1週間に1課進む独習法


外国語を読めるようにならなければならないけれども時間がなくてできない。そんな人に、私がやっている方法を紹介しよう。

それは、語学の教材を、1週間に1課ずつ進めるという方法だ。1週間に1課。これが重要なポイントだ。

まず、この方法が可能な条件がいくつかある。それは、

  1. 読解中心の教材であること
  2. 各課の分量が大体一定であること
  3. 暗記に適していること
  4. 必要な内容が網羅されていること
各課の分量がまちまちな教材でこの方法を用いるときには、なるべく学習量が等量になるようにあらかじめ工夫をする必要があるかも知れない。しかし、それよりもまず、そのような教材は避けた方がいいだろう。後ろへ行くほど本文の量が増えるのは、それだけその言語に慣れていくからで、多少無理のある教材もあるが、多くはあまり問題ないと思われる。

また、教材には暗記に適しているものと、アクティビティーが中心のものとがある。ドリルやタスクなどを通して外国語を身に付けさせる教材は、独修向きではない。例文も、暗記のためというよりは、それを読んだあとその内容について話してみるのが目的のことが多い。そういう教材は、この学習方法ではなるべくなら避けた方がいい。

この学習方法に相応しい教材は、大学書林の四週間シリーズ。立花隆はこれを本当に4週間でやってのけてしまったが、日々忙しいうえに集中力と忍耐力に欠ける私たちにはそれは難しい。4週間は28日だが、それを28週間、つまり約7ヶ月にのばして学習するわけだ。この学習法では根気が要るが、4週間のあいだ大変な忍耐力を要求されるのに比べれば、何でもないことだ。

その他に、白水社の入門シリーズも、この方法で学習しやすいと思われる。25〜35課ぐらいの構成になっている教材が多いので、その課の数が学習する週の数になるわけだ。本文の訳が同じ見開きにあるので、訳を見て原文を言えるようにする暗記方法に向いている。私は1985年に白水社の『朝鮮語の入門』(菅野裕臣著)で韓国語を学んだ。当時は私には暗記という概念がなかったので無闇に苦労したが、今この教材を読み返してみると、几帳面に作られていて、会話文の言葉遣いも品があり、独習にはとてもいいと思う。

白水社のエクスプレスシリーズは、外国語の基礎の基礎を身に付けさせる教材なので、文法も語彙も、基礎を完成させるには物足りない。ただし、エスペラント語や中国語のように基礎文法の項目が少ない言語なら、エクスプレスシリーズでも十分に使えると思う。その他にも、各課の量が大体同じで、例文の多い教材なら、この学習法には向いている。エクスプレスシリーズでは、一様に20週で学習を終えることができる。『エクスプレス日本語』は、たぶんこのシリーズの中ではいちばんよくできた教材だと思われるが、残念なことに、私たちには関係がない。

1課にかける日数は1週間だ。しかし、1課の分量がとても多く消化しきれない場合は、1課に2週間かけるのも一法だ。たとえば1課が10ページから20ページもあって文字がぎっしり詰まっている教材は、1課を消化するだけでも大変なエネルギーがかかる。そういうものは1週間ではとうてい覚えきれない。教材はあまり大部でない方がいいが、それ以外に教材がなかったり、いい教材の条件を満たすものがそれだけだったりした場合は、分量よりも内容を優先させるべきだ。『20カ国語ペラペラ』(実業之日本社刊)の著者種田輝豊氏は、トルコ語を学習したとき、教材があまりに大部だったので、端折って勉強したという。その本には具体的な端折り方は載っていなかったと思うが、もし私たちが端折るなら、ドリルやタスクのような部分は果敢に端折るべきだろう。それよりも、巨大な教材は選ばないことだ。

この方法では、1週間に1課ずつ、本文や例文を暗記して行くことでその外国語を習得することを目標にしている。だから、各課の内容を、少なくとも9割以上は完全に覚えてしまう必要がある。特に本文や例文は完全に身に付けなければならない。それが1週間以内に無理な場合は、1課に2週間を当てる必要がある。あるいは、各課の構成がきちんとしている場合は、1つの課を2つに分けて学習するというのも手だ。そうすれば、2週間も同じ例文と付き合うという退屈さを避けることができる。「彼らはスミレは持っていない」、「馬が五頭逃げて行く」のような文に2週間のあいだ付き合っても気が変にならない人は、あまり多くはないと思う。

1週間の学習量を1課なり2課なりと決めたら、伸ばしても縮めてもいけない。学習速度を変えることは挫折につながるからだ。ただし、人間には先を知りたがる気持がある。好奇心というやつだ。私は好奇心旺盛なので、先を知りたい気持を押さえることができない。そういう人は、好奇心を無理に押し殺す必要はない。後ろの方も読みたければ読みたいだけ読めばいいのだ。後ろの方を読んでおくと、その課を勉強する週に入ったとき、すでに知っている内容なので、学習が楽になる。このとき注意すべきことは、先の方を読んで理解することは学習ではないということだ。あくまでも、この方法での学習というのは、暗記することだ。暗記こそ語学習得の中心だ。理解は、暗記へ至る学習の準備段階として重要だが、それはゴールではない。語学学習は暗記と決めてかかるべきだ。

