1995年度語学堂卒業記念文集


■ 答辞
 院長先生をはじめ、先生方、長い間ありがとうございました。おかげさまで、今日このよき日を迎えることが出来ました。思い返してみますと、語学堂に入学した頃のことが思い出され、感慨もひとしおでございます。
 私の場合は一級から勉強して一年半もの長い間お世話になったわけですが、ひらがなと簡単な挨拶しか分からなかった私が辞書を引きながら新聞が読めるようになったことは、偏に先生方のご指導のたまものでございます。
 仕事と両立しにくくて、何度か諦めようとしたこともありましたが、その度に先生方の熱意に絆され、ここまで続けて参りました。勉強を途中で放棄しては、学生一人一人に心を配ってくださった先生方を裏切るような気がしたからです。
 いちばん忘れがたいのは、作文のことです。選択肢の試験の世代で韓国語の作文力も弱い私には日本語で作文するのは大変なことでした。何時間もかかって四〇〇字詰めの原稿用紙二枚くらいの文章をやっと書き上げたこと、杜撰な文章を丁寧に添削していただいたこと、見違えるようになった自分の文章を読んだときの喜び、これらは無視しがたい人生の楽しみでした。
 面白いこともありました。いつも授業の初めに漢字クイズをしますが、その小さい試験を嫌がって、わざわざ十分ほど遅れて教室に入ってきた学生もあったようです。これに対して、先生もその学生を待って漢字クイズをしたものでした。その学生が「浅知恵を働かしても駄目だった」と呟いたのを聞いて、苦笑したこともあります。いくら歳を取っても学生は学生だな、と思ったものです。
 今日、国際化の時代となり、外国語の習得は必須となりました。その意味で、延世大学校延世語学院は、国際化の出発地だと言えると思います。語学堂を卒業するというのは、決して日本語が上手になったということではなくて、ただ、日本語の味を知り、自分で勉強できるようになったということだと思います。
 私たちはそれぞれの場所でこれまで学んできた日本語を使って、国際的な視点から日本人と対話をし、彼らの考え方を理解するとともに、自らも主体的に意見を述べ、本当の隣人となっていきたいものです。
 在学中の皆さん、一緒にがんばろうではありませんか。
 先生方、本当にありがとうございました。長い間、あたたかく細やかなご指導をくださったことに、もう一度感謝申し上げ、挨拶の言葉とさせていただきます。

■ スピーチコンテスト原稿

石度淳 「文化や考え方の違い」

 このごろは韓国でも帰国子女が増えています。外国に長い間住んでいた会社員の子供や、移民から戻った家族の子供、共産主義の中国とかロシアなどから永久帰国した同胞の子孫などが暮らしています。彼らは、外国の生活で身につけた外国の文化や考え方と伝統的な韓国の価値観との間で葛藤を経験したことがあるはずです。
 文化や考え方の違いから起こる摩擦は、時には当事者の人間関係を回復できないほど悪化させることもあります。とくに、新しい社会に飛び込んだ子供たちの場合は、葛藤や絶望が大人の場合よりも深いと思います。
 文化の背景が違う人たちが付き合うとき、最初は共通点を発見して「人間は根本的に同じだ」と考えて喜びます。しかし、時間がたって少し親しくなったと思った頃、何らかの問題で衝突し、相手の納得できない考え方や行動などに触れてがっかりします。
 どうして人間は自分と異なる考え方と文化に出会ったとき、受け入れようとせずに批判してしまうのでしょうか。もしかしたら、皮膚が細菌などを防ぐように、自分の文化と考え方とを守る本能があるのかもしれません。
 私はネパールで海外勤務をしたことがありますが、韓国人として一つの民族と言語の社会に育った私は、違った文化や考え方に接したこともなく、また、それを容認する訓練を受けたこともありませんでした。赴任直後は、一つの国の中で様々な人種が一緒に暮らし、たくさんの言葉を使っているのを見て、不思議に思っていました。
 最初の一カ月ぐらいは、韓国と全く違う雰囲気の中で、親切な現地社員からの報告によって状況を把握していただけなので、観光客のような気分でした。しかし、仕事を本格的に始めたとたん、たくさんの問題や困難のあることが分かりました。私は、大部分の問題は現地の官吏や社員たちの奇妙な考え方から生じたものだと考えました。もちろん彼らは自分の考え方が合理的で必然的なものだと思っていたに違いありません。
 私は仕事がうまく行かなくて焦ってしまい、軍隊式に現地社員を押さえつけようとしましたが、全く効果がありませんでした。私は現地の人々から「心が狭い」とよく言われました。
 いつも楽観的な見方を持っていた彼らの意見に基づいて上司に報告したのち、仕事がその通りに行かないでしかられることが少なくありませんでした。私は、現地社員が正しくない情報を提供したことに対して叱りつけようとしましたが、かえって激しい反発を受けました。後になって知ったことですが、彼らの文化には、重い罪を犯した場合以外、叱るということはほとんどなかったのです。結局、現地の人たちから「奴隷監督」というあだ名を付けられてしまいました。
 ある西洋人がこんなことを私に語ってくれました。「私たちには、他の文化を批判する権利はありません。ただ受け入れるのみです」。
 今、国際化の時代に入って多様な考え方、価値観などに接することがだんだん多くなってきました。これからは、韓国の社会でも、自分たちと異なった文化を認めようとする態度が望ましいと思います。

李殷貴 「バレンタインデー」

 年が明けて一月になると、私は旧正月のことを思い出すんです。二月には「チョンウォル・テーボルム」というのがあります。「チョンウォル・テーボルム」というのは、ご存じのように、正月の満月、つまり、陰暦一月十五日という意味です。
 しかし最近は、それに加えて、バレンタインデーという日ができて、年中行事が一つ増えました。陰暦一月十五日には、落花生とか、栗、胡桃、松の実を食べますが、バレンタインデーはチョコレートを食べる日として定着しているようです。
 バレンタインデーが韓国に上陸したのはいつ頃でしたか、私の記憶では、八〇年代からだと思います。日本のある店でチョコの売り上げを伸ばすために作った日だといいます。一年を通していろいろな行事があるのに、何でまた、バレンタインデーまで出来たんでしょうか。自分の国の祝日もろくに祝わないのに、余所の国で、それも商売目的で作った「記念日」を受け入れるのでしょうか。多くの人たちは、この新しい日を、無自覚、無批判に受け入れています。
 毎年バレンタインデーが近づくころ、ソウル市内のファンシーショップなどはチョコレートを買う女の子たちでにぎわいます。私は、バレンタインとチョコレートとはどんな関係があって、チョコレートを食べる日になったのかと、顔をしかめながら考えます。彼女たちは、他にお金の使い道がないのかしら。
 ところが、バレンタインデーの日、会社に出て、女子社員たちが相手に贈るプレゼントを一生懸命作っているのを見て、思わず顔がほころんでしまいました。チョコとかタバコとかを一個ずつ丁寧に、それはもう感動するほど大事に包装しているのを見てほほえましく思ったのです。
 もし、私が十代のときにああいう日があったとしても、つまらないと思って相手にしなかったと思います。ですが、今は相手への気持ちを表現する方法が、チョコレートを通してなされるのだと理解し、これも時代の変化だと思うことにしました。
 私もあの日女子社員にお金を渡しながら「自分の恋人の分だけ作らないで、理事や副社長にも作ってあげなさい」と言いました。
 バレンタインデーは、今の若い人たちの明るくて可愛い一面を見られて良いと思います。最近の愛の告白は、公に行うもので、もうただ普通の一つの行事になってしまいました。あまりおもしろいことのない時代に、今の若い人たちのバレンタイン騒ぎは、一つのミモノになると思うし、この騒ぎで私たちのストレスがたまるわけでもないでしょう。
 ところで、昨日は何の日でしたか。ホワイトデーではありませんでしたか。男性の皆さん、女性たちに何を用意しましたか。


■結婚に関する問題

金志映 「女性が結婚したら…」(一九九六年一月三十日)

 私ももう結婚する歳になったと人からよく言われる。
「キムさん、結婚しないの?結婚相手はちゃんと探しているんでしょうね?
と冗談みたいなことを言われても、別に不愉快ではない。
 今結婚したい、という気持ちはないが、一人娘の私もいつかは結婚するだろう。
 女性が結婚話に触れるようになるころまず見えてくるのは何だろう。社会生活をしている女性なら、結婚しても仕事は続けられるか、そして夫の両親といっしょに住むべきか、ということだ。
 最近、女性の社会進出が広まってきているし、結婚しても夫の両親とは離れて暮らすようになった。女性を男性と同じ位置に据えてみるのもいいことだと思う。自分の夫と一緒に外で働きながら、家事も夫と半分ずつ分ける。夫の親との間も週末とか二人が休みの日に訪問するくらいでいい。最近では、息子を持つ親たちも、結婚して一緒に暮らすのを昔のように望まないという。
 子どもを生む前までは仕事にせよ勉強にせよ、自分の人生を最大限に活用できるが、子どもを生んでからは状況が一変する。今までにない制約が伴うからだ。私も今のところは、結婚しても仕事を続けたいと考えている。もしできなかったら、家でできることを今も探している。
 私は女性が結婚したらどうなるのか、あまり具体的には考えたくないし、知りたくもない。それは、自分の意志さえしっかりしていれば、何とかなるからだ。こんなことを言うのはあまりにも無責任かもしれない。しかし、私は女性の可能性を信じている。でなければ、男と女はどうして同じになれないのかを恨んでいるしかないのではないか。

石度淳 「両親と一緒に住むべきか」(一九九六年一月三十日)

