『会話式日本語入門』について

1999年6月5日(土)


1.経緯

1996年3月に、多楽園のキム・ヒョンジャ編集長から「学院用の日本語会話教材を作らないか」との誘いがあった。

理由は、第一に、多楽園の日本語教材は、アルクで作った教材の翻訳が多く、それらは主に独習用のため、学院で使える教材がほしいということ。第二に、オリジナルの教材が少ないので、オリジナル教材を作りたいという編集部の意欲があった。

教材は全2巻で初級をマスターできるようにし、それぞれ半年ほどかけて作る予定で作業に着手した。しかし、原稿がなかなか進まずにずるずる予定が伸び、結局1997年夏ごろ原稿が完成した。その後半年ほど編集作業があり、その間文法説明をめぐって意見が合わずに編集者を苦労させた。編集作業が終って「まえがき」を書いたあと『会話式日本語入門』という書名が決まり、1998年の2月に出版された。

2巻目の本文の原稿は1988年の晩夏から作り初め、1巻目が出た頃には大体完成していたが、契約内容に反して勝手に36課立てにしていため編集長からクレームが付き、18課立てに直すためにまた最初から作り直した。18課分の本文を作り直すだけで3ヵ月ほどかかった。しかし、その年の暮れにはすべての原稿が完成し、1999年の2月に『会話式日本語初級』の名で出版された。


2.構成

全2巻(第1巻は『会話式日本語入門』、第2巻は『会話式日本語初級』)、各巻18課構成。各課の構成は、

  1. 「基本文型(課ごとに3つ提示)」
  2. 「会話文(状況を提示)」※『初級』では「読解文」も設けた。
  3. 「文法解説」
  4. 「文型練習」
  5. 「新出語句」
  6. 「聞き取り練習」
となっている。

1課を大体2時間で学習し、72時間の授業で一応初級の日本語をマスターできるようにした。「学院」の学習進度を考慮しており、大体2日で1課進めると2ヵ月で1冊終えられるようになっている。

『入門』では、「文字」の項目と「発音」の項目を設け、アクセントや無声化まで説明した(ただし、ガ行鼻濁音については、揺れがあまりに激しいので言及しなかった)。

巻末に、

  1. 「標準アクセント解説」
  2. 「聞き取り練習のスクリプト及び正解」
  3. 「索引」
を付けた。


3.特徴

1 なるべく実際の話し言葉の形態に近づけるよう努力した。

そのため、他の教材で扱っていない形態も取り入れていることがある。「〜ちゃう」とか「〜てる」などという形も積極的に扱っている。特に、『初級』では「のだ文」を重要な文法項目として扱っている。これで学んだあとで『いきいき日本語会話』(多楽園)に進めば、抵抗なく自然な日本語の話し言葉に慣れていけるはずである。

通常の教材では話し言葉と書き言葉の折衷型の文体で教材を作っていることが多いが、『会話式日本語入門・初級』では、会話文をかなり実際の話し言葉に近づけている。そのため、書き言葉で目にする形態の学習が疎かになってしまう。そこで、書き言葉の形態を提示するために『初級』では読解文を設けた。

2 発音の説明をかなり詳細にした。

これは他の日本語教材にはあまり見当たらない特徴である。文法解説と新出語句欄、それに索引のすべての自立形態にアクセント及び無声化表示がしてある。さらに標準アクセント解説も加えてある。とくに、索引では変化した形のアクセントまで提示した。

発音に重点を置いたわけは、これが話し言葉を教える教材だからである。日本語を正確に話す必要のある人が学ぶ際に役立つようにするというのが『会話式…』の狙いである。特に、標準アクセントの存在は、正しい日本語を話したい学生には必須の条件であるにもかかわらず無視されている場合が多い。他の教材は意図するところがあってアクセントの説明を省いていることと思うが、現代日本語の重要な項目の一つであるアクセントをたっぷり扱っている教材があってもいいと考え、遠慮なく、単語にも、文法説明にも、提示した変化形にも、アクセントの表示と簡単な規則の説明を施した。

3 文法解説は、使い方の説明を重視した。

徹底してはいないが、文法解説の順序は、接続及び活用の説明から始めて、次に文型の説明、その次に使い方の説明へと進めることを原則としている。日本語教授法に関心の薄い教師は、使い方の説明はあまり重要視しないかもしれないが、それでも教えられるようになっている。『初級』では、編集者の怠慢からこの順序が滅茶滅茶になってしまったところが数多くある。しかし、重要な情報が抜け落ちている分けではないので、ゆっくりと正していくつもりである。

言葉というのは、ある言葉が、どんな場面で、何を意図して用いられるのかが重要である。話し手が考えているのはその言葉の意味構造ではない。それは人間の頭の働きを超越した言語独自の構造である。使い方さえ分かれば、そこに学習者は意味を発見することがあるのである。

4 特定の教授法を要求していない。

構成はごく平凡である。文型練習は3番まで単文で、4番以降は対話文にしてあり、なるべく練習したものがそのまま実際に使えるように気を配っている程度である。

それは、学院の授業や大学での特講などのように、教授法の知識のまったくない教師も教えられるようにするためでもある。


4.教材の作り方

1 まず枠組みを決める。同時に、扱う文型を決める。

文型は日本語能力試験出題基準を大いに参考にしたが、骨格になる文型とそうでない文型は区別する必要を感じた。

2 カリキュラムが大体決まったら、本文を作る。

本文は、学習文型がなるべく典型的な意味で提示されていて、あとに出る予定の文型や難しい文型が入らないようにし、自然で日常的な会話で、初歩的な機能にするよう心がけた。本文ができた時点でその課で扱う文法項目が具体的に決定されるので、本文を作りながら新出の文法項目が多すぎも少なすぎもしないように注意した。この過程がいちばん骨がおれる。1日中頭を捻っても1課分の本文すらできないことも普通で、ノイローゼ気味になったこともあった。

