「〜かもしれない」の用例

〜かもしれない、 〜のかもしれない


しかし、短いシナリオというのはとても難しいですね。規定枚数をオーバーしそうで 困りました。とにかく、見る人が単純に想像できそうなシーンは、その手助けだけを して、出来るだけ省略したつもりなのですが・・。 着メロに使った「結婚行進曲」(メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より)は慎一 が紀子と共に聞きたかった「夢」の曲だった・・・かもしれません。 (真夏の夜の夢)

UFOも心霊現象も、それを信じ、見たいと思っている人は、そうでない人よりも、実際に「見る」そうです。本物を見たのかもしれません。「何か」を見たときに、そう「思った」かもしれません。 (神秘現象と心理学)

もしかしたら、全般的能力は平均的でも、その職業や作業に関する知能がとても高いかもしれません。もしかしたら、「その職業に何する知能」などは存在していなくても、その仕事や趣味が大好きで、熱心にやっていくなかで、能力が十分に発揮されているのかもしれません。 (知能の心理学)

遅れ馳せながら、ブリリアントグリーンを聴いてます(笑)なんか好きなのよ、なんかわかんないんだけど。 英語だというのも、ながら聴きには、いいかもしれない(笑)別に真剣に聴きこみしてるわけでは ないんだけど、考え事をしながら、本を読みながら、なんとはなしに聴いてしまう一枚であるわけで。 すっかり苺のお風呂での鼻歌定番になってます……(笑) (いちごのつぶやき)

「もぐらの思考が分かる才能」、「あ、うふふ、今、もぐら、ミミズを捕まえたよ、あ、すごく喜んでる、 あ、食べた、あ、おいしいんだって」、「嘘つけ」、「えぇ〜、ほんとだよぉ〜」、確かにすごい、うらやましい才能ですが、 誰にも信じてもらえないのは明白、そんな孤独な才能なら、ないほうがいいかもしれません。 ( ムニュっち日記 全)

「僕ははじめこのことをあなただけの所で申しあげようか、おぬいさんだけに聞いていただこうかと迷いました……しかし結局お二人の前で申しあげるのが一番いいとおもいました。……本当は槍田さんにでもお願いするのがいいかもしれません……けれども、そうお願いして万一僕の気持がそのまま現われないようなことがあると……苦しいことだと思ったものですから……どうか僕を信じてくださいまし。僕はどんな御返事をいただいても……それは十分に覚悟しています……」 (有島武郎/星座.txt)

それを目覚めさせるといった方がいいかもしれません。とにかく、あな (教祖さま)

今まで使ってたAL-MAILは、さすが定評があるだけあって非常に機能的に優れているのですが。しかもこれは個人が作っているソフトで、侍ウインドウズとしてはこっちを応援するべきなのかもしれません。今のところ、AL-MAILとポストペットを同時に使えないかどうかいろいろ試しているところです。ただ、いろいろ問題があるみたいで、ほんとはどちらか単独使用の方がいいかもしれません。 ( 7 ESSAY)

阿刀田 長篇を書きはじめてから、取材の機会は増えましたが、メモはあまり取りませんね。テープレコーダーに向かって、とろとろと印象をしゃべっている。写真もほとんど撮らないんですよ。これは意図的でしてね。写真が上手だったらそれはいいかもしれませんけど、やはり私は小説家ですから、必要なのは言葉なんですね。エーゲ海の青さを見たときに、見たものを言葉にすることができればいいわけです。 (阿刀田高(全))

西尾愛「面倒くさがらないでよ。パパは休みの日はお酒飲んでずっと寝るとか、ビデオ見て過ごすのが楽しいかもしれないけど、あたしたち、パパと一緒に旅行とか色々したいの」 ( 9 パパはニュースキャスター第9回)

そこで、これは脳病みたいなものだけれども、しかし無視できない、とはいえ無視できないと思っている私もおかしいかもしれない、という複雑な態度が出てくる。しかも、同じことは「視霊者の夢」について言えると同時に「形而上学の夢」についても言えるはずなんですね。 (柄谷行人特別講義(全))

大塚愛「そりゃ、母親がひどいかもしれないけど。生まれるかしらねえ、二枚目のパパから、西尾さんみたいなブスが」 ( 2 パパはニュースキャスター第2回)

男1 そうだよ。君はイヤイヤだったから覚えていないかもしれ (真夏の夜の夢)

ご両親の心の傷も、今もいやされていないかもしれません。 (返信:いやしのために1)

ぼくの描く夢は、ぼくらが何か新しいものを個々のパッケージにつけ加えていくこと、あるいはまたGlobal Nomadsという一つのパッケージをまるごと作り出すことです。その意味で、ぼくらの「ふるさと」は、未来にしかないかもしれないと思います。 (Shijo-Tsushin/#9/SHOKAN)

いまどきの人はタレントに会ったからといって大して驚かないかもしれませんが、私にとっては、テレビの中でしか見たことのないあの渡辺満里奈と同じホームの上で同じ空気を吸い、網膜には「ほんものの」渡辺満里奈に反射した光が直接入って像を結んでいる、ということは(大げさですが)結構素朴に感動的体験でした。 ( 7 ESSAY)

私は、犯罪学の専門家でもなく、六法全書の使い方もわからない者です。それなのに、昨日読んだようなことを偉そうに書いてどんな意味があるのだろう、そんなことも考えました。しかし、この掲示板は学校の教室ではないのですから、専門家の先生による授業が行われてもあまり意味がないかもしれません。 (toukou3.28.1.html)

日本人としての常識からちょっと異なる常識や価値観を持っている「変わった」日本人(「変ジャパ」とはよく言ったもんだ)を何らかの呼称で呼びたかったのだ。Category に押し込めることによって、彼らは安心を得、やっと納得できたのだ。つまり人間はわからないものに対して名称を付け、名称で呼ぶことによって初めて定義付けがされ、不安から開放されるのである。つまり私たちは単に彼らに安心を提供するために「帰国子女」という呼称を付けられたにすぎないかもしれない。(何を考えているかわからない最近の若者を「新人類」と一時言っていたように。) (Shijo-Tsushin/#4/NORA)

今は少し、具合が良くないかもしれませんが、具合が良くなれば、もともとのあなたのすばらしさが、きっとまた花開くのでしょうね。 (返信:いやしのために2)

ところで、困惑というのは、どうも矢野さん、巨人ファンなんですね。そういえば糸井重里とも巨人ファンつながりですね。「行け柳田」(『いろはにこんぺいとう』)とか、「ジャイアンツを恋うる歌」(『長月神無月』)とか作ってます。また、「行け柳田」とか、曲としてはかっこいいんですよね。もちろん!洗脳されたりはしませんが、複雑な心境です。音楽的に尊敬している人が、宗教も含めて、音楽とは関係ない思想信条の部分で相容れない場合ちょっと困ってしまいます。「君が代」を「日本国国歌」とか言っちゃってるしなあ(『長月神無月』)……これまたアレンジはかっこいいんですが。まあ音楽は思想の解説じゃないわけで、むしろ表層に注目しなくてはいけないかもしれません。が、そう単純に割り切れるわけでもないと思います。難しいところです。 ( 7 ESSAY)

この原因は、震度法という設計法にあるのではないか。震度法の設計では、地震の外力を静的に加えて検討しているが、構造物の共振といったような要因も考えなければいけないかもしれない。 (建設講演集.txt)

今はないかもしれません。 (返信:いやしのために2)

しかし、教育者というのはいつの世にもいるもので、中には自分の受け持った子どもに一人一人細心の注意を払い、それぞれの子どもの幸せを第一に考える人格者も数えるほどの少数とはいえいなくはなかった。彼らは、やがて気がつく。ノーミンの子どもも、言われるほどまったく無能ではないかもしれない、と。 (Shijo-Tsushin/#9/NAIKOKU)

そもそもわたしの場合は親の付属物として日本に18才で帰国してからもう18年もたっているわけで、いい歳した大人が「帰国子女」にこだわっているのは単なるノスタルジアではないのかな。自分はパンピーとはお育ちが違うんだってこと見せたいだけの。もうみんな中年なのだから、単なる性格や個性であって、「帰国子女」っていう要素はもうあまり重要ではないかもしれませんよ。 (supporters2#10.html)

悪くない、いや、むしろいい。 そして、なにかとかさばる。うっとおしくてしょうがない、羽根の毛が散って、部屋も汚い。 風呂で洗うのが死ぬほどめんどくさい。そしてある朝起きると、腕にも羽根らしきものが。 僕はどうなってしまうんだろう、僕は人間じゃないかもしれない、そんな悩みを抱えつつ、10代を過ごす。 ( ムニュっち日記 全)

これはこれで、その通りかも知れない。しかし、案外ほめているともとれます。しかし、川勝も「『アナーキー』や『思想』といったフレーズを支えきれる歌手は戸川純以来では」と言っています。ということは、ちゃんと聴いたことはないのですが、戸川純をこそ聴かねばならないかもしれません。 ( 7 ESSAY)

