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From Kuroneko( Mail ) To ijustat at 2004 05/05 13:44 編集 返信

学習書と学習法と

>>外国語学習書のあり方について、あらためていろいろ考える機会ができて、本当に感謝しています(^^)。

僕はただの少し偏屈な外国語学習者に過ぎないので、そう言っていただけると嬉しいです。ところで、非専門家による学習書は英語では多いですね。ここ数年は韓国で出版された日専門家による学習書の翻訳を見かけたりします。日韓とも事情はよく似ていますね。日本だと、受験参考書のかなりの数が厳密には「非専門家」によるものです。ほとんどの受験参考書の筆者は予備校講師なのですが、予備校講師の中には大学などで言語学(英語学)や外国語教授法を専攻してない人も多いので、その意味では非専門家です。ただ、教えるという面では「プロ」なので、昔の英語参考書と比べると、分りやすい出来になっています。

さて、ijustat様が書かれたように、昔の参考書と今のものの良い点を併せた参考書があるとよいですね。スキット中心で中性的で品のある言葉遣いを用いるなどの構成は良いと思います。確かに例文を覚える時に不安になるのが、「この例文はフォーマルなのか、インフォーマルなのか?」という点ですし。

>>そして、きわめて平凡ですが、構造を身に付けるように、入れ替え練習をたくさん出す。
>>古い学習方法ですが、訳す作文も付いていた方がいいと思います。

「入れ替え練習」は確かにそれ自体、暗誦例文と同様の価値をもちますよね。あと、外国文和訳ですが、最近、かなり評価が低いですよね。文法や言語のメカニズムを意識化して考える良いトレーニングになると、僕は考えているんですが…。あと自分が作文に使うことの出来る語彙・文法・構文は、読む際に必ず理解できるものになるので、読解力の基礎を養う上でも大事だと思います。

学習に読解をどのように取り入れるかという点ですが、もし2巻本の入門書なら、1冊目がNHKラジオ講座のような会話中心(+口語文法・日常語彙)、2冊目で読物を軸に文章語の文法を語彙の強化とともに学んでいく、といった構成もいいなぁ、と思いました。こうするととりあえず日常会話レベルのみをしっかりと見につけたい方は1冊目のみを学習すればよいし、それ以上を目指す方は2冊目も学べばよいですし。

不規則動詞は早いうちから少しずつ提示していくべきですよね。使用頻度の高さから考えても、早いうちから知っておいた方が良いですし。大多数の学習書がこの考えに従って、不規則動詞を扱っていますが、『フランス語四週間』は何故か動詞の全時制と法の学習がすんだ後(第3週目)に、重要不規則動詞を一気に教えるといった構成になっています。多分、筆者は不規則動詞で挫折する前に、動詞の全用法を教えてしまおうと考えたのだと、僕は推測しているのですが、少し無理のある構成だと思います。

>>そうやって、初級が終わるころには、固有名詞も含めて約千5百から2千語くらいの単
>>語が提示されているようにすれば、学習者は、話すことにしても、読むことにしても、
>>聞くことにしても、書くことにしても、次のステップへ進みやすいのではないかと思い
>>ます。外国語学習は、次のステップへ進むことが大切です。その段階で方向がつかめず
>>に挫折しては大変です。

そうですよね。次のステップに進みにくい教材も結構ありますしね。あとがきや序文などでその学習書を一通り学んだあとの学習について述べてある本もありますが、そういうものは良心的で好感をもてます。

さて、話は変わりますが、ijustat様の学習法も参考になりました。ijustat様は音読を繰り返しているうちに、暗記してしまうという方式なんですね。僕は最初に強制的に覚えてしまってから、忘れないように音読を繰り返すというやり方です。僕の場合、集中が足りないせいか何度音読してもはっきりと記憶できないことが多いので、最初に暗記して、それから反復音読という方法にしました。暗記の仕方は人それぞれですね。

>>ちなみに、話はどんどんずれますけれど、現代ギリシャ語の教材は、韓国では出ていま
>>せん。辞書もありません。唯一、『現代ギリシャ語動詞変化表』があるだけです(安い!2千ウォン!)。
>>この本は本当に重宝しますが、メインの教材がなくて動詞変化表だけと
>>いうのは、いったい誰が勉強するんでしょうね。

韓国の外国語学習書の出版状況はどのようなものなのでしょうか? 日本だと英語をのぞけば仏・独が充実しているように感じます。最近は中国語(広東語・上海語なども含む)や韓国語もかなり出版されているようです。アジア・アフリカ言語やヨーロッパでもスラヴ系の言語などはあまり出版されていませんが、それでもかなりの数の言語が日本語で学べるような気がします。白水社のエキスプレス・シリーズの貢献度も高いです。その点、韓国ではどうなのでしょうか?

語学も学習者の母語が何か(住んでいる国がどこか)等の状況で、学習のし易さも変わってきますよね。英語やロシア語が母語だと、多くの言語が母語で学べますし。そんなことをふと思いました。

最後になりますが、黒田龍之介『外国語の水曜日―学習法としての言語学入門』(現代書館,2000)という本を読んだのですが、結構面白かったです。アマゾンなのでも評判の良い本みたいですが、ijustat様はご存知でしたか?

From Kuroneko( Mail ) To ijustat at 2004 05/05 13:50 編集 返信

英語、徒然雑談

こんにちはKuronekoです。

先日、プラプラと僕が住んでいる名古屋市の中央図書館に散歩がてら行き、語学書コーナーで本棚を眺めていたら、何故か大学書林の四週間双書と基礎語学双書がかなり置いてありました。大学書林マニア(笑)の僕は、喜んで『ロシヤ語四週間』などを読んでいたんですが、ふと見ると新品同然の『基礎英語』(塩谷栄・安藤昭一,大学書林,1967)があったので、手にとって見ると、これが発音を非常に重視した作りになっていました。

文法項目としては中3初級程度(?)で、時制で言えば現在形から現在完了形まで扱っています。構文的には単文のみなので、接続詞や関係詞は出てきません。その代りABCの読み方から始まって、懇切丁寧に個々の単語の発音・アクセント、センテンスの抑揚のつけ方などが図や記号を使って説明してあります。ほとんどすべての文に発音記号がついています。著者自身、第一講で「英語に限らず何の国語でも同じですが、その本体は文字にあるのではなく音にあるのです。(中略)ですから、発音ということがとても大事なことで、これがよく出来なければそのことばは学べたとは言えないのです。」(p.2)、と述べています。定価が1236円で、1500円の別売りテープがあります。大学書林の本にしては安いですね。

さて、英語はijustat様が書かれたように、文法は難しいですね。形態上の変化がほとんど無いのは、一見楽そうに感じるのですが、おっしゃるように統語面のみで意味を考えていかなければならないので、文意がはっきりしなくって大変です。この前もパラパラと英語の小説を読んでいたのですが、関係詞がどの名詞にかかるかよくわからなくって困りました。「文脈から判断せよ」などと言われたりもしますが、その「文脈」を掴むために丁寧に読んでいた段階の僕(苦笑)には、「文法」の手がかりがないと困ってしまいます。結局、とりあえず先に進んで読んでいったら、「文脈」が分ってきたため、先ほどの関係詞の問題も解決しましたが。

仏語はドイツ語やロシヤ語などに比べて、「格」というものは意識しない言語なのですが、ロマンス語族特有の複雑な動詞活用や名詞の文法上の性などがあるため、先ほど書いたような読解上の困難が少なく、それゆえ文法を学ぶありがたみがよく理解できます。英語の参考書の中で、読解参考書の占める割合は会話とならんで高いように感じますが、これは受験における読解問題重視のためだけでなく、日本人が英語を学ぶ際にその統語構造の把握に苦労していることも理由なのではないか、と思います。

>>だから、ある事象を説明するのに、英語を学ぶ人は、同じことを、日本語の思考回路と
>>英語の思考回路という全く違った構造の中を通す必要が出てきます。まあ、英語を学ぶ
>>ときに日本語の思考回路は必要ないという意見も多いでしょうが、意識化させないと、
>>ある部分で日本語の思考回路が胡坐をかいて、英語での思考を妨害するのではないかと
>>思います。

予備校で教えていた経験から書くのですが、日英両言語の差異を意識化させるのは、上手くいく場合と逆に学習者を混乱させることがあるように思えます。ある程度、英語が出来る学習者や、入門レベルでも英語(の思考回路)を受容することに抵抗感の少ない学習者には、両言語の違いを意識させることがプラスの効果を生むことが多い(最低、マイナスにはならない)のですが、母語と異質な思考形式を受け入れることに苦痛を感じるタイプの学習者もいまして、そのようなタイプの人にこの種の話をすると、自分が英語が出来ないことの理由付けにすることが、しばしあったのです。なので、僕はあえて違いには触れずに授業を行なっていました。ただ、文法の授業では課題として、短文和文英訳プリントを配っていて、生徒たちがその課題を解いていくなかで、生徒自身が日英の言語様式の違いについて気づいてくれたらなぁ…、とは思っていました。実際、そういう点での疑問を質問してくる生徒もいたので、質問があった場合はキチンと話すようにしていました。ですが、授業自体は英語の構造を教えることのみに集中していました。

僕自身としては、日本語と英語の思考回路の違いの説明を授業に取り入れたいと思ってはいたのですが、自分の授業スキルの程度を考えると、生徒を混乱させないでその点を説明する自信が無かったので、あえてそこに触れずにいた、というのもあります。ただ、本当はある程度英語になれた頃に、日本語との言語構造上の違いを説明してやると、学習上、効果的なのかもしれませんね。

>>5文型をしっかり把握する必要を、初級の英語力を確立させる目的の教材では、必ず力
>>説していますが、

実は高校最初の英文法の授業が、“5文型”の説明から入っていったのですが、当時の僕は5文型の意味・価値が全くわかりませんでした(苦笑)。それから、しっかり英語落ちこぼれコースを歩んでいったのですが、文型の価値がわかるようになってきたのは、受験勉強でどんどん英語を読んでいくなかで、気がつきました。受験時代、文法の勉強をせずに、一日にペーパー・バックなら1〜3ページほどの長さの文章をひたすら読んでいたのですが(読解練習以外は構文参考書の例文を和訳する練習をしていましたが、今思えば、暗誦すればよかったです)、ある程度読めるようになった頃に、文法参考書を読んだ時に、文型をはじめとする英文法の価値に気がついたんですね。僕の場合は、英語への慣れがあって、その後に理屈がわかってきたのですが、もし高校最初の授業で、日英の思考を対比させながら文型を説明してくれたなら……、英語の落ちこぼれにならなかったのかなって都合のよいこと事を考えたりもします(^^; ですが…、やっぱり難しいとも思います、その違いを教えるのは。

などということを、徒然に考えてしまいました。

To ijustat@chance at 2004 05/02 01:51 編集 返信

こんな学習書があったら……

Kuronekoさま、こんにちは。

外国語学習書のあり方について、あらためていろいろ考える機会ができて、本当に感謝しています(^^)。昔の学習書と今の学習書のそれぞれの欠陥をおさらいすると、昔のものは、意思疎通に関する表現が極端に弱かったと思います。それに対して、現在の教材は、意思疎通に関する表現が少しは増えたけれども、体系をなしているわけでもなく、また、内容が全体的に貧弱になった分、会話表現すらも貧弱になったのではないかと思います。

外国語の教材をずっと見ていると、日本でも韓国でも同じですが、非専門家の手になるものがよく出ています。中には売れているものもあります。それらは、光るアイデア一つで売っているものがけっこう多いような気がします。

昔の教材は、その言語のエキスパートの手になるものでした。しかし、言語教育の専門家というのは、著者の中にそれほど多いとは思えません。勢い、著者は自分の能力を基準に学習書を書くので、内容はとても難しくなります。でもまあ、“うんと勉強したい”人にとっては、それはありがたい学習資料だといえます。

それで、考えたのですが、昔の本のいい点と、最近の本のいい点とを併せ持った学習書というものが必要なのではないかと思いました。もちろんそれは、売れるという意味ではありません。ちゃんと勉強したい人にとって、ありがたいという意味です。

昔の教材の骨格は、構造シラバスでした。これは今でも捨てるわけにはいかない重要な要素です。しかし、私たちの言語使用は構造を中心にしていません。それで、場面や機能のシラバスも加える必要が出てくるでしょう。ちなみに、どれを中心にするかが問題になるかもしれませんが、まあどれが中心になっても、それらがすべて念頭に置かれているのなら、問題ないだろうと思います。

そして本文は、NHKラジオ講座のような短いスキット中心で、場面設定をしっかりさせて、生き生きした会話にする。ただし、文体に偏りがないように、品もよく、中性的な言葉遣いにする必要があるでしょう。私の考えでは、一般に女性的と考えられている、料理や化粧などの部分で男性を使い、男性が普通かかわる場面に女性を登場させると、うまく中性的な雰囲気を保つのに成功するのではないかと思いますが、それは今度日本語学習書を作るときに、実験的にやってみたいと思います。

そして、きわめて平凡ですが、構造を身に付けるように、入れ替え練習をたくさん出す。これは、それ自体が例文集になりますよね。多くの言語の場合、入れ替え練習に別の語句を入れるとき、語形を変える必要が出てきますが、これは本当に役に立つと思います。ただし、どの練習も、日常的で、自然である必要があります。わざとらしい、いかにも文型のための文型練習は、困りますよね。「A:旅行に行くとき何が必要ですか。B:パスポートが必要です。」みたいなのは、使い道のない対話文です。でもこの例文、私の教材にあったのです。あとで見てこりゃだめだと思いましたが、あとの祭りで、録音も済んでしまったあとだったのでした。

それから、何課かに1回は、読解文を読みたいですね。読解文がどうしても必要なわけは、会話文では語彙を増やすのに適当ではないからです。読解文は、骨のある語彙と文の構造を身に付けるのに不可欠です。でも、毎回あったら、かなり学習がハードになってしまうし、早く喋れるようになりたいという状況で学習している人にとっては、足かせになってしまいます。だから、4〜5課に1回というのが適当なのではないかと思います。

もし数巻に分かれる本なのだったら、1巻目で日常の緊急な用は足せるようにし、2巻目で、一通りのことを言えるようにするのがいいのではないかと思います。そのとき、例えば古典ギリシャ語のように複雑な言語が現在あったとして、活用の不規則な“μι動詞”を後ろの方で学ばせるなんてことがあったら大変です。不規則な動詞は、頻度が高いものですから。いや、読解用の教材だって、やっぱり頻度の高いものは、なるべく早く学ばせるべきだと思います。そういう意味で、古典ギリシャ語教材の文法提示の順番は、あまりいいものだとは思えません。