 韓国では伝統的に長男が結婚すると、両親と一緒に住んできた。その伝統は社会の現代化によって急速になくなってきているようだ。周囲にも、子どもたちを結婚させた後、寂しそうな老後を過ごしている人の姿をたびたび見かけることがある。
 私も長男だが、今両親と一緒に住んではいない。独身の姉がいて、両親と同じ家に住んでいる。家事に全然興味のない姉だが、歳取った親と一緒に暮らしてくれているだけでも、私は安心できるのである。
 もし親のうち一人が亡くなったり、あるいは重病にかかったたりしたら、一緒に住まなければならないと思う。
 その場合、いちばん気がかりなのは、家内の態度だ。表面的には賛成しているが、夫の両親と一緒に暮らすのはきっと大変なことに違いない。家内と父とはうまくいっているが、母とはどうもそうではないらしい。母が少し厳しすぎるとよくこぼしている。
 自分の問題ばかりを考えているのではなく、他の人の場合はどうなのか考えてみるのも、時には助けになる。うちの会社が三年ほど前に養老院を建てていたとき、ある日私の上司が「あまり施設の良い養老院にも行きたくない。贅沢な養老院で暮らすより、橋の下で乞食になっている方がずっとましだ」と言った。
 私は、上司が冗談を言っているのかと思い、「なぜ橋の下なんですか」と尋ねた。
 上司は、「昔から橋はいろいろな人が渡る場所だった。それを見ていれば、寂しさが紛らわせるじゃないか」と言った。
 そのとき上司は自分の一人息子の嫁と折り合いが悪く、分かれて暮らしていた。それでこういう極端なことを言ったのかもしれない。
 私は、自分が歳を取ったら養老院に行ってもいいと思っている。しかし、両親に養老院へ行かせるなどということは、想像すらつかないことである。

李殷貴 「結婚について」(一九九六年一月三十日)

 結婚を必ずしなければならないわけではない。
 気が合う人がいれば結婚した方がいいが、世の中に自分と本当に合う人がどれだけいるだろうか。結局、結婚というのは相手に合わせて暮らすことになる。結婚生活には、努力以外はないと思う。家事も会社の仕事も、夫との関係も、すべてが自分自身との戦争である。
 しかし、結婚が否定的なものだとは思っていない。見合いでも恋愛でも、相手が性格的に優しい人ならば、私は結婚を勧めたい。ただ、顔や家柄、職業などで相手を選ぼうとする人がいれば、私は次のように言いたい。顔は歳を取ると皆同じになるし、お金は生活に必要でいちばん重要なことかもしれないが、女性も働けるから、健康で気持ちの優しい人が無難ではないか、と。また、若いときはいいが、老後になるといろいろ問題が起こるから、将来のことを考えたら、晩婚でもいいから相手を探すべきかもしれない。
 独身の生活も豊かで自由で楽だが、二人でテレビを見られるのも、幸せなものである。

■心の教育

趙成圭 「弱きを挫く教育」(一九九六年二月一日)

 何年も前のことになるが、横浜で中学生たちが浮浪者を棒でたたいて殺すという事件があったことを、まだ覚えている人も多いだろう。
 何故少年たちは浮浪者に残酷きわまる仕打ちをしたのか。何故棒で叩いたり、髪の毛をライターで焼いたりしたのだろうか。若者を理解することはできると思うのだが、あのようなことは理解できない。
 理解、といっても、青少年の残酷さを理解してやろうと思ってこれを書き始めたわけではない。こんな現象がたまに起こるとはいえ、どうしてこのような考えられない卑怯なことが起こるのかを根本的に考えて、またそんな不祥事が再発しないように解決策を追求しなければならない。
 まず二つくらいの理由を考えてみよう。一つは「家庭の生い立ち」で、もう一つは「社会的事情」がまず考えられる。
 家庭の生い立ちとは、家庭が貧しいとか、親が子どもに無関心だとかで、子どもが家庭に不満がある場合である。早くこの不満を解消しなければ問題はさらにもっと大きく広がると思う。現代における家庭の事情を考えれば考えるほど、何となく頭が痛くなるような気分に襲われる。複雑に現代化した家庭の現状も様々であるから、簡単には考えられないのである。
 浮浪者に暴行をおこなった青少年に問題をしぼれば、彼らは幼い頃から十分な愛を親から受けたことがなかったのではないかと考えられる。人間的に自分より惨めな人に同情する能力は、愛情を十分に受けた人だったら感じることができるだろう。
 しかし、この仮説も必ずしも正しいとは言えないのである。十分な愛情を親から受けたはずの人が、自己中心的な利己心を持っている例を、私はたくさん見てきた。
 家庭の環境が子どもの成長に影響を与えるのは事実だろうが、人間の生命に対する尊重心は、必ずしも家庭の事情と相関関係にあるとは断言できない。この問題は遠い昔から、人間の性善説と性悪説に分かれて議論が繰り返されてきた。キリスト教の原罪説というのも、狭義に考えて、人間の性は「悪」であると考えられており、悪いことをする理由を説明しようとしているのかもしれない。あの哀れみもない若者たちの行為に対して、やはり人間の本性を云々するより、社会的な事情、とくに教育が重大なのだと感じ始めた。
 青少年たちの血も涙もない行動は、やはり教育の責任であると私は考える。このごろの教育が、細分化された科目を重要視しすぎて、人間らしい行動について教えることができなかったのだと思う。いくら汚くても人間は人間だということを、現在の教育では教える機会がないようである。
 もちろん浮浪者の中にはアルコール中毒患者もいる。国も警察も何一つできなかった。こういう点で政府の責任ももちろんあることはある。しかし、若い学生が自分たちより弱くて一人前の人間として社会生活ができないこの浮浪者たちを馬鹿にしていじめるということは、絶対にやってはならないことである。日本の浮浪者とアメリカの浮浪者がどう違うのか分からない。別に大差はないようだ。アメリカの公園や地下鉄の駅で段ボール箱を住処とするホームレスと、日本の浮浪者とが、どんな差があるのか分からないが、彼らの共通点は、何らかの理由で社会の一員として若者たちに模範を示すことのできなかった、産業社会の「落ちこぼれ」だということである。
 「浮浪者一掃」を叫ぶ大人たちの態度が、純粋で多感な青少年たちに影響を与えないはずがない。浮浪者たちを「ゴミ」と呼び、ゴミを処分する感覚で浮浪者を殺した彼らの行いは、人間性の欠落した野蛮な行為であった。獣でもあのようなことは行わないものである。あのような非人間性は、教育によって克服するほかはないものであった。
 中学校の教師は、自己の本分を尽くして教育をしているのだろうか。

■手紙

李奇羅 「心の宝箱」(一九九六年二月二日)

 会社の仕事で疲れはてたり、人間関係がうまく行かなかったりしたとき、ぼんやりとしているもう一人の私と出会う。そのとき私は、元気を出そうと大掃除をする。
 まるで私がニースの海辺で心地よく日光浴を楽しむように、ベランダで布団を干したり、机や本棚の位置を変えたりしながら一日中大騒ぎをする。二部屋のあまり大きくない家を掃除するのに一日かかってしまうのは、掃除をしながら思い出に浸ってしまう癖のためである。
 本棚の上には紙箱がいくつかある。ソウルで一人暮らしを始めた頃からの手紙でいっぱいになっている箱である。大学進学のため離ればなれになった高校時代の友達や、一緒に浪人をした人からもらった手紙がほとんどで、ときどき両親や妹からの手紙もある。
 週十九時間の授業をのぞいた時間は、田舎出身で貧しい大学一年生の女の子にはどうしても手に余る長い時間であった。親からもらった小遣いをはたいて買った本を何回も繰り返して読み、もう読むのも飽きてしまう頃、寮の郵便受けに舞い込んできた友達からの便り。本当にうれしかった。
 当時の便りは何回呼んでもまた新たな感傷を呼び起こすものだ。見知らぬ土地、見知らぬ人、全く新しい勉強や人生。私の前にも、友達の前にもまったく新しい世界が広がっており、私たちは自分が目にした新天地のことをお互いに知らせるのに余念がなかった。手紙以外には何の連絡方法もなかった当時、私は一生懸命自分の生活を全国各地の友達に知らせ、彼らの暮らしぶりに耳を傾けた。
 また、本棚の上の紙箱には、手紙と同じく大事なものも入っている。・奇羅さんへの一言・という短い手紙である。毎年春と秋にはM・T(Membership Traning)という一泊二日の旅行がある。同級生とのM・Tもあったし、私と同じマサン(馬山)出身の人たちの集まりである「郷友会」の人々とのM・Tもあった。どちらのM・Tでも、夜が深まり、雰囲気が落ち着いてきた頃お互いに心の一言を伝える時間がある。
 まず、みんな円を作って座る。白い紙にそれぞれの名前を書く。その紙を回し、自分を除いた全員に、一人ずつメッセージを書く。それを読んで、私も知らなかった自分というものを発見してびっくりすることもあり、暖かい友情に触れて幸せな気分になるときもある。短ければこそ心に残る言葉、・奇羅さんへの一言・は、手紙と同じく私の大事な思い出である。
 大掃除をするとき、私は今までもらった手紙を読み返し、一人で笑ったり泣いたりする。本棚の上の紙箱は、なつかしい人、なつかしい時間をそのまま納めている私の宝箱である。

石度淳 「手紙について」(一九九六年二月二日)

 手紙の起源は古代エジプトで、ファラオが遠い地方にいる諸侯をコントロールするために使い始めたと書いたものを読んだことがある。ファラオの書簡を受け取った諸侯は、必ず返事をしなければなかった。
 今は電話やファックスなどの通信手段が発達して、日常生活で以前より手紙を書くことがだんだん少なくなってきているようである。
 しかし、ほかの通信手段で出来ない手紙独自の機能があると思う。手紙をもらったとき、送った人の気持ちが伝わる。つまり、手紙は相手に話したいこと以外に、自分の微妙な感情を無意識に伝えられるものだと思うのである。
 親密な関係を維持するのに定期的に手紙のやりとりをするのがいい方法だと気付いたことがある。海外に勤務していたとき妻から手紙をもらった日は、一日中いきいきと仕事が出来たことが思い出される。
 平素感じられない面を発見することもあるようだ。我々は少し抑えられた雰囲気で育てられたから、ふだん心の中をなかなか打ち明けることがなかった。でも離れて暮らしていると、手紙で心に深く潜んだ感情を示すこともあった。古い通信手段である手紙は、今も人間関係と仕事で重要な位置を占めて、その役割を果たしているようだ。
 私も今から友人と知人に手紙をこまめに書くことにしようと思う。返事は必ずしなければならないことだ。古代エジプトのように、手紙の本質は返事をもらうことなのかもしれない。

金志映 「別世界に生きる少年たちに愛を」(一九九六年二月二日)

