっと知りたくなりました……」と書いてあるのが目につき、ためしに入ってみた。するとそこに、「この『むねあかどり』という絵本は名前にちなんだとても感動的なお話です」と出ていた。一緒に紹介されているあらすじも、たしかに“Robin Redbreast”と同じだ。ついに突き止めたぞ!

この「むねあかどり」というのは、実際にある鳥の名前ではなく、この童話の日本語訳のために作られた単語のようだ。「むねあかどり」という名称は、訳者の苦心の作と言うべきだろう。ちなみに、『むねあかどり』という本は、デザインの美しい絵本で、日本キリスト教団出版局から出されているそうだが、惜しいかな、現在は絶版になっているらしい。

『むねあかどり』は美しい物語だが、神が万物に名前を付けられたというところは、ちょっといただけない。まあ、北欧の伝説なのだから、聖書と違うといってめくじらを立てるほどのことでもないのかも知れない。しかし、それをデボーションの雑誌に載せたら、人によっては、万物の名前は本当に神によって付けられたと思い込んでしまう人も出てくるかも知れない。私個人としては、そのとばっちりを受けて、インターネットを足掛け二日間も漂流するはめになった。もしインターネットがなかったら、私はこの例話を訳せなかっただろう。

12月16日(月)「よその国の選挙」

at 2002 12/18 10:44

今日は教育放送で録音があったが、今日は私の車のナンバーは、局内に乗り入れてはいけない日だったので、地下鉄で行った。そして、강남駅からタクシーに乗った。タクシーを利用するのはずいぶん久しぶりのことだ。料金のメーターを見ると、初乗りが1600ウォンもする。私はどうしても11年前タクシーを利用したときの記憶が忘れられず、いまだに800ウォン程度だと錯覚してしまうのだった。思わず、「基本料金が1600ウォンもするんですか!」と叫ぶと、運転手は、「初めて乗るのかい」と言った。

車の中で、MBCのFM放送を聞いていた。노무현という大統領候補の宣伝をしていた。女性の声優が非常に説得力をもって話していた。彼こそは、女性の人格を認める人だから、投票のときにはぜひ노무현さんに入れましょうと勧めていた。宣伝が終わると、運転手は苦々しい表情で溜息をつきながらラジオを切ってしまい、「あの野郎、他人の権利を踏みにじって甘い汁を吸っていながら、よくもあんなことが言えたもんだ」と、吐き捨てるように呟いた。

私は、どの候補がどう違うのか分からないし、国民にとって有利な候補が外国人には必ずしも有利ではない。それに、選挙には大して関心もないから、運転手には答えなかった。私はタクシーの運転手と、何か当たり障りのない世間話でもしようかと思っていたのだが、選挙のコマーシャルのせいで重苦しい雰囲気になってしまったので、そのあと教育放送に着くまでずっと黙っていた。今回の大統領選挙は、無関心を決め込んでいても、이회창氏と노무현氏の名前だけは入って来るから、おそらくこの二人の接戦なのだろう。노무현氏の悪口を言っているということは、この運転手は、이회창氏の支持者か。

どの人がどれだけ潔白かということは、大統領を選ぶ際にはあまり重要なことには思えない。どんな公約をしたかということも、あまり意味のあることには見えない。韓国は民主的な国家になったのだから、大統領とて無茶な政治はできないだろう。むしろ、どんな方向性の政治をするのかを、正確に予測することが、重要な問題になるはずだ。私としては、あまり民族主義的な人が大統領にならないことを願うばかりだ。そういう人が大統領になると、国民は冷静さを失って、大学生や一般大衆が、夢のようなことを言い始める。それは、対外的にも北に対しても、あまり有利には働かないような気がする。

夕方、妻の買物に付き合い、妻と子供が市場で買物をしているあいだ、車を停めて、すぐ脇に貼り出してある大統領候補の顔写真を眺めていた。今回の選挙には7人の候補者がいる。僧侶も一人立候補していた。だいたい韓国の大統領選挙は、記号1番から3番までで票のほとんどが占められ、残りの候補者たちの得票率は、落ち穂拾いのようなものだ。僧侶は6番目にいるが、こういう冷やかしの候補者がまかり間違って大統領になった曉には、いったい外国人の生活環境は、どう変わるのだろうか。