毎日葬式や命日というような儀式は見慣れてきてはいたけれども、自分の家から死者の出たのは、園が生まれてから始めてのことなので、よけいそうした感じが起らないかもしれなかった。母の顔も平生のとおりの母の顔、兄の顔も今年の夏別れる時に見たままの兄の顔。玄関からなだら上りになった所に、重い瓦を乗せてゆがみかかった寺門がある。その寺門の左に、やや黄になった葉をつけたまま、高々とそそり立つ名物の「香い桜」。朝の光の中で園がそれを見返った時、荒くれて黝ずんだその幹に千社札が一枚斜に貼りつけられてあって、その上を一匹の毛虫が匐っていた。そんなことまでが、夏見たままの姿で園の眼の前に髣髴と現われでた。 (有島武郎/星座.txt)

今日、久しぶりに「笑っていいとも!」を見ましたが、なんかムックとガチャピンとミスターマッスルが共演(笑)、というすごいことに なっていました。ムック達は名札を付けていました。ひょっとしたら今の子供は知らないかもしれませんね。僕らの時代では、 あの2人(もっといっぱい入ってるらしいですが^^;)はヒーローでしたから。 ( ムニュっち日記 全)

葉子さんと木村さんと倉地さんとの関係はわたし少しは知ってるようにも思いますけれども、よく考えてみるとかえってちっとも知らないかもしれませんねえ。わたしは自分自身が少しもわからないんですからお三人の事なども、わからない自分の、わからない想像だけの事だと思いたいんです。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

「ああ、地球人というものは、こわさや痛さを知らないかもしれない。めったにない強敵だ。うすきみが悪くなってきたぞ」 (夜の事件.txt)

子供が遺書を残して自殺したりすると、大きく報道されますが、実は、中高年の自殺の方が、数はずっと多いのです。数が多すぎるし、中年サラリーマンの自殺ではニュースとして面白みがないので、あまり報道されないかもしれません。 (karoshi.html)

私はもし本を買うとしたら「主婦の見た××」とかいう駐在員日記だけじゃなくて(それもいいけどね)、もっと一般性をもった分析を見たいな。聾唖者や少数民族に比べれば、「海外子女なんて、それほど問題じゃない」という強い人は、別にそんなことを面白いと思わないかもしれませんが。 (Shijo-Tsushin/#5/SUPPORTERS)

彼女はなんとも答えなかった。いや、答えることが出来ないかもしれなかった。彼女は骨も肉も焼けただれていくかとばかりに、さも苦しげに身をもがいて、再び顔をもたげようともしなかった。 (岡本綺堂/玉藻の前.txt)

しかし、完璧なマイナーとなってしまうと、ちょっと感情移入しにくいのです。応援しがいがないというか。つまり、ナンバーワンは嫌いなんだけど、最下位はやっぱりイヤで、ナンバーツーぐらいがいいのです(そのへんが自分でも嫌な所なのですが)。関西は、東京に対するナンバーツー、というか東京と張り合っている「地方」の代表という感じがして、好きなのかもしれません。そういう意味では、昔からある判官贔屓というやつに近いかもしれません。もちろん、「何がナンバーツーだ、阪神は万年最下位じゃないか」と言われる方も多いと思いますが、えーと、その、ナンバーツーというのは実力のことではなくて、独特のカラーを持っていて非常に目立っているのだけれども、いまいちメジャーにはなれない、という意味です。 ( 7 ESSAY)

……なんか違うな、 例えるならば、そう、小学生の時、みんなの前で、自分の書いた作文を読み上げるような、そんな感覚です。 いまいち伝わらなかったかもしれませんが、伝わりすぎてもちょっと切ない感じがするので、 このくらいがちょうど良いかもしれません。 それもさておき、最近めっきり暑くなってきました。このまま行くと、おそらく6月20日辺りには、 とてつもない暑さになっていることでしょう。偶然その日は僕の誕生日です。 ( ムニュっち日記 全)

GIS至上主義では、何でもデータベースへ入れて、ディスプレイを介して見るという発想をしがちですが、今後GISというのは、定型化されたシステムでなければ使えないということだと、おそらく広がっていかないと思います。極端に言えば、高級な文房具としていろいろな目的・状況に応じて使えるということが求められるはずです。そうなると、ハイブリッド型というか、実世界の現実に合わせて使う様々なかたちのGISという観点もやはり必要だと思います。場合によってはこのような立体模型を見ることをサポートするGISがあっても良いかもしれません。 (建設講演集.txt)

しかし、同じく競争システムが存在するとしても、商業誌とインターネットには、違いがあります。それは、商業誌の場合、つまらない文章はいやおうなく消え去る運命にあるのですが、インターネットの場合は、自分で身を引かないかぎり、いつまでもつまらないものとして存在し続けることができる、ということです。そして私は、現に存在する、いや存在「してしまった」つまらないものは、どういう顔をして存在し続ければいいのか、ということが気になってしかたありません。神足氏であれば、「そっこく消えろ!」と言うかもしれませんが、まあまあ、そういわず……というわけで、私は、つまらない文章を面白くする方法を問題にはしません。それは、パソコン誌にまかせましょう。 ( 7 ESSAY)

日ごろから悲しみや怒りが心の底に溜まり、何とかしたいという強い動機がある。合法的で、健康的な解決方法は思いつかない。そんなときに、毒物事件のことを知り、問題解決方法として、毒を使うことを模倣してしまうかもしれません。 (模倣犯の防止.html)

その情報のシャワーの中で、犯罪は割に合わないという冷静な気持ちは薄れていき、「自分もやってやろう」「きっと成功するに違いない」と思ってしまうかもしれません。 (模倣犯.html)

ふいにギャアという声がした。おやと思うと案内者が「雷鳥です」と言った。形は見えない。ただやみの中から鋭い声をきいただけである。人をのろうかもしれない。静かな、恐れをはらんだ絶嶺の大気を貫いて思わずもきいた雷鳥の声は、なんとなくあるシンボルでもあるような気がした。 (槍が岳に登った記.txt)

そういう意味では、ほとんど関西弁フェチといってもいいです。最近は関西弁をある種の売りにした女性タレントも増えてきました。たとえば、パフィーの吉村由美、相川七瀬、リンドバーグの渡瀬マキ、等々。妙に関西を売りにする人は関西人からはかえって反感を買うかもしれませんが、私としては、関西出身の女性タレントは、もっとどんどん関西弁でしゃべって欲しいと思います。 ( 7 ESSAY)

それではどうしたらこの度重なる「帰国子女」定義から開放されるのであろうか。暇だから徹底的にこだわるのか、「私情つうしん」を続けるためにもこだわるのか、それとも徹底的にさじをなげるべきなのか。 いっそうのことみんなが使うのを拒めば時代の変化と共に「帰国子女」なんてことばも死んでいくかもしれない。(だれも今カメラのことを「写真機」と言わなくなったように。) (Shijo-Tsushin/#4/NORA)

夏はそれに虫がたくさん集まって来ていた。一匹の青蛙《あおがえる》がいつもそこにいた。電燈の真下の電柱にいつもぴったりと身をつけているのである。しばらく見ていると、その青蛙はきまったように後足を変なふうに曲げて、背中を掻《か》く模《ま》ねをした。電燈から落ちて来る小虫がひっつくかもしれない。いかにも五月蠅《うるさ》そうにそれをやるのである。私はよくそれを眺めて立ち留っていた。いつも夜|更《ふ》けでいかにも静かな眺めであった。 (闇の絵巻_ruby.txt)

「動機づけ(やる気)」をテーマに選んだかもしれません。 (返信:いやしのために2)

かもしれません。それに........首を絞めるために使ったヒモ状のも (スチュワーデス刑事・3)

UFOも心霊現象も、それを信じ、見たいと思っている人は、そうでない人よりも、実際に「見る」そうです。本物を見たかもしれません。「何か」を見たときに、そう「思った」のかもしれません。 (神秘現象と心理学)

私は、かなり広い建物の中にいるらしい。どうやら、博物館か美術館のようなところらしく、照明は薄暗い。部屋の中心部に、大きな四角いスペースがあり、スチール製の柵というか手すりで仕切られている。ところが、その中には、別に展示品があるわけではなく、なぜか、芝生のような、牧草のようなものが一面に生えているだけである。ひょっとすると動物がいたかもしれないが、よく覚えていない(だとすると屋内動物園のようなものだったのか?)私は、そこで、何かを待っているらしかった。 ( 7 ESSAY)

