1263   自然習得と文法(ちょっと羊頭狗肉か…^^;)
2002/12/08 18:01:49  ijustat   (参照数 1)
これは 1262 [「外国語をどう学んだか」] への返信です

ゆどうふさまこにちは。ijustatです。

>さて、今日はおとつい読んだ本「外国語をどう学んだか」
>現代新書編集部(1992)講談社から、
>面白かった部分の抜き書きを。
>これ全部書いている人の実話なので、それぞれの学習スタイルが出ていて面白いです。
>なんか役に立つといいのですが。(★はゆどうふコメントです)

この本は、私も何度も読み、ずいぶんたくさん抜き書きもしました。本当に面白い本です。でも、本物で読んだのではなく、1冊まるまるコピーして、右側を大きなホチキスで留めたものを読んだのです。今でも私が時々取り出して読んでいるのは、それです。とくに、日本語学習経験者のセルゲイ・ブラギンスキー先生の文章(p.228-234)は、衝撃をもって何度も読み返しました。

>☆「文法の教科書からその外国語を知ろうとするのは憲法を読んだだけで
>その国を知ろうとするのに似ているけれど、
>また文法を読まずにその国を知ろうとするのは、
>その国でいきなり生活を始めるようなもので、無駄や事故やトラブルも多いのである。(奥本大三郎)
>★これは大事な視点だと思います。特に、おとなの学習者にとっては。
>よく「子供が言葉を習得するように外国語を学ぶ」っていう宣伝文句がありますが、
>あれ嘘…嘘っていって悪ければ、無理があると思います。
>「臨界期」…すなわち、子供が急激に言語を習得できるのは、この「臨界期」をすぎるまで、
>思春期前までくらいしかできないんですよね。
>それ超えちゃったオトナに、そういうのを強要するのは…^^;

これを読みながら、いい歳した大人が子供と一緒にお遊戯をしている様子が目に浮かび、思わず笑ってしまいました。大人はもう子供になることはできませんからね。子供が子供として身につける言葉は、大人はもう身につけることはできないと思いますし、そうする必要もないでしょう。

ただし、言語の学習には“自然習得”というのがあります。これは、整理された文法の規則を学ぶのではなく、その場その場での表現を必要に迫られて身につけていく学習ですが、ある研究によると、語学学校で専門的な教育を受けた教師から体系的に学んだ学生よりも、自然習得した人の方が、結果的には適切な表現を身につけていたそうです。これは、私たち語学教師にとってはショッキングな事実で、これをどう受け止めるかが問題になるところです。

「どうみてもインテリではなさそうなこの暴力団員が短期間でフランス語をマスターできたのは、やはり刑務所というこの世でもっとも過酷な社会で生きていかねばならないという極限状況に置かれたせいだろう。そしてもちろん、人は刑務所には強制されて入るものである。異常な状況と強制が彼を語学の達人にした。(p.33-34)」(関曠野)

これは、自然習得の最たる例でしょう。子どものようにではないけれども、学校ではなくて、実際の状況の中で必要に迫られて身に付けたわけです。

私は一番関心のある分野は文法ですが、外国語習得に関しては、文法を演繹的に身につけるのではなく、帰納的に身につけられないかといつも考えています。しかし、学習者の頭は演繹的にできていることが多く、実例を見せると、そこで躓いてしまう人がよくいます。

また、その場では楽しく充実した語学学習の経験をしたとしても、帰納的な自然習得は、動機が弱いとすぐに忘れてしまいます。本当に、立ち上がっただけで記憶が抜け落ちてしまうのです。

大人は帰納的に外国語を身につけろといわれても、なかなかできないようです。でも、弱肉強食の刑務所の中で、そうしなければ殺すぞと言われたら、できるでしょう。(笑)

しかし、文法はいずれ必要になります。それは、論理的に正確に考え、人の書いたものや話したことを論理的に正確に理解しようとするときです。このとき、5段活用とか1段活用というのはまさか役には立たないでしょうけれども、統語論・語用論的な知識は、大いに役に立つと思います。でも、私が高校に通っていた頃の学校文法では、思考の道具としての文法は、勉強しませんでした。今はどうでしょうか。