1709   私も避けてほしい「○○円いただきます」
2004/02/22 16:06:51  ijustat   (参照数 3)

lapis255さま、いろいろ刺激的な話をありがとうございます。

>若い人はあまり違和感を感じないようですが
>
>「いただきます」という言葉、いわゆる「もらう」を意味する言葉はいろんな場合で
>さけたほうがよいものです。たとえ商業でも。場合によっては。

これは、料金や代金を請求するときのことばですよね。「もらう」にしても「いただく」にしても、相手から取るという一方的な自分の意思を表すので、一瞬むっとするお客さんもいるかもしれません。まあ、もしかしたら、料金か代金かで、「もらう」系の表現が使えるかどうかに差がある可能性があります。

>これには日本の若い人から異論もありました。

まあ、異論があるのも当然だと思います。前から使われてきた言葉に挑むわけですから。でも、古い言葉がいい言葉とは限りません。よくないと思ったら、果敢に挑む姿勢は必要だと思います。ただし、それを“昔は使わなかった”とすると、説得力が弱くなります。私たちは昔の人ではないからです。

>日本で45年も生きて、私は、それはそれは数えきれないほど患者として、または患者の関係者として病院にいきましたが
>病院などでは「いただきます」という代金の指定はまずしません。
>あえて今日は「もらうのだ」という強い意志が働いているときには使います。

あれ、lapis255さんは私よりもちょっと年上ですね。1〜2歳の誤差で同じくらいかと思っていました。^^

>通常の窓口のやりとりは
>「○○さん診察券お返しします。今日は400円になります」という感じがふつうです。
>「いくらになります」「いくらです」などで
>
>「もらう」という意味の表現はさけるものです。たとえ代金としてもらうのが当たり前のものでも。

そうですね。「400円になります」だったら、相手も気分が悪くありませんよね。謙虚で、そして若干遠慮がちに言っているような語感がありますから。私自身は「400円です」という言い方が好きです。敬意は足りないように聞こえるかもしれませんが、すっきりしていて気持ちよく聞こえます。

>「いただく」という言葉は日本語では
>基本的に「相手が差し出してくれたとき、初めて使える言葉」
>相手が差し出してくれたので
>自分をへりくだって「もらう」ではなく「いただく」という言葉で表現する。

「日本語では」と言い切ってしまうのは、ちょっと言いすぎかもしれません。また、「基本的に」というと、本当に“基本的”なのかどうか疑念がわいてきます。私も仕事がら「日本語では」とか「日本人は」などとよく言いますが、自分としてはかなり思い切ってそう言っていることが多いのです。日本人同士で話すときには、「日本語では」ではなく、「私の語感では」とか「私の知るところによると」のように言うようにしています。これだと人に胸を張って主張できませんが、同じ言語感覚を持っている人がいれば、「私もそう思う」と、援軍になってくれます。

>そういう感じの言葉です。頂戴ということばも場面によっては下品なので使いません。

そうですね。場面によっては。下手に使って下品に聞こえる可能性のある言葉は、初めから使わないように心がけた方がいいということに、同意します。

>また、ついでにく書くと、〜のほうからどうぞ。
>などとやたら「〜のほう」を連発するのも日本語としては本来まちがいです。
>コンビニなどで「お弁当のほうはあたためましょうか」はまちがい。
>「のほう」は方向を意味するもので、使うものではありません。
>
>「〜は」でいいものを「〜のほう」と言ってしまうのは上品でもなんでもない。
>これは現代の日本語のまちがいについて憂いて書かれている文でよく見かけます。

私も婉曲の「〜の方」を多用しているのを聞いていると、だんだんイライラしてくることがあります。しかし、これは日本語に伝統的に存在する婉曲表現で、古典を読むとめまいがするほど婉曲表現が頻出します。これは「現代の日本語のまちがい」なのではなく、日本語に古代から脈づく“息吹”なんだと思います。強いて言うなら、日本語には古来から間違ったメンタリティーが相続されてきたといえるかもしれませんが、私はそれを認めたくありません。

それにもかかわらず、なぜ私が婉曲の「〜の方」にイライラするかというと、私の語感ではたいていこの表現は二つを比較するときに用いる表現なのに、比較する相手なしに一つだけを「方」で表現するからです。意識してもいなかった“もう一方”を考えさせられるので、聞いていてだんだん腹が立ってくるのです。

ただし、私たちが自然に感じる「方(ほう)」の用法を“本来”と言うのは、ちょっと困ります。この語は、昔は「ほう」より「かた」の方が一般的でした。いつからそれが「ほう」に取って代わられたのか、私は知りません。その古来の「かた」にはけっこう婉曲の用法がたくさんあります。「かた」の一部を「ほう」が侵食したのだから、「ほう」に「かた」の婉曲な使い方が乗り移るのは避けられないと思います。

>目上のかたなのに「〜しております」と
>自社の目上のかたのことを言ってるように表現してみたりなど
>は、よくあるまちがいのひとつですね。

こういうのは本当に社会規範から逸脱した表現と言うことができますね。「〜していらっしゃいます」というべきところで「〜しております」と言ってしまう誤用以外に、「いらっしゃいます」と言うべきところを「ございます」というのも誤用とされています。

ただ、これは江戸時代には「お立会いのうちにご存知のお方もござりましょうが……」などと尊敬語として使われていました。しかし、現在では「ございます」を尊敬語として使うと、たいていはちょっと変に聞こえます。人によっては許容できないこともあるかもしれません。

昔正用で今は誤用というものは、ときどきあります。『醒酔笑』では「申される」という尊敬語が出てくるし、芥川龍之介の小説には、否定形につながらない「全然」が出てきます。これらは現在誤用とされるのですが、昔からの文脈が今も生き残っていてときどき槍玉に挙げられています。