1508   『國弘流 英語の話しかた』
2003/12/25 03:21:25  ijustat   (参照数 16)
これは 1507 [をを 本当だ!!] への返信です

ゆどうふさまメリークリスマス。ijustatです。

>気づいていなかったけど本当に"お勧めのクラブ"に
>ここが紹介させてますね

氷雨さんの指摘で、クラブのトップページへ行ってみたら、本当に「お勧めのクラブ」に紹介されていますね。おめでとうございます。そういえば、最近氷雨さんの日本語が少しずつywindy8さんの水準に近づいてきたような気がします。すばらしいことです。

ところで、まだ半分までしか読んでいないのですが、今読んでいる『國弘流 英語の話しかた』(國弘正雄著、たちばな書房)という本は、すばらしい本です。この人は「只管朗読」を唱えていることで有名ですが、この本でその只管朗読とは何かが良く分かります。その中からかいつまんで紹介しましょう。

 恩師の木村武雄先生は、英語を習う一番良い方法は、中学一年のリーダー、さらに二年三年のリーダーを、声を出して繰り返し繰り返し読むことである、と言われました。…(中略)…
 そこで、これを声に出して繰り返し読んだのです。おそらく一つのレッスンについて平均五百回、課によっては千回も読んだだろうと思います。
 戦争が終わったのは中学三年のときで、当時私は神戸におりました。やがて米英軍が進駐してきたのですが、子供心にも何とか自分の勉強してきた英語を使ってみよう、と思って進駐軍兵士に話しかけたところ、驚くなかれ、こちらの言うことが相手に通じるだけでなく、相手の言うことも、中学三年生としては驚くほどよくわかったのです。(19〜20ページ)

 私は中学一年から三年にかけて音読を繰り返し行いましたが、それとともに、英語の文章を読みっ放しにするだけでなく、自分で手を使って写してみました。(22ページ)

 文法も一つの型です。ただし、その型を、自由を束縛するものと感じている間はだめでしょう。型とは自由に使うものです。なかなか自由には使えないけれど。(31ページ)

 英語を習得することに漠然とあこがれはするが、これといった成果を上げられない人というのは、基本技術の習得に関して、見通しが甘すぎるのです。(38ページ)

 過去三十年、私が只管朗読についてお話したり、書いたりする場合、いつも忘れずに付け加えた条件がありました。それは「一通り意味のわかった英文を」という条件です。(47ページ)

 確かに分析魔の悪しき傾向というものはあります。分析するばかりで総合がないことです。何事も分析のしっぱなしはいけません。総合を音読でやるのです。只管朗読には分析毒の解毒作用もあるのです。(48ページ)

 かなりゆっくりした発音テープというのは、やはり初心の人には必要なものです。(69ページ)

 只管朗読は、一通りで意味をとったくらいではダメだという認識から始まります。(75ページ)

 ……具体的に言えば、大いに英語を読んで、聞いて、「ああ、この文法形式は、こんな場面で、こんなふうにも使えるのか」という発見をたくさんしてください、ということです。(105ページ)

 日本人は文法、文法と言うから英語ができないのだと、久しく言われ続け、現在も盛んに言われているようですが、事実はまったく逆で、「まだまだ文法の勉強が足りない」というのが真相のようです。文法の理屈や文法用語の暗記が足りないのではありません。訓練が足りないのです。ふつうの本を読む感覚で文法書に取り組み、紙の上でのドリルをちょこちょことやった位では、文法を勉強したことにはなりません。(106ページ)

 例文の選択にも個性を発揮して結構です。文法書にのっている例文が気に入らなかったら、他の本から好きな例文を拾ってきて、入れ替えてしまいましょう。こうしていけば、私家版の文法例文集が出き上がります。念を押しますが、その例文集は繰り返し、繰り返し音読すべきものです。(108ページ)

 シュリーマンの方法の要点は、意味が分かっている文章を何度も朗読して、暗記したということです。(131ページ)

「先生、英会話のスキットを五百近く丸暗記したんですが、自分の言いたいことがまだ自由に言えません。スキットで習った文がそのまま使えるときは、問題ないんですが、自分で文を作ろうとすると駄目です。どうしたらいいでしょう」と真剣に相談されたことがあります。私は確かそのとき、文法項目別に例文をたくさん集めるようにアドヴァイスしたと思います。(155ページ)

 まず手始めとして、只管朗読とはただ単に他人の英文を朗読するのが目的ではなく、明確に活用自在を志向するものだということを胸に刻んでください。(164ページ)

以上、読みながら線を引いた部分から一部を紹介しましたが、この本は、ここで線を引いた部分だけからはその思想の全体像がつかめないくらい深みがあります。それから、この本は348ページまであるので、このあとどのように話が展開されるのかはまだ分かりません。まるで本の宣伝をするようで口幅ったいですが、外国語学習法の本でこんなに内容の濃いものは、見たことがありません。この本を中学か高校のころに読んでいたら人生が今と全然違うものになっていただろうと思う人は、けっこういるのではないかと思います。(前回読んだ『より良い外国語学習法を求めて』とは違うすごさが、この本にはあります。あの本を読んだあとでも熱中できるのですから、これはすごい本です。)