自分の家を出た、それに間違いはない。途中から取って返して風呂をつかった、……なんのために? そんなばかな事をするはずがない。でも妹たちの手ぬぐいが二筋ぬれて手ぬぐいかけの竹竿にかかっていた、(葉子はそう思いながら自分の顔をなでたり、手の甲を調べて見たりした。そして確かに湯にはいった事を知った。)それならそれでいい。それから双鶴館の女将のあとをつけたのだったが、……あのへんから夢になったのかしらん。あすこにいる蛾をもやもやした黒い影のように思ったりしていた事から考えてみると、いまいましさから自分は思わず背たけの低い女の幻影を見ていたかもしれない。それにしてもいるはずの倉地がいないという法はないが……葉子はどうしても自分のして来た事にはっきり[#「はっきり」に傍点]連絡をつけて考える事ができなかった。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

そうは言っても、ダイアナ関連の多くの本が出版され、フランスでも、ダイアナを表紙に使うと、よく売れるとか。ダイアナ熱が冷めたというよりも、一年前が、あまりにも加熱して、感傷的になりすぎていたかもしれません。 (ダイアナ、悲劇の死から1年)

一方、京都府警の第一線の刑事は、別の観点から「自殺についての危機意識が欠けていたかもしれない」と言う。 (200002101126)

「私のところにも真夜中に電話がかかって来たことがあってね。男の声で〃いい加減にやめろ〃って怒鳴って切るんだ。何度も何度もね。会社でその話をして〃あんまりうるさいからテープレコーダをつけたし、逆探知の装置もつけるかな〃って言ったんですよね。そうしたらパタリとかかって来なくなってしまって……。ということは、会社内の、私のすぐそばにいる人がかけて寄こしていたかもしれない。あの話をしたときだれがそばにいただろう? みんなニコニコ笑って聞いていたし、親しい仲間ばかりだと思っていたのに……。そのことのほうが薄気味わるくなってしまって」 (電話.txt)

111回目の誕生日も、もうすぐだ。「父は、いつも私たちのそばにいました。今日もこうしていてくれます。父がいなくなるなんて、想像もできません」と、レオナさんは語る。「父の人生に目的があるとしたら、父は私たちを通じてその目的を実現しようとしていたかもしれません。それくらい父は、私たちに尽くして、私たちの人生を豊かにしてくれましたから。私たちが生きていくことで、父の人生を完成させてあげたいと思います」 (こぼれ話)

直感的に、少女はもう母親とは二度と一緒に暮らせないだろうと悟った。今の生活は素晴らしすぎて絶対に長くは続かない、それは前からわかっていたような気がしていた。トランプで作った家のようにいつか崩れてしまうのが怖くて、本心から夢中にならないようにしていたかもしれない。少女は、終わりがこんなにすぐにやってきたことに感謝すらしていた。7歳の少女は歯を食いしばって悲しい気持ちを隠し、次にはどんな辛い目に遭うのだろうと身構えるのだった。 (マリリンモンロー.txt)

同一性拡散:自分は何者なのかという問いに肯定的に自分なりの回答を出せることを自我同一性(アイデンティティ)が確立していると言います。これがわからなくなっている状態を同一性拡散と呼びます。名前も国籍もはっきりしない透明な存在だと言う彼は、まさに自分自身を捜していたかもしれません。 (hannzai2.html)

容疑者の男性は、父親が高齢なのを嫌い、弱ってきた父親に暴力を振るいます。自分の親に対してひどい子どもだと思います。単純に、年をとり弱っていく父を嫌っていたかもしれません。 (父親の死 :嫌っていたが依存して)

監禁されていた少女も、似たような状態になっていたかもしれません。過酷な状況で生き抜くためには、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。だからこそ、逃げ出すことができなかったのかもしれませんし、だからこそ生き残ることができたのかもしれません。 (少女誘拐監禁、少女はなぜ逃げら4)

「インターネットには、誰でも参加できるのをいいことに、素人のつまらない文章が氾濫している!」というような意見は、しばしば耳にします。この「エッセー」の第一回で引用した神足裕司氏の文章も、おおむねそのような趣旨で書かれたものだったとおもいます。「ヒマ人の落書き帳を誰が読むか!」というわけです。ところが、去年、例の東芝の苦情係とのやりとりがホームページ上で公開された事件に関して、筑紫哲也氏が、NEWS23で「ホームページは便所の落書き」というようなことを言ったらしいですね(直接見ていたわけではないので、表現は多少違っていたかもしれません。また、どういう文脈で言われたのかもわかりませんが)。それにしても、「便所の落書き」とは……神足氏以上のカゲキな表現です。 ( 7 ESSAY)

主観的には悲しい、淋しい、弱い心で書いたかもしれませんが、その心のもっと奥底で、負けないぞ、がんばれ、がんばれと、自分に言い聞かせながら書いていたような気がします。 (ノートに書き続けた家族と自分の)

孤独におびえ、恐怖に震え、激しい不安の中で、涙ながらに書いたかもしれません。でも、これは、彼女の生き抜こうとする必死の努力だったと思うのです。 (ノートに書き続けた家族と自分の)

きたかもしれない」 (スチュワーデス刑事)

今週のキメのセリフ。いままで、ずっと「良い子」だったあなたへ。良くがんばってきましたね。あなたがあなたの家庭を支えてきたかもしれません。 (03bouryoku.html)

今回の事件は、警察が周りを取り囲む人質事件とは違いますから、厳密に言えば、ストックホルム症候群とは異なるかもしれませんが、被害者の女性は無意識のうちに自分の命を守るために必死になって犯人の攻撃心を和らげてきたかもしれません。 (少女誘拐監禁、少女はなぜ逃げら2)

阿刀田 おっしゃるとおり小説家というのは少し普通じゃない頭をしているんだなとは思いますね。小説家になるためにとくに何をしたという意識はありませんけれども、潜在的なものがないまま三年ただ頑張ればなれる職業だとも思わない。自分では気がついていないうちに、小説家になるように脳味噌を培ってきたかもしれません。 (阿刀田高(全))

しかし知らなかったからこそプレッシャーを感じることなく私は作品を書くことができた。いや、やはり和可菜にはライターに作品を書かせる何かがあって、そのおかげで完成させることができたかもしれない。 (福田卓郎/エッセイ)

監禁されていた少女も、似たような状態になっていたのかもしれません。過酷な状況で生き抜くためには、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。だからこそ、逃げ出すことができなかったのかもしれませんし、だからこそ生き残ることができたかもしれません。 (少女誘拐監禁、少女はなぜ逃げら4)

こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な変化――旺《さか》んになって来る血行や、それにしたがって鈍麻してゆく頭脳や――そう言ったもののなかに確かにその原因を持っている。鋭い悲哀を和《やわ》らげ、ほかほかと心を怡《たの》します快感は、同時に重っ苦しい不快感である。この不快感は日光浴の済んだあとなんとも言えない虚無的な疲れで病人を打ち敗かしてしまう。おそらくそれへの嫌悪から私のそうした憎悪も胚胎《はいたい》したかもしれないのである。 (冬の蠅_ruby.txt)

「ひょっとすると、お姉さんが溝口さんを殺したかもしれない」 (スチュワーデス刑事・3)

そうそう、ミキさんに聞いたのですが、麻子さんは具合悪くて、今回欠席しているそうです。残念ですね。帰ってきてから理香さんのHP見たら、なんか入院しているみたいです。多分、昨年の我々の忘年会の日に、仕事終った後、体調悪くて帰ったそうですが、そのまま入院したかもしれないですね。ちょっと心配です。ちなみに、ミキさんこの特集号載る予定ですので・・・。ここのブースにギャルパラのバックナンバーも売ってて、買い損ねたモーターショー特集号もありました。今買うと荷物になるので、後で買うことに・・・。 (000108.html)

だから、予約産業労働者たる者、体を大切にせざるをえない。指揮者が長生きするのと、同じ理由だ。体の丈夫な人が指揮者として大成したかもしれないが、「公演日にはどうしても健康でいなければならない」という緊張感が、彼らの寿命を長くしているのだろう。長生きには、連載か指揮者がよい。 (990501.連載「超」執筆法)

その担任は、いやがっていることに気づいていなかった。軽い気持ちで、引き合いに出したかもしれない。しかし、きょうだいと言えども、別人格であることを、きちんと認識してほしいと願っている。 (子どものことばにどう接するか)

この不祥事は、政治の根深い問題をあぶり出したかもしれない。 (新潟県警の交通違反もみ消し)

その夜はしかし思うようには寝つかれなかった。彼の疲労が恢復したかもしれなかった。あるいは神経がさらに鋭敏になり始めたのかもしれなかった。 (有島武郎/星座.txt)

この前(i−cfギャラリー)の個展の作品もちょっと違うイメージ受けたけど、あれに関して私は、彫刻の根本的なものみたいなのを感じたんですよ……、結局、彫刻って具象でも同じで、内なるエネルギーを見つけることみたいな感じでしょでも、自分がきっと彫刻やってるから「その作品が強い」とか感じたかもしれないけど、そういうことって一般の人にはわかりにくいかな?と思うんですけど? (アーティスト・インタビュー.txt)

