アメリカが行っている戦争に対する二人のクリスチャンの対話


A:去年の連続テロ事件で、アメリカが軍事行動を起こしたのは、本当に残念なことだと思う。キリストの愛を伝えなければならない主の僕であるブッシュ大統領が、むしろ、神の御名を匂わせながら、罪なき人々まで巻き添えにして、アフガニスタンを焦土としてしまった。これは、神の名を利用して自分の好きなことをやったことだ。
B:いや、ぼくはそうは思わない。無抵抗主義が必ずしもいいとは限らない。イスラム原理主義のテロ組織は、放っておけば、どんどん広がって行く。それには歯止めをかけなければならない。アメリカはこれまで自由を脅かす者に対しては、余計なおせっかいとも言えるような形で、闘ってきた。自国の利益のために闘っているとよく言われているが、それよりも、自由というものを、そこまでして守ろうとする意志は、神の信仰から出たものだ。
A:いや、そうではないと思う。やっぱり、自国の利益が最優先しているんだと思う。自由というよりも、自由主義に対する徴発と見られる行為を潰そうとするのは、自国のやり方に世界を合わせようとする規格主義だ。神から出たものなら、空爆による大量破壊と無差別殺戮は行われないはずだ。もっとも、今回のアメリカの戦争は、中東地域に勢力を拡大するためだといううわさもある。だから、どんな理由があるにせよ、あれは神から出たものじゃない。しかも、テロというのは、何もしないところでは大きくならないものだ。それは、攻撃し撲滅しようとすればするほど、どんどん強大になって行くんだ。それは、湿疹で痒いところを掻けば掻くほど、ひどくなるようなものだ。アメリカがやっていることは、見当違いだ。
B:その考えは重大な点を見落としている。犯罪を犯した者や、犯罪を犯した組織は、厳しく罰せられなければならないのが原則じゃないか。君の意見は、犯罪者をそのまま放置しておけというものだ。モーセの律法にも、犯罪に対する罰則が設けられている。現在のどこの国の法律にも、犯罪に対する罰則がある。これは、国際的に見ても、明らかに犯罪を犯した者に対する処罰は必要だということだ。犯罪を放任することは、国際的な秩序を乱すことになる。それをアメリカの陰謀であるかのように考えるのは、軽卒というものだ。
A:その考えこそ、誤解に端を発したものだ。イスラエルは建国以来、パレスチナを苦しめてきたけれど、そのイスラエルを、アメリカが支援してきた。それはとりもなおさず、イスラエル人と組んでイスラム教徒たちを虐待してきたことになるんだ。罪もない弱い民から、財産を奪い、命を奪うのが、犯罪でなくて何になるだろう。だから、これは狂信的なイスラム過激派から一方的に吹っかけられた喧嘩じゃないんだ。それに、アメリカは、太平洋戦争でも、長崎と広島に原爆を落として、数十万人もの何も知らない人たちを殺したじゃないか。今回のアメリカの軍事行動だって、国際世論の非難を浴びている。君の論理で言ったら、アメリカこそ罰せられなければならないことになるぞ。
B:アメリカが広島と長崎に原爆を落としたのは、日本が狂信的な戦争を行っていたからだ。しかも、そもそも太平洋戦争の始まりは、日本軍がアメリカの真珠湾を奇襲攻撃したことに始まるじゃないか。あれは、一種のテロ行為と言ってもおかしくないものだ。平和をそのように犯す日本軍を、アメリカは許さなかったんだ。アメリカの戦争には、そうすべき根拠があった。
A:まさにそこに、君の落とし穴がある。アメリカは、日本が戦争を始めずにはいられないほど苦境に追い詰めたんだ。戦争をしても自分たちが勝つ公算が十分あるから、日本に戦争を始めさせて、正当防衛の形を借りて日本を潰した。これこそ、アメリカの仕組んだ犯罪だ。問題の根本は、神を信じる国が、いたずらに戦争を造成し、相手から先に手を出させて、そして徹底的に潰すという戦法をこれまで取って来たということだ。今回のテロ撲滅のための戦争も、同じ考え方から出たものだ。ぼくは、日本が正しかったと言っているんじゃない。アメリカの戦略が御心にかなっていないと言っているんだ。
