2042   Re^6:『なんのための日本語』
2005/01/04 23:27:38  ijustat   (参照数 36)

方言とヴァレンツ2

ゆどうふさん明けましておめでたうございます! ijustatです。

今日から冬学期が始まりました。3つのクラスを受け持っていて、出だしは快調だったり不調だったりですが、次の時間からは挽回しようと思います。

>しかし、それでいうならどうしてイギリス英語のRPの方を皆使わないのか?
>あっちのほうが元なのに…これ、ずっと気になってます
>アメリカ発音のほうが発音しやすいのか?…あの、巻き舌が?
>結局、「アメリカ様」の発音に従えってことでせうかね。

日本ではどうなのでしょうか。アマゾンなどで見ると、やはりアメリカ英語が優勢のようですが、中学校の教科書を見ると、イギリス英語の綴りと発音も並べて表示されているようです。また、あれこれ検索語を入れ替えて試してみると、けっこうイギリス英語の教材も出てきます。しかし、韓国ではアメリカ英語一辺倒です。学校の教科書にも、アメリカ英語の発音や綴りしか出てきません。

語学堂にいたときも、言語教育院でもそうだったのですが、イギリス人の先生に教わる学生は、その先生の発音が悪いといって、クレームを付けるのだそうです。イギリス人の先生は、そのクレームにかなり不満な様子でした。英語の先生には、アメリカ人もイギリス人もオーストラリア人もいますが、どの発音が正しいと言える権威は存在しないため、韓国では(もしかしたら日本でも)、勝手にアメリカ英語の発音を“標準語”と決めているのではないでしょうか。

もっとも、アメリカ英語はイギリス英語に比べ、アメリカ人の開放的な性格によって、少なくとも東アジアにおいては、勝ったのだと思います。伝統とか、正当性といったものを追求するのでなく、何でもかんでも受け入れる体制が、人を受け入れ、さらにそのためのトーフル試験などが信頼を得て、アメリカ英語の位置を不動のものにしたのでしょう。さらに、トーイック試験は、アメリカ英語の位相をいっそう強化しています。

あと、これは今回上の子が“学院(=塾のようなもの)”の中学準備クラスに通うようになって初めて知ったのですが、英語の発音記号を教える教材には、それぞれの発音記号をハングルに転写する問題が付いていました。息子に読ませると、まったく韓国語の発音で読みました。巷では正確な発音ということで躍起になっていますが、学校では、そんなのどこ吹く風という感じです。まあ、それでもいいのかもしれません。大事なのは読めるようになることだと思いますから。

ちなみに、前回すっかり忘れていたのですが、韓国語を話す人々は、二つに大きく分断されていて、韓半島(朝鮮半島のこと)の北部では、ピョンヤンの言葉が“文化語”として標準語の役割をしています。これは、韓国語のソウル方言と、ある意味では対等の方言といえるかもしれません。そして、“文化語”では固有語を多く用いているため、韓国の知識人たちにも割りと好意的に受け取られていて、今でも若干の影響を与えているようです。

もし韓国が統一されたら、公用語としての“文化語”は廃止され、ピョンヤンでも教育や放送など全てがソウル方言である“標準語”で行われるようになると思いますが、その一方で、ソウルにも、元“文化語”の語彙が大量に流入し、標準語自体を改訂せざるを得ない状況になるのではないかと予想しています。

>その意味で言うと、五文型とはヴァレンツと通じるものがありますねたくさん。
>私も生徒に教える時は、「この動詞だとこの文型になる」と言います
>(そのほうが使用方法に間違いがない)

そうですね。ソースが同じですから。ただ、5文型は、文型という枠組みが先にあって、そこに当てはまる動詞を入れていくような気がします。

>私が不勉強なので、まだ五文型の欠点についてはよく知らないのですが
>ちょっと勉強していきたいと思います。
>何故なら、文句をこれだけ言われつついまだに使われているということは、やはり何らかの利便性があってのものか、
>もしくは何らかの事件があったはずですから。

たぶん5文型の問題は、“sit on...”などのようになるとき、“on”以下は文型の中に入れずに第1文型になってしまう点ではないかと思います。たぶんヴァレンツの考えでは、“on”以下も目的語と同じく、ひとつの補語として扱われるはずです。そのような部分を類型かできないという点で、5文型には弱点があると言えるのだと思います。

目的語(対格の補語)を取る動詞を他動詞といって、目的語を取らない自動詞と区別するのが一般的ですが、たぶんヴァレンツの考えを形式的に適用させると、言語によっては動詞の自他の区別を重視しないものも出てくると思います。日本語では区別していますが、韓国語では、最近の辞書は区別しない場合もあります。その代表例が、韓国の国立国語研究院で編纂した『標準国語大辞典』です。この辞書は、動詞の解説に、その動詞の取る補語の格助詞が提示され、かわりに、動詞の自他の表示は行っていません。これは、韓国語は日本語に比べて対格の使用範囲が広く、対象だけでなく、移動空間(これは日本語もそうですが)、時間の範囲、回数まで及ぶため、対格の格助詞を取りうる動詞を他動詞とすると、すべての動詞が他動詞に見えてしまうという不都合があるからでしょう。でも、一般的には、対格が対象以外を表す場合は、他動詞とは認めていないようです。特に、時間の範囲と回数は、補語ではなく、副詞語としています。

>結局、「動詞がくっつくものはある程度決まっている」という当たり前の考えから出ているわけなんですが。
>各国様々なアプローチがあるのが面白いですね。
>その旧ソの連語論が興味ありです

韓国での連語論ですが、連語というのを「自然結合」と「慣用句」の間に置いているのが特徴です。ずいぶん前に授業を受けたので、もう忘れてしまいましたが、1冊の博士論文を読んで、この3つの区別がはっきりできなかった点を、きちんと区別してみよという無理難題を宿題で出されたことだけは覚えています。

たとえば動詞「食う」で考えてみると、自然結合は、特別な制約のない結合をいいます。たとえば、「飯を食う」とか「肉を食う」などが考えられると思います(これでもやはり制約はありそうで、“ご飯を食う”が可能だとは思えません)。

それに対して、「泡を食う」「道草を食う」「食ってかかる」「人を食った話」などは、それぞれの語の元の意味が消えてしまった慣用句といえるでしょう。

その一方で、「ガソリンを食う」「時間を食う」だとかは「食う」が出費の大きいことを意味し、「げんこつを食う」「置いてきぼりを食う」などは被害を受けることを意味する“連語”と捉えられると思うのですが、連語と慣用句の境界線は、考えれば考えるほど分らなくなってしまいます。

教授はテキストの論文での問題点を指摘せよと言われたのにもかかわらず、私はその論文はよくこれだけ分類できたものだと感嘆するばかりでした。

その論文の内容も、今ではすっかり忘れてしまいました。よく理解できていなかったようです。

>生成文法、私大学時代習ったんですが、ある授業のせいでトラウマです
>(延々と文の解析を生成文法でやらされました。たまらず逃げました((((゚Д゚)))ガクガクブルブル )

私ももう何も覚えていません。昔読んだはずの本を開いても、誰か他の人が線を引いたり書き込んだりしたように見えます。