6 単語


● 語彙は多い方がいい。

 あるいは、こちらから話すときは一〇〇〇語以内で話すことが話すことができるかもしれませんが、相手が一〇〇〇語以内で答えてくれるとはかぎりません。むしろ、思いがけない言葉が飛びだすことも覚悟しなければなりません。だから、語彙は多ければ多いほどいいわけです。
(笹野洋子『「読んで身につけた」40歳からの英語独学法』講談社、2002。p.78)

● 単語の学習には時間をかけるべき。

 外国語の学習に際して、語彙に関してはこれまであまり無視されていたので、もっと関心を持つ必要があり、語彙の習得にもっと計画的に時間をかけることが絶対に必要である。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.64)

● 単語の学習は何語でも難しい。

 語彙の習得が文法の習得と違う大きな特徴は、言語による難易がないことである。語彙の習得はどの言語でも同じだけ時間がかかり、日本であろうと留学先の外国であろうと、意識して覚えない限りどうにもならない。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.50)

● 単語の学習がうまくいかない根本的な原因がある。

 語彙の習得がうまくいかない理由は、この語彙の習得が面白くないことと、語の数が多く学習に一見終りがないように見えること、どのような語彙を選択するかの自覚がないことに起因している。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.49)

● 希望と信念を持って単語を覚える。

 絶えず辞書を引かなければならない外国語学習がいかに悲惨なものであるかは、多くの人が痛いほど経験しているところである。それだから、単語を覚えるという努力を着実に続けられる人は、ひとたびこの困難を乗り越えたときの楽しみを知っているか、それを想像できる人である。一つの外国語をモノにした人は次の外国語の習得でも成功率が高いことが、その一証拠といえよう。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.49〜50)


● 最初の1500語はていねいに覚える。

 外国語を学ぶ場合、なによりだいじなのは単語を知ることにちがいない。しかし、ある国語の単語を全部知るということは、その国語の学者でも数えるほどしかいないのではあるまいか。われわれはふつう、その国語による古典から現代に至る文学を、征服しつくそうとして外国語を学ぶものではない。なかにはそういう人もいないではあるまいが、ふつうはもっと現代生活の実用のために学ぶことが多いにちがいない。
 われわれが学び初めに知っておくとよい単語数を、わたしはだいたい千〜千五百語と考えている。千五百語知っていれば、たまに辞書のお世話になるだけで、たいていの文章は読めるし、いちおう会話もできる。
 その語を国語としている人が、日常生活で使う語数はせいぜい四千語どまりといわれている。より教養度の高い、いわゆるインテリ層の人々の使う語数は八千〜一万語くらいの範囲内であるそうである。
 わたしは初歩の、いわゆる入門書時代におぼえる千五百語ぐらいの単語の重要性をここに強調しておきたい。これが一般にいう「基礎単語」「基本語い」である。この千五百語を自分のものにする態度がその後新しく覚え、ふやす態度につながるのである。最初の千五百語を正しく十分に実用できれば、新しく覚える語は扇をひらくように末広がりにふえる。それは乗数比例的に増加する、といっても過言ではない。だから、初心がたいせつなのである。
 最初に単語をいいかげんに扱うと、単語は活動しないだけでなく、成長もしない。
 単語を自分のものとしてフルに使えるようになりたいなら、ていねいに覚えなければならない。それができないようでは、その外国語を自分のものにすることは不可能である。
 そういう勉強のためか、外国語語学書の出版元から、「何語千五百語集」といったような参考書も出されている。しかし、そういう本は見ないほうがよい。そんなものを棒暗記しても実力はつくものではない。ただ失望に導くようなものである。むしろ、千五百語は自分が勉強した入門書から自分で選び出すべきである。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.183〜184)