「日本人と間違えられるほど発音をきれいにすることは外国人にとって絶対無理」と先生に言われたことが逆に、「オレなら絶対無理なことでもやれるぞ」と発奮させたかもしれない。しかし、あとになって振り返ってみると、この発音重視の訓練は他の能力(ヒアリング、会話等々)をも大きく伸ばしたとてもよい思いつきであった。 ( 5「発音」.txt)

最近、とても辛い出来事があったのかもしれません。昔、あったかもしれません。それほど劇的な出来事はなくても、とても傷ついているのかもしれません。 (返信:いやしのために2)

かあったかもしれません。探しに行きましょう。 (吸血鬼ラプソディ)

最近、とても辛い出来事があったかもしれません。昔、あったのかもしれません。それほど劇的な出来事はなくても、とても傷ついているのかもしれません。 (返信:いやしのために2)

社員が訪問した際に、言葉足らずの面があったかもしれない。誠意を持って対応 (Yahoo! - <特報・雪印乳業>食中)

それも、そのはずである。四五間先に、道とすすき原とを(これも、元はたれかの広庭であったかもしれない。)隔てる、くずれかかった築土があって、その中に、盛りをすぎた合歓の木が二三本、こけの色の日に焼けた瓦の上に、ほほけた、赤い花をたらしている。それを空に、枯れ竹の柱を四すみへ立てて、古むしろの壁を下げた、怪しげな小屋が一つ、しょんぼりとかけてある。――場所と言い、様子と言い、中には、こじきでも住んでいるらしい。 (偸盗.txt)

一家は家で学校を開いた。ホルコムさんも4歳からこの学校で学んだ。「長生きの秘密の1つは、その頃にあったかもしれません」と、レオナさんは言う。開拓時代にはよくあったことだが、ホルコムさんは5歳になるまで母乳を飲んでいたのだ。学校から帰ると、母親が小さなロッキングチェアに座って母乳をくれた。ホルコムさんは、母の隣に立ってそれを飲んだという。 (こぼれ話)

【記者】言葉そのものがですね、不適切だったという認識はお持ちですか。【内閣総理大臣】言葉そのものは、言葉はいろいろ言い方があるんでしょうけれども、先ほど申し上げたように、その意を尽くさない言葉、まあ、はっきり言えば、先ほどちょっとご指摘がございましたけど、それならば象徴とつければよかったじゃないかということになるわけですが、そういう面では、足りないところもあったかもしれません。だから、そこは大変誤解を生み、皆様にご迷惑かけたことについておわびを申し上げたいということを申し上げたのは、そういう点でございます。 (30 souri526.html)

その父親が死んだとき、嫌っていたけれども依存していた、父への願いを持っていたからこそ乱暴もしてしまった、そんな父が親が死んだとき、彼の心の闇はさらに深くなっていったかもしれません。 (父親の死 :嫌っていたが依存して)

中流以上の家庭の優等生の少女。でも、警察は学校生活でのストレスを指摘しています。校長も、以前いじめがあったことを認めています。「普通の子」以上の「優等生」だった少女。でも、心の中の傷は、少しずつ深くなっていったかもしれません。 (yuutousei.html)

しかし、オレは、不思議と女房に会いたいとは思わなかった。子どもの顔は少し思い出したが、女房の顔を思い出そうとすると、里奈の顔が浮かんできた。結局オレは女房を愛していなかったかもしれない。そう思うと、涙が出てきた。 (新世界交響曲.txt)

これらの演奏からほんの少しあとに彼は自らの手でこの世を去ってしまうのだが、ひょっとすると、そのとき、歌うべき歌はもう彼の内面には残っていなかったかもしれない。そして、今CDに聴く彼の音楽は、燃え尽きるまで燃焼し続ける六〇年代型の生き方の、荒々しい残響とも思える。 (秋野平/ロック、七〇年代.txt)

監禁されていた少女も、似たような状態になっていたのかもしれません。過酷な状況で生き抜くためには、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。だからこそ、逃げ出すことができなかったかもしれませんし、だからこそ生き残ることができたのかもしれません。 (少女誘拐監禁、少女はなぜ逃げら4)

適当にさぼれればよいのですが、それが許されない環境であったり、その人の有能さや、責任感が、休息を許さなかったかもしれません。 (karoshi.html)

結局、レオメル・ラモネスは犯人ではなかったかもしれない。 (06 - 『I LOVE YOU』犯人の捜)

マスター:量だけが問題ではなかったかもしれません。 (サンタクロース)

でも、もしかしたら知能テストを受けるときに、体調が悪かったのかもしれません。気分が乗らなかったかもしれません。そんなことはなくて、完全に理想的な状態で知能テストを受けたとしましょう。体調万全、やる気は満々、適度な緊張とリラックスで、100%力が出し切れたとしましょう。仮にそうだとしても誤差はあります。理想的状態でも、知能指数でプラスマイナス5ぐらいの誤差はあると言われています。知能テストは、身長計ほど正確な測定道具ではないのです。 (知能の心理学)

広夢「そうだよね。でも…結婚前にこの子出来てよかったかもしれない。でなかったら私、結婚しなかったかも」 (終(つい)の棲家)

「全くはおれが悪かったかもしれない。一時は全く金には弱り込んだ。しかしおれは早や世の中の底潮にもぐり込んだ人間だと思うと度胸がすわってしまいおった。毒も皿も食ってくれよう、そう思って(倉地はあたりをはばかるようにさらに声を落とした)やり出した仕事があの組合の事よ。水先案内のやつらはくわしい海図を自分で作って持っとる。要塞地の様子も玄人以上ださ。それを集めにかかってみた。思うようには行かんが、食うだけの金は余るほど出る」 (有島武郎/或る女(後編).txt)

でも、もしかしたら知能テストを受けるときに、体調が悪かったかもしれません。気分が乗らなかったのかもしれません。そんなことはなくて、完全に理想的な状態で知能テストを受けたとしましょう。体調万全、やる気は満々、適度な緊張とリラックスで、100%力が出し切れたとしましょう。仮にそうだとしても誤差はあります。理想的状態でも、知能指数でプラスマイナス5ぐらいの誤差はあると言われています。知能テストは、身長計ほど正確な測定道具ではないのです。 (知能の心理学)

ライブは、有名なところでは、ビレッジバンガードにウイントン・マルサリスを見に行きました。渋いところではジョー・チェンバースとか。でも一番よかったのは最終日にみたコーネル・デュプリーでした。間近でみたのですが 最高でした。あと、ジョーチェンバースのライブをバードランドでみているとき、前日のライブで出演者としてみたランディー・ブレッカーが、隣のテーブルに客としていたりして、おもしろかったです。娘連れでした(イリアーヌの娘だから、「分かれた娘と会う日」だったかもしれません)。 ( 8 日記のようなもの)

試験が終わった後、私に向かって「試験の問題、気に入ってくれたかしら?」とやさしそうに笑ったMrs. Donahueは世界一coolな先生だと今でも思う。「ビートルズの歌詞について自由に論ぜよ」というバンドをしている者なら誰もが書けそうな問題をつくってくれた先生に対して、義理と人情で生きる日本人の私は最後のライブで先生の大好きな曲、"Jonny B. Good"を弾いてあげたのだった。「自分」を持つことの大切さを教えてくれた先生は、授業の中でも私の個性を引き出そう引き出そうとしてくれた先生だった。今思うとアメリカン・スクール自体がMrs.Donahueのような学校だったかもしれない。 (Shijo-Tsushin/#10/TACHIBANA)

ですが結局の所、実状は、どうやら『EYE-COM』が『週間アスキー』の失敗の尻拭いをさせられて、誌名を押しつけられたということのようです。しかし、だとするとどうも釈然としませんねえ。『EYE-COM』はなかなかユニークな雑誌だったのに、この合併であの独特のカラーが失われてしまうのではないか、心配です。小さいがユニークなものが、でっかいやつに負けてしまうというのは、アップルとマイクロソフトの関係と似ていて、複雑な心境です。アップルはでっかくなりすぎてだめだったかもしれませんが。 ( 7 ESSAY)

折しも高度経済成長期。まだ強かったニッポンを体現したギャグだったかもしれない。合掌。 (Yahoo! - ドリフメンバー、荒井注)

亜衣のN「ひょっとすると噂には噂作戦、キャベツ大好き人間・夢水清志郎の陰謀だったかもしれない」 ( 3 双子探偵第3回)

自宅二階の女性の存在にうすうす、気づいていたとみられる母親は今年一月十二日、息子の暴力に困り果て再び柏崎保健所に相談した。母親が、「恐怖の家」から外部に発したか細い悲鳴だったかもしれない。 (27 なりふり構わぬ「暴君」)