 最近、テレビや新聞で青少年問題について語っているのをよく耳にする。そういう話しが出ると、私も思わず耳を傾けてしまう。学校とか、人通りの少ない路地などで暴力を振るったり、アジトにこもってボンドを吸ったりするケースが増えているが、それに対する解決策はまだ見つかっていないと言うことである。
 しかし、もし解決策が見つかったとしても、その問題をたちどころに解決するのは無理だろう。今は彼らの行動がもっとも極端な方向へつっ走っているのである。
 タバコや酒は言うまでもなく、ボンドのようなものを吸って酩酊状態に陥り、幻覚症状の中で危険なことを犯してしまうのだ。彼らは学校や家庭などでは相手にされず、救いのない問題児として阻害されてしまった学生たちなのではないだろうか。一度足を踏み入れた彼らは、元に戻ろうという努力もあまりしない。別の世界に生きる自分に満足しているのかもしれない。彼らは私たちの世界では相手にされないかもしれないが、仲間内の世界では一人の人間として認められているのである。
 これは、もしかすると、世知辛く人間味もない世の中で、社会がどういうものかも知らない年齢で社会から爪弾きにされてしまった人間模様の一断面かもしれない。
 彼らは、自分たちが何をしているのか誰も気にしないのを感じながら、心の奥深いところでは、愛に渇き、飢えているのではないだろうか。
 彼らも私たちの世界で私たちと肩を並べ、足を合わせ、前をめざして駆けていきたいと思っているかもしれない。私たちは彼らを励まし、勇気を奮い立たせ、愛を以て見守ってあげなければならないと思う。愛があれば出来るにちがいない。

石度淳 「浮浪者」(一九九六年二月二日)

 私の小さいとき、すなわち韓国戦争の直後、ソウルの中心でも町の隅に浮浪者があふれていたのを思い出す。彼らの中には、戦争孤児や戦争未亡人、負傷して身体障害者になった人、傷の痛みを忘れるために麻薬中毒患者になってしまった人などがいたそうだ。幼かったので、彼らに同情するどころか、嫌悪や恐怖の対象であった。
 戦争が終わってから四十年たった今でも、地下道や歩道橋で物乞いをしている浮浪者をたまに見かける。戦争は浮浪者を増やす決定的な原因にはなったが、浮浪者発生の唯一の原因ではない。しかし小学生のころは、戦争のために乞食や浮浪者が出てきたと固く信じていたのである。
 それでは、浮浪者がいなくならないのは何故だろうか。わけはよく分からないが、弱者のいない社会は存在しえない。何年も前のことだが、日本で少年たちが浮浪者を襲って殺傷したことまであった。当時日本列島に流行していた、弱者に残酷な仕打ちをすることを・楽しい・と思う風潮が、子どもたちを刺激したという。
 韓国ではまだそんな事件を聞いたことはないが、将来発生する可能性が皆無だとは断言できない。
 どんな社会でも、競争から落後した者、自分の苦悩を克服できなかった者は、浮浪者にまで落ちぶれることがある。浮浪者を迷惑に思っている人も、人生の不幸な事件に直面して社会からドロップアウトしてしまう可能性を秘めている。
 もしかしたら、浮浪者も神によって課せられた役割を果たしているのかもしれない。神はなぜあんな悲劇的な役を設けられたのだろうか。我々が、社会からのけ者にされた哀れな人たちをどう扱うのかを見るためだろうか。
 弱者に救いの手を差し伸べるのは、社会を構成する我々すべての義務だと思う。

石度淳 「酒について」(一九九六年二月五日)

 私は生まれつき下戸なので、酒について自分の意見を述べる資格があるかどうか分からない。
 酒宴で酒を回し飲みするときや、無理に酒を勧められたら飲まねばならないのは、韓国の飲酒文化の特徴だと言える。その珍しい習慣で、私は人とのつきあいで非常な難しさを経験してきた。
 しかし、その飲酒の習慣もオーナードライバーと健康に対する高い関心などによって、少しずつ変わっているようだ。最近は酒宴でうまいいいわけを言いながら酒を断れるようになった。
 若いとき酒に強い同僚が少しうらやましかったが、中年になってアルコールが原因で病気になった人や、ときには中毒者になった例も見て、酒を適当に飲むのは易しいことではないと感じた。
 アメリカで社会問題になっているものの第一は、麻薬とかエイズなどではなくて、いまだにアルコール中毒なのだそうだ。アルコール中毒者になりやすいのは、強い酒とかその人の体質以外に、アルコール中毒者をひどく蔑む風潮のためだという。初期のアルコール依存症を示す人がすぐ独りぼっちになって、独りで酒を飲む悪習に陥ることが多い。
 いくら酒好きでも、相手なしで飲まない習慣と酔っぱらいを広く受け入れる韓国の伝統は、少なくともアルコール中毒者が増えるのを防いでいるようだ。
 私もこれから酒宴で、酒癖の悪い同僚にソフトに対応することにしよう。

石度淳 「小学校の英語教育」(一九九六年二月八日)

 政府は小学校から英語教育を始めることに決定した、という記事を読んだ。これは、まだ十分に事前協議していない政策ではないかと思うのだが。語学教育に伴うもの、すなわち適切な施設や、資格を持つ教師の確保というものなどは、検討されているのだろうか。
 とにかく私は小学校で英語を教えるのには否定的である。まず、幼いときに外国語に触れれば全然プレッシャーにならず、後に本格的に勉強するときの助けになるという説には同意しがたい。
 自分の例を一般的なことのように言うのは気が引けるが、私の姪は香港で英国系の小学校を四年生まで通って帰国した。中学校に入って英語を始めたとき、ほかの生徒、つまり英語を勉強したことがない生徒たちより目立って出来るわけではなかった。それで、自分の月給の半分にもなる高い授業料を払って姪をイギリスの学校に送った。姪は聡明ではなかったのかもしれないが、帰国して二年間英語を全然使わなかったのが主な原因だったのだと思う。
 香港にいた頃は、流暢に話した日常生活の英語も、すっかり忘れてしまったそうだ。録音テープが消去されるみたいで、実に不思議なことである。子供は外国語をすばやく身につける反面、忘れてしまうのも早いようだ。
 また、複数の言語を学ぶとき、母国語の能力に障害を与える心配はない、とう主張もあるが、普通の子供の場合はそうはいかないだろう。
 隣の家の男の子は小学校に入学する前にヨーロッパで数年間住んだことがあって、今小学校五年生である。うちの娘はその子とよく遊んでいたが、時々その子が普通の単語を知らなかったり、言葉を間違えたりするのを面白がって話していた。その子は学校の成績はいいのだが、母国語である韓国語に若干傷害があるようである。
 外国語は母国語を完全に身につけた後で始めても遅くはないと思う。今でさえ勉強の負担が重い子供たちに、さらに「英語」という負担を押しつけるのは残酷だと思う。

趙成圭 「必要ですか、小学校の英語教育」(一九九六年二月八日)

 これは、朝日新聞に載った対談の表題である。
 日本でも英語の早期教育が問題になっているらしい。韓国でもこの問題に関して同じである。最近の教育行政家たちは、世の中でこういう対談があっても率直に自分の意見を表現しようとしないように見える。子の対談は、正確に言えば、日本人の意見ではない。対談者の一人、多摩大学長のクラークさんは外国人であり、もう一人の矢次さんも、明確ではないが、中国生まれで英国に留学した、英語の先生だ。日本児童英語教育学会の理事である。グレゴリー・クラーク学長がどんあ意見を持っているか、また矢次さんがどんな考えを持っているかは、別に問題ではない。日本では公立小学校の英語は実験段階に入っている。公立小学校で英語を始める数がだんだんと増加していく。私立の小学校では英語を教えるのが常識になっている。結局小学校で英語を教えるのは実験段階とはいえ、すでに既成事実であると私は考える。韓国では明年から初等学校(「小学校」にあたる)三年生以上に正規科目として英語を教えることが、教育部(「文部省」にあたる)の決定事項になっている。
 英語が国際化したこの地球上で英語が必要なのは、誰にも依存はない、と言ったら言い過ぎだろうか。コンピュータの発達はどうしても英語が中心である。しかも、今でもエスペラント語が全世界の平和に必要だと主張する人が全世界にいることはいるが、全世界を国際化するのに重要な言語は、フランス語でもなく、エスペラント語でもない。国連の会議では、数カ国の言語が使用されているが、どうして英語が問題なのか分からない人が多いと思う。
 まず、英語を早期教育させることが、決してほかの言語を軽視するということにはならないという事実を我々は知らなければならない。各国の国語は皆必要なものである。しかし、世界語として英語が中心になるような構造になっている。とくにアメリカの英語がそうだと思う。英語常用こくの国民でない人たちには不愉快なことだが、仕方がないと思う。二十世紀になってアメリカが知的に全世界を支配している。これは帝国主義とか領土拡張の問題ではない。
 アメリカにはそのような野心はない。世界の頭脳を集め、各分野においてその知識を開発しているのだ。東洋から始まった文明が中東地域に伝播し、それがヨーロッパや英国に伝わり、そこでもう少し発達したあとアメリカに渡って約百五十年くらい温められた。それが東洋、とくに日本を通じて北東アジアに伝わるのである。文明の、または文化の循環が、完全に一周のサイクルとして完成するのだ。そして二十一世紀はその文明の中心が東洋となることは確かなことだ。
 そのことを下敷きに、今後中国が中心になるから中国語が世界語になるべしということで、クラーク学長は「脱英入中」を主張しているのだろう。これは、クラークさんの本音なのか建て前なのか分からない。彼は十九世紀式の外交的な表現をしているのか。多摩大学がどんな大学かは私には分からないが、外国人として学長になったので日本人の耳に心地よい意見を述べているのではないか。いつか多摩大学の学長に面会する機会があれば、意見を聞いてみようと思う。
 東洋人が西洋人を押さえつけようとする考えは、我々は捨てなければならない。西洋人が優秀でないから私がこんなことを発言するのではない。東洋人と西洋人との対立は禁物である。どこまでも世界平和のために、東洋人と西洋人はお互い尊重しなければならない。東洋人同士も同じだと思う。世界平和は全世界の念願でなければならない。だから良かれ悪しかれ、一つの共通語が必要である。その共通語が英語でなければならないような事情がこの世界にはある。日本語が世界共通語になるわけでもないし、中国語が共通語になれるわけでもない。フランス語も同じだろう。
 早期英語教育を各国で行ってそれを共通語とする一方で、自分の国の言葉は守るべきだ。みな特殊な文化なのだから。英語を習うというのは、アメリカ人の使うジェスチャーまで真似するという意味ではない。英語を早く理解して、各自の分野でそれを共通語として生かすことだ。
 「脱英入米」と言ったら親米派だろうか。そうではない。結局全世界がアメリカのように人類が混じった「合衆国」にならなければ、地球の人類の平和が永久にないと思うから、こんな空想をしているのである。自分の国がいちばんだという考えは、してはいけない地球である。