 ある外国語を習得したいという欲望が生まれてきたとき、まずその欲望がどうしてもそうしたいという衝動に変わるまで待つのが第一の作戦である。そして、その衝動により、まず何はともあれ、やみくもに千の単語を覚えることが必要である。この千語はその言語を学ぶための入門許可証のようなものであり、これを手にすれば助走成功で、離陸が無事に済んだとみなしていい。もしこの段階で失敗したときは、あきらめた方がいい。翼や車輪が壊れたままで飛び上がろうとするのは、どだい無理というものである。ただ、同じ言語を二度目にもう一度アタックするのは最初のときよりつらいことは、知っておく必要がある。一度始めて中断した場合は、それまでに学んだ知識は二度目のとき役立たないのみか、かえって妨害になる。
 この千語を覚えるのに、辞書を引いて覚えるのは無駄である。辞書を使うのはもっと後のことで、この段階ではすでに訳のついている単語を覚えればいい。この千語はどれでもいいという訳ではない。この単語の選び方についてはすこし先で述べるが、もしよい教科書なり自習書なら、そこにこの千語が含まれていなければならない。必要なことは単語を覚えることで、辞書を引くことではない。そして、その単語の記憶を確実にするのには、それを書くことをおすすめする。この段階では、理屈なしに覚えるだけである。そのエネルギーとしては、どうしてもその言語をモノにしたいという衝動力を使い、そのエネルギーの燃え尽きる前に千語を突破することである。従って、この千語習得の時間は短くなければならず、そこで十分に時間のとれるときに新しい言語を学び始めるよう計画をセットする必要がある。
 もし千語をモノにできれば、その言語の単語の構成がなんとなく分かるようになり、千五百語にするには最初の千語の半分よりはるかに少ないエネルギーで足りるようになる。そして千五百語覚えさえすれば、もう失速することはない。ただし、この千語なり千五百語を覚えるというのは確実に覚えることで、なんとなく霧の中にあるような覚え方は意味がない。確実な五百語は不確実な二千語より、その言語を習得するのに有効である。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.52〜53)

 それにしても最低1,500から2,000ぐらいの単語を覚え、それらの簡単な組み合わせぐらいは楽に言えるようにしておいてください。つまり天地日月山川などの自然現象、家庭や町や村の生活、ごく一般的な植物や動物、衣食住、商品や職業、父母兄弟友人などの人間関係、交通通信など、数字や簡単な計算、要するに6歳の子どもが当然知っていてよいと考えられることがらだけは知っていてほしいものです。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.34)

 日常の会話に使われる単語は1,000から2,000ぐらいでだいたい用がたせるはずです。ただし発音も意味も用法も正確に覚えておくことが肝要です。発音がいい加減のうえに、使い場所が間違っていたのでは困りますが、中学卒業程度の知識が確実ならば、実用会話には不自由しません。むずかしい単語が話の中に出てきたらば問いなおして説明を求めることもできますが1,000ないし2,000の基本単語があやふやでは話にもなんにもなりません。手紙をやりとりするにも一応はそのくらいを土台にしてまにあうでしょう。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.71〜72)

● 何語覚えたらどんなことができるのかを知っておくべきである。

 小説や詩を楽しみ、会話もでき、その言語で手紙も論文も書けるというようになるには最低四〜五千の語が必要になり、その学習には三〜四年は必要である。この五千語をさらに六千語、七千語、八千語……にすることは、その道のプロ以外必要ではない。いくら覚えてもきりがない単語の学習には、目安が必要である。使いもしない語を無理して覚えるのは、ナンセンスとしかいいようがない。もし、辞書を引き引きその言語で書かれたテキストを読みたいというのであれば、二〜三千語で足りる。ここまで覚えれば、その言語に関しては一応の“上がり”である。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.54)

 読書となると、ふつうの新聞雑誌をこなすためにも10,000の単語を知っていなければなりませんし、少し専門的なものになると、その数倍を必要とするでしょう。本を読むときに1ページのうちに知らない単語が10以上もあったのでは大きな本を読みつづけることは無理でしょう。
 もちろん日本語の新聞雑誌や書物にしてもそこに出てくる言葉をぜんぶ知っているわけではなく、知らないことは飛ばすなり、あて推量で読むこともよくあります。外国語にしても、知らない部分がごく少ないときは、それと同じように処理することもできます。しかし、よほどよく内容を知っているばあいでないと、まったく誤解したり、ときには反対の意味にとったりすることが多い、という実験報告が米国で出ています。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.72)


● 頻度の高い語から覚えるべきである。

 一つの言語の持つ莫大な数の単語は、決して同じ重要性を持っているものではない。ある語はよく出てくるのに、ある語は滅多に出てこない。われわれは学習にあたっては、よくでてくる単語──言語学的にいえば、頻度数の高いもの──から覚えるべきである。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.55)

