「日本語発音練習28日」の紹介と
韓国人学習者に対する発音指導

1997年4月26日(土)


1. 「日本語発音練習28日」の特徴

「日本語発音練習28日」は金照雄先生が長年日本語を教えながら集めてきたミニマルペアーをもとに私と共同で作ったものである。コミュニケーションに重要なものからそうでないものへという順で構成してある。項目は二人で決めた。

この教材の対象者は、全くの入門者ではなく、日本語を少しは勉強したことのある人である。ある程度基礎のある学習者を対象に発音のブラッシュアップをするのが目的である。

本書の構成は、3つのパートに分かれ、それぞれのパートは「事前診断テスト」「発音練習」「事後診断テスト」となっている。

事前/事後診断テストは、ふたつ以上の選択肢の中からテープの音が示す語を選ぶようにしてあるので、ある音が認識できているかいないかを客観的に把握することができる。

時間を節約するには「事前診断テスト」を採点して間違ったところ(採点表を見ると該当の課が分かるようになっている)だけを集中して学習すればいいようになっている。

これは、聞いて区別できれば発音も区別してできるという金先生の考えによるものである。私もその考えは間違っていないと思う。聞いて区別できないものを区別して発音するのはたいへんに難しいが、聞いて区別できれば、区別して発音することも難しくないからである。

私は教室でこの診断テストを使ったことはないが、まず事前にテストをしてみて、間違った生徒の多かった項目から始めてみてはどうだろうか。


この教材のもっとも優れた点はミニマルペアーである。

この本の大きな特徴のひとつとして、ミニマルペアーは真の意味でのミニマルペアーになるように神経を使っており、アクセントまで同じになるように揃えてある。そのため、よく引き合いに出される「おじさん」と「おじいさん」のようなものは、アクセントが異なるのでミニマルペアーでは扱っていない。学習者たちはそのため純粋に必要な部分だけを区別する訓練を受けることができる。(ただし、「首都」と「シュート」では、前者が無声化してしまっているので純粋なミニマルペアーになっていない。また、「ず」と「じゅ」の対立が母音の微妙な(韓国人にとっては明白な)対立も伴っているため、これも純粋なミニマルペアーとは言えない。)

ミニマルペアーで扱われている語彙は、必ずしもそうとは言えないが、韓国人にとって発音が難しい方に高頻度の語彙が多く(例えば「信用」「婚約」など)、韓国人の発音しやすい方に比較的低頻度で多少どぎついもの(例えば「屎尿」など)や滑稽なもの(例えば「こんにゃく」など)などが多い。これは、発音を間違えることによってどんな誤解、あるいはおかしなことが起こるかを暗示するものである。これは、韓国人学習者が発音したとき(例えば、本書にはないが「専攻はプツリ学で、天使について研究しています」というのはいただけない)だけでなく、書き取ったときにも起こる誤解なども想定している(例えば「だんごが難しい」「あなたはでんしのようだ」などが起こっては困る)。

「こんな語彙を何で出すんだ、覚えても意味がないじゃないか」という日本語教師もいるが、その理由は以上のようなわけなのである。

各課の頁は、左側が「解説」、右側が「ミニマルペアー」になっている。「解説」は、「練習内容」でその課で目的とするものを大まかに説明し、「要点整理」でその発音がどんなもので、間違えるとどんなことが起こるかを説明し、そのあと「発音要領」でどうやったらその音が出るかを説明している。


この本では、「モーラ」の概念に関する部分を重点的に扱っている。1課から9課までと18課は、「モーラ」に関するものである。なぜ前の方でモーラに関する項目ばかりを扱っているかというと、モーラは日本語の根底をなすリズムであり、これを無視するときわめて聞き取りにくい日本語になり、まったく通じないことも多いからである。韓国人の学習者および日本語を母語としない日本語教師の中にはこのモーラの概念が欠如している人も多いので、ここで強調しているわけである。

本書ではあくまでも「単音」を扱い、「連音」に関しては荒竹出版の「発音・聴解」(『外国人のための日本語 例文・問題シリーズ12』、1989)に任せるということにしているが{1}、「母音の長短」(1〜3課)、「撥音」(4〜7課)、「促音」(8、9課)では、実は連音の問題であるモーラを扱っているのである。


2. アクセントについて

「日本語発音練習28日」ではアクセントはパート2のいちばん後ろで扱われている。しかし、すべてのミニマルペアーにはアクセントが表示されており、また、そのミニマルペアーもアクセントまで揃えている点からも、アクセントの存在をかなり意識していることが分かると思う。しかし、この教材でのアクセント指導は、ごく入り口の段階で終わっている。

(高低)アクセントは、それを持たない言語を母語とする人に認識させるのは難しい。なぜなら、実際の音は必ずしもきれいに上がったり下がったりしているわけではなく、緩やかな波のようにフラフラと上下しているものだからである。その緩やかな波の中から多少際だって上下しているところを日本人はアクセントの変わり目として認識しているようだ。しかし、例えばフォノスコープに映し出されたデータを見てどこにアクセントの滝があるかを見分けるのが困難なように、アクセント感覚の欠如した韓国人が日本語のアクセントを聞き分けるのは、たいへん難しいことだと思う。