話が違う、と気づいたときには番組が終わっていたような気がします。私は、番組の最後に「協力・読売巨人軍」というテロップが流れ、ジャイアンツの旗がはためいていたのを忘れていたのでした。今思えば、このアニメは、対立物をも巧妙に取り込んでしまう権力というものの恐ろしさを教えてくれる番組だったかもしれません。 ( 7 ESSAY)

少年達が変化した原因は、施設内の温かな人間関係や健全な環境と同時に、補導、逮捕、裁判と、少年達にとっては辛い経験を通ったこともあるでしょう。少年法が持っている制裁的な側面と教育的な側面の両方が、彼らには必要だったかもしれません。 (toukou4.29.html)

心の病を持つ人に対して、弱いとか、わがままだとか言う人がいます。でも、ずっと耐えて、耐えて、とうとう耐えきれなくなったかもしれません。 (03bouryoku.html)

「あら、そんなことうそよ。ペンだけがいやになったわけではなく、人間というものがすべていやになったかもしれないわ」 (十八時の音楽浴_ruby.txt)

今回の三重の大学や岡崎の研究所の事件も、犯人にとっては、アジ化ナトリウムが「凶器」としてキラリと光って見えてしまったかもしれません。 (tegakari.html)

あくる年の春が来て、殺生石は雪の底から再びその奇怪な形をだんだんに現わしたが、旅びとの姿はもう見えなかった。彼は融ける雪と共に消えてしまったかもしれない。 (岡本綺堂/玉藻の前.txt)

今回の事件でも、これに似たことが起きてしまったかもしれません。大きな不安や恐怖の中で、ほんの少しでも親切にされると、理屈には合わないのですが、犯人に感謝の気持ちのようなものを感じてしまうことがあります。 (少女誘拐監禁、少女はなぜ逃げら2)

表面的には、まじめな静かな人間だったからこそ、心の底の激しい感情が、どんどんたまっていってしまったかもしれません。 (ikebukuro.html)

初めての投稿で反応を待っていたところ、いきなり匿名の人から「相手にする必要もないほどバカな投稿だ。強制退会にすべき」などと罵倒されたのです。何か失礼なことをいってしまったかもしれませんが、どこが悪いのか何の説明もないまま、「バカ」「強制退会にしろ」などと言われてしまっては、ちょっとショックが大きいです。反論しようかとも思ったのですが、他の点でもどうもこのメーリングリストに不信感を持ったこともあり、結局何も言わずに退会してしまいました。 ( 7 ESSAY)

そんな下品なこと、私できません。そう言って、女は泣きながらオレを見た。オレは驚いた。オレは勃起したのだ。たぶん、目の前の女に勃起したわけじゃない。女の泣いている瞳を見て、里奈の瞳を思い出したのだ。オレは里奈に惚れてしまったかもしれない、そう思った。少なくとも里奈の瞳の虜になっていたのだと思う。他のスタッフにばれないようにオレは現場を抜け出した。 (新世界交響曲.txt)

(死んでしまったかもしれない。もしそうなら、なんという大きな損失だろう) (地球発狂事件_ruby.txt)

浩 介「........恐怖が、始まったかもしれない」 ( 5 双子探偵第5回)

いや、歴史はわかりますよ。だから、その言葉遣いに、もしご批判があれば、私は先ほど申し上げた、そういう面では、不本意、不本意といいましょうか、行き届かなかった面はあるけれども、しかし、今おっしゃったような歴代の総理っていうのは、ある意味じゃ戦前、戦中の体験をしていらっしゃる、そういう皆さんですから、意識的にやっぱり、象徴天皇ということをおっしゃったかもしれません。 (30 souri526.html)

これで話し出すと、周りが「えー、何が何がー?」って食いつく。主語を言わないのがコツ。何がすごいのかは後回し。すると、聞く側が話を期待する。道ばたでキムタクをみたかもしれないし、電車の中でチカンにあった話かもしれないし、何があったのか気になる。結果、もりあがる。 (若者言葉)

その夜はしかし思うようには寝つかれなかった。彼の疲労が恢復したのかもしれなかった。あるいは神経がさらに鋭敏になり始めたかもしれなかった。 (有島武郎/星座.txt)

細かい話になりますが、ここの「主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」というのは大変残念な翻訳だと思います。11節において彼女が自分自身の願いと誓いを語っているので、ここも「心からの願い」と訳されたかもしれませんが、これはもともと「命」とか「魂」と訳されるべき言葉なのです。 (大阪のぞみ教会説教(全))

噂によると、日本の会社が出展する場合、韓国の会社が出展するよりも約10倍のお金を払わないといけないとか言いますから、仕方ないかとも思います。それに、今までの経験から、特に韓国の一般の人達にアピールする必要は無いと判断されたかもしれません。でもやっぱり、せっかく出展するからには、もう少し展示会の雰囲気を盛り上げるように頑張ってほしいですね。うちの子供は徹底的に日本びいきです。今日も、東映動画のブースで立ち止まって一生懸命見ていましたし、展示されたおもちゃも欲しがっていました。しかし、ただ見せるだけで販売は一切していませんでした。来年からはもう少し目立って下さい。 (吉本氏日記.01cgi)

沙金を失い、弟を失い、そうしてそれとともにおれ自身を失ってしまう。おれはすべてを失う時が来たかもしれない。……) (偸盗.txt)

が今、この工場の中に立って、あの煙を見、あの火を見、そうしてあの響きをきくと、労働者の真生活というような悲壮な思いがおさえがたいまでに起ってくる。彼らの銅のような筋肉を見給え。彼らの勇ましい歌をきき給え。私たちの生活は彼らを思うたびにイラショナルなような気がしてくる。あるいは真に空虚な生活なかもしれない。 (日光小品.txt)

「短距離恋愛」、 おれはスプリンター、今日の大会のために練習してきた、なぜなら、……なぜなら、隣のコースにはあいつがいるからだ、 ボブ……、そう、おれがボブに魅かれ始めたのは去年の夏、決して許されない恋、それでもいい、 だから今日も100mという短い距離、短い時間を、息せき切って彼と過ごす、これが短距離恋愛、 切ないが、……気持ちを伝えてぎくしゃくするよりはいい、そうだ、これでいいんだ。決して始まることのない恋愛、これも1つの形なかもしれません。 ( ムニュっち日記 全)

中国語を極めるには、もちろん、漢字は不可欠である。だが、その域に達する人はわずかなものだ。それ以前の実践的な中国語習得では、逆に、漢字は邪魔だという気もする。最近、若い世代の漢字離れが進んでいるというが、中国語学習の上では、喜ぶべき傾向なかもしれない。(園田矢「漢字離れのすすめ」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.152〜153) (13「話す」.txt)

そう、これで昔の不幸な問題はみんな葬ってしまった。しかしそれと同時に大人のマリリンに何らかの力を与えるはずの思い出も捨て去ってしまったのだ。ずっと後になって、マリリンは子供時代を取り戻そうと努力をすることになる。しかし、この努力は空しく終わった。彼女自身が繰り返し繰り返し自分はマリリンだと言い張り、ノーマ・ジーンなどもうどこにもいないと思いこんできたせいなかもしれない。 (マリリンモンロー.txt)

場所がらとてそこここからこの界隈に特有な楽器の声が聞こえて来た。天長節であるだけにきょうはことさらそれがにぎやかなかもしれない。戸外にはぽくり[#「ぽくり」に傍点]やあずま下駄の音が少し冴えて絶えずしていた。着飾った芸者たちがみがき上げた顔をびりびりするような夜寒に惜しげもなく伝法にさらして、さすがに寒気に足を早めながら、招ばれた所に繰り出して行くその様子が、まざまざと履き物の音を聞いたばかりで葉子の想像には描かれるのだった。合い乗りらしい人力車のわだちの音も威勢よく響いて来た。葉子はもう一度これは屈強な避難所に来たものだと思った。この界隈では葉子は眦を反して人から見られる事はあるまい。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

しかし、完璧なマイナーとなってしまうと、ちょっと感情移入しにくいのです。応援しがいがないというか。つまり、ナンバーワンは嫌いなんだけど、最下位はやっぱりイヤで、ナンバーツーぐらいがいいのです(そのへんが自分でも嫌な所なのですが)。関西は、東京に対するナンバーツー、というか東京と張り合っている「地方」の代表という感じがして、好きなかもしれません。そういう意味では、昔からある判官贔屓というやつに近いのかもしれません。もちろん、「何がナンバーツーだ、阪神は万年最下位じゃないか」と言われる方も多いと思いますが、えーと、その、ナンバーツーというのは実力のことではなくて、独特のカラーを持っていて非常に目立っているのだけれども、いまいちメジャーにはなれない、という意味です。 ( 7 ESSAY)

