父の日


6月の第3日曜日は、「父の日」といい、父親に感謝の気持ちを表そうという日だ。カレンダーなどには載っているが、なぜか辞書には、「母の日」はあっても、「父の日」は載っていない。

そもそも父の日というのは、母の日と同じく、アメリカで始まったものだ。そして、その由来も、母の日と関係している。

母の日は、1908年に制定された。それを知った、ワシントン州に住むジョン・ブルース・ドット夫人という人が、父の日を作ってくださいと、牧師協会に嘆願したのがきっかけとなった。

ドット夫人が幼い頃、父親は北軍の軍曹だった。南北戦争が終わって帰還したとき、母親は重い病に倒れ、やがて天に召された。父親は残された6人の子供たちを男手一つで立派に育てた。

「父の日」を作ってほしいと夫人が嘆願してから7年後、1916年に「父の日」が認知されるようになった。ウイルソン大統領の時代のことだ。

そして、1972年。アメリカでは「父の日」が、“国民の祝日”となった。「父親を尊敬し、称え祝う日」それが「父の日」である。

日本にも、父の日は一つの記念日として伝わっては来た。しかし、なぜかいま一つ盛り上がりに欠けている。家庭の中でも、母親に比べて、朝早く家を出て、夜遅く帰ってくる父親は、存在感が薄いせいもあるだろう。

しかし、父親の影が薄いわけは、家族との接触時間の問題だけでもなさそうだ。父親の心の中は、仕事のことで一杯で、その中に家族のことを考える空間があまり残されていない。“会社がどうあるべきか”を真剣に考える父親は多いが、“家族がどうあるべきか”を真剣に考える父親は少ない。

少しは考えたとしても、その質は、会社に対する考えに比べて、きわめて低い。家族の問題について、友人とたえず議論し、本を読み、情報を集めるなんて奇特な父親を、ついぞ見たことがない。

仕事に人生を懸ける。これは、大切なことだ。しかし、仕事が家族よりも大事であるという考えは、健全な価値観かどうか、再考する必要がある。

この問題は、小手先のテクニックで解決する問題ではない。生きるという根本の問題にまで遡って、もう一度考え直さなければならないことだ。なぜなら、家族を通して人間が作られていくからである。



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