古い学習方法ですが、訳す作文も付いていた方がいいと思います。読解文のある課に付けて、それまでの課で学んだ文法項目や語彙を用いて訳せるようにすると、知識の定着にとても役に立ちます。これは普通、近年の言語教育では主流から外れてしまい、異端的に見られることが多いのですが、やはり伝統的な立派な学習法の一つだと思います。ただし、すべてを翻訳作文で解決できるわけではないので、臨機応変に問題形式を選択すべきでしょう。

教材にはCDが付いていて、それは聞きやすい状態で録音されている必要があると思います。会話文は日常的な速度で録音され、読解文は、むしろゆっくりと朗読される必要があると思います。

そうやって、初級が終わるころには、固有名詞も含めて約千5百から2千語くらいの単語が提示されているようにすれば、学習者は、話すことにしても、読むことにしても、聞くことにしても、書くことにしても、次のステップへ進みやすいのではないかと思います。外国語学習は、次のステップへ進むことが大切です。その段階で方向がつかめずに挫折しては大変です。

というわけで、外国語学習書について、取りとめもなく思いをめぐらしてみました。

To Kuroneko at 2004 05/02 00:42 編集 返信

RE:愚痴なのか、紹介なのか…(^^;

> さて、仏語参考書ですが僕が大学生だった10年程前に出版されていた(上述のような)「古いタイプの参考書」はかなり絶版になっています。僕のような例文暗記学習者にとっては、困った状況です。例文暗記派には、例えば白水社の入門シリーズ(『イタリア語の入門』、『チェコ語の入門』など)のような例文&文法中心の教材が学びやすいのですが、その種の仏語参考書はほとんど無いようです。少し前までなら、白水社の入門シリーズと同構成の『朝倉初級フランス語』(朝倉季雄,白水社)もお薦め教材だったのですが、どうも絶版のようですし(ただ、アマゾン・コム等のネット書店では結構在庫有りのようです)。

教材の本文の形式には、いろいろあるようですね。1行ずつの例文をまず初めに5〜6文提示する、暗唱例文形式のものもあれば、4行会話程度の、NHK型の短いスキットの本文、長い会話文の本文、短い読解文、長めの読解文と、そのバリエーションはいろいろです。

私自身は、本文は暗記したいと思いますから、なるべくなら短めのものがいいと思っています。白水社の入門シリーズは、その点で考えると、ちょっと長いのではないかと思います。でも、例えば現代ギリシャ語の教材では、『現代ギリシア語の入門』(荒木英世著、白水社)ほど充実した教材は他にはなさそうなので(“Teach Yourself Modern Greek”も、説明に不親切さを感じます)、私は専らこの本で現代ギリシャ語を勉強しています。この本が初学者にとってきついのは、センテンスが長いということです。理解はできるのですが、これを覚えるためには、何度も反復して音読し、また意味をじっくり黙想してそのセンテンスの構造から動詞の態、法、時制などまで考え込まなければなりません。

私の勉強方法は、一定の方法を続けないという欠点があるのですが、大まかにいって、まず音声教材で発音を丁寧に観察します。一つ一つの単語における音素の発音から、全体の声の流れまで、すべて観察して、それを真似します。これだけは、他のほとんど誰もやらない方法だと思います。その一方、本文の意味を確認し、後ろのページの文法も読みます。その順番は一定していません。そしてその作業が済んでから、音読を開始します。1日に5〜6回から10回ほど読むと、易しい課なら、5日目ぐらいから暗唱できるようになります。それで、車を運転しながら本文を思い出して口ずさむので、実質上の音読の回数は増えます。そうやって、1週間から10日くらい、その課に付き合います。白水社の入門は、2課ごとに練習問題がありますが、カトー・ロンブ女史の方法に従って、それも全部解きます。2ページしかないのに、やってみると、けっこうハードです。

『現代ギリシア語の入門』は、昔買ったとき、1度通読はしたのですが、上滑りの知識で、その後すっかり忘れてしまっていました。それから6〜7年たった去年にまたこの本で勉強を始めましたが、1度挫折しました。そして、今度は途中から少し戻ってやり始め、現在全28課のうち25課まで進みました。28課まで終わると、ラフカディオ・ハーンの書いた「猫を書き続けた少年」という日本の伝説の、ギリシャ語訳が1篇あります。そのあとは、その教材は文法の補充説明が50ページ近く続きます。

ちなみに、話はどんどんずれますけれど、現代ギリシャ語の教材は、韓国では出ていません。辞書もありません。唯一、『現代ギリシャ語動詞変化表』があるだけです(安い!2千ウォン!)。この本は本当に重宝しますが、メインの教材がなくて動詞変化表だけというのは、いったい誰が勉強するんでしょうね。希日辞典も出ているのをインターネットで見ましたが、なんと14700円もするので、手が出ません。希英辞典の方が手ごろなので、それを使っています。でも、この希英辞典の英訳はやたらと難解なのが困ります。今、韓国外大の先生が、希韓辞典を作っておられるということなので、それができるのを今か今かと待っています。まあ、それができるころには、ギリシャ語を習得しているのではないかと思いますけど。

To Kuroneko at 2004 05/02 00:20 編集 返信

RE:関口氏、その他もろもろ

Kuroneko様、こんにちは。

> さて、話は変わりますが、アイヌ語は白水社のエキスプレス・シリーズから『アイヌ語エキスプレス』が出ているんでね。イメージ的には大学書林から『アイヌ語四週間』とか『基礎アイヌ語』などが出ていてもおかしくない気がしますが、大学書林からはアイヌ語関係は出版されていないですよね。紹介のHPは今度、行ってみます。アイヌ語ってどんな響きのコトバなんでしょう。。。わくわく。

『エキスプレス アイヌ語』は去年の12月に日本へ行ったとき、神田の三省堂で買いました。ただ、その本にはCDが付いていませんでした。CDの在庫はないといわれ、音なしのアイヌ語を買いました。私の印象としては、ついに本格的なアイヌ語の教材が出たかといった感じでした。

アイヌ語の場合、文字になった文学はほとんどなく、主に話し言葉として用いられてきたので、文字だけで学ぶのは不自然だと思うのですが、まあ、仕方ありませんね。実際にアイヌ語の発音を聞かせてくれるすばらしいサイトもありますから、そちらで発音はお世話になることにしようと思っています。(でも、アイヌ語を本格的に勉強するかどうかは分かりません。)

大学書林の四週間シリーズにアイヌ語がないのは、たぶん、あのシリーズは文字言語が中心で、文献を読むための入門書だからではないかと思います。単語も千語から千五百語くらいが収録されているといいます。

アイヌ語は、それらの目標には適っていなかったし、また、あのシリーズが出されていたころは、アイヌ語に対する認識は非常に薄いものでした。それは、アイヌ人たちの苦難と試練の歴史にまだ光が射すか射さないかの、本当に辛い時期だったと思います。

私が日本を離れている間に、アイヌ語に対する関心は非常に高まってきて、ついに一般向けの教材が、全国的な出版社から出るに至ったのです。それらはすべて、90年代に起こった変化だと思います。もしかしたら、今後文字化されたアイヌ語の文献が増えるにつれて、大学書林でもアイヌ語の教材を作り始めるかもしれませんね。

> 英語は発音しろ文法にしろ、規範よりも慣用に負っている部分が多いので、外国人学習者にとっては学びづらいですね。韓国でも同様だと思いますが、多くの日本人にとって最初に学ぶ外国語が英語というのは、結構不幸なことではないかって思う時もあります。ただ、20世紀以降の世界の潮流を考えると、英語を学ばない(教えない)わけにはいかないですしね。難しいところです。

英語は文法も、実際にはけっこう難しいですね。形態構造ではなく、ほとんどすべてを統語構造で解決しようとする言語は、一見単純そうに見えるけれども、日本人にはとても難しいと思います。で、その統語構造の原型は、やはり西洋語にあるのだなあと思うことが、つい最近ありました。5文型をしっかり把握する必要を、初級の英語力を確立させる目的の教材では、必ず力説していますが、ぼんやりその説明を眺めていたとき、ああ、これはギリシャ語では、格を統一させることで文を統率しているのに当たるんだなあと気付きました。

英語の“SVOO”と“SVOC”の文型は、特に難しいと思いますが、このOOやOCにあたる部分は、ギリシャ語ならば、それぞれ名詞と形容詞、代名詞、冠詞などの格と数を一致させるので、見分けが付くのです。OOは、対格+与格、OCは、対格+対格で、定冠詞の使い方で、主語と補語とを見分けるようにします。

ところで、このような西洋語の文型は、日本語を母語とする私たちにとっては非常に異質なものです。日本語の文型は3つで、それは、名詞文、形容詞文、動詞文だからです。これはどういうことかというと、名詞文というのは、名詞を述語とする「<名詞>だ」が統率する文型、形容詞文というのは、形容詞と形容動詞を述語とする「<形容詞>い・<形容動詞>だ」が統率する文型、そして動詞文は動詞が述語として文を統率する文型です。その統率される部分の構造がいちばん多様なのが動詞文ですが、他の2つも侮れません。

だから、ある事象を説明するのに、英語を学ぶ人は、同じことを、日本語の思考回路と英語の思考回路という全く違った構造の中を通す必要が出てきます。まあ、英語を学ぶときに日本語の思考回路は必要ないという意見も多いでしょうが、意識化させないと、ある部分で日本語の思考回路が胡坐をかいて、英語での思考を妨害するのではないかと思います。この間ご紹介した『基礎からよくわかる英作文』(水谷信子著、旺文社)は、その辺をよく押さえています。アマゾンの書評では大したことないように書かれていましたが、日本語教師の目には、あの本は全く違った姿で見えるのです。

さて、ご指摘の英語の発音の不規則さは、私も本当に困ったものだと(?)思います。おそらく日本語についで英語が最も表記と発音の間に例外の多い言語なのではないかと思います。それにもかかわらず、英語の発音に関しては、あまり関心があるようには思えません。“R”と“L”の区別など、気にする人もいますけれども、アクセントの位置や母音の発音などは、単語ごとに確認しなければならない場合が多いにもかかわらず、かなり疎かにされていると思います。どのくらい疎かって、英語の教材を見ると、発音記号がないものが多いのを見てもよくわかります。

そして、Kuroneko さんのご指摘のように、発音に注意しながら音読したときと、そうでないときとでは、英語の理解と記憶の成果に違いがあるように思えるのです。そういうことを考えて、発音記号をふんだんに使った英語の教材は、少なくとも初級においては非常に大事だし、初級以後においても、新出語句の発音はいつも確認できるような教材が必要だと思います。たとえば、語中に出てくる“O”が、“オ(米では広母音ア)”なのか“オー”なのか、“オウ”なのか、または“ア(vの逆の字)”なのか、それともあいまい母音なのかといったことは、“生”をどう読むかといった問題と一脈通じるところがあります。私の考える発音というのは、そういう読み方のことです。

そういう発音記号を教材で多用することについて、出版社では2つの理由から拒否反応を示すと思います。一つは、そういうことをすると、教材が難しそうに見えるので、売れなくなることが心配だということです。皮肉な言い方ですが、どうせ大して売れないんだから、そういうもので目立たせるという方法もあるのですけどね。

それからもう一つの理由は、編集作業が面倒になるということです。発音記号は普通の入力ですいすい出てくるものではないので、わんさと出てくると、入力に恐ろしく時間がかかります。たぶん、著者たちはウィンドーズを使っていて、出版社はマックでしょうから、普通のテキストはともかく、発音記号はやはり編集者が最初から打ち直さなければならないはずです。

ということで、取りとめもない話でした。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 05/01 11:20 編集 返信

愚痴なのか、紹介なのか…(^^;

Kuronekoです。仏語参考書の紹介を書こうと思って、ふと考えたのですが、入門書というものは今と昔(種田氏が学習されていた頃から20年程前まで)とでは、その目標が異なっているのではないか、ということを感じました。もちろん、方法論的な違い(文法訳読式中心からコミュニカティヴな方向へ)から派生するのだと思われますが、古い教材は「読み(+書き)」が目標になっているため、その教材を終えると、一通りの文法が身につくように出来ているものが多いですね。岩波『新フランス語入門』もそういう種類の学習書だと思います。ですが、今ではそのような学習書を探すのは大変難しいように思えますね。

さて、仏語参考書ですが僕が大学生だった10年程前に出版されていた(上述のような)「古いタイプの参考書」はかなり絶版になっています。僕のような例文暗記学習者にとっては、困った状況です。例文暗記派には、例えば白水社の入門シリーズ(『イタリア語の入門』、『チェコ語の入門』など)のような例文&文法中心の教材が学びやすいのですが、その種の仏語参考書はほとんど無いようです。少し前までなら、白水社の入門シリーズと同構成の『朝倉初級フランス語』(朝倉季雄,白水社)もお薦め教材だったのですが、どうも絶版のようですし(ただ、アマゾン・コム等のネット書店では結構在庫有りのようです)。

会話中心の教材も良いものもありますが、書き言葉では用いられるが口語では使われない文法は省略されていたり、複文構造のセンテンスがあまり取り上げられなかったりする教材が多いため、「読み書き」が身につきにくい点が問題です。多分、従来の読解重視の外国語教育への反動だと思うのですが、本当に仏語を使えるようにするには、「読み書き」の能力も必要だと私は考えるので、最近の仏語参考書の「会話重視」の傾向はあまり歓迎できません。例えば、仏語圏の地域において、仕事で仏語を使う場合、書類を読んだり書いたりするのはもちろんのこと、新聞や雑誌などを読む必要性だって生じてくると思います。ですから、仏文科・仏語学科の学生さんだけではなく、仏語が必要な社会人にとっても、あれだけたくさんの仏語入門書があるのに、本当に「使える」参考書はかなり少ない状態なのだと思います。推測ですが、仏語は英語を除く外国語の中では、出版社にとって需要の大きい外国語だと思われるので、「楽しい」「とっつきやすい」「デザインがカワイイ」参考書を求める消費者の影響が強いのかもしれないです。そのような参考書は仏語学習への導入としては良いと思うのですが、本格的に学ぼうと思うと厳しいものがあります。