日本には、お正月、ひな祭り、子供の日、おおみそか、お盆などなど、数多くのイベントがありますが、 かなりのしょぼさを誇る、この七夕。はっぱに願い事を書いて、みんなで燃やしてニコニコ、ある意味放火です。 っていうか、日本人って、お願い事が好きなかもしれません。初日の出を見てはお願い事、 初もうでに行ってはお願い事、七夕でお願い事、流れ星を見てはお願い事、おじいちゃんの家に行ってはお願い事、 これでは、お願い事がいくつあっても足りません。 ( ムニュっち日記 全)

実務としては、官庁の業務で、法律や制度をつくっています。何か問題を解決するときには、ハードで解決する場合もありますが、制度で解決する場合もあり、これには規制というやり方も誘導というやり方もあります。あるいは予算の配分というやり方もあるかもしれませんが、その予算の配分そのものが、ある法律や制度に基づいて行われるわけです。ですから、先ほどの「人間」が目的に近いところのコアとして土木工学の要素を構成するとすれば、「制度」というのは、手段として、それと同じくらいの度合いで考えるべきなかもしれません。 (建設講演集.txt)

今まで使ってたAL-MAILは、さすが定評があるだけあって非常に機能的に優れているのですが。しかもこれは個人が作っているソフトで、侍ウインドウズとしてはこっちを応援するべきなかもしれません。今のところ、AL-MAILとポストペットを同時に使えないかどうかいろいろ試しているところです。ただ、いろいろ問題があるみたいで、ほんとはどちらか単独使用の方がいいのかもしれません。 ( 7 ESSAY)

特に危険な目にはあいませんでした。4人で行ったのですが、ほかの人たちは、ニューヨークでももっとも危険といわれる例のハーレムにも行ったりしたのですが、私は行きませんでした(行った人にしても別になにもなかったようです)。しかし、それは運が良かっただけなかもしれません。というのも、考えようによってはけっこう危険な行動をとっていたからです。 ( 8 日記のようなもの)

チャレンジなんかしなくても、十分生きていきますけどね。チャレンジしていない人を非難する気持ちも全くありません。でも、チャレンジし続けることが、人の幸せなかもしれません。 (index.html)

もしかすると、司馬さんが96年におなくなりになったというのはある意味では幸いなことなかもしれません。なくなった後のこの2年間の日本というものを直接見ていたら、もっともっと絶望的な気持ちをもったと思いますね。 (立花隆講演録.txt)

いずれにせよ、私たちの心の中には、様々な思いがあります。楽しい思いも、悲しい思いもあるでしょう。それらを全てまとめあげ、肯定的に人生を統合する作業は、必要なことなかもしれません。 (010kodomo.html)

でも、長篇を書くようになって、それもあることなかもしれないと思うことはありますね。長いものは、ディテールをきちっと頭の中で決めて筆をとらないせいもあるんでしょうけれども、進行の途中で道筋が少しぐらい変わったところで大丈夫というか、変化に耐えうる構造になっているのだと思います。だから、自分で読み切れていないような場面というのは随所にありまして、短篇のときはそんなことはあり得ないと思い込んでいたんですが、これから主人公がどのような行動をとるんだろうかと考え込んでいるうちに「なるほど、人物が少し動いたな」と感じるときがあるんですね。 (阿刀田高(全))

とここで全然違う話ですが、前から気になっていた『デビルマン』を読みました。といっても、子供の頃読んだことはあったのですが、ほとんど忘れていました。いやあ、やはり、傑作と言われているだけあって傑作でした、ってなんだそりゃ……しかし、これまたよく言われていることなかもしれませんが、『寄生獣』や『ベルセルク』も、なかなか良いけど、結局これの二番煎じではないか、とすら思えてきますね。もちろん、絵柄は、古く感じたり雑にみえることもありますが。 ( 7 ESSAY)

そういうことはありますけれど“ぬっと”というのはちょっとないだろうと思うんですね。綿密な設計図がないという意味も含めて、長篇小説というのは人生そのものにより近づいたものなかもしれません。それに対して短篇はやはり非常に技巧化された人生のカリカチュアなんだと思います。エッセンスを摘みとって作っているようなところがありますから。 (阿刀田高(全))

「韓国語の平音は有声音、韓国語の激音は無声音だ」というのは信念みたいなものなかもしれませんね・・。 (掲示板)

国籍が日本であること、海外で育ったことは私のidentityの一部であります。他のパーツを合わせ自分という人間があるわけで、だれが何と言おうと私は私でしかないと思うようになり、少なくとも「帰国子女」というラベルへのこだわりはなくなりました。自分がこだわらなくなると他人が何と言おうと気にならなくなり、相手がこだわっていると感じなくなるものなかもしれません。帰国子女と呼ばれる理由となる体験(海外生活)に対しては誇りをもつことと、こだわることは違うことなのではないでしょうか?私は誇りに思っています。Howabout you? (Shijo-Tsushin/#6/SUPPORTERS)

障害者だけが特別な弱者なのではない。私たちはみんな弱い存在なかもしれません。でも、私たちがその弱い部分を肯定的に受け入れ、そして自分を哀れむのではなく、自分の可能性に挑戦する。私は、長野オリンピックと長野パラリンピックを通して、もう一度、それを学びました。 (heikai.html)

それは、みんな黒くしてるから黒くしよう、という発送と大差なく、本当にカッコ良い人は、「周りのことを変に意識しないで自分の世界持ってる人」なのだそうです。しかし、これ完全に揚げ足取りなかもしれないですが、彼女は、「まわりの人に影響に変に反発する人」に反発しているわけで、結局、他人に反発している(=他人に影響されている)と言えなくもない(^_^;) ( 8 日記のようなもの)

今の話で言えば、すっかり寂れた村の人たちが村を活性化しようとしていろいろと努力している。そうした田舎の人はいい人たちのように見えるけれども、じっくり話を聞いてみると純朴なだけとはかぎらない。ときには相当あこぎなことも考えているかもしれない(笑)。自分たちの共同体を何とかしたいという切なる思いには、一つの論理や感情では推し量れないものがあって、むしろそうした実感のほうが大事なかもしれないと思うんです。 (阿刀田高(全))

こんばんわ、まつもとです。というわけであと2日分、日記を書かなくてはいけませぬ。しかし、しかぁし、 もう6月なので、日記のコーナーをクリックすると、6月前半の日記に飛んでしまいます。 わざわざ「5月後」をクリックして、誰がここに戻ってくるというのでしょうか。そう、もう戻って来ない、 遠くに行ってしまった。ぴょろぴょろひょ〜。などと意味の通じないことを書いても、全然問題ないわけです。 ある意味、今日の日記が最も自由な日記なかもしれません。 ( ムニュっち日記 全)

このHPの読者である私たちが、いろいろなことを考え、学び、時には誤解もあるけれども、多くの方々と意見の交換をすることこそ、この掲示板の意義なかもしれません。 (toukou3.28.1.html)

1年半にわたり続いたオーヤマとの「往復書簡」ですが、どうやら大団円のようですね。もしかするとまさにこれから、互いに違う「歴史」を交流し合っていくことが大切なかもしれませんが、それはまた別の場を設けることにして、Repatriateという単語から始まり、Global Nomadあるいはmulti-heritageという単語に至った、第一次「往復書簡」はここで休止符を打つのがいいのではないかと思います。 (Shijo-Tsushin/#9/SHOKAN)

スチューデント・ユニオンで会った日本人の女の子達を宇宙人のように遠く感じるのに、会ったこともないNASAのエンジニアには限りない連帯感を感じる。世代の共有感は、国籍の共有感より遥かに強いのである。もっとも、こう考えるのも、われわれの世代の特殊事情なかもしれない。 (991016.ロサンゼルス1969年)

問題のワームは、先月世界中に広まった悪名高い『I LOVE YOU』ワームの基本構造を利用し、それを携帯電話に応用している。これは、ポケットサイズの通信機器やパームなどに対してウイルス攻撃が新しく登場する予兆なかもしれない。 (携帯電話ウイルス)

マスメディアの発達は、彼らにとって好都合でした。また、日常の変化のない生活に飽き飽きしている私たちにとっては、自分に害が及ばないかぎり、犯罪はいい見せ物なかもしれません。 (グリコ森永事件、2000.2.13で時効)

PARCO:うーん、インターネットでも見える物なかもしれないけど、直接行くとオレ息できない。でもそうなるの知ってて結局ブーヘンヴァルドには3度も通ったんだよね。オレ人殴ったりする事件大好きだけど人殺す事件大嫌い。 (アーティスト・インタビュー.txt)

Interviewer:あー、いってることすごい分かりますよー、オリジナルがどうしていいのかわからないっていうか、ブランドものでも韓国で売ってるコピーものとか平気で持ってたりしますもんね、日本人ってそこがアジア人的なかもしれないんですけど。(笑)そういえば、先程も言ってましたけど、ドイツの収容所に作品を買われたんですよねー? (アーティスト・インタビュー.txt)

第1回目も、第2回目も、ゲスト・クライエントが犯罪的な行為をします。ドラマを盛り上げるためには必要なかもしれないけれど、心の病への偏見をかえって強めないかと心配です。 (02kyogenn.html)

