15 書く

参考資料


● 作文力は書きと話の母体。

 作文力は、書きと話の母体である。作文力がないのに会話ばかり練習していると、何年たってもブロークンしか話せないのもああたりまえのことである。というのは、作文力こそ、正確な文法的知識に立脚するものだからである。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.161)

 ……「喋れるようになるには、どうすればいいかね」という質問に対しても、喋りたい内容を、さっと一気に書けるだけの英作文の能力があるかどうかを調べてから相談にのることにしている。たいていの場合、問題は発音の悪さだけでなく、作文力の不足にあることが判明する。
(行方昭夫『英文快読術』岩波書店、2003。p.20)

● 作文力のない知識は、不正確で忘れやすい。

 作文力を基盤にもたない解釈力は、あぶなっかしい読解力であり、読解力ではありえない。また、こういった安定した基盤のない知識は、ものの一年か二年放っておいただけで、それこそ雲散霧消してしまいかねない、揮発性の知識である。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.166)

 みづからも古風の哥をまなびてよむべし、すべて人は、かならず哥をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也。哥をよまでは、古の世のくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし。万葉の哥の中にても、やすらかに高く、のびらかなるすがたを、ならひてよむべし。又長哥をもよむべし。
(本居宣長『うひ山ふみ 鈴屋答問録』岩波書店、1934。p.20)

 すべて万の事、他のうへにて思ふと、みづからの事にて思ふとは、浅深の異なるものにて、他のうへの事は、いかほど深く思ふやうにても、みづからの事ほどふかくはしまぬ物なり。哥もさやうにて、古哥をば、いかほど深く考へても、他のうへの事なれば、なほ深くいたらぬところあるを、みづからよむになりては、我事なる故に、心を用ること格別にて、深き意味をしること也。さればこそ師も、みづから古風の哥をよみ、古ぶりの文をつくれとは、教へられたるなれ。
(本居宣長『うひ山ふみ 鈴屋答問録』岩波書店、1934。p.45〜46)


● 落書きのすすめ。

 わたしは机の上に、いつも白紙をひろげておく。そこにいつでもまめにメモをとる習慣がある。電話を聞きながら、片手はエンピツをもって、紙上になにか書いている。人と会って話をしているときも同じ。一人でいるときは自分相手に空想したり、思いだすままに、単語や文章や絵を書いている。これがわたしのいう落書である。わたしの経験からいうと、これは習慣になると、そうせずにはいられなくなるもののようである。……(中略)……。
 わたしがこの落書をすすめるのは、語学勉学者にとって、これはスペルの確認に強くなる適法だからである。とくに綴りと発音が自然と結びつきにくい英語、デンマーク語、フランス語などには、これはかなり効果がある。そればかりではない。書いて見つめていると、その文字に愛着さえ感じるようになる。また、スペルと発音のちがいにも気づく。そういうふうにして文字を覚えると、聞いたことばをすぐ文字化することができるようにもなる。
 もちろん、単語を書くだけではない。思いつくままに文章も書く。だから、この落書は、作文力にも通じるわけである。わたしはしばしば短い文章や詩を書く。一字一字ていねいにできるだけ美しく書く。ある日は、ノルウェー語で雪の街の感想文を。あるときは、スペイン語で架空の恋文を。
 わたしは落書は芸術に通じる、と書いたが、事実そう思っている。そこらの広告ビラのように書き捨て、読み捨てにするものではない。たから、わたしの落書は走り書きではなく、いつも清書である。わたしはそれを保存していて、ときにとりだしてみることもある。そこに自分の進歩のあとも見られる。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.194〜195)

● 作文は外国語上達に効果がある。

 また幼稚な文章でいいから外国語で書く習慣も効果がある。そのためには小学生程度の文章で結構だから学習中の外国語で毎日日記をつけるのがいいと思う。そうすれば初めは和英辞典などと首っ引きで間違いだらけの文章を書いていても、次第に上達してよい文章の書き方についてカンがついてくるし、書く際に使った単語や熟語、文法などは忘れないものである。
(関曠野「刑務所暮しと外国語」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.38)