さて、愚痴ってばかりいてもしょうがないので(^^;)、そろそろ紹介します。

@ 『NHK新フランス語入門』(古石篤子,日本放送出版協会)※CD付です
A 『フランス語作文の基礎』(中原俊夫,白水社)

などが、お薦めです。@はNHKラジオ講座をベースに作られたもので、内容的にもしっかりしていますし、紙面構成なども学習者の便を考えたもの(本文と訳がはっきり分けられている等)になっており、学びやすいと思います。ただ、この本も先ほど述べたように書き言葉で用いられる文法項目(単純過去形や接続法の過去の用法)などが省略されていますし、そもそも読解力の養成が主たる目的になっている本ではないため、日常会話以上の仏語力を身につけたい方は、もう一冊、参考書をやっておくとよいですね。

そのためのお薦めがAの参考書になります。これは、かなりオススメ!……です。初版が1965年と古い本で、作文参考書のためかネットでもあまり話題に上らない本ですが、「仏語で例文暗誦をするなら、(今、入手可能書籍の中では)これが一番!」と、Kuronekoは思っております。構成は初級文法教科書に沿ったかたちで、文法項目別に37の課に分かれており、各課内でさらに3〜5の項目に分かれている、という構成です。各項目ごとに例文が10以上挙げられており、課末に15題ないし20題の練習問題(短文の和文仏訳)がついています。例文は『和文英訳の修行』のように、左側に日本語文、右に仏語文というかたちで並べられているので、右側を栞やカードか何かで隠して暗記に励むことが可能です。学習しやすいように作ってある本だと思います。この本に発音と各種語形変化表などをつけてしまえば、良質の初級文法学習書になる本だと思います。この本で作文力を身につけておけば、会話中心入門書では学べない部分を補完することが出来るでしょう。そのあとは、原書を読むなりしていけばよいと思います。

最後に定評のある初級文法参考書なども、リファレンス用として持っておくと便利だと思います。ですが、これらの初級文法書(『フランス語のABC』白水社や『新リュミエール』駿河台出版社など)を学習の主教材にすることは、お勧めできません。何故かといいますと、これらの、特に近年出版された文法参考書は、「暗記」よりも「理解」を中心とした方針で作られているからです。個人的な意見ですが、「理解」が大事なのは初級を終えた段階以降、つまりある程度、学習言語がインプットされた後において、重要になってくると考えています。初級はインプット(つまり暗記ですが)が重要で、少々理屈がわからなくても覚えてしまうことが大事だと思います。その意味で、これらの参考書には少々否定的です。もちろん、入門書として使用しないのであれば(リファレンス用、学んだ知識をまとめる目的等)、お薦めできますが。

上記の理解重視の参考書の特徴として、次のような構成があるように感じます。まず、用例を交えつつ、やや冗長ともいえるほど丁寧な日本語での文法説明があり(しばしば、講義口調の文体)、各課の最後で理解力をチェックするための練習問題があるといった構成です。練習問題も穴埋めや活用の確認といったものが多いようです。このような参考書は、「分った気にさせてくれるが、実際に運用できるようにならない」ものだと思います。語学書におけるこの傾向は、英語の受験参考書に端を発しているのではないか、と考えています。受験文法参考書は多分20年程前から暗記よりも理解重視で、口語口調で説明する本が多くなってきています。その代表格が語学春秋社の実況中継シリーズといわれる参考書(山口俊治『英文法の実況中継』など)でしょう。もちろんこのような参考書の意義を全否定するつもりはないですが、これらの書籍が語学における暗記学習の衰退を招いた一因になっていると思います。

そして、そのような参考書で受験勉強をして、大学入学後、仏語を学ぶ学生は、仏語参考書においても同種の参考書を望み、その需要に出版社が応えて出版したものが、現在よく売れている仏語文法参考書なのではないか、と思っています。逆にいえば、例文・用例中心で簡素な文法説明の参考書(白水社の入門シリーズのような)は、売れないのでしょうね。ゆえに絶版になっていくのかもしれません。僕のような学習者にとっては、なんだか悲しい現状です(;;) ですから、岩波『新フランス語入門』のような参考書が作られることも、または復刊されることもないのでしょうね。

あっ、最後に大事な参考書を紹介し忘れていました!

『やさしいフランス語の発音―CDとイラストで楽しく学ぶ』(小島慶一,語研)※CD付きです

発音の仕方が学べる参考書です。発音に関しては信頼できる学校で教わった方がよいと思うのですが、そういう機会が無い学習者も多いと思うので一冊、紹介しておきました。発音をきちんと身につけておくと、文法や語彙も(何故か)身につきやすくなる気がします。いずれにしても大事ですね、発音は。

なんだか、参考書紹介なのか、愚痴なのか分らない話になってしまって、申し訳ないです。
それでは!

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 05/01 11:03 編集 返信

関口氏、その他もろもろ

ijustat様、こんにちは!

>>だから、関口氏の言われる翻訳というのは、私が考えているものと
>>違うかもしれないと思いました。

多分、関口氏が言っている「翻訳」とは、語学の授業で行なわれる「解釈(直訳?)」以上のレベルのことを指しているように思えます。つまり、職業的技能としての翻訳ということではないでしょうか。そのレベルの翻訳ですと、外国語それ自体以上に日本語の表現などに気を使うことになるので、語学学習には適さない、と考えていたのだと思います。氏自身、『罪と罰』の独訳を辞書を引き引き読んだ時期もあったわけですし、第十問で「なんなら一行に出て来る単語の九割まで辞引で引きながら、今日は一行、明日は二行、と此の段違いの相手と四つに組んで何ヶ月でも頑張らなければなりません」とも述べているので、直訳的なアプローチを否定しているのではないと思いますよ。

単語帳はijustat様も否定的なんですね。僕もです。僕は受験生の頃に単語帳で無理矢理覚えようとして、ぜんぜん覚えられなかった経験から、単語帳で語彙を身につけることはやめました。最近は例文主体の単語帳も出ていますが、例文を覚えるなら文法項目別例文集の方がいいと考えています。

>>“講習会”って言うんですね。普通日本語ではどういっていますか。
>>“会話学校”はこの場合、関口氏の念頭にはなさそうですし。

なんていうのでしょう? うーん。。。
あと多分、関口氏がいう「講習会」は今の「会話学校」的な授業も含んでいると思いますよ。ただ何しろ、戦後すぐの時代のことですから、今のような「会話」の授業があったかどうか、分らないのですが。。。

さて、話は変わりますが、アイヌ語は白水社のエキスプレス・シリーズから『アイヌ語エキスプレス』が出ているんでね。イメージ的には大学書林から『アイヌ語四週間』とか『基礎アイヌ語』などが出ていてもおかしくない気がしますが、大学書林からはアイヌ語関係は出版されていないですよね。紹介のHPは今度、行ってみます。アイヌ語ってどんな響きのコトバなんでしょう。。。わくわく。

あと、ラジオ講座の利用法についての種田氏のご意見は納得ですね。ただ、僕の場合、種田氏のような見識があっての利用法ではなく、ただラジオ講座は途中で挫折してしまうことが多いので、主教材にしないのですよ。どうも、自分のペースでないと学習がはかどらないんですよね。なので、安価な外国語音声資料として使っています。

>>話は変りますが、私は仕事がら、外国語学習自体と同じくらい、
>>外国語学習法に関心があります。

僕も予備校で教えていた時は、あれこれと教材や教授法関連書籍などを買っていましたよ。言葉を教える仕事をしていると、そうなると思います。あと、おっしゃるように語学書の編集者もそうでしょうね(^^

>>で、『仏語入門』を見ながら思ったのは、英語の教材でこのような
>>ものを探そう、ということです。どういうことかというと、例文す
>>べてに発音記号のついた英語の入門書を探そうということです。今
>>はそんな本は、日本でも韓国でも出ないでしょうが、音声教材の豊
>>かでなかった昔は、発音の正確さを期すために、英語でもやはり、
>>同じような本はあったのではないかと思うのです。
>>
>>私がこういうことに着目したのは、英語というのは母音の発音が複
>>雑だからです。特に前置詞や冠詞など、独立性の弱い単語の母音の
>>発音は、そのおかれる環境によって変化します。それを目から正確
>>に把握することは有益なのではないかと思いました。特に、音読の
>>流行っている昨今です。デタラメ流発音の音読は、ちょっと困ると
>>いう人は、発音記号もなく音声教材も付いていない音読教材を読む
>>とき、苦労することでしょう。カタカナが添えてある教材は持って
>>いますが、発音記号の方がいいですよね。

うーん、英語はなまじ中学・高校で事実上の必修外国語になっているせいか、発音も含めてホントの基礎から(英語知識ゼロの状態から)学べる学習書って見当たらないんですよね。発音に関しても、解説がないものがほとんどですし、付属のCDを聴いて真似してくださいね、というものが大部分です。ただ実際問題として、細かな発音練習を指導している中学・高校はほとんど無いと思われるので、発音を重視した英語教材は必要だと思います。

しかし、英語は発音しろ文法にしろ、規範よりも慣用に負っている部分が多いので、外国人学習者にとっては学びづらいですね。韓国でも同様だと思いますが、多くの日本人にとって最初に学ぶ外国語が英語というのは、結構不幸なことではないかって思う時もあります。ただ、20世紀以降の世界の潮流を考えると、英語を学ばない(教えない)わけにはいかないですしね。難しいところです。

To Kuroneko at 2004 04/29 02:42 編集 返信

RE:僕の外国語学習法(すばらしいです^^)

Kuroneko様、いつもすばらしいお話をありがとうございます。

>まず、以下のものを購入します。

>1.音声教材:NHKラジオ講座の適当な月のテキスト&テープ(今はCDか)など朗読や長めの会話が収録されているもの
>2.文法中心の入門書
>3.辞書:初級用でできればポケットサイズを購入。中辞典以上は必要になった時点で購入。

「NHKラジオ講座」ですか。韓国では聞くことができないし、教材も売っていないので、この名前を聞くと、日本が恋しくなります。あの教材は、覚えるのにとてもいいんですよね。韓国にもEBS
(教育放送局)の外国語講座があるのですが、ちょっと分量が多いようです。NHKのが1日の分量としてぴったりです。

ああ、そうそう。インターネットラジオで聞ける語学講座として、アイヌ語講座があります。ちょっと説明が多いと思いますが、素朴で奥深い味わいのあるアイヌ語を、直接耳で聞くことができます。私のホームページの諸外国語のリンクページから行くことができます。

ところで、種田輝豊氏は、NHKラジオ講座の利用法について、『20カ国語ペラペラ』で「……しかし、ラジオ講座も語学学習雑誌に似た性格のもので、それだけをたよりに語学をマスターしようと思ってもむりである。わたしは、フランス語などラジオ講座をかなり利用したが、本体としての学習はやはり、入門書で学んだほうがよい。ラジオ講座を聞くのは、書物だけではたりない部分を補足し、強化してもらうためと考えるべきであろう。つまり、自分が学んだことの復習的効果だけを期待すればよいのである(p.223)」と述べています。Kuronekoさんの学習方法を拝見して、それを思い出しました。

話は変りますが、私は仕事がら、外国語学習自体と同じくらい、外国語学習法に関心があります。いや、外国語の勉強よりも、むしろそっちに大きな関心があると言えるかもしれません。学習書の構成を知るために外国語の教材を買うというのも、本当に、本末転倒みたいですよね。でも、私自身は、これを自分のスタンスにしています(笑)。こういう趣味を持つ人は、アルクのような出版社の編集者には多いでしょうね。

で、『仏語入門』を見ながら思ったのは、英語の教材でこのようなものを探そう、ということです。どういうことかというと、例文すべてに発音記号のついた英語の入門書を探そうということです。今はそんな本は、日本でも韓国でも出ないでしょうが、音声教材の豊かでなかった昔は、発音の正確さを期すために、英語でもやはり、同じような本はあったのではないかと思うのです。

私がこういうことに着目したのは、英語というのは母音の発音が複雑だからです。特に前置詞や冠詞など、独立性の弱い単語の母音の発音は、そのおかれる環境によって変化します。それを目から正確に把握することは有益なのではないかと思いました。特に、音読の流行っている昨今です。デタラメ流発音の音読は、ちょっと困るという人は、発音記号もなく音声教材も付いていない音読教材を読むとき、苦労することでしょう。カタカナが添えてある教材は持っていますが、発音記号の方がいいですよね。

暇があれば、図書館や、韓国では数少ない古本屋で、探してみたいと思います。

To Kuroneko at 2004 04/29 01:52 編集 返信

RE:“読経”ですか〜

Kuroneko様、こんばんは!

