243   リンガフォンのヘブライ語コース
2001/03/02 00:55:07  ijustat   (参照数 7)
この間、キョボ文庫の日本書籍コーナーへ行って、リンガフォンのヘブライ語コースを注文してしまいました。その日のレートによって値段が違うのですが、だいたい60万ウォンを少し超える値段になるとかで、教材が届く1ヶ月後までに、どうやってお金を捻出しようかと悩んでいます。

リンガフォンはイギリスの会社だそうで、イギリスのリンガフォンで同じヘブライ語のコース(名前は日本版と違って、スターティング・ヒブリューとなっていましたが)の値段を調べ、キョボ文庫の人に計算してもらうと、日本版よりも7万ウォンも安かったのですが、英書コーナーへ行って注文しようとすると、キョボ文庫とイギリスのリンガフォンとは取り引きしていないというので、仕方なく、日本のリンガフォンから取り寄せることになりました。

もちろん、日本版は、説明こそ英語だけれども、セットのデザインなどは日本人の美観や学習意欲をうまく刺激するようにできているようです。(そんなことのために、内容の同じ教材を7万ウォンも余計に払うのは癪ですが。)

実は、ヘブライ語の教材には、キリスト聖書塾というところから、そんなに悪くない教材が出ているのですが、この教材の最大の欠点は、テープが最初の3分の1と、最後の3分の1だけ録音されていて、中間が抜けているということです。

著者か出版社の方針によるものだとは思いますが、テープ中心に勉強すると、耳に依存しますから、途中で録音されずに字だけ見て勉強するようになると、急に文字言語中心の学習になり、適応できずに挫折するという痛い目に遭ってしまいました。

ここで知ったのは、文字言語と音声言語とは、同じ言語ではあっても、それを受け入れる頭の回路はまったく別だということです。この経験は、私が日本語を教えるときに、とても役に立っています。

しかし、ヘブライ語の学習を途中で挫折してしまう原因になったのは、とても残念なことです。何しろ、外国語の学習が途中で挫折に終ったとき、それまでに費やした時間というのは、ほとんど無駄な時間も同然になりますから、それにかけたエネルギーと時間を考えると、むなしいものがあります。

ところで、私がヘブライ語に何度挫折してもめげずにまた挑戦するのは、旧約聖書を原典で読みたいからですが、多くの人は、聖書を読むのに、なぜ話すヘブライ語を勉強するのかといぶかるようです。しかし、私は聖書ヘブライ語の教材は、とてもじゃないけど、付いていけません。

現代の言語教育に染まった人間が、古典語の伝統的な教材を開いた瞬間に感じるのは、“何と野蛮なことか”という驚きです。何しろ、その課の冒頭に、変化形がバーンと出ていて、これを覚えよと指示されています。

言葉はすべて発話意図があってこそ存在するものだから、この、発話意図不在のそれぞれの変化形は、いわば、昆虫の標本が並んでいるようなもので、それはすでに、言葉であることをやめた、死んだ文字の配列に過ぎません。そこでは、意味というものは極々希薄で、そんな中にいたら、高山病にかかってしまいそうです。

そういう教材に時間を費やすというのは、危険なものだと思います。挫折する可能性も高いし、そこで提示される単語は、たいていは、その教材の言語の単語と1対1で対応しているだけで、その“意味”を教えてくれることもないから、極端な言い方をすれば、その教材を勉強している間、その言語はどんな意味を持った言葉なのか、知る由もないわけです。

現に、私が勉強した聖書ギリシャ語の教材がそうでしたし、他の教材も見てみると、やはり同じようなものです。そこには、意味というものがほとんど存在しません。ある人は、それは基本だから仕方ないじゃないかと言うでしょうが、それが基本であるという根拠は、その後出てきた数々の言語教育理論の前でその存在を主張できるものではありません。

現代語の教材は、ずいぶん良くなってきていますが、古典語の教材は、千年一日のごときで、悪く言えば、未開な状態です。会話を教えるのではなく、読解を教えるのだといっても、もっとましな方法はいくらでもあるでしょうに、それに対しては、誰も手を付けないようです。

ギリシャ語は、2千年の歴史の中で、かなり変形してしまいましたが(日本語の1300年間の変化に比べれば、変化が少ないようですが)、ヘブライ語は、その間に死語となって保存され、100年前に復活したという奇跡的な言語で、いくらかの変化はあるけれども、それは微々たるもののようです。韓国で一般に読まれている聖書は、いわば文語訳のようなもので、文法も語彙も、一般の韓国語とだいぶ違いますが、私はそれを辞書無しで読むことができます。自慢ではなくて、中学生でも読んで理解しています。ヘブライ語の聖書は、中学生どころか、小学校に上がるか上がらないかぐらいの子どもも、説明無しで理解できると言います。韓国語の聖書は、小学校に上がったばかりの子には、ちょっと難しいかもしれません。

言語のさまざまな変種(古文と現代文、中世韓国語と現代韓国語、漢文と現代中国語、欽定訳聖書の英語と現代英語など)と、その理解の困難度について、いくつかの乏しい例を見ながら、ずいぶん長い間考えてきましたけれども、ついに私は、話し言葉からヘブライ語に入ることに決めたというわけです。

さて、私のこの、現代ヘブライ語から聖書に入るのは難しくないという仮定は、証明されるでしょうか。否定されるでしょうか。ほぼ1年後に現れる結果を待つばかりです。

私は、リンガフォンのコースがいちばん優れているかどうかは分かりませんが、ただ、テープで学習できるヘブライ語の教材のうち、私が知っている唯一の本格的なものだから、これを選んだに過ぎません。

それにしても、かなり財布の痛い決断でしたが、外国語を習得するための一つの重要な条件が、お金をかけるということだから、これも致し方ないことかもしれません。