それぞれの候補者の顔をじっと見たが、写真からその人柄を察することはできなかった。親近感を持たせる笑顔は信用できないし、厳しそうな表情は、柔軟性の乏しさを感じさせる。ただ、はっきり言えることは、記号1番から3番までの写真は、イメージ作りの技術が優れているということだ。それぞれの、おそらくは操作された個性が、生き生きと表現されている。それにくらべて、4番からの写真は平凡だ。イメージ戦略にエネルギーを使っていないことがわかる。だから結局、この写真を見ても、どんな顔の人かが分かるだけで、それ以外のことは、何も分からない。

選挙権もない外国人にできることは、この7人が等しく祝福され、投票の結果によって韓国が祝福されるように祈ることくらいだ。しかしこれは、投票するよりも力ある働きかけにちがいない。

12月17日(火)「プレースメントテスト」

at 2002 12/18 10:46

今日は午後2時から、言語教育院のプレースメントテストがあった。第2外国語のプレースメントテストは、広いラボ室で、中国語の先生と一緒に行う。このラボ室には、2つの大きな円形のテーブルがあり、それぞれに4台ずつコンピュータがはめこまれている。このテーブルを一つずつ使って、インタビューをするわけだ。本当は入り口から見て左側のコンピュータに結果を入力しながらインタビューをすれば雰囲気がいちばんいいのだけれども、そのコンピュータはひどくのろいので、奥のコンピュータを使っている。

以前は、インタビューの合間合間に、日本語の堪能な中国語の先生に私が日本語で話しかけ、日本語で話をすることで、学生たちを驚かせた。ここの中国語の先生は、中国語だけでなく日本語も流暢だという強烈なイメージを、インタビューを受けに来た学生たちに与えた。中国語の学生たちは、日本語を流暢に話す中国語の先生を、スーパースターのように見つめていた。

今日は、日本語のできない中国語の先生が担当だった。私はその先生と、わずかに口が開きはじめた中国語で、試験を受けに来た学生の人数などの話をした。しかし、そのとき私のまわりにいた日本語の学生4人のうち3人が、梨大の中文科の学生なのだった。スーパースターどころか、彼女たちの耳には、私の中国語の稚拙さがさらされただけだった。それでも私がこういう愚かな真似をするわけは、日本語の先生も中国語に関心があるのだから、中国語を専攻している自分たちが日本語に関心を持つのも当然という考えを、もっと強化させられればいいと思ったからだ。

夕方、外国語コース担当事務室の助教(=学生助手)が来て、食事が準備されたから、時間が取れたら食事をするようにと言った。まず中国語の方の学生が長らく途切れていたので、中国語の先生が先に食事に行った。しばらくして戻って来たので、“맛있게 드셨어요?(=美味しく召し上がりましたか)”と聞くと、“먹을 게 거의 없었어요.(=ほとんど食べる所がありませんでした)”という。ほんのわずかしか食べられなかったそうだ。前の学期はけっこう美味しい김밥が1人前出たが、今回はもっと費用を削減したらしいと思った。

それからしばらくして、今度は私の方の学生が途切れたので、2階の事務室へ行くと、インタビューをしている先生たちのためにお弁当が用意されていると言う。わりと大きいプラスチック製の重箱のお弁当だった。콩나물국の入ったタッパーと、양반김(韓国式の味付け海苔)も付いていた。それをもらって休憩室へ行く途中、きっと容器ばかりが大きくて、食べられる所が少ないんだろうなあと考えていた。