今日、ヨンセ大学の中央図書館へ行って、もしかしたら、関口氏の著作があるのではないかと思って、ドイツ語の棚を見てみました。『新ドイツ語入門』だったか(書名があやふやです)を見ました。その前書きには、ドイツ語をこれから履修する学生たちに、“うんと勉強させるために”作ったと書いてありました。うんと勉強したい学生たちは、その教材を見て大喜びだったことでしょう。(笑)

関口氏の10の問答はとてもすばらしいですね。でも、意外なこともありました。

>まず、第一問は、翻訳と語学の実力の関係についてですが、氏の答えはずばり「(実力は)つかないでしょう」とのことです。

この最初の質問の答えが、意外でした。実は、私は韓国語の翻訳をやることで、解釈力に細やかさが加わりました。そこで、私の訳し方を考えてみたのですが、まずざっと1章なり一つの話なりを通読して、それからセンテンスごとに訳していくのですが、そのセンテンスがあいまいな場合は、はっきり分かるまで頭の中で転がしながら、意味を黙想したり、または不明な語句を調べたりします。たいていは辞書にないので、インターネットで調べます。それを4年間続けましたが、この4年間に自分の韓国語は伸びたと思います。

だから、関口氏の言われる翻訳というのは、私が考えているものと違うかもしれないと思いました。もし、文節か句ごとに訳していって、知らない語は韓日辞典で調べるというやり方だったら、むしろ韓国語の理解力はガタガタになってしまうと思います。それは、実力が付かないどころか、有害だと思います。

>第二問は、「辞書は独独がいいですか?」という質問。答えは、独独を使うに越した事はないが、場合によっては独和の方が楽ですよ、というような返答です。

本当にそうだと思います。韓国語から訳すとき、どうしても韓日辞典でなければダメなのは、動植物の名前で、日常的でないものが出てきたときです。そのときは、韓国の国語辞典を見ていても、埒が明きません。

でも最近は、正確さを期すために、辞書ではなく、韓国の検索サイトを利用します。動植物の名前を入力し、その脇に“学名”と続けます。すると、ラテン語の名前が出てくるので、それをコピーして日本の検索サイトにかけると、学名とともに、日本語の名前が出てきます。これがいちばん安心できる調べ方です。

>第三問は、作文の勉強法の質問ですが、氏は逆文(独文和訳をして、和訳から独文を復元)を薦めています。良い勉強法ですね。今でも、良い作文教材が無い言語では、この勉強法をするしかないですし。

ああ、これは渡部昇一氏が“原文復元法”と呼んでいる方法です。私はそれを『知的生活の方法』で読み、その後何度もその部分を読みました。渡部氏と関口氏に共通しているのは、原文を自分で訳すという点です。私は自分で訳すということまでは、思いが至りませんでした。

>第四問は、会話練習のためにネイティヴにつくべきかどうか?、との質問。氏は、「会話に上達したいとお思いになつたら、何等かの機会を作つて、相手が「これは重要な男だ、利用してやれ……」とあなたに注目するようにお立ち回りなさい。」、と述べています。ネイティヴに必要とされない限り、会話の話題が続きませんよ、ということだそうです。確かに、、、そうですよね。

面白いアドバイスですね。当時日本で会えるドイツ人は、たぶんんほとんどが知識人だったろうから、そういう人が関心を持つように立ち回るということは、並ではなかったと思います。でも、ぜひ外国語を学ぶ日本人は、みなそのようになりたいものですね。(笑)

>第五問は、音声教材(ここではレコード)の有効性について。全部暗記するぐらい聴くと非常に効果的だと述べています。今は音声教材が手軽に入手できるために、かえって一生懸命に聴かなくなっているのかもしれないですね。

鋭いご指摘だと思います。モノが豊かになると、かえってそれを大事にしなくなるということが、ここにも適用されるんですね。BBCのサイトなんかも、毎日更新されますから、全部暗記するぐらい聞くというのは、ちょっと難しいですね。

でも、学習書に付いてくる音声教材は、覚えてしまうくらい繰り返すことが必須だと思います。たいていはあまり面白いものではありませんが、コンピュータに録音しなおして細かく編集し、何度も聞き、そして声までそっくりに言えるまで反復練習をすれば、その教材の値打ちも上がることでしょう。

>第六問は、単語帳(単語カード)について。答えは当然、「(単語帳の効き目は)あんまりないでしょうね」とのことです。

私は“アンチ単語帳”の立場です。最悪なのは、市販品を使うことで、単語とその訳だけが延々と続くリストを覚えることです。韓国語の勉強では、そういう教材で苦労して覚えた単語が半年後に完全に記憶から消し去られているという苦い経験をしたことがあります。

>第七問は、読解力養成のためには、短い物を多く読む方が良いのか、それとも長い書物を一生懸命読む方が良いのか?、という質問。氏は長い書物を薦めています。理由としては、長い本は最初の50ページ程は、その筆者特有の語彙・文体や話の筋が掴みにくい点などの理由で読みにくいのですが、50ページを過ぎた頃になると逆に文体に慣れてきたり、話の筋がわかってきたりするため、読みやすくなり、読みやすくなった為に「俺は○○語が上達したんじゃないか!?」と錯覚してしまうのですが、その錯覚が語学上達には必要だからだそうです。なんだか面白い意見ですよね。

なるほど、長いものを読むんですね。でも、“最初の50ページ”というのが、私たちの感覚とちょっとかけ離れています。私は50ページくらいの本を考えていましたから(笑)。

>第八問は、講習会(教室の授業)に出た方が良いですか?、という質問。氏は授業の有効性を説きつつも、結局独学(教室外学習)をやらないとダメだよ、と答えています。

“講習会”って言うんですね。普通日本語ではどういっていますか。“会話学校”はこの場合、関口氏の念頭にはなさそうですし。

いずれにしても、独学だけというのはきついものです。先生から肉声で習うというのは、その効果を倍増します。でも、独学を助けるために宿題を出してくれるところがいいですよね。それがないときは、自分の努力と学習のセンスも必要かもしれません。

>第九問は、文法はどの程度までやるべきか?、との質問です。氏の答えは禅問答めいていて、「文法がわからなければドイツ語は全然わかるわけはない―文法がわかつたところで、それでドイツ語がわかつたわけではない」、との答えです。

よくわかります。本当にその通りだと思います。

>第十門は、易しい読物と実力以上の読物のどちらがよいか?、という質問。氏の答えは「ごく一般的に申しますと、初学者はなるべくやさしいものを多量に読んで勇気と自信をつける方が順序です。あんまりむつかしいものに喰らいついて、停滞してしまうことは、よくありません。」とのこと。ですが、「但し、これには一つの例外があります。それは(中略)、一つの長い書物にあくまでも食い下がつて行く場合です。此の場合は、あなた性に向こうと向くまいと、とにかく遮二無二、むつかしい密林(注:氏は外国語読解をアマゾン探検に喩えています)を突破しなければなりません。自分の実力とは不相応な、なんなら一行に出て来る単語の九割まで辞引で引きながら、今日は一行、明日は二行、と此の段違いの相手と四つに組んで何ヶ月でも頑張らなければなりません。」とも述べています。

「アマゾン探検」というのはいいことばですね。昔韓国語を始めてから1〜2年目のころ、見開き1ページしかない随筆のコピーを韓国人の留学生からもらったことがありますが、それを丸1日かけて読んだことがあります。九割なんてことはありませんでしたけど、それでも辞書を引きまくって散々苦労したことがあります。

私はそれをあまり快くない思い出として覚えていましたが、それを「アマゾン探検」と考えたら、ずいぶん見方は変ってきますね。すばらしいお話をありがとうございました。^^

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/28 22:19 編集 返信

僕の外国語学習法(でも、たいしたことなし^^;)

まず、以下のものを購入します。

1.音声教材:NHKラジオ講座の適当な月のテキスト&テープ(今はCDか)など朗読や長めの会話が収録されているもの
2.文法中心の入門書
3.辞書:初級用でできればポケットサイズを購入。中辞典以上は必要になった時点で購入。

で、最初はただ音を聞いてみます。NHKラジオの応用編のようなまとまった文章などを聴き、その言葉のリズムとか抑揚とかを感じてみます。意味や文法は考えないようにし、ただ入門書の綴りと発音の項目はよく読んだ後、発音を真似てみたりすると良いです。入門書にCD等の音声教材がついている場合はそちらを利用してもいいかもしれないです。

次に聞く練習と並行しながら、入門書を繰り返し学習します。一回目はざっと通読して、その言葉の大体の概略をつかみます。そうすることで学習上の習上のポイントも見えてきます。二回目は精読。例文音読を中心として練習問題なども解く。例文はよどみなく音読でき、和文→外国語文変換ができればOKです。語変化(活用)などは本文中に出てきたもののみを暗記し、参考書や辞書の巻末の活用表の丸暗記などはしないで、あくまで例文中心で学習します。

そして、二回目と同様に三回目も精読します(やはり例文中心で)。二回目よりもかなり早く進むことができると思います。三回目のあとぐらいで、各種活用表をざっとでよいので、見ておくとよいと思います。

大体これで初級は大丈夫だと思います。心配ならもう一回繰り返すのも可ですね。その後は本を一冊読解(できれば音読をし、音から意味を把握するようにする)したり、いろんな種類の音声を聴いたり(映画とかインタヴューとか)、独り言を学習言語で言う会話練習などをしてみたりします。もちろん実際に会話するチャンスがあれば言うこと無しですね。

そんな感じで外国語と付き合っていくとまぁ、ボチボチできるようになります。あと、音読、音読って繰り返し書きましたが、音読は大きな声で行なわなくてもよいとと思います。僕は小声でブツブツいったり、唇だけ動かして、アタマの中で音をイメージしたりする方法もやってました。特に外出時に大声で音読するわけにはいかないので。

あと、机に向かって勉強するっていうのがどうも苦手なので、練習問題も口頭でさくさく解いてました。口頭中心で勉強すれば、ソファに横になったままでも勉強できるし、スタバでコーヒーを飲みながら、小声や無声でブツブツ言って練習できますしね(^^)

以上が僕の(入門時の)学習の仕方ですかね。特に凄い方法でもないですね。リーディングで辞書を引くかどうかの問題ですが、僕の場合、引いたり引かなかったりです。話の筋がわかる場合は、まずまとまった量(最低10ページ程度)を辞書抜きで読んだ後、気になったところだけを調べます。また、外出中に読むときは、わからなくても辞書抜きで読みますね。で、家で調べます。

辞書引きは完璧にやろうすると、かなり辛いので、どうしても調べたい単語を中心に調べ、文脈からわかった(気がする?)単語は余り調べませんね。僕は外国語読解の最初の一冊は、教材だと思って繰り返し読むようにしているので、何回も読んでいるうちに大体、その本の単語で頻度の高いものや重要なものは覚えてしまいます。

あと、入門書を終えたあと、読解と並行して、文法項目別に編集された作文参考書をやるのもいいです。

以上、Kuroneko学習法でした!

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/28 21:43 編集 返信

“読経”ですか〜

ijustat様、こんばんは!

関口氏の学習法に触発されたのですね〜。なので、『関口存男の生涯と業績』の中の「語学の勉強法をあらゆる角度から」という、10の質疑応答形式になっている文章を紹介します。

まず、第一問は、翻訳と語学の実力の関係についてですが、氏の答えはずばり「(実力は)つかないでしょう」とのことです。

第二問は、「辞書は独独がいいですか?」という質問。答えは、独独を使うに越した事はないが、場合によっては独和の方が楽ですよ、というような返答です。

第三問は、作文の勉強法の質問ですが、氏は逆文(独文和訳をして、和訳から独文を復元)を薦めています。良い勉強法ですね。今でも、良い作文教材が無い言語では、この勉強法をするしかないですし。

第四問は、会話練習のためにネイティヴにつくべきかどうか?、との質問。氏は、「会話に上達したいとお思いになつたら、何等かの機会を作つて、相手が「これは重要な男だ、利用してやれ……」とあなたに注目するようにお立ち回りなさい。」、と述べています。ネイティヴに必要とされない限り、会話の話題が続きませんよ、ということだそうです。確かに、、、そうですよね。

第五問は、音声教材(ここではレコード)の有効性について。全部暗記するぐらい聴くと非常に効果的だと述べています。今は音声教材が手軽に入手できるために、かえって一生懸命に聴かなくなっているのかもしれないですね。

第六問は、単語帳(単語カード)について。答えは当然、「(単語帳の効き目は)あんまりないでしょうね」とのことです。

第七問は、読解力養成のためには、短い物を多く読む方が良いのか、それとも長い書物を一生懸命読む方が良いのか?、という質問。氏は長い書物を薦めています。理由としては、長い本は最初の50ページ程は、その筆者特有の語彙・文体や話の筋が掴みにくい点などの理由で読みにくいのですが、50ページを過ぎた頃になると逆に文体に慣れてきたり、話の筋がわかってきたりするため、読みやすくなり、読みやすくなった為に「俺は○○語が上達したんじゃないか!?」と錯覚してしまうのですが、その錯覚が語学上達には必要だからだそうです。なんだか面白い意見ですよね。

第八問は、講習会(教室の授業)に出た方が良いですか?、という質問。氏は授業の有効性を説きつつも、結局独学(教室外学習)をやらないとダメだよ、と答えています。

第九問は、文法はどの程度までやるべきか?、との質問です。氏の答えは禅問答めいていて、「文法がわからなければドイツ語は全然わかるわけはない―文法がわかつたところで、それでドイツ語がわかつたわけではない」、との答えです。

第十門は、易しい読物と実力以上の読物のどちらがよいか?、という質問。氏の答えは「ごく一般的に申しますと、初学者はなるべくやさしいものを多量に読んで勇気と自信をつける方が順序です。あんまりむつかしいものに喰らいついて、停滞してしまうことは、よくありません。」とのこと。ですが、「但し、これには一つの例外があります。それは(中略)、一つの長い書物にあくまでも食い下がつて行く場合です。此の場合は、あなた性に向こうと向くまいと、とにかく遮二無二、むつかしい密林(注:氏は外国語読解をアマゾン探検に喩えています)を突破しなければなりません。自分の実力とは不相応な、なんなら一行に出て来る単語の九割まで辞引で引きながら、今日は一行、明日は二行、と此の段違いの相手と四つに組んで何ヶ月でも頑張らなければなりません。」とも述べています。

以上が、関口存男氏の語学質疑応答のまとめでしたが、参考になりましたか? ijustat様の「独経」の成果も期待してます。

To Kuroneko at 2004 04/26 14:16 編集 返信

RE:教材話あれこれ

Kuroneko様、こんにちは!

