ソウル生活日記


私の韓国生活日記です。時々書きます。

新規投稿
先月<<過去記事 >>次月

2月3日(土)「葬式」

at 2001 02/06 00:15

妻の親戚の方が亡くなったので、クァンミョン市のチョルサンドンにある聖愛病院の葬礼式場へ行ってきた。

葬礼式場の中は、たばこの煙が充満していて、壁もガラス窓も黄ばんでいた。会議室ほどの部屋がいくつもあり、ある部屋からは女の人のむせび泣く声が聞こえる。

親戚のいる部屋に着いて、入り口で挨拶して香典を渡したあと、棺の安置されている場所へ行った。私の前に挨拶をした人は、棺に向かって平伏したり体を起こしたりして、故人の霊に礼拝していた。私が困った顔をしていたのか、横から親戚の一人が「花を供えて祈ってくれればいい」と言ってくれた。

棺の上に白い菊の花を置き、しばらく祈ったあと、故人の長男の人と、互いに両手をついてお辞儀を交わした。

挨拶のあと、出された食事を取りながら、隣のお善で食事を取っていた初老の紳士と談笑した。韓国では、葬儀上でのにこやかな微笑みは、タブーではないらしい。お酒に酔って、仕事の話に熱弁を振るっている人もいた。

ところで、この食事。出された器は安っぽいスチロール製だが、味はなまじの食堂よりずっとよかった。ユッケジャンとモリコギが、特に美味しかった。

この葬儀は、今朝4時から始まって、月曜日の朝に埋葬するまで続く。それまで、故人と親しかった人や遺族の友人たちは、そこで夜通し飲み明かしたり花札をしたりしながら、遺族の人と一緒にいてあげる。


2月10日(土)「在韓日本語教師会」

at 2001 02/16 11:46

日本語を母語とする日本語教師の集まりが、時事日本語学院の鐘路校を借りて行われた。

とても充実したいい集まりだった。関陽子先生の発表は、とても勉強になった。ホームページだけで知り合っていたfumi先生から、声をかけられたりもした。

会が終ったあと、近くのハニャン・プルコギという食堂で食事をした。私のとなりに吉本先生が座り、私の前に、岡元先生という人が座って、いろいろな話に花が咲いた。

ホンイク大学の太田先生と、チョナン大学の吉井先生が、この春に日本へ戻るという。2人とも、ずいぶん長い間韓国で交流があったので、少し残念な気もするが、新たな発展の時だ。祝福を祈りたい。

他の人たちは、3次会に行ったが、私は家で待っている人がいるので、先に帰った。


2月15日(木)「大雪」

at 2001 02/16 11:40

朝から雪が盛んに降りしきり、溶ける間もなくどんどん降り積もった。

午後から授業なので、早く家を出たが、道路に積もった雪がタイヤに踏み固められて、滑りやすくなっているため、大変な渋滞になっていた。

傾斜のわずかな上り坂でも、スリップして進めない車が至る所で道を塞いでいた。なぜかワゴン車が多かった。

授業が終るまでにも間に合いそうになかったので、授業が始まる前に学生に電話をし、今日は休講ということにした。

家に戻ろうと思ったが、家の方へ向かう路は、どこも渋滞して車が動かなかったので、いちばん込みかたが少なかった言語教育院へ行き、雪が止むまで講師室にいた。最高15分で行ける道を、2時間かかった。

午後5時過ぎに、やっと雪が止んだが、帰り道も、大通りで、坂道とは言えないほどのわずかな傾斜を進めない車に道を塞がれて(私の直前で)、家に帰るのに1時間以上もかかってしまった。

待っている間、エンジンを止めて、辞書を引き引き聖書を読んでいた。路のど真ん中で車のエンジンを止めて読書をしたのは、97年に延世大学で学生たちが大規模なデモをして交通を麻痺させたとき以来だ。