「うひ山ふみ」の本文と「玉勝間」からの附載を掲載します。これは、本居宣長が、学問の入門者への心得として、研究法の要点を説いたものです。これはまた、外国語を極めようと志す人にとっても、貴重な方法論を教えてくれています。ぜひ「うひ山ふみ」本文をじっくり読んで、自分の専門分野や外国語の学習方法にアレンジしてみてはいかがでしょうか。

原典は段落分けがなされていないのですが、掲載するにあたって、読みやすくするために、適宜段落分けを施しました。また、旧字体は新字体に直しました。ただし、「餘」はそのままにしました。転載されるときに気に入らない方は、「余」に直してください。

また、仮名遣いおよびその他の表記は岩波文庫版のままにしてあります。重ね字の途中で改行される場合以外は第二字に「々」を振るのが普通ですが、ここでは例えば「巻巻」を「巻々」と直すことはしませんでした。これも、転載される際、気に入らなければ直してください。コンピュータの制約上、二倍の踊り字(「く」を縦に長くした形の繰り返し記号)は/\、濁点付きの二倍の踊り字は「/゛ \」で代用しました。

ルビは除いてあります。ただし、読みの難しい漢字は、カーソルを当てると、読みが浮き出てきます。その部分には、下線を付しておきました。ただし、ルビが付されていない難読の字には読みを施しませんでした。また、「やまとたましひ」や「いみしく」など、普通濁音が入る語が清音になっているのも、そのまま読んでいいのか、濁音を入れて読むべきなのか、判断がつかないので、そのままにしてあります。声に出してお読みになるときは、各自の判断で読んでください。

