3 模倣


● 母国語と同じ言語生理の感覚を身に付けるには、とにかく真似てみることである。

 暗号解読式の外国語の呪縛からいち早く解放された人がどうも語学の進歩が著しい、という気がする。つまり、外国語なんて方言の一種で、土地にゆけば子供だって喋っていると居直った人が進歩が早い。居直るといっても外国語を侮っているわけではなく、母国語と同じ言語生理の感触で外国語を掴むということだ。
(辻邦生「遠い外国語、近い外国語」辻邦生・編『外国語ABZ』新潮社、1985)


● 真似することが上達の鍵だ。

 その後デュッセルドルフ支店に配属されて、庶務電信計算の担当となってからが、わが人生でドイツ語がもっとも上達した時期だ。ドイツ人の計算方式、特に彼らは引き算ができず、引き算も足し算でやっていることに初めて気づいたし、0を団子状に、1を7のように書くドイツ流にも染まった。一週間後を八日後と表現するくせに、二週間後は十四日後と表現するのはおかしいといってドイツ人を困らせもしたが、仕事を通じてこそ、本物のドイツ語を効率よくマスターできた。とにかく、彼らの口調を真似することにつきる。
(若林正人「『文乙』の全力投球」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.118〜119)


● 初めは発音の真似に重点を置く。

 言葉を覚えるというからには、意味と発音とを覚えなければなりませんが、始めのうちは、どちらかと言えば意味よりも発音に重きをおいてください。"Thank you." の発音を正確に習うことがまず第一、その次にこの言葉は他人から何か品物をもらった時、何か用を足してもらった時に用いるのだという用法が第二です。この英語が日本語の「ありがとう」に相当するということはあとまわしです。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.35)


● 外国への抵抗感をなくすためにそれらしい抑揚をつけて読んでみる。

 初歩の知識を身につけた段階で外国語の長文をそれらしい抑揚をつけて声を出して読む訓練をすれば、文のいみはよく理解できなくともその言葉に対する違和感はどんどん薄れてゆく。単語や文法もより自然に頭に入ってくるようになる。
(関曠野「刑務所暮しと外国語」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.38)


● 感情の表し方を真似る。つまり、その文章に自分がなりきってみる。

 たとえ簡単な話でも、話題の人物といっしょに、よろこんだり悲しんだりする癖をつけましょう。日本語の話を読むときにはほとんど意識しないでそうやっているのですが、外国語の場合には少なくとも始めのあいだは意識的に大げさにやった方が効果的です。そして外人の話を聞く時(テレビや映画でも)その言葉と表情との密接な関係に注意し、つとめてその真似をしましょう。
 日常の簡単な会話のみではなく、高級な論文を読むときでも、原著者の気分までを読みとらないと、真意をつかみそこなうことがいくらもあります。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.58)

 よく内容のわかった文だけ、日本語には訳さずに、その情景を想像しながら、大げさな表情をつけて大声で読んでみてください。たとえばあなたの好きなかおりであればニコニコしながら、いやでたまらない臭気なら顔をしかめるとか、かわいそうな子どもならば気の毒だという身ぶりをしてください。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.56〜57)


● 発音を真似るためには、まず何度も繰り返し聞くことが大切である。

 発音というと、先生のおおかたは、自分が模範をたれて、すぐ聴講者に復誦させて「ちがう、もう一度」などとくり返している。しかし、あの方法はまちがっているとわたしは思う。
 わたしはある日、近所の喫茶店で飼っているオウムにことばを教えてみた。ところが、オウム君は、わたしが繰り返してもなかなかまねしない。首をかしげて、わたしの声を聞いている。そして数回後にようやくわたしの声をまねた。それはわたしの発音とそっくりであった。
 つまり、「オウムがえし」というのはウソである。オウムは十分に聞いて、体得してからはじめて発音する慎重な鳥なのである。
 われわれが発音を練習するときも、オウムに学ぶ必要がある、とわたしはいいたい。あわててまねることはない。音になれるまで十分聞くのが先決要件である。幸いに、これらの教材は何回でも繰り返させることのできる機械なのだから。
 もう十三年も昔になるが、わたしがはじめてスウェーデン語を勉強したとき、ようやくスウェーデン語で「シンデレラ」の話を録音したものを手に入れた。わたしはそれを少なくとも五百回は聞いた。だから、いまでもはっきりその音のままにその話を覚えている。それは、わたしにとって、永久的語感とでもいうものになってわたしの頭の中に残っている。そして、いまでもスウェーデン語を話すときは、脳裡にそれが浮かぶのである。
 このように、まず、繰り返して聞くことをおすすめする。最初はその語音になれるだけでよい。音の特徴をつかむのである。その場合、音だけに集中したほうがよい。書く、見るは別のことで、それを同時にしようとすると分散して効果は弱くなるから。それもあまりいろいろなものを聞かず、最適と思うものだけを、すり切れるまでなん度も聞くのである。ストップすると、耳にその音が残っているほど聞く。それだけ聞けば、オウムではないが、そっくりその正調の発音をまねられるはずである。
 先生のいうのを聞いて、即座にそのとおりできないと不満がるのは、先生のほうがまちがっているのであって、あなたは繰り返し体得するまで黙って聞く努力をすべきである。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.218〜219)


