12 聞く


● 外国語を聞く楽しみ。

 中級以上の人なら、音を聞くだけでなく、もう少し内容的な勉強に役立てるのがよい。つまり、直接に表現力──聴解力、作文力、会話力などを強化するのである。また、趣味として、詩や文学作品の朗読や演説や演劇のせりふなどを聞くのもよい。それは教養と語学に同時に役立つであろうから。
 レコードやテープによる歌も、語学の勉強に大いに役立つ。それは音感と同時に語感を育成してくれるからである。昔、わたしの中学の先生はクリスマスになると「サイレント・ナイト」という歌を教えてくれた。その後わたしはそれをレコードで聞いて、それは「サイレナイト」と発音するのだということを知った。レコードで歌をならうときは、発音を学ぶつもりで、自分でも歌ったほうが効果がある。
 イタリア語の民謡やカンツォーネは、イタリア的ふんい気を感じ、イタリア語を学ぶのに大いに効果があるとわたしは思う。ヨーデルはちょっと困るが、その他の外国語、たとえばロシア語やドイツ語は子音が多いので、歌から学ぶと意外に正確に発音できる。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.219〜220)


● 耳から慣らしていく。

 違和感は何よりも音ととしての外国語からくる。そこで水泳の練習ではまず初心者を見ずに慣れさせることから始めるように、外国語に関してもまず音に慣れることが肝心だと思う。音に慣れていないのにやたらと単語や文法の知識を頭につめこむのがいちばんよくない。外国語の発音やリズムに対する無意識の抵抗感や不快感が、せっかくためこんだ知識自体を消し去る圧力として働く。
(関曠野「刑務所暮しと外国語」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.38)


● 分からないことは耳に入らない。単語の意味でも、話の内容でも。

 考えてみれば当たり前のことなのですが、相応の語彙力、文章解析能力があったうえでヒヤリングの練習をするのでなければ本末転倒です。
(猪浦道夫『語学で身を立てる』集英社、2003。p.116)

 人はみな、わかることだけ聞いている。
(高橋健二編訳『ゲーテ格言集』新潮社、1952、p.176)


● とにかくたくさん聞く。

 ジェット気のパイロットの優劣を話す滞空時間が問題になるのと同様に、どれだけの時間、耳から英語を取り入れたかが大切なポイントになる。とにかく一瞬を惜しんで耳が空いていれば、英語を流し込むことに徹した。これにも反論はある。「わからないのに聞いていても仕方がない」ち。私は「それでも聞いたほうがよい」と思っている。わからないからこそ、わかるようになるために聞くのである。聞き方に二通りあり、とにかく音楽かテレビのコマーシャルのように聞き流す、いわゆる多聴と、じっくりとテープを何回も聞き、書き取ってみるやり方の精聴である。
 今でも、イギリス滞在中に録音をしたBBCのテープを毎日お風呂の中とか、食事中などにかけっ放しにして聞いている。このごろでは衛生中継により、本物のニュースが英米から直接入ってくるのでこれを利用すればよい。こちらもテープに収めてはウォークマンで文字通り、犬の散歩の時、通勤の電車の中、その他少しの時間でもあれば聞くようにしている。
(東後勝明「聞き、覚え、使う」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.62〜63)

 ……しかし、「聞く」能力について総じて言えることは、「聞く」総時間が多ければ多いほど、フランス後の理解力は増すということだろう。聞き取りが苦手だという人はこの聞き取りの総時間がまだ足りないのだ。
(鹿島茂「語学の恥はかきすて」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.77)


● 聞いて書き取る練習が語学を上達させる。

 また私は下宿の地階に住んでいた守衛の家族と親しくなり、家族同様の扱いをうけるようになった。言葉の実用編である。とくに十四歳のマリ・カルメン、十歳のイサベル姉妹と仲良くなった。日本人が珍しいこともあったのか、気立てのよい姉妹は私の良き教師役になってくれた。私は彼女らに新聞記事を正しい発音のカステジャーノ(標準スペイン語)で読んでもらい、ノートに書き取る勉強を始めた。私が聞き取れない時や、言葉が分からない時など、彼女らは何度も繰り返して発音してくれた。この朗読書き取り練習法は私のスペイン語を大いに上達させてくれた。
(小島章司「フラメンコ修行も「初めに言葉ありき」」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.179)

 まず、聴解力を伸ばす方法。標準的な英語の会話、物語、劇などの録音されたテープとその原文のテキストを入手する。他にもいろいろあるが、たとえば英文朝日から出ている英米名作朗読カセットは語彙 500、900、1300、1800 語の4段階に分かれている。原文は見ないで、何度も繰り返し聞いて全部書き取るように努力する。いくら努力しても聞き取れない箇所が残ってしまうだろう。どのような工夫をこらしても、自分の耳ではこれ以上聞き取れないという段階に達しても、まだ原文を見てはならない。空所に入るのに適切な語句を、耳でなく頭で推理するのだ。
 このようにしても分からないときは、空所に自分の耳の拾った音をカタカナで記しておき、さていよいよ原文を聞いて、自分の書き取ったものと比べてみる。間違った部分、最後にカタカナを記した箇所はとくに注意してテープも聞き直し、原文なしで全文が聞き取れるようになるまで繰り返し聞く。
(行方昭夫『英文快読術』岩波書店、2003。p.34-35)