「六月の赤い薔薇」(98年8月27日号掲載)の中で、『ジャン・クリストフ』のアントワネット臨終の場面で引用されているきわめて印象的な詩"I will come again, my sweet and bonny. I will come again."について言及し、「なぜ英語での引用なのか?」と疑問を呈した。そして、bonnyというスコットランド語が用いられていることから、「スコットランド民謡なかもしれない」という推測を述べておいた。 (990501.連載「超」執筆法)

心が混乱したり、怒りや悲しみの激しい感情があるとき、膨大な報道を通して、毒物犯罪を知ります。そんなとき、自分にもできそうな気がして、成功するような気がしてしまって、犯行に及ぶかもしれません。 (模倣犯の防止.html)

ただし、この男性の暴力がこのような心理による家庭内暴力なのかどうかは、現時点では良くわかりません。普通の家庭内暴力は、10代から長く続いても30代前後までですから、30代後半になっても母親に激しい暴力を振るうとすれば、別の心の病などがあるかもしれません。 (甘やかされて育った男と家庭内暴)

牝豚のように幾人も子を生むのはとても耐えられない。しかし一人はどうあっても生みたいものだと葉子は祈るように願っていたのだ。定子の事から考えると自分には案外子運があるかもしれないとも思った。しかし前の懐妊の経験と今度の徴候とはいろいろな点で全く違ったものだった。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

「だが。待てよ、この海底地震の原因をいろいろと探してもわからないのだから、ひょっと火星の影響という問題を研究する必要があるかもしれないなあ」 (地球を狙う者_ruby.txt)

身内の恥はさらすな。そんな常識はもはや、過去のものになりつつあるかもしれない。 (AIC〔今週のAERA〕)

久しぶりに「断然」という活字を見たと思った。「〇〇ちゃん断トツトップやで。」ということはよく言うのだが、「断然」などということばは最近使った記憶がない。「そっちの方が断然いいよなあ。」と言っているのは最近でも良く聞くのだが、これと同じくらいよく聞かれるのが「そっちの方が全然いいよなあ。」ということだ。「全然」ということばの後ろには打ち消しの語をともなうはずだから「あれれっ?」と思うのだが、「断然」が「全然」にとってかわられつつあるかもしれない。 (「ロングバケーション」の若者)

ある種の人々はわりあいに簡単にそうなりきったと信じているように見える。そして実際なりきっている人もあるかもしれない。しかし私は決してそれができないのを私自身がよく知っている。これは理窟の問題ではなく実際そうであるのだからしかたない。 (有島武郎/想片.txt)

最近、とても辛い出来事があったのかもしれません。昔、あったのかもしれません。それほど劇的な出来事はなくても、とても傷ついているかもしれません。 (返信:いやしのために2)

グラタン、スープに気が付く。スープはまだグラタンに気が付いていない。スープは何かを食べている様子。昼休みに公園で弁当でも広げているかもしれない。 (猫のしっぽ)

人々は、苦しみながら、心の癒しを求めて様々な方法を模索しているかもしれません。 (容疑者の男性(21)逃走後に自殺)

セントバーナードは鼓動路の真ん中に横たわっている。外見にはほとんど傷がなく、きれいな死に顔だ。もしかしたら、まだ、体温を残しているかもしれない。死んでしまったセントバーナードは潤んだ目を開いたままでこっちを見ている。 (新世界交響曲.txt)

園はその長口上を少しまどろこしそうに聞いているらしかったが、人見の言葉が終るとすぐにこういって、机の方に向きなおった。園は例のとおり、ポッケットの中から、机の抽出しから、手帳の間から、札びらや銀貨を取りだした。あの几帳面に見える園には不思議な現象だと人見の思うのはこのことだけだった。あれで園はいつどこにいくら入れたということをちゃんと諳記しているかもしれないとも思った。園は取りだした金を机の上で下手糞に勘定していたが、やがてちょうど五円だけにしてそれを人見の前においた。そして自分の方が金を借りでもしたかのように、男には珍らしい滑らかな頬の皮膚をやや紅くした。 (有島武郎/星座.txt)

そのゴドフリー・ノートンはどうやらこの事件で重要な役割を果たしているに違いない。弁護士という。不吉な感じがする。二人の間はどんな関係があるのか、そして繰り返し訪れるのは何が目的なのか。彼女は弁護を依頼しているのか、ただ一般の友人か、それとも愛人なのか? もし前者の弁護士とすれば、彼女は写真を彼に移譲して保管させているかもしれない。もし後者の友人や愛人ならば、その可能性はありそうもない。この問題の争点はブライオニ荘でこのまま調査を続けるのか、それとも法務協会の紳士の事務室に注意を向けるべきかどうかだ。それは微妙な点で、そのため僕の調査が広範囲にわたってきたわけだ。長い説明で君を退屈させたかと心配だが、君に状況を理解してもらうために、僕の小さな難問題を君に知ってもらわなければならないのだ。」 (ボヘミアの醜聞.txt)

5,000kmの彼方から送られてくる『私情つうしん』を毎回楽しみにしています。読みながら古家君たち一人ひとりの顔を思い浮かべているのですが、ふと気がつくと、その顔は実は10数年前、古家君たちがまだ20歳代の頃のものであることに驚きます。紙面から伝わってくる熱気や発想のしなやかさが、そうさせているかもしれません。 (Shijo-Tsushin/#7/SUPPORTERS)

「ひょっとしてあの時の痩我慢を破裂させているかもしれない」そんなことを思って聞いていると、その火がつくような泣声が、なにか悲しいもののように峻には思えた。 (城のある町にて_rubi.txt)

3原色(赤、青、緑)の残りの2つが使われていることを考慮しても、十分ありえる色です。 3番人気、「白色……倍率4.8倍」、これも可能性ありです。やはり4枚目、予定ではラストですし、 きれいにまとめる意味での白、案外これであっさり決まっているかもしれません。 ( ムニュっち日記 全)

愛子は骨に徹する怨恨を葉子に対していだいている。その愛子が葉子に対して復讐の機会を見いだしたとこの晩思い定めなかったとだれが保証し得よう。そんな事はとうの昔に行なわれてしまっているかもしれない。もしそうなら、今ごろは、このしめやかな夜を……太陽が消えてなくなったような寒さと闇とが葉子の心におおいかぶさって来た。愛子一人ぐらいを指の間に握りつぶす事ができないと思っているのか……見ているがいい。葉子はいらだちきって毒蛇のような殺気だった心になった。そして静かに岡のほうを顧みた。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

私は何かをやると決めたら、割合根気のある方だと思っている。でも、何度やっても、全然続いた試しのないことがいくつかある。それは、金銭出納帳と日記を付けることである。これだけは、正に三日坊主かあるいは一日坊主で終わってしまう。性に合わないのだろう。ところが、今回は、毎日ではなくても、もう三日はとうに過ぎた。「もしかしたら、誰かが読むかもしれない」という不思議な日記は、意外と私の性に合っているかもしれない。でも、いつもただ忙しさに追われて、特に日記に書こうと思うようなネタはあまり無い。多分、これまでそういう習慣を付けてこなかったからだろう。明日から少し気合を入れ直そう。 (吉本氏日記.02cgi)

なぜだ、なぜ歯だけどうにもならん。ひょっとしたら、歯も自然に治っているのだけど、 それ以上のスピードで虫のやろうが歯を削っているかもしれません。でも、虫のやろうが歯を削ってても、 別に痛くないんですよね、けっこう不思議。 ( ムニュっち日記 全)

けれども葉子はどうしてもそれを口の端に上せる事はできなかった。その瞬間に自分に対する誇りが塵芥のように踏みにじられるのを感じたからだ。葉子は自分ながら自分の心がじれったかった。倉地のほうから一言もそれをいわないのが恨めしかった。倉地はそんな事はいうにも足らないと思っているかもしれないが……いゝえそんな事はない、そんな事のあろうはずはない。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

夜の会合は必ず断わるので、「付き合いの悪い奴」と思われているだろう。暫く前から、誘いもかからなくなってしまった。これによって、何かを失っているかもしれない。しかし、この連載を続けられることのほうが重要だ。 (990501.連載「超」執筆法)

憤怒に伴ってさしこんで来る痛みを憤怒と共にぐっ[#「ぐっ」に傍点]と押えつけながら葉子はわざと声を和らげた。そうして愛子の挙動を爪の先ほども見のがすまいとした。愛子は黙ってしまった。この沈黙は愛子の隠れ家だった。そうなるとさすがの葉子もこの妹をどう取り扱う術もなかった。岡なり古藤なりが告白をしているのなら、葉子がこの次にいい出す言葉で様子は知れる。この場合うっかり[#「うっかり」に傍点]葉子の口車には乗られないと愛子は思って沈黙を守っているかもしれない。岡なり古藤なりから何か聞いているのなら、葉子はそれを十倍も二十倍もの強さにして使いこなす術を知っているのだけれども、あいにくその備えはしていなかった。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

