先人たちの勉強法


以下の内容は、ライコスクラブに書き込んだものです。

76   「先人たちの勉強法」
2001/05/10 23:16:12  ijustat   (参照数 0)
キョボ文庫(韓国最大の大型書店)で、タイトルの名前の本を見つけました。出版社は、ソウルにある、訳して“創作と批評社”。漢籍と韓国の漢学者たちの書物から、勉強に関することばを抜書きした本で、韓国儒学の深さを感じさせてくれます。

この本には、孔子、大学、中庸、程子などの中国の学者たちと、イ・イ、パク・チウォン、チョン・ヤギョンなどの韓国の学者たちの、“知”に関する珠玉の断片が収録されています。

本文は、非常に明晰な韓国語訳がまずあって、その下に漢文の原文があるという単純な形式で、語句の解説もそれぞれの文章に関する説明も載っていません。その単純さが、むしろ読みやすさになっています。

これから時々、勉強家名言集のページに韓国語から日本語に重訳して載せていきたいと思います。


6   程子
2001/05/10 23:32:31  ijustat   (参照数 0)
学問は博識が重要なのでなく、正しいことが重要だ。正しければ博識になりうる。
(学不貴博、貴於正而已、正則博。)

※「正」とは何かを黙想することは有益だと思います。何が「正」であり、何が「正」でないのか。これは、一生の問題になるかもしれません。

暗記中心の勉強と、博識を求める勉強は、モノを玩んでいるようなもので、何が大事なのかを忘れさせてしまう。
(記誦博識、為玩物喪志。)

※知ることはとても大事なことなのですが、それも目的があってのこと。その目的(志)とは何を指すのか。何が目的になりうるのか。これも、分かっているようで、実はよく分かっていない問題だと思います。

「記誦博識」という言葉は、私は見ただけでウットリしてしまうのですが、程子先生は、それだけじゃなんにも分かってないのと一緒だよと言っておられるわけです。

8   張子
2001/05/25 23:57:42  ijustat   (参照数 0)
これは 6 [程子 ] への返信です

勉強する人は、志が小さかったり、心持ちが軽かったりしてはならない。志が小さいと、すぐに満足してしまい、そうなると、発展がない。また、心持ちが軽いと、知らないことを知っているように見せかけたり、学んでいないことを学んでいるように見せかけたりする。
(学者大不宜志小気軽。志小則易足、易足則無由進。気軽則以未知為已。)

※張子(「はりこ」ではありません。「ちょうし」です)先生は、少年よ大志を抱けと教えておられるようです。大志を抱くことの重要さは、古来から多くの勉強の先輩たちが指摘しているところです。私たちも、大志を抱きましょう。たとえ、30歳、40歳、50歳、60歳になってしまっても、大志を抱き続けましょう。

ところで、「気軽」を韓国語訳では「“気”が軽い」と言っていて、意味が判然としないので、『新字源』で調べて「気」を「心持ち」と訳したんですけど、「心持ちが軽い」というのも、何だか変な日本語ですね。多分私のこの訳は、間違っていると思います。

学ぶことが大いに有益だというのは、それによって自分の気質を変えられるからである。
(為学大益、在自求変化気質。)

※もともと学ぶことは、どこの文明でも、人間性の向上を目指すか、神とより深く交わる人格を得るためでした。つまり、学ぶことは生きることに従属していたわけです。それが現在は、学ぶことと生きることが分離してしまいました。学ぶことを生きることにつなげる技術(?)は、学校でも教えてくれないし、大学でも教えてくれません。自分でそういう知識の体系を発見していくしかありません。

そこで、この言葉について質問したいのは、「何をどう学べば、自分の気質を変えられるか」ということです。張子先生はこの世におられないので、私たちは、それを自問し、追求していくしかありません。

そして、それが自分なりに分かったなら、自分の専門を、その中でどのように位置づけられるか、考える必要があると思います。それができてこそ、自分の専門も光るのではないでしょうか(なんて、偉そうなことを吹いてしまいました)。

そうそう、質問といえば、張子先生は疑問がなければ充実した勉強とはいえない。充実した勉強をすれば、必ず疑問が生じるものだ。納得できない点というのが、すなわち疑問である(不知疑者只是不便実作、既実作則須有疑、有不行処是疑也)とも言っておられます。

全然理解できなければ、疑問も何もあったものではありませんが、疑問が湧くということは、それだけ理解できたということになるわけです。“そんなもんか”という気分で勉強しているうちは、充実した勉強とはいえないわけです。