李殷貴 「弱きが弱きを挫く」(一九九六年二月八日)

 横浜で起こった中学生たちの浮浪者への殺人事件は、今まで見たことも聞いたこともない恐ろしい事件である。いったいどこまでエスカレートするのだろうか。
 「問題児はいない、親が問題なのだ」という言葉がある。家庭から見捨てられた子供は社会からも見捨てられる。こういう子供に何ができるか。親や社会に向かって反抗心と憎悪の念しか持っていない。自信を失った子供にできることといえば、社会に対しての犯罪しかない。彼らがライターで浮浪者の髪を焼いたとき、彼らは何の感覚もなかったと思う。何も感じられない、それが本当にこわいことなのである。たぶん彼らは親の愛を受けていないのだと思う。一生懸命生きる母親を見て問題児になる子供はいない。
 半分は自身の責任で、半分は親の責任だが、まずは親の責任だ。子供のために自分を犠牲にしながら一生懸命生活する親を見て、子供たちは絶対に非行に走ることはないだろう。

李殷貴 「小学校の英語教育」(一九九六年二月八日)

 幼い頃からいろいろなことに接して子供に合う教育をするのも良いことである。しかし、小学校まではたくさん遊ばせるのが、もっと大切なことだと思う。
 アジア人は西洋人と違って、英語を国語としていないから、世界共通語である英語をわざわざ習うのは必須だが、来年から小学三年生に英語を教えるため、子供たちにとってみれば、もう一つ科目が増えることになる。もちろん子供が好きで勉強することではなくて、大人が無理矢理に勉強させるわけである。
 今の子供たちの英語教育は、単語だけで月に二十万ウォンも投資すべきなのだろうか。幼いときに習った英語とはいえ、大人になっても実生活で使わなければ、きれいに忘れてしまうものである。十年間お金と時間を費やして習った英語が、今どれくらい記憶に残っているか。せいぜい単語レベルだろう。中学校からでは遅い、小学校三年生からというのは、余所の国が皆やるからわが国もやるべきだという短絡的な考えで、問題はどうやって教えるかではないだろうか。
 十年間英語教育を受けてきた私たちが、英語を読むことはできるが話しができないというのは、教える方法が間違っているからだと思う。文法ではなくて、会話を主として十年間習っていれば、今のような現象が起こっているだろうか。アメリカの子供が生まれてすぐ文法を習うだろうか。言葉を習ってから学校へ入って文字を習うのである。生活で活用しない言葉は「死語」だ。はたして小学校から大量のお金と時間を投入して教えるべきものなのだろうか。むしろ教える方法を工夫するのが先決だと思う。

■日本人

趙成圭 「日本人は不思議な人々か」(一九九六年二月九日)

 西洋人の目から日本を見たら、分からないことはたくさんあるはずだ。もともと外国というものは、分かりにくいものなのである。『日本権力の構造の謎』という本を読んだことはないが、ある国の権力構造は、外国人にとって不思議だと思われることが山ほどあると思う。
 一九九〇年に行われたアメリカと日本の構造会議で具体的にどんなことが問題になったかはよく知らないが、東京の下水道普及率が低いという話しが出たことは覚えている。どうしてアメリカがほかの山積した問題よりも、下水道のことを問題にしたのか。会議に参加した日本の代表たちは内政干渉と捉えたと私は感じる。
 地球の環境が問題になったのは、一九七〇年代にストックホルムで開催された環境学的な関心から始まったと思う。その会議には日本の代表もいたと思う。そのときから、一九九〇年の時点ですでに二十年が過ぎている。結局二十年もたってから東京では「緑」とか「アメニティ」とか、「快適な生活環境」とかを政治家たちのスローガンのなかに見いだすようになった。
 西洋人の意識の中には、都市の下部構造の虚弱さに対する処置が政治家の具体的な計画の中に入っていないのは、おかしいことだという考えがあり、下水道の不十分な処理は結局世界の海を汚染させることになると考えていたのだろう。教育の程度の高い、そして、地球保全の重大さを認識しているはずの日本なのに、それだけでなく、日本は先進国の一つなのに、都市の下部構造をそれだけしか改良できないのか。世界を相手にして各国と交易をしながら、日本は金儲けをしたと世界は思っているのだ。その利益で日本では全国の道路を舗装したし、また家庭用品や電気製品などを作って国民全体の生活水準を上げることができた。しかしながら、先進国の目から見たら、土地は高いし、住宅も「法外に高い」。ヨーロッパの先進国に入らない「豊かでない国」よりも快適さにおいて劣ると外人たちが思うのも、当然であろう。
 この点で、日本はユニークであり、かつ世界中にあって世界の一部になれない国らしいというのだと思う。一理ある理屈だと私は考える。七大先進国の一つに入る日本が他の先進国と同じ程度になれないというわけである。
 「どんな場合にも普遍的に適合する真理や法則、つまり基本概念や倫理があり得る」という、先進国に必須の基本理念を、日本人は信じていないのか、またはそういう意識が欠落しているのだろうか。日本を批評する国々は、日本がそういう責任ある意識を持っていないということで、「状況適応型」だと主張するのである。何かの事態が起こって初めて対策を考えると見ているわけだ。何かの状況に直面する前に、先進国らしく将来を見通した予想をすべきだと思っているのだと私は考える。

安城完 「現代の男女のあり方」(一九九六年二月九日)

 何年か前、マスコミでは「ユニセックス」という言葉が流行ったことがあった。ユニセックスというのは、男と女とが外見上はっきりと識別できないほど似ていることを言う。
 そのとき人々は、若者たちの一時の流行だと思っていたが、それは絶対、流行では終わらないだろう。最近この社会では、男だけの、または女だけの領域は、どんどん少なくなっている。それは、日本のジェンダー教育を見ても分かるように、意図的に行われている社会運動でもある。
 はっきりは言えないが、文明が発達して我々が住んでいるこの地球が狭くなってきたこともあるだろう。世界の多数の民族が、文化的違いが消え、強大国の文化が中心として広がることだろう。今の強大国はアメリカ合衆国を中心とする、いわゆる西洋であろう。その文化は、男と女の役割分担があまりはっきりしないようである。だから我々東洋もそういう風に社会が変わっていくのだろう。とくに若者たちの考え方は、国を問わず、どこでも同じように変わりつつあるようである。
 男には男らしく、女には女らしく行動しなければならなかったというのは昔話になりつつある。自分がやりたいことは、何でもできるのである。それを咎めるのは難しい世の中になってきた。

■ビデオ

石度淳 「ビデオについて」(一九九六年二月十三日)

 私の家にはまだビデオデッキがない。韓国のビデオデッキの普及率はよく分からないが、大部分の家庭にあるようだ。中三になる息子のために教育放送の番組を録画するため必要になり、すぐにでも買わなければならなくなった。
 どうしてこの文明の利器を備えるのにこれほど遅れをたったのか考え込んだ。まず国内で生産されはじめたときは値段が高かったからだ。その後、他の電気製品と同じく年々大幅に値下がりしてきているが、それでも買わなかった。
 私とビデオデッキとの出会いは十八年ぐらい前になる。海外勤務をしていた頃、忙しい仕事の中でビデオデッキの管理も任された。ビデオがよく故障したので、いちばん新参の私にそうさを任せることになったのだ。他の幹部のためにビデオを点けたり消したりするしごとを仰せつかったのである。
 そのときビデオテープは主にアメリカやヨーロッパのポルノ、いわゆる成人映画だった。自然に私もこの映画をたびたび見ることになった。成人映画は非常に悪い影響を与えるもので、たくさん見ると確かに自己嫌悪に陥るようだ。
 このような、私のビデオに対するよくない第一印象が、ビデオを買うのを無意識のうちにためらわせてきたのかもしれない。
 しかし、ビデオはとても便利なもので、日常生活のいろいろな面で役に立つに違いない。たとえば、 昔の有名な映画を自分の家でいつも見られること、子供のために教育的な番組を選んで録画すること、とくに、外国語のビデオは、正しい発音はいうまでもなく、どんな状況で使われるのかもよく分かり、学習効果が高い。
 産業界でもさまざまな用途で使われているらしい。数年前、防波堤を建設する工事現場で働いていた同僚が、ビデオのおかげで工事が捗らない、と冗談半分に言ったことがある。私は、防波堤の工事とビデオの間に何の関係があるのか、そのわけを聞いてみた。彼の話は次のようなものだった。
 昔は防波堤の水面下の状態は、潜水夫を別に雇い、彼らの報告に頼らざるを得なかった。大部分の工事監督は、自分では水の中に潜れなかったので、潜水夫の報告に基づいて、岩とコンクリート構造物がきちんと設置されているかどうかを判断しなければならなかったという。
 たまに、厳しい監督などは、自ら水に潜って調べた場合もあったが、冬の海は素人には潜れるようなものではなかったという。それで、現場の関係者にとっては、潜水夫に会社側に有利な報告をさせるのは易しいことだった。
 ところが、最近は潜水夫の役目がビデオカメラを持って潜水し、撮影するだけになった。それで工事の間違いが数多く指摘されるようになり、工事がスムーズに捗らなくなったというわけである。実はビデオが、現在社会問題になっている手抜き工事の防止に貢献しているのである。ビデオの発明者や最初の制作者たちは、はたしてこんな使い道まで考えていただろうか。
 たしかに、ビデオはすばらしい文明の利器だ。この利器にも否定的な面はあるが、それには目をつぶって、肯定的に使ってみようと思う。