>ただ、文法書などで完全な翻訳というのはあります。特に英米で外国人英語学習者用に書かれた英文法書などで、翻訳版を時折見かけます。ただせっかく原著が「外国人向け」に書いてあるのだから、原著で読もうよっという気にはなりますが…。

ああ、それなら韓国にもたくさんあります。というか、最近は著作権の問題も出てきたんでしょうね。勝手に手を加えて出版というのは、やりにくくなっているんだと思います。

何年か前に、某出版社の理事から、「日本の文法教材を韓国で出したいんやけど、この本、問題が付いておらんのよ。君、問題集作ってくれへん?」と頼まれたことがあります。しかし、そのとき問題だったのは、問題集をつけることに原著者は渋っていたということでした。その後その話は立ち消えになり、2年くらいあとで、トンヤンムンゴ(東洋文庫)という別の出版社から出ているのを知りました。その本は、問題集をつけずに、原著の説明部分を韓国語に訳したものでした。

>そうそう、「索引」の話ですが、受験英語界のドン(?)だった伊藤和夫氏も「索引のない参考書はイカン!!!」というような発言をしていたと記憶しています。ちなみに関口存男『関口・新ドイツ語の基礎』の索引は充実しています。こういう点がしっかりしている書物はなんだか安心できますね。

索引のない教材は、項目の選択に手抜きが疑われるようです。本当はそうでなくても、読書人(?)は、いろいろ詮索するからです。たしかに、索引をつけている教材は、いい加減なことができませんからね。

>なるほど、同感です。僕の嫌いなタイプの学習書は、ちょうどijustat様が書かれたものの反対で、次のようなものになります。

>1.日本語での文法説明が長々と続き、用例・例文はおまけ程度のもの。
>2.用例を挙げずに、変化表などを丸暗記させるもの。
>3.受験英語的な空所補充問題などが練習題の中心になっているもの。

>……というところです。

いやあ、それは本当に嫌ですね。ヨンセ大学の図書館でギリシャ語の教材を見てみたんですけれども、1番の、例文もほとんどなく英語の説明だけが延々と続いている教材がありました。たしか“毎日のギリシャ語”というようなタイトルでした。日本語のギリシャ語教材もあったのですが、そちらは2番が多く、ほしいとはとうてい思えないような内容でした。

3番の空欄補充は、あながち否定的に考えるわけにもいきません。これは一種のコミュニケーションのあり方を反映しているからです。またそこには、問題さえうまくできていれば、語と語の結合関係をうまく指摘できるような問題になるでしょう。補充問題のあり方によっては、パターン・プラクティスに接近しているものもあると思います。

ただし、私の考えでは、そこを書いて埋めてしまうのではなく、空欄のまますらすら言えるように練習すべきだと思います。文法や語彙などの正確な用法を意識するのに助けになると思います。私自身は、出版社に頼まれなければ、穴埋めの問題は作らないと思いますが……。

>「3.」に関してですが、和文外国語訳や文型変形などのパターン・プラクティスのような問題の方が、文法運用能力がつくと思っています。ただ、僕が古いタイプの学習者だからかもしれないですけど(笑

和文外国語訳は本当に鍛えられますよね。ただし、自分の実力に合うものをやらないと、なかなか上手にならないかもしれません。私の実力では、『和文英訳の修行』はちょっと難しかったです(汗)。佐々木先生は(まだご存命なんでしょうか)、まるでその例文を通して私に、「修行が足りん、出直して来い!」とおっしゃっているような感じがしました。(笑)

パターン・プラクティスは、本当に優れた方法です。韓国語では“変形練習”と言っていますが、本当は入れ替え練習ですよね。いろいろな種類のパターン・プラクティスがあるようですが、私は基本的に、『新日本語の基礎』のやり方から大きな影響を受けました。もし将来古典ギリシャ語の教材を作るようなことになったら、ぜひパターン・プラクティスを入れたいと思っています。

>今度は、自分の勉強法か絶版になっていないオススメ仏語参考書について、書いてみたいなって思っています。

ぜひ楽しみにしています。

To Kuroneko at 2004 04/26 12:50 編集 返信

関口氏に学ぶ“読経”(笑)

Kuroneko様、こんにちは。

関口存男氏のドイツ語学習にヒントを得て、ここ2〜3日、“読経”と称して「新約聖書」のギリシャ語原典を1回に1章ずつ読んでいます。

新約聖書は、福音書と黙示録、それからヨハネの手紙はわりと読みやすいのですが、それ以外の書簡文はとても難しいです。しかし、日本語で何度か読んでいるから内容は知っているし、部分的には分かる部分もあります。だから、まあどこから読み始めてもいいだろうとおもい、難易度を無視して、ヤコブの手紙から読み始めました。

1章読むのに大体10分くらいかかります。最初は通してポツリポツリと読み(頭に全然入ってきません)、2度目にまた通して読みます(このとき、話の筋を理解し、部分的にはセンテンスの意味も理解できます)。それから3度目読む時には、読みにくい単語を繰り返して滑らかに言えるようにしてから次に進みます。

大体これで30分くらいです。辞書をたくさん引くと、時間が長くなって長続きしそうにないので、なるべく控えるようにしています。意味よりも、語形とその音に慣れることが目的ですから。問題は、関口氏のように長続きするかどうかです。それで、私はこれを一種の“勤め”としてすることにしました。

やってみた感覚としては、関口氏のだいたい2年目の終わりの分かり始めた頃の状態に似ているような気がします。根気に欠ける私としては、全く最初の全然分からない状態から読み始めるという“無茶な”方法は、成功できるかどうかわかりません。ギリシャ語を始めて6年にして、関口氏の2年のレベルなのだから、ちょっと悲しいものがありますが、でも、最初の段階をパスして途中から始められるのは、ありがたいことです。

ところで、ここで適用しようとしている関口氏の principle は、あれこれ手をつけないということです。私がギリシャ語を勉強する目的は、この500ページの本以外にないわけだから、余計な本に心を奪われる心配もありません。ただ、数種類の校定本が出ていて、そのどれを読むかで心が揺れますが、私は Textus Receptus と呼ばれる、16世紀にエラスムスによって校訂されたものを読むことにしました。これは、そのテキストが優れているからではなくて、たまたま発行されている本が、邪魔な肯定註が一つもないし、字がわりと大きい方で書体も読みやすいからです。

まだ始めたばかりで、その成果が現われていないから何もいえないのですが、その言語で自分がいちばん価値あると思うテキストを1冊選び、それを“読経”するのは、関口氏の経験談に照らし合わせてみると、有益なのではないかという“仮説”を立て、これから長く続く実験が開始されました。(笑)

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/25 23:58 編集 返信

RE:『仏語入門』

追加です。。。


>たとえば、『英文標準問題精講』(原仙作著、旺文社)にそれを感
>じます。『和文英訳の修行』(佐々木高政著、文建書房)は、名著
>の誉れは高いけれども、ちょっと難しいのと分量が膨大なのが、向
>き不向きを分けると思います。古風な表現があるという指摘ですが
>、まあ古風な表現はあまり問題にならないだろうと思います。『基
>礎からよくわかる英作文』(水谷信子著、旺文社)は、日本語との
>比較がしっかりできていて、とてもいいと思います。この教材が話
>題になっているのを聞いたことがありませんが、私はこの本は良書
>だと思います。

『和文英訳の修行』は名著ですね。僕も使ってました。古さが気になったのは、未来形で助動詞'shall'が3人称でも多用されていたりした点ぐらいでしたね。全体的にブッキッシュな文ですが、僕は良い例文集だと思います。実は、例文集の後に続く、基礎篇なんかもとても英語の勉強になるんですが、例文でやめてしまう人も多いみたいですね。

ただ、確かに『和文英訳の修行』は難しいですね。大学受験レベルの文法知識がないと使いにくいと思います。なので、僕は中学レベルからやり直したい人に、松本亨『書く英語・基礎編』(英友社)を薦めています。作文の本ですが、中1レベルから高校初級までの英文法が含まれています。例文も豊富、練習問題も豊富なので、みっちりやるとかなりの力がつきます。例文もかなりナチュラルな文ですし、不自然な場合は著者自ら「これは不自然ですが、文法の練習用です」という感じでことわっているあたりが好感をもてます。その不自然な文も英語として通じない文ではないので、まぁ大丈夫なんですが。

『基礎からよくわかる英作文』(水谷信子著、旺文社)は、今度書店に行った時に、探して見てみますね。

それでは。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/25 23:41 編集 返信

教材話あれこれ

ijustat様、こんばんは!

>でも、経験から言うと、手を加えるというのは、ただ質を落とすだ
>けのことが多いのです。

なるほど…。確かにそうですね。ただ、日本では、僕の知る限りでは、「原著に手を加えて」という参考書は少ないし、あっても売れていないと思いますよ。学習書の著者は何かしら既に出版されている内外の学習書を参考にしているのだとは思いますが、「丸写し+α」的な学習書はさすがに見かけませんね。

ただ、文法書などで完全な翻訳というのはあります。特に英米で外国人英語学習者用に書かれた英文法書などで、翻訳版を時折見かけます。ただせっかく原著が「外国人向け」に書いてあるのだから、原著で読もうよっという気にはなりますが…。

そうそう、「索引」の話ですが、受験英語界のドン(?)だった伊藤和夫氏も「索引のない参考書はイカン!!!」というような発言をしていたと記憶しています。ちなみに関口存男『関口・新ドイツ語の基礎』の索引は充実しています。こういう点がしっかりしている書物はなんだか安心できますね。

>私が考えるいい学習書は、特別な教授法や学習法を要求せず、文法
>説明は、簡潔ではありながら、テキストの理解に必要な規則の説明
>を省略するなどということはせず、例文(または会話文、読解文)
>は豊富にありながら、説明した規則から逸脱しておらず、逸脱して
>いる場合はちゃんと注が付いているものです。また、その例文自体
>に何らかの味わいがあって、全体的には何度でも読み返すに耐えう
>る内容となっているものです。

なるほど、同感です。僕の嫌いなタイプの学習書は、ちょうどijustat様が書かれたものの反対で、次のようなものになります。

1.日本語での文法説明が長々と続き、用例・例文はおまけ程度のもの。
2.用例を挙げずに、変化表などを丸暗記させるもの。
3.受験英語的な空所補充問題などが練習題の中心になっているもの。

……というところです。「3.」に関してですが、和文外国語訳や文型変形などのパターン・プラクティスのような問題の方が、文法運用能力がつくと思っています。ただ、僕が古いタイプの学習者だからかもしれないですけど(笑

では、今日はこのあたりで。
今度は、自分の勉強法か絶版になっていないオススメ仏語参考書について、書いてみたいなって思っています。
また、駄文に付き合ってやってください(^^;

To Kuroneko at 2004 04/25 00:08 編集 返信

RE:『仏語入門』

こんばんは、Kuroneko様!

>いや〜、韓国の仏語の先生もこの本を読んで、「これだっ!」って思ったんですね。『新フランス語入門』という語学書はある種のタイプの語学学習者の心を掴むものがあるようです。多分、朴恩受先生も僕と同じタイプの人なのかもしれませんね(笑

>この本に心惹かれてしまう人は、“実用語学”と“教養語学”の中間にいる人なんだと思います。

>「発音や会話も大事だが、きちんと本が読め、正しい作文ができるようになりたい」とか、「文法には詳しいが発音などの実用的な部分が足りない参考書はイヤだな、でも日常会話だけの参考書もちょっとイヤだな」、など思ってしまう学習者には、この本はたまらなく魅力的に見えるのだと思います。

たしかに、私も実用語学と教養語学の中間にいるといえます。もっとも、どちらも頂点へ向かっていけば、一緒になってしまいます。読書をしない外国語というのは、かなり基盤の弱いものですし、書いたり話したりせず、ただ読むだけの外国語は、完全に自分のものとはなりません。そういう意味では、どちらかに分けるというのは、まあちょっと問題があると言えるかもしれません。ただ、日本語を教えるときは、かなり教養は捨象しているような嫌いもありますね。教養的なことを教材に入れると、学生の負担を多くしてしまいますから。

>確かに原著を上回るものになっているかどうかは、微妙なところですね。ただこの韓国版から伝わってくる気迫は、原著の気迫と原著を読んで感動した韓国版筆者の気迫が合わさったものなのかもしれません。なんにしても、気迫あふれる参考書は、僕自身は好きですね。なんだか、熱心な先生に教わっている気がするので。

本当に気迫は残っています。でも、経験から言うと、手を加えるというのは、ただ質を落とすだけのことが多いのです。日本ではどうか分かりませんが、韓国での本作りやその他を見ていると、それを如実に感じます。でも、手を加えている人は、実情に合わせただとか、もっと改善されたって言ってるんですよ。とんでもない、そんなところにそんなの入れたら滅茶苦茶になってしまう、って場合がほとんどです。

だから、『仏語入門』も、もしかしたら、『新フランス語入門』の体系的に重要な構成を壊してしまったり、説明がかえって分かりにくくなったり、フランス人の使わないフランス語を入れてしまったり、というような愚を犯してはいないかという心配が心をよぎったのです。でもまあ、後ろに50課から70課まで(仏語入門は70課まであります)延々と続くアンソロジーを読んだら、ちゃんとした語学力はつくでしょうね。

>あと、索引ですが、オリジナルの『新フランス語入門』の方もついていません。筆者は序文で、索引がないことに触れている(ページ数の制限で無くした、、とのことです)ので、本当はつけたかったのだと思います。

そうだったんですか。大学生のころ、誰かが“索引のつかない本は本といえない”と言ったのが耳に残っていて、私はどうしても索引にこだわってしまうのです。そのためか、私が編集にも責任を持って作った本には、かなり詳細な索引を付けました。あれを誰か評価してくれないかなあと期待したのですが、マニアックだねと言われただけでした(笑)。でもまあ、最初の2年間はいちおう売れて、苦しい生活の足しになったところをみると、気に入ってくれた人もいたようです。(自慢)

>さて、話は変わりますが、関口存男の参考書に韓国語訳があるのには驚きました。関口氏は戦前から参考書を書いているようなので、韓国人のご年配のドイツ語学習者の中には、それを用いて学んだ方がいらっしゃるのかもしれないですね。ちなみに日本のオリジナル版では、

>『関口・新ドイツ語の基礎』(三修社)
>『関口・初等ドイツ語講座(上巻・中巻・下巻)』(三修社)

>が、今でも入手可能です。存男氏のお孫さんの関口一郎氏が改訂し、CDもついています。ちなみに一郎氏は慶応大学湘南藤沢キャンパスでドイツ語の教鞭をとっていた方です。昨年、お亡くなりになられたたそうです。

その教材は、私が大学生の時には書店で結構よく見かけました。級友の中にも、その本を持っている人がいました。

私は今、ヨンセ大学の大学院に通っていて、国文科(=韓国語学専攻)の合同研究室で勉強していますが、そこに誰か日本人が置いて行ったドイツ語の学習書があります。表紙を見て、どんなものだろうかと思ったけれども、暗記シートとかで、短文のある部分を赤く塗りつぶしてあるのがすごく目障りでした。教授法または学習法が先行するような教材は、私の好みではありません。独学する学習者には、それぞれのやり方があるでしょうから。著者が直々に教えればうまくいくんでしょうね。でも、文法中心で、主教材にはなりそうにありませんでした。

私が考えるいい学習書は、特別な教授法や学習法を要求せず、文法説明は、簡潔ではありながら、テキストの理解に必要な規則の説明を省略するなどということはせず、例文(または会話文、読解文)は豊富にありながら、説明した規則から逸脱しておらず、逸脱している場合はちゃんと注が付いているものです。また、その例文自体に何らかの味わいがあって、全体的には何度でも読み返すに耐えうる内容となっているものです。

こういう教材は、最初に読んだときに一応全部理解できるのだけれど、読み返すたびに新たな発見があるものです。それは、説明においても、例文においても、または、説明と例文との関係においても、なるほどと唸るような事実に気付く教材です。

たとえば、『英文標準問題精講』(原仙作著、旺文社)にそれを感じます。『和文英訳の修行』(佐々木高政著、文建書房)は、名著の誉れは高いけれども、ちょっと難しいのと分量が膨大なのが、向き不向きを分けると思います。古風な表現があるという指摘ですが、まあ古風な表現はあまり問題にならないだろうと思います。『基礎からよくわかる英作文』(水谷信子著、旺文社)は、日本語との比較がしっかりできていて、とてもいいと思います。この教材が話題になっているのを聞いたことがありませんが、私はこの本は良書だと思います。

韓国語の教材では、現在は何が名著と言われているんでしょうね。韓国で出ている教材には、結構いいものがありますが、独学には向いていません。また、韓国で出ている独学用の韓国語学習書は、あまり心を引くような内容ではありません。それでも、私が韓国語を勉強していた頃から見たら、宝の山のように見えますけれども。私が勉強したのは、『朝鮮語の入門』(菅野博臣著、白水社)です。この本は、コンパクトな中に、内容を網羅しすぎています。文字と発音は、最初に60ページも割いていて、そこで韓国語の音変化のすべてを扱っているのです。文法事項も、一般に使われるものの大部分を詰め込んでいて、この本で大体事足りてしまいます。だから、勉強するときは本当にきつかったです。

日本語の教材では、『みんなの日本語』(スリーエーネットワーク)が名著だと思います。その前身の『新日本語の基礎』(スリーエーネットワーク)は、心引かれる教材でした。『Situational Functional Japanese』(凡人社)は、文法や表現の説明が、何ともいえず明快でしなやかで、よかったです。それと、まだ売られているのかどうか分かりませんが、『日本語表現文型』(寺村秀夫著)もよかったです。説明はなかったと思いますが、文型の配列と例文との調和が実にいい教材でした。例文に川越市が出てくるのも好感が持てました(笑)。これは、韓国にまだ海賊版が横行していた時代に使ったので、どこの出版社だか、ちょっと覚えていません。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/22 22:25 編集 返信

RE:『仏語入門』

こんばんは!

