証し文

1998/2/15


私はソウルのオンヌリ教会に通っている。

オンヌリ教会に初めて来たのは、去年の6月頃。信仰とは全く無関係に個人的な用があって来た。

キリスト教には惹かれつつも心の底で反感を持っていた。福音書は読んだことがあった。しかし、反日本的なキリスト教文化の性質と、自分たちだけが真理を知っているかのようなクリスチャンたちの表情が嫌だったのだ。

しかし、沖胡牧師先生のメッセージを聞いて、すばらしいと思った。神様は私たちに必要なものを与えてくださり、必要のないものはくださらないという内容だった。それ以来、用事がなくてもメッセージを聞くために日本語オープン礼拝に来るようになった。


あるとき、沖胡先生がキリストの復活を信じるようになったいきさつについて個人的に話してくださった。

「弟子たちは、イエス様が生きておられるときには信仰が弱く、イエス様が逮捕されたときには散り散りに逃げてしまった。ペテロは“私はあの人のことを知らない”とまで言った。

ところが彼らはイエス様の復活のあと、まるで別人のように信仰の強い人たちとなり、迫害もいとわず宣教をつづけ、殉教していった。この変化は異常である。もしこれが改心によるものならば、何年も続くものではない。イエス様の復活をこの目で目撃し、そしてイエス様とその後も一緒にいるという実感がなければこのような強い信仰は生まれない」

周囲の美談の後日談を見ても、また、自分のことを振り返っても、改心がその後自分の性質を変えてしまうということはほとんど不可能に近いと感じていた。沖胡先生のこの説明は私の不信を根底から揺るがした。

人間の罪という問題はすでに現実の問題として認めていた。人間に罪があり、イエス様が復活されたということを認めるならば、それが私たちの罪を購うためであるということも当然のように認めなければつじつまが合わなくなってしまう。

このとき私は、人間の罪と、イエス様の贖罪と、イエス様の復活を認めてしまったわけだ。それでも私はイエス様をキリストとして受け入れなかった。


11月の半ばに、日本からアーサー・ホーランドという、アメリカ人と日本人の混血の牧師先生がオンヌリ教会の日本語オープン礼拝に来た。この人はアイボリーのスーツにオールバックという出で立ちで、髪を一部金色に染めていた。軽い乗りで、かなり軽薄な冗談も交えながら話していた。しかしその内容は、すべて真摯な聖書の教えだった。

これは私のキリスト教に対する反感を拭い去ってしまった。

アーサー・ホーランド先生は、水準の低い人たちの言葉遣いと身なりで彼らの中に入っていって、彼らの心を捉えていたのだった。一人高潔に生きて本当に救いを必要とする人たちを寄せつけないクリスチャンの印象とは無縁だった。しかも、信じないと地獄行きだとか、口を開けば悔い改めよというのではなく、ひたすら神様の愛を説いていた。

キリスト教というのは、固定した文化ではなく、別に反日本的でもなかった。別にクリスチャンだからといって、しなければならない言葉遣いや身ぶりも、着なければならない服も、食べてはならないものもないのだった。

それから半月後の11月29日の夜、イエス様を受け入れた。

私のキリスト教に対する不信は、沖胡先生の強烈なアッパーカットでフラフラにされたあと、アーサー・ホーランド先生の軽いパンチでノックアウトしてしまったわけだ。


受け入れるとき、私は人間関係で腹が立っていた。そのために仕事が手に付かず、何時間も無駄にしていた。復讐心が自分を破滅に導くと分かっていても、復讐心に占領されてしまっていた。復讐心から逃げられなかった。復讐心は容赦なく私の大切な時間を奪っていった。

私はイエスという存在にすがりたかった。しかし、その宗教的存在を受け入れた瞬間に自分自身の何か大事なものが完全に破壊されてしまうのではないかという恐れともに、私がイエスにすがりたがっているのは、自分が行き詰まっているのを宗教的な力で打開しようとしているのだ、これは卑怯な便利主義だという自分の内部からの声がした。

こういう声は今まで自分の理性の声、良心の声と思っていたが、そのとき、それを「悪魔の声」だと感じた。そして、自分の何かが破壊されるというのは、自分に住む悪魔が追い出されるということで、自分の入信を卑怯な便利主義だという強い非難の声は、悪魔の必死の抵抗だと感じた。

そして私は自分の「恐れ」や「理性の声」を振り切って、イエス様を自分の神様として受け入れると自分自身に宣言した。

そのとき、復讐心は消え去り、不思議な気分になっていた。その後も復讐心に悩まされることはなくなった。


しかし私は自分がイエス・キリストを受け入れたということを自分だけの秘密にし、誰にも言わなかった。

そうするうち、12月中旬の土曜学校クリスマス・パーティーに遅れて行ったとき、沖胡先生が私にいつになく強く信仰告白を迫ってきた。私はすでに信じていたので、否とは言えず、信じていることを遠回しに肯定した。

あとで聞いたのだが、その日の朝、沖胡先生はいきなり「断食祈祷しなさい」という啓示を受け、クリスマス・パーティーでバイキング料理をみんなが食べている間も何も食べずにいたのだそうだ(私がもっと早く信仰告白をしていたら、沖胡先生はクリスマス・パーティーの料理を堪能できたかもしれなかったのだ)。

私は自分がクリスチャンであることを人に知らせても自分の心の中に秘めていても同じだと考えていた。

しかし、それは間違いだった。信仰は誕生し、育ち、そして一人立ちするものだ。人に知られないためには、聖書の教えを人の目に付くところでは行いにくい。これでは自分の信仰を育てることはできない。一人では信仰を育てるどころかかえって聖書から離れてしまいかねない。私がイエス・キリストを受け入れたと人に知らせることは、私にとって大変重要なことだったのだ。神様は私にほとんど強引に信仰告白をさせ、のちにその意味を気がつかせてくださった。


クリスチャンになってから、恵みをたくさん受けた。

そのひとつは、心の平安だ。ある本で、「刺激と反応の間に選択の自由がある」と書いてあり感銘を受けたことがあった。しかし私の心は、人の攻撃という刺激に対してわき起こる復讐心という反応に無力だった。これを、信仰を持つことによって簡単に吹き飛ばすことができた。イエス様だけを大切なものとして求めることによって、多少の問題は問題ではなくなった。

運も良くなった。昔『成功哲学』という本を読んだとき、「自己犠牲をいとわない信念が必要だ」と書いてあって感銘を受けたことがあった。しかし私は少し不安なだけで逃げ出していた。それがイエス様を信じることによって、不安に思うことでも逃げ出さないようになった。肝っ玉が小さいのは以前も今もぜんぜん変わらない。しかし、結果的に自分がしていることは、信じる前よりもかなり大胆になってきた。そのために、運が良くなってきた。もし殉教も恐いと思わないくらい信仰が強くなったら、本当に恵みの多い人生が送れるに違いないと思う。

今月5日木曜日に妻とほぼ同時に異言の賜物をいただいた。

こんなにすばらしいイエス様をなぜ今まで信じなかったのだろうか。信仰生活を始めてまだ日が浅いが、神様を慕い求めていると、いろいろなことが起こる。

つい最近も、駐車場に止めて会った車をトラックにぶつけられたことがあったが、あとで同僚から「尾崎さんってずいぶん落ちついてますね」と言われた。私はそれが信仰のあるおかげだと説明し、ぜひ聖書を読んでくださいと勧めた。