語学学校の効果的な利用法


外国語を身に付けるには、何といっても語学学校を利用するに越したことはない。私は英語以外の外国語は独学しかしたことがない。これは本当に能率が悪いのだ。

語学学校のいい点は、時間が決まっているので学習のリズムが付けやすいという点だ。そして、とにかく終わりまで行くことができる。いつまでにどのくらい習得できるということが、初めから予想しやすい。

ここでは語学学校選びのことは考えずに、専門の訓練を受けた教師あるいはベテランの教師が教える語学学校の場合について考えて行きたいと思う。

  1. 自分の知識のレベルよりも1ランク低いレベルで勉強すべきだ。多くの学習者は、そのことに気付いていない。ある学習者は全く逆に、自分の知識のレベルよりも1ランクうえのレベルで学習した方が成長するのだと私に言ったことがあった。自分のレベルよりも高いレベルで学習したときと、低いレベルで学習したときとでは、どちらが口がよく動くか、どちらが授業で提示された知識を活用しやすいか。それを考えれば、答えは一目瞭然だ。黙っていたら伸びないのが外国語会話の学習なのだから、口がほとんど動かずにもたもたするよりも、知っていることをスラスラと言えた方が、伸びは遥かに早いのだ。しかも、あやふやな知識を無理に使ってブロークンな表現が定着してしまう心配も少ない。

  2. 遅刻や欠席をしない。これは、最高に重要な条件だ。どんなに才能のない学生でも、忠実に出席していれば、ある程度はできるようになる。たとえ進級できなかったとしても、進歩は必ずある。しかし、遅刻をすると、その時に大事な説明を聞きそびれるか、または大事な練習をしそびれる。それらには家でできないものもある。多くの学習者は、その点に気付いていない。欠席をするよりは、遅れても出席した方がずっとましだが、定時に出席することで受けられる利益は得られないという点を、深刻に捉えるべきだ。

  3. 宿題が出されたら必ずやる。宿題は面倒臭いものだが、宿題をチェックするのも面倒臭いものだ。そのためか、利口な(?)教師は宿題を出さない。しかし、宿題は生徒への大事なサービスだ。宿題によって知識が定着し、間違いが正される。少人数の授業で宿題を出さない教師は問題がある。むしろ率先して家で課題を消化し、先生にチェックしてもらうべきだ。もし先生がチェックしてくれないなら仕方ないが、宿題を見てくれる場合は、できる限りその機会を利用すべきだ。ただし、勉強と関係ない作文をしてきて先生がチェックを拒んでも、それは先生の責任ではない。私はそういう学生にも応じてるが、はたして自分が今チェックしてあげたものがどれだけ学生の血となり肉となるのか疑問に思うことがよくある。

  4. 恥ずかしがらないで、積極的に話すことだ。人間に間違いは付き物だ。それを笑ってからかうのは、非常に心無い態度だ。会話の授業では、話を聞く時間と、話す時間とがある。話す時間には、話すことを楽しんだ方がいい。たとえ単純な会話でも、外国語で話せたという喜びは、学習動機を強化し、さらに外国語を上手に話せるようになる原動力となる。会話は内容も大切だが、それは、会話ができることが前提だ。会話の練習では、慎重すぎるよりは軽率な方がいい。慎重になるべきなのは、家庭での学習のときだ。このときは、教科書の例文を注意深く観察し、自分の知識に間違いがないかをよく検討する必要がある。しかし、会話の練習の時は、そういうことに気をとらわれ過ぎてはならない。

  5. 教師を信頼すべきだ。もちろん、教師の知識とて、完璧とは言えないだろう。ネイティブの先生でも、ある事項に対して一面的な説明しかできないかも知れない。その説明は、全ての用例をカバーできないことは、十分あり得る。しかし、それは語学の学習において大して問題にならない。私たちは、先生の説明がいつも一面的であると思っていればいいのだ。その“一面的な”説明が、もしどの用例にもあてはまることがあとで分れば、それは本質的な説明だったと自分で修正すればいい。教師によって、意味や用法の説明が得意な人とそうでない人がいる。しかし、語学の学習では、細かいニュアンスを知るよりも、だいたいどんな意味なのかを知り、実例によってその使い方を知れば、まずは十分にその目的は達せられる。

  6. 教師の忠告は聞き入れる。学習者は、態度一つで外国語を上手に身に付けられるかどんどん下手になって行くかの分かれ道に立っていることがある。上手になりたくないなら、教師の忠告は聞く必要がないのだが、上手になりたいのなら、教師の忠告には耳を傾けるべきだ。特にその教師がベテランならば、忠告に従うことは、必ず利益になるだろう。今までいくつも外国語をものにしてきた外国語習得のベテランならともかく、そうでない人が、外国語学習法について教師よりもよく知っていると思わない方がいい。

  7. 教師の真似をすべきだ。特にネイティブスピーカーの教師の場合は、発音だけでなく、その仕種や表情、声音までも真似ることは、大いに利益がある。“先生はああいう発音だけど、私は違う発音で行く”というのは、外国語の上達を初めから拒んでいるのだ。私は授業中に「さて」と言う癖があるが、ある学生は、私がいつ「さて」を使うかを見抜き、私が言う直前に、ふざけて「さて!」と言った。これも立派な真似だ。

  8. あまり細かい質問はしない。むしろ教師を生きた言葉の資料と見るべきだ。私は質問に答えるのが好きなので、どんなに細かい質問も歓迎しているが、教師によっては、学生の質問が何を意味するかすら分らないことが多い。そういう先生に、言語学的な知識を要求するような質問をすべきではない。むしろ、先生が、このときはこう言うと言ったらこう言うのだし、それは変だと言ったらそれは変なのだということを、そのまま受け入れた方が得策だ。人間には、使われた言葉の意味をその文脈と状況から引き出す能力が生まれつき備わっている。このことに私たちは気付かない場合が多いが、外国語を学習するときは、その事実を思い出して、先生をむしろ生きた用例の提供者と見た方がいい。それがセンスある学習方法だ。

  9. 同じレベルで繰り返し勉強するのも役に立つ。私の教育機関では、個人的にこのやり方を勧めている先生もいる。この方法が知識の定着に役立つことはいうまでもない。ただ、私個人としては、落第したわけでもないのに2度同じレベルで勉強したら、授業料を2倍払うことになるから、同じレベルで繰り返し勉強することを勧めるのには後ろめたさを感じる。むしろ私は次のような方法を勧めたい。まず初めに独学なり何なりで、その外国語の鳥瞰を得る。このときには話せるようにならなくてもいい。そしてその後、ネイティブスピーカーの教える外国語学校に入って、最初のレベルから勉強するのだ。その間も、最初に個人で勉強した教材の復習を続ける。そうすれば、授業とその教材とで、立体的な学習ができるだろう。

  10. 教育機関によっては、学習者の家庭学習までも積極的に支援している所があるかも知れない。そういう所では、辞書や参考書も紹介したり配付したりするだろう。しかし、多くの教育機関では、そこまでは責任を持たない。そこで、辞書や参考書を自分で買い求める必要がある。先生に質問することを考えるよりも、まず辞書や参考書で調べた方が、授業を受けやすくなる。それでも分らないことは出てくるだろう。それは授業で説明されるかも知れないし、説明されないかも知れない。もしその分らない部分を知らなければ全体の理解に支障があるなら、質問すべきだ。しかし、あくまでも、家庭学習では辞書と参考書に親しむべきだ。

語学の教師から習うことについては、千野栄一著『外国語上達法』(岩波新書)の106ページから122ページに、味わい深いアドバイスがある。これは学習者にも語学の教師にも役に立つものだ。