そして、休憩室のテーブルに重箱を下ろして蓋を開けると、なんとずいぶん美味しそうなものがいろいろ入ったお弁当だった。불고기は、吉野屋の牛丼に比べたら、ずっといい肉を使っている。小さいが海老フライも入っている。一品一品の量は少ないが、種類が多く、適度に調和が取れている。味もけっこういける。キムチもちょうどよく漬かっている。それを食べながら、あの中国語の先生は、こんなお弁当を“먹을 게 없다(=食べる所がない)”と言ったのかと思い、こんなもので大満足している自分とは、生活水準が違うなあと思った。

食べ終わって容器を事務室に返したあと、3階のラボ室に戻った。そして、中国語の先生に、「あのお弁当は私にはとても美味しかったですよ」と言うと、先生は、「え、お弁当ですか」と言って驚いた。さっき助教が、下に行って食事をするようにと言ったので、1階の皇華坊のことかと思って、そこへ行ったのだが、そうしたら、閉店まぎわでほとんど食べるものは何もなく、わずかに残ったトッポッキを食べてきたのだそうだ。

私は、事務室にお弁当が一つ残っていたけれど、それは先生の分だと思うから、行って食べて来たらどうですかと勧めた。初めは信じられないという表情でいたが、すぐに先生はラボ室を出て行った。それから20分ぐらいして、満足そうな表情でラボ室に戻って来た。

今日は、ちょっと学生が多くて、初めは息もつけないほど忙しかった。これは祈りが叶えられたのだ。去年の今頃のプレースメントテストでは、入ってくる学生の大部分が中国語の学生で、学生がラボ室のドアを開けて入ってくるたびに、私は空しくあいきょうをふりまいていた。しかし今日は、気が付いたら学生がテーブルの前に座っていたこともあるほどだった。反対に、中国語の先生が、退屈そうにしていた。

今日もらったインタビューの予約表を見ると、明日は今日の半数くらいしか来ないことになっている。しかし、その数字に関係なく、たくさんくればいいと願っている。そのことを帰りの車の中で祈り、また夜中にも祈った。

12月18日(水)「プレースメントテスト(その2)」

at 2002 12/20 01:12

今日は本当は他の先生がプレースメントテストをするはずだったのだが、あいにくまだ日本から帰っていなかったので、唯一韓国に残っている私がインタビューをした。インタビューの予約表を見ると、きのうと同じ人数になっていたが、実際には何人か来ない人がいた。しかし、昨日ほどでないにしても、忙しいことは忙しかったので、中国語の先生と雑談をする余裕もほとんどなかった。

昨日とは別の、外国語担当の助教は、どこかで見た顔だった。思い出せないでいると、昨日私から日本語のインタビューを受けたという。“기억 나시죠?(覚えてますよね?)”と言われた。何ということだ。私はその助教の名前が思い出せないだけでなく、どのくらいの日本語の実力だったのかも、まったく記憶にないのだ。私は仕事が終わったら、特に珍しいことがない限り、その記憶をほとんど初期化してしまう習性がある。これは本当にもったいないことだ。

うれしいことに、学生の中に、男性が一人やって来た(こういうことは珍しいので、決して忘れない^^)。この人は、大学の専任になったばかりだという。「私の一日」というタイトルで作文を書いてもらうと、朝出勤してから夕方退出するまで、一日中研究室で本ばかり読む単調な生活だから、ときどき後輩が遊びに来るととてもうれしいということが書いてあった。私はそれを読んで、とても羨ましかった。

最後に入って来た学生は、他の大学の学生だった。インタビューの結果、レベルは初級だった。철산동の自宅から명륜동にある大学まで“自転車で”通いますと言うくらいの実力だ。ところが、なんとその学生は、父親が日本人なのだという。家でお父さんから日本語を習わなかったのかと聞くと、日本語は自分で勉強しなさいと言われたそうだ。その学生は、どう見ても韓国人の雰囲気だった。“ 친구들도 제가 한국 사람인 줄 알아요.”と言っていた。

私はその学生が気の毒だった。それで、せっかく日本語を学ぶのだから、“父親よりも”上手に日本語ができることを目標にするよう勧めた。この目標は、おそらく達成できないかも知れないけれど、こういうとてつもなく高い目標をめざして学ぶことは、多くの副産物を生み出すものだ。自分がその目標のモデルになりうるだろうか。