3 本文に出てきた文法項目のうち、重要なもので文型練習を作る。

重要なものというのは形態的・統語的なもので、語用論的・意味論的なものは、量に余裕があるとき文型練習にした。特に最重要の文法項目を課ごとに3つ提示し、文型練習の1〜3番の例の文は「基本文型」の文と同じものにした。このとき、語句はまだ入れない。

4 聞き取り練習を作る。

『入門』では、全体の3分の1を初めに他の人に執筆してもらったが、結局あとでほとんど書き直した。そうなったわけは、聞き取り本文の内容が、現実味がなく、教室くささが強かったためである。

5 文型練習に単語を埋め込みながら、新出語句と索引を同時に作成する。

以下に『初級』の単語埋め込みの最中に作った索引作成手順を紹介しておく。

 <索引作成手順>
  ──単語埋め込みと同時に索引を作成する方法──

  1. 「〜課の単語」というファイルを作り、その課に出ている単語をすべて抜き出す。聞き取り問題にあるものは♪を付ける。
  2. ソートする。
  3. 第2巻に既出のものは削除し、第1巻と重複しているものに★をつける。
  4. 「〜課の単語」を印刷する。
  5. 文型練習に単語を埋め込みながら、初出の単語は印刷された「〜課の単語」に書き込む。その際、第1巻で既出のものには、★をつけておく。
  6. 単語の埋め込みが完了した後、画面上の「〜課の単語」に、★があるものもないものもすべて加える。その課の新出語彙の欄にコピーし、★の付いている語彙は削除する。(このとき語彙が多すぎたり少なすぎたりしないか注意する)
  7. 「索引#〜」を作り、そこに「〜課の単語」の内容をコピーし、その課の番号を単語一つ一つの後ろに付ける。
  8. ソートして新しい「索引#〜」が出来上がり。
新出語句は、日本語能力試験出題基準の4級語彙を参考にし、文法形式も含めて30項目を目安にしたが、実際には平均すると1課に50項目ほどの新出語句が出てしまった。そこで、記憶の負担を少しでも軽くするために、日韓共通の外来語と漢字語を別に集めた。

6 文法解説を作る。

文法解説を作るとき、どんな文法理論をもとにしているかによって説明の仕方が大幅に変わる。どんな理論がより正しく学習者に理解されやすいかということは分からないが、少なくとも自分がこれまで試してきた中でいちばん妥当だと思われる文法観で文法説明をすべきである。

私は統語論や統語意味論的な考え方に影響されているので、学校文法しか知らない編集者に理解されるまで時間がかかった。また形態論についても、国文法よりも、西洋の言語学の影響を受けた日本語学者の考え方に影響されているので、編集者に「斬新な」「革命的な」考え方と言われた。実際は、少しも新しくない、保守的な考えと思っていたのだが。

文法説明も自分で書いた。その理由は、教材の構成自体が自分の言語観から出たものだから、文法説明を他の人に頼むと、なぜその項目を立てたか、なぜその項目を二つに分けたか、なぜあの項目とその項目を一つにしたかなど、文法解説者が理解できないからである。文法解説を作るとき、本文や文型練習、聞き取りなどにも気を使いながら作らなければならないが、他の人に頼むと、そこまで気が回らないのである。それから、私が知っていることを彼が知らなかったり、私が知らずに整理できないでいるところを彼が適当に整理してしまうと、文法説明が浮いてしまう。さらに、共著にすると、一人分の印税なり原稿料が減ってしまう。またさらに、下手の横好きで、自分で韓国語を使って文法説明を作ってみたかったのである。

7 挿絵を依頼する。

挿絵も教材の一つなので、そこに文化情報が入っていたほうがいい。少なくとも、誤った文化情報が入ることは避けるべきである。できれば、日本で生まれ育った人で、日本語教師をしているイラストレーターなり漫画家なりに依頼すべきである。『入門』はそういう条件の人に挿絵を書いてもらったので問題がなかった。

しかし『初級』では、日本語も日本文化も知らず、日本語教育の経験もないイラストレーターに書いてもらったため、多種多様な資料を提供し、横に付ききりでスクリーントーンまで細かい指定をしてイラストレーターを苦しませたにも関わらず、できはかなり不正確なものになってしまった。

なお、聞き取り練習で絵を見て答える問題の場合は、必ず下絵を書いてイラストレーターに見せなければならない。このとき、日本語教育は素人で、自分の味を出そうとするイラストレーターは、役に立たない。著者の下絵から何も読みとることができないからである。

8 録音。

原稿を作成する段階から録音原稿についても考慮しておくべきである。出版社の編集方針などもあるので、事前にテープは何本かとか、どういう部分を録音するのか、何人で録音するのか、原稿を読む速度はどのくらいかなど、具体的に打ち合わせておかなければならない。本全体の価格とも関係してくるからである。いい加減にしておくと、あとで摩擦の原因になるかもしれない。

『会話式…』では、聞き取り練習のテープを別にできなかった。これは、テープの録音時間と関連して別にできなかったためだが、学院用の教材で聞き取りを別にしないのは編集の方針が一貫していない。ただし、この編集が有用なのは、ノン・ネイティブの教師がこの教材を用いて日本語を教える場合である。そういう意味で、私には不満なこの編集も、あながち誤りだとは言えないのである。

録音は通常男女で行うので、録音原稿を作る段階で男女の割り振りをはっきりと決めておく必要がある。それをしないと、録音者が大変である。なお、一般に、男が1〜2人で、女が1人というパターンがいちばん多い。こういう割り振りも、編集者任せにしないで、著者が直接行うべきである。