■日本人は不思議な人々か

 李殷貴 「日本人について」(一九九六年二月十三日)

 日本人は不思議だとは言えない。
 今までに会った人々はたいていまじめで、迷惑をかけないように気を使っており、私の方がすまない気分になったものだ。それに、静かでおとなしく、素直なので、気に入った。会った人が皆いい人だったわけではない。世の中には様々な人々が混在しているものである。
 日本へ初めて行ってみて、驚いた。経済大国、先進国という国の人々の生活を見たら、韓国より素朴で質素で、一円でも二円でも大事にする。それを見て、もう一度私の国、韓国について考えさせられた。
 外国人の目から見た韓国人はどうだろうか……。
 お金があるということで成金の行動を見せるべきか。贅沢をして喧しい、どこにいても目立つ韓国の女性たち。空港でも、ホテルでも、商店街でも、原色の服装の女性たちは、間違いなく韓国の女性だ。
 「韓国人って、原色好きなんですか」と聞かれたとき、私はつい、こう答えてしまった。
 「あの女性たちは飲み屋の女性ですよ」
 実は、四十代の平凡な主婦たちだったのだ。

■会議

石度淳 「会議について」(一九九六年二月十五日)

 会社ではいろいろな会議が開かれている。私も週に五回以上会議に参加している。しかし、実は会議の効果については少し疑問がある。大部分の場合、使った時間に比べて結果が今一つ満足でないことが多いのである。とくに、朝仕事の始まる三十分前から一時間ぐらいの貴重な時間を投資してその日の日常の仕事を話すのは、ちょっと時代遅れではないかと思う。
 非経済的だと思う会議の類型を三つ挙げる。
 第一は、軍隊のような方式で指示と報告が主な内容になって上司の一方的に進行した会議である。これは会議の本質、民主主義的な原則が守られなくて、参加者の意見を整理できない。
 第二は、議題をはっきりさせないで参加者めいめいが自分の考えを発表するものである。ブレインストーミングというのがあるけれども、こういう会議は特別な場合に行われるものだと思う。このようなブレインストーミングまがいの会議にいくら参加しても、時間がもったいないだけだろう。
 最後は、普通上司が読まなければならない書類とか報告書を、盲判を押すために部下たちに読ませて会議をしながら内容を耳で聞くものである。会社の貴重な労働力がそこで浪費されるのはもったいないことである。
 社会生活の中で様々な会議に参加すしたりすることがあるだろう。会議の開催や参加、進行などが、民主的に、経済的に行われる文化が韓国の社会に早く根を下ろすことを望む。

■コンピューター時代

趙成圭 「現代化音痴」(一九九六年二月十六日)

 現代化は多様な不安を伴う。そのひとつに、パソコン音痴がある。
 七十年代の半ば頃からパソコンの出現を予想させるいろいろな現象があった。英語を教えるにも、CAIを呼び出した。コンピューターの発達は恐ろしく速かった。その機種の数も多くなり、その機能も驚くほど早くなった。
 コンピューターの研究と生産というものは、八十年代の末までは、大学生たちとは別に関係がないように見えたものだが、八十九年ごろから、大学生はパソコンの使い方が分からなかったら何か欠乏した学生と見られるようになってしまった。あるものは、「パソコン音痴」、または、「コンピューター文盲 (computer illiteracy)」と呼ばれるようになった。
 学生たちが大学を卒業して社会に入れば、社会の各機関はコンピューターで仕事を進めている。そのため、卒業生は大学で何も学んでいないかのように社会は考え、各企業は、大学は「無力」で「教育不在」の象牙の塔だと考えるようになった。学生たちの専攻がどんな分野であっても、パソコンを使える能力は持たねばならない。社会が優越感を感じながら大学を見下した。就職に便利とか不利という問題ではなく、就職して能率的に仕事ができるかできないかが問題なわけである。
 電子メールが使えるか、インターネットが利用できるかは、今では常識になりつつある。インターネットは、無窮無尽な情報を持っている。インターネットの使い方に明るい人は、誰よりも多くの知識を得ることができる。各分野でこれを使いこなせば、自分の専攻分野でも最大限その情報を利用することができる。良くも悪しくも、現代人はこの文明の利器と付き合わなければならない。パソコンに無関心だった文系の学生は、難しそうでいやだと二、三年前は言っていたが、就職を考えると不安な気持ちが増大してくるのは、自然な現象である。大学は、学生たちにこの動きに対応させるように努力しなければならない。総長とか学長とか、教授たちなどは今までこれを等閑視してきた。しかしこれからは覚醒してこの方向に最大の努力を傾注しなければ、大学の責任を完遂したとは考えられない。また若者たちがこういう世界的な動きに無頓着だったら、その時代音痴を一日でも早く治させなければならない。
 そういう意味で、今学期から延世大の全学生が携帯用のパソコンを一台ずつ所有するように奨励しているのは非常にたのもしい指導だと私は考える。
 宋総長が大学に貢献しているとしたら、それは新しい経営学の建物を建設中だということでもなく、彼が多数の基金を社会から集めたということでもない。この若い総長の貢献は、MISに関する彼の知識を中心として、パソコンの使用を誠意を込めて奨励しているということである。

■「世界化」

趙成圭 「『世界化』という言葉」(一九九六年二月十六日)

 二、三年ほど前のこと。突然「世界化」という言葉を、わが国の大統領が使い始めた。これは、どこかの国際会議でわが国を代表した人の中で英語を常用する外国人が使ったと私は理解している。英語の Globalization の翻訳だった。
 英語の名詞を動詞にしたら、Globalize であり、この言葉は他動詞である。だから何をグローバライズするのか。または名詞のときは、何のグローバライゼーションなのかが他動詞の目的かまたは名詞の次の何のグローバライゼーションなのかをはっきり使わなければならなかった。協力の世界かとか、協力を世界化する程度の、いわゆる目的所有格を使わなければ意味がはっきりしない。
 各分野の指導者たちは、はっきりしない、と言いながらも使わないわけにはいかなかったはずだ。大統領が英語の先生だったら、「何の」または「何を」世界化するのかを明確に言わずにはいられなかっただろう。「世界化」という孤立した言葉を「不審だ」と言いながらも、人々が銘々その言葉を自己流に使うのが「トレンディーだ」なのだろうか。結局、この舌足らずに聞こえる「世界化」を、最初から「企業の世界化」とか「英語の世界化」とか「協力の世界化」などのように意味を補充したなら、誰もそれをおかしいとは思わなかったはずだ。
 現在の世界は国際化だけでは済まない。国際化とは、国と国の間の問題であって、地球を人類が保存しなければならないという切実さにおいて劣っている。
 どのように人智が発達しても、人間はもう一つの地球を創造することはできない。だからこそ、人間は地球を永久に保存しなければならない。先端科学が発達して月の世界とかそのほかの惑星に行って人間が快適に生活ができる環境を創造できる時代が来るだろう。いつかはそのときでも地球の保存は必須不可欠だと私は考える。人類がこのような意識を持って地球の上で平和を保ちうるには、やはり平和の世界化が必要だ。
 ビル・クリントンはそのような意識を持った六、七十年代の「ヒッピー」の一人である。この若い大統領はこんなビジョンを持って「世界人の協力の世界化」を叫んだのだと思う。このとき「世界化」という言葉だけを聞いて、その上の「世界人の協力」を聞き逃したのではないか、とたまに考えることがある。

■ローマ字

趙成圭 「日本国のローマ字論」(一九九六年二月二十二日)

 日本国内にローマ字国字論あるいはローマ字運動が明治時代の初期からあったというのを、私は全く知らなかった。その時代にアメリカではタイプライターが始まった。アンダーウッドのタイプライターが、私の記憶では、アメリカ東海岸の北英州にあるコネチカット州で製作された。日本のローマ字運動の中心人物は、田中館愛橘博士で、日本の地球物理学や航空物理学の育ての親として有名な科学者だったとのことだ。科学者は能率を科学的に考えるから、ローマ字運動は科学者らしい発送だと私は推論する。
 こういう人たちが大正デモクラシーの時代にはもっと多かったと思う。日本文字のローマ字化は全国民の同意を得ることはできなかっただろうけれども、そのような科学的な考え方が結局日本を発展させたと思う。しかし、彼らの主張どおり成功したとしたら、その結果はどうなっただろうか。科学は発達したと思う。
 しかし、詩的な情緒はどうなっただろうか。目で見てイメージを描く詩語は、その底力を見せることができなかったと思う。なぜかと言えば、日本語の詩語には美しい言葉がたくさんあるからだ。
 ローマ字運動の現代的発想は、ある点では褒め称えるべきだと思う。しかし、はたしてそこに日本らしさを見いだせるだろうか。

■南北問題

石度淳 「北に米を送るべきか」(一九九六年二月二十二日)

 今、韓国の民族主義的な知識人と学生は、政府次元で北韓に米の援助を再開せよと訴えているらしい。政府は民間次元の援助を承認したが、北側から再び「南北会談」の要請をしてこない限り、米の援助を続けることは考えない、という立場を表明しているらしい。
 政府の強硬な態度は十分理解できることだと思う。昨年第一次に北に米を送ったとき、北側が起こした事件、すなわち「国旗掲揚問題」と「米運搬船員逮捕」は、とうてい納得できないことである。このような北の行動は、統一を熱望する南の人々をひどく失望させ、彼らの立場を弱めた。一方、統一に慎重であるべきだと主張している政治家などの立場に妥当性があるかという世論を起こしたのかもしれない。
 外信によって北韓の食料の状況は非常に深刻になって今年の秋の収穫まで悪化していくと予測されているらしい。零下二十〜三十度の寒さの中で飢えに苦しむ同胞の惨めな姿が目に浮かび、胸を指すような痛みを感じる。
 北韓政権は、いつも叫んでいる「主体」というスローガンどおり、日本と米国と中国とに食料の援助を物乞いしないで同族の南に謙虚に米の供給を要請すべきだと思う。
 一部のマスコミでは、北韓が蓄えた軍用の食糧を民間に配給したら、今の食糧不足の問題を解決できるはずだと主張している。しかし、歴史的に見ても、最後まで軍用の食糧は民衆に配られなかったということだ。北韓は軍事態勢の国だから、例外のはずがないという。
 私は唯一の対策は、政府が民族のと追い将来のためにまず無条件に米を供給することを、控えめに提案したい。

