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From かえる( Mail ) To ijustat@chance at 2004 09/21 14:51 編集 返信

ラド・インターナショナル カレッジ

世界的言語学者Dr.Ladoの創立した英会話学校。あらゆるLife Styleに対応した学習スタイル「インタッチ」を2003.11に発表しました。

From 氷雨( HP ) To ijustat@chance at 2004 09/20 16:33 編集 返信

不快??

ijustatさん こんにちわ 氷雨です

先週は”延高戦”でした。
ijustatさんもご存知かしら?
私も今学期が最後なんですから
もう二度と観る機会がなさそうで。。

んなことよりタイトルなんですけど
元は愉快ではなかったと書くはずでしたが
タイトルは短いほうがいいんじゅないかなと思って

ATM(現金自動支給機:これ、日本語ではなんですか?)
の前で順番を待っていたら
前の人が日本人だったのか、日本語でATMの操作をしていました

それで後ろから覗くと画面に
”今、処理中しています”と浮かんでいるのでした。

なんだ。 処理しています とか 処理中です とか
処理中していますってのは一体なんだ。

韓国でわざと日本語でATMを操作する人がいかに少ない
とはいえそんな些かなところを疎かにするんだって
別に”愉快ではありませんでした”

見間違ったのかもしれないので
今後、その画面の写真を撮って該当銀行へ告げないと。

ではでは

To kats at 2004 09/16 12:04 編集 返信

電子手帳

Kats様、こんにちは。

またまた補足・訂正しなければならなくなりました(汗)。もしかしたら、Katsさんの持っておられる電子辞書では、私が主張している内容を理解できないかもしれません。

そこに入っている韓日・日韓辞典は、“メトロ”ではなくて、“프라임”ではありませんか。もしそうなら、それはいい辞書です。私が指摘した単語の訳し間違いはありますが、それ以外は全体的にそつなくできています。特に“프라임”で評判がいいのは日韓辞典の方です。

聞くところによれば、電子辞書の日韓・韓日辞典としては、民衆書林の“엣센스”も出ているということです。あの辞書も、いい辞書です。語釈が古いという批判はありますが、両方の言語に通じた人が訳しているという安定感が、例文の訳からにじみ出ています。

そういうわけで、電子辞書に入っている韓国語の辞書は、多様になってきているようなので、私が主張したことは、徐々に意味を失っていくような気がします。^^;

To Kuroneko at 2004 09/16 01:45 編集 返信

RE:お久しぶりです

kuroneko様、書き込みありがとうございます。

今年の暑い夏以来、どうも気分が減退していて、ほとんど何の実りもない毎日を過ごしています。

お話の本は、とても面白そうですね。私も英語が楽に読めるようになったら、ぜひ読んでみたいと思います。日本に住んでいる人の場合、この本は次のページで購入できるようです。ここで本のあらましを知りました。↓

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0670870951/qid=1095253716/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-6239828-8813923

実りの薄い毎日ではありますけれど、英語を読むことに関しては、徐々に楽になってきているようです。私の場合、発音をきちんと学ぶことから、読解力向上への糸口がつかめました(訳さないので、“読解”と言えるかどうか分りませんけど)。あとは、“自分の好きなことをする”という原則に従って、ギリシャ語の復習を英語で行ったのが、功を奏したようです。

先日、種田輝豊氏が『20ヵ国語ペラペラ』の中で(p.29)、中学2年生のときに読み上げたという“Fifty Famous Stories”(James M. Baldwin著、YBM시사영어사)が、アパートの階段下の、新聞や本などを捨てる場所に捨てられていたので、拾ってきて読み始めました。私は本をパラパラと拾い読みすることは以前からよくありましたが、最近は、本の拾い読みまでするようになってしまいました。

この本、実は今まで読みもしないくせに軽く見ていたのですが、実際に読んでみると、なかなか語り口が子気味よく、読ませる文章です。中には人口に膾炙しすぎて陳腐に感じるものもありますが、初めて読む話も多く、けっこう楽しめます。

それにしても、種田氏がこの本を中2で読んでしまったという事実には、本当に驚きです。私がもしこの本を中学生のころから持っていたとしても、とうてい読めなかったでしょう。多分、読めるようになったとしたら、それは高2か高3ごろではなかったろうかと思います。それも、辞書をさんざん引きまくり、1篇読むたびに、へとへとになって……。