>>ついに、本書の骨格を成す Initiation a la Langue Francaise
>>d'apres une methode nouvelle par Y. Maeda et K. Maruyama
>>の中に、著者とほぼ同じ意図を見出した。

そうです、これが岩波『新フランス語入門』です(笑)。
いや〜、韓国の仏語の先生もこの本を読んで、「これだっ!」って思ったんですね。『新フランス語入門』という語学書はある種のタイプの語学学習者の心を掴むものがあるようです。多分、朴恩受先生も僕と同じタイプの人なのかもしれませんね(笑

この本に心惹かれてしまう人は、“実用語学”と“教養語学”の中間にいる人なんだと思います。

「発音や会話も大事だが、きちんと本が読め、正しい作文ができるようになりたい」とか、「文法には詳しいが発音などの実用的な部分が足りない参考書はイヤだな、でも日常会話だけの参考書もちょっとイヤだな」、など思ってしまう学習者には、この本はたまらなく魅力的に見えるのだと思います。

>>まあ、原典に手を加えたことが改善を意味するとは限りません。私
>>はたいていこういうのは否定的に考えています。ただ、それなりに
>>かなり気合を入れて作った教材という感じは伝わってきます。これ
>>はきっと、原著にあった気迫なんでしょうね。

確かに原著を上回るものになっているかどうかは、微妙なところですね。ただこの韓国版から伝わってくる気迫は、原著の気迫と原著を読んで感動した韓国版筆者の気迫が合わさったものなのかもしれません。なんにしても、気迫あふれる参考書は、僕自身は好きですね。なんだか、熱心な先生に教わっている気がするので。

あと、索引ですが、オリジナルの『新フランス語入門』の方もついていません。筆者は序文で、索引がないことに触れている(ページ数の制限で無くした、、とのことです)ので、本当はつけたかったのだと思います。

さて、話は変わりますが、関口存男の参考書に韓国語訳があるのには驚きました。関口氏は戦前から参考書を書いているようなので、韓国人のご年配のドイツ語学習者の中には、それを用いて学んだ方がいらっしゃるのかもしれないですね。ちなみに日本のオリジナル版では、

『関口・新ドイツ語の基礎』(三修社)
『関口・初等ドイツ語講座(上巻・中巻・下巻)』(三修社)

が、今でも入手可能です。存男氏のお孫さんの関口一郎氏が改訂し、CDもついています。ちなみに一郎氏は慶応大学湘南藤沢キャンパスでドイツ語の教鞭をとっていた方です。昨年、お亡くなりになられたたそうです。

またまた、長くなってスイマセン!

To Kuroneko at 2004 04/22 01:20 編集 返信

『仏語入門』

Kuroneko様、すばらしい書き込みをありがとうございます。

半分の幸運か、手元に韓国で出版された『仏語入門』(朴恩受 / H. Roumegoux 著、ソンムンガク、1979年)という学習書があるのですが、お話を拝見しながら、どうも気になってこの本を見てみると、構成がよく似ています。それで、序文を読んでみました。すると、お話の本(に違いない!)が出てくるではありませんか。以下に序文を全訳します。

「本書は、フランス語を最も能率的な方法によって、容易かつ速やかに身に付けようとする人たちのために編まれた、フランス語入門書である。
 著者は大学でのフランス語教授の体験を通し、基礎フランス語のマスターは、合理的な方法さえ得られれば、かなりの労力の削減と、時間の短縮を期しうると確信するにいたり、そのような方法の一つとして最も合目的的な体系を備えた入門書を構想していたところ、ついに、本書の骨格を成す Initiation a la Langue Francaise d'apres une methode nouvelle par Y. Maeda et K. Maruyama の中に、著者とほぼ同じ意図を見出した。
 そこで著者は、上記の書籍にある体系と例文及び文法解説の大部分を借用することにし、ここにかなりの補充と変更を加えることで、われわれの実情により合致したものを編むことにした。典拠ある例文を収集・補強する一方、権威ある文法書として知られている M. Grevisse の Le Bon Usage などにより、文法解説にも詳細を期し、特に第3部の講読編においては、現代から17世紀までにわたる代表的な諸作家の文章を慎重に選択・掲載し、第4部では文法整理を、付録では動詞変化表と練習問題解答を追加した。この程度が、著者の独創性が加えられた部分である。
 一方、本書は独習入門書のみに終わらず、高校や大学などである程度学習を経た諸氏にも、そのような知識の整理や完成に有用な学習の伴侶となるよう、考慮と努力を傾けた。繰り返し几帳面に活用するならば、この1冊だけでも各自が望む分野での原書を、辞書を片手に読んで行けるようになると信じており、また、それに必要な基本的諸事項は、ほとんどすべて理路整然と網羅されていることを自負するものである。」

まあ、原典に手を加えたことが改善を意味するとは限りません。私はたいていこういうのは否定的に考えています。ただ、それなりにかなり気合を入れて作った教材という感じは伝わってきます。これはきっと、原著にあった気迫なんでしょうね。

韓国の語学教材に多いのですが、この本も例に漏れず、巻末に索引がありません。岩波の原典もそうでしたか。

それはともかくとして、私はこの本をソウルの書店で見つけたとき、どこかで見たことのある体裁だなあと思いました。もしかしたら、むかし韓国に来る前に外国語の教材を集めていたとき、かの『新フランス語入門』を手に入れていたのかもしれません。今となっては、そのとき買い集めた本を物置から出すのは至難のわざとなってしまいましたが、たしかに見覚えがあるのです。

ただ、当時は残念ながら、外国語の教材を集めて中を眺めることに関心があり、勉強しようとまでは思いませんでした。でも、いつか時間ができたら、この『仏語入門』でフランス語の勉強をしてみたいですね。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/21 10:59 編集 返信

またもや…

長文になってしまいました。
ijustat様の教材作りの参考になりますかね?
何か質問等があれば、お答えしますよ。
それでは。

P.S. 今日は休日なので、ゆるゆると過します(^^

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/21 10:56 編集 返信

そのB

ついにパート3です(笑)。
ここでは、筆者の学習アドバイスなどについて、引用中心に書いていきます。

まずは、暗誦の重要性について。

「外国語を学ぶ場合、発音や文法を勉強し、語彙を豊富にするのは勿論大事だが、それだけでは充分でない。こうして得た知識を活用して、読み、書き、話す練習を積む一方で、その外国語で書かれた名詩や名文を、できるだけ多く暗記する必要がある。この努力を惜しんだら、学んでいる外国語の本質をつかむのは、到底覚束ないだろう。
 例えば、ここに芭蕉を研究しているという外国人がおり、この外国人が芭蕉の句を一つも誦んじていなかったら、諸君は一体どう思うだろう。しかし、これに類することが、外国文学を専攻していると称する日本人の間に、ともすると認められるのである。
 こういう事情を考慮して、この書物の練習問題(第6課〜第45課)と例文(第46課〜第60課)には、ルネッサンス以来の有名な文学者の詩や散文の断片、フランス史上有名な語句、聖書の言葉などから、なるべく文学史や文化史の理解に役立つとともに、暗誦に適するものを選ぶことにした。
 この中から、読者各自の趣味に適ったものを選んで、一行でも多く暗記するように心掛けていただきたい。」(第5課)

正論だと思います。さらに、次のようなアドバイスもあります。

「外国語を学ぶには、母国語の場合ほど自然な方法によれぬことは勿論だが、それでも「習うより馴れる」ように心掛けるのが肝心である。
 では、どうしたらよいか。名詩や面文の暗誦が必要なのは、第5課で述べたとおりだが、所謂「素読」が漢学者の素養の基礎をつくるのに、どんな役割を果たしかを、充分に考えてみなければなるまい。
 また、学習者の実力が充実するに従い、読書に際しても、辞書や文法書を頼りにして、テキストの隅から隅まで分るような精読をする一方、辞書の類は一切使用せず、不明の個所は不明のままに放置して、書籍、新聞、雑誌等を通読し、絶えず読書力を養う必要がある。
 また、これについては、後に触れる機会があると思うが、単語や熟語の意味を調べるにも、フランス語の場合、仏和や仏英の辞書だけを頼りにせず、なるべく早くから、仏々の辞書を引いて、単語や熟語の「訳」より、寧ろ「真意」を掴むようにしていただきたい。最初は、一度引いただけでは要領を得ず、説明の説明、そのまた説明を求めているうち、振り出しへ戻ってしまうような場合も少なくないが、「急がば廻れ」ということは、語学の勉強においても矢張り必要である。
 こういう習慣をつけると、学習者は、日本語で考え日本語で表現する自己と同時に、フランス語で考えフランス語で表現する自己を持ち、一種の「二重人格」に苦しむような結果になるので、我々は、この二つの自己を統一する手段として、後に述べるような「直訳でも意訳でもない翻訳」の練習をおすすめする(講読篇のうち特に第56課〜第58課参照)。
 要するに、どこの国の言葉でも、言葉である以上、必ず一個の有機体なので、これを学ぶ際には、一見、合理的、能率的と思われる方法が、その実、非合理的、非能率的であることが少なくないのである。」(第24課)

筆者の「翻訳」に対する考え方が面白いですね。二つの異なる思考様式をすりあわせていく作業なのでしょうか。

さて、最後に講読篇で扱われる「文章の分析」と「リズムの捕捉」について、また、引用していきます。「文章の分析」はデカルト『方法論叙説』の読解を通して、また、「リズムの捕捉に関してはベルグソン『思考と運動』の読解を通して、説明されています。どちらも哲学者ですね。ベルグソンは日本では文芸批評家の小林秀雄が紹介し、古い世代では愛読者が多い人ですが、今は日本でもフランスでもあんまり評価されていなかったりしています。ただ、いわゆるポスト構造主義の哲学者ジル・ドゥルーズが新たな視点でベルグソンを解釈したことがきっかけとなり、ベルグソニアンが増えつつあるようです。

余計な話が長くなりましたが、以下、引用です。

「デカルトの文章は、…(中略)…、複雑な論理的関係を示す場合が多い。…(中略)…そこで、フランスの小学校の国語の授業に広く行なわれている所謂「論理的分析(analyse logique)の方法に従って、この例文を分析してみよう。「文の分析(analyse des propositions)」ともよばれるこの分析は、一つ一つの単語の文法的性質を示す所謂「文法的分析(analyse grammaticale)」(「語の分析(analyse des mots)」ともよばれる)と相並んで行われるものであって、その一方法によれば、原則として動詞を中心として、動詞ごとに一つの文があると考え、その文の種類(独立文、対等文、主文、補足文、投入文、分詞文、不定法文等)及びその相互関係を明らかにするものである。」(第50課)

なんだか、受験英語の英文解釈みたいですね(笑。でも、「読み・書き」にはよい練習だと思います。次に「リズムの捕捉」について、です。

「ベルグソンが《Energie spirituelle》(1919)の中で述べている所によれば、我々が思索する時には、まず個々の単語を考え、それを組立てて思想を構成するのではなく、最初思想そのものが、或る方向に向う運動の始まりというような感じをもって、我々の心中に浮かぶのであり、その方向感、運動感を具体化するために、個々の単語や語法が記憶の中から取捨選択されるのである。優れた文章というものは、筆者の心中に浮かんだこの思惟の動きそのものを、同じ方向、同じリズムで読者の心中に再現させる力を持つものに他ならない。文章の音の流れは、このような言葉の背後にある思惟の流れそのものを再生させる任務を持つもので、単に、個々の単語の表わす観念の集積以上の深い微妙なものがリズムによって伝えられるのである。
 本課の文章(『思考と運動』のこと:引用者注)でベルグソンが、国語、国文学の教育においては初歩より最高段階に至るまで、文章を適当な抑揚をつけて読むことに基礎を置かねばならないと主張しているのも、以上の見解がその根底になっているのである。而して文章を適当な抑揚をつけて読むためには、筆者の心持ちそのものを把握しなければならないので、その努力には自分の説く「直観」(l’intuition)と相通ずるものがあるとまでいっている。
 ベルグソンのこの考えは、言語と思想の関係の重要な一面を指摘しているものであって、表意文字を用いず、音の流ればかりを主として問題にする西洋語を学ぶ際には、決して忘れてはならないことである。折角苦労して外国語を学んでも、もしもこの方面の事柄をおろそかにすれば、いつまでたっても結局、粗雑な翻訳で伝え得る以上のことはあまり捕捉できなくなるから、初歩のうちから文章を然るべきリズムと抑揚とをつけて読む練習を怠らぬことが望ましい。」(第59課)

