1341   Re^9:アメリカと宮崎監督
2003/05/04 13:31:42  ijustat   (参照数 0)
これは 1338 [Re^8:アメリカと宮崎監督] への返信です

Kotori様、こんにちは。詳しい説明ありがとうございます。

>そうですね。宮崎駿という名は、「Spirited Away」がオスカーをとるまで、一般のアメリカ人にはほとんど知られていませんでした。知られていたのはマニアックなアニメ・ファンの間だけ。大手スーパーマーケットの店頭で見かけることができる宮崎映画といえば、ディズニー配給の「Kiki's Delivery Service(魔女の宅急便)」と「My Neighbor Totoro(となりのトトロ)」だけで、子ども向け映画として扱われていました。「Princess Mononoke(もののけ姫)」のビデオもアメリカで販売されてはいましたが、配給がミラマックスだった為(確かミラマックスはディズニーの傘下だったと思いますが・・・)、専門店(CD/レコード店など)以外で見かけることはまずありませんでした。あとは・・・あ、宮崎さんが監督をした「The Castle of Cagliostro(ルパン三世・カリオストロの城)」を、レンタル・ビデオ屋で見かけたことがあります。私はそれ以外の宮崎映画を、米国で見たことがありません。だから、「Spirited Away」がオスカーにノミネートされて、しかも受賞したことは、宮崎映画がアメリカで評判になり始める大きなきっかけだったと思います。とはいえ、日本やアジア圏でのような人気とは程遠いですが・・・。

そうなんですか。ということは、アメリカではアニメファンと非アニメファンの二つのグループがあって、アニメファンの間では宮崎駿のアニメは知られていたけれども、非アニメファンの間では無名だったんですね。けれども、ディズニー配給のアニメは大手スーパーマーケットでは見かけられた。ただし、子供向けの漫画として。そして、“Spirited Away”からはアメリカでも知られるようにはなったけれども、日本などアジアでの人気とは程遠い。ということは、アメリカで宮崎駿監督が知られるようになったということは、大袈裟に騒ぐほどのことでもないわけですね。

>私が「Princess Mononoke」を初めて見たとき、まるで「風の谷のナウシカ」の焼き直しみたいだったので、ちょっとがっかりしました。怒り狂って暴走するイノシシの姿が、暴走するオームの群れと重なってみえました。人間と自然の関係の描きかたとかも似ていたと思います。では、風の谷のナウシカを見たことがないアメリカ人たちの感想はどうだったかというと、私が直接聞いた限りでは、「悪くはなかったけど、話がダークで複雑で意味がよくわからなかった。」というものがほとんどでした。

なるほど。ダークで複雑なんですね。たしかにちょっと複雑なところがありますよね。しかしそれはどっしりとした印象を与えていると思っていましたが、アメリカの人たちにとっては、確かにいろいろな筋が入り乱れるように展開すると、複雑に感じられるのかも知れません。暴走するイノシシと暴走するオームとの連想は、鋭い観察ですね。私は気がつきませんでした。自然の怒りによる暴走という内容が一致していて、しかもそれは人里に毒を運んでくる。これは、宮崎監督の一貫して流れる自然崇拝の態度の表現だから、同じテーマがそこに流れているのは、ある意味では当然のことかも知れません。

そういえば、「もののけ姫」は韓国語で最近まで「ウォッリョンコンジュ(怨霊公主)」の名で知られていましたが、この間家に帰るとき、バスの胴体に印刷されている広告に、ハングルで「モノノケヒメ」と日本語の発音をそのまま表記しているのを見ました。

>確かにそれはそうかもしれませんね。「Princess Mononoke」では、Godと称されていた神ですが、「Spirited Away」では、Godではなく spirit と言われていました、そういえば。しかし、キリスト教のアメリカ人でも、ギリシャ・ローマ神話の神々や、ほかの宗教のいろいろな神々の存在についてはよく知っているので、アニメに出てくる神もそれなりに理解できるんじゃないかという気もします。例えば、アメリカにはキリスト教以外にもたくさんの宗教があるわけで、昨年のクリスマスなど、12月によく交わされる「Merry Christmas!」というごく普通の挨拶が近所の市役所職員内では禁止され、「Happy Holidays!」に統一されました。この決まりには、職員たちからかなり不満が出ていましたが・・。