それでも、アクセント表記をしながら練習していくうちに、「こんなものがあるんだな」というくらいは分かるようになるらしい。最終的には、半数を超える学習者がアクセントを不完全ながら認識できるようになる。「日本語発音練習28日」では、そのレベルまでを目標としている。この教材の性質上、アクセントの存在を知らしめる以上のことはできないし、それは私たちの目的ではなかったからである。


ただし、残念なことは、「日本語発音練習28日」に限らず、大体どこでもアクセントが存在することを教えたあとアクセント指導は打ち切られ、あとはアクセントのアの字も出てこないことが多いということである。そのために学習者たちは、結局“崩壊アクセントの日本語”へと進んでゆくのではないだろうか。

日本語のアクセントは、単語の複合や用言の活用などとも絡み合っているものなので、発音として教えたあとは、今度は「文法(=形態論)」として教えるべきだと思う。なぜなら、複合や活用によるアクセントの変化はかなり複雑なので、よほど言語感覚の優れた人でない限り、教わらないで自分で身につけることは不可能だし、文字だけで日本語を学ぶ機会が増えるにつれてアクセントを身につける機会は減ってしまうため、結局は正しいアクセントを学ぶ機会が得られないからである。

清音や濁音、促音を発音の問題として学んだ後にそれを土台として単語や文法を学んでいくように、アクセントを発音の問題として学んだ後に、それを土台として単語や文法を学んで行くべきではないだろうか。

ところが、そのような教材はほとんど存在せず、アクセントが載っていてもその活用について言及しているものはほとんどない(韓国ではIMJの翻訳版が唯一の存在だが、あまり知られていない)。

その理由としては、韓国で日本語教材を執筆する教師の中でアクセントがどのように変化するかを把握し、それを分かりやすく整理できる人がいないということが考えられる。例えばアクセントを形態論の問題としてとらえている日本語教師にこれまで会ったことがない。

言語の音として認識でき、その違いが意味の違いにもなるような音の要素は、当然形態論の基礎である。ましてそれが複合語になったり活用したりするときに変化するのであれば、当然アクセントは形態論でも扱うべき存在である。

日本語教師がその事実に気付かず依然としてアクセントを発音の問題としてのみとらえているのは残念である。なぜなら、アクセントの形態的特徴を知らなければ、いくらその教師がアクセントを教えたいと思っても、それを紹介するだけで終わったり、あるいは断片的に教えるにとどまるだけで、細かなところまで指導できないからである。

ある日本語教師は、ただでさえ複雑な用言の活用にアクセントまで入れたらますます複雑になってしまうから、アクセントは教えない方がいいと主張している。たしかに複雑ではあるが、だからといって複雑怪奇というほどでもないし、実際にはその教師がアクセントがどうなっているかを知らないために恐怖心を抱いているに過ぎないと思う。また、会話を教えるのに正しい音声情報を学習者に与えないのは正しい態度といえるかどうか疑わしい。


3. 問題点

1.語中の清音「カ行、タ行、パ行」を韓国語の激音に当たるとして説明している(11課と13課)のは誤りである。語中の清音はむしろ濃音の範疇に入るものである。語中の清音を有気音で発音すると、乱暴な口調に聞こえてしまう。語中の清音は濃音であるという点に関して、閔光準(1987){2}を見せて説明したが、金先生の話では、「濃音は促音だと説明した(9課)ので、清音は激音で行った方がいいのだ」といって「語中の清音=激音」という図式にしてしまった。私は今でも語中の清音を激音で発音する生徒がいるとそれを矯正する必要を感じるし、実際に矯正している日本語教師は私だけではないと思う。

私はこの本とはまったく別に、音符“♪”や休符を用いてリズムで促音と清音の違いを説明している。楽譜がまったく読めない生徒にはちょっとつらいようだが、まず「タタ」とか「タッタ」などと言ってそのリズムの違いを示すと、比較的区別は容易になるようである。

また、「ベッド」や「バッグ」などのように促音のあとに濁音が来る発音については何も書いていない。これは実は韓国人学習者には絶望的な発音だが、日本人でもできない人がいるのでこの教材に入れることができなかった。


2.無声化の規則はかなり複雑で、個人差のある部分を許容範囲にして規則を単純化したとしても、それでも複雑さは拭いきれない。しかし、この本では無声子音に挟まれた母音 /i/ と /u/ が無声化すると言い切ってしまっている。そのため、例えば「キツツキと…」などの無声化しない部分を説明できていない。

また、この教材では無声化と清音・促音のからみについても触れていない。例えば「おくすり」のような場合、「く」を〔ok・su・ri〕と発音しても問題な少ないが、「ボックス」の「ック」に関しては〔bok・su〕と発音すると1拍縮まってしまうといった問題点は扱っていない。

