ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

新規投稿
先月<<過去記事 >>次月

7月4日(水)「日本語聖書勉強会」

at 2001 07/07 06:00

私は言語教育院で日本語聖書勉強会をやっている。今日は、勉強会を導いてくれている同労者が、純福音教会の伝道師試験に受かって、1週間泊り込みで新人伝道師の研修を受けにいったため、私が一人で勉強会を導くことになった。そのため、賛美もギターの伴奏無しでやった。まるでグレゴリオ聖歌みたいだった。

当日勉強する聖書箇所を前もって読んだのだが、どこにどう目を付けたらいいのか見当が付かない。個人的に読んで感じるものはあるが、それは私の考えだ。解説書も読んでみたが、それは解説者の考えだ。結局私は、引き出し方を知らなかったのだ。

参加者個人が聖書から与えられるものは、解説者のそれとは違う。もちろん私のとも違う。皆が一致するような単純な本なら、大した本ではない。それぞれが違ったものを与えられ、それを分かち合えるからこそ、偉大な書物なのだ。

参加者個人が聖書の該当箇所からどれだけその本人に必要な生きる糧を引き出せるかが大事なのに、今日の勉強会では、私が読み取った内容をたくさん話してしまった。

これは、会話の教師としても、失格だ。会話の教師は、学生たちが自ら話ができるように導かなければならない。それと同じで、聖書勉強を導く者は、参加者が各々自分に必要な“意味”を聖書から引き出せるように導くべきなのだ。

意気消沈して講師室に戻ったが、こういう失敗を繰り返しながら、人間は大きくなっていくのだと思い直し、いくらか心が慰められた。


7月9日(月)「韓国式人事と人生の類似」

at 2001 07/15 02:48

聖書勉強会の同労者から電話があり、今度は月末までの研修をいきなり言い渡され、今週水曜日からの聖書勉強会にも当分来られなくなったと言う。私はこの人に依存して聖書勉強会を始めたので、本人はリードする資格がないと思っている者がリードせざるを得なくなったのだから、たいへんだ。

これはいわば、初めてプールで飛び込みをする人が、恐る恐る飛び込んでみたら、落下中に水のないことに気が付いたような気分だ。パラシュートを買いに行くひまもない。

しかし、教会のようなところでも、雇用人に突然の指示を言い渡すのだから、すごいことだ。それによって周囲が迷惑を被ることは、眼中にない。

もっとも、私も今の職場に採用されたのが、次の学期が始まるわずか前で、いきなり電話で父にこれこれの書類が必要になったから揃えてくださいと頼んだら、前もって言わなくてどうすると叱られた。前もって自分が採用されることが分かっていたら世話ないが、こういう直前にいきなり通達するのは、韓国のやり方なのかもしれない。

私のいる教会でも、日本の教会と交流を持ちはじめたとき、日本の教会が半年から1年前にスケジュールを決めてしまうという事実に最初は非常に驚き当惑していたのを思い出す。日本式のスケジュールに合わせるために、大変な苦労をしたようだ。

しかし、人生というものを考えてみれば、私は自分が生まれてくることを自分で予定してはいなかったし、どの親から産まれるということも、私の意志で計画したことではない。気が付いてみたら、自分が存在していた。

そして、災難や死なども、たいていは思いがけないときにいきなりやってくる。これも、計画できることではない。

人間も自分で計画は立てるが、もっと大きな計画は、神が立てて実行されるものだ。私が聖書勉強会から同労者を取られてしまうのも、神の計画が実行されたことと考えれば、文句の言いようもない。このようなことも含めて、万物がともに働いて益となることを期待しよう。




7月10日(火)「カラオケ」

at 2001 07/11 09:17

7年ほど韓国に住んでいた人が日本へ帰ることになり、その人の送別会に行った。

マンドゥチョンゴル(餃子鍋)の店に行って食事をしたあと、日本語の歌ができるノレバン(カラオケボックス)に行った。私はカラオケなんて何年ぶりかだった。

ばさっと歌の目録を開くと、無数の曲目が並んでいる。初めてカラオケに来た人も、私と同じくらい絶望的な気分になるのではないだろうか。

最近の曲は、ぜんぜん知らないので、昔歌っていた曲を探して歌った。韓国の歌だけ歌った。

くだんの日本に帰る人は、すごく歌が上手だった。歌で食べていけるのではないかと思うほどだった。それも、韓国と日本で。

この人は、韓国語もすごく上手だが、聴覚記憶が優れているのだろう。歌が上手な人は、外国語を話すのも上手なようだ。外国語が上手になりたかったら、カラオケに通うべきか。