初歩ながら、英文を読む味わいを感じるようになったのは、実はパソコンソフト(Sound it! 3.0)を使って英語の音声が自由自在に観察できるようになってからなのです。英語の持つリズムが単語の連続をどのようにまとめているのかが、ある程度理解できるようになってはじめて、文章の調子がつかめるようになってきました。

読みながら、まだ調子のつかめない部分もよく出てきますが、それは私にとって、韻律的に難解な部分なのです。そんな部分では、以前英文を読むときに感じていた何とも味気ない気分を、また味わうことになります。そういう場所は、語彙的にも文法的にも簡単な場合が多く、字面の意味は難しくないのですが、文のリズムがつかめないために、どんよりと曇って見えるのです。このように、韻律的に難解な部分があるのは、まだ私の中に英語の音声資源が足りないからです。今後それを少しずつ減らしていくために、英語を細かく聞く作業を、これからも続けていきたいと思っています。それにしても、今から考えれば、高校生のときは、ほとんど全部が自己流で調子をつかめず、韻律的にも、“難解”というより“不明”といった方がいい状態でした。それでかどうか分りませんが、高2のときに英語の勉強に没頭していたにもかかわらず、ついに英語に魅力を感じられませんでした。

まあ、たいていの人は、英語を読むために私のような方法は取らないでしょう。なぜこんなことをしているかというと、韓国語を学習した先例があるからです。韓国語の学習は、今はどうか知りませんけれど、以前は、韓国語の発音は難しいからたくさん練習することが必要だという考えが中心でした。そして、韓国語の学習書は、本当に発音の解説が丁寧だったのです。それらの学習書を通して、初めから発音・韻律に神経を使って韓国語を学んだ結果、発音が複雑に変化するにもかかわらず、だんだん聞き取れるようになり、のちには、読めば読むほど聞き取りも向上しました。そういう体験が、英語をやり直そうと思い立った私を、発音中心の学習へと突き動かしているのだと思います。

いつの間にか私にとって、第1外国語と第2外国語が入れ替わり、最初に習い始めた英語が第2外国語になってしまいました。そして、学習に使用している媒体は違いますが、こうやって、韓国語学習で得たエッセンスをもう一度追体験しているのは、面白いことです。幸いなことに、韓国語が伸びたように、英語もまた、少しずつ伸びてくれています。ただ、韓国語では用例をカードに採ったんですが、英語でもそれをやらないと駄目でしょうかね(蒼)。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 09/15 18:01 編集 返信

お久しぶりです

こんにちは、kuronekoです。

8月以降、色々と忙しく、返事が出来ないまま、時が過ぎてしまいました。申し訳ありませんm(__)m

最近の僕の語学状況は、、、仏語は趣味の雑誌を読む程度、英語はここのところ小説ばかりを読んでいたので、気分を変えて、歴史もののドキュメンタリー(Antony Beevor,STALINGRAD,PENGUIN BOOKS,2001)を読んでいます。第2次大戦の独ソ戦のターニング・ポイントとなったスターリングラード市の攻防戦を扱ったものです。ハードカヴァーは1998年に出版されているようですね。

また時間ができたら書き込ませていただきます。
それでは、また。

To kats at 2004 09/13 08:34 編集 返信

流暢さと正確さ

Kats様、こんにちは。

ちょっと補足します。今までの議論を読み返してみると、Katsさんは入門から初級における学習に限って論じておられるのに、私は外国語学習全域に話をずらして、議論をぼかしてしまっていたようです。つまり、Katsさんは、外国語学習初期において重要な、流暢さを得ることを念頭に置いて話を展開しておられましたが、私はそこで正確さを高める方略に対する言及が欠けていることばかり考えていました。

『より良い外国語学習法を求めて』(竹内理著、松柏社)に、次のような記述があります。

>もう一点注目すべきは、(注:外国語学習の)成功者たちが、初期から中期においては「正確さ」よりも「流暢さ」を、中期から後期においては「流暢さ」よりも「正確さ」を重視する傾向を示していることであろう。初めのうちは誤りを気にせず、内容やその伝達を重視して話す。しかし、ある程度「流暢さ」が達成されたのちは、「正確さ」を追及する。(p.152-153)