■発音

李殷貴「発音について」(一九九六年二月二十六日)

 私の記憶に残っている失敗談である。
 まず、英語から。二十五年前、英会話を習っていたときのことである。「好きな食べ物は」と聞かれたとき、私は Snack. と言った。ところが先生は目を丸くして Snake! と叫んだ。
 その後、日本語ではこんなことがあった。
 「あなたのケッセキは」
 私はどう答えたらいいか、戸惑っていた。相手は「血液型」を聞いたのだが、私には「欠席」と聞こえたのである。
 次のは知り合いの話。
 石窟庵についていっしょうけんめい説明しているのに、聞いている日本人たちは、なぜかクスクス笑う。何がおかしいのか聞いてみると、「せっくつ」ではなくて、「セックス」と発音していたのだという。その後、石窟庵の発音は、お客に言わせているという。
 外国語を習うとき、発音も重要だが、それは、神経を使っていると先に進まないし、後でも直せるものである。まずは、私は文章を身につけることをお薦めする。外国語は一朝一夕には修得できない。長い間練習に練習を重ねて身につければ、自然に発音もよくなると思う。学問に王道はない。

李奇羅「『살』ではなくて『쌀』」(一九九六年二月二十六日)

 高校を卒業するときまで、私は一度しかソウルに来たことがない。大学に入るために知り合い一人いないソウルに上ってきたとき、私はかなり強烈なカルチャーショックを受けた。その中でも言葉の違いが与えたショックはずいぶん大きかった。
 キャンパスにはいつも全国各地の言葉があふれており、特に地方出身の一年生が多かった寮にはまるで「言語博覧会」でも開かれているようなにぎやかさがあった。韓国のように狭い国も、地域によってこんなに言葉が違うんだな、と思った。
 言葉について、田舎ものの選択は、二つのうち一つであった。一つは自分の言葉を直してソウル語を身につける「転向派」、もう一つは、かたくなに自分の言葉を守っていく「みさお派」である。私は早々と転向派になってしまったが、友人の中にはいまだに自分の田舎の言葉を使っている人も多い。
 また、本人はいくら一生懸命努力しても発音の矯正が全然できない人もいるらしい。国史学を専攻した釜山東仁高校の同期生二人が国史学科に合格し、一緒に通うことになった。一人は発音にあまり問題がなかったが、もう一人は、どうしても「 、カ 」の発音ができなかった。それで彼はいつも「쌀(米)」と「살(肉)」の区別ができなかった。
  私たちはそれをおもしろがりながら、彼にとっては難しすぎる発音をさせてみたりした。「사람이 쌀을 먹으면 살이 붙고 싸움을 잘 한다」という文を読ませると、彼は常に「사람이 살을 먹으면 살이 붙고 사움을 잘 한다」と発音してしまう。
 同じ釜山で同じ年なのに、どうして二人の言葉が違うのか、当時の私には不思議であった。もちろんその疑問はいまだに解けずじまいである。ただ、洛東江をはさんで彼らがそれぞれ東と西に住んでいたという話と関係があるのではないかと想像している。
■バレンタインデー

 バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は、もともと西洋にあったものではないらしい。しかし、その起源がどうであろうと、現在韓国社会に定着した習慣であることは事実である。あまりに商業主義的な習慣であることは否めないが、それを庶民が受け入れたのは、受け入れるべき理由があったからだろう。ただ、この習慣はかなり新しいものなので、大人の世代からは「好ましくない」という意見が出ている点、以前の日本と同じである。李殷貴さんの文章は、そういう時代の変化を見せてくれる。

李殷貴「バレンタインデー」(一九九六年二月二十六日)

 年が明けて一月が来ると、私 二月は「旧正月」と「満月」という、「正月 대보름」(一月十五日)だったが、最近はバレンタインデーができて、もう一つ行事が増えた。「正月 대보름」の日は、落花生、栗、胡桃、松の実を食べる日だ。
 が、バレンタインデーは、チョコレートを食べる日として定着した。いつ頃だったか、私の記憶には八〇年代からだと思う。日本のある店でチョコの売り上げをあげるために作ったという。一年を通していろいろな日があるのに、さらにバレンタインデーまでできたのかと、私は以前は気に入らないものだった。前は気に入らないものだった。
 しかし、今では会社の女子社員たちが相手に贈るプレゼントをひとつひとつ、感銘を受けるほど大事に作るのを見て、おかしく思った。もし私の二十代にああ言う日があったとすれば、私は間違いなく、相手にしなかっただろう。相手への気持ちを表現するのはチョコだけなのだ。これも時代の変化だと思うことにした。
 もしかすると、今の若い人たちの明るくてかわいい面影を見られてよいと思う。最近の愛の告白は、公にやるもので、ただふつうの行事になってしまった。あまりおもしろいことのない時代に、今の若い人たちのバレンタイン騒ぎも、ひとつのミモノになると思うし、この騒ぎで私たちのストレスがたまることもないだろう。

■パソコン時代

石度淳「パソコンについて」(一九九六年二月二十六日)

 うちの会社は、社員採用条件にパソコンを使えることは含めていないけれど、面接ではパソコンについて質問しているらしい。
 もし若い社員がパソコン音痴だったら、たしかに仕事に差し支えて困るだろう。社内でのパソコンの普及は急速に進行してきており、これからもその傾向は続くだろう。
 この変化の影響は非常に広範囲にわたり、よく把握できないほどである。ただ、回りで起こっている変化に追いつくだけでやっとである。
 現在、現場に資材と経理担当者を二人駐在させているが、本社と現場とをつなぐネットワークが稼働し始めたら、駐在員は一人で十分になるそうだ。そのために余った人員はどのように活用したらいいのかということが問題になった。相当の人たちが会社を辞めさせられることになるのでは、と心配だ。
 世の中の変化はとても激しくて目が回るほどだ。新入社員の時はタイプとテレックスを早く正確に打つのが大事な事務の機能だったから、わざわざ「学院」にも通った。それは英会話や運転と一緒に海外勤務者の三つの必須能力の一つだった。いつの間にかテレックスはオフィスから姿を消し、その代わりにファクシミリが登場した。そして、その後を追うようにパソコンが現れて、タイプライターも不要になった。
 私は何回かパソコンの教育を受けたけれど、実際に仕事でなかなか使わなかったので、忘れてしまい、いまはほとんどパソコン音痴である。四月から改めて習おうと考えている。今回はしっかりと身につけて、個性的に使いこなしたいと思っている。

■異文化交流

石度淳「文化や考え方の違い」(一九九六年二月二十六日)

 このごろは韓国にも帰国子女が増えている。外国に長い間住んでいた会社員の子供や、移民して戻った家族の子供、共産主義の中国とかロシアなどから永久帰国した同胞の子孫などが暮らしている。彼らは韓国の生活で今まで身につけた外国の文化や考え方と伝統的な韓国の価値観とにぶつかったことがあるはずだ。
 文化や考え方の違いで起こる摩擦は、時には当事者の人間関係を回復できないほど悪化させることもある。とくに、新しい文化の社会に飛び込んだ子供たちの場合は、葛藤や絶望が大人の場合よりも深いと思う。
 文化の背景が違う人たちがつきあうと、最初は共通点を発見して「人間は根本的に同じだ」と考えて喜ぶ。それから、時間がたって少し親しくなったと思った頃、何らかの問題にぶつかって相手の納得できない考え方と行動に触れてがっかりする。
 どうして人間は違った考え方と文化に出会ったとき、受け入れようとせずに批判する傾向があるのだろうか。もしかしたら、皮膚が最近などを防ぐように、自分の文化と考え方を守る本能があるのかもしれない。
 私は韓国人として一つの民族と言語の社会に育ち、違った文化や考え方に接したこともなく、また、それを認める訓練を受けたこともないまま海外勤務を始めた。同じ国で様々な人種が一緒に暮らし、たくさんの言葉を使っているのを見て、不思議に思っていた。
 現地の人たちから心が狭いとよく言われた。いつも楽観的な見方を持っていた彼らの意見に基づいて上司に報告したのち、仕事がその通りに行かず叱られることが多かった。反面、正しくない情報を提供した現地社員を叱ろうとしたとき、反発が激しかった。彼らの文化には、重い罪を犯した場合以外、叱ることはほとんどないということを、後になって知った。とても楽な文化だと思った。結局、現地の人から「奴隷監督」というあだ名を付けられた。
 今、国際化の時代に入って多様な部下や考え方に接することがだんだん多くなるはずだ。ある西洋人から、「我々にはほかの文化を批判する権利はない。ただ受け入れるのみである」という言葉を聞いたことがある。韓国の社会でも、自分のものと違った文化などを認めようとする態度が望ましいと思う。

■日記

李殷貴 「日記」(一九九六年二月二十九日)

 多忙な蜜蜂に、悩んでいる時間があるだろうか。蜜蜂には日記もいらないだろう。うらやましい限りである。一日中くだらないことを考えているより、その時間を「行動」で埋めたい。
 私の記憶に残る日記は、小学校三年生のときから六年生のときまでの日記をまとめて一冊にしたものである。しかし、それも二十九歳のとき火にくべて燃やしてしまった。
 幸せな人は日記はいらないと思う。そうしたら、不幸な人にだけ日記が必要なのだろうか。自信を持っては言えないが、多分そうだろうと思う。手紙より電話の時代になった昨今、私も電話料金を月に五〜六万ウォン払っているけれど、今日記を書いている人は、何パーセントいるだろうか。
 二十年前までも卒業のプレゼントに日記帳をあげたりもらったりしていたものだ。
 時代の流れとともに世の中はスピードを増し、面白い現象が出てきた。ファックスによる手紙だ。瞬時に手紙が相手に届く。日記もコンピュータに入力し、ノートも鉛筆もいらない時代になった。これも良いことなのか、あるいは悪いことなのかは私にも分からないが、日記はできるだけ書かない方がいいと思う。どうしてかと言えば、日記が必要だというのは、悩みが多いという意味ではないのだろうか。三〜四〇代の主婦たちの日記の厚さはいかほどか……。