音読の重要性は、最近、しばしば述べられていますが、50年近く前の語学書にこのようなことが書いてあるのを見ると、ちょっと感動します。

えーと、以上で『新フランス語入門』の話を終わります。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/21 10:55 編集 返信

そのA

続きです。
この本は筆者の序文や各課の途中に書かれている学習アドバイスなども、非常に参考になるので、関口氏の時と同様に引用しつつ書いていきます。

まず発音について。

「今までわが国では、外国語を学ぶ場合、ともすると発音を軽視する嫌いがあった。だが、「音」を無視しては、文章の美しさはもちろん、大意を掴むのにさえ支障を来すことが少なくない。それゆえ、…(中略)…単語の発音ばかりでなく、文章の音節、アクセント、抑揚、リズム等をも明示した。」

なんか僕はこれを読んで感動し、この本で学ぼうって思いました。
次に文法について、です。

「文法を文法として勉強するほど、煩わしいものはないので、読者はまず、各課の例文を正確に読めるようにし、単語の説明や訳文を頼りにして、その内容をほぼ掴んでから、文法の説明を読んで、文章の構造を理解するようにしていただきたい。例文はすべて、「文法の教理問答」をつくるつもりで選んだので、何度も繰り返して音読し、完全に暗記するのが理想である。」

と、書かれていたので、完全に暗記しました(和文→仏文変換って方法でですが)。暗記してよかったと、しみじみ思います。
次は語彙について。

「名詞に冠詞をつけて記したのは、いうまでもなく、「性」を明らかにするためなので、できるだけ、名詞と冠詞を結びつけて覚えるようにしていただきたい。一般に、各品詞を別々に暗記せず、名詞と形容詞、動詞と副詞というように、品詞を結びつけて記憶しておけば、仏文を綴るときに便利である。」

これも非常に参考になりました。続けて…、

「なお、単語及び熟語に対し、第5課〜第45課では邦訳だけ、第46課〜第50課では邦訳とともに仏語の説明、第51課〜第55課では殆んど仏語の説明だけを加えたのは、学力が進むにつれて、なるべく仏々の辞書を引くようにし、フランス語の文章を一々日本語に直して理解する習慣を、なるべく早く捨てるようにしなければならないからである。」

これも納得です。続けて練習問題について。

「仏文和訳の問題は、聖書の引用、古今の文豪の文章、歴史上有名な言葉等、出典も明らかだし、暗記してよいようなものばかりである。」

これも全部暗記しましたね。続けて、講読篇について。

「(前略)…、ここには十七世紀(第46課〜第50課)、十八世紀(第51課〜第55課)、十九世紀(第56課〜第60課)の典型的な文章を載せることにした。多少難解の点があるかもしれぬが、第45課までで基礎的な知識は一応身につけた筈なので、自習のつもりで時には辞書を引きながら読解に努め、各時代の性格の文章に反映しているのが漠然とでも感じられるまで、反復熟読するようにしていただきたい。殊に、第46、47、48、49、51、53、54、56課等の例文(引用者注:戯曲・詩などの韻文が載っている課)は、意味不明の点はそのままにして、全部暗記するようにおすすめする。また文章の分析(第50課)、翻訳(第56課〜第58課)、リズムの捕捉(第59課)等の問題を仔細に検討すれば、今後、どのような点に注意して、勉強を続けたらよいか、大凡の見当がつくと思う。…(中略)…、また、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介等の文章を載せて(第50、55、60課)、その仏訳を巻末に示したのは、易しい単語や簡単な語法だけでも、充分に頭に入れておけば、どの程度の仏文が綴れるかを、例示するためである。」

とのことですが、「文章の分析」等については、さらに‘続き’で書きます。
では、一度切ります。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/21 10:52 編集 返信

前田・丸山『新フランス語入門』報告

えーと、今日は、
前田陽一、丸山熊雄『新フランス語入門』(岩波書店、1957)
について、書こうと思います。また長文かつ駄文になると思いますが、ご容赦の程を…。

まずは全体の構成ですが、全60課という構成です。第1課から第4課が発音篇、第5課から第45課までが文法篇、第46課から第60課までが講読篇という構成で、この一冊でフランス語のABCから中級レベルまでもっていくことが出来る内容です。仏文科に在籍していた経験からから語ると、この本で真面目に勉強している仏文科2年生(3年生かも)レベルの仏語力が身につきます。これだけの内容が320ページ程で収まっています。

さて、個々の課の構成等について、書いていきます。
まず発音篇の全4課では、個々の母音、子音の発音の説明、発音記号の読み方、綴りと発音の関係などが詳細に書かれています。口の形をあらわす図なども用いながら、本当に丁寧に説明しています。最近の語学書はCDなどの音声教材の発達で、発音の説明が簡略化される傾向がありますが、母語話者の発音を聴いたからって、簡単に真似できるわけもないので、発音の説明にもう少しページを割いて欲しいなって感じています。もし『新フランス語入門』にテープやCDがあったならば、最強の仏語独習書になると思います。それだけ、発音に関して細かな気配りを示している本なのです。

次に本書の中心となる文法篇の構成ですが、以下のようになります。

@ 例文(5〜20文ほど。全ての文に発音記号がついています。)
A 例文の和訳(意図的に直訳している感じです)
B 動詞の活用などの変化表
C 練習問題(仏文和訳・和文仏訳がそれぞれ3、4題)
D 欄外に単語・熟語注(主に新出語彙だが、重要語彙は繰り返し出てくる)
E 文法説明
F 発音説明

@〜Cは全てが枠に囲んで、他の項目と区別されていて、学習者にとって非常に使いやすいレイアウトになっています。このレイアウトの良さっていうのは結構重要だと思います。内容的によい本でもレイアウトが悪いと、学習に手間がかかり、学習の負担が大きくなりますしね。

Cの練習問題ですが、和文仏訳はただ単にその課で習った文法・語法の確認だけが目的の文ですが、仏文和訳は古今のフランス語名文集になっています。有名な詩や小説、聖書や歴史的な名文句などで構成されています。しかも、ちゃんとそれぞれの文がその課の文法事項と対応しているのです。名文集であり文法例文でもあるわけです。巻末には作家名から例文が引ける索引もついています。

Dの語彙リストは辞書なしで学ぶというのが本書の目的の一つなのでかなり詳細です。

E、Fは文章で説明されています。文法説明は一般的なものだと思います。が、この本の最大の特徴は発音説明なんです! 一般の語学書では発音は本の冒頭で述べておしまいになっていることが多いのですが、この本は各課に発音に関する説明があり、アクセントのつけ方、文の抑揚、リズムのつけ方などが図なども利用しつつ、これまた詳細に説明されています。この本の発音説明を全部習得すれば、フランス語圏のアナウンサーにだってなれるような気がするくらいです(笑)。文章内での発音リズムの均整などといった話は、大学の授業では聞いたことがないですもん!…仏文科だったのにっ!

最後に講読篇ですが、17世紀から19世紀までの代表的な文章の抜粋が載っています。17世紀というと古い感じがしますが、仏語の場合、現代語の文法で読めるんです。17世紀の絶対王政期に国家主導でフランス語が整備された結果、それ以降ほとんど文法面で変化がないんですね、フランス語は。なので、17世紀の古典文学から読解が始まっています。

講読篇の内容については、続いて書く、筆者の序文等の引用と絡めて、書いていきます。
では、一度切ります。

To Kuroneko at 2004 04/19 02:48 編集 返信

RE:長くなってゴメンなさい!m(__)m

Kuroneko 様

すばらしいお話をしてくださってありがとうございます。どんな本かぜひ知りたいと願っていたので、その願いが少しでも叶えられた喜びを感じました。

関口存男という人は、すごい人ですね。この人のドイツ語教材の韓国語版を、ソウルの書店でも見ることができます。たぶん韓国でも知られた本なのでしょう。お金がないと言っていないで、絶版になってしまう前に、韓国語訳でも手に入れておきたいと思うようになりました。(笑)

とにかく紹介されたドイツ語習得談は、とても刺激的で、鼓舞的です。もしかしたら、Kuroneko さんのこの書き込みを読んで、勇気を得て外国語をモノにしてしまう人も出てくるのではないかと思いました。同じ方法を続けていても、これで大丈夫だろうかと不安に思う人は多いし、その不安によって挫折してしまうことがほとんどです。しかし、関口存男は不安に思わず続け、ついにはドイツ語もフランス語も習得してしまいます。これは驚くべき話で、読者を凡人から超人に変えてしまう力があると思います。

>えーと、前田・丸山『新フランス語入門』(岩波書店)については、また時間があるときに書きます。
>あと、僕はHPは持っていないので、メールアドレスを書いておきました。
>それでは。

ありがとうございます。でも、Kuroneko さんのすばらしい話を私一人で楽しむのはもったいないので、よろしかったメールよりもこの掲示板に書いていただけませんか。もっと長くなってもかまいません。^^

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/18 18:09 編集 返信

長くなってゴメンなさい!m(__)m

えーと、前田・丸山『新フランス語入門』(岩波書店)については、また時間があるときに書きます。
あと、僕はHPは持っていないので、メールアドレスを書いておきました。
それでは。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/18 18:07 編集 返信

関口氏そのA

関口氏は語学学習上において、「精読」と「流読(多読・濫読)」の両者のうち、「流読」を勧めています。

「また、相当はじめの頃から、思いきつてこいつ(引用者注:流読のこと)をやらないと無意識な底力というものがいつまでたつても生じないのです。スラスラと読み流すなどということは、それは相当語学力がついてから後のことだろうと思うと大きな間違いで、それはむしろ逆で、それをやらないと「相当の語学力」なるものがそもそも生じないのです。「わかるとスラスラ読めるようになる」のではない「スラスラ読むとわかるようになる」のです。」p.65

一方、精読に関しては、

「一字一句の意味をしらべ、よくわかつてからでないと先へは進まぬという精読主義の方は、わたしはこの方がむしろ実行しにくいと思います。この方はよつほど意志強固な人でないと最後まで徹底的にやれないでしょう。」p.68

と、語っています。う〜ん、僕は結構、同感です。実は僕も辞書は余り引かないタイプなんですよね。また、

「精読というやつをやる時には主として「頭」と「理智」と「意識」が働きます。それに反して流読というやつをやる時のは「感じ」と「本能」と「無意識」が働くのです。わたしは、語学というやつは、頭の問題ではなくて、やはり感じの方が主じゃないかと思います。頭でおぼえたことは割合役に立たない、感じと本能でおぼえたことは確かです。 (中略) 流読しているというと、意識的に詳しく考えるなどという暇がありません。そのために、頭脳の方が遮断されて、主として潜在意識の方がはたらき出すものと見えます。精読してわかると、意識活動が旺盛であるために、一見非常に進歩しているような気がして、頭の好い人には、気持ちに満足を与えます。その代り、冴えた意識活動のために、無意識活動の方が阻止されて、感じというものの発達が、むしろ邪魔される傾向すらあります。」p.68-p.69

とも語っています。確かに語学に関しては「理解」だけでは、使い物にならないですよね。個人的な経験ですが、僕は文を暗記するやり方で仏語を学んだのですが、その仏語は理解中心で学習した英語よりも会話に抵抗感がはるかに少ないんですね。簡単なフレーズなら勝手にペラペラ喋るって感じです。英語も受験後に例文暗記に励んだのですが、最初から暗記中心だった仏語に比べると、、、なんかイマイチです。

さて、関口氏の方に話を戻します。流読の方法について、以下のように述べています。

「まず第一にには、少々わからなくても、そんな事はあまり気にしないことです。第二には、わからない単語を一つ一つ辞書で引くのもよろしいが、一語一語の意味を知ろうとする努力はマア適当にしておいて、わからない所があつたならわからないままにしておいて先を読んでいくことです。ただし、ある一つの文章がよく意味がわかつて、しかもその中に一語一句だけ知らないものがあつて、それが非常に気になる……といつたような事がよくありますが、そんな時には、チヨツトゆつくりかまえて、辞書を引いて詳しく考えてみることです。そんな時に調べた単語は非常によく頭に入り、あとで非常に為になります。これは単調な流読の砂漠の中の緑地のごときもので、そんなことばつかりやつていてはそれがまた単調になつて効果が少なくなりますが、たまにやるから、よく効くのです。
 第三には―これが最も重要!―色んなツマラナイ反省を敢然として斥け、完全に馬鹿になりきることです。」p.66-p.67

方法について疑問が生じたら、

「方法に良し悪しはない、良い方法を不徹底にやるよりは、悪い方法を徹底してやる方が、結局最後の意味においてはそれが好い方法なのだ」p.67

と考えろ、とアドバイスしています。
関口氏はこの流読と並行してある氏が“ペラペラ的メトーデ”と呼ぶ方法を用いています。その方法について、以下のように書かれています。

「地方幼年学校時代、しよつちゆうわけのわからぬ短文や断片が頭の中で踊つていて、それが丁度役に立つたことから思いついて、私はその後、或種の方法を自分で発明して意識的に用いはじめました。それはすでにこれまで何度も人に紹介した方法ですが、ついでに一寸のべておきます。(実際的には二十歳頃からやり出したフランス語の勉強の時にはもつぱら此の方法で進歩しました。)
 それはこうです。流読をやっている最中、「これはよく意味がわかる!」という文に遭遇すると、わたしはすぐ本から目を上げて、その文章を(たとえ二行でも三行でも)ソラで言つてみます。つまつたら、カンニングをするようにチヨツト本を見て、なんとかしてそれを覚えてしまいます。そしてそれを何度も何度も言つておぼえてしまうのです。
 おしまいには、どんな文でも、二行三行くらいまではそれを一度読んだきりですぐソラで言えるようになりました(三四年つづけているとです)。しかも、一つの文をいつまでも暗記しているのではなく、どんどん忘れてもいいのですが、とにかく文を読めばすぐそれをソラで言えるように、毎日毎日練習しました。」p.70

これはある種の例文暗唱ですね。なんだか語学の達人の勉強法には共通点が多いですね。
氏は以上の方法で2年ほど仏語を独学し、その後、東京の神田にある仏語学校アテネ・フランセに入学します。アテネは僕も通っていました。