12月19日(木)「할인매장」

at 2002 12/20 01:19

가양동にある「이마트」という大型할인매장(割引売場:ディスカウントストア)へ、家族で買物に行った。以前방화동に住んでいたから가양동の地理には明るかったはずだが、その後数年の間にすっかり様変わりしてしまっていて、이마트に辿り着くのも少し苦労してしまった。遠くから黄色い地に“Σ”の字が見えるのが이마트だが、建物はそこだけではなくて、その脇の大きな建物も、이마트のものだった。売場は大きい方の建物の1階と2階だけで、残りの数倍の容積は、全部駐車場なのだった。

屋内の駐車場に車を停め、エスカレーターで매장(=売場)に下りて行くとき、眼下にひろがる売場を見て、不思議な気分に包まれた。店内の風景といい、匂いといい、ダイエーに来たような錯覚を起こしたのだ。実際には鶴ヶ島のダイエー(東武東上線鶴ヶ島駅から2キロほど行ったところにある。20年前頃までは「忠実屋」だった)しか知らないから、自分がいま鶴ヶ島にいるような気分になったのだ。こういう空間的な同一性の障害を、心理学をやっている人はどう呼ぶのだろうか。

その錯覚はしばらく続いた。店内を歩きながら、人々は韓国語で話しているにもかかわらず、日本にいる気分は払拭されなかった。売っているものは似ているし、店の構造も類似している。商品の中に、パッケージが日本語で書かれているものも多い。人々の服装は数年ごとに変わるものだし、日本も韓国も服装は変化しつづけているだけでなく、両者の雰囲気は接近している。さらに、私にとって韓国人の姿は見なれているが、この“見なれている”という感覚が、鶴ヶ島のダイエーに行ったときの経験と似ているのだ。それに、韓国語の響きは色々な言語の中で、日本語とよく似ている。そして、私は韓国語にも聞き慣れている。もちろん、이마트は鶴ヶ島のダイエーよりも何倍も広いのだが、広さはあまり影響しないようだ。

店員の雰囲気も、とてもよかった。韓国語では、店員が使う言葉は日本語ほど形式的でなく、私が職場で院長に話すときの言葉使いとあまり変わらない。そのため、日本語よりも若干フランクな印象がある。しかも、이마트の店員は、ていねいにお客さんの質問に答えている。私は、店員が韓国語で話しているにも関わらず、日本人がそのように爽やかに変化したような錯覚を起こしていた。

明け方の夢の中で、よく韓国と日本が渾然とした、フュージョンの世界にいることがあるが、이마트は、現実の中でそういう夢を見ているような気分にさせた。日本のことを知らない이마트の利用者たちは、日本のダイエーに行ったら、逆に自分が韓国に帰って来てしまったような錯覚に陥ることだろう。

この錯覚は、食料品売場にいる間は消えていた。食べ物は、日本とはやはり多少違うからだ。それでも、他のスーパーやデパートなどと比べると、이마트は日本のスーパーに似ている。去年日本に帰ったとき、スーパー(ダイエーだったと思う)の食品売場に韓国のものが多くなっていた。だから、品は韓国のものでも雰囲気が日本のスーパーに似ている이마트の食品売場は、日本の食料品売場にだいぶ接近しているといえるかも知れない。パン用の小麦粉が売っているので、妻はとても喜んで、1袋買っていた。

冷凍食品などのコーナーでは、あちこちで試食をやっていて、4歳になる私の下の子は、試食コーナーで茹であがった水餃子を、あれよあれよという間に、パクパクと全部食べてしまった。その後ろで、試食しようとしていた2〜3人の女性が、楊子を手に持ったまま、当惑した表情を見せていた。慌てて店員に謝ったが、その水餃子は買わなかった(^^;)。私は풀무원の水餃子しか買わないからだ。