■発音

石度淳 「発音について」(一九九六年二月二十九日)

 きのうの授業で、日本語の発音について書いてあるプリントを読んだ。その筆者は、私がこれまでぼんやりとしか知らなかった発音の問題を、おもしろい事例を挙げて明快に説明していた。
 私が大学を卒業して就職したとき、英会話を習い始めた。当時世間で評判の良かった、SDAという、米国の宣教師が運営する英会話学校に登録した。プレースメントテストのインタビュー試験で、「韓国の川の中でどれがいちばん長いか」と質問されたが、英語を母語とする人の river という発音が聞き取れなかった。当時はまだ正しい「r」の音を聞いたことがなかったのである。
 そのころは、カセットテープレコーダーが普及していなかったし、駐韓米軍の放送はレベルが高くて役に立たなかったし、正しい英語の発音に接する機会があまりなかったのである。学校の英語の先生も、発音についてとくに重要視しなかった。私自身、平素正しい音声で訓練されたことなどなかった。そのため、あんな簡単な質問も聞き取れなかったのである。
 私は、英語の発音に弱く会話もたどたどしい人たちのクラスに入れられた。一つ一つの単語の発音は少しは矯正され、通じるようになったが、イントネーションが絶望的だった。上級クラスの先生は、音声学を専攻した若い女性で、最初の授業で私に少し長い文章を読ませ、しばらく考え込んだ後で、「ソクさんの英語は英語に聞こえない」と言った。
 彼女はアイルランド系で、血の気の多い女性だった。相当な情熱を持って私のイントネーションと発音を改善しようとしたらしい。五線譜まで書いて練習させたが、私のひどい音痴は治らなかった。私はそれほどまでに発音を強調することに疑問を持ち、彼女に反発した。貴重な授業時間には、発音よりももっと豊かな会話の表現を学びたいと言って、彼女を怒らせたこともあった。不屈に見えた彼女も、「ソクさんに正しい発音を教えるより、私がソクさんの変な発音とイントネーションに慣れる方が易しいみたいね」と冗談めいたことを言ったこともある。しかし、確かに私の発音は改善され、英米人にも通じるようになった。
 もう一つの経験は、私がスーダンで働いていたときのことである。
 取引先のところを訪ね、帰るとき、相手が私を自分の車で送ろうとして住所を聞いた。「Burry」と言ったが、相手は全然分からないようだった。彼は親切に職員全員を呼んで私に何度か発音させてみたが、誰も分からなかった。結局その町の名が相手に分かったとき、みんなが一斉に私の言った単語を叫んだ。
 話しのオチは、アラブ人は有声音と無声音の区別が厳しく、少しでも違うと別の単語になってしまうということである。
 もちろんそのとき私の「b」の発音は、英米人には区別できるくらいだったと思う。息を吹き込んで腹の下を緊張させ、声帯を最大限に振動させながら吐き出す、その有声の「b]を、何度も練習した。道に迷ったとき家に帰らなければならないから、必死である。
 外国語の習得で、発音は重要な前提である。そのことにもっと関心を向けるべきだと思う。むかし、外国語の読み書きは崇拝していたが、話すのは軽く見ていた先生がいた。その先生のおかげで矯正がほとんど不可能に近いほどひどい発音をしている人も、まだたくさんいるかもしれない。

■教育

李殷貴 「子育て」(一九九六年二月二十九日)

 ある友人は、自分は教会へ行かないのに、子供は教会に通わせている。
 私は彼女に聞いてみた。
 「どうしてそんなことをするの」
 彼女は、こう答えた。
 「私一人の力でできないことも多いじゃない。それで神様にお願いするのよ」
 母親というのは偉大な存在である。女性は子供を産むと、そのときから怪力が出るとも言われている。子供のためには何でもできる。
 とくに、韓国のお母さんたちはすごい。入学試験のとき、お寺や教会などで夜通し祈り続ける姿を見ると、なるほど韓国のお母さんは世界中のどこの国にもいない女性だ、と感嘆するばかりだ。
 しかし、悪く言えば、彼女らは、自分の子供のことしか知らないのである。
 日本の親の「人に迷惑をかけるんじゃないよ」という口癖は、韓国でも有名だ。それに比べて、韓国の親は、子供が出かけるとき、「弱気になるんじゃないよ」と言う。
 食堂など人が集まる場所に行くと、子供がうるさくて、もう二度と行きたくないと思うほどだ。大人たちはどこへ行ってしまったのか。
 そういう子供たちは、学校では勉強しかしない。そして「自分がこの世でいちばん偉い」と、自信満々で鼻持ちならない態度をとるのを見るたびに、うんざりする。

■異文化交流

趙成圭 「多様さの尊重」(一九九六年三月四日)

 むかしは、日本の女学校に通った女性たちは字が上手だった。私はそういう人たちの字に接して驚嘆したことが幾度もある。
 彼女たちは女学生のとき、習字の時間もあったと思う。上手に書かれた手紙を読んでいると、心が落ち着くような気がする。ただ、そういう女学校を卒業した人々は、まるで字を通じて価値観の統一化を図っているようである。あのときの師範学校や高等師範学校を卒業した先生は、全人教育の中で字を上手に書くことを強調していたのではあるまいか。つまり、筆跡というのはその人の人格の表れである、と。そのような時代には、下手な字というのは軽蔑の対象だったに違いない。
 最近の日本の学生たちが、ひと昔前までのように上手できちんとした字を書いているかどうかは、私は知らない。しかし、国民教育が完璧な国だから、今でもそうかもしれない。
 しかし、現代の日本には、価値観の多様性を認める社会的雰囲気があると考えられる。価値観の統一を主張していた軍国主義的な時代ですら、日本人の中に自由主義を守った人も多かったのを私は記憶している。自由主義や民主主義の影響もずいぶん続いているのだから、下手な字を書く人も市民権を得てきているはずだ。
 二十一世紀は、地球の人々が相互尊重せねばならぬ平和な時代だから、価値観の画一化は危ない点が多い。個性を認め、個性を持った人が他人に迷惑をかけることがないならば、そのときこそ社会はいい方向にむかっているのである。危険なのは、民族全体が価値観の多様性を認めず、人の心を傷付けるようになり、右翼の過激派になったりファシストになったりすることである。
 このような現象は、十九世紀の半ば頃から二十世紀の半ば頃まで続いた「自明な運命」という帝国主義的な傾向があった。自国より弱い国に「皇恩に浴させよう」とした。強大国だった西洋諸国は、自分より未開な国が自分たち白人の負担だと名乗りながら、文明の恵みを与えて開化させようと努力した。こういう発想を日本が西洋から学んだのだとは思わない。自然発生的な現象だったと考える。日本は、そのような同一化を親切だと思いこんでいたようである。
 今更私は十九世紀から二十世紀のある時期の間に起こったことを批判しようとする心構えはない。ただ主張したいことがあるとすれば、それはある民族が価値観の統一によって個性を無視し、別の民族に何かを強要するようなことは、二十一世紀にはあってはならないということである。平和は人類の永遠の願望だが、平和を口にしながら平和とは関係ない現象の尊厳を認めあおうとする考えが■んでいるのではだめだと思う。
 全世界は、いわゆるメルティング・ポットではない。望ましいのは、サラダボウルである。いろいろな野菜がそれぞれの形を保ったまま入っていて、形も色もそれぞれ違うのだが、それが全体としては見た目もよく、栄養の良い自然食品にもなる。全世界の国々は、相互に仲の良い同伴者でなければならない。そうでなければ、地球がたまらないからだ。論ずるのは易しいが、実行は難しい。しかし、教育を通じて各国は自国の利益だけを考えずに相互尊重をしなければならない時代が、二十一世紀である。平和な意思伝達が望ましい。興奮するのはとくに悪い。字は、上手でも下手でもよろしい。
 合理的な理論が分かる時代に人類は共に生きているのだ。主張したいことがあったら会議を通じて静かに解決しなければならない。政治家たちは、そのような知恵に未だ到達できないような印象を与えている。これはどの国でも同じことと思う。自分の政治能力を誇示し、それによって人気を得て、自分の位置を固めようとするのではないか。
 私の考えは、ここまで来ると脱線する恐れがある。しかし、近い国との関係がいちばん先に頭に浮かぶ。日本は、韓国との外交において成功できれば、全世界での外交に成功する。そう考えても、考えのない主張ではないだろう。

李奇羅 「目立つことの大事さ」(一九九六年三月五日)

 寒くて長い冬も終わり、いよいよ春の到来である。
 都会の人たちに、何よりも早く春の訪れを知らせてくれるものがある。
 それは、女性のファッションである。町はまるでパステルの絵のように、きれいな服を着た女の人たちで彩られている。とてもきれいだ。
 しかし、この美しさが皆同じだという点が、どうも問題である。
 季節の変わり目になると、様々なアパレル会社や化粧品会社は競って広告をだす。「今年のテーマカラーはこれです!」と朝早くから夜遅くまで、ひっきりなしに女心を刺激するコマーシャルを流す。
 女性たちはその刺激に無防備状態になってしまう。自分からトレンドを作り出すことはできないまでも、トレンドに遅れてはいけないと思うのが、普通の女の心理だからである。
 ミニスカートが流行っていると、みんなミニスカートをはき、ロングスカートが流行っていると、みんなロングスカートをはく。いわゆる「規格化」、「画一化」である。大した理由もなく、ただみんながそうしているから、とか、自分だけが時代遅れになるのはいやだから、など、つまらない理由があるだけである。
 ある知り合いの男性は、そのような傾向を、「独立心の不足」という言葉で説明できると言っていた。奇麗に見せるのを真似する、模倣精神に加えて、自分が他人と違っていて目立ってしまうことを恐れる心理があり、つい、流行の波にまきこまれてしまうのだというのが、彼の話である。
 しかし、女性に独立心が足りないから宣伝や他人の話に乗りやすいのだと割り切って説明できるものではない。女性だけではなく、韓国人のほとんどが、他人に目立つことにネガティブな反応を見せる。政治的、社会的に困難な時代を過ごしてくるうちに身につけてしまった一種の処世術かもしれない。出る杭は打たれる、である。
 九〇年代に入り、社会も人の意識も、ずいぶん変わった。「目立つ」ということの価値を認め始めたのだ。
 自分と違うものを受け入れることから、ほんとうの人間関係が生まれる。その変化の主役は、若者たちである。
 大胆さ、自由奔放さ、明るさを大事にし、彼らが作り出す新しい世界。それを私はワクワクしながら待っている。もちろん私もその仲間に入れれば、もうこれ以上のものはない。