「その前(アテネ・フランセ入学前:引用者注)の二年間ほどは、ちようど暇があつたので、わかつてもわからなくてもとにかく一日に百ページ位のフランス語は必ず読むことに決めて勉強し、その上おまけに一日に半時間ぐらいは、既に前に申し上げた、「二三行の文章を一度眼を通したきりで、中に少々わからぬ単語があつても、すぐそれをペラペラとそらで言えるようにする」という練習時間を設けて、とにかくそれを二年間つづけて強行したものですから、その間のフランス語の進歩は実にすばらしいものでした。」p.78

入学後3年目で、同校のフランス語講師になっていますので、以上の勉強法でかなりの力をつけていたようです。聞き取りなども、慣れてしまえば、すっと理解できたそうです。このことから関口氏は会話などの“実際語学”に関して、以下のように結論づけています。

「殊に強調して申しあげたいのは、実際語学というものは、既に書物が充分読めるようになつてさえ居れば、まことにわけもないものだという此の一点です。私は、自分の経験からして、断乎として此の点を主張したいと思います。」p.79

と言うことだそうです。今の日本の語学教育とは正反対ですね。ただ、個人的には関口氏の意見に賛成です。

えー、大変長くなりましたが、以上、引用を中心に纏めてみました。引用は旧漢字を常用漢字に改めた以外は、原文のままです。ijustat様の参考になればいいな、と思っています。

From Kuroneko( Mail ) To ijustat@chance at 2004 04/18 18:06 編集 返信

関口存男の学習法@

こんばんは! 日本は暑いです、夏のように。。
実は関口存男の『わたしはどういう風にして独逸語をやってきたか?』というエッセーについて、引用しつつ書こうと思います。

このエッセーは、
荒木茂男,真鍋良一,藤田栄(編集責任者)『関口存男の生涯と業績』(三修社,1967)
という関口氏の追悼本の中に収められています。この本はアマゾン・コム等で調べたところ、入手できないようです。僕は公立図書館で見つけたのですが、もしかしたら一般向けには販売されていないたぐいの書籍なのかもしれません。さて、前置きはここまでにして、内容に入っていきます。

氏は戦前の陸軍幼年学校(現在の中学相当年齢)でドイツ語を学び始めたそうです。そして、その少年時分に「ドイツ語をモノにしてやる!」と思い、熱心に学んだ様子です。そして、初級文法の習い始めの時期に、『罪と罰』の独訳を購入し、読み始めたとのことです。無茶ですね〜。以下、引用です。

「意味がわからないままで読むといつても、決して上すべりして字の上を滑走したというのではありません。とにかく「わかろう、わかろう」と思って、片つぱしから辞書を引いて、辞書に書いてあつた意味を何でもかでもその語の妙な響きに結びつけて、そうして一行か二行を穴の開くほど睨みつけて、十ぺんも二十ぺんも三十ぺんも読みなおして、ああじゃないか、こうじゃないかと、とにかく十四歳の少年の智慧に及ぶ最後の限界まで考えつめたのです。」p.53-p.54

そんな読み方で『罪と罰』を2年ほど読んでいくと、、、

「千頁近くもある本(引用者注:『罪と罰』のこと)を、わけもわからぬままに、二年ぐらいかかつて、数百頁よみました。するとどうでしょう、おしまいの頃には、なんだか……わかり出したのです!」p.55

すごいですね〜。で、その「わかり出した」というのは具体的にはこんな様子だったようです。

「ところが妙なことには、話の筋は大体わかつてきたのに、文章の関係や、その他文字のことはホトンド霧の日に隣の家を見るように、朦朧と霞んで、なに一つハツキリわからない。たとえば、ズラツト一行の文章がならんでいると、わたしはいつもの癖で、すぐそれを発音してペラペラと読んで、幾度もくりかえして、おしまい頃には、二行か三行までの文章なら、二三度よむと、すぐ眼をつぶつてそれを暗記でいえたものです。ところが、その中には、ほんの飛び石のように、あちこちに知つた単語があり、ちよいちよい知つた句があるくらいのもので、全体の構造などはわかりもせず、翻訳して見ろと言われたつて出来ません……が、それにも拘らず話の筋はよくわかつて来たのです!」p.55-p.56

そしてある晩、関口少年の頭の中に意味のわからないドイツ語のフレーズや文が、ガンガン鳴り響いて、眠れない夜があったそうです。そして、心を平静にしても、耳から離れない句があったので、どこまで句が続くか頭の中で文を綴ってみると、なんと一頁分の文章が出来たそうで、それは数日前に読んだ『罪と罰』のあるページとほとんど一緒だったそうです! この人は結果的にシュリーマンと同じことをしていたんですね。

その頃の様子は以下のようだったとのことです。

「私の頭の中には、なんだかよく意味のわからない、あるいは半わかりのドイツ語の短文や断句がゴシヤゴシヤと詰めこまれてしまつたわけです。意味がよくわからなくても、いつこうに苦にならない。というよりは、むしろ、いろんな文句がペラペラツと出てくるのだから、それでつまり解つているような気がしていたものと見えます。」p.57

個人的な推測ですが、この頃に関口氏の脳内に「ドイツ語のメモリー領域」のようなものが出来つつあったのかなぁ、、などと思います。例文暗唱も同じような効果があると思うのですが、いかがでしょうか?

さてその語、『罪と罰』をさらに読み進めていくと、、、

「あの膨大な書物の三分の二ばかり、わからぬままによんだのち、二年生から三年生になる当時だつたと思いますが、なんだかコウ、ところどころ、イヤにはつきりよくわかる箇所が頻々として出てくるのに気がつきました。時とすると、半頁も一頁も、スラスラと読めて、よく意味がわかるのです!」p.62

この段階で、関口少年は一語一句の意味がはっきりと理解できるようになったそうです。その後、『罪と罰』をもう一度始めから読み始めると、気持ちいいぐらいに理解でき、猛然と一気に読破してしまったそうです。2年近くかけてやっと3分の2程度読めた本を、1,2ヶ月で読んでしまったというから凄いですね!

その語はドイツ語の小説、戯曲などを手当たり次第に読んでいったそうです。その読み方は、、、

「大部分は、ちよいちよいと辞書を引くきりで、マア大体中に書いてあることはスラスラとわかつた。一文のうちに二語や三語知らぬ単語が出てきても、大体わかると、そのまま次をよんで行くという「流読」の癖がついたのも、この、地方幼年学校三年のときです。」p.63-p.64

これが関口氏の勉強史なんですが、その後に勉強法を総括しています。
、、が、長くなったので一度切ります。

To Kuroneko at 2004 04/17 03:36 編集 返信

RE:情報提供ありがとうございます

Kuroneko様、書き込みありがとうございます。

>ネットの古書検索などでも全然ヒットしませんし、古書店をしらみつぶしに回る余裕もないですしね。かと思えば、某巨大BBSで大手古書チェーン店のブック・オフで新品同様で見つけたって人もいたりして……、なんだか悔しい気分だったりします。

20〜30年前にはベストセラーだった本が、すでに10年前には神田でもなかなか見つからないというのは、悲しいことです。私が韓国に来た後、実家が改築をして、私の本はすべてダンボールに入れて物置の奥に積んでしまい、『20カ国語ペラペラ』を読みたくても読めない状況が続いたことがあります。そのとき、日本に戻って東京へ行くたびに、神保町へ寄ってその本はないかと探して回りましたが、全く出てきませんでした。

>ですね。。ただ「断片」に関してはこちらのサイトが一番充実していると思います。僕は「断片」をコピー&ペーストでWordに落として、プリントして読んでます。このような形で読めるようにしていただいて、感謝しています。

なるほど、そういう読み方もあるんですね。私も数年前、『うひ山ふみ』が読んでみたくてたまらず、インターネットを探し回りながら、その断片を集めて読んだことがあります。古典的な方法で、画面を見ながらノートに書き写しました(笑)。その後古本で手に入れ、それを嬉しさに、コンピュータに入力してホームページに載せましたが、なんと、その後で全文をアップロードしたサイトを見つけたのです。朋がここにもいたのか!という気持ちでした。

ただ、それは著作権がなかった時代の書物で、しかも著者の死後何百年も経っていますから問題ないのですが、『20カ国語ペラペラ』は著作権が有効ですから、著者の方が自らインターネットにアップロードでもしてくださらない限り、本を持っていない人は、それを読むことができません。そういう“隠れてしまった”本って、結構たくさんあるんでしょうね。

>これら以外では松本亨『新しい英語の学び方』(講談社現代新書)、『関口存男の生涯と業績』(編者、出版社とも失念;;)に収録の関口氏の独逸語習得記的エッセーなどが参考になりました。両者ともその言語関係ではカリスマ的存在ですね。ただどちらも現在、入手不可の状態みたいで残念です。

名前だけはどちらも聞いていますが、残念なことに読んだことがありません。後者は『外国語大好きクラブ』でクラブマスターの方がその断片を書き込んでくださって、読んだことがありますが、その後ずっとその本を読みたいと願っています。特に私は韓国に住んでいるので、絶版になった本を手に入れるのは大変なことです。

>学習書を含めて語学関連の書籍は、新しさが命なのですぐに絶版になりますよね。特に学習書は改訂者がいなければ、いくら名著でも消えていってしまいます。現代語ではしょうがないと思うのですが、ものによっては今でも充分通用する参考書は存在すると思います。

まったくその通りだと思います。しかし、良書を出ているうちに買っておくというのは大変な見識を要します。残念ですが、私には無理なようです。

>僕は大学が仏文科だったので、学生時代はフランス語が第一外国語だったのですが、大学の授業が全然役に立たなかったので(伝統ある仏文科だったんで、進学したのに、、、)、基本的に独学しました。その時に前田陽一・丸山熊雄『新フランス語入門』(岩波書店,1957)という本で勉強しました。入手時ですでに絶版だったのですが、非常に良くできた学習書でした。この本について語り始めたら、多分長くなってしまうので、何か機会があれば書きたいと思います。

それはぜひ書いてください。ホームページをお持ちでしたら、書かれた後知らせていただければ幸いです。その本が名著だとほめている方は他にもいらっしゃいます。特に、発音の解説が実に精密だという話をあるサイトで読みました。韓国で日本語教師をしていて、日本語の学習書を以前から何冊か作ってきたので、何語にかかわらず、外国語の学習書にはとても関心があるのです。

ということで、私も長くなりました。(笑)

From Kuroneko To ijustat@chance at 2004 04/15 21:35 編集 返信

情報提供ありがとうございます

私もニュース・サイトを見ました。復刻ですか、、残念です。じつはijustat様の外国語学習ページを見て以来、『20ヶ国語ペラペラ』を入手しようと密かにがんばっているんですが、なかなか難しいです。

ネットの古書検索などでも全然ヒットしませんし、古書店をしらみつぶしに回る余裕もないですしね。かと思えば、某巨大BBSで大手古書チェーン店のブック・オフで新品同様で見つけたって人もいたりして……、なんだか悔しい気分だったりします。

>ただ、残念ながら、復刊ではなく復刻で、部数も非常に限定されて
>いるので、読みたい人は、やはり今までどおり、苦労して探し回
>るか、インターネット上に部分的に載せられている断片を読むかす
>る以外にないでしょう。

ですね。。ただ「断片」に関してはこちらのサイトが一番充実していると思います。僕は「断片」をコピー&ペーストでWordに落として、プリントして読んでます。このような形で読めるようにしていただいて、感謝しています。

僕は以前、といいますか1年前まで予備校で英語を教えていましたので、語学学習関連本は結構読んできましたが、「いい本だ!」と思える本というのは結構同じなんですね。僕も千野栄一『外国語上達法』、塩田勉『おじさん、語学する』、猪浦道夫『語学で身を立てる』は読みましたし、非常に参考になりました。

これら以外では松本亨『新しい英語の学び方』(講談社現代新書)、『関口存男の生涯と業績』(編者、出版社とも失念;;)に収録の関口氏の独逸語習得記的エッセーなどが参考になりました。両者ともその言語関係ではカリスマ的存在ですね。ただどちらも現在、入手不可の状態みたいで残念です。

学習書を含めて語学関連の書籍は、新しさが命なのですぐに絶版になりますよね。特に学習書は改訂者がいなければ、いくら名著でも消えていってしまいます。現代語ではしょうがないと思うのですが、ものによっては今でも充分通用する参考書は存在すると思います。

僕は大学が仏文科だったので、学生時代はフランス語が第一外国語だったのですが、大学の授業が全然役に立たなかったので(伝統ある仏文科だったんで、進学したのに、、、)、基本的に独学しました。その時に前田陽一・丸山熊雄『新フランス語入門』(岩波書店,1957)という本で勉強しました。入手時ですでに絶版だったのですが、非常に良くできた学習書でした。この本について語り始めたら、多分長くなってしまうので、何か機会があれば書きたいと思います。

とにかく、名著が絶版ってことが多いのは残念ですね。
長文で駄文になりました。スイマセンm(__)m

To Kuroneko at 2004 04/15 20:54 編集 返信

RE:種田氏の情報です

Kuroneko様

紹介してくださったニュースのページにまた入ってみると、なんと『20ヵ国語ペラペラ』の復刻がついに成就したという記事が、4月10日付で載っていました。私が13日に見た時にはなかったので、その後で更新されたんだと思います。

http://www.muratasystem.or.jp/~satoko/kyouiku0109.htm

ただ、残念ながら、復刊ではなく復刻で、部数も非常に限定されているので、読みたい人は、やはり今までどおり、苦労して探し回るか、インターネット上に部分的に載せられている断片を読むかする以外にないでしょう。

『20ヵ国語ペラペラ』以後に、ノウハウとしてはさらに優れた本がいくつも出てきました。『外国語上達法』(千野栄一)、『おじさん、語学する』(塩田勉)、『語学で身を立てる』(猪浦道夫)、『国弘流英語の話しかた』(国弘正雄)、『より良い外国語学習法を求めて』(竹内理)など、名著だと私は思う本がたくさん出ています。

しかし、それらの本になくて『20ヵ国語ペラペラ』にあるのは、未知の世界である外国語に対する強い“憧れ”です。これが読者の気持ちを熱くさせるのです。強い情熱は、どんな技術よりも、外国語習得への成功率を高めてくれます。たとえこの本で紹介されている学習法に習熟できなかったとしても、情熱さえあれば、外国語を身につけることはできます。そういう点で、『20ヵ国語ペラペラ』は異色の名著だと思います。

この本が、もっと多くの人に関心を持たれるようになるといいですね。