1244   理解と暗記
2002/11/02 16:48:31  ijustat   (参照数 2)
これは 1242 [Re^7:私の韓国語歴] への返信です

ywindy8さん、返事を下さってありがとうございます。

私が大雑把な書き方をしたので、読んだ人を混乱に陥れているようです。^^; ちょっと説明を加える責任を感じました。

理解と暗記とどちらが大切かということは、何が目的かという質問に変えれば理解できると思います。人は自分の周囲の環境を把握し、行動していきます。そのとき、“理解”ということが、非常に重要になるわけです。ですから、目的は“理解”の方です。

記憶することは、理解のための根拠を多く持つために必要なことです。だから、理解が重要であるということは、否定することはできません。理解していない膨大な知識を有しているというのは、悲劇です。

ところが、理解力を深めるためには、それだけ多くの知識も必要になるのです。それは、学習するしかない。特に言語の場合は、“こういう概念がある”と覚えていただけではだめで、その概念を表す記号も一緒に覚えていなければなりません。そこで、暗記が必要になるわけです。

もう一つ、問題なのは、私たちは理解しない状態よりも、理解した状態でより確実な記憶ができるものですが、理解できたというだけの記憶は、すぐにあやふやになっていってしまうということです。あやふやになってきた記憶の上に、新しい理解を積み重ねようとすると、だんだん理解が難しくなってきて、ついには学習が空中崩壊を起こしてしまいます。だから、理解できた記憶を、何とかしてとどめておく必要があります。そのためにも、何度も音読したり、書き写したりして、覚える必要があるのです。

もともと鋭利な理解力と、優れた記憶力がある人にとっては、いずれも論ずるに値しませんが、私たちは、記憶力はともかくとして、理解力はかなり鈍いものです。だから、おおまかにそれが何であるかは見当がついても、その深い意味については、すぐには理解できないことが多いのです。特に外国語の語彙・表現の意味は、辞書の訳語では理解しにくいものです。ときどき、理解できると反論する人がいますが、その人は、その外国語の意味を錯覚しながら使っているのです。理解力は、自分の頭が空っぽでは、強化されません。

中国語のような外国語は、日本人なら、字面を見ればだいたい理解できます。発音は、教材ならいつも漢字の上か下に書いてあるから、声に出してみれば発音できます。理解があやふやな所も、訳を見れば、ああ、あれかと、分かります。しかし、そうやって1冊読み終わっても、会話はできません。聞いた内容は理解できるかもしれないけれど、口が動かないのです。そのために、暗記が必要なのです。

逆に、ギリシャ語のような外国語は、非常に難解です。いちおう文法書を読み終えたのち、実際のギリシャ語の本に立ち向かっても、まったくちんぷんかんぷんです。辞書を引いても、何でその語がそこにあるのか分かりません。日本語訳を見ても、なぜそう訳せるのか見当もつきません。どの単語がだいたい何だということが分かったのちも、コンピュータの後ろの複雑に絡まった配線を見るようで、どれがどれにつながっているのか分かるまで、大変な時間がかかるばかりでなく、どんなに一生懸命見ても、ついに分からないこともあります。

更に悪いことには、そうやって悪戦苦闘しながら、牛歩といわず、カタツムリやナメクジのようなのろさでテキストを読み進んでいくうちに、習ったはずの文法をどんどん忘れていってしまうのです。時々復習するとはいっても、項目があまりにも多いので、復習もままなりません。

しかし、ある程度のまとまった段落を丸暗記してしまうと、状況は変化します。忘れかけていた文法規則が、その文の中の1例に引っかかって、そこにペタペタとくっ付くようにして、思い出されるようになるのです。よく思い出されなかったとしても、他の用例の記憶が互いにつながり合って、ある態や法での人称変化などが、はっきりして来るのです。

さらに、暗記した文中にある語の構成要素が、他の語との対比で解ってきて、さらに、各構成要素の意味が、徐々に明らかになってきます。そのようにして、初めは日本語の対訳を見ても皆目見当がつかなかったものが、対訳を見れば、何とか理解できるようになってきます。これは、大きな発展です。そのために、「豊かな語形変化を持つタイプの言語では、動詞も人称や数や時制で変化することが多いので、日本語では簡単な文も、正確に話すのはなかなか容易ではない。そこで、このような言語の学習書では『文を暗記せよ』とよくいわれ、単語と変化形式と語の組合わせの規則を同時に学習することが勧められていて、古典語といわれるラテン語や古代ギリシャ語はその代表的な言語である」(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.166)というアドバイスがなされるわけです。

暗記したところが、暗記した時点ではよくわからなかったのに、それを口ずさんだり心の中で思い出したりしているときに、ふと理解できることもあります。それが将来は、なし崩し的に増えていくと予想しています。私は、ギリシャ語を暗記することで、学習開始4年目にして、初めて読解力をつける突破口を見つけたと思っています。

このように、外国語の理解力を身につけるには、暗記はぜひとも必要なものです。

さて、私の先生たちの問題点は、この重要な“理解”を重視するあまり、それを支える“暗記”を、理解に対立するものとして、軽視したことにあります。暗記は、理解のライバルではなく、理解という家の執事です。

外国語を学習する際には、細部においては理解できないところが出てきます。そこにこだわらずに、まずその文章(段落や連段落のこと)を覚えてしまうことが、かえってこだわる人よりも早く、その部分を体得させてくれるのです。

暗記自体は、慣れていない私にとって、とても難しいことで、その効果的な方法や手順については、試行錯誤をしているところです。ただ、私が最近になって、暗記に勇気を得たのは、「外郎売りの台詞」を覚えたことによります。これは、覚えるつもりはなかったのですが、発音練習のために毎日読んでいたら、覚えてしまったのです。これを、意味を理解してから覚えようとする人は、まずいないでしょう。^^