帰りに妻が“Σ”のロゴを見上げながら「この店、50号店だって」と言った。なんと、こういう大型スーパーを、韓国内に少なくとも50店も出しているのか。大変な力だ。

ところで、私が韓国に来た頃の韓国こそ韓国なら、今の韓国は、韓国ではないと言えるかも知れない。街の様子も変わったし、人々の意識もずいぶん多様になった。今回の大統領選も、前回のように接戦だった。そして、ソウル大出身の이회창候補ではなく、高卒の立志伝的な노무현候補が大統領に確定した。先日のタクシーの運転手のような年輩の人々には不評だったが、若い層には支持されたらしい。私が韓国に来たときには、民主的な雰囲気にこそなってきてはいたが、まだ軍事政権だった。しかし、いま韓国は、日本よりも民主的な国になったような気がする。しかも、今回の選挙の結果は、今後学歴社会のあり方にも多少の影響を与えるかも知れない。

韓国は日本のようにボトムアップの社会ではなく、トップダウンの傾向がとても強い国だが、国家元首を自分たちの意志で決めるのは、東アジアの中では、中華民国と韓国の2国だけだ。そのうちに、社会の構造も変化して、トップダウンの傾向が影をひそめてしまうかも知れない。

12月21日(土)「QGREP」

at 2002 12/22 12:54

ウィンドーズ用の検索ソフトを探した。始めは“QWIC検索(文脈付検索)”のできるソフトを探したが、なかなか見つからない。そこで、“GREP検索”の出来るソフトをさがしてみた。GREP検索も一種の文脈付検索だが、検索語が中心に集められないで、検索語の含まれる段落が抽出される。これでも用例を見るのに不足はない。

すると、“QGREP”というフリーウェアが見つかった。このソフトは、指定した文字列を行単位で検索し、検索結果をファイルまたはクリップボードに出力するようになっている。ダウンロードをして、実際に使ってみた。

初めは、使い方がぜんぜんわからなかった。「検索文字列」と書いてあるフォームには、調べたい語を入れればいいのだろうけれども、「検索ファイル名」と「出力ファイル名」には、どういうふうに入力すればいいのか分からない。検索ファイル名の横にある「ファイル一覧」を見ても、何がなんだかわからなかった。

あれこれ解説も探してみたが、理系の言葉づかいで、文系人間には禅問答のように見える。しかし、あれこれ推測しながら試してみて、やっと抽出に成功した。

「検索ファイル名」には、検索したいファイルのディレクトリとその中のファイル名を入力すればいいのだが、HTMLファイルをすべて選択したい場合は、“*.html”と、拡張子だけを指定して、名前の部分はアステリスクにする。ディレクトリは、Cドライブの“MyDocument”なら、“c:\MyDocument”と入力する。ディレクトリとファイル名の間には、半角スペースを入れる。

HTMLファイルには“*.html”と“*.htm”があるから、“or”でつないで、“c:\MyDocument *.html or *.htm”と記入する。

「出力ファイル名」は、クリップボードがどこにあるか分からないので、テキストファイルを作ってそのファイルを指定した。たとえば、Dドライブのメインディレクトリに“search.txt”というファイルを作っておいて、出力ファイル名の欄には“d:\search.txt”と記入する。そうすれば、検索結果がこのファイルにダダーッと流し込まれる。

私は、ある文字列を含んだファイルがどこにあるのか知りたいわけではないので、「ファイル名・行番号を出力」というところと「行数などを出力」というところはチェックを解除した。そして、操作ウィンドーの右下の方にある「その他...」に入り、「マッチした場所に文字列を出力」のところに、“▼”と入れておいた。そうすれば、その語がどこにあるのかすぐに分かるからだ。

そうやって、いくつかの語を検索してみた。検索速度は、十分満足できる。ただ、検索ファイル名の指定のしかたに問題があるのか、同じファイルが2度検索されてしまう。「ファイル一覧」から重複する部分を削除して使ったが、一度終了してまた起動させると、「ファイル一覧」の内容がまた元に戻ってしまう。

