1787   挨拶とテリトリー
2004/03/01 15:09:13  ijustat   (参照数 5)

lapis225さま、こんにちは。

>それは私の経験談ですが・・・
>当時、19歳の私が、本来日本では、このように挨拶するので、このようにさせていただきますと説明するのもなんだか、あつかましすぎるような気がするのですが。

まあ、私は日本人だから日本式にやります、というのは横柄でしょうね。まず最初の挨拶を、さらりといつもやっているようにしてしまえばいいというのが私の考えです。日本式に敬意を表す表現は、外国人の相手は変だとは思いながらも、それが自分に対して何か敬意か親しみを表しているということくらいは通じますから。

>欧米諸国の人は、どうしてそのようにするのか・・・という説明まで求めます。
>説明されて、わからないでもないというところまで納得できたことに、初めてそれを受け入れたり敬意を表してくれるような人たちのように思います。

私だったら、そういう質問をされたら「あなた方の挨拶の仕方を知らないからです」と答えるでしょう。そして、「よろしかったら貴国での挨拶の仕方を教えていただけませんか」と聞くでしょう。それで会話が面白くなると思います。で、相手も自分たちの挨拶の仕方を十分意識していないことが多いだろうから、その国の人同士で、ああでもないこうでもないという話が始まることもあります。それはもちろん、私にとって大いに勉強になることです。

>今の私の年齢ならば、毅然と日本人である自分の誇りとして説明できます。
>そして、この挨拶が私の国では、もっとも失礼ではない気持ちがあらわれているのでという、うんちくまで話せるかもしれません。

相手に対して、なにも毅然と自分を誇る必要はないと思います。やはり、挨拶は難しいものです。日本人であることを卑下したり誇示したりするのではなく、とりあえずは、自分が身に付けた方法で、相手に敬意を表するというのが、無難なやり方だと私は思っています。それに、日本式の敬意の表し方がかえって失礼になる文化というのは、そうめったにないと思います。まず、相手との距離を十分とっているし、相手に向けて軽く頭を下げることは、私の知る限りではほとんどどの文化でも敬意として通用するからです。それに、会釈をするときに相手に優しく微笑みかける日本の挨拶は、よほど日本文化を嫌悪している人でない限りは、相手の気分を不愉快にする危険性はないはずです。何といっても、私はその人に対面していることをうれしく思っているのですから。

>私は、日本にきて、日本式の挨拶をしてくれる人に敬意を表します。。。
>自分たちの文化を受け入れようとしてくれていることをうれしく思います。

それはそうですよね。韓国と日本は挨拶の仕方が似ていますが、西洋人が韓国式に軽く会釈をして挨拶をするのを見ると、“心が通じる”と感じるものです。私も韓国に長く住んでいるので、韓国人との挨拶の仕方はまったく韓国人と変わらないようです。私は気が付きませんでしたが。(笑)

しかし、それができなくても、たとえば私が西洋または北米から来た外国語の先生に軽く会釈をして、その先生が私に顔を向けてにこやかに微笑んでくれれば、それで挨拶は成立します。流儀は違うけれども、互いに相手に敵意でなく好意を持っているということが確認されるからです。

>ギリシャでは親しい人との挨拶に、右頬と左頬に口付けをしますが、私は、それは勘弁してくださいといいました。“very embarassing”だからです。握手なら慣れているのでかまわないのですが(それも最初は抵抗がありましたた)、口付けはちょっと勇気が要ります。(笑)まあ、もしギリシャに住むようになったら自然にできるようになるんでしょうけどね。
>
>私は、すぐになれてしまいます。
>郷に入れば、郷に従え。。。相手の文化を受け入れて、相手の文化にとけこんで
>相手に受け入れられていくことが、うれしいと思うほうです。
>男のかたは、そういうのになじみにくいようですね。

私の場合は、郷に入っていないのでできないということもあるかもしれません。周りは韓国社会です。韓国で頬に口付けをする挨拶をすれば、相手はびっくりするでしょう。なるべく他人の目を気にせずに正しく生きようとは心がけているつもりですが、それでも周囲の視線は恐ろしいほど気になります。そういう気持ちも、ギリシャ式挨拶を受け入れるのに抵抗を感じている理由だと思います。なんせ、郷に入っては郷に従えですからね(笑)。それが、「もしギリシャに住むようになったら自然にできるようになるんでしょうけどね」と言った理由でもあるわけです。

ところで、とりあえず自分が日本式挨拶をするのは、次のような理由もあります。

大学生のとき中学生に英語の補習授業をしていたことがありましたが、その教科書に、次のような話がありました。

ある人が外国へ行って、その国の人の家に招かれました。その家の主人は「その国に来たら、その流儀に従わなければなりません」と言い、そして、ミルクの瓶を取ってテーブルの上のお皿に注ぎました。そこでこの人も、それに従って、自分の前にあったお皿にミルクを注ぎました。そして、お皿のミルクを飲みにくそうに飲み始めると、その家の主人は、ミルクの入ったお皿をテーブルの下にいた猫にやりました。

私たちは外国の習慣を、真似しながら身につけなければいけませんが、ときにはこの人のような失敗をしてしまいます。まあ、私はそういう失敗を韓国で無数にしてきたわけですが。(笑)

それともう一つ、慣れないうちは外国式挨拶をしにくいというのは、日本式の挨拶のことで軽く触れましたが、“相手との距離”に問題があるからです。これを一般にはテリトリーというそうですが、日本人は前後に関しても左右に関しても、わりと他の国の人に比べて広いテリトリーを持っています。そして、人が会うときには、そのテリトリーの境界線のところで対面しています。だから、ためしに実験してみるといいと思います。立ったまま相手と話しながら、10センチ、いや、5センチでもいいです。相手に歩み寄ってみてください。相手は同じくらい後ろに遠のきます。それを相手は無意識に行います。これは、テリトリーを守るための動作なのです。

韓国人は前後も左右も日本人よりいくぶん狭いテリトリーを持っています。ですから、日本人がちょうどいいと思う距離を取ると、相手は不安に感じてその間隔を埋めようとして歩み寄ります。しかし日本人は、そうすると相手が自分のテリトリーに入り込んでしまうから、後ずさりします。韓国に来たばかりのときは、韓国の人と路を歩いていると、歩道から車道に片足が落ちてしまうことがよくありました。これは、多くの日本人が経験することで、それで話に花が咲いたこともありました。(最近はそういう経験がないのを見ると、もしかしたら私のテリトリーは韓国人と同化してしまっているのかもしれません。私と会って話す日本人は、私が絶えずテリトリーを侵犯してきて動揺しているかもしれません。(笑))

昔握手に抵抗を感じたのも、相手が自分のテリトリーの中に入ってきてしまうからだと説明ができます。その最たる例が、地中海沿岸一帯で行われているという、頬に口づけをする挨拶です。これは、完全にテリトリーを侵犯します。ギリシャの人は、普通に話すときにもやはり私のテリトリーの中に入ってきて話しています。最近は慣れてきましたが、それでもやはり、少しは動揺しているような気がします。

以前、雑誌の表紙に、イスラエル人兵士とパレスチナの民間人が、鼻を付けあって激しく口論している写真が載っていました。日本人や韓国人には考えられないようなことです。全然親しくない敵同士が、あんなに近付いているのですから。