■教育

石度淳 「子育て方針」(一九九六年三月四日)

 子供をどう育てたらいいか。親なら誰でも考えていることだろう。私もそれに対して長い間考えているのに、まだ答えが出てこない。もちろん世間には、いろいろ子育ての方法について書かれた本はあるけれど、どんな方法が自分の子供に当てはめられるのかは分からない。
 私が息子に厳しい躾が必要だと考えると、妻は、もっと愛情を示してあげた方がいいと主張して、口論になることが多い。妻は若い母親のように子供を自由意志に任せて育てるのがいいと思っているのかもしれない。反面私は、中学校と高校のと聞きソクを守り、自分の生活をきちんとする習慣を身につけるのが、息子の将来に訪れる困難と闘うのに役に立つと思っている。
 韓国の若い母親は、先進国、とくにアメリカで子供を自由奔放に育てると聞きかじっているようで、厳しいしつけに関しては等閑視するのかもしれない。私の知り合いは、自分の息子がアメリカの私立中学校に入って規律の厳しさにびっくりしたと言っていた。
 自分勝手な我々の次の世代と、日本やアメリカのよく訓練された同じ世代と国際的に競争したら、結果は明らかなはずだ。
  私は、理想的な子育て方針は、韓国の国是である「弘益人間(弘く人間を益す)」だと思う。これは二つの教えを含んでいる。
 まず、神を敬うこと。思春期を過ぎて青年期に入る頃、子供たちは、自分の夢が実現できないものだと感じることがある。そのとき自分を作った神を探して交際を始めることを学ぶべきだと思う。
 もう一つは、人の助けになることだ。自分の問題で悩んでいる人が、他人のことに関心を持って助けると、自分の悩みが自ずと消えることは、精神科医によって確認されている。つまり、人を助けるのは、すなわち自分を助けることになるのだという。まさに、情けは人のためならずである。
 こう言った二つの教えは、不思議なことに、キリストの教えと一致する。私はこういう生き方をしてこられなかったので、子供には、充実して意義のある人生を送ってほしいと強く望んでいる。
 しかし、子供も完全に独立な個体である。両親の影響にはどうしても限界がある。

■仕事の仕方

李奇羅 「えせ完璧主義者」(一九九六年三月五日)

 えせ完璧主義者。
 私は自分の性格を、そう言い表したい。
 完璧主義に似ているが、ほんとうの完璧主義者ではない。それは、精神的な悩みと、現実的な行動との間に、ある種の大きなギャップがあることを意味する。
 精神的な悩みとは、仕事を受け持ったときから感じる不安や気の重さである。失敗するのではないか、うまく行くだろうか。そんなことを仕事を始める前から心配し、イライラする。
 もちろん、完璧にやってほめられたい、という幼稚な望みなのである。きちんと基本から始めた方がいいということは承知しているのだが、実行はとても難しい。百パーセントのエネルギーのうち、九十パーセントは悩むことに使われ、実際の仕事に使うエネルギーは、せいぜい十パーセント程度。だから、結果は期待通りにいかないし、あまり見栄えもしない。それでまたがっかり。まったく悪循環だ。
 しかし、私は完璧主義者の「功」を重んじる。任された仕事を、責任を持って完璧にしようとする心構えこそ、仕事をする人にとって大切な姿勢である。最善を尽くしても起こってしまう失敗やミスはあるはずだ。それをできるだけ減らそうとする努力があってこそ、完璧さに一歩一歩近づいていけるのである。
 「実行は大雑把に、悩みは完璧に」
 これは、えせ完璧主義なのに、本物の完璧主義が悪いのだと思われている嫌いがある。
 完璧さを追求する姿勢は、人生をより価値あるものにするために必要だと思う。ただし、実行の伴う完璧さを追求することだけが、真の健全な完璧主義となる道ではないだろうか。

■危機管理

趙成圭 「備えあれば憂いなし」(一九九六年三月八日)

 「悲観的に準備し、楽観的に実施せよ」。これは、危機管理の基本だそうだ。その準備が実際において実施する必要のない場合は多い。それはそれで結構。悲劇的な危機状況に見舞われなかったのだから、それでも非常時のために準備態勢がきちんと整っている個人と社会を持った国は全体的に一流の国だと思う。危機が到来したときかまたは何らかの悲劇的な事態になって世界を驚かせるというのは、準備が不足しているときだ。たとえば、十七世紀の中頃、ロンドンの大火災みたいのが起こらなくてすんでも、大火災の際の消火設備は十分に整っていなければならない。だからといって関東大震災みたいな、もしくは昨年の阪神大震災のようなものは、予期することが出来なかっただろう。このような自然発生的なものは、どう対処すればいいか、誰にもよく分からないと思う。
 しかし、戦争のような事態は起こらない方がましだが、世の中には戦争をやって武力で相手を倒そうとするものもあるだろう。しかし、火災や経営、全世界を相手の貿易なども、常に順調に行われるものではない。だからこそ「備えあれば憂いなし」という言葉があるのだ。
 米国のある小説家の冷静な考えの中にも、このような危機の■■があるらしいが、この人は建設的に、非常事態に備えることを主張したのではない。世の中には人間を狙ういろいろなことを含んだ虚無主義的な思想がある。それで彼は暴力がいつも潜んでいるという事実だけを伝えようとしたのかもしれない。
 「生きるということ」を書いた島崎敏樹は、ニヒリストのごとく逆説的に「喪失」を強調しているかのように見える。しかし、喪失が人生の重要さや人間愛の重要さをめざして人生を肯定的に考えることが重要だということを、我々に気付かせようと努力している。
 不幸を知らない人は、幸福のありがたさを知らず、かえって不満を持っている。自己中心で、人々に対する同情もあまりない。このような人間は、人間として未完成である。そんな人間は、口では「人間愛」を叫んでいても、実は一人の人も愛していない。一人の人間を愛する具体的な事実は、漠然と人間を愛せよという口先のモットーとは全然違う。喪失感を強く感じ、宇宙の心理に目覚めるのが人間らしい人間になり、空の星が美しく見え、究極的には人間の生命の神秘と尊厳を悟るのである。
 「悲観的に準備し、楽観的に実施せよ」とは、生命の尊厳を保つためなのだ。

■字

李殷貴 「下手な字」(一九九六年三月七日)

 私は今まで、字が汚いため恥ずかしい思いをしてきた。五人の兄弟の中でも友達の中でも、私より字が汚い人は見たことがなかった。それで、学生の時に手紙を書いたことがなく、私以外に誰も見ない日記を書いていたぐらいである。
 卒業後、ある友達がブラジルへ結婚していったとき、手紙を書いて送った。返事が来るまでの私の胸は、ドキドキしていた。彼女はあきらめたのか、私の字については一言も書かなかった。それが余計に恥ずかしかった。その友達から一度、字が汚いことを指摘されたことがあるからだ。
 どうして私の字は汚いのだろうかと考えたこともあるし、周りの人々の字とその人の性格などについても考えたこともある。結論は、まともな字の人はまじめな人が多いということだった。
 私は、履歴書も書きたくないくらい強い文字コンプレックスがある。いつごろから字が汚くなったのか、字を書くときはどういう心構えをすればいいのか、私ときれいに字を書く人とを較べてみたことさえある。二番目の姉と、字だけでなく、性格まで似ている。不思議なことだ。個性が強すぎるのだろうか。
 字はその人を物語ると言われる。それで、字を書くときは気を使うのだが、そうするとかえってぎこちなくなってしまう。それに、書いているうちに、元の汚い字に戻ってしまう。
 最近はもうきれいな字はあきらめた。しかし、気が付いたときは丁寧に書くように気を付けている。世の中には、善悪の基準はないという。世の中のすべてが完全であるというわけにはいかない。それでも字をきれいに書きたいというのが、私の望みである。

■作文

石度淳 「作文について」(一九九六年三月七日)

 私は学校で文章の訓練をとくに受けたことがない。中・高校のとき、論文などという科目もなかったし、大学の受験にも小論文がなかった。
 昔は韓国にも科挙の制度があって、試験は詩とか文章などを作らせるものだった。それで我々の祖先は文章力を尊重した。私が師と仰いでいる友人から、人の知的能力を試す方法に、作文をさせるのがいちばんいいと聞いたことがある。
 ところで、文章力を伸ばすには絶好の、中・高生の時期を逸した私は、作文といえば、社報に簡単な読後感などを書いてくれと頼まれただけで重圧を感じるほど作文が苦手なのだった。
 その私が最近は、韓国語ではなく、なんと日本語で、週になんと四回も作文をしている。文法の間違いは言わずもがな、語彙や表現力の足りない私が作文の宿題をしている様子は、ずいぶん大袈裟なものである。机の上に辞書三冊、何冊かの語学堂の教材、「体系日本語会話」の初級編と中級編などが広く置かれ、その中で私は四〇〇字詰めの原稿用紙二枚くらいの作文をするのに、二時間以上かける。
 家内はその光景を見て、「偉い学者みたいね。そんな短い文章を書くのに、こんなに時間をかけてるってことは、今のレベルが少し高すぎるんじゃないかしら」と言っていた。
 毎回、題を書いてからなかなか内容が浮かばず苦しんだ。しかし、やっとこさ書き上げた文章を何度も読み返しながら、成就した喜びも味わったものである。
 本当に作文の苦労が報われるのは、直してもらった作文を帰りの地下鉄の座席でゆったりくつろぎながら読む時である。
 きれいにワープロ打ちされた私の文章の校正を見ながら、急に、若いころ水彩画を習ったことを思い出した。絵の先生は、私に何時間もかけて絵を描かせたあと、私が描き上げたものにじかに筆を入れて直してくれた。たった何筆か入れただけで、私の絵は見違えるほど素晴らしい絵になった。
 そのように姿を変えた自分の文章を読むのは、実に楽しいことである。