5 発音


● 繰り返し聞くことで音に慣れる。

 テープレコーダーは、くり返しくり返し、その音に完全になれるまで聞くことである。一度聞いて、そのままでは効果はない。一度では聞きとりにくくもあるし、聞きおとしもあるからである。完全に語感をキャッチするまで、あきずに聞くようにしなければならない。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.215)


● 言葉の生きた美しさを鑑賞するためにも正しい発音の知識は必要である。

 歌のほんとうの美しさは、正しく歌わないとわからないのと同様に、ことばの生きた美しさも、正しい発音なしでは絶対に鑑賞できない。だから、正しい発音を習得するということは、間接的な意味で、語学学習全体にうるおいをもたらすものであるのみならず、ことばのエスプリにふれるには、絶対にひつような条件である。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.237)


● 発音を重要視する人は少ない。

 外国語を上手に習得するのにとても大きな意味を持ち、しかもそのことを本人自身が知りながら、それでもなおあまり重要視しないという学習上の謎が「発音」である。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.144)


● 発音の正しさは文法の正しさよりも重要である。

 『どのように外国語を学ぶべきか』という本の中で、著者のJ・トマン博士は発音について次のように述べている。

「外国語を正しく学ぶための重要な前提になるのは、正しい発音の知識である。
 文法上での誤りをとんでもないミスと見なす人々が外国人を仰天させるようなひどい発音で話すのに出会うのは、興味を引く事実としかいいようがない。しかもその際に、外国人は文法上のミスのある文の方を、ひどい発音で話された文よりむしろ理解できるということをわきまえておく必要がある。」
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.144)

 発音が外国語の学習にとって大切であることと、発音に関しては始めが肝心であることだけは忘れないでいただきたい。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.159)


● 外国語の上手下手と発音の善し悪しは無関係に並存する。

 筆者がまだ大学の学生であった頃、その大学へ、アメリカから世界的に有名な言語学者が来て講演したことがある。そのとき歓迎の挨拶に立った教授の英語の発音があまりにひどかったのでびっくりしたが、その挨拶が活字になったとき、その英文の見事さに今度はアメリカ人の学者の方がびっくりしたというエピソードがある。外国語の上手下手と、発音がいかに無関係に並存できるかというこのうえないよい例であろう。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.144〜145)


● 発音の善し悪しには才能があるのは確かだ。

 ところが、発音だけは別である。何の努力もなしにあっという間に外国人と見分けられないくらい上手に発音のできる人もいれば、いつまでたってもたどたどしい人もいる。そして、一つの外国語の発音のいい人は次の外国語の発音までいいのであるから、始末が悪い。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.148)


● 一つの言語の音で聴くことに慣れすぎると、外国語の音は聴き分けられない。

 ある一つの言語を習得してしまった人間は、いろいろな言語で発せられるいろいろな音を、そのまま受け入れるようには訓練されていない。母語にとって意味を持たない音の区別は無視し、その音の差が母語にとって意味のあるものだけを注意して聴き分けるようになる。日本語を無意識にしっかり習得した人ほど、外国語の発音は苦手というように見える。だからこそ日本語の枠で音を聴く訓練にたけていない子どもの方が、概して大人より外国語の発音がいいのであり、その枠が完成してしまえば日本人には [r] と [l] の区別は無用なので、その音の区別に注意が向けられず、従って区別ができなくなるのである。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.149〜150)


● 発音がよくなると聞きとりが楽になり、会話も伸びる。

 大学一年生からなぜか発音に異常なまでにこだわっていた。
 「日本人と間違えられるほど発音をきれいにすることは外国人にとって絶対無理」と先生に言われたことが逆に、「オレなら絶対無理なことでもやれるぞ」と発奮させたのかもしれない。しかし、あとになって振り返ってみると、この発音重視の訓練は他の能力(ヒアリング、会話等々)をも大きく伸ばしたとてもよい思いつきであった。
 外国語で話そうとする時にまずぶつかってしまう問題は「相手の言うことが聞き取れない」、そして二番目は母国語でまず考えてから、外国語でどうやって表現したらよいのかと考えることである。聞いても分からないということから生ずる焦りは二番目の問題をさらに深刻化させる作用を持つ。
(セルゲイ・ブラギンスキー「語学の勉強は発音の訓練から」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.229〜230)


● 難しい音は、その外国語のごく一部である。

 ある外国語の発音が難しいといっても、その外国語のすべての音が日本語の音と異なるというわけではない。日本語にはないいくつかの音を熱心に習得しさえすれば、全体のレベルはかなり上達することになる。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.153〜154)


● 日本語に似たような音があって外国語では別物というときは、発音の習得に苦労する。
 誰でも気がつく全く異なった音の習得より始末が悪いのは、日本語に似たような音があって、自分ではそれを発音して済ませていたのを外国人に指摘されて「違う」といわれ、自分はどこが違っているのか分からない場合である。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.154)


● 学習中の言語と母語との違いをはっきり理解することが大切である。

 外国語の発音を学ぶ場合、日本語とどう違うかをよく理解することはとても大切である。そしてその違いがどこからきているかを見極めて、その違いを自分で発音し分けてみないと、聴きとることは困難である。こと発音に関しては、いい先生につくかどうかは重要な意味を持っている。そして、その先生自身の発音がいいだけではなしに、日本語と習得予定の言語の違いをはっきり意識して説明できる人がいい。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.156)


● 発音の矯正は難しい。

 学習の最初の段階では、正しい発音を学ぶか、よくない発音を学ぶかには努力にそれほどの差はない。しかし、後になってよくない発音を矯正するのは、困難というより不可能に近い。語学の学習では一つ一つの間違いを正していくというのがその基本的態度であるが、発音だけは例外である。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.156〜157)


● 発音の習得には音声学の知識があると役に立つ。

 外国語を正しく発音し、正しく聴き分けるには、音声学の基本的知識があると役に立つ。音声学は人間の言語音を研究対象とする言語学の一分野で、その一つの分類によれば、一般音声学と個別音声学の二つに分けられる。音声学がどのようなことを研究するかを一口でいうのは難しいが、発音器官にはどのようなものがあり、それをどう動かすとどのような音がでるかとか、そもそも人間の言語音にはどんなものがあり、それがどのような構造をなしているかというようなことを研究する。それを言語一般にわたって研究するのが一般音声学であり、特定の言語について行うのが個別音声学である。もちろん、一般音声学を学び、次いで個別音声学を学べばそれにこしたことはないが、こんな贅沢は誰にでも許されるわけではない。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.157)

 何の苦労もなしによい発音を身につけられる人はかまわないが、それが苦手の人は、次の語学を始める前にいくらか音について学ぶことをおすすめする。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.158)


● かぶせ音素にも注意を向けよう。

 英語とかロシア語ではどこにアクセントがあるかを知ることは、基本的な学習項目の一つである。それに、アクセントと呼ばれているものの性質を知ることも大切である。音の強弱によるアクセントを持つ言語もあれば、音の高低がアクセントの基本をなしている言語もある。
(千野栄一『外国語上達法』岩波書店、1986。p.158〜159)