この箇所は、すぐに続けて「そうしなければ、いつまでたっても、正しい形式で情報の十分な伝達を行うことが可能にならない、というのが彼らの考え方の公約数のようである」と述べているように、学習後期の「正確さ」を強調して書かれていますが、むしろ私が目を引かれたのは、初期の「流暢さ」です。実に、多くの日本人学習者は、初期から「正確さ」に神経を使いすぎるあまり、自ら萎縮して学習効果に制限を加えてしまっています。私も考えてみたら、韓国語の勉強を始めたころは、間違いは人の常と割り切って、正確に話すことよりも、とにかく話すことに重点を置いていました。だからこそ伸びたのであって、最初から正確さに心を奪われていたら、途中で挫折していたと思います。

このように、外国語学習で求められるものに、「正確さ」と「流暢さ」という一つの対になる概念があります。これに関して、以前日本語教育の本で読んだ内容に、日本語教師は学生の「正確さ」を重視するけれども、日本語学校のオーナーは学生の「流暢さ」を重視するという話が載っていました。私はそれまで、「流暢さ」をほとんど意識せず「正確さ」にばかり神経を使っていたので、その記述は新鮮でした。

そこで、私なりに整理をしてみたいと思います。外国語学習(または教育)にかかわる人には、1)学習者、2)教師、3)母語話者が考えられます。ここでは、会話学校のオーナーは度外視するとして、まず学習者は一般に、正確さよりも流暢さを求めます。それが学習初期においては健全な態度でしょう。そして教師は、私を含めて多くの人がそうであるように、正確さに非常に敏感です。意外なことに、母語話者の教師よりも、非母語話者の教師の方が、正確さを強く意識するようで、それが会話能力の評価に出てきます。そして母語話者ですが、母語話者がなぜ外国語学習(または教育)にかかわっているかというと、その外国語を習った人たちが実際に相手をするのが、たいていは母語話者だからです。で、母語話者は、もちろん流暢さを評価する人もいますが、たいていは正確さの方が目に付きやすいので、正確さに神経が行っていると思います。(本当は、本国で学ばない「外国語」と、本国で学ぶ「第2言語」とを区別し、意識的・組織的な作業としての「学習」と、自然・無意識な「習得」とを区別するのですが、私が関心あるのは、あくまでも、おそらくKatsさんと同じ「外国語」の「学習」なので、「外国語学習」で通そうと思います。)

初期においても「正確さ」は重要ですが、ある程度は「正確さ」と「流暢さ」とに相関関係があって、伸びの速い学生は、その話す日本語も正確だし、伸び悩んでいる(つまり流暢でない)学生の日本語は、たいていは間違いだらけです。だから、学習の初期段階では、正確さに気を取られるより、流暢さに重点を置いて、語彙を習得し、文法を習得すべきだという結論になります。

つまり、外国語学習の初期段階では、流暢さの獲得がだいたいは正確さの獲得になるわけです。それが、中級に入るあたりから、語彙や文法に複雑で精密なものが増えてくるにしたがって、初期の学習では難しくなってきます。そのころから、正確さを得る方略が必要になってくるはずです。しかし、外国語学習でいちばん大きなエネルギーを使うのが、学習の初期段階です。だからこそ、流暢さの獲得を強調するKatsさんの方略は、尊いものです。

実は、先日、1ヶ月前に注文しておいた『沖縄語の入門』(白水社)が手に入って、読んでみました。最初は同族語だから楽だろうと思ったのですが、形態論が難しいのは韓国語のときと同じく、途中で読み進められないほどきつくなりました。そこで、巻末の単語集をまず通読しました。日本語との音法則で説明が付くものが大部分で、その中の半分は使い方も大体同じものでした。単語集を3〜4時間で大体頭に入れた後、また少し戻って読み始めると、たしかに読みやすくなりました。そのおかげで、第1部と第2部の文法編は1日で読み終わりました。

