1255   Re:ある意味「超」戦略的!「不破哲三さんと外国語」
2002/11/18 10:56:22  ijustat   (参照数 8)

ゆどうふさま、こにちは。ijustatです。

>さて、先日、緒方靖夫という共産党の議員の方がかかれた
>「楽しくつきあう外国語」
>という本を読みました。
>その中で面白い章があったのでご紹介します。

面白そうな本ですね。でも、共産党員の書いた本じゃ、韓国で手に入るでしょうか。最近はどうか知りませんが、以前は韓国の国是は反共でしたから。

>この方、
>「読む」「翻訳する」に「超」特化した外国語運用能力
>の持ち主みたいなんです。
>英語、フランス語、イタリア語(フランス語からの類推だそうで…)、ドイツ語、
>中国語、朝鮮語、もちろん(←あっ^^;)ロシア語。
>これら多くの言語を用い、自在な理論研究活動をなさっているそうです。

ほんとうにすごいことですね。しかし、私も、外国語の有用性に、「読む」ことの重要さを強く感じています。文献を読む必要がある人が、会話まで勉強するのは、無駄な努力ですから。ただ、私の場合は、仕事がら、発音や会話にも若干の関心が向いてしまうのですが。

中国語を発音無視で勉強するというのは、重要なアンチテーゼになると思います。完全に日本式の発音でも、中国語を自由自在に読めるようになると思うからです。ただ、それだと辞書が使いにくいでしょうから、たとえば、四声を無視するというのも、一つの手だと思います。(韓国の人たちの中には、実際に、四声を無視して中国語を話している人がいます。これで中国の人に通じるのかどうかは知りませんが。)

政治家だったら、外国人との会話は通訳を介せば十分だし、その方がリスクも少ないでしょう。誰かさんみたいに、アメリカの大統領になまじ慣れない英語を使ったために、とんでもない失敗をやらかして、日本人にもアメリカ人にも軽蔑されるということが起こっては、困りますから。実際私があの愛すべき失態を笑ったのも、自分と同じだなあと思ったからでした。ああいう問答を、韓国語では「トンムンソダプ(東問西答)」と言いますが、私は韓国に来て、数多くのトンムンソダプを行なってきました。^^

>とにかく、政治活動、研究活動につながるためにばんばん習得していかれたそうです。

私は外国語を学習するときに、この「〜ために」という考え方がとても重要だと思います。“〜”の部分が空欄の人がよくいますから。実は私が韓国語を始めたときも、「ため」の前が空欄でした(汗)。でも、こういうのは原則的にはよくなくて、外国語の学習を始めるときには、「ため」というロケットエンジンが必要だと思います。それがあってこそ、忘却という重力を振り切って、外国語の宇宙へ飛び出すことができますから。

>しかし、私は逆にこのことを面白いと思いました。
>「別に会話は通訳にまかせる。俺に必要なのは、文献を読める力だ」とわりきり、
>そのための力を得るための勉強をする(会話は捨てる)。
>目的にかなった、ある意味超ストラテジックな外国語学習の一例だと思います。
>確かにここには外国語力の超不均衡がありますが
>(不破さん自身は若い人に「会話もいる」といっているとの記述もありますが)
>その当人の立場をよくかんがみた上で行われているのなら、なんの問題もないのかもしれません。

私も、そのようなドラスティックな外国語学習に心惹かれるものがあります。古典ギリシャ語は、初めはそうやって勉強しましたが、今は完全に現代ギリシャ語の発音に変えてしまいました。アリストテリス神父さんの録音したMDを無数に聞いて、それまで3年間使っていた自己流の発音を、きれいさっぱり捨て去ってしまったのです。考えてみれば、その外国語ができるようになったあとなら、猛特訓をすれば発音はすぐに治せるのではないかと思います。

実は私は、不破哲三さんの話を聞きながら、次のくだりを思い出しました。

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 さて次の例は、ここまで来るとすさまじいという気がするが、実際に筆者におこったことなのでお伝えしておこう。もう何十年も前のことだが、筆者がプラハの学生寮にいたときのことである。ある日、見知らぬチェコ人の訪問を受けた。その人は汽車で三時間ほどの地方の都市にいる人で、一週に一回、私に日本語を習いたいというのである。一体いくらで教えてくれるか、どのくらいの期間で日本語が習得できるかという質問から始まったのだが、次に出された条件にびっくりさせられた。この人がいうのには、発音は全然教えなくてもいい、書いてあることの意味が分かればいいというのである。
 いろいろ詳しく事情を聞いてみると、この人は化学の技師で化学の文献を訳せればいいというのが学習の目的であった。すなわち、単語が引けて、文を作っている規則、いわゆるシンタックス(統語法)が分かればいいので、会話はもちろん、「水」というこの字が読めなくとも、H2Oを意味することが分かればいいのである。すでに英・独・仏・露もそのレベルに達していて、論文の内容は理解できるから、文字以外にはそう困難はないと思う、という主旨であった。そこで一年半ぐらいでできるでしょうと答えると、すぐペンとノートで計算を始め、往復の汽車賃と私への月謝はその後二ヵ年で回収され、そのあと死ぬまで稼げるので、お願いしますということになった。
 この人が日本語を始める理由には、日本語の文献を読みたいということのほかに、チェコでは日本語の翻訳料がとても高いことと、企業の中で外国語が一つできるようになるたびに資格のランクが上がって給料が増える仕組みになっているという事情がある。
 こんなに明確な学習意識を持ち、学習の対象すなわちどの領域のことがどの程度できるようになればいいかが分かっている人の進歩がどんなものであったかは、いうまでもあるまい。往復の汽車の時間を主として漢字の学習にあてたこの人は、一年三ヵ月後にはもう論文が無理なく訳せるようになり、「一年後からはプラスになります」と、にっこりしながら手を振って出ていった。その後姿がとても印象的であったのを覚えている。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.27〜28)

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>(ただ、後半の英文スピーチの内容なんかに
>『う、ウゲゴゴ^^;』と反応してしまう部分が(私には)ありました
>理由は…言ったらたぶん、思想差別とか言われそうなのでやめます)

私はその本を読んでいないので分かりませんが、非常に思想的なスピーチが載っているとしたら、読者にウゲゴゴな考え方をぶつけて、世界観の根本問題について考えさせる効果を狙ったのではないでしょうか。日本では、世界観の根本的に違う思想がぶつかり合うことがほとんどないと思いますが、思想色の強いスピーチを突きつけることで、外国人とのコミュニケーションの練習をしてごらんということなのでは。

ところで、「ウゲゴゴ」という言葉、気に入りました。最近は慣れっこになってしまって、あまり感じなくなってしまったのですが、初めて異質な世界に触れたとき“う、ウゲゴゴ…”と反応したその気分を、もう一度思い出してみたいと思います。(笑)