● 頻度に関する知識をもっているべきである。

 言語学の知識が教えるところでは、言語により差があるとはいえ、大体どの言語のテキスト(書かれた資料)でも、テキストの九〇パーセントは三千の語を使用することでできている。すなわち、三千語覚えれば、テキストの九〇パーセントは理解できることになる。そして、残りの一〇パーセントの語は辞書で引けばいい。これならもう絶望的ではない。頻度数の順で五千番から六千番までの千語を覚えても、全体の理解度はほんの数パーセント上がるだけであるが、頻度数の高い単語を千覚えることは、理解できる範囲をぐっと拡げることになる。そのもっとも重要なのが、最初の千語なのである。
 最初の千語で平均六〜七〇パーセントの語が分かるようになり、このあとしだいにゆるい割合で九〇パーセントに近づいていくのが普通である。もっとも言語によってはフランス語の話しことばのように千語で九〇パーセントを超すものもあれば、日本語のように一万語で九〇パーセントに達するような言語もある。これは選ばれた語彙がいくつかの意味を担っているか、一つ一つの語のニュアンスに贅沢に語を使っているかどうかの差である。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.55〜56)

● 頻度数を示す資料は単語を覚えるための重要な指針となる。

 もし、あなたが学習しようとしている言語に語の頻度数を示す資料があったら、それは絶対に見る必要がある。そして、自分が覚えていく語をチェックしていかなければならない。もし、そういう資料がない言語を学ぶ場合は、どのような性質の語であるかによって、覚えるかどうかを選択する必要がある。このとき、多くの言語では原則として短い語の頻度数が高いということにも目を向けよう。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.64)

● その外国語の専門家にならない限り、一応三千語で“一件落着”にするのが賢明である。

 もし神様が言語を作り、その言語の語彙がどれも等しい頻度数を持っていたとしたら、その言語の習得は、現存する自然言語の習得よりはるかに困難であるに違いない。仮にその言語に五万の語があるとすれば、五千の語を覚えたところで一〇分の一しか理解できないことになる。ところが、自然言語ではごく少数の絶えず繰り返される語を中心に、三千語でほぼ九〇パーセント近くが理解できるようになっているのであるから、五百、千、千五百、二千、二千五百、三千と単語の数が上がるたびに、理解できるテキストの量はぐんと多くなる。あとの一〇パーセントは喜んで辞書を引こうというのはどうでしょうか、なにしろ全部の語を覚えることは限りなく不可能に近いし、この三千語以上の千語はそれによって理解できるパーセントをそう押しあげるわけではないのだから。ごく普通の外国語習得なら“これにて一件落着”といきたい。もう一度いうが、この三千語は頻度数の高いものでなければならない。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.56〜57)

● 単語の頻度とジャンルの広さ。

 日本の新聞の語彙は語の出てくるジャンルと、そのジャンル内の頻度数により四つに分類される。第一は広いジャンルに出て頻度数の高いもの、第二は広いジャンルに出るが頻度数の低いもの、第三は狭いジャンルに出るが頻度数の高いもの、第四は狭いジャンルに出て頻度数の低いものである。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.58〜59)


● 基本単語は初級の教材から覚える。

 土台になる1,000〜2,000の単語をしっかり身につけるためには、前にも言ったように、中学3年までの教科書、またはそれと同じ程度の課程をていねいに学びながら覚えるほかはありません。Linguaphone の「会話コース」で教える単語の数も2,000ぐらいだと思います。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.72〜73)


● 自分に必要な語彙を興味のある分野から増やす。

 英文を読む行為に慣れたら、今度は自分に必要な語彙を少しずつ増やしていきましょう。
 対象はなんでもよいのです。たとえば、私なら精神分析に関する単語になります。自分の仕事にかかわるもの、あるいは、趣味や興味のあるものなど、対象は人によって千差万別です。興味があるものや仕事に必要な単語は、覚える意欲もわきますし、なによりも事前にその分野に関する知識もあるので習得しやすく、英文を読んでいても楽しいでしょう。
 そして、覚えた単語の数が増えれば、その分、文章は読みやすくなり、相乗効果でどんどん速く読めるようになります。
「自分は読める!」という感覚をつかめば、英文を読むことは楽しみにかわりますから、よいサイクルが生まれ、ますます英語が得意になるのです。
(和田秀樹『英語も要領』幻冬舎、2003。p.37-38)