● 正しく書くことを心掛ける。

 某大学の心理学の教授は英語が得意で、専門書の翻訳は数点出しているし、自分の論文は常に英語で書いている。誤りを恐れてなかなか英語で論文を書かない同僚たちに、「内容がよければ、ちゃんと読んでくれますよ」と言っていたという。海外の学者ともよく交流があるという。この教授を日頃から憧れの目で見ていた若い心理学者と、私は最初の留学先のブラウン大学で知り合った。この若い学者の話では、ブラウン大学の心理学の教授の何人かに上記の日本人教授の話をしたところ、「あの方はなかなか興味深いことを論じているらしいね。だがあの英語では、内容をまともに検討する気にはならない」といわれたそうだ。若い学者は純粋な人で、この答えにひどく驚いていた。私に例の教授の英語が本当に粗末なものかどうか見てほしいと言っていたが、今日までその機会はない。けれども、アバウトな英語で書かれていたであろうことは十分に想像できる。
(行方昭夫『英文快読術』岩波書店、2003。p.28)

● 外国語で正確に書くのは難しい。

 ロンドンにやってきて、英語がこんなにむずかしいものだとはじめてわかった。ソフィーがくる前にも別のイギリス人の女性に英語をなおしてもらっていたのだけれど、そのつどぼくの短い文章は赤だらけになって戻ってきた。弁護士やビジネスの相手に出す手紙は細心の注意が必要だ。
 アラブとイスラエルの紛争の重要な争点のひとつになっている国連決議二四二にしても、イスラエルが求められている“占領地”からの撤退が“すべての占領地からの撤退”なのか“占領地のある部分からの撤退”なのか、英文の決議文と仏文の決議文では解釈が違う。自分自身がかかわる契約ごとなどでそんな面倒がおきないようにと念には念をいれるが、それでも赤が入って戻ってくる自分の文章をみるとスキだらけの文章であることがわかる。一時は本当に英語がいやになった。
(平野次郎「生きていくための手段」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.45〜46)

● 作文力をつけるために例文を暗記する。

 よい英文がすらすら書けるようにするのに、この方法と並行して行うとよい一つの学習法は、文法事項などで分類したよい例文をよく勉強した上で丸暗記することである。こういう例文集はいくつも出ており、自分の実力に応じて、初めは200くらいでもよい。覚えるのに慣れてきたら、500題くらい身につければ、どんな作文にも不自由しなくなる。他にもよい本もあるのだろうが、私自身が愛用し、幸い今日も容易に入手できるものとして、佐々木高政『和文英訳の修行』の最初にある「暗記用例文」をすすめる。この本の500の例文は、多少ブッキッシュなものもあるが、大部分は会話で用いられるものであるから、スピーキングにも活用できる。
(行方昭夫『英文快読術』岩波書店、2003。p.36)


● 聞く能力は読む能力にも大きく影響する。

 職業として外国人に接触する人はもちろんですが、教養や趣味として外国語を学ぶ人でも、耳を働かせなくては満足な成果をあげることができません。かりに、黙って本を読むだけのことにしても、活字だけを追うのと、本の内容がひびきとして頭に聞こえてくるように感じるのとでは、印象も記憶もまるで違ってきます。自国語でも、外国語でも、教室などで音読するのは、そういう効果までも考えてのことです。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.112)


● 作文指導上の難点。

 ……そこで、作文を勉強しようと思い立った人は、まずは、いきなり「自由作文」しないで、最初は平易な外国語作文から練習することを勧めます。第二外国語の学習に際しては、英語とも比較しながら学習を進めると、相対的に英語の特徴もよく理解できて大変効果的です。
 すると、結局、従来の学校で習う文法や英会話学校で採用されているメソッドの中には、次のような事項の解決方法が示されていないことに気づくでしょう。

  1. 冠詞と名詞の単複の選択をどうしてよいかわからない
  2. 動詞の時制や法をどのように決めればよいか迷う
  3. どの前置詞を使うかわからない
  4. 語順をどのようにすべきか迷う
  5. 類義語が複数あるとき、どの単語がベストかわからない
  6. 日本語を直訳しようとするととても変な文になる
 まさに、このようなことを解決できないのが、伝統的訳読法の限界なのです。学習者はこれらの問題をそのつどいろいろな参考書にあたったり、ネイティブに意見を聞いたりしながら、経験を積み、自分なりの解決策をみつけることを余儀なくされるわけです。それがみえてきたときに初めて、外国語を書くことに対する自信もできてくるわけです。
(猪浦道夫『語学で身を立てる』集英社、2003。p.111-112)