ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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9月7日(土)「気配り」

at 2002 09/08 04:42

在韓日本語教師の会に出席した。この会は、韓国に住む日本語を母語とする日本語教師の集まりで、遠くクァンジュやプサンからも、この集まりのために来る先生たちがいる。

異文化間コミュニケーション教育の研究をしている奥山先生の発表を聞いた。この発表は、参加者たちに色々と考える刺激を与えたことで、成功した思う。

この発表では、日本人の要求する気配りを事例に上げていた。その状況は、こうだ。昭男とキテックと幸子は討論会を終え、幸子がいれた熱いコーヒーを飲んでいたが、部屋の窓が閉まっているので、暑く感じた。幸子と昭男は、部屋が暑く感じると言いあった。窓際にいたキテックも暑いと思ったが、窓を開けようとは思わなかった。しかし、幸子と昭男は無言でキテックに窓を開けてもらうことを期待していた。キテックが窓を開けてくれないので、昭男が窓を開けた。そして、幸子と昭男はキテックを恨めしそうに睨んだ。

私はこの発表を聞きながら、私が韓国にいる12年の間に日本人は気配り病になってしまったのだろうなと思って、日本の将来を心配していた。これは、韓国人からしてみれば、文化の違いで片付けられる問題かもしれないが、日本人の立場からしてみれば、深刻な社会病だ。基本的に、人間は他の人の立場を理解できないものだ。ある程度の察しはついても、限界はある。それは、率直な対話によって解決すべきだ。にもかかわらず、率直に言わない風潮が強まっている。私は、奥山先生の発表を聞きながら、そう思った。

しかし、参加者の反応は、そうとは限らなかったようだ。講師会のあとの食事の席で、たまたま私の周囲にいた先生たちは、日本人はあんなに陰険じゃないと、その発表に対して不満を漏らしていた。つまり、もし窓際にいる人に窓を開けてほしいなら、そういうべきだし、もしそれが言えなくて相手が窓を開けてくれないなら、それをうらむのは不当だという考えだ。

発表を聞きながら、幸子と昭男に同情する人が多いのだろうと思っていた。ところが、少なくとも私の周囲では、その二人の反応に反感を抱いていた。異文化コミュニケーション教育では、ある文化の“規範”を中心に理解していくよう指導するというのだが、奥山先生の提示した“日本人の規範”は、私を含めて、数人の日本人の規範と衝突した。日本人の間でも、行動規範が一致しないのだ。

私の考えでは、気配りというのは、それを実行することは美しいことだが、それを要求し期待するのは感心できない。日本人の病的な気配り文化がもし本当なら、それが肥大化しないことを祈るばかりだ。

奥山先生の発表と、そのあとの他の数人の先生たちの反応とを思い返しながら、文化について論ずることの難しさを身をもって感じた。

9月11日(水)「ギリシャ正教会」

at 2002 09/14 08:57

アヒョンドンにある、ギリシャ正教の教会に行ってきた。私にギリシャ語を教えてくれているアリストテリス神父さんに会うためだ。キリスト教とはいうものの、教派が大きく異なるので、どんなところか想像もつかず、初めは多少緊張した。

その教会は丘の上にあり、エオゲ駅の近くから裏通りに入ると、ぐるりと回りながら、その教会に到る。敷地の周囲が建物になっていて、中は静かな中庭が広がっている。韓国とは思えない、平和で明るい雰囲気だ。

プロテスタントの教会と同じく、そこで働いている人たちはとても優しかったので、安心した。私たちと少し違うのは、物静かだということだ。これは、教会の敷地内の平和な雰囲気と関係があるかもしれない。

教会堂の中を、アリストテリス神父さんに案内された。その建物は、ビザンチンスタイルで作られたものだそうだ。カトリックの教会と似ていて、神父さんは入口の何かの絵の様なものに挨拶をしていた。以前カトリックの教会に招かれたとき、同じ光景を見た。しかし、カトリックの教会と違うのは、礼拝堂にいたる道に、マリア像がないことだ。

教会堂の中に入ると、うっと驚いた。壁面と天井を一面に、イエス様の誕生から復活、そしてペンテコステの聖霊降臨までの多くの場面の絵が描かれていた。神父さんが、一つ一つの絵の説明をしてくれた。絵の説明を聞かなければ、中の誰がペテロで、誰がモーセで、誰がエリヤかも分からなかった。これらの絵も、ビザンチン絵画を摸しているのだそうだ。

