420   コプラ
2001/05/24 23:59:04  ijustat   (参照数 8)
これは 416 [Re^4:はじめまして ] への返信です

ゆどうふさんこにちわ!はじめ“コプラ”を“コブラ”と読んでしまったijustatです。

>そこに、たとえばロシア語みたいな[コプラ(英語で言ったら主語と目的語をつなぐbe動詞)]なんてないぜ!って言語を見せるときっと生徒さん方は面白がると
>思うのですが。
>「おいこれじゃ[I- a student]だよ英語じゃ!いいい、いいのかなこれで?!」ってなかんじで。
>またギリシャ語やらせたら、ヨーロッパ言語に大きな影響を持っていた事がわかって
>興味深いでせう、きっと。。。

ロシア語もコプラがないんですね。ギリシャ語も“ない”と言っていいかもしれません。
上の例文は、ごく普通のギリシャ語の語順では、「エゴー・マテーテース・エイミ」(我は弟子なり)になるでしょうが、エゴー(私)を取って、「マテーテース・エイミ」と言ってもいいし、エイミ(私は〜である)を取って、「エゴー・マテーテース」と言ってもいいかもしれません。なお、語順も自由で、「マテーテース・エイミ・エゴー」と言っても意味は同じです。このとき「エイミ」はコプラの機能は果たしていないようです。

ヘブライ語は、もともとコプラが存在しません。上の文は、「アニー・ストゥデンティ」(私は大学生です)になります。

しかし、コプラは、もともと存在しなかった言語が、徐々に他の語をコプラに仕立て上げていくという例がよく見られます。先程のヘブライ語も、「アター・タルミード」(君は学生だ)に“フー”(彼は)という代名詞を入れて、「アター・フー・タルミード」と言ったりもします。

それから、中国語でも、古来の漢文では、主語と補語との関係は、語順と単語の属性だけに支えられていましたが、現在では、“是”(これ)という語をはさんで、立派なコプラの働きをさせています。

日本語は助詞「は」がコプラの働きをしています。これももともとは、主題を提示する働きをしていて、文語の世界では、現代語ほど多用しなかったような気がします。かの有名な“Cogito ergo sum.”の訳も“我思う、故に我あり”で、“我は思う、故に我はあり”というと、何だか変でしょう。これは、人口に膾炙している言葉だから少し変えるとおかしく感じられるというのではなくて、助詞「は」を入れると、それがあまりに強く自己主張をしてしまうからだと思います。

こんな風に、コプラ一つとっても、英語のように、存在を表す動詞から発達したものや、ヘブライ語や中国語のように、代名詞めいたものから発達しつつあるもの、日本語のように、主題を表す助詞から発達したものなど、いろいろとあるようですね。