敵を知るための外国語


第2次世界大戦のとき、アメリカでは日本語の学習がブームだったという話を聞いたことがある。そのとき開発された日本語教授法が、長沼メソッドで、当時の学習者からのちのライシャワー博士などの優秀な人材が輩出したそうだ。

一方日本では、英語は敵性言語ということで、学習および使用が禁止されていた。孫子は「知彼知己百戦不殆」と忠告しているが、「知己」はともかくとして、「知彼」において失敗した日本は、アメリカに敗北することが約束されていたも同然と言える。

現在、日本にとって危険な国はどこだろう。それは、北朝鮮かも知れない。ならば、北朝鮮の言語を学習する人口が増えることは、日本にとって必要なことだ。

ところで、北朝鮮の言葉を朝鮮語といい、韓国の言葉を韓国語と言うが、どちらも同じ言語だ。若干の語彙・表現の差はあるが、もちろん意思疎通に通訳を介する必要はない。特に北朝鮮の標準語である“文化語”と呼ばれる言葉は、ソウルの言葉と似ている。韓国南方の方言を聞くときのような聞き取りにくさはない。

これは面白いことで、友好的な関係の国と、関係が悪くてその改善に腐心している国とが、同じ言語を用いているのだ。友好国の言語として韓国語を勉強した人は、そのまま敵国とも言える北朝鮮の言葉を理解することができる。また、韓国は友好国ではあっても、関係が深いだけに、摩擦も多い。日本が韓国に対して的外れな対応をしないためにも、韓国のことをよく知っている人がもっとたくさんいる必要がある。

アメリカは友好国だが、たえず摩擦のある国でもある。ことあるたびに、日本に対して威圧的に迫ってくる。論争相手の国として、アメリカの言語である英語を身につけてアメリカ人を理解することは、必要なことだ。アメリカ人のディベート作法、交渉技術などを研究することは、英語の学習とともに重要なことだ。交渉というのは、意思疎通だ。それによって互いに心のつながりを得ることができる。そのくらいの語学力があってはじめて、その国の文化を深いところまで理解できるようになる。

ロシアも、昔も今も、日本と摩擦の多い国だ。ロシアと張り合っていくためにも、ロシア語を学びロシア人を知ることは、非常に有用だ。ロシア文学の理解も、その脈絡の中に置くことができるだろう。また、ロシアにもロシア独特の交渉技術、ディベート作法があると思う。それは、アメリカのそれとは違うはずだ。ロシアとの難しい交渉には、そういうことをよく知っている人が必要だと思う。

中国も、日本にとっては頭の痛いほどしたたかな相手だろう。中国の歴史は外交の歴史と言えるかも知れない。それだけに、中国の外交術の深さは、単に技術にとどまるものではないはずだ。日本が中国と対等に渡り合っていけるためには、中国文化にどっぷりと浸かって、中国的な精神を身につけた人たちが指導的立場にいるべきだ。

また、日本と直接の縁はないとはいうものの、イスラム圏も、ことあるごとに、摩擦を起こしやすい国々ではある。イスラム圏との友好関係を維持するには、日本人のムスリムが重要な人材になるだろう(彼らがどれだけ真面目に信じているのか疑わしいが)

しかし、イスラムを理解するのに、ムスリムになる必要はない。自分にも敬虔なムスリムに匹敵する確かな信仰があれば、彼らの信仰を理解することができる。彼らの宗教には批判的であっても、彼らの心情には共感できるだろう。その意味で、日本のクリスチャンは、世俗的な自由主義に酔っていないで、信仰的に覚醒する必要がある。信仰というものを理解できる人が、アラビア語やペルシャ語、トルコ語などを身につけることは、日本の交渉力を高めるに違いない。

自分の学ぶ言語が、敵の言語だと仮定して、その言語にどっぷりと浸かり、その精神文化の深いところまで理解し、その国の人と区別ができないくらいに正確で自然な言葉が使えるまで上達し、その国の人たちと心を通じあえることは、自分自身にとって有意義なだけでなく、日本にとっても必要なことだ。

敵対する相手に勝つことも必要だが、敵対する関係を克服することは、もっと大きな利益をもたらす。“敵対”という悪に“和解”によって勝利するためにも、敵国の言語に堪能な人は、重要な人材だ。その使命をもって外国語を勉強するのはどうだろうか。