B:君の考えは、現実を無視している。現にテロは、いつどこでぼくたちを狙っているか分からない。そのテロの撲滅のためには、自国内のテロを取り締まっただけではどうしようもないんだ。なぜなら、彼らは国際的な組織を持っていて、アメリカの平和を脅かしているからだ。それを撲滅しようとしたら、国際的な協力を呼びかけるだけでは足りなくて、テロを支援する国に対する制裁が必要になる。また、必要ならば、テロ支援国をすら撲滅することが、世界平和のためになる。アメリカは、戦争に勝ったあと、駐屯国で寛大な政策を取ってきた。これこそ、神の愛から出るものだ。悪を滅ぼしたあとの平和は、実はその国民が心から望んでいることで、それをアメリカは実現してくれているんだ。日本についてだって、天皇を神と祭り上げた狂信的な軍国政府の支配からぼくたちを解放してくれたのは、アメリカじゃないか。多くの犠牲者は出したけれど、それが結局は、現在のぼくたちが平和を謳歌できる根拠になってるんだ。だから、君の言っている、悪に対して無抵抗でいろという考えは、間違っている。悪に対して危険を顧みずに闘っているアメリカは、神の御心にかなっているんだ。
A:もし、戦争して勝って相手国の民を解放する自信が、もともとあるなら、初めから世界をリードして、狂信的な軍国主義が起こらないように手を打つこともできたはずだ。世界を平和に教化できるだけの財力と頭脳が、アメリカにはもとからあったと思う。やっぱり、アメリカは自国の利益をむさぼろうとしていたために、それに対抗する形で周辺の国にファシズムが起こって、第二次世界大戦という悲劇が起こったんだ。これまでの歴史を見ると、神の民が罪を犯した地から、皮膚病が広がって膿が出るように、悪の集団が拡大してきた。イスラム教の拡大にしても、ロシアにおける共産党の支配にしても、ファシズムの跋扈にしても、最近のテロ集団の凶悪化にしても、すべてはクリスチャンたちが罪を犯した場所で、繁殖し拡大したものだ。アメリカが本当に神に従うなら、大規模になった自爆テロを目の前にして、自分たちの罪を直視し、悔い改めて、むしろイスラム教国にもっと温かい思いやりを示すべきだったと思う。御心に従うということは、それだけの意志が必要なんだ。それは決して、弱いことではない。ガンジーは無抵抗主義でイギリスの植民地支配を撤退させ、ゴルバチョフ大統領は西側への歩み寄りで東西の対立を解消したじゃないか。一見弱そうに見える行動が、実は世界を平和に導く力を持っているんだ。だから、君の言っている、悪には闘うべきだという考えは、間違っている。アメリカが戦争を始めたのは、世俗的な発想によるもので、神の御心にはかなっていない。
B:アメリカは、いつも圧制にしいたげられた国民を解放するために努力してきた。そして、難民の受け入れを渋る日本と違い、アメリカは気前よく難民を受け入れてきた。それらのことは、人間の力によるものだから、失敗もあったろうし、過ちも数多く犯したことだろう。しかし、それを理由にして、それが御心に適わないことだったと主張するのは、行き過ぎだ。弱い民を救い、悪を根絶するために行っている努力は、日本人にはとうてい理解できないものだ。極端な相対主義に酔っている日本のマスコミのアメリカ非難は、単に日本の社会的風潮から見たものに過ぎない。そんなものは、季節が移れば花が散り葉が落ちるように、はかなく消えていってしまうものだ。タリバンを非難した“今は宗教の対話の時代だ”という言葉も、アメリカを非難した“アメリカには世界を裁く権利はない”という言葉も、その根本的な根拠を示せと言われたら、単に自分がそう信じているからとしか答えられないだろう。宗教の対話というのは、本質的に存在し得ないことだし、もしアメリカの行動が、結果として人々の福祉を追求しているものならば、その権利を神から与えられているのだ。アメリカが払っている世界平和のための努力は、きみの指摘にもかかわらず、やはり御心に適っているものだ。