これはもちろん河童に限らず、カメレオンにもあることです。あるいは河童は皮膚組織の上に何かカメレオンに近いところを持っているかもしれません。僕はこの事実を発見した時、西国の河童は緑色であり、東北の河童は赤いという民俗学上の記録を思い出しました。 (038 河童)

どうして、分かるんですか、オレが聞くと、里奈のおふくろは、全部里奈から聞いていると答えた。ということは里奈はオレが里奈の瞳を見て勃起していたことを知っていたのだ。そして、里奈のおふくろはオレの職業やオレの日々の言動を知っているかもしれない。そんなことを想像しただけで、オレはさっきの二倍くらい照れた。 (新世界交響曲.txt)

もしかしたら、全般的能力は平均的でも、その職業や作業に関する知能がとても高いのかもしれません。もしかしたら、「その職業に何する知能」などは存在していなくても、その仕事や趣味が大好きで、熱心にやっていくなかで、能力が十分に発揮されているかもしれません。 (知能の心理学)

私たちの社会は、けっこう危険があふれているかもしれません。毒もそうですが、駅のホームで誰かを突き飛ばしたり、放火したり、爆弾予告の電話をしたり、特別な力のない人間でも、誰かに危害を加えたり、社会を混乱させることは簡単にできそうです。自分の人生を棒に振り、逮捕されても良いと覚悟してしまえばですが。 (グリコ森永事件、2000.2.13で時効)

――旧くなって潰れるような家には妙な子供が生れるというものか、大きな家の潰れるときというものは、大人より子供にその脅えが予感されるというものか、それが激しく来ると、子は母の胎内にいるときから、そんな脅えに命を蝕まれているかもしれないね――というような言葉を冒頭に湊は語り出した。 (鮨.txt)

今、周りの人に恵まれているから押さえられているかもしれません。 (toukou.html)

女性だから押さえられているかもしれません。 (toukou.html)

これにつけかれにつけもどかしい事ばかりだった。葉子は自分の目で二人を看視して同時に倉地を間接に看視するよりほかはないと思った。こんな事を思うすぐそばから葉子は倉地の細君の事も思った。今ごろは彼らはのう[#「のう」に傍点]のうとして邪魔者がいなくなったのを喜びながら一つ家に住んでいないとも限らないのだ。それとも倉地の事だ、第二第三の葉子が葉子の不幸をいい事にして倉地のそばに現われているかもしれない。……しかし今の場合倉地の行くえを尋ねあてる事はちょっとむずかしい。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

僕は、あまりに大きい感動のため、ここでしばらくべージから目をはなさないではいられなかった。なんという恐ろしい手記であろう。まさかと思っていた火星の生物が、もうすでにこの地球上に来ているのではあるまいかなどという手記にいたっては、戦慄以外のなにものでもない。本当に、火星の生物はこの地球上に来ているかもしれない。花陵島付近の異常なる海底地震に注意せよということであるが、ひょっとすると火星の尖鋭部隊は、ロケットのようなものに乗ってどこかその辺の海底はもぐりこんでいるのではあるまいか。 (地球を狙う者_ruby.txt)

おしゃべりをして、仲間にウケることが大事であり、仲間のノリに合わせること、あるいはそれから少しずらすことが、おしゃれな仲間言葉のようだ。ときに毒のある言葉には、かれらを支配し、操ろうとする教師や親などに対する対抗意識、反発意識が潜んでいるかもしれない。 (若いモンの言葉と「現代語」)

そのうちに、彼女はふと、胎児が動くのは、眠れないからではないかと思いだした。事によると、眠られないあまりに、小さな手や足を動かして、泣いてでもいるかもしれない。「坊やはいい子だね。おとなしく、ねんねしておいで、今にじき夜が明けるよ。」――彼女は、こう胎児にささやいた。が、腹の中の身動きは、やみそうで、容易にやまない。そのうちに痛みさえ、どうやら少しずつ加わって来る。阿濃は、窓を離れて、その下にうずくまりながら、結び燈台のうす暗い灯にそむいて、腹の中の子を慰めようと、細い声で歌をうたった。 (偸盗.txt)

「そう思っていたよ、昨日まではネ。しかし人造人間アネットに会ってからは、その考えがグラグラして来た。ああ美しいアネット。あのアリシア区の第十室の奥には、アネットよりもっと美しい人造人間が百人も千人もいるかもしれない。全く科学は偉大な力だ」 (十八時の音楽浴_ruby.txt)

誤解しては困りますよ、僕はあなたが間違っているというつもりじゃないんですから。他人の事を他人が判断する事なんかはできない事だけれども、僕はあなたがどこか不自然に見えていけないんです。よく世の中では人生の事はそう単純に行くもんじゃないといいますが、そうしてあなたの生活なんぞを見ていると、それはごく外面的に見ているからそう見えるかもしれないけれども、実際ずいぶん複雑らしく思われますが、そうあるべき事なんでしょうか。 (有島武郎/或る女(後編).txt)

そもそも小渕恵三内閣の路線継続を掲げ、独自色を打ち出せずにいる森内閣である。それだけにその言動は、逆に突出して見えるかもしれない。「数の論理」を背景にしたおごりにも映る。 (15 沖縄タイムス社説2000.5.27)

親を憎み、嫌っていながら、いつのまにかその親に似てくることはよくあることです。むしろ、親を受け入れることができたとき、親のクサリから逃れることができるかもしれません。 (010kodomo.html)

ブランド品とか生活グッズには金をかけるようになっているので、こういう物に少しものたりなさを感じるようになると、アートという言葉がいきてくるかもしれない。 (アーティスト・インタビュー.txt)

そして見ると、自分の周囲《まわり》には何処かに悲惨《ひさん》の影が取巻ていて、人の憐愍《れんみん》を自然に惹《ひ》くのかも知れない。自分の性質には何処かに人なつこい[#「なつこい」に傍点]ところがあって、自《おのず》と人の親愛を受けるかもしれない。 (酒中日記.txt)

もちろん、犯罪は、アジ化ナトリウムのせいではありませんし、マスコミ報道だけの責任でもありません。しかし、いくつかの不幸な偶然が重なってしまったとき、犯罪は起こるかもしれません。その原因の一つでも、もしも取り除くことができていたら、その犯罪は防止できていたかもしれないのです。 (tegakari.html)

言ってしまったキミはとてもすっきりするかもしれないけど (ハナミユウサク詩集.txt)

打ちをするかもしれない。しかし・・・今、この俺の胸に燃えている君 (愛の終わりに)

しかし10分位たつと私は満足してベンチから立ち上がり、家の方に歩いて行った。この習慣は私の帰国まで続いた。風に向かって訴えかけているつもりで実は自問自答をしていたのではないだろうか。自分を言葉に出来ず、かと言って黙していることに耐えられず、ベンチにすわって話をしていたのだ。私にとって、ベンチ語はすなわち母語にあたるかもしれない。 (Shijo-Tsushin/#4/NAKATSU)

oomaki:いや、僕の場合、別にみえてきてるっていうものはなくってさあ。いつも、悩んでる。(逆にそういうのがパワーになってるかもしれないね。)作品をつくるっていうことは、完成を求めているわけじゃないから、結局その時の「エネルギー」を観てもらうっていうのに近いからね……自分自身が一生懸命やってること……が結局作品に現れてるんじゃないのかな? (アーティスト・インタビュー.txt)

マスター:これ、本物の地図を真似して書いたんじゃないか? もしかしたら、引っ越し先の地図が元になってるかもしれない。 (サンタクロース)

でしかし、バーチャルなデスクトップきれいにしてる暇があったら現実のデスクトップをちょっとはかたずけい!と自分でつっこみたくなりますね。パソコンの内部が現実みたいになってるかもしれない。ちょっと危ないですねえ。 ( 7 ESSAY)

だけど、社員ってそんなに凄いことなんでしょうか?苺のひがみや、プライドの産物がどろどろになって、 いけずな人間になってしまいそうで、へこんでいる。やーだな、こんな自分って(涙)ちょっと頑張っちゃって、疲れちゃってるかもしれないな……。 (いちごのつぶやき)

私自身は人間関係も苦手で、精神的にも弱い人間ですが、たまたま家族や友人に恵まれ、また人から「先生」と呼ばれる職業についているおかげで、何とか普通に生きていられるかもしれません。だから、私は犯罪を犯したり、自堕落な生活をしている人たちを攻撃したり、バカにしたりする気にはなれないのです。 (douki.html)

これはただこれだけの話に過ぎない。だが、こんな時こそ私は最も自然な状態で河鹿を眺めていたと云い得るかもしれない。それより前私は一度こんな経験をしていた。 (交尾.txt)


以上197例