ただ、私は、教会という礼拝をする場所に、人物を描いた絵がたくさんあることに、非常に抵抗を覚えた。これは、私の性向であり信仰の形なのだから、仕方ないことだ。

そのあと、神父さんの執務室に行き、コイネー・ギリシャ語原典と現代ギリシャ語(KaJaleuousa)との対訳の新約聖書をいただいた。これは本当にすばらしい資料で、両者の比較から、ギリシャ語をよりよく理解できるにちがいない。これで私がギリシャ語が上手にならなかったら、本当に恩知らずになってしまう。

この原典は、どの校訂本を用いているのか気になったので、私が覚えている何個所かを、何種類かの原本と比べてみると、どうやら“Textus Receptus”かまたはそれに非常に近いものだということが分かった。それは、かの有名な欽定訳聖書を訳すときの原本になった校訂本だ。その校訂本は、4百年前に作られたもので、“Nestle-Aland”の校訂本よりも不完全だと思っていたが、ギリシャでは、その古い校訂本が読まれているのだ。

他の教会に通っている人と交わるとき、私は自分の信仰が何なのかを相対的に知る事ができる。それを通して分かるのは、私は聖書に対してかなり保守的な福音主義の信仰を持っているプロテスタントのクリスチャンだということだ。私の教会がそうなのだ。私は自分の信仰のあり方が一番正しいとは思っていないが、しかし、それを守ることが、自分にはよいことだと考えている。従うということは、自分の中の高慢が野放しになるのを防ぐからだ。

ひとつ、ギリシャ正教会の習慣でとてもいいものがあった。それは、食後の祈りをすることだ。私は、食前にだけ祈って食後に祈らない私たちプロテスタントの習慣に、抵抗を感じていた。それは、日本の食事の習慣は、食後に「ごちそうさまでした」とひとこと言う習慣があるからだろう。これは一種の食後の祈りだ。英語で教えてくれたその祈りの言葉は、とても美しかった。今度会ったとき、その祈りを教えてもらいたいと思う。

私にとっては異質な体験だったが、その異質な人たちと、イエス・キリストの名で互いに一致できることは、本当に不思議なことだと思った。

9月20日(金)「チュソク(その1)」

at 2002 09/21 18:16

今日もまた、ギリシャ語を教えてもらいに、アリストテリス神父さんに会いに行った。今日はチュソク連休の第1日目で、ソウル市内の道路はとても空いている。

今日は、教会に関する数多くのギリシャ語表現を習った。あまり数多く習ったので、頭に半分も入らなかった。宗教的な表現に偏りすぎているのではないかとも考えたが、逆に、私の持っている現代ギリシャ語の教材では、宗教的な表現をほとんど学ぶことができないので、これはとても貴重な経験だと思った。

私が礼拝堂で見た様々なイコン(eikwn)に違和感を覚えたことに気付いてか、それとも、プロテスタントの教会ではイコンをよく見ていないことを知ってのことか、私にイコンについて説明してくれた。

「イコンというのは、プロテスタントの教会でも、ギリシャ教会の中でも誤解されていますが、あれは、礼拝の対象ではありません。イコンは、“本”なのです」と言っていた。「つまり、イコンから、その意味を読むのです」という。

私たちプロテスタントの教会にも、ステンドグラスなどでキリストを描写したり、西洋人として描かれたイエス様の肖像を階段の踊り場などに飾ったりしているが、イコンというのは、そういうものなのだろうか。

イコンについて神父さんが書いた論文のコピーをいただいた。私は英語が得意ではないので読むのに骨が折れそうだが、時間があるときにがんばって読んでみよう。題は“Iconography in the Liturgical Life of the Medieval Greek Church”で、これは‘The Liturgy of the Medieval Church’(Western Michigan University 2001)という論文集に掲載されたものだ。

私はチュソクのおみやげに、韓国の伝統菓子を持っていったのだが、アリストテリス神父さんから、またギリシャのお菓子をいただいてしまった。ヴァサキ(basakh)という伝統菓子で、団子くらいの大きさの、アーモンドが入った練り菓子だ。表面が粉砂糖で真っ白にまぶしてあるので、時期が時期なだけに、月見団子を思い出した。家に帰って食べてみると、とても甘かった。先週いただいたパステリはとても美味しかったが、こちらは口に合う人と合わない人とが出るかもしれない。お菓子の説明が、ギリシャ語と英語の対訳で書かれてあった。英語の方を読んだが、辞書に載っていない単語がいくつかあった。