● 自分に必要な単語を覚えるための工夫。

 ちょっとしたくふうが必要である。頭の内部からの要求により、単語が吸いこまれるような方向にもってゆくのである。それにはまず、小さなメモ帳を用意し、いつもポケットに入れて持ち歩くとよい。そして、(1) どんな場所でも、どんなときでも、これはたとえば英語ではなんというのだろう? こういう内容のことは、英語ではどう表現すればよいのだろう? と疑問を出してみる。(2) 本屋で立ち読みしたときに出くわした単語、表現法などで気にいったもの、気になるものなどがあったら、すぐその場で、手ぎわよくメモ帳にノートする。そして、家に帰ったら、その単語を徹底的に調べる。
 (1)の場合は、かなりの好奇心が要求される。しかし、われわれの日常生活からくる刺激が生む好奇心には限度がある。たとえば、自宅から学校に向かって歩く間に、見たり、聞いたり、話したりする事物はたかがしれている。だから、ぜひすすめたいことは、日常の言語生活において話題にのぼる事物、概念のうち、その意味から考えて重要と判断するものが出てきたら、すぐ、それは英語で、フランス語で、ドイツ語でなんというのだろう? と自問する習慣をつけることである。
 (2)の場合だいじなことは、一度見かけた、あるいは聞いた単語が気になってしようがない、という方向にもってゆく。あたかも、いつも出はいりしている喫茶店に、ある日突然、とてつもない美人が現れたら、「いったいだれが連れてきた、どこのだれだろう?」と気になるように。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.190〜191)


● 単語を頭に叩き込んでも、すぐ忘れてしまう。

 シャニムニ単語を頭にたたきこもうとすると、頭のほうで抵抗をおこす。この抵抗はおそろしいもので、いったん、いくつかの単語を覚えてしまったと思っていても、いつのまにかきれいさっぱり、追いだされてしまっていることがある。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.112)

● 単語は文章の中で覚える。

 単語はもともと文章の中に使われてこそ意味があるものなのですから、単語を覚えるのも文章の中で覚えるのが一番自然でもあり効果的でもあるのです。tremble=ふるえるだけを切りはなして覚えるよりも、Rossetti の詩といっしょに覚えた方がはるかに効果的で、記憶もながもちがします。ついでにもうしますと英国あたりの生徒のうちにも詩を敬遠する子がいるそうですが、詩は人間のもっとも自然の感情をあらわすものですから、きらうのはおかしいし、慣れれば楽しくもなり、勉強の役にも立つ、と英語教育の専門家も言っています。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.74)

 さらに、できれば単語を単語そのものとして覚えるほかに、文章や会話における生きた姿でとらえることが必要である。
 たとえば、英語の場合、place ということばを、place と覚えるだけでなく、一つのイディオムとして……in place of……として覚える。
 イディオムにならない語は、例文などの文ごと覚える。
 たとえば、walk という語は walk だけでなく、I walk home と覚える。そうすれば、その単語の使い方がわかるからである。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.182)

 語彙を増やすために「基礎◯◯語」、「デル単」のようなタイプの単語本を使っている人をよくみかけますが、これは長期的には勧めません。なぜなら、語彙というものは実際の学習の過程で接した語彙でないと身につかないからです。教科書、参考書、実際の会話、授業などの際に実際に触れた新出語彙をまめに自分で整理し、自分用の辞書をつくるようなことでないと、本当の(つまり自在に運用できる)語彙は増やせません。
(猪浦道夫『語学で身を立てる』集英社、2003。p.112)

 語彙をふやそうとしていろいろな単語集を丸暗記する人がいる。25歳以下の記憶力抜群の時には少しは有効だろうけれど、一般的には、文章の中で覚えるのでない限り、独立した単語、熟語は暗記してもすぐ忘れる。多読中に出てきた単語は何度も書いて覚えるとよい。多読は元来楽しむべきものなのに、未知の単語を拾って何度も書いて暗記したりすると話の面白さが損なわれるだろう。しかし、ある程度の語彙がないと、いくら前後関係から想像がつくと言っても限界があるので、可能な限りふやしてほしい。接頭語、接尾語、語源などの知識も役立つと思う。
(行方昭夫『英文快読術』岩波書店、2003。p.38)