その課の内容を読み練習問題を解くのは、最初の日にやってしまう必要がある。2日目からは、本文や例文の暗記に取りかかる。暗記には次の二つの方法がある。一つは、その文章を丸暗記してしまうこと。もう一つは、訳が付いている場合は、訳を見ながら原文が言えるようにし、のちにその原文を訳を見ながら書き出せるようにすることだ。そのためには、教材のセンテンスはやたらと長くない方がいい。なぜなら、暗記にかかる時間は、センテンスの長さに累乗するからだ。訳が付いているものも、最終的にはそらで言えるようにすることが望ましいと思うが、各例文間に脈絡のない教材は順番がこんがらかって苦労するだろう。

内容が難しかったり多すぎたりしなければ、原文を確認する必要があるのは初めの3日ほどだと思う。残りの4日間は、単に記憶が失われていないかどうかを確認するためにそらで暗唱したり、原文を見ないで書き出したりするだけだ。それにかける時間はあまり長くない方がいい。どんなに長くても、30分程度にすべきだ。そらで言えるようになったら、運転中や電車に乗っているとき、人を待っているときなど、空いている時間にそれを思い出す。忘れている部分があったら、その場で確認するか、家に帰ってからその部分を確認する。こうすると、記憶に留まりやすくなる。

暗記するのはあくまでも本文や例文であり、変化表ではない。ましてや説明でもない。これらは、暗記ではなく理解すべきものだ。ギリシャ語やラテン語、ロシア語などのように形態論の豊富な言語では、変化表の習得が強調されるが、変化表はあくまでも本文や例文を理解するための助けに過ぎない。それを覚えようとするのでなく、実際に出て来る文章を理解し暗記することで、その変化表の内容を最終的には習得するという形が望ましい。なぜなら、変化表というのは、極端な言い方をすれば、言葉ではないからだ。言葉というのは必ず何らかの発話動機があり、何らかのメッセージを含んでいる。しかし、変化表に乗っている単語たちは、そういうもののない、死んだ文字列に過ぎない。それは、極めて意味が希薄な、あるいはほとんど意味を含まないものだ。それを“言葉”だと勘違いすると、あとで実際の文章に当たったときに、理解する上でいろいろ障害が起こってくるに違いない。

単語とその訳語だけを暗記するのも、やめた方がいい。単語は、文脈や状況を与えられて初めて意味を持つ。そういうもののない単語の陳列は、語形変化表に並べられた単語の各語形よりはましかも知れないが、それでもまだそれは言葉となっていないという点に注目する必要がある。新出語句は、あくまでも読解問題や本文などを理解するとっかかりに過ぎない。覚えるべきは文章だ。訳語付きの単語ではない。ただし、「机」だとか「自動車」、「水」などの具体名詞は、単語だけ覚えても役に立つ。

この学習方法は、1週間に1課の進度が原則だが、自分がよく知っている言語と近い関係の言語を学ぶときには、学習速度を多少早くできるかも知れない。たとえばイタリア語が自由に使える人がスペイン語やポルトガル語やラテン語を勉強するときは、例文の理解にあまり苦労はないだろうから、暗記の速度も早くなると思う。しかし、イタリア語が使える人でも、ドイツ語は難しいだろうし、ギリシャ語になると、ひどく苦労するに違いない。韓国語は日本語と似ているが、基礎の段階で苦労するのは他の外国語と大差ないと思われる。また、自分の知っている言語と系統の異なる外国語を勉強するときは、ショックや拒否感を伴う可能性がある。そういう外国語を勉強する人は、まず一度教材をざっと読んでその言語の鳥瞰をつかんでから、もう一度初めに戻って1課から暗記をして行ってもいいかも知れない。

また、途中で学習が頓挫することを恐れないことだ。頓挫したら、また時間を置いてやり直せばいいのだ。その間に、その言語が用いられる文化について書かれた本などを読みながら、その外国語への関心を持ちつづけると、次にやり直すとき、少し楽になる。日々忙しく、物覚えが悪く、根気に欠け、誘惑にも弱い私たちにとって、語学に挫折は付き物だ。しかし、何度挫折しても遂には習得してみせるという、鑑真のような積極性があれば、外国語は必ず身に付けることができる。しつこくその外国語と格闘していれば、日々挫折の連続でも、遂にはその外国語を自分のものにできる。これは、信念ではなくて、事実だ。しかし、事実はあっても受け入れなければ、その事実はいつまでも自分とは無関係だ。特に忙しい人ほど、この事実に望みを置くべきだ。忙しくても、挫折しても、外国語は習得できる。