1186   ギリシャ語どうしの対訳
2002/09/12 13:04:57  ijustat   (参照数 6)
これは 1183 [Re^3:現代ギリシャ語] への返信です

ゆどうふさんこにちわ!ijustatです。

昨日は歯医者に根の治療に行ってきました。大して痛くないのに、恐怖におびえるのがストレスになって、治療が終わった後は、とても疲れていました。妻は「根の治療」の「根」を、頭高型ではなく、なぜか「音(ね)」と同じ平板で言うので、“精神の治療”に聞こえるのですが、実に神経治療は、私のふやけた精神を鍛えるのにぴったりな、“精神治療”かもしれません。

ところで、きのうはまた、私の“ギリシャ語の先生”が勤務されるギリシャ正教の教会に初めて行って、原典のコイネー・ギリシャ語と現代ギリシャ語(カタレヴサ)とが対訳になった聖書をもらいました。高いものだろうに、これで私がギリシャ語をモノにできなかったら、本当に恩知らずになってしまいます(笑)。

それで、昨日は、その聖書の暗誦している部分で現代ギリシャ語と見比べていましたが、ある部分は全く同じで、ある部分は同じ語根の単語が語形が違い、ある部分は、別の単語を使っていたり、語順が違っていたり、言い回しが違っていたりしました。

原典と現代語とが全く同じ部分は、あまり難しくない部分に多いようです。難しい語は、ほとんどが、語形が違ったり、理解しやすい構造に変わっていたり、または、全然別の単語を使っていたりしています。初めの予測では、私にとってカタレヴサは、コイネー・ギリシャ語よりも難しく感じられるのではないかと思ったのですが、二つを比較して感じた印象は、漢文で言えば、周や漢の時代の漢文と、清の時代の漢文とを比較するような感じでした。つまりどういうことかというと、前者よりも後者のほうが、明瞭で読みやすい感じがするのです。

これは、英訳と比較しながら読むのに比べたら、何倍もの時間がかかるのですが、しかし、互いに近い関係にある言語の対訳は、もっと深い理解をもたらしてくれるような気がします。

実は私は、このような同系言語の対訳の本をいくつか持っているのです。日本の古典とその現代語訳が対になった教材もその一つです。また、漢文の原文に現代中国語訳が添えられているものも持っています。しかしそれらは、“解釈”や“説明”が強く、原文よりもかなり冗漫です。

しかし、今回もらったギリシャ語同士の対訳本は、訳文の方に説明の要素がなく、ほとんど純粋に対照してあるので、比較しながら勉強するのにはとても役に立ちます。現代語で知らない部分を、古典語と比較することで理解し、古典語で難解な部分を、現代語の方を理解したあとで比較することによっても理解できます。そうやって、じっと本文を眺めていました。

私はその対訳聖書をじっと観察しながら、シュリーマンが100年前に外国語を勉強していたときのことに思いを馳せていました。シュリーマンは、言語のパラディグマティックな関係には必要以上に関心を払わず、ひたすらシンタグマティックな関係に集中して学習した人だと思います。私も、ひょっとしたら、そんなシュリーマンの外国語習得の秘密が、また少し分かるのではないかと、期待しています。