1292   Re:残酷なテーゼについて、ちょっと考えた。〜外国語
2003/03/12 19:25:36  ijustat   (参照数 0)

ゆどうふさまおひさしぶりです。ただいまレポートに追われているijustatです。

>卒業を控え、最近は「大学の図書館が使えるうちに使ったれ」との根性から
>外国語教育や学習心理学の本を読み漁っております。

素晴らしいことですね。私にその志があったなら、今ごろもうちょっと違ったことをしていたかもしれません。(笑)

>「外国語効果(Takano&Noda, 1993)」というのは、
>「不慣れな外国語を使っている最中は、その外国語を使うのが難しいだけでなく、思考力も一時的に低下するという現象」です。

10年も前にそういう話が出ていたんですねえ。知りませんでした。なぜでしょうか、日本語教育関係の本には、この「外国語効果」に関する言及はないようです。ところで、Takano&Noda(1993)のタイトルを教えてくださればさいわいです。

>人間の情報処理能力には限界があるため、
>不慣れな外国語(つまり、情報処理が大変)を使っている間は、
>ほかのことを考えられるだけの情報処理の余裕がなくなるためおきると考えられています。
>言語処理と思考では言語処理のほうが優先されるため、
>思考力のほうが落ちちゃうというわけです
>(何故なら、相手の言うことを理解しないと適切な答えは考えられないので)。
>これが母語の場合は「使うのに超慣れてる」ため、情報処理にそんなに苦労しません。
>情報処理に使う量が少なくてすむのです。

はじめこの説明を読んだとき、『外国語習得のスキル』(研究社出版)に出て来た“情報理論”(p.153-155)のことかもしれないと思いました。情報理論というのは、聞き取りの指導でいちばん問題になるものですが、不慣れな外国語を聞き取るとき、頭の中で処理しなければならない情報量が増えてしまうため、長い発話を記憶できず、ある程度聞いたらすぐにパンクしてしまうのです。逆に言えば、熟達した外国語では、処理すべき情報は、話の内容だけになるので、それだけ記憶しやすいわけです。

しかし、どうやら外国語効果というのは、そのように情報量がパンクした状態で、脳の知的な活動が退行してしまう現象のようですね。一種のパニック状態かも知れません。パニックのときには、ごく日常的で簡単な処理もできなくなってしまいますから。(推測で書いています。高野先生がご覧になったら嘆くかもしれない。)

>また、使われる外国語が母語と似ていなければ似ていないだけ、
>外国語効果は大きくなります。これは習得困難度があがるためです。
>日本人とドイツ人を被験者として、英語に対する外国語効果をはかった実験では、
>英語と似ていない日本語を母語とする日本人のほうが
>外国語効果がはっきり大きくでたそうです(Takano&Noda, 1995)。

そうですね。この外国語効果のために、東洋圏の留学生より、西洋圏の留学生の方が頭が鈍いように見てしまいやすいものです。また、日本語教師や韓国語教師の中には、学生を子供のように扱ってしまいやすい。これは、外国人たちが、教室の中で外国語効果を起こしているからだと思います。

>現実は案外残酷です。
>多分私は「バカじゃない?」って思われる可能性が高いです。
>「外国語効果」のせいで、外国語を使っている人の知的能力が
>過小評価される傾向が残念ながら見られるのです。

そうですね。それはまったくその通りです。それで私は自分の考えを韓国語でなるべく長く、復段落で言える練習をしました。なが〜く言えるようになれば、今度はそれを適切な長さできちんと言うことができるようになります。これは私にとって、韓国で生きる上で、極端に言えば、死活問題でした。

でも、ドイツの人の前でドイツ語を用いるときにそういう知的対抗現象が自分に起こったからといって、小さくなる必要はありません。むしろ堂々と間違え、堂々とデタラメを言った方がいいと思いますよ。そして、分からないときには分からないと明言する。私の推測では、多分ドイツの人は“理解できません”と言われても、怒らずに自分の意志が相手に通じるまで話してくれるのではと思いますが、どうでしょうか。

>大学の授業で、「日本の学生はぜんぜん(外国語…多くの場合は英語ですが)
>しゃべれない!本当にあの程度のレベルでどうして大学に入ってこれるんだ!」
>というような
>スッポコポンな勘違いをするネイティブの教師の人も、残念ながらいます。

本当に、スッポコポンなネイティブ教師ですね。でも、これは人間の本質的な性質だと思います。日本語教師も外国人に対してそうなりやすいんです。それはもちろん、とんでもない錯覚です。私にとってはそれは反面教師として十分自分を警戒する道具となっています。

ところでこの外国語効果ですが、例えば、すでにいくつかの言語を駆使して、新しい言語を難なく習得していく人には起こるだろうかという疑問があります。なぜなら、そういう人は、どの言語でも大体よく出てくるスクリプトをすでに持っていて、その部分では、言語自体の処理は不完全でも、スクリプトによって状況を処理できるから、全体的な情報処理の量はかなり少ないのではないかと思うからです。ほら、言葉はよくできないのに意思疎通はことのほか巧みな人っているじゃないですか。

>「外国語効果」というこの現象が問い掛けているものはその点で重いと思います…
>このことを知らないで、外国語をしゃべろうとする学習者さんにあたろうとすると
>一番残酷な反応…(その相手に対する)蔑視
>というものが容易に生まれるからです

私の考えでは、蔑視に強くなる方が、蔑視されないように神経を使うよりも得策だと思います。なぜなら、相手が私を見下したら私の方が弱くなるわけではないからです。しばらく付き合っていれば、相手も分かって来るし、もし分からないようなら、その人は本当にスッポコポンです。私たちの方がかえってその人を憐れんであげるべきでしょう。

ともあれ、外国語効果というのは困った現象です。私も機会があったら外国語効果について学び、それを最小限に押さえる方法を探ってみたいなあと思います。