12月22日(日)「GetHTMLW」

at 2002 12/22 19:14

ウィンドーズでウェブサイトをダウンロードできるソフトウェアを探していたが、“GetHTMLW”というフリーウェアがそれをできることを知り、ダウンロードして使ってみた。私の遅いマックとは違って、友人に中古の部品を組み立ててもらったウィンドーズは速い。スパスパスパと、10MB近くある私のサイトを、一気にダウンロードしてしまった。

GetHTMLWのいい点は、あるサイトの上のディレクトリまでもダウンロードしてくれるということだ。それに、リンクにしておいたスタイルシートもダウンロードする。ある部分は、どうしてか分からないが、ほかのサイトのいくつかのページもダウンロードする。しかし、これはあとでブラウザで閲覧するとき、リンクが切れてしまうから、あまり意味のないことではないかと思うのだが、もしかしたら、特殊なブラウザによって、リンクが生きてくるのかも知れない。

もうひとつのいい点は、トライポッドのポップアップウィンドーが消去された状態でダウンロードされる点だ。ハードディスクに読み込んだあといちいちタグを消去する手間が省ける。

ただし、ジャヴァスクリプトでリンクしたページは、リンクが切れてしまう。ソウル日記のバックアップ版は、ここでも前年のメニューページがダウンロードできなかった。

また、ハードディスクの設定が違うためにリンクが切れてしまうものもある。半角のスペースは、ダウンロードするときに違う文字列に変形するため、リンクが切れてしまう。これは、マックのウェブデビルでは起こらなかったことだ。また、ウェブデビル同様、スラッシュだけで上位ディレクトリにリンクしている場合にも、リンクが切れる。OnMouseOverで表示されるボタンも、ダウンロードできない。

これらのダウンロードやリンクの回復は、手作業で行う必要がある。ウィンドーズにちょっと不慣れな私には、かなり面倒な作業だ。

あるウェブサイトは、トップページに動物が走り回っている。しかしそれをダウンロードすると、赤い“×”が動き回るだけになってしまう。ある人は、これを放置するかもしれないし、ある人は、ご丁寧に、動き回るたびに変わる画像をすべてダウンロードするかもしれないが、私は、動物を走り回らせるタグを削除してしまった。

もっとも、これらの問題は、オフラインでウェブサイトを閲覧することでなく、テキストを検索・抽出するためなら、まったく問題のないことだ。

ところで、このソフトは、致命的なセキュリティーホールがあるという。それは、ここに詳しく書かれている。よく読んで、この点を注意した上で使うべきだろう。

これで、テキストの多いウェブサイトをダウンロードして、“QGREP”で用例の検索をすることができる。日本語を教える人は、学生に日本語の意味や用法の説明をするとき、自分の語感でいい加減な説明をすることは避けられるようになるだろう。

12月24日(火)「クリスマスイブ」

at 2002 12/31 18:32

毎週火曜日2時からの聖書勉強会は、今日は聖誕を記念する意味で、聖誕を祝う『讃美歌』を歌ったあと、マタイの福音書1章18-25節とルカの福音書2章8-20節、それからマタイの福音書2章1-12節を読んだ。読みながら、思ったことや気付いたこと、疑問点などを、分かち合った。聖書勉強会で『讃美歌』を歌ったのは、初めてだ。私は、教会の礼拝でもどこでも、『讃美歌』を歌ったことがなかった。福音派の諸教会では、『聖歌』を歌うからだ。しかし、讃美歌の歌詞は、なんともいえない深い味わいがある。

今日は、私を含めて13人が集まった。半年ぶりに来た懐かしい兄弟もいた。初めて会う人もいた。ある初めて会った兄弟は、雨森という姓なので、まさかと思いながらも、ひょっとして雨森芳洲と何か関係がありますかと聞くと、なんと、直系の先祖ではないが、先祖の親戚だという。しかし、居合わせた兄弟姉妹たちの中で、雨森芳洲を知っている人は、大学院で歴史を専攻している兄弟一人だけだった。