ギリシャ教会では、明日チュソクの日に礼拝を行うのだそうだ。これは、主日礼拝とは別に行う臨時の礼拝だという。

それから、現代ギリシャ語のいい辞書があることを知った。神父さんが英語のスペルを確かめるために持ってきた希英辞典で、“Oxford Greek-English Learner's Dictionaryy”(by D N Stavropulos)という辞書だ。この辞書は、本格的な希英辞典で、説明がていねいにされているし、用例も豊富に載っている。今度この辞書を、キョボ文庫で注文しよう。

午後、知り合いの出版社社長のお母さんが亡くなったという知らせを受け、夜中に家族で葬式場へ行ってきた。葬式なのに、妻は社長に「アンニョンハセヨ」と挨拶していた。

韓国の葬式は、3日間執り行い、その間、知り合いが入れかわり立ちかわりやってきては、一緒に食事をしたり、お酒を飲んだり、花札をしたりして、遺族の悲しみを忙しさの中で紛らす。

ちょうどチュソク前夜の葬式とあって、別れ際に「チュソク チャル ボネセヨ」とも言えず、挨拶に困った。私はこういう時の挨拶言葉が苦手だ。でも、子供たちが愛敬を振りまいてくれたおかげで、ちょっとは社長の悲しみも紛れたのではないかと思う。

9月21日(土)「チュソク(その2)」

at 2002 09/21 17:46

今日はチュソクの中日で、ソウルは昨日と同様、街中がいつもより静かで、空気もきれいだ。

上の子は、友達がみなソウルから出ていってしまい、いちばん親しい友達も、交通事故で入院しているので、誰も遊び相手がいなくて、一人で部屋でごろごろしながら、退屈だなあとぼやいていた。

あまり退屈にしているので、私が「おんぶしてあげようか」と言って、おんぶしてあげたら、どっしりと重い。こいつ、何キロあるんだろう。家の中でおぶっていると、「チュソクって、つまんないね」ともらしていた。

今日はこれから、教会の人たちを呼んで一緒に夕飯を食べる。日本人にとっては、この日は、することもなく、行くところもなく、ちょっと退屈な日なのだ。

9月24日(火)「秋学期開講」

at 2002 09/25 12:36

今日から言語教育院の秋学期がスタートした。3週間ぶりの授業で、知らない学生ばかりの教室なので、新鮮でもあり、初めて授業をするような気分でもあった。

「何ヶ月に1回パーマをかけますか」という質問が教材にあるのだが、その質問をある学生にしたところ、1日に1回と答えた。いくらファッションにうとい私でも、毎日パーマをかけるというのは変だと感じる。それで、「え、毎日ですか」と聞き返したが、そうだという。「本当ですか」と聞くと、別に冗談を言っている気配もなく、優雅に「はい」と答えた。

あとで、その学生からメールを受け取った。授業で「1日に1回パーマをかける」と答えたが、実は、1年に1回と言うべきところを勘違いしてしまったのだという。授業のあとで自分の間違いに気づき、恥ずかしくてたまらなかったと書いてあった。

メールを読んだあと、昔ISS通訳研修院という通訳学校で事務のアルバイトをしていたときのことを思い出した。

ある日、アメリカ人から、講師募集の件で電話がかかってきた。そして、“May I speak to Mr. Ichikawa?”とたずねた。こういう電話はよく来るから、事務の職員が何とか受け答えできるように、状況別に英語で応対するマニュアルを作ってある。たいていは、そのマニュアルを見ながら答えればいいのだが、私はちょっと背伸びをして、マニュアルを見ずに応対することにした。そして、“Mr. Ichikawa is out for lunch.”と答え、そして、付け加えた。“Please call him again after thirty hours!”

電話の向こうでは、非常に当惑した声で、“O...Okay. I'll call him again after thirty minutes.”と言っていた。そのとき私は自分の失敗に気づいた。

受話器を下ろして目を上げると、みんなが大笑いしていた。手を打って笑っている人もいた。

9月26日(木)「人違い」

at 2002 09/27 10:53

初めての授業では、どうしても大小の失策をしてしまうのだが、今日もやってしまった。

ほとんどの学生が前の学期からの持ち上がりで、2人ほど新しい学生が来ていたのだが、そのうち一人が、Iさんという学生にそっくりに見えた。実は、Iさんも同じ教室にいたので、二人を見比べれば、どっちがIさんかということは、一目瞭然なのだが、Iさんがいちばん手前に座っていて、その学生が奥のほうにいたので、私の鈍い記憶力は、手前にIさんがいることをすっかり忘れて、その学生をIさんだと思い込んでいた。

