ニュアンス


以下の文章は、ライコスクラブに書き込んだものを、そのまま載せたものです。

130   ニュアンス
2000/12/29 02:07:44  ijustat  (参照数 7) << 前へ-次へ >>
外国語のニュアンスが分かるって、すごく神秘的なことですよね。どうやったら、外国語のニュアンスが分かるようになるのかということは、外国語学習者の課題でもあるし、ときには、はじめからあきらめてかかっている人もいる。「日本人には、外国語のニュアンスは分からない」と。

しかし、もし、外国語のニュアンスが分かる能力がないと証明できるなら、同じ条件から、母国語である日本語のニュアンスも分かる能力がないと証明できると思います。日本語は子どもの頃から身につけたからニュアンスが分かるのだと言いますが、私たちが知っている数多くの言葉や表現は、大人になってから身に付けたものが半分くらいを占めますから、それらはニュアンスが理解できないと証明できなければなりません。

しかし、現実には、大人になってから初めて目にし、耳にした言葉も、そのニュアンスが分かるようになるところを見ると、外国語だって、同じ方法で接すれば、そのニュアンスが分かるようになるのは当然のことだ、というのが、昔私が韓国語を勉強し始めた頃に考えたことでした。

それで、実際にどうかというと、やはりニュアンスは分かるようになりました。それを身につける方法は、単純です。

1.どんな言葉が、2.どんな状況で、3.何を目的に使われたか、という3つの柱をしっかりと観察することです。

1番目の“どんな言葉”というのは、言葉の全てを指します。単語、連語、活用形、文法形式などなど。

2番目の“どんな状況”というのは、場面や、誰が誰にとかいった、人間関係などを含みます。会話か、手紙か、新聞や雑誌か、はたまた論文かなどといったことも、この“状況”に含まれます。

3番目の“何を目的に”というのは、意志疎通機能のことを指します。会話の場合は、その言葉に対する相手の反応を追っていけば、次第に分かるようになります。文章の場合は、なぜこの人はこんなことを書いたのかということを、根気よく追求していけば、次第に分かるようになります。ただし、後者の場合は、人間というものに対する理解を深めようと努力することも並行して行わなければならないでしょう。その点で、私はまだひよっこですが・・・。

この三つの柱から一つでも欠けたら、外国語のニュアンスを正確に身につけるのは不可能になります。多くの人たちは、1番目にしか関心を持ちません。2番目と3番目は、おまけくらいに考えています。

しかし、実際には、この3つの柱は、どれもが同じくらい重要です。

こうやって、ひとたび韓国語のニュアンスが分かるようになると(もちろん完璧ではありませんし、母国語でも全て完璧にニュアンスを把握するためには、大変な勉強量が必要でしょう)、外国語で書かれたものなどを、翻訳で読むのは、ときには非常にもどかしくなります。

なぜなら、外国語は外国語で、日本語は日本語だからです。事実関係や、肯定か否定かということは、伝えることはできるけれども、細かい意味の彩は、うまい訳では、日本語の別のものに置き換えられ、下手な訳では、雲散霧消してしまうのです。

私が聖書を原典で読みたいと願い、一人でギリシャ語を勉強して「新約聖書」をのろのろと読んでいるわけは、実は、ここにあるのです。

たくさんの人たちは、聖書はどこの言葉でも同じじゃないかと言います。確かに、ほとんど同じではあります。しかし、一度言葉の“深い”味わいに味を占めてしまうと、日本語や韓国語、英語などで聖書を深読みすればするほど、その奥深くに、日本語や韓国語、英語が見えてきてしまうのです(英語はよく分からないんですが・・・汗)。

実際、ギリシャ語で、たどたどしくはあるけれども、読んでいくと、ニュアンスにまでは至らないけれども、訳では感じられない生々しい息吹が、そこに見えてくるんです。実は、それは、ニュアンス把握の“胎動”と言えます。私はそれを、辞書の訳で確認した意味よりも大事にしています。

実際、断食されたキリストを悪魔が誘惑する場面が、本当にすごい誘惑だと実感させられたのは、ギリシャ語で読んだときでした。最初にそれを書いた筆者の息遣いから感じられる何かが、翻訳では抜け落ちてしまうのでしょう。原典で読んでから、英訳や日本語訳を見ると、なるほどと思うのですが、その逆はなかなかなさそうです。

英語を読んでいる人は、英和辞典で確認した意味よりも、文章を読みながら肌で感じた直感的な意味の方を大事にしていれば、かなりニュアンスの把握ができるようになってくると思います。

それから、私は、ある程度勉強した段階で、韓日辞典を使うのを止めました。韓韓辞典を使い始めたんです。その時は気が付きませんでしたが、その効果は絶大です。英語の先生たちが、よく、英和辞典よりも英英辞典を使うべきだと口を酸っぱくして言っているわけを、身を以って感じました。

韓韓辞典を主に(最初のうちは、どうしても解釈できないものは韓日辞典を使っていました)使い始めてから6ヶ月ほどで、韓国語の文章を読むときに、その意味するところが、日本語を読むように鮮明に目に(心に?)入ってくるようになったのです。その時の感じは、何か自分が新しい世界に目が開き始めたときの喜びでいっぱいの気分でした。

英語は幸い、私みたいな英語のできない人でも十分読める英英辞典がたくさんあります。特に、コリンズの英英辞典は出色です。いわゆる“意味”の説明ではなく、どんなときに何を表現するために使うかということが説明されています。私はこの辞書で、commitmentの意味を初めて知りました。

中国語を勉強する人は、最初から『漢語詞典』が使えるので、ニュアンスへの道はものすごく近いと思います。私のように、中国語を読めも(?)話せもしない人間でさえ、必要があって中国語の意味を調べるとき、『漢語詞典』を見て、大体の大まかな概念がつかめる。その理解にはあやふやなところも確かにあるけれども、日本語を介して理解するのとは違う方向性を持った理解だと考えています。

ちなみに、外国語のニュアンスが分かるようになったらネイティブスピーカーと同じになるかというと、それは違います。依然として知識や経験の抜け落ちはいたるところにあり、ニュアンスの把握をしかねることも、たくさんあります。それに、使いながら、知識不足と経験不足によって、不適切な表現を用いてしまったり、ときには間違った言い方をしてしまったりすることもあります。

ときには、ネイティブスピーカーと区別がつきにくいほどうまく使いこなせるときもあります。しかし、そのうちぼろが出るから、やはり、同じとは言えないようです。

それでも、ニュアンスは分かるようになるんです。皆さんも、外国語の“深い味わい”にはまってみてください。これには習慣性がありますよ(笑)。
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