聖書勉強会が済んでから、一緒にケーキを食べた。残念なことに、そのケーキはいちごに黴が生えていた。いちごを取り去って、少しは食べてみたが、どうしたわけか、シンナーの強い臭いがする。それで、結局このケーキは食べないで捨てることにした。しかし、ある兄弟が、パウンドケーキを持って来たので、それを食べて満足した。

そのあと人と会う約束をしていたのだが、体がだるくて辛かったので、電話をして断わり、まっすぐ帰ることにした。同労者の伝道師さんを車に乗せて、言語や認識について話しながら帰った。この伝道師さんは、西洋哲学専攻で、博士課程修了直前に献身した。私の関心の中心である信仰も言語も、その根底にある理論的基板は哲学で研究されているので、考えを突き詰めて分からなくなったことを、私はよくこの伝道師さんに質問する。もちろん、信仰は哲学ではない。しかし、信仰とは何かを知るために、哲学が必要になることもある。また、言語について思索するときも、哲学的な背景のないまま突き詰めていくと、根無し草のような理論を振り回してしまいかねない。そういう意味で、哲学は思考のガードレールになるのだ。

解釈というものの難しさについて私がこぼした。人はそれぞれ受け入れている世界観が違う。解釈にはその世界観があらわれる。そのために、どんなものを解釈するときも、全ての人が認める解釈はしにくい。必ず不一致が生じる。しかし、その根底に存在する世界観にまで踏み込んで解釈について論じるのは、もっと難しいことだ。難しいだけでなく、論争相手の世界観に本気で踏み込もうとすることもないから、解釈の議論は平行線をたどってしまいやすい。

家で妻が食事を作って待っていてくれたが、疲労感が強すぎて、食事がのどを通らなかった。居間でゴロゴロしていると、教会の青年が一人、今日うちでクリスマスパーティーがあると聞き間違って、差し入れを持ってやってきた。ちょうど良かったので、私の食べられなかった分を、彼に全部食べてもらった。パーティーではなかったが、クリスマスイブの楽しい交わりもできた。

そのあと、妻と一緒に家庭礼拝をした。本当に久しぶりの家庭礼拝だ。まず『讃頌歌』から聖誕を祝う歌を4曲歌ったあと、マタイの福音書1章18-25節と2章1-12節を読んだ。それからまた『讃頌歌』から聖誕を祝う別の歌を1曲歌った。そして、私が一言祈って終わった。祈りながら、神の存在の偉大さと恵みの深さとに感じ、言葉が詰まった。祈り終わったとき、上の子が「何でお父さん祈りながら泣いたの」と聞くので、「お前も大きくなったら分かるよ」と答えた。

そのあとで、日本の両親の家に電話をした。父も母も、喜んでいた。父から、早く卒業しろと言われた。母は、うちは今クリスマスの雰囲気が全然しないのだと言っていた。さっきクリスマスの家庭礼拝をしたと言うと、母が、私もその箇所を読んでみようかしらと言っていた。

12月25日(水)「クリスマス」

at 2002 12/31 18:45

朝起きてみると、地面は雪で白くなっていた。ドアをあけると、風がとても冷たい。

9時から教会で聖誕礼拝があるので、家族で行って来た。妻と下の子は先に家を出て、私はまだ着替えていなかった上の子を急かして服を着替えさせてから、一緒に家を出た。外を歩くとき、あまり襟巻をしないのだが、今日は風が骨身にしみるほど寒いのと、体調がとても悪いのとで、襟巻をして出た。しかし、それでも寒い。

バスの中は、教会へ行く人たちで混んでいた。教会に着くと、上の子は、“꿈이 자라는 땅”という子供のための礼拝に行った。

大きな礼拝堂は、すでに満席で、副牧師先生たちや長老たちが、補助の椅子を出していた。しかし、妻が目ざとく空席を見つけてくれていたおかげで、いちばん前に座れた。

賛美が始まったとき、私は腹に力が入らなくて、小さな声で歌うのがやっとだった。2千人ほどの会衆はみな手拍子を打って歌っていたが、私は手を膝の上に置いたまま賛美を歌った。途中で起立して賛美をするとき、途中で辛くなったが、最後まで立ったまま賛美をした。