7月22日(日)「モンスーン」

at 2001 07/23 16:38

和辻哲郎の『風土』にこんなくだりがある。

「モンスーンのころにインド洋を渡った旅行者は何人も経験するところであるが、風の吹きつける側の船室は、いかに暑くとも窓を開くことができない。恐ろしい湿気を含んだ風を自由に受け入れることは、すなわちその室を住み難きものとするにほかならぬ。「暑さ」よりは「湿気」の方が耐え難いのである。」

インドではないが、実に今ソウルは、この耐え難い湿気(?)で、連日じめじめ、じとじととして仕事も手に付かない。韓国は日本に比べてからっとしているという旅行案内を信じて今の季節に韓国に来た人は、この湿気にうんざりするかもしれない。もっとも、東京ほどは暑くないのだけが幸いだ。

この湿度と暑さの中、私の家のようにクーラーをかけないでいる人たちは、どうやって勉強や仕事をしているのだろうか。日本の大学での話だが、ある大学生が教授の研究室に行ったら、その先生、タンクトップ1枚になっていたという。体温に限りなく接近した気温の中で体温の上昇を防ぐには、体表のなるべく多くを外気に触れさせることしか方法がないのだろうか。

それにしても、このモンスーンさながらの湿気の中で、よくコンピュータは錆びずにちゃんと動くと感心する。頑張れ、コンピュータ!

7月25日(水)「海外日本語教育実習」

at 2001 07/26 03:22

日本のある大手出版社が主催する海外日本語教育実習でソウルに来ている人たちと、交流会があった。

私みたいに何年やっても右も左も分からないのが、専門の教育を受けたことのある人たちの前で、好き勝手なことを話してしまった。

私は日本的感覚がだいぶ鈍っていて、日本から来たばかりの人を当惑させるような発言を散々しているのではないかと心配だが、幸い、みんな外国人との交流の中から寛大さを身につけておられるので、理解はしてくださったようだ。

現在の日本語教育は、日本文化を伝えるのだというよりは、外国人学習者の立場を理解し、その学習者のニーズに合った指導をする方向に向かっている。それがとりもなおさず異文化と日本文化との接点を作り出してくれていると私は思う。そういう意味で、現在の日本に、日本語教師は非常に重要な人材だ。

ところで、一行の中に、クリスチャンの男性がいた。日本人の中でクリスチャンに偶然会える可能性は、500人に1人の確率で、さらに互いにクリスチャンであることを知る確率となると、もっと低くなるので、この奇跡的(?)な出会いに私は感動した。

その人はとても熱心で、将来牧師になりたいと言っていた。私はこの人の志が成就できることを心から祈る。

7月27日(金)「日本語教育巡回セミナー」

at 2001 07/27 23:52

日本文化院の新居で、国際交流基金の主催する日本語教育巡回セミナーが行われた。

ここ数年日本語教育についてろくな勉強をしていない私は、こういう素晴らしい行事に出なければ、日本語教育の流れに触れる機会もない。

私は2人の先生のセミナーと授業のシミュレーションを見ながら、今の日本語教育の根底には、言語とは何かを追求する哲学が敷かれているのを感じた。それは、単に言葉を教えて言葉を観察しているだけでは決して得ることのできないものだ。というより、日本語教育は、技術であると同時に、完全に科学として独立しているのだという思いを新たにした。

セミナーのあとの懇談会が終ったとき、今日私たちに教えてしてくださった先生と、少しの間お話をする機会があったが、私の無知に当惑しておられる様子だった。ありがたいことに、もう一人の先生が、脇からフォローしてくださった。まぁ、足りないからこそセミナーに来るのだということで、大目に見ていただければ幸いだ。

そして、帰りの車の中で、私もいつかその先生と対等に談笑できるように、一生懸命勉強したいという決心を新たにしたのだった。(勉強できればいいのだが・・・。)

7月28日(土)「誕生日」

at 2001 07/29 00:25

今日は私の誕生日だった。日本語教育巡回セミナーが終ってから家に帰り、しばらく休んで一日の疲れを癒したあと、家族で家を出た。

シンチョンにある、ペイジン・カオヤー(=北京ダック)という店に行った。食べたのは北京ダックではなくて、ヤンジャンピーやナンスーワンジャ、それに、中国冷麺などだが、この店はとてもおいしい。お勧めの店だ。で、妻の友人と私の友人が1人ずつ祝いに来てくれた。他の2人の知り合いからも、おめでとうという電話が来た。

食事が終ったあと、延世語学堂近くのラ・リという喫茶店へ行き、ケーキでコーヒーを飲みながらおしゃべりをした。

よる11時ごろ、家に戻った。