ひゃあ、こんなところでもアメリカは徹底しているんですね。この徹底ぶりが将来イノシシやオームのように暴走しないことを願うばかりです。すべての宗教や思想の自由は、徹底されると逆に、すべての宗教や思想を不自由にする可能性がありますから。

>アメリカ人が、「楽しくて、ハッピーエンドで終わるものを喜ぶ」という説には私もまったく同感です。感情が複雑にからまった映画とか、私は大好きなんですが、アメリカ人の友人たちはそういうものを面白いとは感じないようです。以心伝心とか、沈黙は金なりとかいう価値観はアメリカではあまり理解されないように感じます。そういった、表面に出さない感情がわからないんじゃないでしょうか。

日本や韓国では、ある意味ではアメリカの価値観を世界的価値観の標準のように考えている傾向があります。アメリカには、私たちにとって思いもよらないような優れたものがあるかと思えば、一面ではとてもそっけなくてつまらない面もあるようです。「以心伝心」や「沈黙は金」というのは、人間の重要な徳目に数えられると思いますが、それが理解されないというのは寂しいことです。アメリカ人に理解されないからこれはよくないと思う人が多くならないことを願うばかりですね。

>「Spirited Away」は私も大好きです。私の考えでは、「Spirited Away」が「Princess Mononoke」と大きく違うのは、主人公の千尋がごく普通の10歳の女の子で、最初はものすごく臆病だし、迷い込んだ奇妙な世界も千尋自身全然理解していなくて、そのぶん観客が千尋と同じ立場で体険できる、というところではないかと思います。観客が千尋について行ける。もののけ姫やアシタカ少年は勇敢で強かったし、話も複雑だったので、アメリカの観客は取り残されてしまったのでは?「Spirited Away」を映画館で見たとき、私の真後ろに6歳ぐらいの女の子とそのお父さんが座っていましたが、女の子が映画の最中怖がっていたので、お父さんは 小声で少し解説を加えながら 「怖くないよ」となだめていました。おもしろかったのは、お父さんが映画を見ながら 「That's weird...」とつぶやくと、すかさず千尋が映画の中で「That's weird...」と言うのです。観客が主人公と一体になっていることがわかります。豚になった両親を助けるためにがんばる、というのも誰にでも理解しやすいでしょうし。千尋が迷い込んだ世界がまったく宮崎監督の想像の世界で、毎分が驚きの連続・・見る者を飽きさせないというのも大きな魅力だと思います。

へえ、それはちょっと意外した。ディズニー映画の主人公の多くは英雄のような人物で、その勇気と知恵と正義感とによって常人離れした活躍をしますが、そういう意味では、アシタカ少年はアメリカ人にもウケるだろうと考えていました。しかしその強さは、正義感というよりは執念を感じさせる(?)ので、あまりウケなかったと言えるのでしょうか。千尋の場合は、ごく平凡な女の子が特殊な状況に放り込まれて目を見張る行動をするようになるという点で英雄的ですが、観客と同じ視線を一貫して保っているという点では、自分との距離を感じずに主人公に親しめるという魅力がありますね。ただ、私は千尋の行動を追いながら、この子は尋常でないほど心が澄んでいて、頭も驚くほど冴えていると思いました。これは、一流の作家が自分の思想の粋を込めているわけだから、そう感じられるのは仕方ないことかも知れません。

>ちなみに、クロアチアのM.U.D.仲間にもアニメ・ファンがいるのですが、彼は「Princess Mononoke」がとても良かったといいます。理解に苦しむこともなかったそうで。映画の中で描かれる、人間や神々の部族間の対立などが、現実にバルカンで民族間の戦争を経験している彼にとっては身近に感じられたのかもしれません。

なるほど、その人の生きてきた背景によって、一つの作品の鑑賞の仕方は大きく変わってくるものなんですね。ということは、むしろ日本人にも作者にも分からなかったその作品の意味を、他の国の人たちが感じ取ることは、十分にあり得ますね。