賛美はすばらしかった。神の威厳を讃える雰囲気と、キリストの誕生への喜びが漲っていた。2千人の大斉唱は、荘厳なものだ。これは少人数の静かな礼拝でも変わりないのだが、偉大という言葉では捉えきれない崇高な神の存在に心打たれた経験を持たなければ、礼拝の喜びは、とうてい理解できないだろう。これは、パン一切れに涙したことのないない人に理解できない人生の妙味があるのと似ている。

私は、少人数の集まりの中に臨在する深い喜びに安らかさを感じるので、あまり人数の多くない礼拝に出席しているが、こういう大人数の礼拝も、ときにはいいものだ。

説教は、하용조牧師先生だった。私がハ先生の説教を直接聞くのは、3年ぶりかも知れない。何度も私たち夫婦を見つめて話していた。不覚にも、説教の要点をもう思い出せなくなってしまったが、すばらしい内容だった。細かい内容を覚えていないにもかかわらず、イエス様への信頼を新たにした。

礼拝が終わって教会の外に出、バス停で待っているとき、道の反対側で大学生ぐらいの青年たちが、間の抜けた中年男が写っているプラカードを、7〜8枚かかげて並んで立っていた。初めは何かの選挙活動かと思った。しかし、よく見ると、そうではなかった。そこには、その男性こそが再臨したキリストであり、本当の聖誕祭は2月何日だと書いてあった。

名称は忘れたが、あれは韓国では名のある宗教カルトなのだ。プラカードに写っている貧相な顔を見て、自分はキリストだという妄想に取りつかれたその中年男が、気の毒に思えた。彼らは、私たちの信仰に攻撃をしかけるつもりでここへ来たのだろう。しかし、たった今教会で礼拝をささげて来た人たちの目には、たぶん彼らは恥をさらすためにここに来たようにしか見えまい。

家に帰って来てから、すぐに布団を敷いて、寝た。午後2時頃まで眠った。私の体の不調は精神的なものだが、これが長引けば、本当に肉体的におかしくなってしまうかも知れない。毎日礼拝をささげていれば、心身ともにいつももっと健康でいられるだろうか。

12月30日(月)「春の祭典」

at 2002 12/31 18:53

教育放送の録音が終わって家に帰るとき、いつものようにKBS第1FMを聞いていると、今の季節に似合わない、ストラビンスキーの「春の祭典」が始まった。この曲がどういう意味で作られたのかは知らないが、中学生の時に初めて聞いてから、ずっと関心のある曲だ。しかし、最近まではその深い味わいを感じることはなかった。

ステレオのボリュームを上げて、聞いた。この曲を聞くと、どういうわけか、伊福部昭の「タプカーラ交響曲」を思い出す。しかし、その曲よりもはるかに、壮大で、力強く、ダイナミックであり、また、繊細で、爽やかで、美しい。「春の祭典」を“美しい”と言っている人には会ったことがないが、車の中でその曲を聞きながら、あまりの美しさにためいきを吐いた。

「春の祭典」にひたりながら、南部循環路を走り、芸術の殿堂の前を右折して大法院の脇を通り、반포大橋を渡って강변北路に抜け、そして家に着いた。殺風景で埃っぽい冬のソウルの風景の中で、瑞々しい生命の嵐が吹き荒れているような気がした。

家に着いて、ラジオのスイッチを入れると、まもなく曲が終わった。拍手が聞こえた。コンサートの実況録音だった。誰の演奏だろうと興味を感じたが、指揮者の名前は発音が複雑で分からなかった。演奏はロンドンフィルで、1960年代初めの演奏だそうだ。40年も前に録音されたという事実に、また驚いた。

夜、家族とハリーポッターの第2弾を見に行った。映画が終わって外に出ると、雪が降っていて、歩道を白く被っていた。下の子は、雪を見てはしゃいでいた。午後にたっぷり春を満喫したあとの雪なので、妙な不調和を覚えた。