単音のレベルであっても、以上のようにこの教材で扱っていない部分があるので、それについては教師が補充しながら発音指導を進める必要がある。


3.私はアクセント(20、21課)を後ろに持っていくことには反対した。なぜなら、1拍あるいは2拍の短い単語については、アクセントの誤りが意志疎通を疎外する可能性が高いと思うからである。しかし、金照雄先生は、その可能性を大変低く見た。

この意見の対立が生じたのは、おそらく金照雄先生が京都出身のため、標準アクセントに対してあまりはっきりした言語感覚を持っていないという点から来るものだと思う。金先生の話し方は、しばらく話しているだけでは首都圏の人のように聞こえるが、母語が関西方言のため、同じ発音についても私とは別の感じ方をしているのだと思う。

そう考える理由は、私にも似た傾向があるためである。私は埼玉県川越市の出身で、私自身は語中の清濁の区別をするが、周囲の年輩の人たちには清濁の区別が曖昧な人が多かったために、私の言語感覚は、語中の清濁の区別をさほど重要なものと感じていないのである。多くの日本語教師がモーラと同じ程度に語中の清濁を強調するのを見て、初めは不思議に思った。つまり、語中の清濁に対して私は“寛容”なのだ。きっと、金照雄先生も、私と同じ理由からアクセントに対して“寛容”なのではないだろうか。そして、多くの日本語教師がアクセントに対して“寛容”なのは、私の語中の清濁と同じ理由があるのではないだろうか。


4.無声化の規則のところでも触れたが、部分的に、単純化しすぎている嫌いがある。説明を明晰にするには可能な限り単純化した方がいいのは言うまでもないが、事実に合わない単純化は現実を説明できなくする。そういう単純化は避けるべきだと思う。


4. 私の使い方

私は教室で「日本語発音練習28日」を使用することはほとんどない。私の教育機関のカリキュラムにこの教材を組み入れることを許されていないからだ。しかし、説明は口頭で行い、ミニマルペアーを適宜板書して使っている。所要時間はせいぜい10分ほどで、毎日やるわけではない。

私は教室ではこの本にないミニマルペアーも使うことが多いが、しかしアクセントまで揃えるという原則は固守している。

まず区別できるようにすることが大切なので、ミニマルペアーを板書した後、教師がどちらかを読んで生徒に当てさせる。しつこいぐらいくり返した方がいいようだ。そうするうちに、徐々にそれぞれの音色の違いが分かってくる。ただし、例えば同じ[z]と[j]の区別でも、「ざ」と「じゃ」は区別しやすいが「ぜ」と「じぇ」はほとんど区別できないなど、その音の環境の違いによるばらつきがある。また、2割ぐらいの生徒はどうしても自国語にない音の区別ができない。それらの生徒には無理強いして学習意欲をそがない方がいい。

そのあとで発音練習をするのだが、そのとき解説の頁にある発音要領が役に立つ。私は自分の好みから、もう少し音声学的な説明をしている。

発音練習をいくら首尾良くやっても、たとえば[z]だとか語頭の濁音だとかの発音ができるようになると、今度は韓国語と同じはずの[j]や語頭の清音などが発音できずに、[z]や濁音になってしまうことがよくある。その時はまたミニマルペアーを作って指導する必要があるが、これらの生徒は聞いて区別はできないが発音はできるというグループのようで、矯正は難しい。

今学期は入門クラスで日本語を教えているが、入門クラスでは「かな練習」(国際交流基金)を使って文字と発音の学習をするので「日本語発音練習28日」を使う余裕もなく、生徒たちもそれについていけるだけの語彙力はまだ持ち合わせていない。私は「かな入門」を使いながらそこで発音上問題になる語に出くわす度に、即興でミニマルペアーを作って練習している。

しかし最近気がついてきたのは、発音は、記号を先に教えるのではなく、音を聞かせてから文字なり記号なりを見せる方が良いようだということである。まずは文字なしでミニマルペアーを聞かせ、それぞれの特徴について考えさせたあとで文字を入れてはどうかと思うが、まだ試していない。


5. 注

{1}  これは「日本語発音練習28日」を作る前に金照雄先生から聞かされた作成方針。私も「荒竹」の教材には圧倒されていたし、それに劣るものは作れても、同水準かまたはそれを超えるものは作る自信がなかったので、金先生のその方針には賛成した。
しかしあとで考えてみれば、「日本語発音練習」でも連音を積極的に扱うべきでなかったかと思う。なぜなら、学生たちは日本語の連音を身につける訓練を受ける機会が与えられるべきだし、そのような教材で韓国人向けに作られたものはまだないからである。

{2}  閔光準(1987)「韓国人の日本語の促音の知覚について」『日本語教育62号』

※この論文では、「居た〜行った」と「以下〜一家」の子音の閉鎖区間を少しずつ調節しながら、どのくらいの閉鎖の持続時間を境界にして「清音〜促音」を区別するかを、日本人の場合と韓国人の場合を比較しながら研究している。