メインテナンス


韓国の神学大学院に通う日本人のクリスチャンが多い。その人たちは、ほとんど必ずギリシャ語の集中講議を受けている。そんな神学生の人たちに、ギリシャ語学習に関して外野から一言口出ししたい。それは、集中講議を受けたあとのメインテナンスだ。

多くの神学校では冬休みなどの期間を利用してギリシャ語の集中講議をしている。たぶん、その講議を受けた直後は、ギリシャ語の文法についてはしっかりした知識を持っていることと思う。

しかし、問題はそれからあとだ。自分はギリシャ語ができるようになったと思って安心してはいけない。人間の記憶というのは、どんどん薄れて行くのだ。忘却は、集中講議を終えて、原語で聖書を読みながらも、すでに起こり始めている。

どうしてそういうことが起こるのかというと、文法事項の中には頻度が高いものもあれば、低いものもある。頻度が低い語は、お目にかかるまで時間がかかる。そのため、学習を終えてからその文法事項に出会うまでの間に、すっかり忘れてしまうのだ。初めて実際に出会ったときには、あなたは誰?ということになる。そして、さらに困ったことに、文法を終えたばかりの段階では、一気に新約聖書を通読するのは不可能なのだ。大変な苦労をしながら、カタツムリのような低速度で、もたもたと読み進んで行くしかない。その間に、文法知識はどんどん崩壊して行く。

だから、集中講議を終えた後、学習した教材を復習する必要がある。集中講議の時には理解するための学習だったが、復習するときには覚えるために学習するのだ。もう一度変化形を何度も書き写したり、退屈な例文を暗唱するのは、本当に嫌なことだと思う。しかし、反復して学習する必要があるのだ。

その復習は、講議を終えた直後に始めた方がいい。文法事項を復習して確実なものにし、例文の中でそれを定着させるのだ。例文が聖書から実際に取られた教材なら、復習はそれほど苦痛ではないと思う。

注意すべきことは、横着して変化形だけを復習しようとしないことだ。それらは意味を持たない言語の形式だ。そこから意味を感じようとすると、大変な苦労を頭脳に強いることになる。変化形の記憶を確認したら、例文(読解練習のこと)でその変化形の意味をじっくりと味わうことが大切だ。例文では、その変化形が初出の課で全部は提示されないだろうが、それに関しては神経質になる必要はない。類推作用などが働いて、記憶は定着して行くからだ。

このメインテナンスは、ギリシャ語の文法に本当に自信が付くまで時々繰り替えした方がいい。最初の復習は集中講議修了の直後にやった方がいいが、次の復習は最初の復習が終わってから1〜2ヶ月後、その次の復習は数カ月後、次は1年後と、だんだん間隔をのばして行くといいと思う。その復習も、徐々にざっと見るだけで十分になって行くことと思う。

それをするかしないかで、10年後の姿がかなり変わっていると思う。メインテナンスをしなかった人は、学生の時にギリシャ語を学んだっけなあと回想するだけで、原書は書棚で埃を被っているだろう。しかし、メインテナンスをした人は、聖書の研究だけでなく、通読するのも、毎日の黙想も、みことばの暗唱すらも、ギリシャ語の原書でやれるのだ。その差は決して小さいものではない。