そして、名簿を呼びながら、「Hさん!」と呼ぶと、その学生が「はい!」返事をした。私が、「いや、Iさんじゃなくて、今Hさんを呼んだんです」と答えると、「私がHです」と言う。

え! と驚き、「あ、じゃあ、Iさんは…」と言いながら、しばらく呆然としていると、「“Iさん”はここにいます」という声が聞こえる。見ると、いちばん手前の席に、Iさんがいた。私はしばらくの間、2人を見比べながら、声も出なかった。

2人はよく見比べれば、確かに似てはいるが、別人だ。まず、年が違う。そして、声も違う。しかし、私がそれでもHさんをIさんだと思い込んでしまった理由は、Iさんが、先学期とは違って髪を思い切って短くしたために容貌が若干違って見えたという点と、Hさんは、髪を染めていて、しかも先学期のIさんの髪の長さと同じくらいで、さらに、Iさんとは違い色の入ったメガネをかけていたので、雰囲気こそ違え、Iさんだと錯覚してしまったのだ。

女性は、化粧をしただけで、その人だと同定できないほど変化してしまう。実に化粧は“化け”粧だと感じていた。学期ごとに雰囲気を大きく変えてくる学生がいて、私はその学生があの学生だということを認識するのにかなりのエネルギーを要してきた。そのエネルギーが、今学期は、別人をその人だと認識させてしまったのだ。

他の学生たちは、私の勘違いに、びっくりしていた。本人たちは、若干あきれた表情だった。他の先生たちは、私と同じような間違いをするのだろうか。

9月27日(金)「企業説明会」

at 2002 09/30 09:26

間違って、企業説明会に迷い込んでしまった。

言語教育院の同僚の中国語の先生が、『エグ、プルサンヘラ(まあかわいそう)』という中国語劇を、大学の学生たちに指導したので、ぜひ見に来てくださいと言いながら、パンフレットをくれた。それで、私は時間に合わせて、その演劇を見に行った。

ところが、小講堂の位置が分からなかったので、生活館の写真屋で何階にあるのかと聞くと、3階だという。そして、3階の小講堂に入ると、「SK会社紹介」という張り紙がある。演劇という字が見えない。しかし私は、この講堂で演劇があるものと固く信じていたので、何も疑わずにそこへ入っていった。

中には続々と女子学生たちが入ってくる。学生以外の人が、一人も見当たらないだけでなく、中国語の先生たちも見当たらなかった。100人以上は入ると思われる講堂は、瞬く間に学生たちでいっぱいになった。

そして、SK何とかという会社の社長だという男性が、挨拶を始めたのだが、自分はいま女性ばかりの中で話すので緊張しているなどと、つまらない話をだらだらと並べながら、10分ほど話した。私はいらいらしてきた。

それから、実際の会社説明を、梨花女子大のOBだという女子社員が始めたが、マイクが遠くて声がよく聞こえず、学生たちが「アンドゥッリョヨ!(聞こえません)」というと、その女子社員は、「もともと私は声が大きいんですから、マイクなしでも聞こえるはずです」とつぶやいた。私はむっとした。聞こえないから学生たちが聞こえないと言ったのに、聞こえるはずだとは何という横柄な態度だ。その女子社員の説明も、つんけんした声で早口にまくしたてるので、嫌な感じがした。

20分近く経ったとき、もう我慢ができなくなって、講堂を出てしまった。この説明会のあとで、中国語の演劇があるんだろうなあなどと考え、中国語の先生たちには不義理なことをしたが、ちょっと耐えられなかったなどと思いながら、講師室に戻って、コンピュータの前に座って作業を始めるとすぐに、中国語の先生が講師室に戻ってきた。そして、どうして来なかったのか、入口で私のためにチケットをもって待っていたと言う。

私は、中国語の演劇は見たかったが、その前にある企業説明があまり長く退屈なので、たえきれずに出てきてしまったのだといった。

すると、先生が目を真ん丸くさせて、企業説明などしていない、いったいどこにいたのかという。私が、3階の小講堂ですと答えると、中国語の演劇は、1階の小講堂で行われたのだという。時間ちょうどに開演して、今真最中だという。時計を見ると、予定ではもう終りかけている頃だ。

私は何と、場所を間違えて、まったくとんちんかんなところへ行ってしまっていたのだった。しかし、途中で出てきてよかった。もし最後まで我慢しながらあの話を聞いていたら、終ったときに、ショックが大きかったことだろう。思わず天井を仰いで両手で顔を覆ったかもしれない。エグ、プルサンヘラ!