 使える語学に必要なのは、単語の意味よりは使い方である。古代日本語のネイティヴ・スピーカーを目指した宣長は言う。「ことばは……本来の意味を考えるよりは、古人がこれをどう使ったかをよく考えて、しかじかのことばはしかじかの意味に使ったということをあきらかにきわめ知るこそ肝要である」(石川淳『宇比山踏』)。
 たとえば、haveが「持つ」という意味だと知っているだけではだめで、She likes having friends in the living room.「彼女は、居間で友人をもてなす/友人と会う/友人といる/友人を居間に通す、のが好きだ」という具合に使える、と悟って身につけることが大切だ、というわけである。
(塩田勉『おじさん、語学する』集英社新書、p.41-42)

「単語帳」でおぼえた英単語は、どういう文脈で使ったらいいかわかりません。無理に使えばおかしなことになってしまう場合だって、めずらしくはないはずです。まちがった使い方をしたとき、「あっ、なんだか変だな」と気づく“勘”のようなものは、たくさんの英文を読んだり聞いたりしなければ養えません。
(笹野洋子『「読んで身につけた」40歳からの英語独学法』講談社、2002。p.81)


● 単語の理解に語源や造語法を利用する。

 単語をおぼえるのには、何か連想するものがあると都合がよいものです。連想を助けるもののひとつに語源(etymology)があります。語源学としては言語を歴史的に研究する言語学者の仕事ですが、私たち学習者としての立場からいえばただ覚える便宜上の道具です。(中略)
 こういうようにして語源的に分解して覚えると、忘れにくいものです。長くて覚えにくい単語はたいてい語源でかたづけると楽に覚えられます。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.80〜81)

 ……それでもドラスティックに語彙を増やす助けになる補助的な方法はあります。
 その一つは「造語法」を学ぶことです。英語意外のマイナーな言語ではこの種の参考書をみつけるのは少し大変かもしれませんが、辞書を参考にするだけでもこのスキルは結構会得できます。言語学の分野でいうと形態論の他に音声学が関わってきますので、やや専門的な学習法ですが、少しでもその「味」を覚えると非常におもしろいアプローチなので誰でも夢中になるでしょう。
 もう一つはさらにマニアックなのですが、「語源」と「音韻変化」の基礎を学ぶことです。語源を勉強すると言葉というものに対するファンタジーがどんどんふくらみ、ひいては語感が豊かになります。訳読や作文、さらに会話の細かいニュアンス、言語の背景にあるその民族の文化や価値観までもよくわかるようになります。
 また、英英辞典の類い、英仏、仏独などの外国語間の辞書やマルチリンガルの辞書なども折に触れて参照していると思いがけない発見があり、語彙力の増強に大きく貢献するものです。
(猪浦道夫『語学で身を立てる』集英社、2003。p.113)

● こじつけの連想法は役に立たない。

 英語の単語や熟語をこじつけで覚えようという方法を提唱している本もある。kennel を「ケン(犬)がネル(寝る)ところ」と覚えるのはよいとして、cave を「警部が洞窟に入る」などと覚えようとするのは、ダジャレにはなっても、実用価値は全くない。絶対にやってはならない方法だ。こんなことをやっていたら、英語の力はいつになってもつかない。
 また、仮にこうした方法で単語の意味を覚えたとしても、実際に使えることにはならない。それは、英語→日本語という一方向の記憶だからである。前の例文に spire という言葉が出てきた。これを見て「尖塔」と訳すことは、できるかもしれない。しかし、尖塔の実物をみて spire を思い出すことは、多分できないだろう。単語帳やこじつけ法は、この点で根本的な欠陥をもっている。日本人の英語が実用にならない大きな理由は、この点にあると思われる。
(野口悠紀雄『「超」勉強法』講談社、1995。p.55)


● 単語を既製の単語集で覚えるのは無駄である。

 「豆単」など、単語集を頭から暗記するのは、もっとも非能率的な方法である。単語が覚えられないうえ、時間と労力の浪費である。単語集で語いを増すことのできる人は、その能力を、むしろ詩の暗記にでも向けたほうがよい。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.188)