>私の周りで日本に興味をもっているアメリカ人たちは、ほとんどが漫画&アニメのせいみたいです。彼らは「Princess Mononoke」を見たといいますが、監督の名前を聞くと誰も覚えていませんでした・・・。宮崎監督の名前を知っていたのは、レコード屋のお兄さんだけ。私が「Spirited Away」のDVDを買ったら、レジで「ぼくは宮崎映画の大ファンなんだよ!」と言われました。アメリカで販売されていない宮崎映画のDVDを日本から取り寄せて見ているそうです。普通、日本製のDVDはタイプが違うのでアメリカ製のDVDプレイヤーでは再生できないんですが、このアメリカ人のお兄さんは、どんなタイプのDVDでも再生出来るプレイヤーを買ったそうで・・かなりのマニアさんかもしれません(^^)

すごいことですね。アメリカに宮崎監督の熱烈なファンがいるということは、日本人の私が韓国にいながら現代ギリシャ語を勉強したり、Kotoriさんがアメリカにいながらクロアチア語を勉強しているようなもので、本当に珍しいケースでしょうね。ひょっとして、韓国に住んでいて現代ギリシャ語を勉強している日本人は、私一人しかいないのではないかと思います。韓国は現代ギリシャ語を学ぶには、日本以上に環境が悪く、私の知る限りでは、教材は明志出版社から出た『現代ギリシャ語動詞変化表』(外国語研究普及会編)が唯一で(もうキョボ文庫でも見かけなくなりました)、文法教材も辞書もありません。あるとすれば、キョボ文庫の外国書籍コーナーにある輸入教材くらいです。そういう私が現代ギリシャ語を勉強しているからといって、韓国に住む日本人は現代ギリシャ語に関心があるとは言えないように、アメリカの一部に宮崎駿監督の熱狂的なファンがいるからといって、アメリカ人は宮崎駿監督に惚れたとは言えないものです。

ところで話はやや脱線しますが、韓国に現代ギリシャ語の教材が全くといっていいほど存在せず、辞書は英語のものしかないおかげで(いや、日本で現代ギリシャ語辞典は出ているんですが、つい数日前まで知りませんでした。)、去年の8月中旬から現代ギリシャ語を初めて以来、徐々に英語の実力が伸びてきました。変なことですが、その理由は三つあるようです。ひとつは、辞書が英語なために、ギリシャ語で作文をするときどうしても英語を介さねばならず、そのためにまず英語で考えるということを繰り返すようになったからです。もうひとつは、ギリシャ語の勉強をするとき意思疎通を英語で行っていたためです。もうひとつは、ギリシャ語の基本語彙の中に、英語に入っている高級語彙がけっこうあるので、英語の理解語彙がいつの間にか増加していたためです。英語を勉強する必要性があるのは私には負担だったし、高校生の時の間違った学習法の後遺症のために苦手意識がぬぐい去れないでいたのですが、少しでもそれが解消されてきたのは、現代ギリシャ語を勉強する必要のある状況に置かれたおかげだと思っています。

>「Spirited Away」と同時に、「Castle in the Sky (天空の城ラピュタ)」と「Kiki's Delivery Service」( <--パッケージを変えて再発売)が発売になりました。「Castle in the Sky」 は、2年程前に発売されるはずで、英語版の吹き替えも済んでいたはずなのに、お蔵入りになってしまって・・・。今回本当に発売されて、やっと!やっとか!という感じです。

どんな作品でも、原文がいちばん深い意味を込めているとは思いますが、宮崎駿監督のアニメを英語で聞くのは、それとは別の新しい世界を感じられるかも知れませんね。「千と千尋……」は、不思議な言語の使用を随所で見せて、その作品のひと味違った世界へと誘っていますが、英語ではそれは当然表せないにしても、日本語では表せなかったまた別の世界を表現しているかも知れませんね。私は鉄腕アトムを子供の頃漫画本でページが取れてしまうほど読み込みましたが、アニメは見たことがありませんでした。それを最近になって韓国のアニメで見ることができ、長年の秘められた宿願が叶った満足感を得ました。それは韓国語の吹き替えだったので、原語の意味は多くが消えてしまったかも知れませんが、韓国語でまた新たな世界が表現されたのだと思います。