● 気に入った言葉を真似て使ってみる。

 たとえば、外国人から直接に聞いた表現法で、(なるほど、こんな言い方をするのか)と感心するものがあったときは、すぐに頭の中で繰り返し、できるだけ早い機会にそれを自分でも使ってみること。これは、本を読んでいて、アンダーラインを引くところに相当するそれを、頭の中にいれ、会話によって実地に自ら繰り返し使ってみるわけである。これは、習慣にしてしまうと、それほど骨の折れることではなくなる。この方法によって、一時間の会話から得られる成果は、かなり高いものである。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.112)

 自分でせっせと用例を集めて実際に使ってみるのが一番よいことです。
(渡辺照宏『外国語の学び方』岩波書店、1962。p.84)


● ブロークンは敵。言葉を正しく使おうと努力することが必要である。

 ブロークンに不感症になってしまうことは、絶対に警戒しなければならない。……(中略)……。文通を例にとれば、二十通以上の返事を出した段階では、もはやブロークンは、その人の恥であるし、その語についての自分の能力の停止である。
 自分が、学んでいる語に十分に上達したいと思ったら、ブロークンは絶対に使わないように努力しなければならない。それには学習の段階で、完全を目標とする精神を強くもたなければならない。具体的には、自分が読んで覚えているもの、あるいは聞いたことのある表現だけを使うのである。少しでも「あやしい」と思ったら、辞書で確かめてから使うぐらいの努力をしてほしい。
 「意味さえ通じればよい」、「こんなふうにいってもわかってもらえるだろう」といった安易な精神がブロークン容認の初めである。「急ぐ場合、調べているひまがないから」という言いわけは許されない。それならだまっていればよいのである。ブロークンに慢性になると、もうブロークンも正確もわからなくなり、どっちでもよいということになる。それは語学上達を志すものとして、もっとも警戒しなければならない態度である。
 単語は何千何万と知りながら、ブロークンを平気でいうような人は、正しく用いる人から軽蔑されることはいうまでもない。ビジネスマンだったら、相手に悪印象を与え、人格を疑われることにもなりかねない。けだし、人間はことばにデリケートなニュアンスをふくませて、はじめて真の意思を通じあうことができるものだからである。
(種田輝豊『20カ国語ペラペラ』実業之日本社、1969。p.188)


● 真似して使ってみる。

 三つ目は「使う」こと。覚えた英語を実際にコミュニケーションの手段として使ってみること。従来は覚えてから使うといった考え方を私も持っていたが、それでは泳げるようになってから水の中に入ることになり、間に合わないことが最近わかってきた。そこでその考え方を一歩進め、覚えながら使う、また使いながら覚えるということにすればいい。「覚える」ことと「使う」ことは表裏一体なのである。
 たとえば、最近私が覚えた表現だが、「お酒に酔ってきた」とか「あの人は出来上がっている」などと言う時に He's feeling no pain と言うのだそうだ。私はそうした状況に出くわすと、しきりにこの言葉を使い、使いながら頭の中に定着させようとしている。
(東後勝明「聞き、覚え、使う」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.64〜65)


● 徹底して真似していく過程で、その表現が自分のものになる。

 発音の訓練は次のようにしておこなった。
 まずは非常にやさしいテキスト(三年生になっていたが一年生の教科書を使ったことなど)をテープで聞きながら何度も読む。アナウンサーの声の入ったテープを間をあけながら別のテープに録音しなおす。そしてその間に自分の声を吹き込んでみる。一つ一つのフレーズをさらに細かく区切ってやるのだが、吹き込んだあとはアナウンサーの声と自分の声を細かく聞き比べて、何度もやり直して同一の発音になることを目指す。
 最初は十フレーズぐらいの簡単なテキストに毎日三〜四時間ずつ三日も四日もかけたことがあった。リンガフォン室にたまたま入ってくる同級生からは、「また一年生になるつもりか」と皮肉られるほどだった。
 一〜二ヵ月ほど続けているとだんだんやりやすくなってきた。さらに、発音が上達した以外にももう一つ意外な効果を発見した。これまでやってきた簡単なテキストは自然にただ頭の中に入っていたばかりでなく、いわば「内在化」されていた。つまり、母国語で考えなくとも必要なときに必要な表現がでてくるようになっていた。そしてもっとも驚いたのは、この「内在化」された簡単な表現で意外に多くのことを言い表わせるということであった。
(セルゲイ・ブラギンスキー「語学の勉強は発音の訓練から」現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992。p.230〜231)

● 真似ることはその文化を受け入れることである。その文化と言語に好意的になれた方がいい。

 オリバーとパーディーは、オーストラリアの小学生58人の意識調査をしてみた。この子どもたちは英語を第2言語として学習しており、第1言語は子どもによりそれぞれベトナム語、中国語、ギリシャ語、アラビア語などであった。英語のレベルは日常会話はほとんど問題なくでき、また読み書きもかなりできるということで、英語、そして母語ともにかなり自由に操れるバイリンガルたちであった。
 彼らに第2言語(英語)をどう思うか、また彼らが第2言語を使うことを親、先生、他の子どもたちがどう考えていると思うかということを聞いてみた。すると、自分はもちろん第2言語を肯定的にみるし、自分の回りの人もおしなべて自分が第2言語(英語)を使うことを肯定的に考えているだろうと回答したという。つまり、言語習得する本人はもちろんのこと、親や回りの人も目標言語に対して肯定的な態度をもつことが、バイリンガルへの効果的な道であるといえるだろう。
(東照二『バイリンガリズム』講談社現代新書、2000。p.105)

 対象の文化を(自分の文化と同様に)肯定的に受け容れるようにすると言語習得もうまくいくかもしれない。
(東照二『バイリンガリズム』講談社現代新書、2000。p.130)