なお、2003年3月31日に、「うひ山ふみ」の全文の入力を終えました。“こちら”もご覧ください。


うひ山ふみ

 世に物まなびのすぢ、しな/゛\有て、一やうならず。そのしな/゛\をいはゞ、まづ神代紀をむねとたてゝ、道をもはらと学ぶ有、これを神学といひ、其人を神道者といふ。又官職、儀式、律令などを、むねとして学ぶあり。またもろ/\の故実、装束、調度などの事を、むねと学ぶあり。これらを有職の学といふ。又上は六国史其外の古書をはじめ、後世の書共まで、いづれのすぢによるともなくて、まなぶもあり。此すぢの中にも、猶分ていはゞ、しな/゛\有べし。又哥の学び有、それにも、哥をのみよむと、ふるき哥集物語書などを明らむるとの二やうあり。大かた件のしな/゛\有て、おの/\好むすぢによりてまなぶに、又おの/\その学びやうの法も、教ふる師の心々、まなぶ人の心々にて、さま/゛\あり。
 かくて学問に心ざして、入そむる人、はじめより、みづから思ひよれるすぢありて、その学びやうも、みづからはからふも有を、又さやうにとり分てそれと思ひよれるすぢもなく、まなびやうも、みづから思ひとれるかたなきは、物しり人につきて、いづれのすぢに入てかよらん、又うひのまなびやうは、いづれの書よりまづ見るべきぞなど、求むる、これつねの事なるが、まことに然あるべきことにて、その学のしなをし、まなびやうの法をも正して、ゆくさきよこさまなるあしき方に落ざるやう、又其業のはやく成るべきやう、すべて功多かるべきやうを、はじめよりよくしたゝめて、入らまほしきわざ也。同じく精力を用ひながらも、そのすぢそのまなびやうによりて、得失あるべきこと也。
 然はあれども、まづかの学のしな/゛\は、他よりしひて、それをとはいひがたし。大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也。いかに初心なればとても、学問にもこゝろざすほどのものは、むげに小児の心のやうにはあらねば、ほど/\にみづから思ひよれるすぢは、必あるものなり。又面々好むかたと、好まぬ方とも有、又生れつきて得たる事と、得ぬ事とも物なるを、好まぬ事得ぬ事をしては、同じやうにつとめても、功を得ることすくなし。又いづれのしなにもせよ、学びやうの次第も一わたりの理によりて、云々してよろしと、さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果してよきものならんや、又思ひの外にさてはあしき物ならんや、実にはしりがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、実はたゞ其人の心まかせにしてよき也。
 詮ずるところ学問は、たゞ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても怠りてつとめざれば、功はなし。又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有物也。又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり。又のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也。されば才のともしきや、学ぶ事の晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、ることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし。すべて思ひくづをるゝは、学問に大にきらふ事ぞかし。
 さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法もかならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取りつきどころなくして、おのづから倦みおこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長がかくもやあるべからんと思ひとれるところを一わたりいふべき也。然れどもその教へかたも、又人の心々なれば、吾はかやうにてよかるべきかと思へども、さてはわろしと思ふ人も有べきなれば、しひていふにはあらず。たゞ己が教によらんと思はん人のためにいふのみ也。
 そはまづかのしな/゛\ある学びのすぢ/\、いづれも/\、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず、学ばまほしきわざなれども、一人の生涯の力を以ては、こと/゛\くは、其奥までは究めがたきわざなれば、其中にとしてよるところを定めて、かならずその奥をきはめつくさんと、はじめより志を高く大にたてゝ、つとめ学ぶべき也。然して其餘のしな/゛\をも、力の及ばんかぎり、学び明らむべし。
 さてその主としてよるべきすぢは、何れぞといへば、道の学問なり。そも/\此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道はいかなるさまの道ぞといふに、此道は、古事記書紀の二典に記されたる、神代上代の、もろ/\の事跡のうへに備はりたり。此二典の上代の巻巻を、くりかへし/\よくよみ見るべし。
 又初学の輩は、宣長が著したる、神代正語を、数十遍よみて、その古語のやうを、口なれしり、又直日のみたま、玉矛百首、玉くしげ、葛花などやうの物を、入学のはじめより、かの二典と相まじへてよむべし。然せば、二典の事跡に、道の具備はれることも、道の大むねも、大抵に合点ゆくべし。又件の書どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固まりて、漢意におちいらぬにもよかるべき也。道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意、儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし。
 さてかの二典の内につきても、道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし。書紀をよむには、大に心得あり、文のまゝに解しては、いたく古の意にたがふこと有て、かならず漢意に落入べし。
 次に古語拾遺、やゝ後の物にはあれども、二典のたすけとなる事ども多し、早くよむべし。
 次に万葉集、これは哥の集なれども、道をしるに、緊要の書なり。殊によく学ぶべし。その子細は、下に委くいふべし。
 まづ道をしるべき学びは、大抵上件の書ども也。
 然れども書紀より後の、次々の御世々々の事も、しらでは有べからず、其書どもは、続日本紀、次に日本後紀、つぎに続日本後紀、次に文徳実録、次に三代実録也。書紀よりこれまでを合せて六国史といふ。みな朝廷の正史なり、つぎ /\に必よむべし。又件の史どもの中に、御世々々の宣命には、ふるき意詞のゝこりたれば、殊に心をつけて見るべし。
 次に延喜式、姓氏録、和名抄、貞観儀式、出雲国風土記、釈日本紀、令、西宮記、北山抄、さては己が古事記伝など、おほかたこれら、古学の輩の、よく見ではかなはぬ書ども也。
 然れども初学のほどには、件の書どもを、すみやかに読わたすことも、たやすからざれば、巻数多き大部の書共は、しばらく後へまはして、短き書どもより見んも、宜しかるべし。其内に延喜式の中の祝詞の巻、又神名帳などは、早く見ではかなはぬ物也。凡て件の書ども、かならずしも次第を定めてよむにも及ばず、たゞ便にまかせて、次第にかゝはらず、これをもかれをも見るべし。
 又いづれの書をよむとても、初心のほどは、かたはしより文義を解せんとはすべからず、まづ大抵にさら/\と見て、他の書にうつり、これやかれやと読ては、又さきによみたる書へ立かへりつゝ、幾遍もよむうちには、始に聞えざりし事も、そろ/\と聞ゆるやうになりゆくもの也。
 さて件の書どもを、数遍よむ間には、其外のよむべき書どものことも、学びやうの法なども、段々に自分の料簡の出来るものなれば、其末の事は、一々さとし教るに及ばず、心にまかせて、力の及ばむかぎり、古きをも後の書をも、広くも見るべく、又簡約にして、さのみ広くはわたらずしても有ぬべし。
 さて又五十音のとりさばき、かなづかひなど、必こゝろがくべきわざ也。語釈は緊要にあらず、さて又漢籍をもまじへよむべし。古書どもは、皆漢字漢文を借て記され、殊に孝徳天皇天智天皇の御世のころよりしてこなたは、の事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも、大抵はしらでは、ゆきとゞきがたき事多ければ也。但しからぶみを見るには、殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるゝことぞ、此心得肝要也。
 さて又段々学問に入たちて、事の大すぢも、大抵は合点のゆけるほどにもなりなば、いづれにもあれ、古書の注釈を作らんと、早く心がくべし。物の注釈をするは、すべて大に学問のためになること也。
 さて上にいへるごとく、二典の次には、万葉集をよく学ぶべし。みづからも古風の哥をまなびてよむべし、すべて人は、かならず哥をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也。哥をよまでは、古の世のくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし。万葉の哥の中にても、やすらかに高く、のびらかなるすがたを、ならひてよむべし。又長哥をもよむべし。
 さて又哥には、古風後世風、世々のけぢめあることなるが、古学の輩は、古風をまづむねとよむべきことは、いふに及ばず、又後世風をも、棄ずしてならひよむべし。後世風の中にも、さま/゛\よきあしきふり/\あるを、よくえらびてならふべき也。
 又伊勢源氏その外も、物語書どもをも、つねに見るべし。
 すべてみづから哥をもよみ、物がたりぶみなどをも常に見て、いにしへ人の、風雅のおもむきをしるは、哥まなびのためには、いふに及ばず、古の道を明らめしる学問にも、いみしくたすけとなるわざなりかし。


附載

  玉勝間十二の巻一節(二十一丁の裏)
    物学びはその道をよくえらびて入そむべき事

物まなびに心ざしたらむには、まづ師をよく択びて、その立たるやう、教のさまを、よく考へて、従ひそむべきわざなり。さとりにぶき人は、更にも云はず、もとより、智とき人といへども、大かた始めに従ひそめたるかたに、おのづから心は引かるゝわざにて、その道の筋悪ろけれど、悪ろき事をえさとらず。又後にはさとりながらも、年頃のならひは、さすがに捨て難きわざなるに、我とか云ふ禍神さへ立そひて、とにかくにしひごとして、猶その筋をたすけむとする程に、終に善き事はえ物せで、世の限りひがことのみして、身ををふる類ひなど、世に多し。斯かる類ひの人は、つとめて深く学べば、学ぶまに/\いよ/\悪ろき事のみ盛りになりて、己れまどへるのみならず、世の人をさへにまどはす事ぞかし。かへす/゛\始めより、師をよくえらぶべきわざになむ。此事は、うひやまぶみにいふべかりしを、もらしてければ、此処には云ふなり。




底本:『うひ山ふみ 鈴屋答問録』岩波文庫
   1934(昭和9)年4月10日初版発行



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