 そして自分の失敗経験からいえるのは、単語をそのまま丸暗記するのではだめだということです。ほんとうにつらい思いをして覚えても、どんどん忘れてしまうから、結局は膨大な時間のむだになります。それなら、気に入った詩を覚えるほうがいい。詩は韻をふんでいるものだし、また詩には意味ももちろんあるのだから、もしも単語を暗記したいのであれば、そういう詩を通して暗記したほうがずっと覚えやすいです。
(ピーター・フランクル『ピーター流外国語習得術』岩波書店、1999。p.14)

 単語帳で英単語を一生懸命記憶しようとしている学生を見かける。これを見ていると、気の毒になる。全く非効率的な勉強方だからだ。ましてや、「辞書を最初から一語一語覚えて、覚えたページを食べた」などという苦学物語を聞くと、信じられない思いである。
 彼らは、個々の単語を独立に覚えようとしている。これは大変な努力を必要とする勉強方だ。しかも、極めて能率が悪い。個々の単語をバラバラに覚えようとしても、覚えられるものではない。そのうえ、退屈きわまりない作業である。だから、「a から始めて abandon まできて投げ出した」とか「a で始まる単語だけやけに詳しい」などということが起こる。こうした学習法は、「超」勉強法の第一原則(面白いことをやる)にも、第三原則(とにかく進む)にも反する。退屈なだけでなく、他の単語と混同してしまう危険もある。辞書のつぎに出ている言葉と取り違えたというウソのような話もある。
(野口悠紀雄『「超」勉強法』講談社、1995。p.53)


● 読みながら単語を採取して覚える。

 一応基礎ができたものとして、それ以上に単語の知識をふやすにはどうしたらよいか。ひとつずつ覚えていくことは前と同じですが、そのころになるとただの語学の教科書のみではなくて、一般の新聞雑誌や単行本を手にとるようになるでしょう。そういう時に出てくる知らない単語を採集して覚えるのです。
 これらの読みものにしても、ある時は教科書と同じように知らないことは一々辞書を引き、ノートやカードに書きつけて覚えます。これはもちろん一番確実な方法であって、私自身もときどきは新しい単語を収集することを目的としてこういう読み方をすることもあります。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.74〜75)


● 辞書を引いたらすぐ閉じないで単語と意味をメモしておく。

 辞書を手まめに引くことは前にもうしました。しかし引きっぱなしでは効果が薄いのです。一目見ただけで絶対に忘れないという人も100人にひとりぐらいはいるかも知れませんが、私たち平凡人はもっと慎重なやり方をすべきです。すなわち、目ざす単語を辞書の中で見つけ、その場で必要な意味が分かってもすぐに辞書を閉じずに、ノートかカードに書きとった上、紙片でもはさんでおきます。どうせ続いて二度三度と辞書のその箇所を見なおすことが多いのですから。ノートは小型の単語帳よりも、合判ぐらいのやや大きめのものを用い、単語と訳語だけではなく、なるべくならば用法、用例もいっしょに書きいれるようにします。カードも単語だけ書きこむ小さいものではなく、やや大きめのもの(私は紙屋で8cm×12.4cmに裁断してもらったものを使っていますが、一般には7.4cm×12.4cmが標準型です)に単語と訳と例文と出所などを書きいれておくと便利です。…(中略)…、このように一々訳をつけないでも自分の用にたりれば十分ですし、著者名や書名も一々ていねいに書かずに自分だけにわかる略号でもけっこうです。必要に応じては発音とか同義語とかを書きいれることもできます。
 勝俣銓吉郎『新英和活用大辞典』は英語を専門とする著者が50年もかかって何万ページの原書を読みあげて20万ほどの言い方(collocations)を集めたもので、私自身もいつも手許に置いてお世話になっています。この辞典を利用することをどなたにもおすすめしますが、自分でもカード式でさまざまな言い方を集めるのは、楽しくもあり、有益でもあります。たとえ1冊の本でも、読むときに用法に注意してこのようにカードに取り、まとまったならばABC順に揃えて、ときどき復習すると単語の力はもちろん、語学の実力が目だってつきます。ぜひおためしください。このカードは会話の決まり文句を覚えるためにも使えます。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.77〜78)