ただし、私の読み方はとても雑で、動詞の活用とその後ろに続く語尾に関しては、うろ覚えのままです。日本語の標準語では、動詞の活用型は大きく3つに分かれ、そのうちいちばん複雑な5段動詞は、語尾の音が9種類(う・つ・る・ぬ・む・ぶ・く・ぐ・す)で、その変化はいちばん細分化されるテ形で5種類(うつる・ぬむぶ・く・ぐ・す)にグループ分けされ、「行く」が例外の活用をします。日本語の教材には大体そのような分類がされています(教材ごとに多少の差はありますが)。しかし、この『沖縄語の入門』にはそのような分類があまり丁寧にされていません。いずれ本腰を入れて勉強するときに、きちんと動詞の類型を分類して、枠組みの鳥瞰を得ようと思ったのが、今回の感想です。

そうそう。沖縄語は、日本語に携わっている人は、ぜひとも触れておくべきことばです。上代日本語からのもう一つの変遷の結果を、沖縄語に見ることができます。そして、当然ながら、表現方法がかなり近いのも確認することができます。この本には、15世紀ごろ書かれた『おもろさうし』の一節が載っていますが、それはまだ母音の統合が起こる前で(現代沖縄語の母音はアイウの3母音なのです)、単語の解説なしに大体分るほど、日本語(の文語)に似ています。

というわけで、「流暢さ」と「正確さ」の話でしたが、またもや話を脱線させてしまいましたね。^^;

To 通りすがり at 2004 09/13 07:55 編集 返信

RE:日記拝読しました

通りすがりさま、書き込みありがとうございます。

>一点気になったのは、バプテスト派は、ルター派教会とは異なり、カトリック教会と直接の関係はなかったと思います。

>宗教改革期とは直接関係なく、既存のプロテスタント教団から分裂したのものだったと記憶しています。

去年の8月29日の日記をご覧になったのですね。聞いた話をそのまま面白いと思って書き留めたのですが、たしかに歴史的に問題のある書き方だったようです。調べてみると、最初は「アナバプテスト」と呼ばれる人たちがいたそうです。それは「再洗礼派」と訳されているそうで、この人たちは現代のバプテスト教会とはつながりがなく、その後どうなったのか分りませんが、プロテスタント教会の中で、「アナバプテスト」の信仰と交わりのあった人たちが、バプテスト教会を起こしたと、あるバプテスト教会のサイトに書かれていました。

教会の分裂状態を一覧にした樹形図を見てみると、バプテスト教会は英国教会から分裂しているようですね。だから、通りすがりさんが指摘されたとおりでした。ただし、宗教改革と関係がないというのは、どうでしょうか。現在のバプテスト教会の出発が宗教改革の荒波が過ぎ去った以後だったとしても、その精神は、宗教改革のころまでに遡ることができるのではないかと思います。

教会の歴史は、それぞれの教派のものを見ていると、だんだんわけが分らなくなってきます。カトリックとプロテスタントの分類すらはっきりしません。例えば、英国聖公会は、プロテスタントの諸教会では“プロテスタント”であるとしていますが、ローマ・カトリック教会では“カトリック”であるとしています。また、多くのプロテスタント教会は、カトリック教会の批判をしますが、東方正教会については、ほとんど何も論じることがありません。一方、東方正教会では、正教会の歴史をペンテコステの日から現在まで一直線に引き、ローマ教会(ローマ・カトリック教会)がそこから分裂し、さらにその後のプロテスタント諸派が、ローマ教会から次々と分裂して行ったように描いています(案外、東方正教会の見方がいちばん正しいのかもしれません)。

私に教会史を話してくれた人が勘違いしたのは、もしかしたら、バプテスト教会の人が自分たちの歴史を説明していたのが、あまりに“普遍的”な物言いだったために、“カトリック教会”から出たのだと勘違いしてしまったのかもしれません。あるいは、“アナバプテスト”と呼ばれた人たちが初めであるということから、系譜的には繋がっていないにもかかわらず、今のバプテスト教会の出発がカトリック教会の中にあったと考えたのかもしれません。

よいご意見をくださったことを、感謝しています。私はキリスト教会の歴史に関心は持っているのですが、これまで本格的に勉強したことがありませんでした。いつか余裕ができたとき、ぜひきちんと勉強してみたいと思っています。

From 通りすがり To ijustat@chance at 2004 09/13 02:27 編集 返信

日記拝読しました

日記拝読しました。

一点気になったのは、バプテスト派は、ルター派教会とは異なり、カトリック教会と直接の関係はなかったと思います。

宗教改革期とは直接関係なく、既存のプロテスタント教団から分裂したのものだったと記憶しています。