1738   新しい地平
2004/02/25 23:29:43  ijustat   (参照数 12)

自分の書き込みにレスします。^^;

>「日本語にはいままでとはまったく別の論理があり、これがどういう発展を示すか、というようなことについて、物理学者ハイゼンベルク氏のことばを紹介しておきましょう。藤井簡治氏の引用によりますが、次のようだそうです。――主観的認識と客観的認識の両者に等価を与え、その接触面を空間に拡大した私の(不確定性)理論は、主観を動かしがたい原点として確立されたヨーロッパ文明外、つまり動詞を受身として使うことを(新しく)学んだ新大陸アメリカや、さらに主語さえ省略されることの多い日本語圏で、新発展を見ることを期待する。……」(40ページ)
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>この部分は、日本語も論理的な言語であることを証明する根拠のひとつとして引用されているものですが、私は別の観点で、つまり、外国語を学ぶことによって、別の思考回路、別のパラダイムを身につけることができるという観点で読みました。外国語の学習は、初めはその思考の流れにショックを覚え、何という理不尽と思いますが、慣れてくると、私たちの心の中に新しい地平が開けてきます。これは、ものを考えることを仕事としている人にとっては、とても大事なことだと思います。

そういえば、ギリシャ語を習っていて、初めはこれが西洋語かと思った複雑多難なギリシャ語も、けっこう英語と同じ発想が多いことが徐々に分かってきました。昔韓国語の勉強を始めたときは、日本語と同じ発想が多いことに驚きましたが、やはりギリシャ語は英語と同じ圏内にある言語なのだなあと最近痛感しています。

去年の秋ごろから、ギリシャ人の神父さんのご好意で、その神父さんに韓国語を個人教授する仕事を得ていますが、面白いのは、西洋的な発想と違うために、初めは韓国語の文法でどうしても理解できないものが、説明や例文などを通して理解できた瞬間です。私はその瞬間をとてもドラマチックだと思います。ギリシャ語の述語の時制は過去・現在・未来ときれいに分かれていますが、韓国語では現在と未来を同じ形態で表します。“未来”と説明されている“〜ㄹ 것이다”は実は推測形です。それが分かるまで、ずいぶん苦労をしましたが、それを理解した瞬間というのは、本当に新しい世界に踏み込んだ劇的な瞬間でした。そして、その劇的な瞬間は、ときどき体験されます。こういう現場に立ち会っていると、言葉を教える仕事はやめられなくなります。

私たちが英語を習いながら、たいていの人は、自分でも気がつかないうちに、英語の発想に触れているはずです。本当はそれはドラマチックなのだけれども、先生も学生もそうは思っていないのではないでしょうか。まあ、中学生ですから、日本語と英語の出会いという劇的な体験もないのかもしれませんけど。

日本語しか知らなければ、そのような別世界は垣間見ることもできません。私たちは、漢文や古文を学ぶ機会は減りましたが、英語を学ぶことによって、日本語とはずいぶん違う思考の世界を学ぶ機会を得ました。また、今は英語以外の言語を学んだりその言語に触れる機会も容易に得られるようになりました。これは本当にすばらしいことです。

大学生のとき、授業でラテン語を取ったことがあります。何だか分からないけれども魅力を感じ、まだできもしないうちから、ラテン語で書かれた本を手に入れようとしました。しかし、当時の私にはそういう情報を集める技術もなかったし、インターネットも存在しなかったので、教材ではない実物のラテン語テキストを見る手がかりも得られないまま、ラテン語学習への熱は冷めてしまいました。しかし近年になって、インターネットを始めてから調べてみたら、ラテン語のテキストがわんさと出てきたのです。いつかきっとこの言語をものにしたいという野心がまた沸き起こってきました。

こういう恵まれた環境に私たちはいます。志さえあれば、私たちの視野をいくらでも拡げてくれるはずです。当面話す必要がない人は、話せなければと思う前に、外国語で書かれたウェブページを読めるように(あるいは、聞けるように)なることを目標にするといいと思います。いや、そう思っている人は、ずいぶん多いでしょうね。外国語を身に付ける目標はいろいろありますが、このように新しい世界を自分の中に持つことも、とてもいい目標になると思います。