ダイジェスト版の魅力


作品のあらすじをダイジェスト版などで読むというと、何か間に合わせの読書のように感じられるかも知れない。特に文学作品ではそうだろう。原書で、あるいは、全訳で読んでこそ、その真の味わいがある、そう思っている人は多い。いや、それは真実だ。名作の深い味わいに触れたければ、原書で、あるいは全訳で読むべきだ。

しかし、私たちは忙しく、また、自分の専門でない分野について、専門家並みの努力を傾けることはできない。しかし、自分の知識は拡げる必要がある。全編を読むには時間があまりにもたりないが、いろいろな文学作品にどんなことが書かれているのか知りたい。そういう人は、多いこととおもう。そんなとき、ダイジェスト版などは役に立つ。

つい最近、『古典ギリシア語事始』「忙しい人のための『オデュッセイア』」というページを読んだとき、それを感じた。オデュッセイアという名前は有名だ。あちらこちらで引用されている。しかし、それがどんな話なのかはまったく知らなかった。しかし、このページに非常に手短に要約されたオデュッセイアを読めば、それがどんな話なのか、おおまかなあらすじを知ることができる。あらすじだけでも、その叙事詩の鳥瞰をつかみ、魅力の一端に触れることができる。近藤司朗先生に感謝。

そこで思った。以前『ギルガメシュ叙事詩』を読んだとき、本文に入る前に、解説の部分にギルガメシュ叙事詩のあらすじが3ページほどで紹介されていたが、そのあらすじは、それだけで美しい物語だった。もちろん、本文を読むと、さらに生き生きした世界が繰り広げられるのだが、私はそのあらすじを読んだだけでも、この世界最古の物語を十分に楽しめると思った。

数々の英語の副教材の中に、有名な文学作品のダイジェスト版がある。これは、語彙まで抑えてあるから読みやすい。日本語訳の全訳を読むよりも早く読み読み終われるのではないかと思う。優れた作品は、その細部もさることながら、ストーリーも優れている。要約版は、そのストーリーを際立たせてくれるのだ。

また、ソウルの古本屋で見つけたのだが、『一冊で日本の古典100冊を読む』(小林保治編著、友人社刊、1989)という本がある。これは、日本の古典作品を、ほとんどは見開き1ページに全部収めてある本で、古典作品のあらすじを1〜2分で読み切ることができる。源氏物語はさすがに要約でも見開き2ページになっているが、これとてあっという間に読めてしまう。これも、源氏物語がどれだけ魅力的かを解説した本よりも、源氏物語について多くを語っていると思う。全体が見渡せるからだ。部分部分を取りあげて解説したものでは得られない鳥瞰を得ることができる。これは、のちに原文であれ訳本であれ、源氏物語の本文に当たったときも、内容の理解をかなり助けてくれるはずだ。

なぜあらすじの要約やダイジェスト版が優れているかというと、それはその物語の全体像を捉え、おおまかな背景が記憶の中に形成されるからだ。これをスクリプトと呼ぶ(「スキーマ」ともいうが、スクリプトと同じ概念かどうか分らない)が、人が言葉を聞いたり読んだりする時に、話されている内容に関するスクリプトが、その理解に大きな役割を果たしている。あらすじの要約は、スクリプトを提供してくれるわけだ。これは、作品の紹介などでは得られないものだ。だから、あらすじの要約が有用なのだ。

もっとも、作品の紹介を読んで満足されては困るだろう。紹介で満足したら、その作品を読まないだろうから。作品の紹介は、決してその作品の全体像を明かすことがない。だから、読めば読むほど欲求不満が募る。私はキョボ文庫やチョンノ書籍などの大型書店で配付している図書案内を読むのが好きだ。それは、読書への渇望を高め、読書を続ける動機を保たせてくれる。まァ、実際にはお金がないので、紹介された本はほとんど買うことがないのだけれども。

しかし、ダイジェスト版は違う。もともとそれだけで満足できなかったら目的を果たしたことにならないからだ。ここに要約のよさがある。要約なら、本文を読まなくてもその作品に対する渇きをうるおしてくれる。それは、その本の全体像を、要約して提供してくれるのだ。

私たちは人に何かを伝えるとき、自分の見聞きした内容を要約して伝えている。すべてを語るわけではない。しかし、それで大方のことは解決している。しかもそれは、物事を決断するような重要な時にも有用だ。内容は、要約して伝えれば、相手はその全体像を把握できる。細かい内容が必要かどうかは、そのあとで決めることができる。この要約された内容の報告が、ダイジェスト版の果たしている機能だ。

物事を決断するのに必要な見識は、たしかにその人が深く学んできた知識や教養から得られる。それは、要約された知識ではなく、細部にわたる正確な知識が必要だろう。しかし、決断の直接の根拠には、たいていは、要約された内容だけでも十分なのだ。最小限の言葉で必要な情報が満たされれば、それで事足りる。

ダイジェスト版などによって、あらすじだけを読むのは、本格的な読書とは言えないかも知れない。しかし、そういう読書を軽く見るわけにはいかない。特に、読みにくい本のダイジェスト版は、大いに読みあさるべきだ。読んで得た知識は、本文に当たる時に助けになるばかりでなく、考え事をする上でも十分に活用できるからだ。