連想について


記憶術の一つに、“連想”を用いる方法があります。これがどれだけ効果を持つかは、記憶術を教える人が必ず持ち出すことからも分かります。

言葉の学習にも、この連想法は間違いなく役に立ちます。

しかし、その連想の仕方如何によっては、かえってその外国語をへたにしてしまう連想もあるのではないかというのが私の考えです。

たとえば、受験生時代、英単語の暗記法で、eccentricという語を「幾千トリックある奇妙な方法」という形で覚えました。これは、日本語の発音の似た言葉との連想によって記憶を促進させようとするものです。

確かに、面白いものは覚えることは覚えるけれども、実戦力になるかというと、ちょっとあやしい感じがします。たとえば、eccentricは“幾千トリックある”と本当に関係があるかという問題を掘り起こしてみたいと思います。

手元にあるコリンズのコービルド英英辞典によれば、"If you say that someone is eccentric, you mean that they behave in a strange way, and have habits or opinions that are different from those of most people; often used showing dissapproval."と書いてあります。さしずめ私みたいなのは日本では“eccentric”な存在になるかもしれません(汗)。

以上の説明を見ると、トリックがあるような頭のいい方法を駆使するものではないことが分かります。さらに、eccentricが指し示すのは、“方法”ではなく“人”であることも分かります。“奇妙”という部分だけが妙に近い感じがしますが、それ以外の部分は、あまり優れているとは思えません。

実はこの暗記法は、その後外国語を勉強していきながらとっかかりがないので、やがて忘れていってしまうという点に問題があります。

単語というのは、無数の連想の中でその存在を主張しているものです。たとえば、先ほどのコリンズの辞書の例文を見てみましょう。

He is an eccentric character who likes wearing a beret and dark glasses.
Mr Thomas, a businessman with eccentric views.

上の例文は理想的な例文だから、連想が多いのは当然かもしれませんが、まず、heと同格であるcharacterを修飾しているという文法情報が連想として含まれています。さらに、who以下で、どんなeccentricityを見せているかを説明しています。実は、この後半部の説明がeccentricの意味を形成するのに重要な役割を果たしています。ベレー帽にサングラスというのは、日本でも目立つでしょうけど、アメリカでも目立つんですね。

下の例文を見ると、おや?と思うのは、eccentricが人を指すと語釈では説明しているのに、例文では、viewsを指しています。viewsは人ではありません。ここで、語釈と例文とどちらが正しいかと葛藤するのではなく、説明に幾分不完全さがあったと見た方がいいかもしれません。それを補って余りあるのが“例文”の存在です。

eccentricは人だけでなく、その人の“見方”をも形容することができることが分かりました。では、他にはどんなものを形容できるか。これは、ここまでの情報では知る術がありません。

実際の文章を読んでいきながら、出会った語ごとに、以上のような関係を“観察”していくことが、実際的な“連想”を得る一番確実な方法と言えるでしょう。

あるいは、気の早い人なら、英語のcorpusをコンピュータで検索して一気に鳥瞰を得る方法もあります。私は英語が専門でもないし、それほど関心があるわけでもないので、英語のコーパスを調べてみたことはありませんが、本で読んだ実際の検索例では、その語のあり方が浮き彫りにされてくるのが分かって面白いものです。

以上のように、ある言葉の連想は、実際の用例の中にしっかりと根を張っているものですから、それらをよく観察した方が、よっぽど記憶の助けになると思います。

私は韓国語を勉強していますが、以前まだ韓国に来る前、『週間朝鮮』という時事雑誌を朝鮮日報社の日本支社を通して韓国から取り寄せて購読していたことがあります。その時、記事の内容を読んで理解することがとても楽しいことでしたが、同時に、記事を読みながらわからない単語を辞書で引いて、記事の内容が鮮明に理解できたとき、その単語の記憶が強く記憶されることを、後になって知りました。

というのは、韓国に来る頃にはかなりの語彙数があったと思いますが、そのほとんどは、『週間朝鮮』から得たもので、そこで知った(“覚えた”ではなく、あえて“知った”を使います)単語に後で出くわしたとき、どの記事でどんなことをいうときに使われた言葉かということまでも思い出せたのです。

それと、『週間朝鮮』のいついつの記事であるという出典の記憶も、非常に力強い連想になります。たとえば、91年というだけで、湾岸戦争やゴルバチョフ失脚などを思い出し、フセインのひげまで目に浮かびますが、私の記憶は、ソウルのカンナム地域が副都心化に向けて高層ビルの建築の真最中だった様子までも思い出します。カードにメモしてある用例の新聞の日付を見ただけで、その時のことまでも思い出してしまいます。

最近では、無数の実例に触れているうちに、そのようなはっきりした記憶は薄れて、一つの“ニュアンス”として捉えられるようになってきましたが、これもやはり、実際に使われた用例が持つ無数の連想のなせる技だと思っています。

実例は連想の宝庫なのに、それを用いない人があまりにも多いような気がします。言葉というのは、実地に出てこそ、覚えやすくなるものです。だから、学習の初期段階にある人も、単語だけを訳語と合わせて覚えるよりは、教材の本文をじっくりと読み込むことが、何倍も記憶の助けになるはずです。

実際、私に関しては、それは正しいと断言できますし、日本語を教えながら抜群にセンスのいい学生を見ると、実例に非常な関心を示しているのを見ることができます。彼らは、実例の中に豊かに存する“連想”を本能的に(?)嗅ぎ取っているのだと思います。