ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

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3月1日(木)「インチョン空港」

at 2001 03/02 01:15

昼頃家族と一緒に家を出て、ヨンジョン島に今度オープンするインチョン空港へ行ってきた。

カンビョン北路を通って、ヘンジュサンソンのところから、空港へ直行する高速道路に乗って行った。

まだ開港前だからか、空港の手前で関係者以外立ち入り禁止になっていたのは残念だった。しかし、そこまで1時間ほどで行けるということが分かったのは、大きな収入だった。

家に帰ってから、その内容を私のHPの「ソウルの写真集」にアップロードした。

3月2日(金)「ソウルの食べ物」

at 2001 03/02 02:31

ライコスで「ソウルの写真集」と入力し、それに関係するページを見て歩いた。

あるページは、グルメ写真集とか出ていたが、いや、ひどいものばかり選んで食べたようだ。肉がまずいと書いてあったが、本当に、色が黒ずんでまずそうな肉ばかり選んで食べている。昔延世大学の学食で食べた物凄くまずい肉を思い出した。そのあと、その学食が病死した牛の肉を使っていることがテレビで大々的に報道され、大学から追い出された。私はそれで問題が解決したとは思わないが、肉の味が変だと思ったら、すぐに箸を置いてその店を出ることだ。

「マックを食った。不味かった」と書いてあった。マクドナルドも、場所によって味にむらがある。チョンノ1街のはおいしかったが、カヤンドンのはまずくて残した。この人の食べたマックはどこのものか。

某旅行会社の企画によるツアーだったそうで、この人は、それに乗せられたようだ。そのことに対し、かなり腹を立てている。しかし、それにめげずに「美味しい店を探して、再度韓国へ行くのであった!!」という言葉で締めくくっている。

韓国は、味にむらがあると思う。美味しいものに当たればラッキーだが、その同じ店が、いつも美味しいとは限らない。たとえば、スープものは、食事時を外していくと、これが同じ店かと驚くくらいまずいときがある。スープものは食事時に限る。

しかし、味というのは、そういうものだけではない。味は文化の体系の中にある。その味をどう理解し味わえるかも問題になる。日本人の舌は新しい味を受け入れやすくなってはいるというものの、それでも、日本文化の中でその味を解釈している。

私も、今はおいしく食べているものでも、韓国に来たばかりのときは、食べられなかったり、全然おいしく感じられないものもあった。テンジャンククは、その一つだ。

それに、韓国文化の中での味の位相というものもある。その味がどう解釈されているのかということも、考える必要がある。

しかし、ただ自分の舌に合ったものを食べたいなら、事前に情報を集め(韓国の飲食店の情報は、韓国よりも日本の方が豊かに手に入る)、十分検討し、当てが外れる可能性を恐れないで、どんどん行って食べてみるべきだ。

それから、できれば、食事時に食堂街に出て、客がたくさん入っている店を探すのも手だ。そして、多くの人が注文しているものを自分も注文する。自分の口に合うか合わないかは別として、韓国の人たちの好みを知ることにはなるだろう。しかし、多くの大人たちがおいしいと思うものは、他の国の人の口にも合う可能性は高い。

今度この人が韓国に来る時には、ぜひ一人で来て、自分の足でソウルの味を発見してもらいたいものだ。

3月4日(日)「北風」

at 2001 03/04 19:24

今週も午後4時からの礼拝に出た。ところで、今日は、教会まで2キロの道を、歩いて行ってみた。

運動不足の解消に歩くことは有益だし、もう3月にもなったのだから、いくら寒いといっても、たかが知れているだろうと思ったのだ。

少し寒そうだから厚着して家を出たが、いや、すごく寒い。北風がピューピューと吹き付けていた。耳と頬が痛くなった。おととい髪を切ったばかりなので、首から寒さが遠慮なく入り込んでくる。

他の人たちは大丈夫なのかと思って見ると、北極を行くような防寒具を着た人から、かなり薄着の人まで、いろいろいる。

礼拝が終って教会の玄関を出ると、雪が降っていた。バスで帰ろうかとも思ったが、東の方の空が黄色く光っていたので、これ以上降るまいと思い、歩いて帰った。

雪は間もなく止んだが、北風は止まなかった。家に帰ってから、ラーメンを作って食べた。

3月7日(水)「送別会」

at 2001 03/07 22:02

同僚の先生が日本に帰るので、同じ講師室を使っている韓国語の先生たちと一緒にその先生のために送別会を開いた。延世大学校同門会館の右側にあるソクラン(石蘭)という韓国料理の店で、一緒に食事をした。

この先生は、日本語課程のカリキュラムを作り上げただけでなく、学生たちや同僚の先生たちからも人気のある先生だった。韓国語の先生たちは、みんな、この先生との別れを惜しんでいた。

ある先生は、ハンカチを鼻に当てていた。泣いているのかと思ったら、風邪を引いて苦労しているのだった。声が全然出ないかすれた息で、私に風邪にはくれぐれも気を付けた方がいいと言っていた。

昼に集まってから、午後5時ごろまで一緒にみんなで話をした。会話もとても楽しかった。

ところで、来学期から、日本語の講師室が韓国語の先生たちと別々になるという。残念なことだ。

3月10日(土)「クラス分けテスト」

at 2001 03/10 23:08

今日は言語教育院のクラス分けテストで、インタビューのため朝から午後までずっと教室にいた。

学生たちをインタビューしながら、この人たちは、どのくらい上手になっていくのだろうかと考えた。最終的には全員が登録するわけではないのだが、しかし、インタビューのときから日本語を教える仕事は始まっているのだなあと思った。

恥ずかしいことに、これまで私はそんなこと考えても見なかった。学期の最初の日に教室に入ってから日本語を教える仕事が始まると思っていた。

我ながら、どうした心境の変化だろうか。

3月12日(月)「自動車運転免許」

at 2001 03/12 20:43

韓国の免許証を再発行してもらいに行った。5年前に日本の免許から韓国の免許を作ったのだが、その後国際免許を使っていて、韓国の免許証は使っていなかったのだ。

国際免許を毎年春に日本へ行って更新していたのが、今春は日本に行かないため国際免許が切れてしまうので、必要になったのだ。しかし、韓国の免許証を粗忽に扱っていたせいで、家中探し回ったけれども見つからなかった。

自動車運転免許センターで免許証を再発行する際、住所変更も一緒に申請した。その間何度も引っ越していたが、ある時から住所変更をしていなかった。以前は「過怠料」という一種の罰金のようなものを払わされたのだが、最近は、払わなくてもよくなった。

免許の番号を書く覧があったが、覚えていないというと、構わないという。

収入印紙代が3千5百ウォン。外国人登録証とパスポートをコピーして、証明写真を1枚渡した。日本の免許証は必要なかった。

免許証が再発行されるまで20分かかるというので、地下の食堂でユッケジャンを食べた。まずくはないが、この間葬儀場で食べたユッケジャンの方がおいしかった。

再発行された免許証を見ると、更新期間が私の誕生日から3ヶ月間もある。あと半年以上は有効だ。